- 作者: サイモン・コンウェイ=モリス,遠藤一佳,更科功
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/07/22
- メディア: 新書
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本書はバージェス頁岩の化石研究で有名な古生物学者サイモン・コンウェイ=モリスによるもので,本文500ページ強に加え,注が200ページ弱ぎっしりつけられている中身の詰まった書物だ.
本書のなかではコンウェイ=モリスの「進化は偶然というより必然だ」を主体とする一連の主張を裏付けるために,収斂の事例がこれでもかこれでもかと紹介されている.その充実振りは見事であり,生物の進化動態について圧倒的な読書感をもたらしてくれる得難い書物だ.しかし,その収斂の事例を使って行うコンウェイ=モリスの主張自体は,実はそれほど面白くない.
コンウェイ=モリスの本書における主張は大まかにいうと以下の通りだ.
- 宇宙において生命が可能になるような状況は非常に限られている.私達の地球は非常にまれな例だろう.
- 一度生命が誕生し,進化が始まると,生物が進化史においてたどるコースは実は非常に限られている.それは生物界に極めて普遍的に見られる収斂現象をよく調べるとわかることだ.
- S. J. グールドの主張する偶然を強調した生物進化の見方*1は間違っている.収斂事例が物語る進化の必然を考えると,進化のヴィデオテープを巻き戻してもう一度再生しても,(もちろんまったく同じ生物は現れないが)やはり哺乳類性を持つ生物が生まれ,樹上にはサルのような生物が現れ,そしてヒトのような生物が進化するだろう.
- 進化を踏まえた神学は成立する.ドーキンスのように攻撃したり,グールドのようにエリア分けをしようというのは間違った態度だ.
古生物の進化動態の話を期待して本書を読み始めた読者は,導入の第1章*2の後,「宇宙における生命誕生可能性とその希少性」という議論を第2章から第5章まで延々と読まされることになる.これは生命の起源の話であり,通常の進化生物学の外側の話ということになる.生命起源の話だとしても,生命誕生の条件がある程度狭いのは当然で,ここで問題にされているのは「結局どの程度か」という程度問題に過ぎないのだから,普通にこの本を手に取る読者にとってこの問題はあまり興味がないところだろう.それは置いておくとしても,本書の議論は,強引で,あまりシャープではない.生命が可能になるような物理化学要件はかなり狭いということはよくわかるが,ここでは定量的な議論が全然なされていないのだ.銀河系だけで千億を越える恒星があるのだから,それと比較した議論でなければ説得力はないだろう.
2番目と3番目の話題はまさに進化生物学にかかるところだ.ここでコンウェイ=モリスは「進化が偶然か必然か」という大上段からの議論を行うが,この問題が重要だという問題意識そのものにかなり違和感がある.進化史が様々な偶然によって左右され,かつ同じ適応問題に関してはしばしば収斂現象があるというのは,いわば当たり前だ.「偶然か必然か」という問題はどちらの側面をより見るかというだけの話であり,そこにひたすらこだわられても問題意識を共感しにくい.その詳細にこそ興味深い問題があるということではないだろうか.
グールドが適応の重要性を矮小化した議論を好み,偶然の面を強調した主張を行っているのは有名で,その偏った議論に反論したいというのはわかる.しかし本書におけるコンウェイ=モリスの議論は逆側に触れすぎている印象だ.地球が新生代にそうなったように寒冷化すれば,内温性で胎生の「哺乳類性」を持つ生物が有利になり,そこに熱帯雨林があれば「サル性」を持つ生物が進化するだろうというところまではいいのだが,ヒトのような生物まで必然と示唆する議論は行き過ぎのように思われる.(ヒトが現れるのは新生代初期の適応放散からはるかに後代であり,オーストラリアにも南米にもそのような生物は現れていないことからみて,かなり偶然の要素が大きいと考えるべきだろう)
最後の神学の議論にいたっては,神学と進化がどう折り合うのかの具体的な説明が無く,ただ共存が可能だと言い張っているだけのように感じられる.進化が必然であればより神学と親和的なのだということかもしれないが,何故そうなのかがよくわからない.少なくとも普通の日本の読者にとっては自明ではないだろう.
要するに本書全体は,「自分が心血注いで研究したバージェス頁岩化石について世間に誤解をまき散らしたグールドのホラ話に何としても反論したい,また適応の説明の見事さは認めるとしても,宗教を攻撃するドーキンスも許しがたい」という気持ちに基づいて書かれたということなのだろう.本書のなかに「彼(グールド)が何に対してそんなに大騒ぎをするのかよくわからない」という文章があるが,それはコンウェイ=モリスにもそのままある程度当てはまるというのが私の印象だ.
以上いくつか難点を列挙したが,しかし冒頭にも書いたように本書はそれでも読む価値が十分にある素晴らしい書物だ.本書で挙げられている収斂の事例の膨大さ,収斂現象への考察の深さは圧倒的だ.本筋から脱線しても,さらに本文に書ききれない部分は注にでも,という姿勢で次から次に魅力的な収斂事例が紹介されていく.それが第6章から第10章まで(本文だけで)280ページにもわたって続いているのだ.その収斂現象の詳細は実に興味深く,この読書体験は至福のものである.私が特に興味深く感じた例をいくつかあげておこう.
- C3植物からC4植物への進化は独立に何度も生じている.これは二酸化炭素の薄い大気に対する適応だろう.
- クモの糸のような高分子体も軽くて強い繊維が必要な生物に独立に何度も生じている.
- 顕花植物とグネツム類で花は独立に進化したようだ.
- 地中性の哺乳類において,体型,穴を掘る前肢,退化した眼などの収斂がみられるのはよく知られているが,真社会性も独立に何回か(ハダカデバネズミ,別のデバネズミ,ヤチネズミ)進化している.
- 砂漠性の哺乳類には,夜行性で巨大な耳を持ち後肢でぴょんぴょん跳ねるという収斂がみられる.
- 平均棍は双翅目だけでなく撚翅目(ネジレバエ)でも独立に進化している.
- カメラ眼と複眼が豊富な収斂事例を持つ(単細胞生物にもみられる)ことはよく知られているが,カメレオンとイカナゴではレンズ側ではなく角膜側で焦点調節するという構造に収斂がみられる.これは正確かつ迅速な焦点調整にかかる適応だと思われる.(これだけで説明できるのかについては疑問がある,いずれにしても興味深い)
- 光受容体としてのロドプシンは2回独立に進化している可能性が高い.
- 哺乳類の嗅球と昆虫の嗅糸球体は強く収斂している.
- エコロケーションはコウモリとイルカのほかにアブラヨタカとアナツバメで独立に進化している.
- グンタイアリのような行動パターンは(グンタイアリとサスライアリの別大陸の2回というだけではなく)アリのなかで独立に何度も進化している.
- 好蟻性昆虫では様々な形質に収斂がみられる.形態擬態は様々な昆虫やクモの間で少なくとも70回は独立に進化した.
- 頭足類と脊椎動物では血管系に収斂がみられる.血液脳関門も独立に進化している.
- ネズミのいないニュージーランドでは,コオロギとイワサザイ(鳴鳥類の一種,鳴鳥類のなかで最も古く分岐していることが知られている)の間にネズミ的な生態にかかる収斂(食性,夜行性などの行動特性など)が観察される.*3
- 哺乳類の特徴とされる胎生,内温性はそれぞれ多くの動物群で独立に進化していることがよく知られている.内温性は魚類だけで独立に5回進化している.また一部の爬虫類では歯に形態分化がみられる.
- 社会性と脳の大きさの関係はいくつかの動物群でみられる収斂だ.ハクジラ内での社会性,社会システムと脳の大きさの関係は霊長類と比較すると興味深い.オス同士の流動的な連合がみられる種では特に脳が大きくなっている.
- マッコウクジラとゾウには社会構造,生態に収斂がみられる.
とにかく濃密な書物だ.本筋の主張はあまり気にせず,第6章から描かれる収斂事例を楽しむ*4というスタンスで臨むと本書を最もよく味わえるだろう.第6章にたどり着かずに本書を投げ出してしまう読者が続出することが懸念されるが,投げ出す前に第6章を読むことを強くお薦めする.
関連書籍
原書
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コンウェイ=モリスの本 これは日本で先に出された講談社現代新書だ.
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英米ではこういう形で出されている.
The Crucible of Creation: The Burgess Shale and the Rise of Animals
- 作者: Simon Conway Morris
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なお所用あり,10日ほどブログの更新を停止する予定です.
*1:グールドは「ワンダフル・ライフ」でまさにバージェス頁岩の研究物語を通じてこの主張を行っている.そこではコンウェイ=モリス自身ある意味ヒーローとして登場している.
*2:ここでは,DNA,アミノ酸,タンパク質という生命形態,現行の遺伝コードが非常に効率的であり,必然に近いのではないかという議論がある.これは第9章でも議論されている.厳密にいえば収斂の議論ではないがちょっと面白い問題だ.
*3:ニュージーランドでの哺乳類の収斂ということでキーウィも取り上げられている.そこではキーウィの卵の大きさは胎生的な性質への収斂と考えるべきだと主張している.これはグールドによるアロメトリー制約説に反論しているのだろう
*4:ちょっと読みにくいが注も必読である.本書ではこのためだろう栞ひもが二本装備されている