「働かないアリに意義がある」

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)


本書はアリの研究者長谷川英祐による社会性昆虫に関する一般向けの本である.


まず最初に「社会性」についての説明がある.ここでちょっと面白いのは粘菌も「真社会性」だと説明しているところだ.確かに胞子を作る際にそれまでばらばらだった個体が集まって一部の個体は柄になって繁殖機会を放棄するわけだから定義によってはそうなるだろう.確かに包括適応度的状況ではあるが,社会性というと何らかの個体間の相互作用がないとあまりぴんと来ないところでちょっと面白い.


続いての第1章,第2章で本書の題にもなっている「働きアリの一部が働いていない」という話題が取り上げられる.これは著者自身の研究に関するところで詳しく語られている.
まずアリのコロニーでは7割のワーカーが働いていないという観察事実が提示され,何故一見自然淘汰の産物とは思えないような非効率があるのかという問題を考察していく.(なおここで自然淘汰ではコロニーが効率的であることが予想されるという説明があるが,ややスロッピーな書き方で気になる.具体的には「何らかの有利な性質を種にもたらしているのかもしれません」とか「種の生存の確率を高め,次の世代に伝わる遺伝子の総量をできるだけ多くしたものが将来増えることができるという進化の大原則」という言い方をしていて大変残念だ.後で血縁淘汰についてきちんと解説しているにもかかわらず,何故このような「種のために進化する」という誤解につながりかねない記述をするのだろう.一般向けであるからこそ大変残念である.)

著者の説明の仕方は丁寧で行きつ戻りつしているが,小さな脳を持つコロニーという制約条件を前提にした場合,アリのコロニーは予測可能性が低い突然の大仕事(大きな食物が見つかる,巣が崩れて修繕するなど)に備えるために予備戦力があった方がよい,さらに一斉に働いていると疲労により一斉に動けなくなりコロニー存続のために継続しなければならない仕事が中断するリスクが高くなるために一定割合のワーカーが仕事をしていない方が合理的だというのが著者の説明だ.
またこのほかのコロニーの合理性として,ワーカーの齢間分業,フェロモン追随の正確性に分散があること(より効率的なルートの探索に有利),コストのかかった兵アリはそれに見合う仕事しかしないこと*1などが紹介されている.


次はこのような予備戦力を保つための至近的な仕組みについて.それは個体にある行動にスイッチが入る入力に一定の閾値があり,それが個体ごとにばらついている事で可能になると言う説明(反応閾値モデル)になる.著者たちは執念の観察で,反応閾値モデルを支持するデータを集める.*2
この閾値には遺伝性があることから,著者は個体の特性値分散が多数回交尾の進化する理由の1つではないかと推測している.そうかもしれないが,働くアリだけ抽出してもやはり働かないアリがほぼ同じ割合で出現するという結果から考えるとそれほど強い理由だったのかは微妙な気もする.ワーカーのポリシングを容易にするためという効果も大きいのではないだろうか.
なお特性値分散のメリットとして予備戦力の造成以外に,温度調節のサーモスタットがより頑健になることもあげられている.


続く第3章は血縁淘汰の説明だ.ここはおおむね学説史的に記述されている.
まず血縁淘汰の概説のあと膜翅目昆虫の真社会性起源におけるハミルトンの3/4仮説が説明され*3,これは比較のための単独生活の個体がいないので直接包括適応度が測定できないのだと位置づける.また著者はこの血縁淘汰の理論があまりに美しかったので,本来吟味されるべきb, c がどうなっているかがあまり注意を引かなかったのではないかとコメントしている.
この後トリヴァースによるコロニー性比の研究が紹介され,性比がワーカーの好む3:1になっていることから血縁淘汰が働いていることが示されたと評価している.(私の認識ではこの研究は,その先の性比を巡るコンフリクトがどう解決されているかの部分が面白いところだと思う)なおここで,繁殖集団全体で性比がワーカーによって操作されていると,ワーカーから見てオスメスの繁殖虫の価値が次世代の性比のゆがみで血縁度の非対称が調節されて同価値になり,3/4仮説の成立が(少なくとも真社会性の維持について)難しくなるという問題があるのだが,そこはスルーされている.(なかなかトリッキーな話なので一般向けとしてはやむを得ないところだろう)
ここでグループ淘汰の説明が来る.著者はマルチレベル淘汰理論が血縁淘汰理論と等価であることには触れず,この2つの主張は,真社会性へのドライビングフォースが包括適応度上の有利さ(rの問題)なのか,共同行為のシナジー(b,cの問題)なのかという争いだというスタンスから解説している.そして議論は膜翅目昆虫の研究者が包括適応度を重視し,倍数体生物も視野に入れる研究者がシナジー効果を重視し,すれ違っていると評価している.
そのような側面もあるのかもしれないが,私としては,2つの理論は等価で2つの原因は排他的でないのだから論争全体があまり意味のあるものではないと思う.少なくとも理論の等価性についてはここで説明しておいた方が良かったのではないだろうか.


第4章では興味深いアリの進化生態が次々と紹介される.
まず女王アリが存在せず,すべてのワーカーが単為生殖を行うアミメアリ.そしてその中には単眼型と呼ばれる仕事をせずに卵を多く産むフリーライダー系列が存在するという現象が語られる.これは結局コロニー単位ではフリーライダーに乗っ取られ絶滅していくのだが,適度な分散により,別のコロニーに広がっていき,動的に安定が保たれているものだ.なお著者はこの現象についてマルチレベル淘汰的に解説しているが,この2系列は同種とされているとはいえ遺伝子交流しないのだから,ホスト種とパラサイト種という2種の進化動態という解説の方が適切ではないかと思う.
次に完全な別種による社会寄生.匂いの仮面をつけて侵入するもの,そのものずばりホスト種の首をちょん切ってそれを仮面にするもの,奴隷制をとるものなどが紹介されている.
次は単為生殖女王によるクローンコロニー種(ハキリアリの一種).コロニー内で女王が代を重ねるが,そのゲノムに王の遺伝要素が入り込まないという興味深いヤマトシロアリ.ワーカーは女王と王の両遺伝要素を持つのに,メスの繁殖虫は女王の遺伝要素だけ,オスの繁殖虫は王の遺伝要素だけというウメマツアリなどが紹介される.ヤマトシロアリではこれに対抗するために王は大変長寿になることが予想されるが,実際長寿なのだそうだ.*4 ウメマツアリのシステムは事実上別種になった女王と王が,ワーカー生産のためだけに同盟していると見ることもできる.いずれも大変興味深いものだ.この章はアリ専門の行動生態学者の面目躍如というところだろう.大変面白い.


第5章では群れのメリットとデメリット,コロニーと多細胞生物は連続している事などが語られている.
ここではコロニーのポリシングにも触れており,何故一回交尾の膜翅目でもワーカーがポリシングするのかが解明されていないなぞとして提示されている.これは先ほどの例でいうとまさにb, cのところで説明が必要になるのだろう.
また先ほどのハキリアリなどの単為生殖女王のクローンコロニー種が(包括適応度上の利益にもかかわらず)何故あまりいないのかという問題も取り扱っている.これは有性生殖の存在にかかる問題であるが,そこには触れずに,感染病原菌耐性や閾値分散のためには遺伝的多様性が有利だという説明のみにとどめている.ここはちょっと物足りないという感じだ.
なおこのような冗長性の存在やアミメアリの集団構造によるフリーライダーのための絶滅回避の連想から,効率性重視の経済運営やグローバル化に疑問を呈している記述がある,ここは単なるアナロジーに基づく一方的な思いつきの議論であり読んでいてちょっとがっかりさせられる.新書だから読者サービスということかもしれないが,不要ではないだろうか,むしろ本書の魅力を下げたように思う.


著者は最後に一見非効率に見える冗長性や無駄が進化できることについて,これまでの理論が定常個体群を前提にしてきたため理解しにくくなっているのであり,今後は変動環境の中での進化の理解が重要だと主張している.それはそうなのだろうが,私の印象では,それは変動環境を前提にして包括適応度を通期の幾何平均として定義すれば拡張できるように思われる.


本書はアリの進化生態について一般向けに書かれた本であるが,非常に力の入ったもので,水準が高くかつ読みやすく仕上がっている.一部ちょっと気になる点はあるが,詳細は大変に面白い記述が多い.多くの読者に良書として推薦できるものだ.

*1:同じコロニーのワーカーが食物を他コロニーのワーカーと争っていても兵アリは逃げてしまうことが紹介されている.ここで「『それでも軍人ですか』と言いたくなる」というコメントがあり楽しい.

*2:これはコロニーのアリの個体識別して行動データをとらなければならないので非常に大変な作業であることが容易に想像されるが,アリの都市伝説を確かめた研究として記事にした新聞には「こんなことを調べる生物学者は暇らしい」と書かれてしまう.著者は(怒るというより)吹き出してしまったそうだ

*3:この説明に添えられているイラストはなかなか分かりやすくて好感が持てる

*4:ヤマトシロアリでは,複数の次世代女王の遺伝要素を平均すると初代と等価になる.このことを著者は「綾波レイ言うところの『私が死んでも代わりがいるもの』」と表現していている.私的には受けてしまった