Nowak et al. 論文への反論と再反論 その3 <完>

最後の5本目の反論とNowakの再反論が残っている.



「包括適応度理論の擁護」 エドワード・ヘーレ,ウィリアム・チズロ
E. A. Herre, W. T. Wcislo  "In defense of inclusive fitness theory"


最後の5本目は,ハチが専門の行動生態学者による反論ペーパー.

Nowakたちは論理面,数理面,実証面において失敗している.


1. <論理面>
彼等は真社会性の例をチェリーピックしている.確かに多くの膜翅目昆虫は真社会性ではない.しかし何百もの真社会性ではない(倍数体の)巣を作る鳥類や哺乳類や爬虫類が存在する.さらに,もし真社会性ではない半倍数体の種の存在が包括適応度理論にとって問題だというなら,何百もの種が巣を作って真社会性でないことも彼等の代替理論にとって同じ様に問題であるはずだ.


2. <数理面>
彼等はまず包括適応度理論と「標準自然淘汰理論」について間違った二元論を採っている.
また彼等は「血縁度は真社会性をドライブしない」と主張しているにもかかわらず,自分たちのモデルで(巣にランダムな個体をワーカーとしておいてみるなどによって)その血縁度効果を除いてみるというクリティカルなテストを行っていない.だから彼等はそのコアの主張について何ら基礎を築いていないし,また実際の生物システムにおけるデータも示していない.


3. <実証面>
Nowakたちは関連リサーチの集積について解釈を誤っている.継続的な給餌をクリティカルな前適応と指摘しつつ,継続給餌なく真社会性を進化させた複数のクレード(sweat beeなど)を見過ごしている.
Nowakたちは,Lasioglossum beesにみられる孤独性は,給餌,トンネル,防衛について分業を今後始めることを示しているとしているが,これは正しくない.Lasioglossum hemichalceumは社会性であって孤独性ではない.Lasioglossum figueresiは孤独性だが,巣において調べられたのではなく人工的なアリーナで調べられた.だからこのハチが給餌やトンネルや防衛を行うことは不可能だったのだ.
最新の比較研究は,包括適応度理論の基本的な予言,すなわち倍数性や巣のようなものや前適応にかかわらず,高い血縁度が共同子育て/真社会性の進化にとって鍵だということを支持している.包括適応度理論を棄却しようというのなら,これらの重要な比較研究を直接検討すべきだ.


4. 包括適応度理論は真社会性の問題をはるかに超えたエリアで一般的で自明でない予言をもたらすという利点がある.血縁認識,ポリシング,母と胎児のコンフリクト,性比のパターンなどが特にそれをよく示している.そしてこれらの予測は繰り返し何度も比較,実証,実験的な膨大なテストをくぐってきている.


1.の指摘はウィルソンの混乱振りをついたものだ.シロアリが倍数体で真社会性であったことはウィルソンが熱狂的に3/4仮説を支持したときからわかっていたのだ.何を今更というところだし,それを理由に血縁度の重要性を否定できるなら,彼等の説明を否定できる例もいくらでもあるという指摘だ.これは痛いところを突いているだろう.


2.はブームズマたちの2番目の反論でも指摘され,私も指摘しているところだが,彼等のパートCにおける姑息なやり方の問題だ.血縁が結果だというならそれを示してみせればいいのだ.そしてそれをしていないのはもちろんそんなことを示すことはできないからだ.


3.はいかにもハチの専門家らしい指摘だ.私には詳細はわからないが,これもなかなか痛いところを突いているだろう.後半の指摘はブームズマの指摘と同じだろう.包括適応度理論から真社会性を説明するなら問題は倍数性だけではない.


4.は多くの反論ペーパーに共通するところだ.包括適応度理論の功績ははるかに広いのだ.



さてここまで5本の反論をみてきたわけだが,このbrief communications欄にはNowakたちの再反論も収録されている,




「返答」 Nowakほか
Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson  "Nowak et al. reply"


当然といえば当然予測される通りだが,この返答は結構かたくなであまり中身のある回答にはなっていない.

まず包括適応度のハミルトンの定義は以下の通りだ.

包括適応度は,個体の(実際に大人になった子孫を生産する)個体適応度を分割しある部分をそぎ落とし,別の方法で増したものだと想像することができる.それはまずその社会的な環境による利益や損害をそぎ落とし,その社会環境がなくともあった適応度を残す.そしてその個体が周囲の個体に与えた利益や損害を割り引いたものを加えるのだ.割引は周囲の個体との血縁係数をかけることにより行う.クローン個体なら1,兄弟なら1/2,・・・関係が無視できるほど薄い個体にはゼロとなる.

これはハミルトンの1964年の論文からの引用だ.つまり40年以上前の定義だけを持ち出し,反論において示されているその後の拡張を敢然と無視している.

この定義に基づいて数理的に示したように,これは狭い前提条件を要求している,批判者は自分たちの数学を吟味していない.
包括適応度は相加性を要求するのだ.

ここも強烈な開き直りだ.
空間構造に関する包括適応度理論の拡張についてはNowakたちこそ自分たちが引用している論文を吟味すべきだろう.
なお私としては相加性の拡張についてのアボットほかの議論をよく吟味してみないといけない.とりあえずお勉強するまで保留というところだ.

相加性を要求する包括適応度理論を,それを要求しない自分たちの定式化した「標準自然淘汰理論」を対比させるのは当然だ

ここは(少なくとも相加性を要求する理論と考えているのだから)そういうことだろう.


そしてここでハミルトン則が成り立たないという論文での主張を繰り返している.私としては,先に指摘した通りこれはNowakたちがb,cをきちんと適応度成分として定義できていないため生じた誤解だと考える.この点を包括適応度理論家たちが指摘していないのはちょっと残念だ.


ここから自分たちがいくつか誤解されていると説明している.

1. 私達は血縁度が重要でないとは主張していない.血縁度は集団構造のひとつの側面であり,進化に影響を与える.
2. 私達は血縁認識の重要性を否定していない.血縁認識に基づく条件付き行動戦略は協力の進化のメカニズムのひとつだ.
3. パートAにおけるモデルは真社会性の進化のモデルではない.これは包括適応度理論の限定性を示すためのモデルだ.
4. パートCでは真社会性進化の数理モデルを示している.これは単純で検証可能な予測を生み,この現象がまれであることを説明している.
5. モノガミーと性比の操作は真社会性において重要かもしれない.このようなアイデアは私達が示したような明晰なモデルでもっともよい検証を与えるだろう.


1.も開き直りのように感じられる.彼等は論文の主題である真社会性の進化について「血縁は結果だ」と主張しているではないか.真社会性は例外だというなら,包括適応度理論全体を攻撃する意味自体がなくなる.とりあえずここは自分たちの誤り,あるいは表現の不適切性を認めるということだろうか?
2.は本筋からは外れている.そもそも血縁認識は血縁淘汰が効くための必須の条件ではない.(もちろん様々な条件によっては血縁認識がないと進化しにくい場合も多いだろうが)彼等の行動生態学的な理解の怪しさが垣間見えるようだ.
3.の主張はその通りだ.ここの数理モデルは真社会性を起源を説明しようとしたのではなく,包括適応度理論の前提条件を示そうとしているものだ.
4.は反論にまともに答えていない.反論ペーパーでは,何故「血縁度の違いが差を生むかどうか」というクリティカルなテストをしていないのかを問うている.そしてNowakたちは(当然ながら)それにきちんと答えることはできないのだろう.
5.もまともに答えていない.コンフリクト状況をどのようにNowakたちのモデルで(わかりやすく)説明するのかはまったく明らかではない.ただ言い張っているだけだ.


包括適応度理論が生産的だったかどうかについてはこのようにいっている.

アボットたちは包括適応度理論は膨大な数の生物学的な文脈でテストされてきたと主張している.しかし私達の意見ではそうではない.私達は,正確な包括適応度が動物の集団で計測され,結果が実証的に評価された研究をひとつとして知らない.データを一般化されたハミルトン則に当てはめただけでは包括適応度理論の検証とはいえない.

これに関してNowakたちが指摘しているのは,包括適応度そのものは「ある行為を行ったことによるコストと血縁個体へ与えたメリットが生存繁殖にどう影響を与えたかを,そのような行為をしなかったときと比較して測定しなければならない」が,そのようなリサーチはないということのように思われる.
しかしある理論のテストをある形式でしか行ってはならないという主張はよく理解できない.包括適応度理論は多くの個別問題について検証可能な予測を生みだし(特に性比についてのものが美しい),そしてそれは実証的に検証されてきた.何故それでは駄目なのかはまったく明らかではないだろう.


このあとNowakたちはヘーレとチズロによる細かな指摘について議論をしている.詳細はよくわからないが,少なくともハナバチについては「継続的給餌」が前適応ではなく「大量の一回給餌」が前適応だと主張をあらためることにするようだ.(これはこの返答で唯一彼等が譲ったところだ)


さらに性比全般についてこうコメントしている.

多くの投稿者が性比の進化について言及している.これは私達の論文で論じていない.しかしながら正確な性比の進化の理解は集団遺伝学に基づいており,包括適応度理論を必要としない.

先ほどと同じくやはり問題をすり替えている.反論ペーパーは,包括適応度理論が生産的だったかどうかを問題にしているのだ.しかもここではそれがNowakたちのモデルで曲がりなりにも説明できるかどうかについてさえ答えを避けている.
包括適応度理論で説明できることが,集団遺伝学モデルで説明可能なことは最初から明らかだ.包括適応度理論はそれを直感的にわかりやすくし,前提条件を定めて最大化問題に組み替えて解析的な解法を可能にしてくれるものだ.
Nowakたちは,少なくとも性比の進化についての包括適応度理論のこれまでの貢献を認め,そして今後自分たちの手法があれば包括適応度理論が不要だと主張し続けるならNowakたちの手法で性比の進化がどうモデル化できるのか(そしてそれが簡潔でわかりやすいものであること)について明らかにすべきだ.ここはかなりみっともない逃げっぷりに見える.


以上がブリーフコミュニケーションズに載せられたやりとりということになる.当然といえば当然だが,Nowakたちは反論にまともに答えられなかったというのが私の評価だ.


<完>