Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind
- 作者: Robert Kurzban
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第9章 道徳と矛盾(承前)
<モラル的な心>
クツバンは各論の最後として宗教的な冒涜の例をあげる.
2007年スーダンでは,子供達にぬいぐるみのクマをモハメッドと呼ばせたという罪で教師が鞭打ち40回の刑に処せられた.
街頭の抗議者たちははるかに重い刑を要求していた.
このありとあらゆる残虐行為がまかり通っている国で,ぬいぐるみの名前がこれほど多くの関心をかきたてたのだ.
なぜ人は中絶,ドラッグ,売春,マーケット,ヌードビーチ,ぬいぐるみをモハメッドと呼ばせることにこれ程強く反応するのだろうか?
クツバンはこれに関連した進化心理学的な議論をまず行う.
進化心理学からみると,他人を気にするのはヒトの大きな特徴だ.
本来血縁や,味方や,配偶相手以外の他個体に注意を払うのは,時間とエネルギーの無駄だ.ほとんどの動物は食べるか食べられる相手や配偶相手以外は無視する.
しかしヒトは他人の行動を気にする.そしてマリファナを吸ったり,ある言葉を発音したり,臓器を売ったりすれば気にするだけでなく罰を与えろと固執する
これは生物学的にみて重要な疑問になる.何故一見適応度と関係ないことにこれほどこだわるのか.
クツバンは,「道徳を説明した」という主張は多いが,ほとんどは「ヒトの利他性の説明」に終わっていて,「なぜ他人の行動を制限し,逸脱者を罰したいのか」まできちんと説明できたものはいないと指摘する.
罰の問題は「協力への違背者」についてはなされているが,確かに薬物や臓器売買に関しての議論はあまり聞かない.通常は一般的な規範違反として一括りにされているところだ.
クツバンはここまでの知見から2つの点を特に注意すべきだとする.
1.私たちは意識的にはこの理由を知らない.
2.これにはモジュール性が深く関わっているはずだ.
モラルは無意識に判断され,報道官が後付けで正当化しようとする(多くの場合正当化できない)
個別のモジュールは個別の機能を持ち,それぞれ別の道徳判断をするのだろう.複数のシステムが一貫性を持つには注意深いエンジニアリングが必要だ.そして一貫した道徳判断がアドバンテージをもたない限り,一貫性は構築されないと期待される.
そして物事は単に判断が一貫していないということより悪いのだ.それが偽善の説明につながる.
クツバンは,面白いケーススタディを行っている.
それはエリオット・スピッツァーのケースだ.
- 彼は,ニューヨーク州の司法長官として巨悪の摘発に辣腕をふるい,それが評価されてニューヨーク州の州知事にまでなった.しかし高級コールガールとの買春をニューヨークタイムズにすっぱ抜かれ,辞任を余儀なくされた.
クツバンは,まず良心モジュールは多くのファクターに影響されると指摘する.その中には当然コストとベネフィットの判断がある.
- スピッツァーの場合,コールガールと寝るかどうかの判断において,コストとしてはこれまで売春に反対してきたことと異なることを行う政治的リスクが判断される.しかしベネフィットの判断は衝動モジュールが受け持つ.衝動側にアドバンテージがあったのだ.
- さらに行動を決めるモジュール群(良心)と他人を批判する時のモジュール群はことなるのだ.これが言動と行動のコンフリクトを生み出す.
- つまりこの様なモジュール性が偽善を作っていることになる.
クツバンは最後に残る問題は,「なぜあなたは自分だけは例外だと思うのか?」ということだと言う.そしてこれは次章で扱われる.
本章の議論は結局「なぜヒトは中絶や薬物や市場や性的放埒や冒涜について悪と判断しやすいのか」について個別の理由が解説されていなくて肩すかしにされた感じがある.
考えてみれば,おそらくまず進化環境になかったような問題についてはモジュール群がうまく働かないこと,そして詳細の判断にはそれぞれ別のモジュールが絡んでいて,それぞれ別の進化心理学的な理由があるということなのだろう.
私の現時点でのイメージは以下のようなところだ.
- 中絶は進化環境になかった問題についてモジュールがうまく判断できずに,「何がヒトか」の判断が個人によって分かれ,トリッキーな状況になっているのだろう.
- 薬物も多くは進化的な環境にはなかった.だから判断が怪しくなり中毒性のある薬物であるにも関わらずアルコールについては甘いが,ほかの薬物については厳しいのだろう.しかし何故マリファナのようなものについてあそこまで道徳的に厳しいのかは謎だ.
- 市場も進化環境にはなかったものだ.そして何故漠然と悪と感じるのかは難しいが,市場の重要な要素である「各人の利己心に従うこと」が「よろしくない」という判断に効いているのかもしれない.
- 臓器売買についても進化環境にはなかった.これを悪と感じるは臓器の売買が売り手の死亡を前提にしていることが効いているのかもしれない.
- 性的放埒は,進化環境では父性の不確定性に結びつき,夫,親族,血縁グループにとってマイナスの影響があったということなのだろう.
- 冒涜は難しい.おそらくこれはヒトの本質主義的傾向(聖なるもの,穢れ)に関するものなのだろう.
なお所用あり10日間ほどブログの更新を停止する予定です.