「Why everyone (else) is a hypocrite」 エピローグ 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind


クツバンはアメリカの独立宣言からエピローグを始める.このあたりはアメリカ人にとっては琴線に触れるところなのだろう.


アメリカの独立宣言は「自由の価値」を信じるものだ.
これは普通「他人に迷惑をかけない限り,人は自分のしたいことをしていい」という意味だ.
確かに報道モジュールは「自由」を賞賛する.しかし片方で(別のモジュールである)モラルモジュールはそれを制限しようとするのだ.


クツバンはこれについて「私たちの道徳心理は複数の頭を持つ怪物なのだ.」とコメントしている.
そして誰にも迷惑をかけないとしても,他人に対して享楽的なドラッグ,売春,臓器売買をやめさせようとするし,その理由はよくわかっていないと認めている.


クツバンはこれは進化心理学者として反省すべきことだが,それでもわかっていることはあるとコメントする.

  • 脳内のこれらのシステムは分離して動いている.一部のモジュールが自由を信じていても,同時に別のモジュールがそれに反対することがありうる.


ここからはクツバンはエピローグということもあって価値の領域に踏み込んでいく.
ではこれにどう向き合うべきか.
クツバンは,偽善をあるがままに受け入れるという選択肢もあるが,自由の価値を認めるのであれば,それを制限するときには制限するものにアカウンタビリティを持たせるべきだという.
それはモジュールの望むがままのルールを正当化するなら,自分が有利になるために他人の自由を制限することはどんなことでもルールになってしまうからだというのがその理由だ.これはルールの正当化の理由付けは何も知らない広報モジュールの後付けにすぎないと考えるなら,当然の考え方になるだろう.


クツバンはアカウンタビリティについては,(功利的な理由だけでなく)そのほかのモラルセットとの整合性,一貫性も含まれるとしている.知覚の非一貫性自体に問題はないが,道徳の非一貫性は他人の自由の制限という意味で問題が大きいという.特に「自由の原則」との非一貫が,後付けの理由に惑わされずに,(無意識の利己心にかかる)怪しい主張を見分けるのに適切だということだろう.


そして最後のこのように付け加えている

モラルの一貫性を保つのは難しい.ヒトは,なぜだかはわからないが,インセストは罰すべきだと強く思うのだ.これは本当に強く思う.
ホイットマンのいうように私達は大きくて内部に複数の存在を持っている.モジュールは私たちの中に非一貫性とコンフリクトをもたらす.
しかしそれは柔軟性ももたらしてくれる.異なるモジュールは異なる環境での異なるコンフリクト状況で異なる強さを持つ.これを理解すればコンフリクトを評価でき,決断のバランスを変えることもできる.
パーソナルな場面や政治議論で,モラルモジュールは自由の原則にしばしば打ち勝つ.しかしこの様なモジュールと私達が愛してやまない自由の原則の間には深い非一貫性があるのだ.
私は,私達はこの非一貫性をなくすことによってより良い世界を作れると思っている.


以上で本書は読了だ.本書を読むと,今までぼんやり考えていたよりもはるかに細かい特殊モジュールがたくさん私達に備わっていることをあらためて実感できる.確かに私達は何かの理由を聞かれて,それまで考えてもいなかった理由を自分でも驚くほどべらべらと弁解することができることがある.そしてある考察について,論理的にはこれでよいと意識的に思う瞬間と,(しばしば数日後に,そして理由は不明ながら)真にその考えに納得する瞬間は異なるように感じられることがある.おそらく極めて多数のモジュールが非常に深く私達に組み込まれているのだろう.


<完>