Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)
- 作者: Matthew M. Hurley,Daniel C. Dennett,Reginald B. Adams Jr.
- 出版社/メーカー: The MIT Press
- 発売日: 2011/03/04
- メディア: ハードカバー
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第10章 反論に対して(承前)
C 明らかな反例
参照ジョーク
- 男が航空会社のチェックインカウンターで係員に話しかけている.「このバッグをベルリンに,これをカリフォルニアに,そしてこいつをロンドンに送りたいんだが」「申し訳ありません,お客様,私どもといたしましてはそれはできかねます」「何言ってるんだ.できないはずがない.前回おたくを利用したときにはまさにその通りやってくれたじゃないか」
<忘却>
ハーレーたちは自分たちの仮説に一致しているように見えておかしくないものの次の候補として「忘却」をあげる.
最初の例
- ダンはポールと昼にテニスをする約束をしていたが,すっかり忘れて友人と楽しいランチを取る,その帰りにテニスコートでテニスウェアのポールを見かける.
なぜダンにとってこれは第一人称ユーモアにならないのか.ハーレーたちは長々と説明している.
- もし全く約束を思い出せないということなら,第3者からはおかしくても本人にはおかしくない.何か間違った信念にコミットしていたと言えるかというところが微妙.本当に全て順調と信じているなら,ポールのテニスウェアがおかしく感じるだろう.
- かなり忘れていてポールから長々と説明を聞かないと思い出せなかったとするなら,それは覆りがゆっくりすぎて骨折りでユーモアを産まない.
- すっぽかしに気づいたとしても狼狽と気まずさが先に立って面白さに干渉してしまう.これを聞いた第三者には面白いだろう.
- ポールが現れる前にいかに食事が楽しかったかに延々とコメントしていたとすれば,ジョークの前振りのしすぎとしておかしくない.誤りがあまりに明白だとおかしくならない.
- ダンが曜日を間違えていたとすると,食い違いがややこしすぎておかしくなくなる.
- ポールのいたずらだった.ダンはそのときには楽しめない.しばらくしてから最初のすっぽかしたという思いが実はいたずらによるものだったという形でおかしさが生じる.
なかなかややこしいが,要するに3番目のほかの感情との干渉と言うことが基本だと言うことだろう.
次の例
- リンゼイはATMで現金を引き出してからスーパーに行こうと思っていたがそれを忘れ,スーパーのレジで順番がきてからそれに気づく.
ハーレーたちの説明
- この忘却は何らかのアクティブな信念になっていない
- もしそういう形にするとおかしくなる.「高いフライパンを見ていて銀行の残高が気になり,さっきもらったはずのATMのレシートを探しているうちにハッと気づく」
要するに単純な物忘れではユーモアにならない.しかしその基礎にはなるということだろう.
この後ハーレーたちは次々と反例候補を挙げて,それが反例となり得ないことを説明していく.
<計画や問題解決のときの様々な仮説や矛盾が解決するとき>
ハーレーたちは,これは確かにおかしくないが,それはその信念があくまで仮説であって十分なコミットがなかったからだと説明している.確かにこれは仮説の条件を満たしてはいないだろう.
ハーレーたちはチェスやフットボールの戦術が外れたときも同様だと言っている.もっとも仕掛けた方がかなり自信を持っていたが外れたようなケースでは,(そしてその自信の根拠がヒューリスティックスの誤りからきていれば)第三者的な視点からは結構おかしいこともあるだろう.
<フィクション>
ハーレーたちは「フィクションは結局現実に覆されるので何かしらおかしいはずだ.」「フィクションにはコミットが生じないのでおかしくないはずだ.」という二通りの仮説をまずあげて,どちらも正しくないとしている.
- フィクションの中身に対して受け手はコミットしていない.だからシリアスなフィクションはおかしくならない.
- そしてフィクションの登場人物はその中で何らかのコミットを行う.つまりフィクションの中で矛盾と覆しが生じて三人称ユーモアとしておかしくなることがありうる.
<うそ>
ハーレーたちは単なるうそにはコミットがないのでおかしくないのだと説明している.だから何らかのコミットと覆しがあればおかしくなる.
<調子外れの楽器>
ハーレーたちはここでは信念へのコミットメントという必要条件が問題だと説明する.だからコミットがないとおかしくない.逆にコミットがあるとおかしい.
おかしい例:
- 全くいい楽器だと思って演奏を始め途中で調子外れになる.
- 威厳正しいオーケストラがベートーベンのエロイカの盛り上がりで調子外れの音を出す.
<なぞなぞ>
例:父親と息子の交通事故と連れ込まれた患者を見て「私は手術できない」という医者のなぞなぞ
ハーレーたちの説明は,覆される信念はヒューリスティックスにより作られる必要があるというものだ.
この例では確かに「医者は男性」という思い込みがなぞなぞの答えにより覆る.しかしおかしくない.これは最初からあった偏見にすぎず,何らかのヒューリスティックスにより作られてコミットされているわけでははないからだ
これをちょっと変えて,父親は一緒に手術室に付き添ったというなぞなぞに変えてみよう.すると医者と父親が顔を合わせているのに気づかないという状況があるので彼らは知り合いではないという推測が生じる.そしてここで回答者はもしかして父親がそこで医者に早変わりしたのではと考え始めたとすると,このアイデアにはヒューリスティックスにより作られたものだ(そしてコミットメントもある)ということになる.ここで女医だという答えを聞いたら一人称ユーモアになりうるだろう.
<階段で滑る.almost fell,と思ったら何とか体勢を立て直すことができた>
ここでは信念の内容が問題だと説明される.almost fellという認識は何ら間違っていない.でも1人称ユーモアとしておかしい.これはコミットされた信念は「almost fell」ではなく「am going to fall」だから,それが覆っておかしいのだ.
<潔白だと思っていた妻の浮気がわかる>
浮気を疑っていて,証拠だと思っていたものが実は違う(妻は浮気をしていない)ときはおかしいが,逆だとおかしくない.
ハーレーたちは2点指摘している.一つは感情の干渉だ.浮気がわかるのは楽しくないからだ.だから「何とか離婚しようとしている状況で,実は妻も浮気をしていたと知る」ということならそれは笑えるようになるだろう.もう一つ些細な違いがある.浮気を「している」というのは積極的にコミットしやすい.しかし,「していない」というのは具体的にアクティブにコミットしにくいのだ.
<私は今日ここでデネットの意識の講演を聞けると思っていた.しかし実はユーモアに関してだった>
これは2008年のカンファレンスでデネットが仮説のアーリーバージョンを発表したときのマーク・ハウザーからの質問だったそうだ.たしかにこれは全然おかしくない.そして最初これに反論できなかったそうだ.
ここではおそらく二つほど問題があると説明している.
- まず最初に「思っていた」のは単なる予想だったかもしれない.これはコミットされた信念ではない.
- また実は異なる講演だったということをどう鮮やかに気づくかというセッティングが難しい(これがうまくないとジョークをダメにする)
ハーレーたちは実際にジョークがおかしくなるためには微妙な条件が必要で,特に(1)信念がアクティブで(2)何らかのヒューリスティックスで作られたものであり,(3)その信念にコミットがあり,(4)それが鮮やかに覆る,ということが重要なのだとこの反例ケースをまとめている.