「The Better Angels of Our Nature」 第3章 文明化プロセス その4  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


西洋民主主義国の中でアメリカ合衆国は飛び抜けて殺人率が高い.(前回示したように1年あたり10万人あたりの殺人率は2009年でアメリカ5.0,英国2.2,ドイツ2.8,フランス2.6,日本0.9)この数字はアルバニアウルグアイ並みだ.一体これはなぜなのだろう?本書の最大の想定読者であるアメリカ人にとってこれは大変重要で興味のある問題だろう.ピンカーは丁寧にここを解説する.


アメリカ合衆国の暴力>

まず,アメリカの20世紀の殺人率の推移を見る.するとそれは1900年の6あたりから1930年代後半にかけて9程度にまで上昇,その後1950年代に5程度まで下がるが,60年代に上昇,70年代から90年代前半までは8〜10程度で横這って,その後急速に低下し,直近では5程度にまで低下している.英国の同じ数字を見ると1900年から2000年まで一貫して0〜3の間にある.


なぜアメリカの殺人率は高いのか?
「ヨーロッパ人は,結局アメリカは文明化していないのだと片付けがちだ.しかしそれは部分的にしか正しくない」とピンカーは指摘している.ピンカーのポイントはアメリカ合衆国は単一地域として議論すべきではないということだ.ピンカーのあげる地域差は以下のようなものだ

  • 北部と南部:北部の方が低い.ニューイングランド地方からミネソタアイオワ,両ダコタ,モンタナ,ワシントン,オレゴンにかけては3未満でヨーロッパ並だ.これは気候由来ではなく(オレゴンとバーモントの気候はそれほど違わないが殺人率はまったく異なるとピンカーは指摘している)移民の広がりによる文化ベルトだと考えるべきだ.
  • 南部の中でも特に暴力的な地域がある.:ルイジアナ(14),ワシントンDC(31)などだ.これらの地域はパプアニューギニアや危険な中南米の国なみだ.これはアフリカ系の比率が効いている.(白人とアフリカ系の殺人率には顕著な差がある.白人4.8,アフリカ系36.9)(なお最初の北部と南部の差はこれでは説明できない.白人だけで見てもアフリカ系だけで見ても北部と南部で殺人率が異なっている)


これは文明化プロセスの違いで説明できるというのがピンカーの主張だ.(だからアメリカの暴力について第3章で議論するのだ)


要するにアメリカは州ごとに異なった文明化プロセスをたどったのだ.このあたりはアメリカの歴史にも触れていて面白い.


それぞれの州でまず植民が始まる.このごく初期には政府がまだ機能していないので殺人率は高い.100程度と推定されている.平和化プロセスが生じて政府が機能し始めると10程度に下がる.
英国の植民地であった北部ニューイングランドは英国に非常に似てその後も低下し,1800年頃には1〜2にまで落ちる.一方当初オランダの植民地であったボストンからニューヨークの地域はそれよりやや暴力的で19世紀を5〜15程度のまま推移する.ピンカーはこの差は政府の正統性についての人々の受容が関わってくるのだろうと論じている.


また19世紀中頃に一旦少し上昇する傾向も見える.ピンカーは南北戦争後の混乱とアイルランドからの移民の流れが背景だとしている.アイルランドではそもそも文明化プロセスが英国よりおくれていたことと,差別から警察の保護が低かったためだが,20世紀に入り警察がプロフェッショナルになると北部の白人の殺人率は下がっていったということだそうだ.


19世紀後半には白人とアフリカ系の差も顕著に現れるようになる.白人とアフリカ系の殺人率の差は,経済格差と住居地域の分離が関係する.ピンカーはこの部分の歴史はこれだけで1冊の本になるといっている.下層のアフリカ系の人々には事実上政府がなく,名誉の文化が横溢したということらしい.


南北の差は植民当初からある.ニューイングランドとバーモント(いわゆる南部の中でも最も北にある)は当初から異なるのだ.バーモントはそれでも10以下に下がるが,さらに南部のジョージアプランテーション地帯(風と共に去りぬの舞台)では19世紀を通じて10〜100のままで,さらに僻地のジョージアの山間部やテネシー,ケンタッキーでは100程度となる.
なぜか.ここではスピレンバーグの政府の文明化プロセスの浸透度の差という説明にふれたあと,ニスベットとコーエンの「アメリカ南部における名誉の文化」のリサーチを紹介する.南部では自力救済の権利は神聖なものとされている.そして家族や名誉を守るための暴力行使の許容度が明確に異なるのだ.ここでは会社の求人に対して,名誉の殺人を告白した時と自動車窃盗を告白した時の北部の会社と南部の会社の対応のリサーチが示されていて面白い.両者は明らかに異なる.南部の会社の人事担当者は,実際に名誉殺人の応募者には温かい返答を行うのだ.そして南北では法制度,死刑体罰の受容,防衛についてタカ派の程度,侮辱された時の反応などの行動心理も異なる.


この南北の差の外的要因は何か.ニスベットとコーエンは牧畜文化に求めた.ピンカーはあるいは辺境地帯だったことがより重要だったかもしれないとコメントしている.結局辺境地帯では政府の警察機能が不十分で自力救済が重要になる.南部の牧畜民はスコットランドアイルランド系が多く,大英帝国の辺境地帯から南部の辺境地帯に移り住んだということかもしれない.また名誉の文化はなぜ社会環境が変わっても続くのかについては,それは一旦そういう文化が成立すると抜けようという人は弱虫とされて搾取されてしまう構造になり変わりにくいのだろうとコメントしている.ここはニスベットとコーエンが主張している通りだ.


では西部はどうか?ワイルドウェストは20世紀に入るまで極めて暴力的なカウボーイたちの世界だった.最も近い警察は90マイル先のシェリフなのだ.これは牧場だけでなく,鉱山,鉄道建設,森林伐採などの労働者においても同じであり,当時の殺人率はきわめて高い.(西部全体で80,ウィチタ 1500,ワイオミングの鉱山 24000(1年で4人に1人が殺される)).カリフォルニアでは殺人率は1849年のゴールドラッシュで100以上のピークに達し,その後1920年には10程度まで下がった.背景にはフロンティアの消滅(1890)と法システムの整備がある.


警察の不在のほかにも西部の暴力には要因があるとしてピンカーは2つあげている.

  1. 人口動態と進化心理:フロンティアでは若い男性の比率が高かった.もともと若い男性は相対的に暴力的で,さらに男性比率が高いと条件依存的行動戦略としてより競争的になる.
  2. 酒:西部の男の重要な娯楽は酒で,これは自制心を大きく下げる.


そして西部の暴力低下は,法システムの整備のほかに女性の増加によって生じたとピンカーは指摘している.西部劇にはよく渓谷に若い女性教師が到着するという場面*1があるが,ピンカーによるとこれにはリアリティがあるのだそうだ.女性の増加により男性は暴力と酒とギャンブルから女性の好む環境整備にも注意するようになり,女性たちによる文明化運動も生じる.
ピンカーはここで犯罪と結婚について調べたボストンでなされたリサーチを紹介している.それによると男性の犯罪が減る要因は,定職・結婚・子どもであり,結婚と関連のある多くの要因を比較してみると,因果の向きは結婚→犯罪減少であることがわかったそうだ.


この文明化プロセスの差が現代アメリカの政治に大きな影響を与えているとピンカーは総括している.

  • 東部,北部のインテリはレッドステートが理解できない.そのコアは銃,死刑,政府への不信,キリスト教原理主義,ファミリーヴァリューと伝統的性感覚
  • 逆に南部,西部の人ブルーステートが理解できない.彼等から見ると北部のリベラルは,犯罪と外国に甘く,政府を信頼して規制を受け入れ,インテリ臭のある世俗主義をとる


これらは二つのアメリカが別の文明化プロセスを経た結果なのだ.北部はヨーロッパの延長線にあった.南部と西部は無政府状態から独自の名誉の文化,気質を保ったまま文明化したのだ.


私自身がアメリカの地域差を実感するようになったのは90年代の後半に各地を実際に訪れるようになってからに過ぎない.多くの日本人はニューヨークなどの東部とロサンゼルスなどのカリフォルニアの都市部との接触が多いだろう.この2つの地域もいろいろ異なるがいずれも都市部はリベラル的だ.しかし南部は確かに違う.私の経験はサウスカロライナルイジアナやテキサスが主だが,名誉の文化の片鱗を感じることができる.それぞれの地域はそれぞれかなり異なる別の歴史を背負っているというわけだ.この違いがわかるようになると,向こうの映画やドラマもより深く理解して楽しめるし,好まれるフットボールのオフェンススタイルの違い*2まで何となくわかってくるのだ.


関連書籍


ニスベットとコーエンによるアメリカ南部の名誉の文化に関する本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090707

名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理

名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理

  • 作者: リチャード・E・ニスベット,ドヴ・コーエン,Richard E. Nisbett,Dov Cohen,石井敬子,結城雅樹
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2009/04/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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*1:バック・トゥ・ザ・フューチャー part3にもそういう場面があったがあれは西部劇の典型的なお約束だったというわけだ

*2:プロのNFLはパス主体である程度収斂しているが,カレッジフットボールはちょっと異なる,中西部,南部ではまずラインで制し,ごりごりとランで進めるスタイルが好まれるのだ.正面からぶつからないやつは男じゃないというわけだろう.