The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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ピンカーは文明化プロセスの観点から1960年代のアメリカの犯罪率上昇を説明した.ではそれは90年代からの低下傾向も説明できるのだろうか.
<1990年代の再逆転>
まずピンカーは60年代の逆転の結果が決して大きなものではなかったことを指摘している.1980年代の一番殺人率が高い時期でもアメリカで10.2,これは中世ヨーロッパの1/4,前国家社会の1/50にすぎない.
そして1982年に奇妙なことが起こった.殺人率が1%低下したのだ.さらに7年続いて5.7まで下がった.さらに横ばいになり,2008年には4.8になっている.これは60年代の最低水準に近い.
カナダも水準は1/3ながら同じ傾向をたどった.アメリカとカナダでは法制度も経済状況もことなっていたが似た経緯をたどった(相関は0.85).西ヨーロッパも同様だった.英国とアイルランドはやや遅れて2000年代になってからだが,低下傾向を示している.
殺人率だけでなくほかの犯罪も同じように低下した.アメリカの日常も変わった.旅行者や若者は都心に戻り,大統領選の争点でもなくなった.そしてまたこの再逆転傾向についても誰も予測できなかった.
なぜだろうか.ピンカーはそれまでになされた様々な説明を検討している.
(1)人口動態
ベビーブーマーのジュニア世代が若者になったが,殺人率は下がり続けた
(2)経済状況
これは良くなされる説明だが,しかしうまくいかない.
確かにアメリカでは1990年代に失業率が少し低下した.しかしドイツやフランスやカナダではそうではなかった.アイルランドや英国では90年代に失業率が下がって犯罪率はなお上がっていた.また2008年以降のリーマンショック以降もアメリカの犯罪率は下がり続けている.経済格差でも説明できない.アメリカの経済格差は広がり続けている.経済格差は地域差や国家差は説明できるが,時系列の動きは説明できない.(なおピンカーは地域差や国家差についてはおそらく,ガバナンスや文化が,犯罪率と経済格差両方に影響を与えるという構図なのだろうと推測している)
(3)社会のムード
これもだめだ.9.11の後もアメリカでは殺人率は減り続けている.
(4)レヴィットの1973年中絶合法化説
これはレヴィットが「ヤバい経済学」の中で統計分析をもとに主張しているものだ.アメリカの各州では中絶合法化の時期がずれているが,中絶合法化の早い州で殺人率の低下が先に生じている.
ピンカーはやや批判的だ.第一印象として説明としてキュートすぎると感じたといっている.つまり大きな社会現象を単一の現象で説明する仮説にやや懐疑的なわけだ.(レヴィットは単一因だと主張しているわけではなく,4つの要因のうちの主因だとしているのだが,それでもキュートすぎだと断り書きがある)そして難点を次のように整理している.
- 相関だけなら第3の要因が両方の原因だということもありうる.例えばもともとリベラルな州が先に中絶合法化した,クラックの流行があった州が先に中絶合法化したなど
- さらに中絶合法化,望まれない子供の増加,そういう子供達がぐれやすいという因果が怪しい.まず中絶が合法化されれば避妊努力が下がってもおかしくない.そして実際に若い黒人女性の出生率は上がっている.2番目に中絶合法化自体は,より計画的な女性がより中絶して遺伝要因,環境要因の悪い子が残るという効果の方が大きいかもしれない.そして3番目に望まれない子供は本当にグレるのか.それよりもそういう環境要因のある女性がより妊娠しやすかっただけではないか.いずれにせよ子供がぐれる原因は家庭要因よりピアグループの影響の方が大きいだろう.
- また実際に生じたことを観察すると,若い世代から犯罪率が減少したのではなく,むしろより大人の世代から犯罪率が減少している.
最初の2つは難癖をつけているだけのような気もするが,最後の点は重要な指摘のようにも見える.
ではピンカーとどう考えているのか.
ピンカーは60年代の上昇傾向と同じ文明化プロセスが怪しいと考え,「中央政府がより効率的になった」「新しい文明化プロセスのフェーズに入った」という2つの仮説を検討している.
(5)中央政府がより効率的になった
1990年までにアメリカ人は犯罪にうんざりしていた.そしてそれは政治過程に乗り,刑事政策を強化効率化した.
最初の政策は「厳罰化:より多く,より長く刑務所にぶち込む」というものだ.実刑率は5倍に,200万人が収容された.(これは現代国家最高,人口の0.75%)具体的な個別政策には以下のようなものがある.
- 実刑義務化(有名なのはカリフォルニアの「3ストライクアウト政策」)
- 刑務所建設ブーム(それまでは地域社会は刑務所の建設を嫌がったが,むしろ景気刺激効果を喜ぶようになった)
- ドラッグとの戦い(少量のドラッグ保持でも容赦なくぶち込む)
ピンカーはこれは間違いなく効いたはずだとしている.犯罪傾向のある若者が(一部とはいえ)街から隔離され,犯罪のインセンティブを下げたからだ.ただしこの抑止効果を統計的に示すのは難しい.より検挙すると見かけの犯罪率は増えるからだ.それでもレヴィットはこれを示せたと主張しているし,ドラマティックな実例としては1969年のモントリオールの警察ストで暴動が生じた例があげられている.
しかし問題もある.このような動きがアメリカで始まったのは1980年代で,実際の殺人率低下は10年遅れている.そしてカナダでは厳罰化の流れはなかった.
またピンカーはこの政策の問題点もコメントしている.限界効用は下がっていくが,政治過程としては途中で弱腰になれないために必要以上に厳罰化したのかもしれない.
2番目の政策は「警察を増強する」というものだ.有名なのはクリントン政策の10万人増員計画.
そしてより目立つようにパトロールを強化した.これに最も熱心に取り組んだニューヨークは今や全米で最も安全な都市になっている.ピンカーは有名な「割れ窓理論」はこれを説明しているのだろうと書いている.
なお社会学者にはこの説明は人気がないそうだ.ピンカーのシニカルな解説によると,彼等のお気に入りの「犯罪は人種問題や貧困・格差の問題」という説明とフィットしないからだということになる.
しかしこの刑事政策の強化という説明はカナダやヨーロッパには当てはまらない.それが最後の説明につながる.
(6)再文明化プロセス
ピンカーの最大の強調点はここだ.60年代に生じたことが巻き戻ったという説明だ.
60年代にもてはやされたイデオロギーは光を失ったのだ.
- 共産主義の失敗.再配分すれば良いという考えは魅力を失った.
- レイプ,DV,都心の子供の悲劇が認識されるようになった.これらは,何をするのも自由だ( "If it feels good, do it!" ) という考えを受け入れがたく感じさせ,差別や貧困への抗議の手段としての暴力の正統性を失わせた.
そして広範囲の「文明化運動」が生じた.
- 60年代のもうひとつの価値観であった,市民権,女性,子供,ゲイの権利が,ベビーブーマーたちはエスタブリッシュメントになるにつれ,大きく認められるようになった
- そして法の執行はより進歩的になった.
この文明化運動の最も印象的な例はアフリカ系のコミュニティで生じた「ボストンの奇跡」(教会のリーダーがギャングと対話し,報復の連鎖に介入した)(外部からの介入だと対面を保ったまま抜けられる)
警察司法も強圧的な抑止方法から,より公平で正統性に気を使った執行に移行していった.これは2つの心理的な効果をもたらす.
- 処罰可能性が予見できるようになり,将来価値の割引率が下がる.
- 処罰可能性が公平であれば,単に運が悪かったのではなく,モラルの問題と受け取られるようになる.
この二つのプロセスは共感と自制の価値を促進した.そして責任の価値も強調した.その結果90年代以降,犯罪と共に離婚,十代の妊娠,学校からのドロップアウト,性病,若者の事故も減少した.
ピンカーはこの90年代の文明化プロセスは,単に過去の文明化プロセスが再開しただけではなく,新しい要素があるとコメントしている.
- 今回は国家の統合や商業ではなく,意識的な運動が主体.文明の価値と,共感・自制の価値を分けている.
- ポピュラーカルチャーは変わっていない.パンク,メタル,ヒップホップはさらに過激に,過激なシーンの映画やポルノや暴力ゲームも花盛り.しかし実社会では暴力は減っている.
- 若者はシニカルで冷めているのだ.「ジェネレーションX」メディアを知り,懐疑的で,ポストモダン
- 今日このような態度は広く西洋で見られる.ブルジョワでボヘミアン.生活スタイルは伝統的でも価値観はコスモポリタン
ピンカーはこのような文化の側面についてウーターズの議論を紹介している.これらは情報化の1つの帰結であり,文明の新しいフェーズだというものだ.それは「生物的本能」「文明を丸ごと受け入れる態度」に続く第三の本性「価値の一つ一つの熟慮して受け入れるかどうかを決める」ということになる.
そして本章ではピンカー自身の経験談(過激なスタイルのパンク野郎が地下鉄で「誰もこのお年寄りに席を譲ろうとは思わないのか.彼女はあんたのおばあちゃんであってもおかしくないんだぞ」と叫ぶのを目撃)を語り,最後には「あるいはいずれナイフで豆を寄せてもよい時代がくるのかもしれない」といって締めくくっている.
日本でもこの新しい文明化プロセスは生じているのだろう.つい30年前,私達の社会では,男女別雇用慣行も職場でのフリーな喫煙もセクハラも当たり前だった.宴会への強制参加,飲酒・芸事の強要はむしろ推奨されていた.DVも児童虐待も家庭内の問題とされ放置されていた.これらにかかる風景は大きく変わった.これらの表面的な動きは「文明化プロセス」というより,ピンカーの言う「人道主義革命」「権利主義革命」なのかもしれない.しかしその背景で,権威主義的な「昔からのやり方には文句を言ってはならない」という風潮は少しずつ変わってきているように感じられる.一部の人たちは声を上げるようになっているし,若者たちの間では(少なくとも都市部では)懐疑的でコスモポリタンでポストモダンな人が増えているように思う.警察司法のあり方はあまり大きく変わっていないのかもしれないが,全体の風潮の変化は日本の殺人率の着実な低下も説明できるのだろう.
関連書籍
レヴィットとダブナーによる統計を用いた経済・社会の分析に関する本.この中で90年代の犯罪率減少にかかる分析がある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060517
- 作者: スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー,望月衛
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2006/04/28
- メディア: 単行本
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