「Sex on Six Legs」

Sex on Six Legs: Lessons on Life, Love, and Language from the Insect World

Sex on Six Legs: Lessons on Life, Love, and Language from the Insect World


本書はハミルトン=ズック仮説で有名なマーレーン・ズックによる3冊目の本で,昆虫が主題になっている.ズックは性淘汰,ホストパラサイトについて鳥や魚もリサーチしているが,コオロギなどの昆虫を用いたリサーチも多い.前2著がハミルトン=ズック仮説の主題である性淘汰,パラサイトを扱ったもので,今回は昆虫の行動生態学を扱うということのようだ.「Sex on Six Legs」とあるが特に性や性淘汰のみを扱った書物であるわけではない.副題は「Lessons on Life, Love, and Language from the Insect World」.


冒頭では,昆虫は一部の人に嫌われているが,ファーブルやダーウィンやE. O. ウィルソンのような大学者にインスピレーションを与えてきた重要なリサーチ対象であることを強調している.それは昆虫において多くの興味深い行動生態が見つかっているからであり,さらに彼等の脳や神経系が鳥類や哺乳類に比べて単純であることから複雑な行動に大きな脳は不要であることが明らかで,物事をモラルや教育に当てはめるという擬人的な誤りに陥りにくいから*1だと書かれている.逆から言えば,ヒトをヒトらしくしているものが何かについてより深く考察できるということだ.副題にあるLessonsはそのことを指しているのだ.
また昆虫の観察は誰にでもできること*2,昆虫が生態系の中で非常に重要であること*3も強調されている.


最初の個別テーマは知性だ.彼等の脳は単純で定型から外れた行動を取ることは難しい.しかし達成できることはヒトとあまり変わらないのだとズックは書いている.ここではカリバチ,チョウ,バッタの学習や記憶*4,ミツバチの数認識やヒトの顔識別能力*5,アリのティーチングなどが紹介されていて面白い.アリのティーチングは単純な脳でもいかにも知性的に感じられる行動が可能であるかを明示するかなり衝撃的な例のように思われる.(餌場所を教える行動が観察報告されている.特定の場所に導く行動を見せ,生徒が遅れると待つそうだ)またこのような認知能力やそれのトレーニングが生存率や産卵数とトレードオフになっていることについても触れている.これらは特定のケミカル物質を介しているようだ.


次は遺伝子・ゲノムについて.ショウジョウバエから始まり,最近では様々な昆虫のゲノムが読まれている.ゲノムサイズに関していうと,サイズと表現型の複雑性に相関はなく(ただし体サイズ,発達の遅さ,変態の有無とは弱い相関があるようだ),種間のゲノムサイズの分散は大きい.哺乳類と同じように,利己的遺伝要素やかつて遺伝子だったものが壊れたジャンクがたくさん含まれている.なおここで興味深いのは(アリハチだけでなく,シロアリや子育てをするゴキブリなども含めた)社会性昆虫のゲノムサイズは小さいということだと指摘されている.
ショウジョウバエは多くの種のゲノムが読まれていて,系統的に種間で比較することができる.分岐年代は6000万年前から50万年前までと広く,多くの遺伝子が現れ,消えている.よく変化しているのは免疫関係,臭覚関係で,タンパク質自体が不変でも調節方法が変わることも多いようだ.これはこのあたりに淘汰圧がよくかかっているということなのだろう.また昆虫全体でゲノムは脊椎動物より多様であり,様々な応用によって重要だろうとも指摘されている.
個別の発見では,まずミツバチの免疫系の遺伝子が少ないことが取り上げられている.集合性なので感染が多そうな気もするのでやや意外な結果だ.ズックは,まだわかっていないとしながら,互いにメンテナンスができるからかもしれないし,あるいは人為淘汰の結果かもしれないと推測している.
次に社会性の遺伝子について.アリやハチのカーストの分化は基本的にタンパク質の発現調節遺伝子と栄養状態の相互作用によっており,個別の種によって詳細は異なるということらしい*6.最終的にワーカーと女王では遺伝子発現は2000以上異なることがわかっている.ここではコロニー内の遺伝多様性が分業の効率に効いているという知見も紹介されている.(つまり多女王制のコロニーに効率的なメリットがあるということになる)社会性の行動にかかる遺伝子についてはアリとハチである程度共通するようだ.カーストタイプにより脳における遺伝子発現が異なっている.


次のテーマは個性だ.アリやハチはスタートレックのボーグのようなもので個性がないと考えられがちだが,実はワーカー間に個性があることがわかっている.個性というとヒトでは心の問題で,性格や感情表現が思い浮かべられるが,これは突き詰めると行動予測にかかる形質(例としては大胆とシャイ)ということになる.
実際に多くの昆虫やクモには個体により異なる行動傾向があり,それには一貫性がある.ズックはここではクモやコオロギについて様々な行動傾向の個体差の例をあげ,さらにアシナガバチの顔による個体識別(それによる強さの推測),その種間差の詳細も説明していて面白い.これらには環境と遺伝が関わっている.ズックは,様々な動物に個体差がある(そして何度も独立に進化しているようである)ということから,それには適応的な意義があるのであり,それが発生する至近的メカニズムは様々で,ある意味何でもいいのだろうと書いている.進化的には,全てのタイプが同じように成功する可能性(表現型自体が中立的),環境により有利不利が変わる可能性(条件付き戦略),頻度依存している可能性などが議論されている.また行動の柔軟性との関連も指摘されている.


次は性比.冒頭で多くの映画やアニメでアリやハチのワーカーやクイーンがオスとされていることに不満を漏らしているのがいかにもフェミニストのズックらしい.これらがメスであることは17世紀からわかっていたが,実際の配偶システムの詳細が明らかになったのは20世紀半ばになってからだそうだ.そしてこれらの社会性はよく人の社会についての言説に投影され,そして新女王の殺し合いなど都合の悪い現象は無視されるのだ.(ワーカーの純潔性が賞賛されることもあったとズックは憤慨している.またグンタイアリの兵アリはオスのはずだとがんばる男性の話は滑稽だ)
ズックはここから性比の進化全般について解説し,フィッシャー,ハミルトン,トリヴァースの洞察を紹介している.ここではもちろん性比理論の美しさ,それがフィールドでも実証されていることを強調している.


続いて精子競争と隠れたメスの選択について.これらの発見と実証も昆虫に多くをよっている.ここでは個別の具体例としてのクソバエのオスメスの戦略,多くの昆虫の交接器の多様性,アームレースの様々な様相,精子競争と精巣の大きさの進化実験,隠れたメスの選択の実証例,精子形態の多様性の適応的意義*7,偽精子の謎*8などが詳しく紹介されていて面白い.


そして同性愛.同性愛はアメリカでは大きな政治イッシューであり,両派はどんなことからでも自派に有利になることなら利用しようとする.だからもちろん動物に同性愛があるのか(それは自然か?),あるとして遺伝的に決定されているのか?(ヒトの同性愛傾向が遺伝的に決定されているなら自らの選択によるものではないということになり,(それが仮に罪であるとして)同性愛であることの責任を問いにくくなる)という問題は強い関心が持たれることになる.ズックは自分が動物行動の研究者だと知った多くの人が行う質問は「動物にも同性愛はあるのか」「動物にもオーラルセックスをするものはいるのか」だとコメントしている*9.そしてこの問題はリベラルであるズックにとっても座視できないもので,動物行動をヒトに引き直して何かの是非を論じることのばかばかしさを強調したいという意向がはっきり現れた部分になっている.
そして昆虫の同性愛を考察することは,価値観からよりフリーになってこの問題を理解しやすいのだ.ズックは様々な昆虫でオスがオスに交尾を行おうとする行動があることを示し,その適応的な意義を乾いた調子で記述している.それは様々な状況で起こりえるもので,包括適応度極大化という点で遺伝的に決定しているという形で理解可能なものなのだ.具体例はなかなか面白い.イトトンボでは激しいメイトガードがあることから一部のメスはオスに擬態してハラスメントを避けようとしており,その状況下ではオスはとりあえず交尾を迫る方が適応的でありうるのだ.一般的に何らかの理由でオスメスの識別が難しいならこのような行動は適応的になりうる.交尾行動と同じ行動でオス間のメスへのアクセス権をめぐる競争が有利になっている場合もある.また別のオスに交尾して自分の精子をつけておくと,そのオスがメスと交尾した際に自分の精子にも受精チャンスが生まれるような状況もある.
そして昆虫の場合,このような行動には遺伝的な基盤があるのが普通だ.ショウジョウバエではかなり解析されていて,脳のいろいろな部分が変化して同性愛行動を取ることに効いているfruitlessという遺伝子が見つかっている.もちろんこの遺伝子だけで決定するわけではなく様々な環境や他の遺伝子との相互作用が必要になっているし,学習が関与している場合もある.ズックは,ヒトではfruitlessは同性愛と無関係で,おそらくヒトやボノボアホウドリではそれぞれの同性愛の遺伝的な仕組みは異なっているだろうとコメントし,何らかの単一の化学物質で単純にスイッチが入るというものではなさそうだと指摘している.


次は子育て.まずハサミムシの母親の献身的な子育てを紹介し,子育ては知性と教育によって可能になるのではないことを指摘しつつ,子育てシステムの進化を概説する.この分野は鳥のリサーチが有名だが,昆虫のリサーチも多いのだ.ズックは,これは多く卵を産むこととのトレードオフになっていることを指摘しつつ,最も重要な子育て進化の生態的条件はおそらく卵の補食率だろうと指摘し,世話をする母親を除くと卵がすぐに食い尽くされるという観察実験を紹介している.また父母のどちらが,あるいは両方*10が世話をするかについては生態条件と父性の確実性からの議論を紹介している.子殺しする昆虫もある.これも生態条件から,状況が変化して一からやり直した方が有利になる場合,世話する子の数を減らした方が有利になる場合,一部の卵の寄生確率が高くなった場合などに進化するのだと説明されている.また一部の昆虫では,世話役の虫への報酬として卵を与えるケースや,最終的な餌量が不確定の場合には少し多めの卵を産み,餌が少ない場合には子供同士を殺し合いという形で競争させた方が有利だと考えられるケースも発見されている.背景説明としてトリヴァースの血縁個体間のコンフリクト理論の概略が説明されている.
またここでは血縁コンフリクトに止まらずに同種他個体とのコンフリクトについて話が広げられ,同種托卵を行う昆虫が紹介されている.同種托卵は協同繁殖と連続的であり,(托卵を食べる,餌が余っているときには自分の子の補食リスクを減らせるなどで)ホストにも有利になり得る.ツチハンミョウの幼虫の群れがハチのメスの擬態してハチのコロニーに運ばれる興味深い行動戦略について(一部の幼虫が取り残されるのでコンフリクトがある)も解説されている.


次はアリやハチの社会性について.ズックはまず奴隷アリやキラービーの攻撃性,ハキリアリ,ミツツボアリに触れた後,グンタイアリの高度な社会,分業,繁殖システムを詳しく紹介している.人々はグンタイアリにヒトの戦争のメタファーを見たがるようだが,しかし彼等がやっていることは単に食糧集めに過ぎないとズックは指摘し*11,本当に面白いのは戦争ではなく,複数女王の選ばれ方,移動や分散の意思決定の仕組みだとコメントしている.
奴隷アリについても人々は人の社会に投影しがちだが.実態は他種の家畜化に近く,生物学的には托卵と同じ社会寄生の一種だとズックはコメントし,パラサイトとしてみた場合の「毒性」の進化についてのリサーチを紹介している.それによると寄生アリが2種ある方がホスト種への負荷が小さくなることがあるようだ.なかなか興味深い.ホスト種との共進化の動態のリサーチも面白い.地域により共進化の様相は様々だが,防衛戦略には収斂しているものもあるようだ.
コロニー内のコンフリクトも,有名なワーカー産卵とそれに対するポリシングに関する様々なリサーチが紹介されている.ここは大変興味深いのだが,詳しい解説がなく,包括適応度的になぜそう考えられるのかがわからない記述*12が続いているところがある.ちょっと残念だ.
ズックは,世の中にはポリシングについてさえも「有効な罰」として人の社会への含意を言いつのる人々がいるが,このようなポリシングは恐怖による抑圧でありとても賛同できないと皮肉っている.


コロニーの意思決定と言語が最後に取り上げられている.メーテルリンクから始める研究史に触れた後,ミツバチの分封がどう決められるのかについての個別の探索バチのダンスの周回数とその検知による集合的な仕組みというシーリーのリサーチ,アリのタンデム行進にかかる仕組みを調べたフランクのリサーチが紹介されている.いずれも一個体の行動は単純でそれが集合して合理的な仕組みとなっている有様がよくわかるものだ.
ズックはここでハチにのみダンスがあるのは,空中を飛ぶための目標を化学物質で行うと補食リスクが高くなりすぎるのでダンスによる信号が進化したのだろうと推測している.なかなか興味深いところだ.またこのような信号システムの進化を見ると,言語に思考が不要なことは明らかではないだろうかとコメントし,ヒトを特別に見がちな視点を戒めて本書を終えている*13


本書は全体として興味深い昆虫の行動生態の話を振りつつ,動物の行動を価値観に結びつけようとする筋悪な議論をこてんぱんに叩くというのが骨格になっているいかにもズックらしい一冊である.一般的には米国においてもなお「自然主義的誤謬」とは何かということ自体わかっていない人々が多いことを反映しているということなのだろう.日本においては表だって議論されること自体少ないが誤解自体はさらに深いという状況なのかもしれない.それはそれとして,私として本書は本筋として昆虫の最新の行動生態がまとまって読める楽しい本だと思う.適切な邦題の元で訳されることを望みたい.



関連書籍


Marlene Zukの本


Sexual Selections: What We Can and Can't Learn About Sex from Animals

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ズックの初めての本

主流の生物学,一部のフェミニズムを含む世の中の動物行動に対する広範囲な誤解について,行動生態学者である著者がリベラルフェミニストの視点から語っている本.
前半は動物行動にかかる自然主義的誤謬,ヒトの特別視についての批判が主体だ.
後半はヒトのオーガズム,生理,性交について行動生態的にどう考えるべきかについて,いろいろな説と著者の考えがまとめられている.ここは大御所たちの説にはバイアスがあることを指摘し,それに対しての著書の正直な感想が淡々と語られていて味がある.


性淘汰―ヒトは動物の性から何を学べるのか

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同邦訳.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20081103



Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are

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2番目の本
サライトや感染症についての面白い進化生物学的な解説書になっている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071105



考える寄生体―戦略・進化・選択

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同邦訳




Paleofantasy: What Evolution Really Tells Us About Sex, Diet, and How We Live

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来年の2月の新刊が予告されている.




 

*1:その例として最初に挙げられているのは,ある種のハチがゴキブリの神経系を麻痺させ,触角を使って操作することで,これはゴキブリの自由意思や魂というものを考える端緒になるのだと皮肉っぽく紹介されている.

*2:そして女性科学者への道も開いたことも指摘されている.このあたりはフェミニズムにこだわりのあるズックらしい

*3:人の社会にとっても重要だともある.送粉などの農業関係の経済的価値,動物の糞の処分などの他,娯楽としてもバードウォッチングと同じように楽しいのだと主張し,保全生態学でのスター動物になれないことを残念がっている

*4:ある種のカリバチにさらに寄生するハチにとっての狭い産卵期ウィンドウ,バッタの行う餌の色や栄養成分の学習の話などが語られている

*5:おそらく花の認識能力によるものだろうとしているが,いずれにしてもヒトの顔識別に大きな脳や特殊な回路は不要だということがわかると強調されている

*6:クロナガアリでは遺伝子座がホモかヘテロかで決まるものもあるとある.なぜそうなっているのかは大変興味深い

*7:ある種のショウジョウバエの巨大な尾を持つ精子の機能はまだ解明されていないようだ.ズックは何らかのハンディキャップシグナルかもしれないと書いている

*8:安いコストで体積を増やすことにより精子競争で有利になろうとしているという考え方が有力だが.メスの隠れた選択に対する対抗である可能性もある

*9:なおオーラルセックスについてはなぜ人々がこんなに興味を持つのかは謎だと書かれている.日本ではどちらの質問もトップ2にあがることはないだろう.

*10:昆虫にも両親が世話をするものがいる.ここではシデムシの例が紹介されている.餌の見つかりにくさがキーになっているようだ.

*11:ここでは「単に虫をつまむヒタキ」と「ネズミを狩るタカ」に大きな違いを見いだすのは男性的偏見に過ぎないというフェミニストらしい指摘があって笑える

*12:「ミツバチではポリシングにより次世代女王が過度に多く育てられることが防がれている」とあるが,ポリシングは基本的にオス卵の話ではないだろうか.また「幼虫が自分でワーカーになるか女王になるか決定できるハリナシバチで,新女王はポリシングで減らされる」とあるが,これもよくわからない記述だ

*13:なお本書の最後の言葉は「ゴキブリがタッチパッドを操作できるようになる日を夢見て」というしゃれたものだ