「ダーウィンと現代」



本書は2009年のダーウィンイヤー*1を記念して世界中で開催されたダーウィン展*2にかかる出版物である.この展覧会はニューヨークのアメリカ自然史博物館が主催者となったわけだが,エルドリッジはその科学面での内容を担当する学芸員となり,この展覧会と対をなす形で企画されたのが本書だということになる.展示は標本や遺物(ノートや原稿)が主体であり,ダーウィンの考察がどのような形で形成されていったのかを探るのが本書の趣旨ということになる.原書は2005年の出版で原題は「Darwin: Discovering the Tree of Life」(というわけで本書は基本的にダーウィンについてのものだが,最後に「ダーウィン以後の進化学と現代アメリカにおける創造論の問題」について簡単に触れている.邦題はそちらをとって「ダーウィンと現代」としているようだが,書名として内容をよく表しているものとはいいがたいように思う.)


序章ではエルドリッジの問題意識が簡単に書かれている.ダーウィンの業績は大変広く,その捉え方には,捉える方の興味や問題意識がどうしても色濃く反映されてしまう.エルドリッジは古生物学者で系統学者でもあり*3,ダーウィンについては古生物進化のパターン(特に進化が漸進的だったか断続平衡的だったか,種分化において異所的種分化と同所的種分化のどちらが重要だったかというあたり)と考察の進め方についての哲学的な方法論(仮説演繹なのか帰納なのか)に焦点が当たっていることがわかる.


第1章ではダーウィンの生涯が取り上げられる.最初にダーウィンが現代でも決して輝きを失っているわけではなく,現代の考え方の基礎にあることを簡単に紹介し,その後簡単にダーウィンの生涯を振り返っている.ダーウィンの生涯についてはよい本はたくさんあるわけだが,本書の特徴としては図版がふんだんに使われているということだろう*4.なおここでは他の本や通常言われていることと異なるエルドリッジの記述もあって,(全てが説得的であるわけではないが)面白い.*5


第2章から第4章にかけてはノートや原稿を元にダーウィンの思考形成を振り返る.ここは本書の中心部分であり,また一番面白いところだろう.
エルドリッジの考察は,ダーウィンの「赤ノート(Aノート)」「種の転成に関するノート(B〜Eノート)」,進化学説をまとめた1842年の「スケッチ」,1844年の「エッセイ」が元になっている.
エルドリッジの記述は進化学説秘匿の背景や発表の経緯などを交えて行きつ戻りつしていて読みにくいが,その主要な論点は以下のようなところだ.

  • ダーウィンの進化に関する見解はかなり早く(1837〜39年)から形成され,自然淘汰を含め1842年のスケッチの段階ではほぼ固まっている.その後加わったのは同所的な種分化に関する分岐の理論だけだ.
  • ダーウィンは大陸,島嶼における種の地理的分布,化石などの連続性と離散性のパターンから,まず直感的に,続いて意識的に帰納的に進化を見いだした.
  • 初期の考察においてキーになったのは,地理的に近い場所に類似の種が存在するというパターンで,これは創造論を退ける決め手となった.
  • 自然淘汰を思いつくのは1838年頃で,その後ダーウィンは「自然淘汰により進化が生じるなら世界はどのようであるだろうか」という仮説演繹的な考察を行うようになる.
  • この結果,進化の様相については(当初跳躍的に考えていた節もあるが)漸新的連続的に進んだはずだと考えるようになった.ダーウィンは観察される不連続性のパターンについて,化石記録は記録の不完全性,地理的分布については共通祖先の絶滅および種内交雑による均一効果*6で説明できると考えた.
  • また同じく予測としての漸進性,連続性に固執するダーウィンは(当初は隔離による異所的種分化の重要性を理解していたが)後に(広い大陸で種がモザイク状に分布することの説明を求め)同所的種分化にこだわることになってしまった.
  • 人為淘汰に着目するのは自然淘汰を思いついた後のことで,自然淘汰が生じることのよい説明として注目するようになった.
  • また自然淘汰理論にとって変異が重要であることをすぐ理解し,いろいろと悩み考察している.
  • ダーウィンは,地質年代の長さについては地質学としての知見から明らかだと考えており,「進化があったはずだから長かったはずだ」と考えていたわけではない.
  • 1842年のスケッチにおいては仮説演繹的な考察がまとめられ,人為淘汰,自然淘汰・性淘汰,行動・本能の進化,様々な証拠の吟味という構成になっており,簡潔で魅力的なものとなっている.ここでは系統樹の概念が,分類学・解剖学との関連を含め明確に述べられている.
  • 1844年のエッセイは,スケッチをより肉付けしたものだが,新しい種の形成について「その土地の自然の経済に新たな場所が生じ」という記述があり,後のニッチ,分岐の理論の萌芽となっている.


この第2章から第4章にかけてのエルドリッジの考察を読むと,彼の関心が進化のパターンにあることがよくわかる.そしてダーウィンが「断続平衡のパターン」を見逃したこと,同所的種分化にこだわったことは,ダーウィンが仮説演繹的な思考に転じた後にその予測としての漸進性・連続性に拘泥したためだろうと残念がっている*7
もう少し柔軟に考えていれば,「地理的分布の中心的な個体群は環境によく適応して不変であり得るし,周辺地域の小個体群はより速く進化しうる」ということに気づけたであろうし,化石パターンの非連続的なパターンをもっと虚心坦懐に眺めることもできただろうというわけだ.断続平衡についてはダーウィン自身そのように進化することがあり得ると「種の起源」において書いているので,このエルドリッジの指摘はやや我田引水的でいただけないが,大陸のモザイク的な種の地理的分布の説明については面白い指摘だ.
またエルドリッジはこれを説明しようとした「分岐の理論」について「大規模な天変地異のあとの適応放散にこそふさわしい議論だが,斉一説と自然淘汰の漸進性にこだわったダーウィンは『天変地異のあとの種の大量創造』を否定し,そのようには考えなかった」とも残念がっている.これも面白い指摘だろう.
一方でエルドリッジは,ダーウィンの性淘汰,行動・本能の進化についての考察についてはほとんど関心を払っていない.読み手によって幾通りにも関心を引くダーウィンの大きさがよくわかるところだとも言えるだろう.


第5章はダーウィン後の進化学説を扱っている.エルドリッジは,比較解剖学,系統学,古生物学,発生学,生物地理学,遺伝学という順番で概説している.エルドリッジの関心のある部分では,一旦ダーウィン流の漸進性連続性の考え方が主流になったあと,特に古生物学においてどのように実際の化石をもう一度よく見る方向に変わっていったのかを丁寧に追っている.
遺伝学についての説明においては,メンデル学説,突然変異の発見とともに一旦自然淘汰説は下火になりそれが総合説で統合される経緯が解説されている.なおエルドリッジは集団遺伝学による自然淘汰の理解について(何故か)批判的で,ここでは意味不明のコメントが散見される.(またヴァイスマンの体と生殖系列の区分についてダーウィンの性淘汰への洞察と関連づけているが,これは緩いアナロジーにすぎず適切なコメントとは思えない.要するにエルドリッジはこのあたりの進化理論がよくわかっていないのだろう*8
この後最近の知見による断続平衡的な化石記録のパターンのとらえ方が紹介され,大きな個体群の個別のディームの挙動と隔離による異所的種分化を考えることによりそのようなパターンが説明できることが解説されている.このあたりはダーウィン展の企画本という趣旨から離れて,エルドリッジによる進化パターンの主張となっている*9


第6章では現代アメリカの創造論との政治的な争いが書かれている.語り尽くされたことがもう一度整理されているという印象だが,ここで面白いのはエルドリッジが古生物学者として独自の『創造論への反論』を書いていることだ.それは「もし進化が『創造主』のアイデアの実現化であるのなら,その進化パターンは実際の生物系統樹のようなきれいな入れ子構造にならず,アイデアの水平的移動を含むヒトの文化的創造物のそれのようになるはずだ」というものだ.(具体例としてはコルネットの「進化パターン」が挙げられている)なかなか面白い視点だ.


本書は1830年代のダーウィンの思考経路をたどってくれていて,私のようなダーウィンファンには堪えられない興味深い本だ.ちょっと心配していたエルドリッジの筋悪進化理論理解に基づく怪しい記述はごくわずかであり,ダーウィンの進化パターンの理解にかかる大変面白い指摘や考察にあふれている.図版も美しく印刷され,装丁も上品だ.邦訳出版を素直に喜びたい.



関連書籍


原書

Darwin: Discovering the Tree of Life

Darwin: Discovering the Tree of Life

  • 作者:Eldredge, Niles
  • 発売日: 2005/11/01
  • メディア: ハードカバー



ダーウィンの生涯に関して



有名なムーアとデズモンドによる伝記.現在日本語で読めるダーウィンの伝記ではもっとも詳しくて良いものだと思われる.下記ジャネット・ブラウンのものと双璧か.



Darwin

Darwin

同原書




同じくデズモンドとムーアによるDescentの位置づけを中心に扱った本. 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090727


同原書


Charles Darwin: Voyaging : A Biography

Charles Darwin: Voyaging : A Biography

  • 作者:Browne, E. J.
  • 発売日: 1996/04/01
  • メディア: ペーパーバック
Charles Darwin: The Power of Place

Charles Darwin: The Power of Place

  • 作者:Browne, Janet
  • 発売日: 2002/09/10
  • メディア: ハードカバー

ジャネット・ブラウンによるダーウィンの伝記(上下2巻).これは残念ながら邦訳されていないようだ.


同じくジャネット・ブラウンによる簡潔版.特に「種の起源」を巡る歴史に焦点を絞っている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071011



Darwin's Origin of Species: A Biography (BOOKS THAT SHOOK THE WORLD)

Darwin's Origin of Species: A Biography (BOOKS THAT SHOOK THE WORLD)

  • 作者:Browne, Janet
  • 発売日: 2007/08/09
  • メディア: ペーパーバック

同原書



これは娘アニーの死に焦点を絞ったものでなかなか味わい深い.



本書の訳者でもある長谷川眞理子によるもの.旅行記だが,さらっとダーウィンの生涯にもふれてある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060815


自伝もある.



The Autobiography of Charles Darwin (Thinker's Library)

The Autobiography of Charles Darwin (Thinker's Library)

  • 作者:Darwin, Charles
  • 発売日: 2003/11/01
  • メディア: ハードカバー

同原書





 

*1:生誕200周年,かつ「種の起源」出版150周年

*2:東京上野の科学博物館では2008年の春に開催された.私の探訪記はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080423参照

*3:そもそもは人文科学(ラテン語)出身で,人類学で学位を取り,アメリカ自然史博物館でキュレーターをしながら研究を進めていったという経歴らしい

*4:ノートや肖像などの他,現在のイギリス10ポンド紙幣(ダーウィンの肖像が載せられている),ダーウィンが観察したとされるロンドン動物園のオラウータンまで載せられている

*5:例えばフジツボへの8年間の傾倒を「本来すべきであったこと(進化学説の発表)からの逃避」という意味合いの方が強かったとしている.有名な体調不良も進化学説という秘密を隠していたことが大きな要因ではないかとも示唆している.細かなところでは,有名な「ビーグル号がサンタクルス川の河岸で横倒しになっている図」について,「乗り上げたために修理が必要になった」と書いているが,これは,それ以前に船底をこすったことによる修理のために意図的に浅瀬で船腹を露出させているところだとするのが一般的であるように思う

*6:エルドリッジはこれに関するダーウィンの記述を紹介してマイアの生物学的種概念の嚆矢だと持ち上げている

*7:エルドリッジは,もしダーウィンが引き続き進化との関連でパターンの詳細に帰納的な注意を払っていたなら種の起源にフジツボの記載があったはずだとも指摘している.この指摘はちょっと面白い.

*8:エルドリッジは以前極めて筋悪の利己的遺伝子,進化心理学批判本を書いている.それを読むと全く理解できていないことは一目瞭然だ.

*9:なおその1部分では,環境によりHox遺伝子に傾向的な変異が生じるかも知れない(もしそうならダーウィンのオリジナルな考えに近い)とも書かれているが,ここはやや妄想的だ