The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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さてヒトの心にひそむ内なる悪魔,最後は超大物「イデオロギー」だ.
VII. イデオロギー
ピンカーは「本当に大きな害は,多くの人が,イデオロギーという一つの動機を持った時になされる.」と始める.イデオロギーは理想的な善を達成するという目的があり,しばしば最悪の災いをもたらす.
《イデオロギーは何故危険なのか》
- 目的が無限の善,だから妥協しにくい.
- そしてどんな犠牲も正当化可能.
- 反対するものは無限の邪悪になり,どんな罰も正当化される.
《イデオロギーの心理学》
- 必要なのは,目的と手段,因果の連鎖についての思考能力
- これにいくつかの心理傾向が加わる.:優位や復讐を求める,アウトグループを非人間化する,共感の輪が伸縮自在になる.自信過剰傾向
- すると偶然の出来事を自分たちの優位と競争力と解釈し,反する証拠を無視する.そして自信過剰になり,反対グループを非人間化し,崇拝を要求し,成功,力,栄光,善のファンタジーに浸る.そして百万人を犠牲にする信念システムが出来上がるのだ.
《イデオロギーの疫学》
イデオロギーの真の謎はその心理ではなく「何故それはしばしば馬鹿げた内容を持つにもかかわらず,広がることができるのか」だ.
まずグループの思考はいくつかの病理を持つ
- 極端化:似たような意見を持つ人が集まるとより極端化する.
- 鈍感化:聞きたいことだけを聞き,反する証拠に無関心になる.
- グループ間の敵意:1:1なら穏やかでも6:6なら対立する
ピンカーはここで関連するトピックとしてミルグラムの服従実験,通行人の無関心実験,囚人と看守実験などの心理実験を紹介し,グループの心理が犠牲者の非人間化に簡単に結びつくことを説明している.
- 多数の考えは一人のそれより優れていることが多い.ならば従った方が得策.さらにコーディネーションゲームのような状況では他人に同調することが利益になる.
- しかし弊害もある:ネットワーク外部性など
- そしてイデオロギーの広がりは,ヒトは馬鹿げた考えでも同調圧力に屈してしまうことを示している.これは「集合的無知」「沈黙のスパイラル」「アビレーンパラドクス」*1などと呼ばれる.
- しかしそれだけではイデオロギーの強烈さは説明できない.これに「強化」が加わることで始めてイデオロギーが形成される.
- 強化:自分が罰されるのを防ぐために,積極的にそれに同調するという形で生じる.(例)魔女狩り,旧共産圏の処世術
- さらにこれにモラル化ギャップ(自分の方が正しいという自己欺瞞の一種)が加わると人々に残虐行為をも取らせることができるようになる
《細かなテクニック》
- 婉曲語法:非道徳的に聞こえないように言い換える.無差別空爆を「パシフィケーション」「コラテラルダメージ」,拷問のための囚人移動を「extraordinary rendition」などなど.
- 漸進主義:すこしづつ:ミルグラム実験,ナチも最初は障害者の去勢から
- 責任の分散,転嫁:他の人もやっている,誰が直接の効果を与えたかわからない.命令に従っただけ
- 被害者から距離をおく:顔や名前を知らない
- 被害者の貶め,非人間化:非人間化したものには加害しやすい,逆に加害したあとでは非人間化するようになる
- その他の言い訳:加害は小さい,害を相対化(あれに比べればまし),しかたなかった,他の人はもっと悪い
《イデオロギーへの対処》
それはヒトを賢くしている多くの認知的な形質の上に乗っているので治療は難しい
- 長い因果を理解できる
- 他の人から知識を得,それに従って行動する
- グループで協同する
- 抽象的思考
- 行動をいろいろな方向から再構成出来る
ピンカーは最後に「1つのワクチンはオープンな社会」と指摘し,現代の民主制国家が比較的ジェノサイドや内戦を引き起こさない理由の一つだろうとコメントしている.
なかなかイデオロギーの害悪は恐ろしい.ここではピンカーはあまり進化生物学的な議論を行っていないが,様々な(EEA環境での)適応的な心理的な特性が大規模な社会環境の中で働いてしまう副産物的なものだということだろう.この面でも民主制は「よりましな制度」ということになるのだろう.またピンカーはここであえて「宗教」の議論は行っていない.しかし重なる部分があることは明らかだろう.
以上で内なる悪魔の概観は終了で,ピンカーは最後にまとめをおいている.
VIII. 純粋な悪,内なる悪魔,暴力の減少
《純粋の悪という神話》
- 被害者側からモラルを考えると,すべての加害者は純粋な悪に見える.すると,暴力の減少は正義が悪に打ち勝ったからということになる.
- もちろんサイコパスのサディストは実在するが,多くの暴力は普通の人が引き起こすもの.だから暴力の減少は,普通の人が暴力に訴える頻度が減少したものだと捉えるべきだ.そして暴力の減少の多くは時代を下るにつれて進んでいる.(暴君は減り,抑圧的な体制も減っている)
《暴力についての心理学的な理解》
- 20世紀後半は心理学の時代だった.多くのアカデミックリサーチの成果が常識となった.そして多くの現象を心理のレンズを通して見ることが出来るようになった.物事を,直感的に捉えるだけでなく,科学的な理解から見ることができるようになったのだ.それは進化した脳の機能として,幻覚や欺瞞も含めて理解出来るものだ.
- もちろんすべて理解できたわけではない.しかし私にはこう思える.
- 実にちょっとした認知の傾向が,大きな社会的現象を与えているのだ.それが暴力の減少に大きく関係する.そして私たちには5つの危険な認知傾向があるのだ.
- 自信過剰傾向
- 優位を求め争う
- 復讐を求め,モラル化ギャップを持ったまま完全な正義を求める
- 暴力を好むような性向を獲得できる
- 皆がそうだと思えば,信じていないことにも従う
次章では心理学的に見た暴力抑制機能;「より善き天使」が扱われる.
*1:誰もアビレーンには行きたくなかったのに,自分以外はそうだと考えて賛成してしまったという逸話からそう呼ばれる