「The Better Angels of Our Nature」 第9章 より善き天使 その1  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーは現在は「共感」が全ての鍵だと強調されているが,それは70年代の「愛」と一緒で,物事が単一の要因によって決まるという誤った信念からでてきたものであり,流行のスローガンに過ぎないという厳しい指摘から本章を始めている.

しかし米ソが直接対決を避けたのは愛があったからでも共感したからでもない.私が,批評家に訴訟を起こしたり,駐車場の場所を巡って殴り合ったり,中国との戦争を煽ったりしないのは,相手に共感するからではない.そもそも馬鹿げていて選択肢として考えられないからだ.
しかし少し前の人にとってはそれらは十分選択肢だったのだ.つまり暴力の減少は共感だけによったのではないのだ.プルーデンス,理性,フェアネス,自制,規範とタブー,人権という概念など多くの要素があるのだ.


本章では暴力抑制にかかる心理能力を扱い,どのように暴力を抑制できるのか,そして時に失敗するのはなぜか,さらにここまでくるのにこんなに時間がかかったのはなぜかについてをあつかうことになる.そしてそれが全てではないにせよ共感ももちろん抑制装置の1つであり,ピンカーは「より善き天使」の最初の1人として取り上げている.


I. 共感


英語のempathyという単語はここ100年程度のものなのだそうだ.
ピンカーはその語彙の移り変わりなどを追っていていかにも言語学者らしい.いずれにせよそれは同情や憐れみに近い意味を持つようになりフォーク心理学に取り入れられた.曰く「相手の気持ちや感覚を感じたかどうかが,相手に暴力を振るうかどうかを決める」
ピンカーはこれは常に正しいわけではないと指摘し,共感を要素分解する.


《共感の要素》

  1. 投影:相手に自分を投影する
  2. 視点をとる:その人から見たと考える.これなしでも同情はできる.
  3. 心を読む:その人の考えや感情を読む,しかしだからといって同情するとは限らない.
  4. 他人が苦しむのを見るのを嫌う:これは暴力抑制メカニズムの一つだが同情とは異なる
  5. 同情


つまり共感の要素のうちには暴力抑制に結びつくものもそうでないものもあるのだ.


ここでピンカーは脇道にそれて,よくある「ミラーニューロンをめぐる誤解」を解説している.見過ごせないほど誤解が流布しているということだろう.誤解というのは「ミラーニューロンはヒト特有で,それは同情や共感(さらに言語,模倣,学習・・・)の基礎になる」というものだ.


《共感の脳神経学》
ピンカーはかなり詳しく共感が生じる際の脳神経学的知見を紹介している.要点は以下のようなことだ.

  • 単一の共感センターはなく,様々な文脈に依存して様々な共感の要素が活性化する.
  • 共感のトリガーとしては,「かわいらしさ」「美しさ」「インナーサークルに属しているか」などがある.
  • どのインナーサークルに属しているかによって共感の現れ方が異なる.(例)血縁者は罪悪感,許しとセット,交換的関係だとフェアネス,誠意,賠償とセット


《共感と利他の関係》

  • 互恵的関係,協力が双方に利する関係は,進化的な利他を有利にし,至近的には心理的な利他を生じさせるための共感のトリガーとなる.相手が困っているサインはこれを刺激する.
  • 至近的なメカニズムとしては「他人の幸福を願う同情」「立場の投影からの同情」の両者がある.(ここではベイトソンのリサーチが詳しく紹介されている)
  • フィクションは「立場の投影からの同情」のトリガーとなる.(ここではそれを狙った小説の存在とそのようなフィクションが文学者や批評家に受けが悪いことを指摘していて面白い)


まとめると,「共感の科学により,同情が真の利他を産み,共感の輪はフィクションを含む視点の転換により可能なことがわかった.そしてこれは人道主義革命がそれにより生じたという見方を裏付けるものだ」ということになる.


《共感のダークサイド》

  1. 共感は,特に正義と対立してえこひいきを生むことがある.共感の対象の人のために対象外の人を犠牲にすることがあるのだ.この縁故主義は警察や政府の堕落だけでなく,グループ間対立を悪化させる.だから現代の制度は,共感と切り離した抽象的な誠実義務に基づいていることが多いのだ.
  2. 共感はユニバーサルな人の幸福を考えるにはあまりに偏狭だ.共感を感じるかどうかは,個別の関係(可愛いか,血縁か,友人か・・・)に大きく左右され,移ろいやすい.そして広げられるといっても限界がある.どこまでも広げられると言い張るのは20世紀後半の失敗したイデオロギーと同じで非現実的だ.


ピンカーは最後にこうまとめている.

共感は絶対に広げなければならないと考える必要はない.共感のロジックは聖書的に言うと「隣人も,敵も愛せ」ということだ.しかし私達は実際に隣人を愛しているわけではない.「殺さないようにしよう」で十分なのだ.
確かに人道主義が始まるきっかけとして共感は重要だった.しかしそれを制度化する時に重要なのは政治と規範だ.要するに共感なしでもワークするようにすることが重要なのだ.


ピンカーは「empathy」が全ての鍵だとはやすアメリカの世相を最初に取り上げているが,日本でも「共感」という用語こそあまり見かけないが,物事の判断において「相手の気持ちになる」ことや「善意」を重視する気風はむしろアメリカより強いかもしれない.それはそれで意味のあることだが,それだけで判断するとおかしなことになっていく.望ましい結果を得ようとするなら,他の要因も考察した方がよいのだ.