「Risk Intelligence」 第1章 なぜリスク知性が問題になるのか その2 

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)



リスク知性がないことによる人生や社会の問題をいくつか提示した後,エヴァンズは「そういうのは専門家やコンピュータープログラムにまかせればいいではないか」という問いかけに答える.


<専門家やコンピュータは私達を助けることはできない>


実際多くの人は専門家やプログラムに頼ろうとする.そしてバンカーたちはサブプライムモーゲージのリスクを専門家にアセスさせた*1.しかし彼等にまかせて重荷を投げ出せると思うのは間違いだ.エヴァンズは,多くの専門家のRQはひどいもので,リーマンショックでわかるようにコンピュータープログラムに頼りすぎることは問題なのだと指摘する.


専門家についてはテトロックの有名なリサーチを引いている.

  • 政治や経済の動向についてのレポートやアドバイスで食っている人達284人を対象に,彼等が専門だとしている分野と彼等自身がエキスパタイズはないと認めている分野の2分野について将来予測をしたもらった.(20年間でのべの予測数は82000あまり)設問は例えば「南アフリカアパルトヘイトは暴力的な事件を起こさずに終わるか」などの具体的なもので,回答は,現状より改善,現状程度,現状より悪くなるなどの3択の形.
  • 結果はランダムな回答より有意に悪いものだった.
  • 専門分野の予測は,そうでない分野の予測に比べてより正確だということはなかった.
  • さらに知識が一定以上増えると正答率が落ちるという値があり,それは割と低いところにあった.(どのぐらいがその知識量化について「トップジャーナルに論文が載るような最高級の政治学者や経済学者の予想が,ニューヨークタイムズの注意深い読者より当たるとは期待できない」という表現をしている)
  • 予想者が有名であるほどRQは低い.予想に需要のある専門家はより自信過剰である傾向がある.


コンピュータープログラムについてはウォールストリートのリスクマネジメントの歴史を引いている.

  • ウォールストリートには90年代にそれまでのギャンブラーとは異なるプレーヤーが現れた.彼等はクオンツと呼ばれ,ブラックショールズ式をはじめとした数式を駆使しリスクをヘッジしてプレイするのだと標榜していた.
  • JPモルガンはこの方式を応用し,ポートフォリオ全体のリスクをVaRと呼ばれる単一の値*2で管理する手法を開発した.この手法は金融機関だけでなく規制当局にも採用されるようになった.
  • そしてそれまで直感的にリスクを把握していた人達はウォールストリートのマネジメントを去り,数式が得意な人達に入れ替わった.これは結果的にウォールストリートのリスク知性を大幅に低下させた.これがリーマンショックの背景の1つだ.


エヴァンズはこれらの例をリスク知性だけに帰しているが,背後のインセンティブ構造にも大きな要因があるように思われる.予想で食っている人達の収入は,予想の正確性ではなく,予想のマーケットヴァリューに反応する.だから後で正しいとわかる予想よりも,その場でいかにも自信ありげな断定を披露する方がビジネスとしては成功するのだろう.
ウォールストリートの物語もVaRの計算の前提条件を盲信して間違ったというだけではなく,投資銀行のマネジメントやプロップトレーダーたちの「短期的に儲かれば莫大なインセンティブボーナスがもらえ,大損しても首になるだけ」という非線形の報酬体系に大きな問題があったように思われる.
とはいえ,実際に専門家は正しい予想を行えるわけではないし,数式に依存するとその前提条件や環境の変化に対応しにくくなって全体的にリスク知性が下がるというのは確かにあるだろう.


<暗くなった部屋>


するとリスク知性は自分で何とかするしかない.しかしヒトは不確実なことを扱うのを好まない.
確かに物事にははっきりわかっていること(今日の朝食のメニュー,友達の名前)と全く知らないこと(円周率の5000桁目の数字,ネブガドネザル王の好きな色)がある.しかしその中間にはグレーエリアがあるのだ.
このトワイライトゾーンで重要なのは,そのことについて「どれぐらい」知っているかだ.エヴァンズは本書はトワイライトゾーンのトラベルガイドだと言っている.


<トンネルの先にある光>


ここでエヴァンズは,一部の人はこの不確実性を上手く扱えるのだと指摘している.先ほどのテトロックのリサーチでも200人以上の中で数人は実際に優秀だと評価できるとしている.
そしてエヴァンズは,これは単なる偶然の外れ値ではなく,訓練によって向上させることのできる能力だと主張している.


エヴァンズにこれを気づかせてくれたのは競馬業界だったそうだ.ここではかなり詳しくその経験が描かれている.各馬のハンディキャップの予想能力には個人差があるが,成績のよい人達は多くの手がかりを使っていることが明らかになっている.また天気予報士やブリッジプレーヤーなど日常的に確率の定量的な評価に真剣に向き合う人達もRQは高めになる.だからこれは訓練によって高められると考えられるのだ.そしてこれはIQとは独立の能力なのだ.

エヴァンズはここでガードナーによるIQのマルチプル知性仮説にも言及し,そのどれにもリスク知性らしいものはないとコメントしている.要するにこれはこれまであまりリサーチされてこなかった認知能力だと主張しているということだろう.


以上がエヴァンズによるイントロダクションだ.私としては進化心理的な問題提起がないのだちょっと残念なところだ.何故ヒトは確率的に物事を考えるのがいやなのだろうか.それは進化的な過去にはデメリットがあったのだろうか.とりあえず今後取り上げられるかもしれないのでこの後の展開を楽しみにしよう.




 

*1:これは格付機関のことをいっているのだろう

*2:ヴァリューアトリスク.一定期間(短期トレードなら1日,大きな投資ポートフォリオなら1年など)の間に通常1%(あるいは0.5%)の確率で実現する最大損失の額をいう.これを許容可能損失や割り付け自己資本の一定範囲内に抑えることでリスクを管理する