「ヒトはなぜ協力するのか」

ヒトはなぜ協力するのか

ヒトはなぜ協力するのか



本書は発達心理学者マイケル・トマセロによるヒトの協力についての本である.これは元々スタンフォード大学で2008年10月に行われたタナー講義(Tanner Lectures on Human Value*1 )におけるトマセロの2回の講演「Origins of Human Cooperation」とそのディスカッションをまとめたもので,小振りだが,趣旨が明快な本になっている.


トマセロといえば,発達心理,比較心理の視点からリサーチを行い,言語獲得において,チョムスキーによる生得的な生成文法,言語構造を認めずに激しくがんばっていることで有名であり,文法を含む言語能力の生得性について全く疑っていない私としては,正直手を出しにくいというか,やや遠ざけていたところだ.本書は言語の話はあまりなく,協力の起源がテーマということなので手に取ってみた.


全体としては,第1部の第1章,第2章がトマセロの2回の講演それぞれをもとにしたもので,第2部が参加者からのコメント,最後に訳者解説という構成になっている.



導入部でヒトの特異性の起源の話題が振られている.トマセロによると,ヒトの特異性はその文化の累積性と社会制度にあり,そしてそのふたつを基礎づけているのはヒトの超協力的傾向だということになる.ではそれはどこからきたのか


第1章は「ヒトの超協力傾向,特に利他性はどこまで生得的か」がテーマになる.ここでは幼児の心の発達から見えること,チンパンジーとの比較からわかることを扱っている.トマセロの結論は,ヒトは生得的に利他傾向を持ち,それは心の発達の初期段階で観察されるが,その後成長とともに社会的環境の中で調整されるというものだ.(そして生得部分があるならその起源は進化的に説明すべき部分があるということになる)


初期の利他傾向の生得性については,2歳半程度の幼児の援助行動がまず扱われ,(1) 発達のごく初期から観察されること (2) 促しや報酬が不要であること(援助自体が報酬なので,外部報酬はかえって動機を下げることすらある) (3) チンパンジーにも観察されること (4) 文化的にユニバーサルであること (5) 自然にわき上がる同情心が動機になっていること,から生得的であると結論づけている.3,4についてはよくわかるが,1,2,5は「ブランクスレートへの学習」か「全く環境入力をパラメータにしない生得性」のどちらかしかないということが前提になった議論で議論の立て方としてはやや微妙にも思う.いずれにしてもこの時期の利他傾向についてはあまり環境入力に依存しない単純な生得性があると考えていいだろう.
なお情報を与える,食べ物を分け与えるという利他傾向についてはヒトとチンパンジーの間にかなり差があることも扱われている.このあたりの詳細はなかなかに複雑だ.


トマセロはこのような発達初期の利他性は3歳以降の社会化によってはっきりとした形に調整されると議論を進める.(これをルソーかホッブスか問題への一つの解答だとし,「前半スペルキ・後半デック的発達」と呼んでいる)私の感覚では,これは要するに生得的な利他的傾向としての心が環境入力に対してパラメータ調整を行っているということだろう.それが発達としてやや遅れるということは,脳の発達とのかねあいで決まっているとすればおかしなところはなく,ごく当然のように思われる.
本書ではさらに社会化には大きく2種類あるとし,個人的経験から搾取されないように調整されるものと,社会全体の文化,価値観,規範に従うものに分ける.そして後者の「規範に従う心」が詳しく議論されている*2
トマセロが特に興味を持つのは,「なぜ子供は規範に従うのか」という問いに対する(至近的な)説明だ.これはかつてデュルケームピアジェが大人の権威への服従と互恵的報酬への関心で説明したところで,発達心理学的には大きな問題ということらしい.トマセロは,幼児は報酬のない恣意的なルールであっても従おうとするし,他人にルールを強制することにも熱心なことから,「規範に従う心」は権威や互恵性だけでは説明できないと主張する.そしてそれについて「わたしたち志向性」ともいうべきメカニズムで説明する.これについては次章でより詳しく扱われる.


第2章は何がヒトの超協力的性質を作ったのかが扱われる.まず様々な実験結果の説明を交え,ヒトと類人猿を比較すると,類人猿は血縁とネポティズムの世界であり,超協力的なヒトとははっきり異なるとする(これは「類人猿はシルク,ヒトはスキームズ仮説」と呼んでいる).
そしてこの間を橋渡ししたのは「相利性」の状況であり,そこで重要だったのが「わたしたち志向性」だと議論する.トマセロの議論の要旨は以下のようなものだ.

  • 類人猿の利己的な世界からヒトの超協力的な世界に移行するには3つの要素が必要だ.それは「連携と協力」「慣用と信頼」「規範と制度」だ.
  • 相利的な状況(協力すれば大きな獲物が捕れるという状況「スタグ・ハント」が例にとられている)では個体は協力した方が利益を得るので,協力は進化できる.ただし相利的な状況であってもそれだけで協力が成立するわけではない.それにはゴールの共有と役割の認識・実行が必要だ.そしてそれを可能にするのは注意の接続(joint attention ) と異なる視点(自分の視点,相手の視点,より高次の視点)を持つことだ.これは「わたしたち志向性」を持つことによって得られる*3 *4
  • 次の段階は利他的協力への道だ.進化的にはここに大きなギャップがある.様々な仮説があるが,まず相利的状況における協力が基礎になり,そしてその上で互恵,評判,利他罰,制度が生まれたのだろう.
  • 最後の段階は規範(同調,協力)と制度だ.これがどのようにして可能になったのかはわからない.しかし幼児期の発達にその萌芽がみられる.規範は罰とともに協力に失敗すると損をするという動機により「力」を持ち,さらに罪と恥という感情によって補強されているように観察できる*5

というわけでトマセロのシナリオとしては,「相利的状況における協力は有利だったので,それを可能にする『わたしたち志向性』が進化できた.そしてそれは次の段階の利他性(寛容と信頼)の基礎となり,規範や制度の補強にも役立っている*6」ということだろう.
このあと第3章でごく簡単に文化に触れてトマセロの主張パートは終わっている.


ここからはほかの参加者からの様々なコメントになる.


ジョーン・シルク>


シルクのコメントはトマセロの相利的状況説への懐疑だ.彼の指摘は主に2点.

  • 自然界において同種個体間の単純な相利的状況はまれではないか?どちらかが微妙に手を抜いた方が得をする状況が普通だと思われる.*7
  • そして相利的状況で強化される心理特性はどこまでも利己的なマキアベリ的なものになるのではないか.

これらはなかなか鋭い指摘に思われる.*8


<キャロル・ディック>


ディックのコメントは,幼児期の利他性が「発達の初期に現れるから生得的ではないか」という点についてのものだ.ごく初期に現れるものであっても環境からの影響を受けうることを虐待の例をとって強調している.
全く環境の影響を受けない心理的特性というのはないだろう.影響がごく初期からあり得るというだけで,あまり重要なポイントには思えないところだ.


<ブライアン・スキームズ>


スキームズのコメントは「わたしたち志向性」に関するものだ.これを信号の進化,強化学習という観点から捉えてコメントしている.共通利害があれば完全な信号が進化あるいは学習でき,(一部の利害が重なるという)混合利害の状況でも,一部の信号は進化.学習できる(一部は隠蔽する)と指摘している.
別に「わたしたち志向性」がなくとも大丈夫という趣旨だろう.もっとも「わたしたち志向性」が協力にとって必須ではないとしても,あった方がより有利であれば進化すること自体不思議ではないので,これによってトマセロの主張が全部崩れるということにはならないだろうと思われる.


<エリザベス・スペルキ>


トマセロの考えを「ヒトの特殊性は『志向性の共有』に発している」とまとめ,対立仮説として「ヒトの特殊性は言語に発している」を提示する.その上でヒトの認知のコアシステム(生得的なモジュールに近い概念だろう)を概観し,それで様々なことが説明できることを示す.
その上で「志向性の共有能力」と「言語能力」の関係についてどちらが原因でどちらが結果かという視点から考察している.そしてトマセロは志向性の共有が言語獲得を説明するという立場だが,因果は逆かもしれないと指摘している.私としてはそれぞれ関連しながら形成されたのかもしれないという感想だ.


本書は,訳者で心理学者である橋彌和秀による巻末の解説が充実している.
最初に「心の起源」の探求史についてアリストテレスから振り返り,進化的視点からの考察についてまとめられている.

  • まずダーウィンの考察がある,そして第二次世界大戦後,社会ダーウィニズム,優生思想に対する忌避感からいったんヒトについての進化的考察は下火になる.
  • しかしその後,ゲーム理論とエソロジーの発展により潮流が変わり,包括適応度,互恵性などの進化生物学的な利他性の議論,社会知性仮説,心の理論,が次々に提唱され,1988年の「マキアベリ知性」の出版に至る.
  • 1990年代以降,データが蓄積されるにつれ,ヒト以外の動物の知性の延長からのみヒトの心を考えるには限界があることが認識され,片方で発達心理手法は社会的認知も扱うようになり,さらに関連性理論,間接互恵性理論が提唱される.このあたりで「協力を可能にする心という認知システムはどのようなものであり,どう進化したのか」という問題意識が共有されてくる.トマセロのリサーチはこの文脈において理解しやすい.

そして「心という認知システム」の探求は,(ちょうど領域固有性の進化心理学的リサーチが認知科学の知見と統合されたように)今後認知科学と統合されていくだろうと展望している.

次にトマセロの仮説と他の学者のコメントをどう読むかという解説があり,それに関連した最新の知見もいくつか紹介*9されていて,丁寧な解説になっている.最後に翻訳に取り組むことになった経緯やそのメリットとデメリットに関する心の整理などが述懐されていてなかなか味がある.


というわけで,本書はヒトの協力傾向について,まずトマセロが自説を講義し,蒼々たる学者たちがそれを批判的に討議し,さらに学説史まで俯瞰した充実した解説が付いているという重層的な構成の本になっている.いずれも簡潔で明晰な書き振りで大変趣旨がわかりやすい.私自身はトマセロ説にはなお懐疑的だが,仮説としては大変興味深いところだ.
「わたしたち志向性」にせよ,心の理論にせよ,生成文法にせよ,ヒトの心のかなり基層的なところに,「わたし」と「あなた」と「わたしたち」の認知,その志向姿勢,さらにその共有にかかる再帰的な,あるいは3項的な認知能力が深く絡み合って存在しているのだろう.そしてそれは協力行動,利他行動,そして言語に大きく関わり,ヒトの特異性を形成しているのだ.ヒトの心に関心のある人にはあまねく推薦できる充実した一冊だと評価したい.



関連書籍


原書

Why We Cooperate (Boston Review Books)

Why We Cooperate (Boston Review Books)

  • 作者: Michael Tomasello,Carol Dweck,Joan Silk,Brian Skyrms,Elizabeth S. Spelke,Deborah Chasman
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2009/08/28
  • メディア: ハードカバー
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トマセロの本.これまで和訳されているのはいずれも言語獲得がらみの本のようだ.

心とことばの起源を探る (シリーズ 認知と文化 4)

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ことばをつくる―言語習得の認知言語学的アプローチ

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認知・機能言語学 ――言語構造への10のアプローチ

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*1:米国の哲学者兼実業家のタナー氏の資金拠出による連続講義.人間価値についての知見を前進させることを目的にしたもので,人間価値にかかる比類なき業績を認められた哲学者,社会科学者,自然科学者,人文科学者,さらに宗教家や芸術家に連続講義を依頼し,参加者とともに討議する場を設けるというもの.会場は英米の有名大学の回り持ちのような形で設営されている.

*2:ここではヒト以外では規範的公正感は観察できないと主張されている.チンパンジー最後通牒ゲームをやらせてもアンフェアな提案に拒否しないという結果の紹介にくわえ,フサオマキザルにもフェアネスの感覚があるとされた「キュウリとブドウ実験」が批判されていて興味深い.本書によると,あの実験におけるフサオマキザルの怒りは結局ブドウがもらえる期待が裏切られただけと解釈すべきものということになる

*3:この心的特性の一部はいわゆる「心の理論」に近い部分があるが,トマセロはこの概念を使っていない.やや異なる角度から議論しているということなのだろう

*4:トマセロは狩りの成功を例にとって説明しているが,ここでチンパンジーのコロブス狩りはゴールの共有も役割認識も不要だとコメントがある.またヒトの白目の進化もこれによって説明している.いずれもちょっと面白いところだ

*5:「この罪や恥の感覚も生得的であるように見える.これは文化的規範の中で生きることにより進化したものだと考えられ,「文化と遺伝子の共進化」によるものと捉えることができる」との主張もされていてちょっと興味深い.

*6:本書第1部では扱われていないが,言語についても「わたしたち志向性」の上に獲得されるという議論になるのだろう

*7:この点においてはチンパンジーの(ロープを引っ張る)協力実験で,ロープを引く力を計測してみると,どちらかが手を抜いていたことが見つかったという実験例が紹介されていて面白い

*8:ではギャップを越えた経路をどう説明するかについては,シルクは候補をいくつか並べているだけだ.シルク自身は文化的グループ淘汰的説明を好むのだろう.私的には包括適応度的説明に互恵,間接互恵を加味してギャップが越えられるのではないかと思っている.

*9:チンパンジーにも自発的援助行動があると主張するリサーチ例,ボノボに自発的利他行為があるというリサーチ例,ヒトの乳幼児の利他傾向が誰に対しても生じるのではなく選択的であることを示すリサーチ例などが紹介されている