「Risk Intelligence」

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)

Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition)


本書はディラン・エヴァンズによるヒトのリスク知性にかかる本だ.エヴァンズは進化心理学の本をいくつか書いていることで有名だが,実際には多彩な研究歴をもっている.若い頃一旦ラカニアン精神分析医になったが,その精神分析の方法論自体に疑問を持ち分析医をやめ,哲学のコースをとりながら進化心理学を勉強し,その後進化ロボティクス,温暖化と格差問題に対するユートピア的な解決,意思決定理論,リスクマネジメントなどのリサーチャーになっている.現在はリスク知性のリサーチとそれをビジネス界に売り込むビジネスを行っており,本書はリサーチの成果物兼PR的なハウツウ本という性格を併せ持つものだ.


本書は「リスク知性」とは何かというところから始まる.エヴァンズによるその定義は「確率を正確に見積もることのできる能力」だ.リスク知性が低いと不確実な物を1か0かで判断することしかできず,そのような判断が大勢を占めると社会全体として合理的な意思決定ができなくなってしまう.エヴァンズはその例として陪審員の判断やテロ対策などをあげている.さらにエヴァンズは個人的なリスクマネジメントについても専門家や彼等の作ったプログラムソフトにまかせておけばよいわけではないとコメントしている.まず専門家だからといってリスク知性が高いわけではないし,プログラムは前提や入力データの問題があれば使い物にならないからだ.エヴァンズのあげる専門家予測の当てにならなさについてはリスク知性の問題というよりもインセンティブ構造に起因するものが多いような気もするところだが,いずれにしても専門家の評価が必ずしも確率の正確な判断によってフィードバックされているわけではなさそうだからそういうことはあるだろう.


続いてエヴァンズはリスク知性の測り方と,その性質について進む.リスク知性は「様々な不確実な命題について自分がどの程度確からしいと考えているかを10%単位で答えてもらって,その正答率予測と実際の正答率のずれを見る」ことによって測定できる.そしてリサーチによって得られた重要な知見として,リスク知性は一般知性IQと相関しない独立の認知特性らしいこと,またトレーニングによって上昇させることができることをあげている.実際に毎日それにさらされている天気予報士のリスク知性は平均して高いそうだ.またエヴァンズはこれはビジネス上の意思決定にとっても有益な情報になるはずだがほとんど実務的にトレーニングされていないとコメントしている(というわけでエヴァンズは自ら企業向けのトレーニングプラグラムを売り込むビジネスを立ち上げているということになる).

そして多くの人は上手く確率を扱えない.これはこれまでもいろいろ指摘されているところだが,これに関するエヴァンズの指摘は以下のようなところだ.

  • 直接的な心理メカニズムとしては「曖昧さへの非耐性」がある.これは具体的には,すぐにその場で白黒をつけたがる「決着願望」として,あるいは逆にどこまでも決定を先延ばしにする「決着忌避願望」として現れる.
  • これらは馬鹿げた意思決定につながりやすい.どんなに確率が低くても極端なワーストケースに備えようとしたり,コストを無視して100%の安全を求めようとしたりする.


世界は不確実さに満ちているのになぜこうなっているのだろうか.エヴァンズはまずヒトの認知にある至近的な要因についていくつかの示唆を行っている.

  • ヒトの認知には様々なバイアスがあることが知られているが,これが確率の見積もりをそれぞれ阻害する.
  • 具体的には以下のようなバイアスがある:利用可能性バイアス,自分が望むことは起きやすいと考えるバイアス,証拠の強さと証拠の信頼性の混同,確証バイアス(まず結論に飛びつき,その後はそれを支持する証拠だけ探すバイアス),後知恵バイアス(一旦信念を形成した後,それ以前から一貫してそう考えていたと信じてしまう傾向),読心幻想(自分はヒトの嘘が見抜けると信じる傾向)
  • より速く反応した方がスマートに見えるので深く考える前に反応する傾向,周りの大勢にはとりあえず従っておくという群集心理も証拠を見定めて不確実性を評価する妨げとなる.

これらの認知バイアスにはカーネマンとトヴェルスキーが指摘したヒューリスティックス由来のバイアスも含まれているし,自己欺瞞傾向から生じたバイアスのように思われるものもある.後者についてエヴァンズは,現実世界の不確実性の正確な把握よりも社会生活上の有利性の方が進化的には重要だったと解釈できるとしている.要するに進化的に考えると,これもまた1つの進化環境での適応心理の現代環境へのミスマッチの1つであり,「陥りやすい罠」ということだろう.


さらにエヴァンズは制度要因という点からも至近要因を指摘している.

  • 文化的な慣習としてのコミュニケーションの方法がリスク知性の妨げになっていることがある:医者の診断,格付会社の格付,陪審へのインストラクションなど

ここはなかなか面白い指摘だが,実際には単なる文化的な慣習というよりも関係各者のインセンティブに従ってこうなっているという事情の方が大きいように感じられる.


エヴァンズはリスク知性はトレーニングによって向上すると述べている.ではどのようなトレーニングを行えばいいのだろうか.このハウツウが本書の後半のテーマになる.エヴァンズの提案は以下のようなものだ.

  • 単なる確率論の知識だけではだめだ.その確率計算によってもたらされる確率を不確実性の大きさとして実感するフィーリングとそれを数字で表す能力を育てなければならない.
  • 確率についてフィーリングを持ち,数字で表せるようになったら,次はそれをどう行動に結びつけるかが問題になる.単純なルールとしては行動を変える閾値を決めておいたり,確率に応じて賭け金を変える方法があるが,基本的には期待効用を考えてそれを最大化すべく行動すべきだということになる.この際ベイズの定理的なフィーリングの調整,各種バイアスに陥っていないかなどに注意することが肝要だ.特にベースレート(事前確率)を考慮に入れることは重要だ.
  • 「自分が知らないこと」についての無知,「知っていること」をうまく使えないことについては実務的には難しい点がある.これらも含めてできるだけ多くの事情を考慮に入れるようにトレーニングし続けることが重要だ.

ハウツウものだけにいろいろとケーススタディもあってこのあたりには力が入っている.結局はできるだけ視野を広くしてトレーニングということで便利なショートカットはないということだが,それは認知能力のトレーニング全般に当てはまる真実だろう.


というわけで本書はヒトの認知の1つの側面を切り取ってそのバイアスの存在,それを生みだす至近要因と一部究極要因を論じ,さらにトレーニングを通じて向上させるためのハウツウを扱った書物ということになる.このテーマ自体はあまり他で直接論じられてはいないところだが,様々なヒトの認知にかかる知見とも深く絡んでいるので読んでいてなかなか興味深い.とくにこのリスク知性がIQと相関しないというのは興味深いところだ.ある程度論理的な能力でトレーニングによって上昇するのだから,数学やチェスなどの能力と似ているように思われ,いかにも相関しそうなところだけに不思議な気がする.
多くの人々のリスク知性が低い状態に放っておかれているというのは(トレーニングによって向上できるわけだから)悲しい事実だ.進化環境では社会的な地位向上とのトレードオフがあってこれが抑えられていた方が有利だったのかもしれないが,現代においてはこれはまた1つの環境とのミスマッチになっているだろう.東日本大震災,そして福島原発事故以降の日本にとってはよく噛み締めるべき内容が含まれているようにも感じられる.




なお所用あり,2週間ほどブログの更新を停止します.