「遺伝子の不都合な真実」

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)


本書は日本の行動遺伝学の第一人者である安藤寿康による,「ヒトの行動傾向のすべてにかなり大きな遺伝の影響がある」という行動遺伝学のソリッドな知見(そしてリベラル知識人からは「不都合な真実」)を我々の社会はいかに受け止めるべきかに関する本だ.これは前著の「遺伝マインド」でも最終章において追求されたテーマだが,本書ではさらに一歩論を進めている.

最初に「はじめに」で本書における著者のメッセージをまとめている.

  • ヒトの行動傾向,能力,性格は遺伝の影響を受けている.そしてこれまでの社会学,教育学はそれを「不都合な真実」として扱ってきた.しかし真によい社会を目指すならそれに向き合わなければならない.
  • この「不都合な真実」が人の自由を制限し,絶望を与えるというのは誤解である.
  • この「不都合な真実」を認めると社会学,教育学は生物学に隷属することになってしまうというのも誤解である.
  • そしてよりよい社会は「遺伝子の制約を乗り越えること」ではなく「遺伝子の振る舞いをわきまえ,それを調和する営みを行うこと」を通じて得られるものだと主張したい.


第1章では「遺伝子の影響を『不都合な真実』として扱うこと」の象徴たる事件が紹介される.それはシリル・バートのデータ捏造疑惑事件だ.
バートは双子研究を通じてIQが遺伝の影響を受けることを明らかにしてきた.バートの死後,アーサー・ジェンセンがそのデータや論文を引用して知能への遺伝の影響が大きいこと,人種差があり得ることを論じてから,そのあら探しを行う動きが一気に広まり,バートの最後に付け加えた一連のデータが怪しいという主張がまず現れ,その後マスメディアが大キャンペーンを打って,一般にはシリル・バートの研究はデータ捏造によるものと認知されるようになった.しかしその後のジャーナリストによる調査では,確かに一部のデータは不自然だが,それは印刷の誤りである可能性が高く,データの追加自体はあっても不思議はないこと,そして少なくとも捏造の明白な証拠はどこにもないことが主張されている.そして「この追加データがなくても知能が遺伝すること自体は科学的知見としては揺るがないと考えられるが,バートの業績は通常データ捏造の結果と扱われる.そして日本でも否定的な紹介の仕方が未だに一般的だ」と著者は指摘している.
確かに知能の遺伝の話題が人種差や男女差に絡むとアメリカでは政治的な大問題になる.普通の学者はそれに関わらないようにするし,言及する際には思い切りリベラルよりに振っておかないと非常に危険なようだ.これに関してはラリー・サマーズがハーバードの学長の座を棒に振り,さらにごく最近FRB議長指名を辞退せざるを得ない理由の1つになったことも記憶に新しい*1.著者はもう一つのエピソードとしてグールドの「人間の測り間違い」もあげている*2.著者はこれらの事象について「善意と正義」が真実をゆがめているのだと総括している.


第2章は著者による「背教の告白」だ.若い頃バイオリンの鈴木メソッドに感銘を受けた著者は,バリバリの環境論者となり,その環境主義の立場から教育について研究することを志す.しかし行動遺伝学の圧倒的データに向き合ううちに真実を悟るのだ.このあたりはやはり環境主義から出発してリサーチを行い,その結果ヒューマンユニバーサルを否定できないと悟ったドナルド・ブラウンの背教物語に似ていて面白い.
そしてここから行動遺伝学の基礎講座がある.構造方程式モデルとAIC,非相加性の扱い,時間的変化あたりまで解説していてコンパクトながら深い.


第3章は本題からちょっと離れて,最近の動きである遺伝子診断の実際を取り上げる.映画「ガタカ」にふれ,もし完全に診断できるなら社会への影響は大きいことをまず指摘する.そしてハンチントン病のように単一遺伝子座で病気が決まるような遺伝子診断は現状の技術でも意味ある結果を出せるが,実際に現在行われているものの大半はごく小さな影響しかない一部の遺伝子だけを扱っていてあまり意味がないものであることを解説している.


第4章は,行動に対して環境が与える影響についての解説になる.行動は遺伝の影響をあまねく受けるが,それですべて決まるわけではない.また家庭環境の影響はきわめて小さいことも知られている.では環境はどのように行動に影響を与えるのか.著者はかなり細かく,そして丁寧に,環境と遺伝要因がどのように複雑に相互作用するかを解説していく.
また例外的にある程度家庭環境の影響があるものについても詳しい解説がある.言語的学習,手続き的な知識,物質依存などが家庭環境の影響を受けるが,そこにも複雑な相互作用がある.このあたりの詳細はなかなか面白い.

  • 遺伝的に言語知能が高いと文法学習を行う方が成績がよくなるが,低いと会話中心の英語学習の方が成績がよくなる.
  • 家族間が親密な家庭の方が保守的かどうかについての遺伝率が低くなる.
  • 親の養育態度が温かい家庭の方が,子の問題行動に関する遺伝率が低くなる.
  • 知能の遺伝率は80歳を越えると下がるが,知能の低い高齢者の遺伝率は非常に低くなる.これは認知症の始まりが環境の影響を大きく受けるためと考えられる.
  • 青年期の知能の遺伝率は,高社会階層で高く,低社会階層では低い,また家庭環境の影響は低社会家庭で大きい.(つまり低社会階層の方が親の与える教育環境の影響が大きい.*3


第5章は経済的な問題にかかる遺伝要因.
まずなかなか微妙な問題「収入への遺伝の影響」を取り上げる.リサーチによると収入にも20〜40%の遺伝率が観測され,家庭環境の影響はほとんどみられない.そしてIQや学業成績の要因をモデルに組み込んでも,全遺伝影響の70%ぐらいはIQや学業成績とは関連しない.
要するに60〜80%は偶然で決まるのだが,知能に関わらない遺伝要因も15〜30%の影響を持つということになる.これらは特定の物事への興味や性格で決まるのだろう.そして(異なる学歴を持つ一卵性双生児のデータからは)教育投資が収入上昇に与える効果は10%程度であるらしい*4

さてここで著者は収入に影響を与える非知能遺伝要因に絡んで,時間割引率に関連する遺伝子の話題を振り,それは近代経済学の理論構成を根底から覆すと書いている.しかしヒトの平均的な行動パターンが近代経済学の前提からずれるということと,その個人差が遺伝要因によるのかどうかはあまり関係がないことのように思える.(近代経済学の合理的経済人の仮定は環境主義から出てきているものではないだろう)またそもそも「根底から覆す」というのは書きすぎで,(このような心の二重過程のリサーチの第一人者である)カーネマン自身が認めるように「基本的に近似値を求めるモデルとしてはその有効性はなおロバストだし,行動経済学はうまくワークする代替モデルを提示できていない」と評価すべきだろう.
ともあれ,著者はここから独裁者ゲーム,最後通牒ゲーム,公共財ゲームにおける選択傾向の個人差にかかる遺伝率を解説する.既往リサーチでは最後通牒ゲームで40%,独裁者ゲームで30%とされている.これは数字的にはごく普通だ.著者が公共財ゲームで調べたところ,(参加者の手が見えるようにしておくと)参加者が利他的であるほど遺伝率が上がったと報告している.著者は解釈が難しいとしているが,おそらく状況によって選択に効いてくる遺伝要因が異なっているということなのだろう.


第7章では「不都合な真実にどう向き合うか」という主題を扱い,著者による踏み込んだ議論がなされている.
まず行動遺伝学の知見の受け止め方としては「遺伝子が環境から本来受け取れる自由を制限している」と捉えるよりも「環境が遺伝子の求める自由を阻んでいる」と捉えた方がいいのではないかという著者のスタンスが提示される.著者はあまり説明していないが,結局すべての行動そして結果には遺伝と環境の複雑な相互作用が現れるのだから,今更変えようのない遺伝を問題にするよりも,厳然としてある遺伝的影響を認めた上で,何とかなるかも知れない環境をどう整えるかを複雑な相互作用を前提に考えた方が生産的だということだろう.
そして事実命題からは価値命題は導けない(自然主義的誤謬)が,価値命題からも事実命題は導けないことを強調し,「不都合な真実」をねじ曲げるべきではないこと,人種差や性差の問題については,まず個人の評価はその個人について行うべきであり,属する集団から評価すべきではないことをまず主張する.もっとも後者についてはカテゴリーの統計値を事前確率としてベイズ的に利用すること自体は合理的な推論態度だから,「こと個人の評価についてはいかに合理的であってもそのような推論手法を使ってはならない」という一種の価値判断ということになるだろう.

著者はそこまで整理した上で,実際の集団間の遺伝要因の差を議論する.実際に,新奇性にかかるドーパミン受容体の対立遺伝子頻度やストレス耐性に影響を与えるセロトニントランスポーターの対立遺伝子頻度は民族間で異なることが知られている.著者はすべての文化差をこれに帰することはもちろんできないが,文化や制度に(共進化的に)影響を与えた可能性は否定できないだろうとする.そしてもしこのような議論が人種差別的であるとするなら,それはそう主張する側が「自分は文化差があれば差別する」というスタンスであることを示しているのではないかと問いかける.かなり挑発的だが,「不都合な真実」を隠さないのなら,「どのような民族間の遺伝差の事実が発見されることがあってもそれを差別につなげない」という立場をとるしかないはずだということだろう.そして様々な政策は遺伝要因と環境要因の相互作用を見据えて決定していくべきであると論を進める.この提言は合理的な政策決定という点で賛成できるだろう.

次に著者は「能力に遺伝差がある」という「不都合な真実」は自由競争や能力主義を正当化することを阻害するのではないかという議論を扱う.
ここからの著者の議論はわかりにくい.まずロールズの正義論を援用し,次にヒトは互恵的利他行動の進化を通じて利他的な社会性を持っていることを指摘する.そして実際にはある(遺伝的要因に向いた)仕事と別の(遺伝的要因に向いた)仕事について(本来優劣はなく同じ評価がされるべきであるにもかかわらず)「人為的な環境要因としての」評価が異なっているために不合理な不平等が生じていると議論する.
ここは何重にも議論がねじれているように思われる.まずロールズの正義は,自分がこれから人生を始めるにあたってどんな才能や幸運を持つようになるかわからないと仮定し,あらかじめ合意できることを「正義」とするものだ.そして互恵性によって進化したヒトの社会性は,自分の能力や偶然得た環境を前提にした上で最も利得を高めようとするものだから,基本的に相容れないだろう.そしてそもそも自由競争は,それが平等に資するから価値があるとされているものではなく,(機会の平等さえあれば公平には問題ないとするなら)全体のパイを増やす上でもっとも効率的だから価値があるとされているものだ.そしてそのような制度目的のためには付加価値の高い仕事に高い報酬が払われることがある意味合理的になる.だからこの意味での不平等は全体のパイを大きくするために生じると考えるべきで,それと社会全体の格差のバランスをどうとるかが議論の本筋ではないだろうか.

ともあれ著者は,教育がヒト特有の認知的な基盤*5を持つことをまず指摘する.その上で現在の教育制度が「不都合な事実」を隠蔽したまま一般知能優先の画一的な学習内容中心で行われているために,大きな不平等を生み出し,さらにそれを「本人の努力と心構え」に帰するという結果になっていると批判する.そして一人一人の遺伝的素質をまず発見し,教育内容をそれぞれの遺伝的素質にあった生態学的妥当性の高いものにすることを提唱している.
最後の提案については一般論としては非の打ち所がないものだが,具体的にどうするかはなかなか難しいだろう.いずれにせよ「不都合な真実」の隠蔽をやめるべきだという意見には大賛成だ.もっとも実情としてはこれは隠蔽しているというよりも,みんな知っているのだが「建前」としてタブーにしているという状況だから,自己欺瞞や偽善に絡む部分が大きいだろう.その意味でも社会学者,教育学者が進んで受け入れることはなかなか難しそうな気もする.
そして実際には,前著「遺伝マインド」にあるように,高所得者層に「自分の成功の大きな要因は遺伝要因を含む偶然の上にある」ことを実感してもらって所得再配分政策に優しくなってもらうあたりのところから始めるのが穏当な落としどころというべきなのだろう.


本書は,最後になってかなり地雷源的な議論にも踏み込んでおり,思い詰めた著者による破れかぶれの開き直りが文章に異様な迫力を与えている.多くの人に読まれて議論のたたき台になればいいという思いがこもっているのだろう.私としてもその思い通りに多くの人に読まれることを願うものである.



関連書籍


安藤寿康の本.「遺伝マインド」の私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111207

心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観 (ブルーバックス)

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グールドによるIQ概念の否定本

人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)

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人間の測りまちがい 下―差別の科学史 (2) (河出文庫 ク 8-2)

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原書
Mismeasure of Man

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ドナルド・ブラウンによる背教物語

ヒューマン・ユニヴァーサルズ―文化相対主義から普遍性の認識へ

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ガタカ [Blu-ray]

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*1:サマーズは単に「理数系の学問の成績について,男女で平均が同じでも男性の方が分散が大きいから最上層では男女差がでる」と言ったにすぎないが,基本的に弾劾は問答無用の雰囲気だったようだ

*2:著者によるとこの本は(IQの遺伝という問題を封印するために)統計学の確立したテクニックである「因子分析」を否定しようとして書かれた本で,その試みは学問的には完全に失敗しているが,それでも一般世間には(そのリベラルイデオロギーぶりが)評価されているということになる.この本はずいぶん前に読んだのでそのテクニカルな議論についてはあまり記憶がないが,確かにIQなるものに実体はないのだと非常に気色張っていて違和感があったのは覚えている

*3:著者はこの原因についてはコメントしていないが,低社会階層の方が教育への親の態度の分散が大きいためのように思われるところだ

*4:著者は明示的に書いてくれていないが,この10%というのは教育投資額の10%ということではなく,収入上昇割合のようだ

*5:ここでも著者はそれを互恵性に帰しているが,むしろ双方に利益がある協力にかかるもの,特に分業にかかる利益がポイントではないだろうか