「生態学と社会科学の接点」

生態学と社会科学の接点 (シリーズ 現代の生態学 4)

生態学と社会科学の接点 (シリーズ 現代の生態学 4)


本書は共立出版から刊行されているシリーズ「現代の生態学」の第4巻にあたるもので,生態学を人間行動や社会に絡む問題に拡張したり応用したりする試みについての本ということになる.構成としては大きく3部に分かれ,第1部では理論的基礎編として伝統的な進化生態学と,それを人間行動に応用しようとするときのベースとなる理論の解説になる.第2部では環境問題についての社会心理学生態学,経済学からのアプローチ,第3部は環境問題をヒトの行動選択と生態環境動態の結合系ととらえる数理手法による応用がテーマとなっている.


第1部は「生物の適応戦略と協力」と題されて,いわゆる協力・利他的行動の進化理論が扱われている.


第1章は大御所,巌佐庸による基礎編「生物の適応戦略と進化ゲーム」
自然淘汰と進化について簡単に触れてから,最適採餌戦略,生活史戦略という単純な最適戦略の数理モデル化が解説され,その後に同種個体の戦略に自分の適応度が依存する場合についての進化ゲーム理論が扱われ,親による子の世話,魚の性転換の数理モデル,性配分理論の要旨,続いてそれまでの静的平衡を求める解法と対比した適応ダイナミクスが説明される.進化生態学のエッセンスの解説をわずか15ページに圧縮したその簡潔さは見事というほかはない.
最後に人間行動のダイナミクスにこれまでの理論を応用する場合の数理モデルが二つ紹介されている.ヒトは遺伝的なプログラム以外に意識的に行動を可変させるので遺伝子頻度を扱う進化理論から少し離れる必要が生じる場合があるのだ.ここでは周りの個体の真似をするレプリケータ力学モデル,そして確率的に選択肢を変更する過程を扱う最適応答力学モデルが紹介されている.これらのモデルの挙動の特徴としては,ヒトの行動にあわせるために突然変異率をかなり大きく設定することになること,確率応答モデルでも周りを真似する順応性のような振る舞いが生まれることを指摘し,それらが非線形的な挙動を生み出しやすいことが解説されている.


第2章は大槻久による「協力の進化」
まず混同されがちな相利行動と利他行動の区別を明確にした上で,血縁淘汰,直接互恵性,それにかかる囚人のジレンマゲーム,繰り返しゲームとしっぺ返しまでを概説する.そこから間接互恵性と社会規範,ノヴァクとシグムンドの間接互恵ゲームの枠組みと間接互恵性維持のための評判規範のリーディングエイトの解説になる.最後にそのほかの理論として緑髭効果,空間構造,罰行動の二次のフリーライダー問題,マルチレベル淘汰の簡単な解説を行っている.私的には包括適応度理論と空間構造やマルチレベル淘汰との数理的等価性の指摘がないのがちょっと残念だが,第1章に続いて短いスペースに要を得た簡潔な記述が詰まっていて見事な整理になっている.


第3章は沓掛展之による「動物の社会」
こちらは焦点を理論から実務レベルに移した解説の章になっている.上記理論の適応度などの諸概念が同種個体との社会生活の中でどう把握されるべきかという問題意識から,群を作るメリットとコストが解説され,ヒヒ類におけるその定量的なリサーチ例,ウマとイルカのハラスメントのリサーチ例が紹介される.
続いて血縁淘汰が簡単に解説され,シチメンチョウでの実証リサーチ例が紹介される.またミーアキャットや鳥におけるヘルパーは,これまで血縁淘汰の例とされてきたが,きちんとリサーチすると血縁淘汰として説明が難しいことなども説明され,生態要因の見極めとコストやメリットについての定量的な評価の重要性が指摘されている.
次いで非血縁個体間の協力が扱われる.まず相利行動の例としてシオマネキのオスの連合形成のリサーチが紹介される.強いナワバリオスにとっては,隣に同程度の強いオスが現れると境界争いが増えてコストがかかるので,隣に弱いオスがいると同盟を組んで防衛を助けてやるということにメリットが生じるのだそうだ.なかなかおもしろい.またここでは生物市場効果の説明もなされている.個体間に何らかの非対称があり,特定タイプは(自分と同じタイプではなく)別のタイプと協力することによってのみ(補完的に)メリットが得られるとすると,より個体数の少ないタイプの個体はバーゲニングパワーを持つというものだ.そして筆者自身のミーアキャットのリサーチ*1が紹介されている.
最後に「動物たちが実際に共有地の悲劇を避けることができる場合があるか」という問題が扱われている*2.そして血縁淘汰的に共有地の悲劇を避けていると考えられる例,利他的に見える行動にはきちんと見返りがある例*3,社会性昆虫のコロニーは超個体などではなくカースト間コンフリクトがあるが,その中で罰行動の例としてのワーカーポリシングが取り上げられている.最後のコラムで,ライオンのメスの防衛行動のリサーチが紹介されている.積極的に防衛するメスにはそれに見合うメリットが一見なさそうで,この防衛行動の多型の理由については「謎に包まれている」とコメントされている.
この章は,論説の筋立てが前2章ほどクリアーではないが,豊富な興味深いリサーチ例の紹介があふれ,大変おもしろい読み物になっている


第2部は環境問題への学際的取り組み編だ.


第4章は大沼進による「社会的ジレンマと環境問題」
まず環境問題が社会的ジレンマであることを解説し,社会的ジレンマに関するこれまでの社会心理学の取り組みを紹介する.
これまでは大きく分けて2つのアプローチがある.最初は構造変革アプローチで,社会の構造を変えて解決しようというものだ.進化生態学的には利得テーブルの変更ということになるだろう.例として,罰の導入が挙げられている.しかしこの方法は二次的ジレンマの発生と内発的動機づけの低下という問題を生み出すとされている.前者は進化生態学でもおなじみだが,後者はいかにも社会心理学的でおもしろい.ここではなぜそうなのかについて解説はないが,進化心理学的には興味深いところだ.
2番目のアプローチは自発的協力アプローチだ.利得テーブルは変えずに内発的動機に直接働きかけようというもので,コミュニケーション,話し合った上でのコミットメントなどが有効とされている.この方法は有効なこともあるが,フリーライダーの根絶は難しく,また利得が高額になると難しくなるという問題があるそうだ.
さらにこれらの問題を解決しようと,より協力が生じやすい状況を分析した目標期待理論,またフリーライダーには腐ったリンゴ効果があること,どのようなメカニズムでそれは生じ,どうすれば抑えられると考えられるかなどが解説されている.このあたりもいかにも社会心理学的でおもしろい.
ここからは環境問題への応用になる.筆者は環境問題は単なる社会的ジレンマだけでなく長期利益と短期利益の相克も絡む「社会的陥穽」だと位置づける.その上でフィールドにおけるリサーチから,小さな誘因の有効性*4,意思決定の瞬間の低コストの介入の有効性を指摘している.
以上は個人の行動に直接働きかけるものだが,環境問題の解決には規範的な解決という方法ももちろん有効だ.ここではどのようなルールが望ましいかが扱われる.これについては膨大なリサーチがあるようで,オストロムの整理などが紹介されている.小規模社会では話し合いなどの規範が共有化されていくプロセスが重要で,大規模社会では公共的便益評価や手続き的公正さが重要になるなどの知見が得られているようだ.また具体的な成功例もいくつか取り上げられていて読んでいておもしろい.


第5章は岩崎雄一,松田裕之,及川敬貴による「リスクと生態系管理」
生態系管理方法としての「順応的管理」(フィードバック制御)手法,及び目標や手法選択の際の考え方の整理としての「生態系アプローチ」が解説されている.
「順応的管理」は,まず粗い評価の上に保全管理を行ってみて,その結果をモニターし,管理方法に反映させていくというもので,十分なリスク評価をする時間がなくとにかく目の前の生態系を保全しなければならないというときに特に有効だ.ある意味ベイズ的なアプローチといってもよいのかもしれない.「生態的アプローチ」は2005年の生物多様性条約会議において決議されたもので,「管理目標は社会が決める」「管理は分権化する」などの12の原則からなる.
続いて実際に順応的管理の応用例が紹介される.まずは北海道のエゾジカの個体数管理.1990年代後半から実施し,うまくフィードバックできて2000年代前半までエゾジカの個体数を抑制できた.(なおその後,シカが管理対象外の国有林に逃げ込んでしまうなどの様々な問題からまた個体数は増加している)
次は水産資源管理が扱われている.まず基本になる個体数動向の数理モデルが示され,最大持続漁獲量,最大経済漁獲量などの概念が整理される.ここでは,生態系の特徴として,不確実,非定常,複雑があり,微分方程式系の数理モデルはそれを考慮していないために失敗する可能性があることが強調されている.読者としては近時のウナギの状況を解説してほしいところだが,ここでは具体例は示されていない.
最後に河川・湖沼環境中の亜鉛量と排水基準の現状が解説される.ここでは亜鉛濃度目標と亜鉛の生物への影響程度は別であること,様々な別の要因があるので後者は測定が難しいことが指摘され,順応的管理への移行が望ましいとコメントされている.


第6章は三谷羊平と庄司康による「環境の価値をはかる」
環境問題を考える上では,様々なトレードオフがあるので,環境の価値の金銭的な評価が重要になる場合がある.この章ではその考え方や手法が解説されている.
価値には利用価値と,非利用価値(心理的な効用)がある.利用価値の中の「直接利用価値」は,キノコや山菜などの市場価値を価値とすればいい.レクリエーションや災害防止などの「間接利用価値」は「似たような場所へ行くためにいくら払うか」「そのような場所が近くにあると不動産価格にいくらのプレミアムがつくか」(それぞれトラベルコスト法,ヘドニック法)という考え方で測定できる.問題になるのは,いずれ楽しめるかもしれないという利用にかかる「オプション価値」,それがあると考えるだけで楽しいという「非利用価値」だ.
本章ではそれらについての仮想評価法と選択型実験を解説している.これらは最終的に「それについていくらまで支払う意思があるか」をアンケート調査するものだ.しかし直接聞いたのでは(本当に払うわけではないから極端に高額に答える人も出現し)あまり信頼性がない.これに対して,限られた「AとBどちらを選びますか」のようなサンプル質問を多くの人に答えてもらい,統計的に処理して推測する手法が開発されている.ここではその詳細が説明され,実際に霞ヶ浦アサザプロジェクトで使用された例が紹介されている.なかなか洗練された手法でおもしろい.本当に支払うわけではないから完全に信用はできないが,多くの人に答えてもらうとある程度信頼できる推測が得られるようだ*5


第3部は人間と環境のかかわりと題されていて,環境問題を,人間の意思決定と生態系の結合モデルによって分析する事がテーマになる.第7章に導入があってその後の3章がさまざまな意思決定メカニズムを入れ込んだ数理モデルによる応用ということになる.


第7章は湯本貴和による「人類と環境の関わり」
ヒトと生態系との関わりの歴史と現代の問題を総説している.アフリカで進化し,世界に広がっていく過程,狩猟採集民などの伝統的生態知識と世界観,自然改変を生態系エンジニアととらえ,狩猟採集時代,農耕と里山産業革命インパクト,地球温暖化が簡単に解説されている.
地球温暖化については標準的な見方とともに,ラディマンの「温暖化は農耕開始から始まりこれまでは氷河期に戻るベースの寒冷化を相殺してきたが,産業革命以降それをうわまわる温度上昇になった.いずれ化石燃料が枯渇すると氷河期に突入する」という説も紹介している.最後にエコロジカルフットプリントの概念,最近の(縄文ユートピア論や江戸時代持続社会論などの)「環境との共生」言説の危うさを指摘している.「温暖化は科学文明の諸悪の象徴で,昔はよかった」論に対する専門家のいらだちと憂鬱が見えるようだ.


第8章は佐竹暁子による「人間社会・生態系結合系:森林伐採について」
導入にイースター島の森林皆伐による文明崩壊例を紹介してから,ヒトが主観的価値としての効用を最大化させようとするときに森林伐採がどう意思決定されて森林被覆率がどう動くかの数理モデルが提示される.
これを回すと,パラメータにより,終着点が一義的に決まったり,安定平衡点が複数現れ初期条件によってどちらかに収束(双安定)する系になったり.あるいは不安定な系になる.細かくみると割引率が高いと伐採率が大きく荒廃型の平衡点に引き寄せられやすく,さらに森林再生率が高いと系が不安定化しやすい.前者は直感的にも明らかだが,後者はおもしろい結果だ.単純なモデルでもいろいろ示唆するところがあるということだろう.


第9章は巌佐庸による「湖沼の水質管理についての社会・生態結合ダイナミクス
前章ではヒトの意思決定は効用最大化だけで決まっていたが,ここでは,効用最大化に加えて社会的圧力を受けるという複雑な意思決定システムを用いた場合の分析がなされている.「生活排水のリン成分低減」の意思決定は,協力者の存在は片方で湖沼の清浄化を経た社会的関心,片方で同調者の数という社会的圧力を通じて二重のフィードバックを受ける.このため系は複雑な挙動を示す.具体的には二つのフィードバックループの速度差により安定になったり不安定になったりし,またそれぞれのフィードバックループに履歴効果が生じる.著者は,特に社会的圧力は湖が清浄化すれば協力動機を抑える方向に働くことがあるので,全体のシステムの挙動に注意が必要だと指摘している.本章ではさらに湖底からのリンの巻き上げ効果がある場合,異なる関心を持つ集団が複数存在する場合などに分析を広げている.
複雑なシステムをコンパクトにモデル化し,その挙動を簡潔に記述していて,読み応えのある見事な章になっている.


最終第10章は本城慶多による「マラリア予防のための意思決定モデル」
この章ではヒトの意思決定をゲームモデルで解析する手法を取り上げている.アフリカではなおマラリアが猛威を振るっている地域があり,その対策としては「殺虫剤処理された蚊帳」が有効とされ,援助物資として多数配布されているが,現地では必ずしも蚊帳として用いられずに,農漁業で使用する網として使われてしまっているという現実がある.
著者はこれについて単に無知によってなされているのではなく,「蚊帳ゲームモデル」を作って分析し,転用が合理的な選択肢になりうる場合があり,単に啓蒙だけでなく課税などにより利得を変える手法を用いる方がいい場合があると主張している.蚊帳には蚊を殺すことによって外部効果があり,一定の場合にはただ乗りが有利になるという意味だ.
しかしこれが重要な要因であるのかは疑問だ.周り中が蚊帳を吊っていて自分だけ使わなかったら,ただ乗りというより,自分にリスクが集中するのではないかという素朴な疑問もあるが,それよりもこの行為はただ乗り合理性が主因で生じるというよりも,自分の命のリスクと金銭的利益の相対的評価に大きく依存している性質のものではないだろうか.ヒトの行動をゲーム理論的に解析すること自体は大変興味深いところだが,本章の具体例は,実際の効用にかかるパラメータの測定データが付されていないこともあり,いかにも机上の空論という印象を禁じ得ないところだ.


以上が本書全体の概要になる.全体のテーマが大変意欲的で,基礎理論から応用と取り上げているトピックも幅広く,理論編は簡潔で的確,応用編は具体例満載で読みやすく,おもしろい構成の本に仕上がっている.さらに個別の章にはハイレベルなものも多く,読み応えのある本だ.
ヒトの行動にかかる進化生態学進化心理学的な分析はなかなか社会科学の本流からは異端扱いされてしまいやすい状況だが,環境問題に関しては,本籍地がもともと生態学ということもあり,このような取り組みがなされやすいということなのだろう.成果が上がり,その知見がほかのエリアへも浸透していくことを期待したい.



 

*1:コロニー規模が小さい方がヘルパー数が少なくヘルパーの立場が上昇する.実際に攻撃を受ける頻度等が下がる.

*2:なおこの部分の冒頭でナイーブグループ淘汰の誤謬を指摘してから,時として上位レベルの淘汰圧を考察する必要があるというコメントもなされているが,実際にここで議論されている問題と「より上位のグループレベルでの淘汰圧」の関係については説明がなく,わかりにくい.特にヒト以外の動物行動についてはグループ淘汰的な視点を持ち込むメリットはあまりないのではないだろうか.筆者の意図がよくわからないところだ.

*3:共同防衛において,上位個体は負けると失うものが多いためにより積極的に防衛するなど

*4:なぜ小さな誘因の方がよいのかについて,相互協力の期待につながりやすい,社会規範の喚起につながりやすい,コストも小さいと考えるようになる(認知の変容)と説明している.読んでいてわかるような気もするが,しかし結局それはなぜという疑問は晴れない.社会心理学的な議論の特徴ということかもしれない

*5:サンフランシスコの通勤用鉄道建設において利用する意思と料金についてこの手法を用いて推測したところ,建設後の利用状況とよく一致したという実績があるそうだ