「The Rational Animal」


本書は「野蛮な進化心理学」(原題:「Sex, Murder, and the Meaning of Life」)で自らの研究軌跡を語りつつ進化心理学を解説したダグラス・ケンリックと,マーケティングにかかる心理学を教える進化心理学者のヴラダス・グリスケヴィシウスによる一般向けの進化心理学にかかる啓蒙書だ.基本的な内容は行動経済学などで明らかにされたヒトの意思決定の「非合理性」が進化的に考えると「合理的」だと説明できるということに焦点を当てている.一般向けをかなり意識しており,より印象的な例をちりばめて具体的に解説するスタンスを取っているのが特徴だ.


序章ではとびきりの馬鹿げた(ように見える)意思決定の例をいくつか挙げている.そして本書を通じてこれを解説していくのだ.そのうち2つほど紹介すると以下のようなエピソードになる.

  • 成り上がりのロックスターが実用性のなさそうな金ぴかの70万ドルのキャデラックを購入し,さらに実用性のない金メッキのハブキャップを装着すること
  • 一発当てた英国の作家がその印税の大半を慈善団体に寄付すること

前者はエルビス・プレスリーであり,後者はJ. K. ローリングということになる.そしてこれらについては進化的な視点から考察できること,(その進化視点からの考察の結果の一つとして)私たちには状況に応じて発動するいくつかのサブセルフがあることなどの前提が簡単に解説されている.*1


第1章ではそもそも「合理性」とは何かを議論する.そしてまず経済的合理性の概念,行動経済学が発見したいくつかの「非合理性」(損失回避,ギャンブラーの誤謬,後づけバイアス等々)を解説する.そして経済的合理性とは異なるもっと深い「進化的な合理性」があると主張する.
例としてここでは損失回避バイアスが解説される.進化環境において生存可能性に対してリソースの有無が非線形であっても不思議ではなく,損失回避バイアスは合理的な意思決定ルールであった可能性がある.であればこれはデザインの誤謬ではなくデザイン特性だということになる.
またここでは至近要因と究極要因の区別についてもかなりページを割いて解説している.教えていて誤解の多いところということなのだろう.


第2章は7つのサブセルフ.ここではケンリックの前著「野蛮な進化心理学」で整理された7つの条件依存的意思決定戦略システム(生理的欲求,自己防衛,加盟・提携,地位・承認,配偶者の獲得,配偶関係の維持,子育て)がここで詳しく解説されている.これらのサブセルフは同じ個人内においてその状況によってどれかが発動する.これを説明するために,モルガンスタンレーの凄腕のファンドマネージャーが決して家庭では投資判断をしないことにしていたことを紹介し,損失回避バイアスの強さが顕現しているサブセルフによって異なることの例として示している.
なおここでは最後にマルチン・ルーサー・キングが片方で女性に対してだらしない男だったこと(そしてそれは偽善と解釈すべきでないということ)が紹介されていてちょっと面白い.


第3章は包括適応度が与える意思決定への影響について.
ここでは囚人ジレンマなどのゲーム状況において利得を包括適応度的に調整することが,実際に人々が行う意思決定(特に相手によって決定をどのような変えるか)をある程度うまく説明することができることが主張されている*2.例として,ディズニーにおいて,創業者のウォルトと弟のロイ・O(財務担当)には確執があっても最後には折り合ってうまく運営できたのに対して,この兄弟の死後,ロイ・Oの息子のロイ・E・ディズニーとマイケル・アイズナーは似たようなことで衝突し,それは結局抜き差しならない対決となり,最終的にアイズナーは多額のボーナスとともに追い出されることになったことが紹介されている.
また相手との関係だけでなく顕現しているサブセルフによってもゲームのルールは変わる.他人とは経済合理性ルールが適用されるが,友人間ではチームペイオフと公正配分が考慮される.地位を争うライバル間では順位が重要になる.
最後に実際のビジネスでは必ずしも経済合理性ルールに従うことは成功につながらないことが強調されている.弱肉強食のウォールストリートの投資銀行のディーラーのような仕事を除くと,実際の社会では社内の同僚・上司や取引相手との信頼関係が重要なのだ.この場合には友人関係,家族関係のルールの方が概してうまくいくと主張されている.経済学を学ぶとより囚人ジレンマで協力しなくなるという知見もあって,進化心理学を解説する際に著者たちが気にしているところなのかもしれない.


第4章は現実認識のバイアスの合理性について.
冒頭で飢饉に苦しむザンビアの大統領がアメリカの食料支援を「それが遺伝子組み替え作物を含んでいるから」という理由で断ったエピソードが紹介されている.それらの食料はアメリカ人が日常食べているものだったのでこれはきわめて馬鹿げた判断にも見える.このような一見馬鹿げた判断の中にどのように進化的な合理性があるというのかが本章のテーマだ.
ここでは現実の認識についてのいくつかのバイアスを紹介した後,正確であることが常にスマートであるわけではないと強調する.認識がゆがむことは進化的な環境では有利になることがある.近づいてくる大きな物体が到着するまでの時間についてやや短く判断する方がより回避努力することにつながる.そして実際にそうなっている.これらは一部の行動経済学者がいうようなデザインの「バグ」ではなく,より適応度をあげるための「仕様」なのだ.そして(より重大なリスクをもたらす)フォルスネガティブ域を減らすために広いフォルスポジティブ域を許容する火災報知器の原理でもある.さらにこの調整はサブセルフによって異なっている.自己防衛セルフはこの調整域が大きい.ザンビア大統領の決断はこれで説明できる.
この章ではこのほかに「相手が自分に気があるかどうか」を判断するシステムの調整が男女で異なっていること,地位を求めるサブセルフが顕現していると自信過剰傾向が増すこと,そういう視点から見ると結婚は常にバイアスした認識の上に成立するものであると考えることもできることなどが解説されている.


第5章は論理性のバイアスの合理性について.
ここでは有名ないくつかのヒトの持つ論理性の欠如が取り扱われる.最初は,「リンダ問題」や「まれな疾病の検査がポジティブになったときの自分が疾病である確率推定問題』に見られる確率概念の混乱だ.著者たちはこれらは読み書きと同じで進化環境では使われなかったトレーニングが必要な数学に関連していると指摘し,ギゲレンツァによる「確率問題を頻度問題に置き換えると成績が向上する」という知見を紹介する.
本章ではさらに有名なウェイソンの4枚カード問題(そしてそれをコスミデスバージョンにすると成績が向上すること,さらにその場合にはアマゾンの学校教育を受けたことのない狩猟採集民とハーバードの学部生の成績に差がないこと),大きな数字を把握することが難しいという問題(そしてカーネマンとトヴェルスキーの600人の病人に対する400人が死んで200人が助かる新療法の採用を巡るフレーミング効果が,60人だと大きく減少するというワンの報告)などが紹介され,進化的におなじみの状況にかかる問題に直せばバイアスが大きく減ることを強調している.


第6章は生活史戦略
冒頭ではMCハマーが成功の後破産に追い込まれたこと,その他大金を得たスポーツ選手もその後破産する確率が高いことがまず紹介される.
そこから各種トレードオフと成長,配偶,子育てのステージに分けた簡単なヒトの生活史戦略が概説される.ステージにより別のサブセルフが顕現しやすくなり,それらは異なるリスク選好を持つのだ.さらに生まれ育った環境のキューを受けて各個人の生活史戦略は調整される.より期待寿命の短い環境では,期待割引率が高くなり,よりリスクを取り早く配偶しようとする.これらが貧困環境から抜け出て大金を得た若者の行動を説明する.これらは進化的には合理性があるのだ.


第7章は配偶戦略
まずウェブレンの顕示的消費の概念が紹介され,それがアメリカ文化の特徴ではなくユニバーサルであって性淘汰に絡むディスプレーであることが指摘される.ここでは「ヒトは自分の進化的な動機について無自覚であること」を何度も強調した上でプリウスブランドの成功についてもコメントしていて面白い.消費者は環境を気遣っているのではなく,「自分は環境を気遣う人間であること」をディスプレーするための少し種類の異なる顕示的消費を行っていると解釈した方が様々な証拠(物語を読ませていろいろなサブセルフを顕現させてアンケート調査しているものもある)と整合的なのだ.
本章ではこのほかこの手のディスプレーに見られる性差についても詳しく解説されている,


第8章は配偶市場での経済学
基本的には「子育て投資を行わない性の方がより配偶投資を行うことになる」という原則についての説明になる.ヒトでは男性の方が配偶投資が大きくなるので,子育て投資へのコミットメントを女性から求められる.これが男性がエンゲージリングを購入して女性に贈ること,「I love you」を先に言うのは男性の方が多いこの(70%)の理由だ.
ここでは婚資(bride price:花婿が花嫁の実家に払うもの)と持参金(dowry:花嫁の実家親戚が嫁ぐ花嫁に持たせるもの)の経済学が解説されていて面白い.西洋文化では持参金が一般的だが,世界的には婚資の方が一般的だそうだ.著者たちの解説によると,婚資は花婿家が女性の繁殖力に対して払う花嫁家への対価ということになり,これは階層のない狩猟採集民のような社会でも生じる.これに対して持参金は,上昇婚のある階層社会で生じやすく,花嫁の親族がこれから花嫁が生むであろう自分たちの血縁子孫に対する子育て投資の援助として理解できることになる.*3
本章ではこのほか配偶相手への好みの性差,それを反映したディスプレーの性差,父性の不確定性と嫉妬,配偶可能な男女の性比が犯罪率に影響を与えること,実際に性比がゆがんでいる中国では婚資の慣習が力強く復活したことなどが扱われている.


第9章はこれらのヒトの本性に寄生するパラサイト.
カッコウの托卵を解説した後,ヒト社会にも同種個体によるパラサイトがあることが指摘される.彼らは宗教家,政治家,ビジネスマンの振りをしてあなたの本性につけ込んでだまそうとするのだ.マドフはユダヤ人の拡大ファミリー感覚を利用してスピルバーグなどのユダヤ人セレブ顧客からの信頼を得た.現代のマーケターはありとあらゆるバイアスを利用しようと待ちかまえている.著者たちは現代企業のプロダクツの購入は多くの場合双方にメリットがあると認めた上で,しかしマーケターが様々な価値を私たちの異なるサブセルフ向けに商品に付け加えるにつれて相互メリットは怪しくなっていくとコメントして,彼らにどこまでも乗せられることに懐疑的だ.*4


最後に「結論」として,これまでの議論をまとめ,本の著述上行動経済学者に敵対的なフレーズを使ってきたが,彼らの発見は賞賛されるべきものであること,そしてその解釈に進化的な視点をくわえることにより,より深い理解につながることが強調されている.


というわけで本書は社会心理学や行動経済学が明らかにした様々なバイアスについての進化心理学的な理解についての啓蒙書ということになる.ケンリックの前著と違って自伝や探求物語の要素はあまり入ってなくて,総説的な著述になっている.進化心理学本としては(条件依存的意思決定戦略である)7つのサブセルフを軸に説明しているのが特徴ということになろう.私のような進化心理学にすれている読者にとってはやや物足りないが,これまで行動経済学のみに触れてきた人に対しての進化心理学入門書としては,よく整理されて読みやすい好著だという印象だ.


関連書籍


ケンリックの前著


同邦訳.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140809


 

*1:この2例の具体的な解説は第6章と第7章でなされている.ほかにも著者たち自身の馬鹿げた意思決定の例などが取り上げられている

*2:なおここで一卵性双生児は二卵性双生児より囚人ジレンマゲームで有意に多く協力することが紹介されていて興味深い.進化的な環境で一卵性双生児はそれほど多くはなかったと思われるので単純な包括適応度的な解釈はやや微妙な気がする.

*3:日本の結納は両家による婚姻の約束の担保という性格のものだから微妙に婚資とは異なるようだ.もっとも花婿側から花嫁側に差し入れられ,(少なくとも関西では)成約後も一部しか返されないようだから婚資的な意味もあるのかもしれない

*4:ここではデビアス社の巧妙なマーケティングにより私たちがただの炭素の固まりに大金を払うようになった経緯を解説していてちょっとおもしろい.デビアス社のメッセージは希少品にもっとも弱い配偶サブセルフをうまく刺激しているのだ.また薬品会社の「Ask your Doctor」というメッセージにも批判的だ