「進化心理学を学びたいあなたへ」 その16

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 

5.5 脳が自らを研究する時:氏と育ちの二分法を超えて クラーク・バレット

 
クラーク・バレットはサンタ・バーバラでトゥービィとコスミデスの指導を受け1995年に博士号を取得,マックス・プランク研究所を経てUCLAに在籍する進化心理学者だ.主にヒトの認知の進化と個体の発達の解明をリサーチしている.

  • 脳が自分のことを研究しようとするときに進化心理学最大の課題の1つが生じる.ヒトの脳が現実を分析して理解するように進化したのは,それが(包括)適応度上昇に影響したからであって,必ずしも真実を見いだすのに役立ったからではない.脳は複雑に絡み合う世界の因果律から少数の代替変数を抽出し,ある種の予測を容易にする代わりに,代償として世界の真の因果関係の多くをないがしろにするのだ.
  • 私が興味を持ったのはこれがもたらす2つの不幸だ.1つは発達についての因果推論,もう1つは心の働きについての因果推論にかかわるものだ.
  • 発達について,ヒトは生命体の特質は生得的なものと学習されたものに2分されるという本質主義に傾く.そして心理的メカニズムについて,ヒトは意図的に行われたものとそうでないものに2分するのだ.我々は世界の意味を理解するために心が創り出す二元論にしばしば陥ってしまうのだ.
  • このどちらの2分法も行動予測という課題を解決するのに役立つ.ある生物の行動は同種個体を観測すれば,当該個体を知らなくともある程度予測できる.意図を持つ/持たないの区別も行動予測には有効で,我々の読心システムに深く埋め込まれている.
  • これらは心理リサーチに対する障害になる.個体差を無視するバイアスは発達の研究を難しくする.さらに意図的/非意図的の区別あるいは意識/非意識の区別は,進化による/進化によらないという2分法に結びついて誤解を招きやすい.
  • 残念ながら現在の心理学はこのような2分法が主流になっており,心的プロセスを自動的かつ無意識的/柔軟かつ意識的なものに2区分し,前者は適応産物であるモジュールだが後者は柔軟な意識的プロセスだと見做しがちだ.これは最悪で,進化と硬直性を同一視してしまっている.この誤解によれば柔軟なものは進化とは無関係で自然淘汰以外の説明が必要なことになってしまう.しかしこれは間違いだ.

 

  • 私の研究課題は脳が行動を根源的本質的な因果関係に単純化して解釈予測するメカニズムの本質を解き明かすことだ.具体的には捕食者と被捕食者の相互作用の直感的理解,目的や意図の分析と道具使用との関係,意図の推論と道徳的判断の関係などを調べてきた.興味は生得的かどうかではなく,システムのデザインのところにある.
  • このようなリサーチにとっては文化比較のアプローチが重要だ.異質な文化における心理メカニズムを比較することによってそれが進化産物なのかどうか,そのデザインと機能の関係が発達環境や文化環境に無関係なのかどうかを知ることができる.具体例としては,アマゾンの先住民と現代ベルリンの子どもたちを比較し,捕食者に遭遇すると死ぬかも知れないという理解や,どの動物が危険かを素速く学習する傾向に差が無いことを確かめたものがある.
  • その際に多くの適応的なデザインは可塑性を持ち,硬直的な通文化的普遍性は持たないことを理解しておくことは重要だ.上記のリサーチの場合地域ごとの捕食者やそれを表す単語は異なっている.しなければならないのは心のデザインの特性レベル(判断の手がかり,因果推論で用いる概念,意図的かそうでないかの概念的区別など)での仮説を立てることだ.

 
 

  • 進化心理学はしばしば誤解される理由の1つは,進化が心をどのように形作るのかについての(魅力的だが正しくない)多くの直感が堅固に存在することにある.多くの人々は,そして学者でさえも,生得/学習,意識的/自動的などの2分法を乗り越えることができない.
  • 進化心理学は学習,文化伝達,意識的選択,意識そのものを含めた心のすべてを進化の産物と見做そうという学問だ.そしてその最重要課題は,心が進化の産物であることを人々に説得することではなく(それは割合簡単だ),それを受け入れた場合の帰結がなんであるかを示すことだ.
  • そのためにはこれまであまり進化的に考察されていなかった意識的選択や社会化のような現象の研究を可能にする新しい概念が必要になる.そしてそのためには進化/自由意思・学習・文化という誤った2分法をやめなければならない.
  • その他の障害には歴史的・文化的なものもある.ヨーロッパの啓蒙主義哲学に源を持つ心身二元論の伝統,宗教,学問領域間の長年の不和なども影響があるだろう.(そういう意味では)中国は進化心理学の発展に貢献できる特別な立場にある.

 
 
なかなか意欲的でかつ深い寄稿だ.一般知能,意思決定,累積的文化を可能にする心的特性,意識についての進化的な説明はなかなか難しいし,仮説はいろいろあるが,説得力の高い決定的なものはまだないというのが実態だろう.今後の進展が期待されるところだ.


バレットの本
 
まさに上で述べられたようなことが説明されている本になる.
 

The Shape of Thought: How Mental Adaptations Evolve (Evolution and Cognition) (English Edition)

The Shape of Thought: How Mental Adaptations Evolve (Evolution and Cognition) (English Edition)

 
 

コラム5 マイクロ・マクロ社会心理学から適応論的アプローチへ

 
第5章の日本の研究者によるコラムは清成透子によるもの.自らの遍歴を語ってくれている.
 

  • 私には3人の恩師がいる.
  • 1人目は山岸俊男だ.北海道大学の学部1年の時に「男性社会と女性」という講義を聴き,行為者に偏見がなくとも合理的意思決定の帰結として差別が生まれうることを教えられ,大きな衝撃を受けた.その後山岸の研究室がある文学部行動学科に進み,内集団びいきや協力行動の研究を行った.ちょうど山岸自身が進化心理学に触れた時期であり,適応論的アプローチの威力を実感することになり,私の中で囚人ジレンマ協力問題はヒトの向社会性の進化の謎につながっていった.
  • そしてこの問題は進化心理学,数理生物学,行動生態学のリサーチャーとの交流につながり,私の軸足は社会心理学から学際的なものに移っていった.
  • そして第2,第3の恩師であるマーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンに出合い,彼等のもとでポスドク時代を過ごすことができた.そこで罰と報酬が協力行動に与える影響について研究した.
  • ヒトの向社会性の進化の謎は未だに論争が続いている.適応論的アプローチはそういった学際研究をつなぐ共通言語そのものだ.