- 作者: 平石界,長谷川寿一,的場知之,王暁田,蘇彦捷
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2018/05/30
- メディア: 単行本
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第6章 未来の進化心理学者たちへ
第6章ではこれから進化心理学者を目指す人々へのアドバイス的な寄稿を集めている.
6.1 苦労の末学んだ12の教訓 ダニエル・フェスラー
フェスラーはUCLAの進化心理学者.リサーチの対象は感情,疾病回避,モラル,向社会行動と協力,コンフリクト,攻撃,リスク行動,文化伝達,摂食行動,性と繁殖と多岐にわたる.本書の紹介では感情について進化的な視点から伝統的な心理学理論の問題点を指摘してリサーチを進めた事例がいくつか紹介されている.
フェスラーによる本寄稿は自分のリサーチの紹介ではなく,これまでの経験から得られた教訓を読者に提示している.
- ここでは私が得た教訓を示したいが,まず私がどうやってここにたどりついたかを説明しよう.
- 人類学専攻の学部生の頃,教授たちは皆社会文化人類学の一部である心理人類学を専門にしていた.私も心理人類学者になろうとしたが,心理人類学には仮説を提供する包括的な理論がないことにだんだん不満を覚えるようになった.
- フィールドワークでは集団間の違いよりヒトの感情の普遍性に感銘を受けた.私は進化について考え始め(そのような分野が興りつつあることに気づかず)自己流の進化心理学を作り始めた.そしてHBESに参加してこの分野こそ私の興味の領域だと知ったことが転機になった.<教訓1:自分の大学や研究室の外側に目を向けよう>
- 学位論文執筆中に「The Adapted Mind」を読むことになったが,コスミデスとトゥービィの重要な章は私に影響を与えなかった.私が不真面目だったせいもあるが,彼等の初期の仕事には2つの弱点がある.膨大で複雑なアイデアが密度濃く詰め込まれていること,先行研究の大部分を見当違いとして切り捨てていることだ.<教訓2:アイデアは聞き手の理解を注目を得られる形で発表しよう> 優れたコミュニケーターであることはよい科学者の条件の1つだ.
- 私も従来の社会科学には批判的だが,それでもその中に多くの価値ある知見を見いだすことはできる.心が空白の石版であるという見方への批判の最も不幸な副作用は,多くの進化心理学者たちが文化心理学者たちの仕事を無視してしまったことだ.<教訓3:科学には傲慢さと謙虚さの両方が必要だ>
- 私が最初に進化心理学者たちと出会ってショックを受けたのは,彼等の批判の矢がコミュニティの外にばかり向けられていたことだ.理論的前提や研究スタイルを共有している人への批判を控えようとするのはヒトの進化した心理の1つだろう.しかし前提やスタイルが似ているほど仕事の批判者として適切であり,そうする義務も増すはずだ.<教訓4:科学の発展は論争好きな研究者のコミュニティによってもたらされる.1人1人が議論に貢献しなければならない> メッセージが建設的なものであれば,あなたが仲間の進化心理学者にしてあげられる最も有意義なことは,彼等の仕事を批判することなのだ.
- 進化心理学の学生はヒトの生活様式の多様性を見過ごしがちだが,これは間違いだ.新しいアイデアは素朴理論を使って産まれる.これは自分の属する文化に影響を受けており,理論はトートロジーになりがちだ.これは幅広いサンプルで検証されるべきだ.<教訓5:ヒトの多様性の理解は心についての仮説を作り検証する上で重要だ>
- 多くの適応は条件付きで調整されたものになる.これがヒトの多様性に注目すべき2番目の理由だ.複数の環境条件下で仮説を検証すべきだ.しかしこれは簡単ではない.<教訓6:条件依存的調整は多くの進化的仮説で見過ごされてきた.それは必要なデータを得るのが難しかったからだろう> しかし調査の簡便性は重要な問いを無視する理由にはならない.
- ヒトの多様性に注目すべき最も大きな理由は,文化こそがヒトを他種と大きく分けるものだからだ.文化情報の獲得,使用,伝達のための豊富な適応があるに違いないのだ.ここには進化心理学にとっての未開の平野が広がっている.<教訓7:進化心理学で最も研究されていないのは文化への適応であり,おそらく最も重要だ>
- これまでの進化心理学の研究は配偶戦略に大きく偏っている.それは大学生をサンプルにした場合調査しやすい領域で,予測が素朴理論から得やすく,親の投資理論のような理解しやすい概念から核になる疑問を得やすかったからだろう.<教訓8:近年の進化心理学研究は配偶関係を過度に強調している.これは簡単なトピックから始める傾向の反映だろう.進化心理学は別のもっと重要な疑問に取り組む時期を迎えている>
- 進化心理学者の多くは民俗学や霊長類学について知識不足であることが多いのではないか.現在の人種の心理学の主流はEEAでは他人種との出会いは稀だったはずだから,現在の人種にかかる心理は何か別の心理(連合形成や民族など)を反映しているというものだ.しかし現在の人類学の知見ではヒトの祖先が他種ホミニドと同所的に分布していた可能性が増している.私は人種の心理(そして本質主義的傾向)は他種ホミニドとの相互作用のために進化してきた可能性があるのではないかと思っている.<教訓9:進化心理学的研究を厳密に進めるためには,ヒト進化に付随する多くの理論と知見に親しむことが必要だ> 進化心理学の本質は学際性にある.自分の分野以外の情報を勤勉に追求して高度に学際的な研究者コミュニティに所属しよう.
- 進化心理学者たちはしばしば適応の歴史による制約について過小評価しがちだ.例として性的な嫌悪を挙げよう.これが配偶行動を調節するための適応である証拠が増えてきている.しかしそれだけならなぜ吐き気などのコストがあるのかを説明できない.これは毒や病原体を忌避するための適応として嫌悪の基盤があり,配偶調整のための性的嫌悪はそのメカニズムの上に乗っているので,本来不要なコストを持っているのだとしてのみ説明できる.<教訓10:心理的適応の進化の歴史に注意を払うことで,しばしばその最適化をはばんでいる理由が明らかになる> これを調べるための有効なツールは比較研究になる.
- ここまで私は難しいことに取り組めと強調してきた.しかし若い研究者はこのような課題のみを取り扱うべきだといっているわけではない.研究プログラムをデザインする上では,平凡な予測と非凡な予測の区別が重要だ.非凡な予測は,今ある科学的理解とも素朴理論とも相容れないものだ.非凡な予測は間違っている可能性が高いが,しかしそれが支持されたときの科学的インパクトは大きい.それはハイリスクハイリターンなのだ.<教訓11:非凡なプロジェクトと平凡なプロジェクトを組み合わせてバランスの取れた研究ポートフォリオを持とう>
- 進化心理学の実践にはより根源的な要素がある.世界の道徳体系の多様性を学ぶと自分が受け継いだ価値体系はたまたま生まれついた文化的環境によるものだとわかる.生命の進化を学ぶとそこには超自然的因果律がないことがわかる.遺伝子の文化の共進化,道徳と宗教の進化的基盤を学ぶと価値や信念の体系には内在的正当性などなく,それらは集団が機能するために個人の心の適応を利用するように進化した単なる装置に過ぎないことがわかる.これらは道徳的指針なく道をさまようような不安を生む.したがって進化心理学者が個人として直面する最大の課題は,ヒトの信念や価値の裏に隠れた根源的要因を曝いたあとにどう道徳的人生を送るかということになる.しかしこの危機をもたらす理論は同時に解も与えてくれるのだ.これにより私たちは信念や価値を自由に選択できるということがわかるからだ.他集団への敵意にとらわれすぎることからも解放される.より道徳的生態環境を形成するチャンスにも気づける.マーゴ・ウィルソンは数多くの学生を導き,世界中の科学プログラムを発展させる手助けをし,差別をものともせずに,常に楽観的で,どこに行こうとも協力と善意をはぐくんだ.トゥービィがその弔辞で述べたように,マーゴは進化学者に道徳的である方法を示したのだ.<教訓12:進化心理学の発見と洞察は道徳の危機を作り出すが,その危機の中には世界をより良い場所にするチャンスが眠っている.私たち1人1人がそのチャンスをつかむべきなのだ> これは私が得た最も重要な教訓だ.
進化心理学の現在の問題点を率直に指摘していて,迫力のある教訓集になっている.コスミデスとトゥービィの文章があまりに濃密で膨大で複雑なアイデアを詰め込みすぎているというくだりには思わず笑ってしまった.私も「The Adapted Mind」を読んだときには,彼等の章があまりにも濃密で,何度もくらくらしながら文意を追って行かざるを得なかったことを思い出した.それ以来彼等の文章を読むときには,まず座り直して覚悟を決めるようになったものだ.進化心理学者が社会学に対して手厳しく,仲間内に甘かったというのは,その迫害の歴史にも関連するのだろう.しかし今後はフェスラーの言う通り,他分野の知見に敬意を払い,仲間内でも厳しく批判し合っていくべきなのだろう.
最後の教訓は深みがある.日本のように一神教があまり深く根付いていなく,無神論者が特に差別されるわけでもない社会ではあまりぴんとこないが,アメリカではその帰結を知らずにこの道に入り込む信心深い若い学生が学んでいく内に真実に気づいて呆然とするという状況は結構リアルなのだろう.
なおフェスラーは自らのWeb pageに道徳に関するエッセイを載せている.https://www.humansandnature.org/the-wellsprings-of-our-moralities
概要を紹介しておこう.
私たちのモラルの根源
- 母なる自然は無道徳だ.しかし道徳はユニバーサルだ.自然世界には道徳の指針はないが,すべてのヒト社会には道徳ルールがある.そしてすべてのヒトは自分や他者の行動がその道徳に沿っているかどうかについて強い感情を経験する.このルールや感情はどこから来るのだろうか.
- 「道徳ルール(の一部)は文化により異なるが,私たちの内側に生じる部分(道徳感情)はユニバーサルだ」というのは一見正しそうだが,実はそう簡単ではない.文化は私たちの感情にも影響を与えるからだ.より正しい描写は「私たちは,道徳ルールを学び,それが自明であると内部化し,それに沿った行動やそれに違反する行動に強い感情を抱く能力を生得的に持っている.そしてこれらの能力は特定の文化環境の中で発達し,道徳アクターとしての私たちを作り上げる」というものだ.道徳に関しても生得/学習の単純な二元論は妥当しない.
- 私たちは,この世界には何らかのルールがあることの期待を持って生まれるが,その内容については知らない.道徳的な行為の引き起こす感情を備えているが,そのどの側面がその文化において重要かは知らない.私たちは文化があることを前提に,文化に依存するように生まれてくるのだ.
- チンパンジーにはプロト道徳,つまり単純なルールとそれに関する感情がある(文化伝達があるのかどうかは知られていないし,彼等の反応は自分自身への影響についてのものに限られている).しかし完全に発達した道徳,つまり複雑な学習されるルールとそれが(他者間においても)守られることについての感情的反応を持つのはヒトだけだ.ヒトは非血縁者を含む大きなグループで協力しながら生活しているということも他種と異なっている.
- 道徳,グループ生活,協力はみな関連しており,文化的伝達情報の上にある.私たちの繁栄は互いに学び合える能力から来ているのだ.成功した社会は採餌.住居確保,捕食回避を協力し,互いに教え合ってうまく行っている.
- 互いに教え合って,かつてないほどの情報を集積し,互いにうまくやることによってグループは大きくなり,さらに互いにうまくやるための知識が集積される.同時にグループ間のリソースやナワバリの競争も生じる.そしてよりうまく組織化され,高いテクノロジーを持つグループは有利になる.
- テクノロジーには物理的だけでなく社会的なものもある.そして物理的テクノロジーにトレードオフがあるように社会的テクノロジーにも単純な最適な方法は存在しない.最適な社会的テクノロジー(価値システムと社会構造)はその社会がおかれた物理的社会的な生態条件に依存するのだ.
- 集団の中での個人の成功のためには,そのルールを素速く学習し,それを守ることを強く動機づけられることが有利になった.こうして道徳性を持つ心が進化したのだろう.そして最適な社会的テクノロジーはその社会によって異なっていたので,特定ルールを持つような心は進化せず,生まれ落ちた文化のルールを素速く学ぶような心が進化したのだ.
- 自然淘汰は私たちを道徳的種に作り上げた.しかし私たちの歴史は私たちを異なる複数の道徳体系を持つ種にした,これは一部の読者には絶望的に見えるかも知れない.私たちは何が正しいかについて永遠に争わざるを得ないのかと.しかしながら私はもっと楽観的な結論を選ぶ.この世のすべての生物種の中で私たちだけが,自分たちがどこから来たかを知り,そして未来をどうしたいかを決めることができるのだ.ヒューマニティと道徳の本質を知ることは,より込みってくる世界でどううまくやっていけばいいか,戦争を減らし,環境問題を解決する方法を教えてくれる.誰も唯一の正しい価値体系を示せないなら,一緒に過ごすための妥協を見つけるべきなのだ.私たちは皆歴史の産物だが,それに縛られる必要はどこにもない.