書評 「まちぶせるクモ」

まちぶせるクモ 網上の10秒間の攻防 共立スマートセレクション

まちぶせるクモ 網上の10秒間の攻防 共立スマートセレクション

 

本書は渋いラインナップで科学読み物を出している共立スマートセレクションの1冊.行動生態学者中田兼介によるクモの最適採餌行動,特に円網およびそれを使っての狩猟行動がどのような適応の産物なのかを解明していく研究物語になる.

第1章 まちぶせと網

冒頭でクモについての総説を置いている.4対の脚の手前にある触肢の解説が面白い.

  • 触肢には味や匂いを感じるセンサーがあるとともに,オスではメスに精子を受け渡すという役割がある.オスはまず精網という小さな構造を糸で作り,そこに精子を放出し,これをスポイト状になっている触肢で吸い取る,そして交接*1の際に触肢先端部をメスに挿入して精子を受け渡す.種によってはこれを交尾栓として使い捨てるものもある*2

続いて円網の張り方について詳しく解説がある.これは図鑑や解説書でよく見かける通りだ.円網にはよくある垂直に張られるタイプのほか渓流沿いなどに水平に張られるものもある.これはカゲロウのような昆虫が羽化して飛び上がるのを狙っていると考えられている.円網以外の網(棚網,皿網,不規則網)についても簡単に解説がある.

第2章 仕掛ける

いよいよここから適応の話になる.円網はどこに張るべきかが最初の問題だ.それは基本的に餌の多いところだが,クモはどうやってそれを見分けるのか.中田はここで,光や臭いや痕跡などの手がかりについての過去の研究を紹介している.
餌量が推定できたら,次はどのぐらいの大きさの網を仕掛けるのが最適かという問題になる.円網のサイズは網のコストと獲れる餌の量にかかわる.コストは網の面積に比例するが,網のサイズ大きいと端にかかった餌がクモがそこにたどりついて捕獲するまでの間に逃げられる可能性が高くなるので,獲れる餌の量は網の面積に対して上に凸(収穫逓減)になる.だから最適の網のサイズは餌の多いときの方が大きくなる.
次に円網は餌の量を確かめるアセスメントの機能も持つ(餌量が少なければ引っ越す,多ければより大きな網をかけるなどの調整が可能になる).このアセスメントへの投資は一括前払いになるので,面白い意思決定問題になる.ここから中田の研究物語になる.

  • ギンメッキゴミグモは餌が獲れないと網を引っ越し,獲れると同じ場所を使い続ける傾向がある.観察では引っ越ししたあとは小さな網を張るようだった.
  • 最適採餌戦略の研究分野ではパッチ型の餌場の引っ越しについて精緻な理論が作られている.しかし(クモのような)待ち伏せ型の場合には餌は周囲から流れ込むので,同じ場所にいても餌が減っていくわけではないし,引っ越しタイミングで網を張る前払い一括のコストがかかるので状況は異なると考えられる.単純に考えれば,移動前の餌期待量と移動後の餌期待量の差が引っ越しコストを上回るときに引っ越しすべきことになる.
  • しかしクモにとって移動後の餌期待量を知るのは難しい.さらに移動前であってもサンプリング誤差の問題がある.誤差を小さくするには長期間待つか網を大きくすれば良いが,それぞれコストがかかる.
  • 引っ越し頻度の高いクモより定住性の高いクモの方が,誤差を小さくするメリットが大きいと考えられる.そこでギンメッキゴミグモと(網にゴミを付着させるためにより定住性の高い)ゴミグモを比較したところ,確かにギンメッキゴミグモの方が引っ越し直後に(それ以降より)小さな網を張る傾向があった.

 
サンプリング誤差を考慮した最適採餌というのは面白いアイデアだ.通常はこれはあまり問題にならないが,一括前払いコストが大きいとアセスメント誤差も重要になるというのはいわれてみればなるほどという感想だ.

第3章 誘いこむ

クモの円網は飛び交う虫を濾し捕るフィルターというイメージが強いが,実は虫を誘い込む様々な工夫がある.中田は様々な研究を紹介している.

  • 円網を形成する糸は紫外線をあまり反射しない.これは(フィルターとして)目立たなくする機能を持つものだと考えられている.逆に粘球は光を反射して糸を目立たせる.タカラグモはこれを組み合わせて(定置網のように)餌を誘い込む構造を持つ円網を作る.
  • 餌の食べかすを発酵させて(その匂いで)ハエをおびき寄せるクモ(ハグモやジョロウグモの一部)もいる.
  • ゴミグモは食べかすだけでなく自分の脱皮殻,落ち葉など様々なゴミを網に飾る.飾り方は種によって異なる.飾りがあった方が餌が多くかかるという報告,逆に餌がかかりにくいという報告がある.よくわかっていないが匂いが関与している可能性がある.
  • 白帯は以前はクモがその背後に隠れるための構造と考えられていたが,最近では様々な役割があることがわかってきた.まず紫外線をある形に反射して餌をおびき寄せているものがある.花と誤認させているのではないかという有力説があるが,反対説もあって議論が続いている.

 
ここから中田の研究になる.

  • 一旦誘因説が主流になったが,自分がクモの対捕食者戦略を調べるために音叉(捕食者の羽音を模したもの)を使っていると,音叉で脅かしたサガオニグモが白帯を大きくすることを見つけた.これは白帯が対捕食者防御の役割を持つことを示唆している.
  • そこで音叉で脅かす,餌を与えるという2条件を組み合わせた実験を行った.白帯は音叉で脅かすと大きくなったが,餌を与えても大きくならなかった.サガオニグモにおいては白帯は対捕食者防御の機能が主であるようだ.
  • 白帯の角度によって誘因効果が異なるという報告もある.どうやら白帯は形によって様々な機能を持つようだ.

 
さらに白帯の研究はクモの体色や模様の機能の議論に拡張している.目立つ体色や模様が餌の誘引効果を持つという報告,持たないという報告があるそうだ.確かにクモには派手な模様を持つものが多いので,これはなかなか興味深いところだ.

第4章 止める

次は円網の工学的な機能の解説.円網はまずよく伸びて飛んでいる餌の運動量を受け止め,さらに餌が逃げないようにそこに止めておく必要がある.横糸はよく伸縮し,縦糸は大きな引張強度とヒステリシス*3を持ち,餌の運動量を受け止める.餌が逃げないように止めるのは主に横糸の伸縮性と粘着性の機能だ.中田はヒステリシスや粘着性の分子的な仕組みまで詳しく解説している.
次は餌の種類と円網の性質の関係.クモが状況に応じて円網の性質を変えていることを示唆する報告がいくつかあることが説明され,網の工学的性質が餌の捕獲との関係でトレードオフの塊であることが強調されている.

第5章 見つける

低コストの研究機具作りの工夫や,クモの触覚機能の説明を行ったあと,円網が触覚機能の拡張装置であることが具体的な振動の種類,時間差をどう使うか,ノイズの問題などの話とともに解説されている.
ここからどこまで小さな餌まで食べに行くかという問題が扱われる.クモがかかった獲物を食べるためには,定位置からそこまで移動し,捕獲するという一定のコストがかかる.だから栄養状態によって限界利益が変わるなら,その閾値は栄養状態に依存して変わることになる.カタハリウズグモで確かめると確かに空腹時にクモはより小さな餌まで食べに行くが,その襲撃閾値の調整は一旦網に作った白帯の形によって触覚の敏感性を変えることによっていることが明らかになったそうだ.
 
ここから中田の研究になる

  • ゴミグモでは円網を脚を使って引っ張ることにより触覚の敏感性を可変にしているようだ.これを確かめるために5年かけて餌が円網に衝突する動画データを集め,引っ張っている垂直方向の方がより触覚が鋭敏になっていることを確認した.さらに実験的に水平方向に張力を加えるとその方向上に鋭敏性が高まることも確かめた.
  • なぜ垂直方向に引っ張るのか,それは網が真円より少し垂直に長いためだろうと思われる.さらに水平方向のみに餌を与え続けるとクモは水平に張力を加えるようになることも実験的に確かめた.

ここもユニークなアイデアと研究が楽しいところだ.

第6章 襲いかかる

円網の餌を留め置く力は完全ではないので,一旦餌がかかったらクモは素速く餌に到達して噛みついて相手を麻痺させるなり糸で絡め取るなりして捕獲しなければならない.ではこの襲撃時間をできるだけ短縮するためにはどのような円網が適応的かというのが問題になる.
ここで効いてくる要素はクモの定位置,向き,方向転換に要する時間,上下左右での襲撃速度の差になる.ここからの中田の解説は楽しい,本書の白眉だ.

  • 円網は縦に長く,クモの定位置は中心より上にあることが昔から知られていた.これを下向きの襲撃速度の方が(重力の影響から)速いことによる適応だとする説明が主流だった.
  • しかしこれは観察事実がまずあって,それを都合よく説明してみせた「後付けの理屈」だ.本当かどうかを確かめるためには,理論を使って知られていない現象を予測して検証する方が望ましい.
  • ここでゴミグモ属には,通常の頭を下に向けているゴミグモのほかに,上向きのギンメッキゴミグモ,ギンナガゴミグモや,方向が決まっていないシマゴミグモ,ミナミノシマゴミグモが存在する.まずこれはなぜかを調べることにした.
  • 円網の形を調べると,ギンメッキ,ギンナガの円網は定位置より上の方が大きいことがまずわかった.統計解析すると,ゴミグモ属の中で,頭の方向と網のサイズ非対称性にきれいな対応関係があることが確認された.
  • ここでクモは下向きにより速く移動でき,方向転換に時間がかかるとした最適採餌モデルを作った*4.このモデルでは,最適な方法は網の中心よりやや高い位置で下向きにいることであり,上向きのクモの最適位置は下向きのクモの最適位置より低いということが導き出された*5
  • では何故ギンメッキは上向きなのか.モデルに入れ込めていない状況は,餌は時に下向きに転げ落ちてくることではないかと考えモデルを拡張した.これによると上下の移動速度差が小さく餌が転げ落ちる状況があると上向きが適応的である場合があることがわかった.
  • ここまでならこれも後付けの理屈になる.そこでまだ誰も測定していない普通のクモと上向き定位のクモの移動の上下速度差を測定して検証することにした.測定の結果ギンメッキやギンナガで上下速度差が小さいことが確認された.これはクモの大きさが効いているのだろう.またクモに重りを付けて上下速度差を増してやると定位置をより上にすることも確認した.
  • ではこの網のサイズ非対称性は縦糸や横糸の角度や糸間距離にどう影響するだろうか.観察する通常の円網では縦糸の角度は下部の方が小さく,横糸も下部の方が多い.これは餌の転げ落ち対策からそうなっているのかも知れないし,網の工学的性質から縦糸の角度が決まって横糸の密度も決まっているのかも知れない.これも上向きのギンメッキゴミグモやギンナガゴミグモで検証できそうだ.
  • 実際に円網を写真に撮って精密に測定すると,ギンメッキ,ギンナガでも横糸密度は下部で高かった.横糸密度が下部で高いのは転げ落ち対策であるようだ.また縦糸は(工学的な強度からの予想と異なり)より広い上部で角度が小さくならずに逆に大きくなっていた.これはなぜか,1つの説明は横糸密度がまず決まって,その風による絡みつき防止のために縦糸の角度が決まっているというものだ*6.クモの円網の形は重力によりクモの移動速度差と餌の転げ落ちが生じることから来る因果の連鎖により決まっているのだ.

 
 

クモの円網の適応についてのみでこんなに楽しい一冊の本になるというのが,行動生態学の楽しいところだ.一括前払いコストを払う必要にあるアセスメント投資のあり方,白帯の謎(角度によって機能が大きく異なるのいうのは驚きだ),クモの体色と模様の機能,網を引っ張ることによる襲撃閾値の調節,重力が最適円網に与える複雑な因果関係,いずれも大変興味深い.そして謎に迫っていくアイデアがいずれも小気味よい切れ味だ.行動生態学徒だけでなく多くの生き物好きの人に推薦できる一冊だと思う.


関連書籍


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クモに寄生するクモヒメバチを扱った一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160123/1453521881

*1:頭にある触肢を使うので交尾とは呼ばない

*2:このような種ではオスは生涯で2回しか交接できない

*3:変形のための必要エネルギーが過去の履歴により異なる性質.これがために一旦飛び込んできた虫が反動で跳ね返されることがなくなる

*4:網を1次元にして簡略化したモデルの解析解がボックスとして収録されている.

*5:直感と異なり方向転換の時間は結論に影響を与えないとある.この部分はこれ以上の解説がないが,本当に影響がないのだろうか.厳密な最適位置を考えると,方向転換に非常に時間がかかるとすると上向きのクモの最適位置は最下部で,下向きのクモの最適位置は最上部になるだろう.やや納得感がないところだ

*6:さらにここでは非対称性,横糸密度,縦糸角度について回帰分析でいろいろと考察している