Enlightenment Now その30

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)


しばらく間が空いたが,ピンカーの本に戻ろう.
次のテーマは「安全」だ.世界は殺人を含む不慮の事故を減少させるように進歩しているのかが議論される.

 

第12章 安全 その1

 

  • ヒトの身体は脆弱だ.祖先はヒョウやワニなどの捕食獣に簡単に捕食され,様々な生物毒に晒された.果実を求めて樹上に上がれば落下の危険を,魚を求めて水に入れば窒息の危険を背負った.狩猟技術はライバルの殺害にも利用された.
  • 今日捕食されたりヘビ毒で死ぬ人は減ったが,事故はアメリカで死亡原因の第4位にとどまっているし,世界全体でも全死亡の11%を占めている.対人暴力も若者の死亡の大きな原因になっている.
  • 人々は事故の原因や避ける方法を昔から考えてきた.(ユダヤ教の祈りの例が引かれている)
  • そして事故原因と回避方法についての知識は神意を思い巡らす時代から大きく改善され,我々は最も安全な環境に生きている.
  • まず殺人を見ていこう.世界大戦の例外を除くと戦争の死者より殺人の死者の方が多い.近年の通常比率は1:10程度,シリア内戦のあった2015年でも1:4.5だ.
  • 過去においては遙かに殺人リスクが高かった.中世ヨーロッパでは領主はライバルの使用人を殺し,貴族は決闘で,市民もつまらない言い争いの末に殺し合い,強盗殺人が頻繁に生じていた.そして14世紀以降ノルベルト・エリアスの言う「文明化プロセス」が生じ,争いはより非暴力的な方法でなされるようになった.さらに19世紀に刑事司法制度と商業インフラが整備された.マッチョたちの名誉カルチャーは紳士の威厳カルチャーに移り変わった.
  • 犯罪歴史学者のマニュエル・アイズナーはエリアスの主張をデータで裏付けた.そしてそれはヨーロッパで当てはまるだけでなく,世界中で見られる移行だった.

(ここで西欧,米国,メキシコの殺人率の1300年から2015年までの推移グラフが示されている.ソースはアイズナーほか)
 
 

  • 私は進歩を議論するに際し,傾向は絶対的ではなく時に小さな逆行があり得ることには注意を促していた.そして実際に西洋,特にアメリカの暴力犯罪傾向は1960年代に小さな逆行を示している.そしてこの逆行は進歩に対する貴重な教訓を与えてくれる.
  • 高犯罪率時代にほとんどの専門家は暴力犯罪への対処策はないとしていた.それはアメリカの暴力社会に組み込まれており,その根源原因である人種差別,貧困,不平等を解決しない限り犯罪を押さえるのは不可能だと彼等は主張した.この歴史的悲観主義は「根源原因主義」とでも呼ぶべきもので,それは「すべての社会的な疾病は何か深いモラル問題の表れであり,このコアを治療しない限り解決できない」という誤った認識だ.現実世界の問題は単一の根原因に帰せられるようなものではなくもっと複雑なのだ.
  • 1960年代の犯罪爆発について言えば,事実そのものが根源原因理論の誤りを示している.その時期は市民権運動により人種差別は劇的に減少し,経済ブームとともに不平等も失業も下がっていたのだ.そして1992年以降アメリカの犯罪率は激減し始める.この時期こそアメリカで不平等が拡大し始めたのだ.そして2007年以降の不況時にも殺人率は低下し続けている.世界全体のデータは限られているが,2000年以降継続的に低下している.

(ここで1967年から2015年までのアメリカと英国,2000年以降の世界の殺人率の推移グラフがある.ソースはFBI,英国統計局ほか)
 
 

  • 暴力犯罪は解決可能な問題なのだ.世界全体の殺人率をゼロにすることができないかも知れないが,アイズナーがWHOに提案している「30年間で世界の今の殺人率を半減させる」ことは達成可能な目標だ.達成可能だということを示唆する2つの事実がある.
  • 1つは殺人率の地域分布が非常に歪んでいるということだ.世界全体でも1国内でもそれは歪んでいる(世界の中で殺人が多いのは南米北部とサブサハラアフリカ南部地域だ.一国内で見ると,ほとんどの場合それはいくつかの特定の都市に集中している).
  • もう1つは歴史的に見て高い犯罪率が急速に下がったことが何度もあるということだ.(実例がいくつも引かれている)
  • これを組み合わせると,いくつかの高犯罪地域で劇的な殺人率の低下を実現させると30年間での殺人率半減が達成可能であることがわかる.そして1国内での地域的な歪みは社会的根源原因論が間違っていることも示している.根源原因など無視して目の前の現象に注目すべきなのだ.
  • まず重要なのが法の執行だ.これをきちんと行うことにより人々は復讐の連鎖,ホッベジアントラップから抜け出せる.その証拠は刑事司法が機能不全になった様々な事例が見事に示している(いくつもの実例が紹介されている).アメリカの1992年以降の犯罪率の劇的な減少も警察と刑事司法によりかなり説明可能なのだ.
  • アイズナーは目標達成のために「効果的で,正統的で,素速く,フェアで,抑制的で,人道的な法の執行」をアドバイスしている.これは右翼によくある「犯罪に厳しく対処」という考え方と好対照になっている.厳罰主義は感情的に受け入れられやすいが,実効性は薄い.犯罪者はそれを運の悪い厄災だと考えるだけだからだ.予測可能な罰の執行こそが毎日の意思決定における鍵なのだ.
  • 最近の大規模なメタアナリシスは,暴力犯罪減少のための最も効果的な戦術は焦点を定めた抑止戦略であることを示している.まず犯罪頻発地域に焦点を当てる,さらに暴力的な個人や特定グループにフォーカスする.そして許さない行為を明確にしてそれを行えばどうなるか警告する.その上で実行するのだ.
  • もう1つの効果的な方策は認知行動セラピーだ.これは精神分析的なものではなく,衝動的な犯罪者に自己コントロール戦略を教え込むものだ.アンガーマネジメントと社会スキルトレーニングにより挑発に対するトレーニングを行うことができる.
  • 無政府状態,衝動と並ぶ犯罪要因は(ドラッグなどの)密売だ.実際に禁酒法時代に暴力犯罪率は上昇した.マリファナの合法化は1つの方法なのかも知れない.攻撃的な摘発よりも薬物法廷の方が効果的だというエビデンスもある.
  • これらのエビデンスベースの解決策に抵抗するのが「想像力だけによる解決策」推進者だ.スラムクリアランス,銃の買い入れ,ゼロトーラレンスポリシング,三振アウト政策などなどだ.彼等はガンコントロール政策にもエビデンス不要だとして反対する.

 
 
殺人率の歴史的な推移については前著の議論の繰り返しになっているが,1960年代以降の犯罪率の逆転,1990年代以降の急低下についてはより詳しく議論し,さらに解決策についても具体的に踏み込んでいる.前著以降様々な議論に巻き込まれて考えが深まった部分ということだろう.