「進化心理学を学びたいあなたへ」 その20

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ


6.5 進化に興味を持つ人達への4つのアドバイス ジェフリー・ミラー

 
ジェフリー・ミラーはヒトの心理と知能は性淘汰によって大きく形作られていると主張する進化心理学者で,その著書「The Mating Mind」がベストセラーになったことでも有名だ.またヒトの消費行動やマーケティングについても進化的な視点から分析している.ここでは自分がこれまでたどってきた道と若い研究者向けのアドバイスが述べられている.
 

  • コロンビアで学部を卒業したあと,1987年にスタンフォードで認知心理学の院に進学した.そこで認知心理学はあまりに退屈な空理空論に思えてきたときに,当時私に指導教官の下にポスドクとしてきていたコスミデスとトゥービィからヒトの本性の研究への進化理論の適用可能性を知ることができた.
  • しかしどのように研究を進めていいかわからなかったので,友人のピーター・トッドと遺伝アルゴリズムを使った神経ネットワークの研究を行った.これによりサセックスでポスドクの職にありつき,人工生命と進化ロボット工学を研究することになったが,やっているうちに自分は本当は人間心理に興味があることに気づくことになった.
  • スタンフォードにいる頃から性淘汰には興味があった.性淘汰の理論は当時(1990年代)ようやく進化生物学の中で注目を集めるようになっており,手に入る限りの論文を読みあさった.そして配偶者選択はヒトの心理に大きく影響を与えているに違いないと思うようになった.これは2000年に出した「The Mating Mind」やそれ以降の私の研究の大半の基礎になっている.
  • 2001年にニューメキシコに移った.そこにはギャンゲスタッド,ソーンヒル,カプラン,ランカスターなどの研究者が集まっており,進化心理学の研究の中心地の1つだった.テニュアをとる初めてのチャンスでもあり,「The Mating Mind」で展開したアイデアをどう検証するかに一心に取り組むことができた.そしてもっと個人差について,知能,パーソナリティ,精神病理,行動遺伝学という観点から勉強しなければならないことに気づいた.ここ数年は進化心理学と個人差を統合するために多くの時間を割いている.
  • とりわけ力を注いでいるのが,ヒトの心の特性を性淘汰や社会的な淘汰の中で現れた適応度指標と見做して分析することだ.これは精神病理や女性の排卵周期と心理の関係というテーマにもつながっている.

 

  • 1990年代後半にロンドンのUCLで働いているときに経済学的意思決定と消費者行動にも興味を持った.広告やマーケティング,プロダクトデザインは現代文化の中心で,進化心理学はこれにも注目すべきだと思ったのだ.これが「Spent」といくつかの研究につながった.
  • 最近ニック・マーティンの遺伝的疫学研究グループでサバティカルを過ごし,多変量行動遺伝学とゲノムワイド関連分析についても学ばなければと思うようになっている.

 

  • 進化心理学のこれまでの発展は一様ではなかった.配偶行動,育児,集団生活,身分や地位,攻撃性の研究は大きな影響を持ち,発達,精神疾患,パーソナリティ,言語,知能,感情,意思決定の研究にもそれなりの影響を与えている.しかし認知心理学,産業・組織心理学,消費者心理学,文化心理学,ポジティブ心理学,健康心理学,そしてさらに心理学以外の分野(精神医学,人類学,政治学,経済学,社会学,言語学,哲学,人文学)にはほとんど影響を与えていない.
  • これらはこれからの若い研究者たちによって埋められていくだろう.私からの助言:他分野の研究者と話すときにはどんな問いにも答えられるかのような傲慢な進化心理学者になってはいけない.学際研究には相互信頼,社交術,進んで学ぼうとする姿勢が重要だ.
  • 進化心理学者が成功するには,進化心理学を理論が不備で資金が豊富な分野(ポストや旅費が容易に得られる),教授一人あたりの学生数が多い分野(新奇な話題が学べるコースを希望する学生の声が反映されやすい),傲慢でなく不安感のある分野(分野を救う新しい考え方を受け入れやすい)に輸出することだ.この観点から見ると経済学は難しく,健康心理学,精神医学,消費者心理学,ポジティブ心理学には受け入れられやすいだろう.
  • 心理学の研究手法はより一層強力になるだろう.特に期待しているのは,嗜好学習ウェブサイトとスマホだ.GoogleやFacebookなどの大手IT企業が持つ膨大な顧客データは彼等に専有されているが,新しい市場に進出する際に心理学者を雇って調査したり,共同研究が持ちかけられるかも知れない.スマホを使えば,膨大な数の参加者を用いた心理学実験が,位置情報などのフィールドデータ付きで可能になるかも知れない.
  • 進化心理学に興味を持つ若い人への4つのアドバイス
    1. グローバルな視点を持とう.英語が通じて中国人学生に友好的な最高の大学に進み,そこから進める最高の大学の職を得よう,そして望むならそこから中国に戻ることだ.
    2. 英語を一生懸命に勉強しよう.英語は21世紀を通じて科学界の共通言語であり続けるだろう.英語のネイティブスピーカーと共同研究をすれば論文が非常に明瞭になる.受理されるには作文能力も重要なのだ.
    3. 進化心理学の求人がとても少ないことは理解しておこう.テニュア付きの教授職の公募が出やすいのは認知神経科学,臨床心理学,社会心理学,健康心理学,パーソナリティ心理学,行動遺伝学,統計法などの「ホット」な領域だ.これらのどれか1つ以上の領域で研究スキルを取得し,講義を受け持ち,論文を出版し,学会に行き,指導的な研究者とつながりを持ち,小規模な研究助成金を複数回得ておこう.
    4. 特に有益な技術スキルは,脳イメージング,多変量統計学,多変量行動遺伝学,ゲノムワイド関連分析,進化理論,集団遺伝学,適応的行動のコンピュータシミュレーション技術,生態学的に妥当な相互作用実験の計画法だ.多くの欧米の学生はこれらが修得できるほど賢くないか,勤勉でないか,数学的素地が足りない.このほか小規模人類社会や野生動物のフィールド経験は進化心理学分野では尊敬される.

 

  • まとめると中国の進化心理学の未来は明るいということになる.早ければ2020年には大規模データ,スマホ,全ゲノム解析,安価な脳イメージング,神経遺伝子発現の動物モデルが心理学の世界に革新をもたらすだろう.ナノテク,仮想現実,知能増進薬剤も視野に入ってくる.あなたがヒトの起源や本性を探求するというこの大冒険に参加したいと思ってくれたら幸いだ.

 
 
やはりミラーの文章は面白い.最後のアドバイスも実践的で渋いものだ.私的にはミラーの研究上の興味がどのように性淘汰から消費者行動へ広がったのか,そしてパーソナリティ個人差へのこだわりの背景がわかって有意義だった.


ミラーの本


ヒトの様々な特徴が性淘汰産物であることを説得的に論じた本.初めて読んだときはまさに目からウロコだった.

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature


同邦訳

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)


マーケティングと個人差について扱っている本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101009/1286588967

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior (English Edition)

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior (English Edition)


同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学



進化心理学を応用したオタクのためのもてるためのハウツー本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180101/1514810891

Mate: Become the Man Women Want (English Edition)

Mate: Become the Man Women Want (English Edition)



コラム6 ヒトの繁殖戦略と生活史戦略,そして現代環境 長谷川眞理子

 
本書邦訳本の最後を飾るコラムは長谷川眞理子の手になるものだ.
 

  • 自然人類学の教室で野生チンパンジーを研究して博士号をとり,行動生態学をやりたいと考えてケンブリッジでシカや野生ヒツジの研究を行った.しかし帰国してもそのような研究ができる職を得られず,行動生態学を本格的に研究するという希望は消えていった.
  • 進化心理学を目指すきっかけになったのは1990年に参加した2つのシンポジウムだった.
  • 1つはシチリアで行われた「ヒトと動物における子どもの保護と虐待」についてのもの.そこでは一流どころの行動生態学者と濃密な議論ができた.そしてそこでマーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンに出会えた.
  • もう1つはサンタクルスでの女性研究者のみ参加の「メスの生物学と生活史」にかかるシンポジウムだ.そこでは行動生態学的なテーマと共に,「性差が存在している進化的理由を理解しているわれわれ女性研究者はフェミニズムとどう向き合っていくのか」というテーマが柱になっていた.当時の私はそんなことを全く考えていなかったので,自分の浅さを突きつけられたシンポジウムになった.以降,この問題については社会的にも発言するようにしている.
  • 夫の長谷川寿一は心理学者であり,心理学と自然人類学という2つの異なる分野で育ちながら野生霊長類の行動生態の研究を一緒にやってきた.長らく2人で研究の話をしながら過ごしてきたことが最終的にヒトの心理と行動を進化的に探求することにつながった.それはある意味必然だったのだろう.
  • しかし実際にヒトの研究にどう取り組めばいいのかはなかなかわからなかった.それがはっとわかったのは,マダガスカルでクローニンの「アリとクジャク」を訳しているときだった,そこではコスミデスとトゥービィの4枚カード問題の研究が紹介されていた.それを読み,進化環境で出合った諸問題,ヒトの脳の働きと領域固有性,文化と言語の役割が有機的につながり,私の頭の中で整合性を持ってつながるようになったのだ.それ以降,マーティンとマーゴに促されて日本の殺人の研究に取り組み,学会を作り,新学術領域で思春期の研究を始めるという具合に続いてきた,
  • 今後は「少子化は何故起こるか」の説明を含めヒトの繁殖戦略と生活史戦略を統合する研究を進めていきたい.それには文化と言語の役割に関わる新たな視点も必要だと考えている.また現代環境がいかにヒトにとって「新奇」でありそれがどんなストレスをもたらしているかについて発言していくことも進化心理学者の義務だと思っている.
  • 若い人達には大きな絵を描くことを常に心がけた上で,その大きな問題を取り組み可能な問題に分割して緻密な研究を展開して欲しい.研究とは大きなジグソーパズルを書くことだと思っているから.

 
 
サンタクルスの女性限定シンポジウムの企画はいかにもアメリカ的で面白い.最後の言葉も味わい深い.どこかでジグソーパズルも趣味の1つだと書かれていたと思うが,そういう意味合いもあったのかもしれないと思わせる.ここまでの経緯と若い研究者への助言がコンパクトにまとまっていて最後に収めるのにふさわしいコラムだ.


<完>