Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2018/02/13
- メディア: Kindle版
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第12章 安全 その2
ピンカーは殺人に続いて,その他の事故に関する安全を取り上げる.
- 前著「The Better Angels of Our Nature」を書いた時に,「人の命の価値は過去安かったが,だんだん貴重になってきた」というアイデアを持っていたが,それに自信はあまりなかった.それは証明不可能だしほとんど循環論法のようだったからだ.だから私は現象により近接した要因,例えばガバナンスや貿易などで説明しようとしたのだ.
- 刊行後,それについて少し考え直すようになった.私は車を買い換えようと考えて「Car and Driver」誌を手に取ったのだが,そこには「数字で示す安全:交通事故死率は歴史上最低になった」という記事があった.そこには1950年から2009年までの事故死率の推移グラフが掲載されていた
- そこにははうねりながら1/6に低下する(私にとっておなじみの)形が現れていた.しかしこれにはドミナンスや憎悪は何の関連もない.いくつかの力の組合せが事故死率を着実に低下させてきたのだ.そしてそれは命がより貴重になっていることを示しているようだった.
(ここで1920年から2015年まで伸ばしたグラフが示されている.1920年からだと1/24に低下していることになる.ソースはNational Highway Traffic Safty Administration)
- いくつかの力とは技術,商業.政治,そしてモラルの力だ.ラルフ・ネイダーをはじめとするモラル騎士が自動車会社に突撃したのは有名だ.しかしグラフはそれ以前から低下を始めている.1956年のフォードはシートベルト,ダッシュボードとバイザーのクッション,縮退式ハンドルなどを組み込んだ「ライフガードパッケージ」というオプションを用意している.そしてエンジニア,消費者,訴訟,政府官僚たちがスロープを登らせ始めたのだ.車の安全性能は上がり,安全規制が強化され,安全な道路網が整備された.交通法規も改正され,ドライバー教育もなされるようになりさらに安全性は向上した.多くの命が救われたのだ.
- これはアメリカだけ起こったのではない.裕福な先進国では例外なく生じたことだ.富は命を買うのだ.
- 交通事故死が減少したとしても,そもそも自動車が事故死を増やしたのならそれには疑問もあるだろう.しかし自動車以前の社会がより安全だったわけではない.馬によるリスクは車のそれよりも10倍高いという試算もあるのだ.
- (ロサンゼルスに移る前の)ブルックリン・ドジャースはブルックリンの歩行者が疾走する車を避けて道を素速く横断する様子から名付けられたものだ.そして皆がうまく渡れたわけではない.信号,横断歩道,陸橋,交通法規,車の正面の危険な装飾物が消えていったことにより歩行者はより安全に歩行できるようになった.
(ここで1927年から2015年までのアメリカの歩行者の10万人あたり死亡の推移グラフが示されている.2015年だと1930年代のピークの6/1程度になっている.ソースはNational Highway Traffic Safty Administrationほか)
- 2014年のアメリカの年間死者が5,000人だというのは(テロによる44人と比べると)ショッキングだが,1937年の死者は15,500人だった.人口は2/5で自動車は遙かに少なかったにもかかわらずだ.そして近い将来,自動運転技術の普及によりこの数字はさらに下がるだろう.
- ヒトのリスク把握についてはよく飛行機は自動車より遙かに安全なのに人々が不安がることが指摘される.そしてこの不安は航空機のさらなる安全向上に役立っている.1970年には航空機事故で死亡するのは乗客百万人あたり5人だったが,2015年にはそのリスクはさらに1/100になっている.(その推移グラフも示されている.ソースはaviation Safety Network)
- 自動車や航空機の発明より以前から人々の周りには危険がいっぱいだった.ヨーロッパ中世では,両親が働いている間,子どもたちは劣悪な環境に放置されていた.チョーサーにある,子どもを喰らうブタのイメージは現在では突飛もないものだが,当時の子どもたちへの動物による危険を反映したものに違いない.
- 大人たちも危険に取り巻かれていた.当時の死因を調べたWebsiteによると,腐った魚による食中毒,窓に登っていて挟まれる,泥炭に押しつぶされる,背負い籠に取り付けていたロープで首が絞まる,狩猟の際に崖から落ちる,ブタの屠畜の際にナイフの上に倒れるなどの歴史記述があるそうだ.ガス灯や電灯の発明までは,夜歩きは常に水路での溺死のリスクを伴っていたのだ.
- 今日,赤ん坊がブタに食われる心配はなくなった.もちろん危険がなくなったわけではない.自動車事故につぐリスクは,墜落,溺死,やけど,毒物などだ.そもそもそれを知ることができるのは事故についての分析と詳しい統計があるからだ.分析の結果は政策に反映されて,世界はより安全になっていく.アメリカ人が事故死する確率は1930年代に比べると70%減少している.
(様々な10万人あたり事故死の推移グラフが示されている.墜落,溺死,やけど,毒物(気体)はいずれも大きく減少している.薬物(固体・液体)のみ近年リスク上昇している.ソースはNational Safety Councilほか)
- 溺死とやけどは90%減少している.ライフジャケット,水泳時の教示,消防組織の整備,消火設備の充実,安全教育などが寄与しているのだ(歴史的経緯について詳しい説明がある)石炭ガスから天然ガスへの転換,ガス器具の安全対策の向上によりガスによる中毒死も大きく減少した.
- 例外は毒物(固体・液体)だ.最初私はこれが理解できなかった.実はこれにはドラッグ中毒死(92%)とアルコール中毒死(6%)が含まれているために1990年頃から大きく上昇しているのだ.農薬などによる死亡事故はこの数字の0.5%以下だ.つまりこれは生活環境から来る事故死の減少傾向の例外ではない.別の薬物中毒リスクの上昇を示しているということになる.薬物中毒リスクは1960年代の幻覚剤流行時から上昇し始め.1980年代のコカイン・クラック,そして最近の(医療性鎮静剤を含む)オピオイド流行につながっている.このオピオイド禍についてはいくつか対策が採られ始めていて,減少していくことが期待される.またこの中毒の中心は(ドラッギーベイビー世代とも言うべきコホートである)中年世代であることにも注意が必要だ.最近のティーンエイジャーたちは以前よりも健全になっている.高校生のアルコール,タバコ,ドラッグの使用は統計を取り始めた1976年以来の最低レベルにあるのだ.
- アメリカ経済が製造業からサービス業へ転換するにつれて,かつての工場や鉱山が盛んだった時代を懐かしむ風潮がある.しかし昔の製造現場は非常に危険な場所だった.(当時の状況が詳しく解説されている)事故は不運だったと片付けられ,運命だと受け入れることが求められていた.(このためaccidentという単語自体に運命的な意味が付着してしまった.だから今日のリサーチャーはこの単語を避けて事故についてunintentional injuryという用語を用いる)
- 製造現場が変化し始めたのは19世紀の終わりになってからだ.労働組合が組織され,マスコミも原因を追及するようになった.政府もデータを集め始めた.鉄道を例にとると10万人あたりの事故死は1890年代には852もあり,エアブレーキを義務づける法律が制定された.さらに欧州から雇用者の補償義務の法制が持ち込まれた.これは経営,そして保険会社の動機付けを変えた.企業は安全に留意するようになったのだ.そして同じ生産性を保ちながら事故死を減らすことは達成可能なエンジニアリングの問題だという理解が広まったことも大きい.結果は明白なものになった.
(10万人あたりの事故死の推移が示されている.1910年代の60が2010年には5以下になっている.ソースはBureau of Labor Statisticsほか)
日本でも交通事故死は人口増加と自動車の台数増加にもかかわらず,昭和40年代に比べて大きく減少している.生活環境,労働環境も高度成長時に比べると遙かに改善された.日本の薬物中毒死の推移については明確な統計は見つけられなかったが,検挙数等はほぼ横這い(大半が覚醒剤で,危険ドラッグ取り締まりも強化中.オピオイドはあまり問題になっていないようだ).アメリカのような状況ではないようで一安心というところだろうか.