- 作者: サミュエル・ボウルズ,ハーバート・ギンタス,竹澤正哲,高橋伸幸,大槻久,稲葉美里,波多野礼佳
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2017/01/31
- メディア: 単行本
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本書は経済学者のサミュエル・ボウルズと,同じく経済学者でゲーム理論家でもあるハーバート・ギンタスにより書かれた「ヒトの利他性の進化」についての本だ.基本的にはヒトの利他性の進化は,血縁淘汰,直接互恵性,間接互恵性などのこれまでの進化生物学者の議論では説明できず,それはマルチレベル淘汰,遺伝子と文化の共進化でのみ説明できるのだと主張されている.原書は2011年の出版で,原題は「A Cooperative Species: Human Reciprocity and Its Evolution」.訳者は竹澤正哲,大槻久,高橋伸幸ほかで信頼できるこの分野の手練れの学者たちだ.
ヒトには明らかに利他的な動機に基づく行動傾向がある.これを進化的にどう説明するかはダーウィン以来の難問だが,1960年代以降,包括適応度(血縁淘汰),直接互恵性,間接互恵性などにより様々な説明がなされてきた.近年の一般的な受け止め方は,これらがそれぞれに効いているのだろうというものだが,これに対して(DSウィルソンの熱心な布教の結果)グループ淘汰的な説明を好む論者が最近勢いを増している.(DSウィルソン自身はそうではないが)これらの論者の多くはあまり進化理論を理解しないままずるずるのナイーブグループ淘汰的な主張を行うという残念なものになっているが,本書は,ナイーブグループ淘汰には陥らずにきちんと数理的に議論を行っているところ,さらに文化と遺伝子の共進化を取り入れて罰や道徳規範の内面化の問題についても考察されているところが特徴になる.
ただし著者たちの主張にはいくつかの見過ごせない問題点がある.ひとつは包括適応度理論(血縁淘汰)とマルチレベル淘汰の数理的な等価性を無視し,血縁淘汰を「血縁に基づく淘汰」という独自のネーミングとともに矮小化させたうえで批判していること,そして直接互恵性,間接互恵性の説明を進化理論への初歩的な誤解から棄却できると勘違いしていることだ.そして本書ではそこについて実に丁寧な訳者による解説がある.これから本書に取り組もうとする読者には,まずこの訳者解説を熟読してから本書に取りかかることを強く勧めたい.
第1章 協力する種
第1章では,問題の見取り図が示される.ヒトには心から他人の幸福を気にかけるという利他的な動機がある(著者たちはこれを「社会的選好」と呼ぶ).そしてこれまでの血縁淘汰,直接互恵性,間接互恵性では「再会する可能性のない赤の他人を気にかける」「匿名と教示されても利他的に振る舞う」ことが説明できないと断じている.
この部分の議論を吟味するとわかるのは.著者たちは,直接互恵性や間接互恵性の説明は「個人がその条件や結果について認知し意識的に判断してそうしている」という説明だと誤解しているということだ.これは本書の価値を大きく下げている部分になり,後の章でも繰り返し示される.またここでは著者たちによる進化生物学書の引用がいくつもあるが,それらの主張をちゃんと理解せずに書名だけから中身を断定していることが暴露されている.要するに著者たちは「利他性の進化」というトピックを扱うにあたってきちんと進化生物学の理論を理解しないまま行っているのだ.
第2章 人間における利他性の進化
第2章では本書のアプローチが説明される.行動については経済学的に「信念・選好・制約アプローチ」をとると宣言される.これは個人は自分が理解している世界の因果や秩序を前提にして自分の選好関数の最大化に向かって行動するということを意味している.(実験室における囚人ジレンマゲームなどの)観察によると,このフレームにおいてヒトは利他的な要素を含む選好関数を持っていることが明らかだ.著者たちはこれを「社会的選好」と呼び,それがどのように進化したのかを探索する.そして遺伝子レベルの進化だけでなく,文化進化を合わせて考察するというのが著者たちのアプローチになる.
本章でもドーキンスを誤読した引用や,主流の行動生態学のアプローチへの誤解などが散見される.ともあれまずアプローチ法の説明ということで,本書全体の議論の理解のための前提となる部分になる.
第3章 社会的選好
ここでは「社会的選好」が実在することについて詳しく論じられる.著者たちの主張は以下のようなものだ.
- 囚人ジレンマゲームや贈与交換ゲームにおけるプレーヤーの選択からみてヒトに「社会的選好」があるのは間違いない.罰あり公共財ゲームにおける罰の行使も同じだ.
- 罰行使には文化差がある.これらは文化と制度の重要性を示している.
- 「不満の表明」という抽象的な罰も効果を持つ.第3者罰もみられる.これらは罰が利得の最大化に向けてなされていないことを示している.これらは社会的選好があることで説明できる.
ヒトに利他的な動機があることは明らかであるので,なぜその遍在性についてここでこんなに力説しているのか,最初は奇妙に感じられる.そして読み進めていくとそこには著者たちの行動生態学や進化心理学にかかる大きな誤解,そして「誤解に基づく代替説明の棄却」の主張があることがわかる.
まず「社会的選好」は利他的行動にかかる至近的メカニズムと解釈でき,それは血縁淘汰(包括適応度理論)や直接互恵性,間接互恵性からの説明が可能な部分だ.しかし著者たちは血縁淘汰,直接互恵性,間接互恵性からの説明が「血縁認識」「後日の取引の可能性とその結果当該行動が自己利益につながるという意識的認識」「当該行動が評判形成に関わりそれが自己利益につながるという意識的認識」を前提にした至近的要素を含む説明だと誤解している.だからこのような意識的認識がない条件で社会的選好を示せれば血縁淘汰等の説明を否定できると考えて無駄に力が入っているのだろう.
またこの誤解は「実験者のインストラクションは完璧であり,ヒトはそれを全面的に受け入れて行動するだろう」というヒトの心理の微妙さを無視した解釈と合わさり,様々な「ヒューリスティックスの誤射」の可能性が無視されることにつながっている.例えば「匿名」を教示された際にとる行動は「評判とは全く関係ないはずであり,間接互恵性の説明はあたらない」と主張されている.進化環境で「誰にも言わないから」と言われてそれを信頼して利己的に行動した場合にどのような悪評が立つかちょっと想像すればわかりそうなものだが,著者たちはそういう問題について気づいてもいないのだろう.この理論の誤解とヒトの評判形成の微妙さに全く注意を払わないことによる代替説明の棄却は本書の最大の弱点だと言えるだろう.
第4章 ヒトの協力の社会生物学
冒頭でまたも誤読に基づくドーキンスの引用があり,その後利他性の進化理論の学説史が簡単に紹介されるが,ここではハミルトンを矮小化させ,血縁淘汰のうち「家族的血縁に対して血縁認識に基づくもの」をとりだした「血縁に基づく淘汰」という概念を作って,それに対して批判を行っている.このあたりは既往の理論を否定したいという動機に基づくものだろうが,我田引水振りが強烈でなかなか醜悪な部分だ.
そこから著者たちのマルチレベル淘汰の数理的な解説がある.基本方程式はプライス方程式を再帰的に代入することにより作られたハミルトン提唱の基本方程式とほぼ同じものだ*1.著者たちの工夫としてはわかりやすいグラフを掲載しているところ,「分散比」FST(グループ間分散の集団全分散に対する比)との関連を示しているところだ.
ここから著者たちは「弱いマルチレベル淘汰」という概念を提唱している.これはグループ内で頻度依存淘汰の結果,2形質が共存したり(負の頻度依存の場合),初期頻度に応じてどちらも平衡になったり(正の頻度依存の場合)する際に,グループ間淘汰の影響が働くというもので,いかにもゲーム理論家らしい着眼点で,ちょっと理論的に面白いところだ.
本章の中盤はゲーム理論的な側面からの代替説明の棄却に関するものだ.
まず直接互恵性的な説明へのゲーム理論的な批判が載せられている.著者たちは繰り返し囚人ジレンマゲームにおける(しっぺ返しなどの)直接互恵的な協力は,2者間でかつ繰り返し確率が高くないと成立しないことを指摘して,よく見られるヒトの協力はそれでは説明できないと主張している.私には,このケースの協力が2者間でしか成り立たないという結論は,むしろ繰り返しゲーム実験の設定の不自然さ*2による問題ではないかと感じられる.
次に罰についての間接互恵性的な説明への批判がある*3.著者たちの主張は「多人数公共財ゲームが協力解を持つための噂を通じた裏切り者への罰システムは噂の真実性が保てないから成り立たない」というごく狭い部分についてのものだが,噂話がある程度信頼できるようになる様々な説明に注意を払っている気配はない.
ここで示されている代替説明の棄却は第3章でみられるほどむごいものではないが,ゲーム理論における特殊な状況にこだわりすぎていて,やはり納得感がないものだ.
なおここでは,ハンディキャップシグナルとしての利他性の説明*4について,「ハンディキャップが利他性でなければならない理由がない」が,「弱いマルチレベル淘汰の結果それが有利になることはあり得るだろう」としている.著者たち自身もこれ以上深入りしていないが,ちょっと面白い指摘かもしれない.
ここで著者たちによる利他性進化の諸説明の整理がある.(著者たちにより矮小化された)「血縁に基づく淘汰」とマルチレベル淘汰は正の同類性(利他的な個体が利他的な個体と相互作用しやすい)がキーになること,直接互恵性,間接互恵性,シグナルは,コストのある利他的行動も長期的にはその個体にとって有利であるという説明であり厳密には利他的ではないということを指摘する.このあたりはその通りということになろう.
そして繰り返し囚人ジレンマゲームで得られた様々な利他性進化条件式を示し,それぞれ異なるダイナミクスを持つかのように整理している.しかし,これらはハミルトンによって1970年代に拡張された包括適応度理論(血縁淘汰)では同じフレームで理解できるものだ(条件式が異なるように見えるのは,包括適応度的に表現すべきb, cとゲームのペイオフに現れるb, cは定義が異なり同値にならないからに過ぎない).このあたりも本書を読む際には注意すべきところになるだろう.
そして最後に著者たちは(またも進化理論の誤解を示して)直接互恵性や間接互恵性で利他性が進化したならばそれは動機に現れるはずだと主張し,現実に見られるヒトの利他性はグループ内のメンバーへの団結心や寛容性が含まれており,マルチレベル淘汰と整合的だする.ここは第4章に引き続いて本書の価値を下げている部分といわざるを得ないだろう.
第5章 協力するホモ・エコノミクス
第5章では,経済学のフォーク定理からヒトの利他性が説明できるかどうかが吟味される.フォーク定理は繰り返し囚人ジレンマゲームにおいても「双方常に裏切り」以外の均衡解が実現可能であることを示している.しかしどのようにすればそれが実現できるかを教えてくれるわけではない.著者たちは様々なケースを吟味し,情報の正確性が重要であること,相関均衡の場合には(社会規範などの)相関装置により実現可能になることを指摘する.本章の記述は難解だが,結局結論は「既往の経済学理論でヒトの協力の起源を説明できない」ということであるようだ.ここはその通りだろう.
第6章 祖先人類の社会
著者たちはマルチレベル淘汰による利他性の進化条件をヒトのEEAは満たしていたのかを考察する*5.
まずEEAではバンドの規模は比較的小さいが,広域の交易ネットワークがあり,こういう市場では取引が繰り返しか1回限りかを区別して1回限りの場合には裏切るように進化したはずで,直接互恵性による利他性進化の条件を満たしていないと主張する.しかし間接互恵性の評判まで考慮すると,裏切るようになるはずだという議論は乱暴だろう.
続いてマルチレベル淘汰による利他性進化条件として,FSTが吟味される.これによるとEEAにおけるFSTは0.05〜0.15程度と推測され,協力の進化が可能になるには非常に大きなb/cが必要になる.そして部族間戦争はその大きなb/cを可能にすると考察を進め,考古学的なデータからその可能性が高いことを示唆する.また狩猟採集社会の民俗学的研究からは規範維持のための連携した罰がみられることを指摘する.
考古学データの抽出,解釈についてはいろいろ議論があるところのようだ,なおこの章はEEAの推測までで,これによる利他性進化の議論は第7章〜第9章に持ち越される.
第7章 制度と協力の共進化
本章はヒトの利他性進化にかかる著者たちの主張の中心部分になる.まずマルチレベル淘汰方程式を復習した後,繁殖均等化文化(食物をグループ内で分け合うなど)があると利他性進化条件が緩むことをまず解説する.次に第6章のFST推定値では非常に大きなb/cがないと利他性進化の条件を満たせないが,この繁殖均等化文化と,負けた方が全滅するというグループ間闘争があると(戦死確率は上がるが属するグループの戦争勝利確率を上げるような)利他性進化が可能であることを,モデルを建て,様々なパラメータを推定しながら主張する.またこの利他性進化と繁殖均等化文化の共進化過程をシミュレーションで示す.彼等の結論は以下のようなものになる.
- マルチレベル淘汰による利他性進化の条件は厳しいが,負けた方が全滅するような集団間戦争がある程度の頻度で生起するなら(そして利他的戦士の存在が勝利確率をある程度以上上げるなら)それは満たされうる.そして考古学的証拠をみると少なくとも一部の人類の初期集団にはその初期条件を満たすものがあっただろうと推測できる.
- またモデルはマルチレベル淘汰による利他性と,繁殖均等化などの利他性進化条件を緩和する文化が共進化しうることを示している.(繁殖均等化文化はそれにより不利になる個人も存在するという問題に関しては)これは初期条件として一部の少人数の集団で何らかの理由で最適反応系としてその文化が成立するという状況があればよい.
この本書の中心となる議論についての私の感想は以下の通りだ.
- マルチレベル淘汰の進化条件は,理論の等価性からみて包括適応度理論(血縁淘汰)による進化条件と同じものだ.また通常の狩猟採集生活でこれが満たされることは難しいというのはその通りだろう.(だからこそ主流の進化生物学の議論は直接互恵性や間接互恵性を考察することになる.)
- しかしそこからの著者たちの議論は強引すぎて受け入れられない.
- まず利他的戦士の頻度が高い方が戦争に勝ちやすいのかということについては何のエビデンスも示されていない.グループ内の総生産を高めるには相利的な状況における協力(それ自体は個体淘汰で説明できる)の方がはるかに重要だと思えるし,戦争の勝ち負けは,軍事技術,軍事的戦略,強いリーダーシップ,残虐な規律のある軍隊の存在に大きく依存するだろう.そして戦争の影響を考えるなら利他性だけでなく権力者による操作の観点も考察すべきだ.戦争が利他性進化にとっての大きな淘汰圧だという議論には賛成できない.
- またこのシナリオで利他性が進化したなら,死をも恐れない戦う戦士としての自グループに対する無条件の利他性が観測されるはずだが,実際に生じる(手榴弾の上に伏せるなどの)「戦友のためなら自分の死も厭わない」自己犠牲的かつ勇敢な行動は,「自分の背中を預けられる」様な絆を持った数人程度の少数の仲間間でのみ観察されるものだ.さらにもし戦争における無条件の勇敢さが進化するとしてもそれは「1回限りの相互作用における赤の他人への親切心」とは別の心理モジュールになり著者たちが目指す「社会的選好」一般を説明できるものとは思えない.著者はおそらく進化においてどのような心理的傾向が適応として生じるかについてよくわかっていないのだろう.加えて,これが一般的社会的選好進化のシナリオならそこに大きな性差が生じるはずだが,実際には観察されないし,著者たちはそこに思い至っている様子もない.
- 繁殖均等化文化との共進化については,著者たちのモデルは文化が最適反応系だということが前提になっている.繁殖均等化文化はそれによって不利になる個人がいるので普通は最適反応系ではない.著者たちのモデルは一部の少人数グループにおいてそうなりうるなら,その後は利他性と共進化できることを示している.(著者たちは第9章で議論される連携罰によりこの初期条件が可能になると考えているようだ)
- しかし著者たちは仮に初期条件で最適反応系だったとしてもその後もそれが保たれるかどうかについては吟味していないように思われる.これが必ず保たれるかどうかは疑問だ.さらに実際に狩猟採集民でみられる食物分配は大型の狩猟による獲物が中心であり,それはそのように気前よく振る舞う有能な狩人がより良い繁殖機会を期待できることから説明可能だ(そしてそれはこのような文化が実は見かけほど繁殖均等化にはつながっていない可能性を示唆する).著者たちのシナリオでは繁殖均等化が肉の分配によらなければならない理由はなく,(採集によって得られる食糧を含む)それ以外のリソースの分配があまりみられないことは説明できないだろう.
- さらに,もしヒトの利他性が文化との共進化の産物であれば異なる文化の下では異なる利他性があるということになる.これは利他性についてのヒューマンユニバーサルを否定することになるが著者たちはそう考えているのだろうか.あるいは後期更新世において(出アフリカ前に)特定の制度文化を持った集団がすべての人類集団を皆殺しにして,その制度とそのグループの子孫のみが残った結果であり,その後は一切文化と遺伝子は共進化しなくなったという主張なのだろうか.いずれにせよこの制度と遺伝子の共進化を,現在のヒトの本性のユニバーサルな性質を与えた主要因と考えるのは難しいだろう.
第8章 偏狭さ,利他性,戦争
第8章では著者たちはヒトに見られる内集団ひいき,外集団への敵意を,「実はそれは(戦闘における死傷リスク,つきあう相手を狭めてしまうことによる損失などの)コストがあるのになぜ進化したのか」という問題意識から考察する.そして偏狭さと利他主義(勇敢さ)の共進化のマルチレベル淘汰モデルを組み立て,それが共進化可能であることを示す.*6
ヒトに内集団ひいき,外集団への敵意が存在することは疑いない.しかしこれらは個体にとって祖先環境で本当にネットでコストがかかる性質だったのだろうか.単にその方が有利だったからという個体淘汰的説明で十分説明可能なように思う.この章の議論は本筋からそれた問題意識による無駄に凝ったモデルの提示という印象だ.
第9章 強い互恵性の進化
ヒトにはかなり強い規範逸脱者に対する加罰傾向がある.これは規範維持,協力推進に役立つが,罰にはコストがあるからこれは利他的性質であり,どのように進化したのかが問題になる.著者たちはシグナル,公共財ゲーム,罰という3ステージによるマルチレベルモデルを提示して罰の進化を説明しようとする.
モデルはなかなか凝ったものだが,ポイントは「罰行使者が多いと1人あたりの罰コストが非常に小さくなる」「協力するかどうかは罰が行使されるかどうかで決まり一旦罰が行使されるとその集団はその後みな常に協力に転じる」という前提で,最終的な罰行使者頻度はパラメータに応じた2つの安定均衡を持つことになり,罰行使者の初期頻度によってどちらに到達するかが決まる.そしてこのモデルを罰行使者が少ないという初期条件,そして現実的なパラメータの元でシミュレートすると,偶然どこかの集団で罰行使者が臨界値に達するとその集団で協力が成立し,さらにグループ間淘汰で有利になり,利他的な罰行使者のある安定均衡に達することが可能になることが示される.
凝ったモデルだが,結果は常識的でわかりやすい.罰の成立するポイントはそのコストが小さく,効果が大きければ良い(そうすればネットで利益になるので二次のフリーライダー問題が生じない)というものだ.連携により罰コストが小さくなるというのは十分あり得るし,狩猟採集民で観察される村八分的な罰はこれに近いので,これは面白い指摘だと評価できる.ただしモデルの前提として効果が極めて大きいこと(グループ内で一度罰が行使されると以降すべて協力を選択する)が前提になっていることと,罰リスクの重要な部分を占める報復リスク,連携を崩そうとする動きについて深く考察されていないのは不満が残るところだ.このあたりは将来的な課題という印象だ.
第10章 社会化
本章では著者たちは規範の内面化(道徳規範を持つこと)を説明しようとする.ここもかなり複雑なモデルを組んで,まず「ためになる規範があるなら規範内面化能力自体が進化するだろう」ということ,次に同調圧力が強ければ「一旦規範内面化能力が進化すれば,ためになる規範のメリットの範囲内ならコストのかかる規範もヒッチハイクできる」ことを示す.そして同調圧力の挙動も含めてマルチレベル的にシミュレートすると,コストのかかる利他的規範を持つグループが有利になることにより,それが定着しうることを示す.モデルの挙動として興味深いのはコストのかかる規範を選択的に捨てる能力と同調圧力がどうなるかだが,シミュレートの結果はグループ間淘汰圧によりこれらが一定値に収束し,利他性規範が定着可能な事を示していて面白い.
ただし道徳規範については個体淘汰的にも有利であるとして説明は可能で,著者たちの議論はそれは不利であると決めつけて無理矢理マルチレベル淘汰を持ち込んでいる印象だ.またこのような規範について考察する際に著者たちは権力者による操作の観点を全く考えていない.そこにも不満が残るところだ.
第11章 社会的感情
著者たちは至近因としての社会的感情の説明も試みている.まずここでも複雑な数理モデルを用いて「恥という感情があると協力が増える」という直感的にも明らかな説明を行う.ゲーム理論家としては「意識的な利得判断で戦略を選択する」以外の行動傾向には特別な説明が必要だという思いが強いのだろう.しかし著者たちは恥について「誰かに見られているという要素」は無視している.既に否定した間接互恵性の議論につながるからだろう.
つづいていわゆる短期的利益と長期的利益の相克,あるいは双曲割引の問題が議論される.著者たちは,近視眼的割引は進化環境と現代環境のミスマッチにより生じているのであり,社会的感情はそれを緩和できると主張する.しかしこれは無理筋の説明だろう.ミスマッチがあるなら社会的感情の進化もそれに追いつけないはずだ.社会的感情は特定の社会的環境における問題を解決するために進化したのであり,恥は間接互恵性の評判を保つために重要な至近的メカニズムだと考えるべきだろう.
第12章 結論:人間の協力とその進化
最終章では著者たちはまずこれまでの議論を要約する.そして現代環境では私的契約の強制と政府の規制により協力が保たれるようになっているが,それでも市場が失敗するようなケースはあるのであり,進化によって得られた「社会的選好」は引き続き重要なのだと述べて本書を終えている.
以上が本書のあらましになる.進化生物学の理論をきちんと理解しないまま,上から目線で既往の理論を矮小化し,理論についての誤解から代替説明を棄却できると信じ込むナイーブな態度が本書全体に遍在しており,そういう意味では大変読みにくい書物だ.しかし著者たちが大変有名な経済学者,ゲーム理論家であること,ナイーブグループ淘汰の誤謬に落ち込まずにきちんとマルチレベル淘汰を扱っていることから,本書は,今後ヒトの利他性の進化を議論するには前提としてとりあえず読んでおくことが求められる書物のひとつになってしまっていると考えられ,この分野に興味があるなら歯を食いしばって読むしかない本ということになるのだろう.
最後に私の感想も要約しておこう.
- 既往理論の矮小化は見苦しい.血縁淘汰を「血縁に基づく淘汰」と勝手に矮小化(さらにそれを誤解に基づいて否定)したりせずに,「マルチレベル淘汰と包括適応度理論(血縁淘汰)は数理的に等価であるが,本書は前者のフレームで分析する」としていればはるかに好意的に読むことができただろう.
- 本書の最大の欠点は,理論の初歩的な誤解から直接互恵性,間接互恵性という代替説明を棄却できるとしているところだ.特に間接互恵性の否定は,目の効果の否定や恥の解釈など様々な説明に無理を生じさせており,本書の価値を大きく下げているだろう.
- 本書におけるマルチレベル淘汰の分析はプライス方程式から導出したフォーマルなモデルに拠っており,しばしばみられるナイーブグループ淘汰的なグズグズの著述とは一線を画している.そしてその結果を見ると,マルチレベル淘汰を普通に当てはめただけでは(数理的に等価な包括適応度理論(血縁淘汰)だけでは難しいのと同じく)ヒトの利他性の説明は困難だということが示されている.
- そこで戦争を持ち出して,マルチレベル淘汰による利他性進化を主張するのだが,戦争の帰結がどう決まるか,勇敢な戦士として利他性が進化したなら,現在観察できるヒトの利他性はどのようなものであるべきかという観点について全く考察が浅く,著者たちの議論は受け入れられないと考える.
- 文化と遺伝子の共進化による補強も試みられているが,これもいくつもの問題点があり,利他性進化の主要要因として扱うには無理筋に思える.
- 内集団ひいきと外集団への敵意,連携罰,道徳規範の内面化についてもマルチレベル的な説明が試みられている.連携罰については議論の出発点として面白いモデルだが,それ以外については代替説明に注意が払われてなく,本筋からそれた問題意識についての無駄に凝ったモデルという印象だ.
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ヒトの利他性の進化に関する進化生物学的な本は多い.ただし,最新の議論を含む様々な議論を詳細かつ適切に扱っている総説書は見当たらない.とはいえ参考図書をいくつか挙げておこう.
まず行動生態学のフォーマルな議論を勉強するならこの一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150505
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ヒトの協力について考察した最近の本としてはこれがいい副読本となるだろう.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20180110
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*1:ここもきちんと引用していないところが醜悪だ
*2:特に外側で意思疎通ができずに,相手の意図を過去の手からしか推測できないとする制約は不自然だと思う
*3:ここでは間接互恵性というときにまず採り上げられる自らの評判への影響から親切にするというタイプの利他性は採り上げられていない.これは第3章で匿名のインストラクションに反応しないとして批判済みということだろう
*4:ここもザハヴィのハンディキャップ理論は「信号の信頼性」一般についての理論であるのに,「利他性の説明のために提案された」と書かれていて,著者たちの進化生物学についての理解の浅さを暴露している
*5:なおこの章でも冒頭でトリヴァース,ドーキンス,コスミデスとトゥービイの非適切な引用に引き続いて,誤解に基づく代替説明の棄却が繰り返されている.なかなか冷静に読み進めづらい本だ
*6:なおここでは最後に狩猟採集民における罰つき公共財ゲームの第三者罰についてこのマルチレベル淘汰による「偏狭な利他主義者」からの解釈を試みている.ここも代替説明の棄却がスロッピーで受け入れにくい議論になっている.