「The Hidden Agenda of the Political Mind」

The Hidden Agenda of the Political Mind: How Self-Interest Shapes Our Opinions and Why We Won't Admit It

The Hidden Agenda of the Political Mind: How Self-Interest Shapes Our Opinions and Why We Won't Admit It


本書は進化心理リサーチャーでワシントンの法律家でもあるジェイソン・ウィーデンと進化心理学者のロバート・クルツバンによるアメリカ政治の党派性がどこから来たのかを読み解く本だ.基本的に進化心理学的な洞察をデータで裏付けしていく本になる.アメリカは近年とみに2大政党支持者間の分断が大きくなり,民主党支持のブルーステートと共和党支持のレッドステートにくっきり色分けされていると言われることが多いが,なぜそうなっているのかを扱う.2014年の出版で,残念ながらいかにも興味深い2016年の大統領選挙の話題はないが,進化心理学的な知見「ヒトはインセンティブに反応して行動するが,その真の動機は『後付けの理屈づけをする報道官』に過ぎない『意識』からは隠されている」を元にした考察から生みだされる分析は説得的で面白い.

第1部 政治の心

第1章 行動のアジェンダ

冒頭は2012年の大統領選挙で負けたミット・ロムニーの「オバマの露骨な利益誘導政策に負けた.ヒスパニックには違法移民への赦免,貧困層には1万ドルの給付金,若者には学生ローンの金利補助と無料の避妊だ.それはいつも通り有効だった.金をばらまけば票を得られるのだ.」という発言への(民主党支持者たちからの,そして一部は共和党支持者たちからの)ごうごうたる非難のエピソードから始まる.ここで著者たちは問いかける.ある意味この非難の強さは驚きだ.立候補者の仕事はとどのつまり政策を提示することだ,そしてある政策にはそれにより利益を受けるものと不利益を受けるものがいてもおかしくない.なぜこんなに大騒ぎになるのだろうか.本書は有権者がなぜある政策,政党を支持するのか,そしてそれに絡む現実の複雑性を解明していくものになる.


データをみるとデモグラフィーが投票パターンに大きく効いていることがわかる.人種とエスニシティ,宗教,性的指向,住所(都会か田舎か),教育程度,既婚か未婚か,年齢,性別などだ.分析すると様々なデモグラフィックグループは様々な政治問題にそれぞれ異なる反応を見せる.例えばラティーノアメリカンは移民公民権推進,所得再分配推進を支持する傾向が強い.要するにロムニーは間違ってはいないのだ.
では「保守かリベラルかという区分こそが圧倒的に重要だ」という認識はなぜこれほど強いのか.著者たちは,そういう論者は自分と同じようなデモグラフィックグループの人にばかり偏って会っているからだろうとコメントしている.確かに都会のエリートには同性愛結婚にも所得再分配推進にも賛成するリベラルが多い.しかし,それでも問題をアファーマティブアクション,移民政策,ヘルスケアに広げれば意見はどんどん不一致になってくるのだ.


なぜ著者たちはデモグラフィーにこだわるのか.それはそれが相関を超えて因果に迫るいい手法だからだ.政治のプロは「この政策が誰に受けるか」を知ればそれを元に対応すればいい.しかしなぜそうなのかを知るには因果を考察する必要がある.イデオロギー,政治的パーソナリティ,その他のシンボリックなアイテムと政策の賛否はどこまでも相関分析にしかならないし,因果を語れば循環論法に陥りがちだ*1.しかし誰もある人が所得再分配推進に賛成だからアフリカ系アメリカ人になるとは考えない.デモグラフィーに注目することは,なぜある政策について異なる意見があるのかを考察するいい基礎になるのだ.キーになる問題は「その政党の選択やイデオロギーのラベルはそもそもどうして決まったのか」なのだ.

第2章 利害を調べる

ロムニーへの非難は「人々は利己的動機から投票したりしない」という信念から来ている.しかし一方で「もちろん人は自らの利害に従って投票するはずだ」という言説が巷にあふれている.どちらが正しいのか.
アカデミックサークルの政治学においては前者の見方が支配的だ.例えばジョナサン・ハイトは「何十年にもわたる世論のリサーチは『利害は政策選好について弱い予測しか与えない』ことを示している」と書いている.しかし実際の投票データをみると,アファーマティブアクションに最も賛成するグループはアフリカ系であり,最も反対するグループは白人なのだ.ここから著者たちは様々な政策への賛否について同じような結果になることを次から次に紹介する.結果は圧倒的だ.(なお著者たちはハイトが引用した利己的動機は重要でないと主張するリサーチ結果についてテクニカルな批判を行い巻末付録に載せている)


では人々が感じる利害とは何か.ここから著者たちの進化心理学的な観点からの解説が始まる.

  • 人々は互いに相反する可能性のあるゴールを持つ.そして人々の求めるゴールは単に短期的経済的利害ではない.その基礎には共通性があるが,より複雑で,性別,年齢,属する文化により異なるし,さらに動機はダイナミックで文脈依存的だ.
  • また人々は自分のことだけを気にかけるわけではない,ちょうど進化において行為主体の行動が最大化するゴールが当該行為の受け手の血縁度を考慮した包括適応度として定義できるように,ここでは政策決定において最大化しようとする「包括利害:inclusive interest」を考えることができる.
  • ヒトは社会的生物であり,属する社会的ネットワーク内では協力し,相互に相手の「社会的道具」になり,相互依存的な関係になる.だから包括利害は属する社会的ネットワークの利害を含むものになるのだ.
  • ただしハイトのような一部のグループ淘汰論者が考えるような「グループにとっての利害こそが重要だ」ということにはならないことには注意が必要だ.しばしば個人的利害とグループの利害は一致しない,そして包括利害はそのすべての要因を加味したものになる.たとえば裕福なアフリカ系アメリカ人にとっての所得再分配政策への投票傾向は裕福な人々のそれとアフリカ系アメリカ人のそれの中間程度になる.


包括適応度はどのような行動傾向が進化するかに関する究極因の説明だが,ヒトが意思決定において求めるゴール,つまりここでいう包括利害は,包括適応度最大化に至るための至近的なメカニズムにかかわるということになる.だから当人の様々な状況や文脈によって変わりうるし,複数の要因の影響を受けて折衷的に決まるということになる.最終的な内容は常識的なものということになるだろう.

第3章 マキアヴェリ的な心

この第3章での著者たちの進化心理学的解説は「人々が利害に反応して投票することは明らかなのになぜ多くの人々はそれを認めないか」についてのものだ.ここは著者の1人クルツバンの「だれもが偽善者になる本当の理由」の要約的な内容を含み,様々な関連リサーチの結果とともに説明がある.

  • ビジネス世界での組織においては,その真の意思決定メンバーである役員会と広報は別れており,広報は既になされた意思決定について世間や取引先に受けの良い理由を考え出して説明する.そして受けの良い理由をうまくでっちあげて伝えるためには,真の意思決定の理由については知らない方がうまくいく.
  • そしてヒトの心も同じように分業制になっているのだ.意識は広報であり,その任務は評判という価値ある資産を守ることだ.そして意思決定の真の理由を知らないまま後付けで自らの評判にとって受けの良い理由をでっち上げる.そして真の意思決定階層は無意識に隠されている.その方がうまく広報の仕事(つまり体のいいウソを相手に信じさせること)がうまくいくからだ.
  • そして意思決定自身も分業制になっている.それは無意識の自動的プロセスと意識的熟考プロセス,様々な(意思決定について)異なる役割を持つ感情からなる複雑なシステムだ.しかしその最終的なアジェンダは包括利害の最大化だ.
  • その結果,政策への選好は包括利害への影響で決まるが,「その選好にはとても美しい理由があり,これに反対するのはとても馬鹿げており邪悪である」と主張する意識とともにある.


そしてそれをよく示す具体例として「中絶」の是非の議論を巡る状況を解説する.

  • データから見ると中絶の権利を支持するのは,若い時期に性的に自由に振る舞いたいが,しかし子どもは作りたくないという人々であり,要するに家族計画の自由度を上げたい人々になる.そして反対するのはカジュアルセックスが広がるのをよく思わない(それにより配偶者を得にくくなったり奪われるリスクがあるなど自らの利害が脅かされる)人々であり,要するに中絶の是非はライフスタイルの好みによって決まっている.
  • 表面に現れる議論は,女性の自らの身体への自由,そして胎児の人権を巡るものになる.しかし中絶反対派はレイプの場合の例外を認める傾向があるし,しばしば避妊や性教育にも反対する.彼等のうち宗教原理主義者は聖書を持ち出すが,聖書のどこにも中絶の是非の記述はない.中絶賛成派もよく見ると,未婚の就業している女性に多く,子育て中の専業主婦には少ないし,シートベルト着用義務,売春の禁止などの中絶以外の自らの身体への自由についての制限に特に反対するわけではない.


そして著者たちは政策への支持について調べるにはこの包括利害の視点と表の理由の偽善性・虚偽性を良く理解しておくことが重要だと強調している.これは進化心理学的な議論に慣れていない人には結構衝撃的な内容かも知れない.特に中絶の是非は,アメリカでは激しい政治的対立軸の1つであり,通常モラルイッシューとされて議論されているだけに,この指摘は双方から驚きと怒りを持って迎えられるだろう.しかし「結局(無意識に)ヒトはインセンティブに反応するのだ」ということが深く理解されていればこの著者たちの主張は説得的だ.

第2部 政策イッシュー

ここから著者たちはアメリカの典型的な政治的論点について何が人々の態度を決めているのかについて個別にみていく.

第4章 性をめぐる争い:ライフスタイルと宗教

最初は第3章のケーススタディでも採り上げられたライフスタイルの問題だ.著者たちによるとアメリカは第二次世界大戦後多様化を深め,その中で,結婚,セックス,子作り,そして教育程度についての姿勢が複雑に絡んでいるということになる.そしてその中で大きな軸は自由奔放派と指輪派(“Freewheelers” and “Ring-Bearers”:前者はより多くの相手とセックスを楽しみ,パーティやドラッグを好み,結婚に縛られず,結婚しても少ない子供を持つ人々;後者はより性規範に厳格で,セックスはコミットした相手に限定し,早く結婚し,より多くの子を持つ人々 )だとする.そして自由奔放派は高学歴者により多い.彼等はより性束縛的な政策に反対で,望まない子供を妊娠したくない.指輪派はコミットメントを自由奔放派に壊されたくない.
そしてこれは,婚前性交渉,ポルノの制限,中絶,未成年者の避妊手段へのアクセス,マリファナ合法化の5つの政治・倫理イッシューについての意見に強い相関をもたらしている.教育程度はこれらについて強い相関を持つわけではないが,中絶についての意見とは強い相関を持つ.


ここで著者たちは宗教についてユニークな見解を披露していて興味深い.これは中絶やドラッグについての意見の相違は宗教に基づくと説明されることが多いからだ.著者たちによるとことはそう簡単ではない.

  • 宗教はどう説明されるべきかについてはいくつもの見解がある.リスク・恐怖についての慰め説,心に寄生するウィルス説,グループ淘汰産物説,単なる副産物説など.
  • この中で社会学においては単純な社会化(学習による刷り込み)という見解が主流になっている.しかしこの見解では同じように宗教に触れた若者の一部は熱心に宗教にとどまり,一部は離れていくことを説明できない.
  • このグループ間の最大の差異は,セックスと子育てに関するライフスタイルにある.自由奔放派はより宗教から離れ,指輪派は宗教にとどまる傾向があるのだ.ライフスタイルと宗教の相関はどう説明されるべきか.多くの人は宗教→ライフスタイルと考える.しかしそれほど単純ではない.アメリカの教会は若く貧しい中で子育てをする上で社会保障的な役割を果たしている.ライフスタイルはそれにより利益を得る方向へ宗教的態度の変更を促す.それと同時にある宗教に属していることはその環境でうまくいくライフスタイルを採る理由の1つになる.因果は双方向に働いているだろう.
  • そして政策への意見と宗教が相関するのはライフスタイルに伴う利害への関心を通じてそうなっていると考えられる.


この章ではこのほかに「新無神論者はしばしば宗教的な人の方が離婚率が高いと主張するが,それはフェアな統計の用い方か」(そうではない,そもそもの結婚比率が異なること,教育要因を調整すると,宗教に熱心な人の方が一旦結婚した場合の離婚確率は小さい),「国際比較ではどうなるか」(通文化的にも宗教心とライフスタイルには強い相関がみられる,ただし先進国と途上国では幾分違いがある)なども扱っている.


中絶への賛否が単に自分のライフスタイルにとってどちらが便利かということで決まっているというのはこの論争のモラルイッシューとしての激しさを考えると結構衝撃的な主張だろう.そして(大人になってからの)宗教心すらも,ライフスタイルの便宜に影響を受けているというのは,アメリカのようなところでどのように受け止められるかを考えると相当腹をくくった思い切った主張というべきだろう.読んでいて非常にスリリングだ.

第5章 ゲームのルール:グループアイデンティティと人的資本

第5章は移民,差別,実力主義などの社会の制度設計にかかる問題を扱う.著者たちは最初に問題の所在を分かり易くするためにサラリーキャップなどのプロスポーツリーグの制度設計の例をあげている.そして一番わかりやすい例としてメジャーリーグの人種制限を解説する.アフリカ系選手の参加制限を撤廃することは誰にとって得になり誰にとって損になるのか.それは二流の白人選手にとって損になり,一流のアフリカ系選手にとって得になるのだ.微妙なのは一流の白人選手にとってどうかというところだ.それは短期的には大きな影響を与えないが,リーグの繁栄まで考えると長期的に利益になり得るのだ.


近年のアメリカでは,グループ関係の政治問題としては,中東への介入とイスラムへの対処,ラテンアメリカからの移民,そして男女差別,LGBT問題が重要になっている.これらも大変難しい問題で,論争はモラルの色彩が強いものになる.
しかし著者たちはこれらの問題は利害の観点から考えると,基本的に差別主義(=何らかの特権を認める立場)vs実力主義の問題になるのだという.そして政策への選好には「自分がどのグループに属しているか(マイノリティかマジョリティか)」と「実力主義をとると有利なのか(教育程度が高いのか)」の2つの要因が重要になる.そして物事が単純でないのは,マジョリティかマイノリティかのカテゴリーには複数あり,そのすべてにおいてマイノリティである人はごくわずかしかいない(つまり誰しも何らかのカテゴリーではマジョリティに属している),そして教育程度が低い人は自分がどのグループに属しているかによって政策への支持が変わってくることだと著者たちは指摘し,そのような人々がどのような政策を選好するかをカテゴリーごとに整理している.
伝統的にはこれらの問題への選好は,その人の倫理的価値観やイデオロギーによって決まるとされてきた.著者たちは様々なリサーチを紹介して,そうではなく人々は自分の立場に敏感に反応した意見を持っていることが示されていると指摘している(ここで冒頭のメジャーリーグの逸話が効果的に用いられる).大きな影響を持つデモグラフィーは(ライフスタイルではなく)性的指向,宗教,教育程度になる.実際に人々は自分の属する細かなグループによって人種差別政策への意見が微妙に異なるし,同性愛についての意見も,自らの性的指向と教育程度の両方に相関があるのだ.(特に性的指向に関する政策については性的指向マイノリティとノンクリスチャンの間で強い相関がある.著者たちは彼等を「異教者:Heathens」としてひとまとめにして呼ぶことにするとしている.)
このような利害からの視点は,アファーマティブアクションについての選好がリベラルの中でなぜばらけるのかをよく説明できる.一般的な差別主義に最も反対するのは教育程度の高い「異教者」だ.しかしアファーマティブアクションについては教育程度が高いとそれに賛成しなくなる傾向があるのだ.
これらの傾向は通文化的にも観察される.ただしマイノリティについての寛容性については地域差があり,西欧先進国で最も寛容,途上国ではより非寛容になる.アメリカは平均するとその中間だが,属するグループ,教育程度により意見が大きく振れ,大きな分散を持っているとされている.


これらの問題は,構成員が多様なアメリカで特に大きな問題になっており,そのために意見の分散も大きくなるのだろう.そして一般的な差別の問題とアファーマティブアクションの問題が,少し異なる選好パターンを持ち,それが教育程度と相関するというのは,著者たちの「包括利害」アプローチの有効性をよく示していると言えるだろう.

第6章 お金の問題:再分配と社会保障

アメリカの政治イッシュー最後のカテゴリーは所得再分配と社会保障だ.

  • 右派は「左派の都会の高学歴エリートは本当のアメリカ人から乖離している」と批判し,左派は「右派の富裕層エリートはミドルクラスから乖離している」と批判する.前者は文化(教育程度)の話をし,後者は金(所得水準)の話をしている.
  • 社会保障は将来に関する保険であり,その選好には将来のリスク予想が関連し,まず現在の所得・貯蓄水準(そしてこれは人種と相関する),さらに教育水準,ジェンダー,年齢が影響を与える.ここで問題を複雑にしているのは,年金とメディケアは過去の支払いに対する対価だと広く誤解されていることだ.だから一般的には所得再分配推進は低所得,低教育,女性,老年層に支持されるが,老年層は自分の現在受けている年金はそのプログラムの外側だと考えがちなのだ.
  • もう1つの要因は政府による社会保障以外の社会的セイフティネットワークの有無だ.ヨーロッパ社会ではこれは階級間闘争の問題とされてきた.しかしアメリカでは(白人層の)宗教的保守派とリベラルの争いになった.保守派は税金が宗教をあざける同性愛支持のアーティストたちのために使われるのを嫌がり,リベラルは税金が性差別的な金持ちどものプログラムに使われるのを嫌悪した.
  • 1960年代以降の公民権の拡大を受けて低所得者白人層は共和党支持に流れ,レーガンの福祉クイーンのキャンペーンを経て,この政治的論点には宗教と人種が深く絡むようになった.

著者たちはここで人種,所得,宗教,性的指向によるカテゴリーごとにどのような政治的態度をとるかを詳しくまとめている.


これは国際的にみるとどうなるだろうか.著者たちは以下のようにまとめている.

  • 西洋以外では,所得水準と教育水準は両方ともこの政治イッシューへの態度と強く相関している.
  • 西洋諸国では,所得水準は強く相関するが,教育水準はそれほど強く相関しない.
  • 低所得者層における所得再分配政策の支持は西洋以外の方が強く,西洋諸国では相対的に弱い.そして特にアメリカでは弱い.
  • 一般的に,国民が均一であるほど再分配は厚くなっている.アメリカでも州ごとにみるとそうなっている.既往の社会保障水準,国民の均一性は低所得者層の再分配政策への支持に影響を与えているのだ.そしてアメリカの独自性は国内での多様性が高いことから来ているのだろう.


この章の記述はやや難解だ.再分配・社会保障政策が誰にとって得か損かははっきりしている(低所得者にとって得).しかしその政策への支持は単純にそれだけでは決まらない.それは様々な所得水準に影響を与える要因が混在していて,それがそれぞれ政策支持に異なる影響を与えるからだ.そしてそれをよりクリアーに説明するは,第3部の政策ごとの同盟関係の解明が必要だということになる.

第3部 政治的同盟

第7章 レッドとブルーにある様々な濃淡


著者たちはここで政治的パラドクスを持ち出す.(1)裕福な人は共和党支持の傾向があるが,裕福な州はなぜリベラル支持なのか(レッドブルーパラドクス),そしてより具体的には(2)ハーバード卒業生はとても裕福なのになぜ民主党支持なのか(ハーバードパラドクス)という問題だ.これを,第2部で述べてきたように,様々な要因が様々な包括利害を通して連続的な政策選好につながっているという知見により説明できるのだろうか.彼らはこう始めている.

  • 20年以上アメリカ大統領はハーバードかエール出身のベビーブーマーによって担われてきた*2
  • そこでアイビーリーグのベビーブーマーの政治学をより詳しく見てみよう.ここにハーバード/ラドクリフクラス1977年卒業のコホート研究*3がある.
  • 彼らの多くは裕福な白人で,1950年代を思わせる家族構成を持ち,自称リベラルだ.
  • しかし良くみると,確かに彼らの多くは白人男性だが,過半はノンクリスチャンだ.白人で異性愛でクリスチャンである比率は22%にとどまる.残りの78%にとっては実力主義と家族計画の実行可能性は非常に重要になる.
  • 子供が多い方がクリスチャンである傾向がある.しかし総じて彼らの人生にとって宗教は重要ではない.
  • 彼らはビジネスの世界で成功するかあるいは高学歴知的プロフェッショナルとして高所得を得ている.後者にとっては所得再分配推進による高税率問題より実力主義の維持の方が遙かに重要だ.
  • 以上のことから,このコホートの中では,何らかのマイノリティであること,あるいは超高所得者でないことがリベラル支持と相関を持つと予想でき,そして実際にそういう傾向がある.要するにハーバードパラドクスは,彼らには強い実力主義と家族計画への選好があることで説明できるのだ.これは合理的な妥協ということなのだ.


ここから著者たちはアメリカの政治をより一般的に解説する.

  • しばしばアメリカ人の政治的見解は1次元で,それは社会経済的に決まると考えられている.
  • しかし個々のアメリカ人はそれぞれの政策選好に対してイデオロジカルな一貫性を示すわけではない.経済状況は再配分とセイフティネットにだけ相関し,さらに人種や宗教の影響を受ける.そして異なるデモグラフィーのセグメントは異なる政策選好セットを持つのだ.
  • 現代アメリカ政治のブルーとレッドの地域区分けは,主に中央と南部に白人の多い小さな町が多く,そこには教育程度の低いクリスチャンが多く住むということによっているのだ.
  • なぜカンザスは(貧しい人が多いのに)共和党支持なのか(カンザスパラドクス).それはバイブルベルトにいる人々は多元的政策選好を持ち,ライフスタイルとグループ障壁政策を優先し,再配分政策については妥協しているからだ.


ここで著者たちは31のデモグラフィーのカテゴリーを作って,それぞれの政策選好を整理し,巻末付録に載せている.


第8章 共和党同盟 第9章 民主党同盟

次はアメリカの2大政党制の中で,どのような政策の組み合わせが,なぜ,どのような経緯で同盟を結んでいるかを考察する.ここも冒頭の逸話が面白い.

  • ジェシー・ヘルムは1950年代に公民権拡大に反対する分離主義者として政治活動を開始し,1990年代にはAIDSは同性愛者に原因があるとしてその救済基金創設に反対した.これはまさにヒラリー・クリントンの政治姿勢の真逆を行くものだ.しかし,ヘルムはその政治キャリアを民主党から,ヒラリーは共和党からスタートし,1970年代に両者とも政党をスイッチしているのだ.


要するに政党というのは政治的利害の同盟関係にその本質があるのだ.著者たちはアメリカのこの同盟の変遷を記述する.ここはアメリカ政治入門としても面白く読めるところだ.

  • 南北戦争が終わったとき民主共和両党はいずれも地域政党的だった.民主党は南部が地盤で,共和党は北部が地盤だった.
  • 1930年代に民主党のルーズベルトは北部にいる農民,労働者,カトリック,アフリカ系を南部の分離主義的民主党に加えてニューディール同盟を結成した.当時共和党は北部の白人プロテスタントの政党だった.だからシカゴのプロテスタント(メソジスト)出身だったヒラリーは共和党から出発したのだ.
  • 1960年代に両党は今日まで続く大きな変動を経験する.1964年に民主党のジョンソンは公民権法を制定させる.これはアフリカ系の支持を大きく集めた.共和党はゴールドウォーターとニクソンが州の権利拡大と犯罪撲滅政策を柱とする南部戦略を打ち出し,南部の白人の支持を集める.また共和党は裕福なプロテスタント中心だったので,実力主義を好む高学歴層を大きく民主党に向かわせた.
  • それまでは宗教に関してはプロテスタントが共和党,カトリックが民主党等という宗派的色分けだった.しかし1980年代に(キリスト教への)宗教的態度が中絶の是非(そしてその他のライフスタイルイッシュー)を巡って対立軸に浮かび上がる.共和党は信心深い白人クリスチャンを同盟に組み入れ,世俗的リベラルは民主党に集結した.この時期に白人カトリックは共和党に鞍替えした.
  • 1990年代にクリントンのニュー民主党は,さらに教育のあるリベラル向きに政策を修正し,彼らをしっかりと民主党に結集させた.
  • この大きな流れの中でアンカーとして機能しているのは経済問題だ.富裕層,ビジネスオーナーは共和党支持で,労働者は民主党支持なのだ.
  • そして人種,教育,収入レベルは政党支持を理解する基礎だが,その相互作用は複雑だ.
  • 政策同盟の基本は徴税とその使い方だが,ライフスタイルの問題がからみつき,そこにグループ障壁と実力主義の問題が加わっているのだ.


ここから著者たちは主な共和党支持グループ,そして章をまたいで民主党支持グループを,さらにそれぞれのいくつかのデモグラフィーのカテゴリーに分割し,そのタイプ別政策支持の状況とその中の緊張状況を解説する.具体的で迫力があるところだ.アメリカ政治に興味がある人には大変興味深い記述が並んでいる.
大きく見ると共和党はビジネスを指向する一つのまとまりが主体になっていてその中に様々な濃淡がある形だが,民主党は様々なバラバラな利害集団の寄せ集め同盟(特に高学歴実力主義指向者とアフリカ系の同盟)という色彩が強い(だからライフスタイル,実力主義,再分配の政策ごとにグループ間の緊張が高く,そして彼らを結びつける最大の要素はグループ障壁問題になる)ことがわかる.


ではそれぞれの政党内ではこの支持グループ間の対立あるいは緊張をどのように解決しているのか.

  • この解決の上で大きな影響を与えているのは交渉はそれぞれ政党の中のエリートたちの間で行われているということだ.
  • だから民主党の中で経済政策を妥協させるのは難しくないし,共和党の中でグループ障壁問題を妥協させるのも難しくない.だから全体の政策はより保守的な経済政策,よりリベラルな社会,グループ障壁問題政策ということになる.


アメリカの政治を見ていると,なぜごく一部の富裕層に向けての大減税がしばしば成立するのか不思議に感じられるが,それは民主・共和両党の党内党外でのポリティクスのなせる技だということになる.ここではエリートがいかにこの自らにとっての都合のいい妥協を引き出すために行動し,それをいかにうまく正当化するかも描写されている.そしてもちろん本書の分析にはまだないが,トランプ政権の成立にはこの自らの関心のある政策がなかなか実行されない非エリートの共和党支持者という問題が大きく関係するのだろう.


第4部 政治的挑戦

第10章 政治についてのそれほど居心地の良くない見解

著者たちはまずここまでの議論を要約している.

  • 人々はしばしば,自分たちは衡平で合理的で公共心にあふれているが,政治的敵対陣営はアンフェアで非合理的で利己的で意地悪で偽善者だとけなす.こういう態度はアカデミックな研究者にもしばしば見られる.もちろんジョナサン・ハイトやブライアン・キャプランのように礼儀正しくどちらの立場もフェアで公共心のあるものだという前提のもとに議論しているものもないわけではない.
  • しかし我々の立場は党派的でも礼儀正しくもないものだ.我々は,どちらの党派に属する人々も自分の利害に基づいて政策を選択し,その利害を追求するために偽善的だと考える.どちらも相手よりフェアでも合理的でも公共心に富んでいるわけでもないのだ.
  • そもそも何が「フェア」で何が「合理的」かという定義自体,定義者の利害によって動く.人々は互いに相手を上回ろうとする社会的存在なのだ.理解の鍵は人々の生活と利害にある.
  • 性的繁殖的問題では自由奔放派なのか指輪派なのかが選択を決める.グループにかかわる問題ではグループアイデンティティとその人の人的資本(教育程度)の程度が選択を決める.経済問題では将来の保険の必要性が選択を決める.人種,ジェンダー,宗教,性的指向などのデモグラフィーはそれぞれに異なる態様で関連するのだ.
  • そしてヒトの心は相手を操作するためにも設計されている.公共の場における政治論争はしばしばでっち上げられた物語を語る真実を知らない広報同士の争いになっている.そして人々は自分自身も利害に基づいて政策選択していることに自己欺瞞的に無自覚なまま,相手のデモグラフィックな特徴に基づいてその利害を推し量りその政治的選択を(しばしば誤って)推測する.


そしてこのアプローチでは解決できない問題もあることを認めている.ここは大変率直なところだ.

  • まず環境問題と防衛問題がある.多くの人々はこれらの問題に対して比較的小さな利害しか持たないにもかかわらず,非常に熱心だ.そしてどのような人がどちらの選択をするのかを予測するのが難しい.
  • 環境問題とデモグラフィーの相関はそれほど大きくなく解釈も難しい.環境問題に政府が支出することに賛成するのは,教育程度が高い層,宗教に熱心でない層,若者,(驚くべきことに)子供のいない層だ.
  • 防衛問題とデモグラフィーの相関もやはりあまり大きくない.防衛支出に賛成するのは.生まれつきのクリスチャン,ユダヤ人,教育程度が中程度か低い白人とアジア人だ.イスラムの移民層が反対する以外にはあまり大きな関連利害は見当たらない.なぜほとんど利害が関連しないのにこれほど熱い政治的議論になるのかは我々のアプローチからは謎だ.
  • もう1つ説明が難しいのは.医師による自殺幇助の是非,死ぬ権利の問題だ.自殺幇助には宗教性が関連するが,死ぬ権利にはあまり関連しない.これはライフスタイル的問題だが,自由奔放派と指輪派に分ける分析では政策への賛否を説明できない.
  • それ以外にも説明できない政治的論点はあるだろう.それを認めるにはやぶさかではない.


環境問題や防衛問題について著者たちの包括利害アプローチがうまくいかないのは,まさにそれがあまり人々の日々の利害に直結しないからだろう.私の推測では,このように政策の帰結が直接の利害に絡まない問題については,自分たちのサークル内での忠誠心の,あるいは自らの道徳心のシグナルとしての政策支持表明の効用が大きくかかわっており,それは非常に文脈依存的なのでデモグラフィックな傾向が見つけにくいのではないかと思う.


さらに著者たちは別の限界についてもコメントしている.

  • また人々が将来どのような政治的な立場に立つかの予測も難しい.
  • ここ60年のアメリカにおける大きなトレンドを考えてみよう.いろいろな不満はあるだろうが,教育程度は上がっている.またエスニックな多様性は上がっている.そしてライフスタイルでは自由奔放派の比率が上がっている.これらはいくつかのグループ障壁問題,ライフスタイル問題への変化を説明できる.しかし中絶への意見の比率がほとんど変化していないことは説明できない.
  • また年単位で観測できる政治的ムードの変化も説明は難しい.これらは文脈や様々な短期的要因に敏感だ.


そして既存の政治学と自分たちのアプローチについてこう書いている.なかなか手厳しい.

  • 政治学者には政治的意見が何によって決まるかをどう考えるかについていろいろなタイプがある.我々のように政策の中身とデモグラフィーから考えるタイプもいれば,イデオロギーや価値などの抽象的な事柄に注目するタイプもいる.
  • 我々のようなアプローチを採る場合にキーになるのは.利害がどの程度重要かということだ.我々はそれは重要だと考えており,それは第2章で説明を行った.
  • 両タイプのどちらが優れた見方かにとって重要なの「人々はトップダウンで決めるのかボトムアップで決めるのか」という問題だ.人々はまずイデオロギーや価値から自分の党派的立場を決めてそこから個別政策の是非を決めるのだろうか.多くの政治学者はそう考えているが,我々は人々はボトムアップで決めるのだと信じている.しかし一切トップダウン的な決定がないというわけではないだろう.最初は個別問題からある政策を支持し,それが彼に「リベラル」のラベルを与える.すると別の問題にもリベラル的に考えるようになるということはあるだろう.しかし最初は現実の利害から始まるのだと我々は信じている.
  • 因果関係の解明は非常に難しい.多くの政治学者は党派アイデンティティが大きな「原因」だと考える.そしてその証拠として個人の党派アイデンティティが極めて安定していることを挙げる.しかしボトムアップ仮説からもこの安定性は十分容易に説明できる.多くの問題についてリベラル的政策が利害に合う人がいたとして,そのうち何かひとつかふたつの利害が変わったからといって支持政党を変えたりはしないだろうからだ.
  • しかし両仮説で異なる予測をする場合がある.それは党の重要な政策変更の場合だ.党支持が先にあるなら,支持者は政策支持を変えるだろう.ボトムアップならそれは起こらないし,その政策がその人にとって重要なら支持政党を変えるだろう.
  • 1964年に民主党のジョンソン大統領が公民権法に署名し,共和党のゴールドウォーターが反対したときには,その4ヶ月後にディープサウスで100年ぶりに(つまり南北戦争後はじめて)共和党が勝利した.これはボトムアップ仮説の有効性をよく示していると我々は考えている.そして「裕福な白人が所得再分配強化政策に反対するのは,彼が共和党支持者だからである」なんてことを本当に信じている人がいるのだろうか.
  • もちろん我々は極端な立場をとるわけではない.人々は時に党派的な考慮から政策支持を変更することもあるだろう.教育程度の高い人が,(アンケートなどの)コストの低い態度表明に直面した場合には特にそうだろう.しかし支持政党がまず先にあるとは信じられない.
  • 因果の解明は「価値」「政治的パーソナリティ」が問題になるとさらに難しくなる.それは容易に循環論法に陥ってしまう.我々がそもそもデモグラフィーに注目したのも循環論法に陥らないためだ.そしてそれを避けるためには,進化心理学,経済学の視点が有用になる.これらの視点は(包括適応度や利益)などのプライムムーバ−を想定し,「なぜ(そう選択するのか)」という質問を終了させることができる.
  • 多くの政治学者に「なぜ彼はこの選択をするのか」を問い続けると,しばしば彼等は「そう育てられたからだ」と言い出す.しかしこの説明は行動遺伝学によって実証的に否定されている.
  • 多くの政治学者は,政治的選択には利害は関与せず,社会化により価値観や支持イデオロギーや支持政党が決まると考え,それに基づいて研究考察を重ねている.我々はこれは時間の無駄だと考える.


最後に著者たちはこの見方が与えるインプリケーションについてコメントしている.

  • 我々はここまで,民主党も共和党も,そのエリートも大衆も,基本的には利害に基づいて行動していると主張してきた.これはある意味非常にシニカルなものの見方だ.
  • このような双方とも罪深いという視点をとる学者たちは,解決策としてしばしば相互理解と寛容を強調しがちだ.しかし我々はそれではうまくいかないと考える.確かに理解を進めて議論することで両当事者はノンゼロサム的妥協に至るかもしれない.しかし結局それにより決まった政策はそれぞれの支持者の利害に影響を与える.そしてより良い結果を引き出すためにはより極端な主張をする方が有利だということに簡単に行き着くだろう.政治的な議論が極端で激しくなるのはまさにそれが利害に直結するからだ.
  • 寛容を主張するものは現状維持の方が得だからそうするにすぎない.政治的に勝ちそうな方は議会の民主的なルールに従うように主張し,負けそうな方はフィリバスターのような抗議行動を支持する.
  • 要するにヒトは,包括利害を最大化するために戦略的に行動し,それを絶対に認めないのだ.
  • そして我々のアプローチは,なぜ政治的な議論は人々の立場を変えることにつながらないかをよく説明する.利害に直面している人に,その利害をあきらめるように説得するのは非常に難しい.特に後付けの広報的な理由は全く説得力を持たないのだ.
  • では何故人々はそもそも議論なんかするのか.おそらくポイントはあまり利害を持たない中間層をいかに取り込むかにあるのだろう.
  • 我々の分析はバラ色の将来を示すものではない.しかし我々の目的は人々に自分たちが聞きたがっている物語を与えることにあるわけではない.我々の目的は心理学的知見やデータに整合的な政治的意見の決まり方を示すところにある.そして我々の発見した「自己欺瞞で覆われた利己心」は見栄えの良いものではない.だからこそそれは隠されているのだ.

本書は「真の意思決定」と「それを周りの人々に説明する広報」は異なった心理的なモジュールであり,意識は「広報」として真の理由を知らないまま後付けの理由をでっち上げるという進化心理学的な知見を政治学に応用した本ということになる.そしてその結論は,ある意味当然である意味身も蓋もない「人々は包括利害を最大化するように政治的意思決定を行い政策支持を決めるが,それは無意識に隠され,政治的な議論は真実を知らない広報同士の偽善的な議論になっている」というものだ.そしてそれがいかに既存の心理学的知見だけでなくアメリカの政治データと整合的かが詳しく解説されている.そして圧倒的に説得的だ.
なお.本書では取り上げられていないが,政策支持のもう1つの側面としては,自分が道徳的に優れているというシグナル,あるいは属する部族に忠誠であるというシグナルであるという部分があるだろう.だから表面的な議論には,しばしば道徳的な色彩が濃い言説,そして部族的忠誠のコストのあるシグナルとして「とてつもなく馬鹿げたことを信じている」という言説がみられるのだろう.(この論点は「トップダウンかボトムアップか」という問題について著者たちの分析に少し不満が残る部分でもある)
本書はアメリカの読者を想定して書かれているが,このアプローチを日本に応用すればどうなるかは大変興味深いところだ.私のとりあえずの感想および疑問は以下のようなものだ.

  • このアプローチは日本でも有効だろう.基本的にヒトはインセンティブに反応し,それを無意識に隠したままでっち上げの表面的な理由のみが意識にあるからだ.実際に日本でも国会の議論はしばしば表面的で道徳的で激しく,しかしそれにより相手を説得できるようなことはほとんど観察されない.
  • 日本ではライフスタイルイッシューはそれほど大きな政治的争点になっていないようだ.わずかにポルノの制限範囲問題があるぐらいだろうか.そしてこれは特に党派的であるようには感じられない.なぜアメリカとこれほど異なるのかには興味が持たれる.
  • グループアイデンティティイッシューもアメリカほど激烈ではない.これはおそらく日本の方が均一的な社会だからだろう.女性差別問題のうち選択制夫婦別姓問題が少し党派性を帯びているのかもしれない.
  • 所得再分配問題は格差を巡ってある程度党派性のある政治問題となっている.この政策の支持についてデモグラフィーとの関連分析がなされると興味深いだろう.
  • 経済政策のうち成長政策については,本書では「成長=善」は民主党も共和党も同じだとしてあまり分析されていない.しかし日本ではアベノミクスの是非と財政規律を巡って(自民党内の対立も含んだ)党派的対立がある.そして就職氷河期を経験したり間近にみたことのある若い世代がより現内閣を支持する傾向があるのはこれによるのではないだろうか.
  • 防衛問題,憲法改正問題は非常に党派性が高いが,あまり支持者の利害に直結しているようには思えない.これは本書では分析の対象外になっている道徳的シグナル,部族忠誠シグナルとしての要素が高そうに思える.
  • いずれにしてもこの分野は心理学と政治学の学際領域として大変面白いだろう.日本でも様々なリサーチがなされることを期待したい.


関連書籍

クルツバンの「だれもが偽善者になる本当の理由」私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20141001

だれもが偽善者になる本当の理由

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同原書 私の原書の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111001,読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110514から連載している.

Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

*1:これを著者たちは直接説明再命名心理学症候群(Direct Explanation Renaming Psychology Syndrome)と呼んでいる.実際にしばしば「保守派の人種政策の基礎はシンボリックレイシズムにある」「女性や同性愛者との平等政策に反対するのは,右派の家父長主義のためだ」などという説明がみられるのだそうだ.

*2:クリントン,W. ブッシュ,オバマのことを指している.トランプもベビーブーマーだが,ペンシルベニア大出身になる.

*3:これは著者の一人であるウィーデンの参画している研究になる.このクラスには(卒業はしていないが)ビル・ゲイツ,スティーヴ・バルマーをはじめとする多くの成功者が含まれている.