絶滅危惧の地味な虫たち ──失われる自然を求めて (ちくま新書)
- 作者: 小松貴
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/03/23
- メディア: Kindle版
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本書は「裏山の奇人」小松貴による日本から消えようとしている地味な虫についての愛情と哀愁にあふれた図鑑的な解説を一冊の本に仕立てたもの.
冒頭に本書執筆に至る著者の偽らざる思いが書かれている.確かに日本でも最近は環境保全や絶滅危惧種の保護が国家的な事業として取り組まれるようになっているが,どうしても外見が優美で体の大きな生物が優先されてしまう.まず哺乳類や鳥類が圧倒的に注目され,さらに昆虫であってもチョウ,トンボ,ホタル,大型甲虫に偏る.しかし著者はそれに対して「たかが人間ごときの色眼鏡で『人間にとって』綺麗なもの,『人間にとって』心地よいものだけが選び出され,それらばかり大事にして『自然保護』などと謳う世間の様を,私は幼い頃から解せなかったし気に入らなかったし,見ていて胃袋が逆さまになりそうな思いだった」と真情を吐露している.また環境庁のレッドデータブックについても,どこの図鑑にもあるようなチョウや大型甲虫の写真しか載せず地味な虫については(内輪向けのような解説こそあれ)その現物写真を載せていないことに著者は納得できない.そんな虫こそ優先的に現物写真を紹介すべきだというのだ.そして本書でチョウ・トンボ・大型昆虫をのぞいた絶滅危惧陸上節足動物で著者自身が観察し写真に収めたものを写真付きで紹介していくことにしたのだ*1.
なお著者がかなり気合いを入れて掲載している現物写真だが,書籍版では口絵の16枚のみカラーで,本文に添えられた写真は小さな白黒写真になってしまっているが,kindle版ではすべて画面上で拡大可能なカラー写真になっている.まだどちらも購入してない方には強くkindle版を購入することをお勧めする.
ここからは個別の絶滅危惧の地味な昆虫の解説になる.ここからは私が興味深く感じたところをいくつか紹介しよう.
- メクラチビゴミムシの仲間はかつては洞窟性とされてきたが,洞窟だけではなく地下水脈沿いの地中の隙間に生息することがわかってきた.彼らは水脈ごとに小さく分断されていて,大規模地域開発があると絶滅しやすい.現在わかっているだけで400種生存する.中には赤い宝石と呼ぶにふさわしい興味深い絶滅危惧種もいるが,一般には全く知られていない.啓蒙が進まないのは差別用語を並べたような和名のためかもしれない.
- ヒゲブトオサムシの一部グループは好蟻性となった.このグループの触覚はみな奇妙な突起があったり肥大化したりしていて特殊だが,おそらく蟻の巣に入り込むための臭覚を鋭敏化させるための適応だと思われる.このうちクロオビヒゲブトオサムシは全身が燃えるように赤く,太くて黒い横帯がある.(なぜこのような模様があるのかは解説されていない)
- 自然本来の塩性湿地が開発によって消失した際にそこに生息する生物の駆け込み寺になったのが塩田になる.しかし現在この駆け込み寺がメガソーラー建設などによって急速に消滅しかかっている.ドウイロハマベゴミムシはそういう場所で見つかる緑がかった金属光沢を持つ美しい(しかし見方によっては黒く小さく地味な)甲虫である.
- ミズスマシはかつては水生昆虫の代表とされるようなありふれた虫だったが,護岸工事などによる生息環境破壊により今では滅多に見られない希少な生物となった.しかし同様に姿を消しつつある水生昆虫のタガメやゲンゴロウに比べて不思議なほど保護・配慮されていない.それは単に小さいからだろう.
- トダセスジゲンゴロウは数日で干上がってしまうようなごく浅い水たまりに適応している.彼らにとっては河川氾濫による一過性の水たまりが生じる環境が不可欠になる.
- モンシデムシ類は黒くなめらかな背面にひときわ鮮やかな赤い斑紋を持つ.哺乳類などの死肉を地中に埋める掃除屋であり,多くは森林地域に分布するが,このうちヤマトモンシデムシは開けた環境を好む例外になる.近時急激に姿を消しているが,生息地域の開発に加え,野生動物の死体が草原に転がるということが激減したためだろうと思われる.
- クロモンマグソコガネは斑模様がある糞虫で,これも開放的な場所に生息する.野犬の減少,飼い犬の散歩時のマナー向上により数が大きく減少しているとされている.一方これまで牧場にいた糞虫のダイコクコガネは牧場の減少により数を減らしてきたが,近年増加したシカ糞にシフトし始めている地域もあるようだ.
- ソトオビエダシャクは攪乱環境に生えるひょろっとしたマメ科の食草に依存している.河川改修などにおいては環境保全について配慮されてしかるべきだが,チョウと違ってガはほとんど配慮されないという現実がある.
- カワゴケミズメイガは,あまり知られていないが,ガでありながら幼虫時には水中に生息し,カワゴケソウを食草にする.
- ハマダラカ類は清涼な沢や広大な沼でしか育たないために現在急速に数を減らしている.しかしこの蚊を用いた研究ができないと日本の土着マラリアの研究が進まなくなってしまうことが懸念される.
- カニギンモンアミカの幼虫は,小判に切れ込みを入れ,その先に爪をはやしたような特異な姿をしている.それはまるでクマムシのようだ.
- 与那国島に生息するヨナクニウォレスブユは激減しているが,どうやら持ち込まれた外来種であるグッピーに幼虫が片端から捕食されているためらしい.
- ネグロクサアブはシカの増加による林床の乾燥化により数を減らしている.
- ゴヘイニクバエは日本海側の海岸砂丘にとびとびに局所的に分布する.幼虫期の餌が同様に局所分布する生物であるためだと思われるが,それが何かはわかっていない.
- トゲアシアメンボは日本では与那国島にしか生息しない.彼らは逃走の際に水面を滑走するのではなく,いきなり水面からジャンプする.
- エノキカイガラキジラミはエノキの木にだけつく.幼虫はエノキの葉にゴールを作るがその入り口を蝋状の銀白色の物質で蓋をし,それが貝殻に見える.分布は非常に局所的だが,その原因は分かっていない.
- シロヘリツチカメムシは子育て習性を持つ.カナビキソウに極度に依存した生活環を持ち,草原環境の破壊により減少している.
- ハリサシガメの幼虫は親と同じくアリを餌とするが,捕らえたアリの死骸を次々に体にまとって奇怪な姿になる.全成長ステージでアリを餌とするために大小さまざまな種のアリが同所的に生息することが望ましいが,そういう環境はどんどん失われている.
- トサヤドリキバチは幼虫期にどれほどの大きさの寄主に寄生できたかによって成虫になったときの体サイズが決まり,その結果大きくばらつきがある.
- マイマイツツハナバチはカタツムリの貝殻の中のみに巣を作る.生息には大型カタツムリが同所的に分布することが必須になる.
- 近年マルハナバチ類が日本各地で急激に個体数を減らしている.草原の減少,温暖化,シカによる吸蜜植物の減少などが原因とされている.一時農業送粉用に導入された外来種のセイヨウオオマルハナバチの逃走が問題になり,現在では在来種のクロマルハナバチが送粉用に販売されるようになった.在来種ということで管理は甘くなっているが,地域ごとに遺伝的に異なる個体群になっていることがわかっており,もっと管理されるべきである.
- アカオビケラトリはオケラを狩ることに特化したカリバチになり,その狩猟方法は非常に洗練されている.近年オケラが減少しておりケラトリも窮地に追いやられている.
- 社会寄生性アリの寄生成功率は低く,このためコロニー数が限られ,珍種が多くなる.このうち一種ミヤマアメイロケアリは山奥のブナ林のみに生息する.
- ツノアカヤマアリなどのヤマアリ類は体が赤く大きな塚を作るため,今後ヒアリと間違えられて駆除されるリスクが心配される.
- ヒナバッタ類は寒冷地ほど翅がしばしば退化傾向を示し,地域ごとに細かく種が分かれる.生物地理学の材料としては申し分ないように思われるが,険しい高山地帯にのみ生息し,ほとんどの生息域が石ころ一つ持ち出せない国立公園特別保護地域にあるので,あまり積極的に研究されていないようだ.
- トタテグモやキムラグモは一カ所に多数の個体が集中する傾向が強い.これら彼らにとって好適な場所が少なく,またバルーニングによる高い分散能力を持っていないからだろう.
- キノボリトタテグモはある年を境に急速に数が減り始めた.いろいろな原因が議論されたがなかなかしっくりこない.あるいはシジュウカラのような鳥がクモの取り方を習得し,互いに学習し始めたからかもしれない.
- フジホラヒメグモは富士の洞窟群に適応した局所的に分布する種になる.観光地化された洞窟は明るく照明されて乾燥化するので,暗くて湿った洞窟環境に適応した小動物は絶滅しやすくなる.
- アリを専門的に狩るクモは何度か独立に進化したようだ.それぞれ特別なアリ捕獲戦術を発達させている.ドウシグモは日没後樹幹のアリの行列脇に定位し,偶然足先に触れたアリの胸部に素早く食らいつく.
- ヤマトウシオグモは潮間帯に適応し,満潮時にはサンゴや岩の穴に潜り込み,糸で蓋をする.
本書は素晴らしい写真と体験談と生物学知識にあふれた解説により,これまで全く知らなかった小さな虫たちの周りにある興味深い世界へ読者を深く案内してくれる.しかし本書の魅力はそれだけではない.行間ににじみ出る失われ続ける生物たちへの愛情と哀愁,そしてそれを救うことができない無力感,様々な不条理に対する怒りと諦観,それが読み続けるにつれて少しずつ読者の心に染み込んでくる.いろいろな意味で不思議な魅力にあふれた本だと思う.
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最近著 未読だが,いかにも面白そうだ.新潮社なので電子化を期待して待っているところ.
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虫のすみか―生きざまは巣にあらわれる (BERET SCIENCE)
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これは師匠とともに作った一冊.
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*1:なお,このような本を書くことがその希少価値に目を付けて乱獲されることにつながらないかというジレンマにもついてもコラムで触れている.それでも(場所の特定を避けるなど)最大限の配慮をしつつ,やはり一人でも多くの人にその種の存在を知ってほしいと思って本書を上梓したと書かれている.このほかいくつかコラムがあり,中でも「虫マニアの功罪」についてはいろいろ書かれていて面白い.一部のマナーの悪い虫マニアのために地元社会からの印象が悪くなってしまっていること,そのために昆虫採集全面禁止地域が増加していることを指摘し,しかしそれは昆虫についての知識ベースを大きく減らしてしまうことにつながると憂い,なぜ釣り人は地元に歓迎されるのに虫マニアは疎まれるのかを考えるとそれは地元に金を落とさないからだと嘆く.このあたりは著者の見てきた様々な悲しい事件についての率直な感想と言うことだろう.