Enlightenment Now その37

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

第14章 民主制 その3

 
では具体的にどのような形で政府権力の抑制が実効化していくのだろう.ピンカーはそのよいケーススタディとして死刑廃止の動きを取り上げている.
 

  • 権力の抑制は実時間ではどのように進むのだろうか.この人類の進歩を観察できるクリアーな窓が究極の暴力実行とも言える死刑執行にある.
  • 死刑はかつてどの国でもありふれていた.そしてそれは拷問と辱めと一体だった.(ピンカーはキリストの磔刑を例にあげている)
  • 啓蒙運動以降.ヨーロッパ諸国では凶悪犯罪以外での死刑をやめていった.19世紀半ばまでで英国の死刑は1/50程度に減った.
  • 第二次世界大戦後世界人権宣言を受けて第二次の人権革命が生じ,死刑を廃止する国が次々に現れた.ヨーロッパで今日なお死刑を執行しているのはベラルーシぐらいだ.(調べてみるとこのほかロシアには法的に残っているが,執行停止して10年以上経過している)
  • 死刑廃止の動きは(単にヨーロッパでそうであるだけでなく)グローバルだ.ここ30年,毎年2~3カ国が死刑を廃止している.現在もなお死刑を執行しているのは世界の国の中で1/5以下だ.

(ここで死刑廃止国の推移グラフが示されている.1970年ぐらいまでは20カ国以下だが1980年から急上昇し始め今や100カ国以上が廃止国になっている)

  • 死刑数の多いトップ5は中国,イラン,パキスタン,サウジアラビア,そしてアメリカになる.進歩に関するほかの点ではアメリカは先進民主国だが,この指標は大きな例外になっている.そしてこの例外はモラルの進歩が哲学的な議論から実践に変わる際の曲がりくねった道行きをよく示している.そしてそれは民主制の「統治者から人々への暴力を厳しく制限する」ことと「多数の意見を実現させる」ことの間の緊張も示している.アメリカが例外なのは,それが民主的すぎるからでもある.
  • ヨーロッパにおいても過去ほとんどの期間と地域で,他者に死を与えた者に対する死刑は完璧な正義だと考えられてきた.死刑廃止についてのまともな議論は啓蒙運動に始まる.その議論は,(1)統治者の暴力は生死という聖域には踏み込むべきではないのではないか(2)抑止効果は別の方法でも得られるはないかというものだった.
  • この死刑廃止のアイデアはまず哲学者から始まり,知識階級に,それからリベラルで教育程度の高い上流階級,特に医師,弁護士,作家,ジャーナリストたちに広がっていった.そして義務教育,普通選挙権,労働者の権利などと一緒に政策パッケージになり,人権主義の1つのシンボルのようになった.
  • ヨーロッパの廃止主義者は一般市民の懸念や疑惑を無視して突き進んだ.ヨーロッパの民主制は一般市民の意見をそのまま政策にするようなものではなかったからだ.刑法は著名な学者たちによって書き起こされ,自分たちを統治階級だと考えるエリートたちにより審議承認され,(選挙を減ることなく)任命された判事たちによって実行された.一般市民がそれを認めるようになったのは,死刑廃止後何十年かたって,それでも社会が混乱に陥らないことが実感されてからだった.
  • しかしアメリカはより「人民による人民のための政府」に近い.基本的に死刑は州法の問題であり,より一般市民に近い統治者によって審議される.そして検察官も判事も選挙で選ばれる.さらに南部諸州は名誉の文化の影響下にあり,「正当な報復」はその理念の1つでもある.そして実際にアメリカの死刑執行は大半が一握りの南部州(テキサス,ジョージア,ミズーリ)でなされている.
  • それでも,アメリカも死刑廃止の歴史的なトレンドの流れの中にある.そして2015年において世論の過半(61%)は死刑を支持しているが,死刑執行はなくなりつつある.ここ10年で7州が死刑を廃止した.16州は死刑執行停止中で,30州で過去5年内の死刑執行が0になっている.テキサスですら2016年の死刑執行数は7件で,2000年の40件に比べて大きく減っている.そしてヨーロッパと同じく執行が減るにしたがって世論の死刑容認は減ってきている.2016年には史上初めて世論調査で死刑容認が50%を割り込んだ.

(アメリカの死刑執行数(人口10万人あたりの執行数)の1780年から2016年にかけてのトレンドが示されている.18世紀には0.85程度あったものが19世紀には0.3から0.2に低下し,20世紀後半にさらに低下し,0.1を下回ってさらに低下中だ)
 

  • このアメリカの過程はどのように進んだのか.ここにモラルの進歩の別の道がある.
  • アメリカの民主制はヨーロッパのものよりポピュリズム的だが,古代アテネのような直接民主制ではない.歴史的な共感と理性の拡張とともに,強硬な死刑存続論者であっても群集によるリンチや(気に入らない判決を下した)判事を(文字通り)吊し上げることをおぞましく感じるようになった.死刑執行には威厳と注意深い取り扱いを求められるようになったのだ.アメリカの死刑執行の仕組みは少しずつばらばらにされていった.

 

  1. まず科学的犯罪操作技術,特にDNAフィンガープリンティングがこれまで無実の罪で死刑にされていたものが数多くいることを明らかにした.これは熱心な死刑存置論者もひるませる.
  2. 執行方法は磔刑や引き裂き刑から,より残虐でない絞首刑,銃殺刑に,さらに目に見えないガスや電気に,そしていかにも医療行為的な注射によるものに変わっていった.しかし医師は執行を拒否し,薬品会社も薬剤供与を拒否するようになった.
  3. 監獄がよりしっかりしたものになり脱獄が事実上不可能になり,終身刑の実効性が高まった.
  4. そもそもの暴力犯罪率が減少し,厳格な抑止刑の必要性が減ったと感じられるようになった.
  5. 死刑の重みが大きくなり,判決即執行ということはできなくなった.控訴,上告,再審と司法手続きは複雑に積み重なり,多くの死刑囚は司法手続き中に自然に死亡するようになった,さらにこの司法手続きのために終身刑よりも遙かにコストがかかるようになった
  6. 統計は死刑囚が貧困層とアフリカ系に偏っていることを示し,一般市民の良心を刺激した.
  7. 連邦最高裁も少しずつ死刑を制限する.未成年,知的障害者,謀殺以外の犯罪への死刑は違憲とされた.薬殺もほとんど違憲とされかかっている.司法ウォッチャーは最高裁が死刑そのものを(残虐刑罰として)違憲とするのは時間の問題だと信じている.

 

  • 科学,法,社会的な力が政府からその成員を殺すことをやめさせようと働いているのだ.それは何かミステリアスなアーチが正義に向かってかかっているようでもある.私たちはモラル原則がより広く適用されるようになるのを見ているのだ.この過程は複雑で曲がりくねっていて,効果は停滞したり少し進んだりだ.しかし十分な時間があれば啓蒙運動のアイデアをは世界を変えることができるのだ.


ピンカーは死刑について前著の「The Better Angels of Our Nature」(暴力の人類史)の第4章で扱っていて,ここではさらにそれを詳しく描いている.なぜアメリカとヨーロッパで異なる道行きになっているのかの説明は説得的だ.ピンカーはアメリカとヨーロッパ以外についてはあまり詳しく語っていないが,日本を含む東アジア,東南アジア,インド,中東,北アフリカ,東アフリカでは死刑が廃止されている国の方が少数派だ.(廃止国はフィリピン,カンボジア,ネパール,ブータン,トルコぐらいで,凍結国には韓国,マレーシアがあるようだ)
文化的な影響もかなりあるように思われる.イスラム法体系の影響もあるのかもしれない.日本の現状と私の認識については前回の認識からあまり変わってはいないところだ.(https://shorebird.hatenablog.com/entry/20120224/1330085226参照)