Language, Cognition, and Human Nature その88

第8論文 「なぜ氏か育ちかという問題は決して消え去ったりしないのか」 その2

 
Why Nature and Nurture Won’t Go Away  Daedalus 133(4): 5-17. (2004)
  

本文

 
冒頭はこう始まっている.

  • 1581年にリチャード・マルカスターは「生まれ(nature)によって得た宝物は育ち(nurture)によってより良きものに」と書いた.彼はその後論争され続けるトピックに語呂の良い単語を見つけ出したのだ.人々の「遺伝と環境のどちらが相対的に重要か」についての信念は驚くほど多くのトピックに関してのその信念の持ち主の意見に影響を与える.

 
ここでピンカーはいくつかのトピックを例示している.なかなか当時の議論の背景がわかって面白い.

  1. 若者が暴力的になるかどうかは小さいときに両親からどのように扱われたかによるのか
  2. 人々は生まれつき攻撃的で利己的だから自由市場と強い警察が必要になるのか,それとも平和的で協調的になることができて自発的な社会主義が可能になるのか
  3. ユニバーサルな美というものがあって,偉大な芸術は時代や場所を越えるのか.あるいは人々の好みは時代と文化によって決まるのか

 
最後のテーマはピンカーがヒトに本性があることを無視するような理論から作られたモダニズム芸術に否定的な見解を示していることに関連するものだ.ピンカーは「How the Mind Works」において音楽チーズケーキ説を採り,それはヒトの本性にとって魅力的な成分を抽出したものであり,音楽を作ったり楽しんだりする能力自体は(適応ではなく)1種の副産物だと論じた.そしてそれを無視したような20世紀後半以降の現代音楽は大衆の支持を失ったのだと「The Blank Slate」で議論している.
 
 
ここからピンカーはこれまでのブランクスレートイデオロギーを紹介する.

  • 20世紀を通じてこの論争における一つの立場はヒトの本性が存在することを否定するものだ.ヒトの心が空白の石版だという教義は行動主義心理学や社会構築主義の礎石であるだけでなく主流のインテリ生活に大きく広がっている.
  • ブランクスレートイデオロギーの魅力の一部は,階級や人種による差異だと思われていた多くの特徴が移民や社会的流動性や文化変容によって消え去ったという理解から生まれている.心に生得的なものがないとするならば,人種や性や階級の差は生得的ではあり得なくなり,このイデオロギーが人種差別や性差別や階級の偏見に対する究極的なセーフガードになることになる.もう1つの魅力はこの教義は強欲,偏見,攻撃性などをヒトの本性とは切り離せるので社会進歩の可能性を示せるところにある.

しかし当然ながらこのイデオロギーは最新の科学的発見と矛盾することになる.ピンカーは簡潔に解説する.

  • ヒトの本性については昔から議論されているが,この議論が心,脳,遺伝子,進化についての最新の科学的発見によって大きく影響を受けることは避けられない.
  • (ヒトに本性があることを示す)これらのうちたった1つの結果だけでもブランクスレートイデオロギーは支持できないものとなる.
  • もちろん誰も教育や文化の重要性を否定できるわけではない.しかし認知科学は学習や文化の獲得において生得的なメカニズムが必要であることを示し,進化心理学は何百もの通文化的な心理的ユニバーサル(それも現代環境ではなく祖先環境に適応していると思われるもの)を記録し,発達心理学は幼児がごく早期から物体や意図や数や顔や道具や言語を認識することを示し,行動遺伝学は気質的特徴が人生のごく早期に生じて終生変わらないこと,同じ文化に属する人々に見られる変異は遺伝性があること,一部の認知,言語,パーソナリティに関連する遺伝子があることを示し,神経科学はゲノムには多くの神経軸索ガイドなどの脳の発達に関する豊かなツールキットがあることを示しているのだ.
  • これらの発見は,脳の生得的組織化を無視することはできないことを示しているだけではなく,我々の遺伝と環境に関する概念そのものをリフレームすることを助けてくれる.

 
では遺伝と環境についてはどう考えるべきなのか.ここからが本論文の中心的テーマとなる.