From Darwin to Derrida その5

 
17世紀に始まった物理化学からの目的因の排除はしかし19世紀の生物学には及んでいなかった.ここでダーウィンが登場する.ダーウィンは多様な生物の存在が自然淘汰による進化で説明できることを示し,神の創造という説明を不要とした.これは目的因の探求とその排除とどう関わったのだろうかというのがヘイグの視点になる.ここも種の起源ほかのいろいろな引用にあふれている.
  

ダーウィニアン結婚式

 

  • 19世紀の半ばまでにメカニカル哲学は物理学を確保した.しかし生物学の絡み合った土手はなおせめぎ合いの場所であった.ダーウィンは1838年のノートにこう記している.
  • 卵が数え切れないほど多く産み付けられることの目的因はマルサスによって説明されている.(私が目的因について語るのは例外的だ:そのことをよく考えよう) この不妊の処女達のことをよく考えよう.

 

  • このわかりにくい言葉は幾通りにも解釈されてきた.私が魅力的だと思う解釈は「不妊の処女達」を「数え切れないほど多くの卵」だ(ほとんどが孵ることなく死んでしまう)と解釈するものだ.するとマルサスはなぜそんなにも多くの卵が作られるのかを説明したことになる.そしてカッコのなかの言葉は「自然淘汰が目的因を生物世界から排除したかどうかをよく考えよう」という意味と解釈する.

 

  • 「種の起源」(1859)においてダーウィンはこう書いている.
  • 生命体が2つの法則すなわち「原型の一致」と「生存条件」によって形作られるということは広く認められている.原型の一致というのは構造の基本的な一致であり,同じグループの生物に生活条件の違いにかかわらず認められるものだ.
  • 私の理論によると原型の一致は祖先の共有によって説明される.キュビエによってしばしば強調された生存条件の表現は自然淘汰によって完璧に説明できる.・・・
  • 生存条件の法則はより高位の法則である.それは生存条件の法則が,獲得された適応が遺伝によって伝えられていることによって原型の一致が生じるということを説明しているからだ.

種の起源(上) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(上) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

 

  • このようにダーウィンは原型の一致を,抽象的な空間の中ではなく,実際の進化時間の中の変形として説明した.そして構造の類似性を機能の多様化と調和させた.
  • ハクスレーは「種の起源」の書評の中で「ダーウィンは目的因の誘惑から離れた航路をとった」と示唆した:「・・・ダーウィンは魅惑的だが不妊の処女,つまり目的因から自由な地を我々を指し示してくれた.」
  • しかしハクスレーは釘の頭(問題の核心)を見逃している.ダーウィンは「ランが昆虫により受粉される様々な仕掛けについて」(1862)において過去と現在の効用の関係についてこう語っている.
  • 生命体はそもそもなんらかの特別な目的によって形作られたわけではないかもしれないが,もし現在ある目的に役立っているなら,我々は「それはそのために特別に工夫されている」と言ってもいいだろう.
  • それは誰かが全く新しい機械をある目的のために作ったときに,(別の区的のために作られた)古い車輪やばねや滑車を用いていたとしても,「その機械はその目的のために特別に工夫したものだ」と言っていいのと同じだ.
  • だから自然界を通してすべての生命体のすべての部分は,おそらくわずかに変更された条件の中での様々な目的のために,古くて特異的な形態を組み合わせた生命を持つ機械として機能しているだろう.

The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

  • 作者:Darwin, Charles
  • 発売日: 2003/07/01
  • メディア: ペーパーバック
 

  • ダーウィンは,自然淘汰を信じるものにとっては(生命体の)役立っていないように見える構造の細かな詳細の探求は「不妊の処女」どころではなく非常に有用だと考えていた.ただし彼はこのあとこう警告している
  • 私はここで,5放射状に配置された15の基本器官の痕跡のような植物の基本構造を述べるつもりはない.というのは生物の転生(modification)を信じるものならばそのような構造が祖先からの遺伝によるものだということを皆認めるだろうからである.
  • ハクスレーは自然淘汰と目的因の関係にこだわり続けている.1869年のヘッケル本の書評においてはダーウィンが生物学の哲学について目的論と形態論を調和させたとコメントしている.しかしこの調和は熱狂を伴わないものだ.ハクスレーは今や2種類の目的論を認識している.
  • その1つは「眼はその生物が外界を見ることを可能にするために精密な構造を持つ」というような目的論だ.この種の目的論はダーウィンの議論によって葬り去られた.このような目的(purpose)は目的因(final cause)によらずメカニカルな過程だけで説明できる.もう1つは「より広い目的論」だ.それは「世界は未知の目的と膨大なメカニズム」によりなるという世界観になる.この広い目的論は進化理論と直接関係しないが,科学的探求は不可知論にとどまるべきかという問題とは関連する.
  • ハクスレーは引き続き目的因が不妊の処女であり,実践的な探求には役に立たないという立場を継続している.

 

  • エイサ・グレイは1874年に「ダーウィンは目的論と形態学を調和させただけでなく,それらを実りある結婚に導いた」と宣言している.
  • ダーウィンは形態学と目的論を対立させるのではなく結婚させた.多くの人にとって進化目的論は疑問だらけのものかもしれない.しかし時が経てば彼等も考えを改めるだろう.ダーウィンの考えが単なる推測で一過性のものだと考えるのは間違っている.それは非常に実践的に実り豊かなものであることがわかるだろう.
  • これに対してダーウィンは「あなたが目的論について語ったことに私は特に嬉しく感じました.それはこれまで誰も気づいていなかったポイントです.あなたこそ問題の核心を突く男だと私は常々感じていました」と返信している.
  • ダーウィンが嬉しく感じた「ポイント」とは何だろうか.最も多い解釈は「形態学と目的論の結婚」だが.だとすると既にハクスレーが「ダーウィンが生物学の哲学について目的論と形態論を調和させた」と指摘していることと整合性がない.おそらくこの「ポイント」は,生物学の「実践的な価値」ではないだろうか.目的因は不妊の処女などではない,それは実践的で実り豊かなのだということだろう.

 
生物の多様性を唯物論的に説明できるのがダーウィンの学説だから,それは目的因を排除するのだというのが当初のハクスレーの解釈になる.しかし目的因は神意との関連だけに限られるわけではない.後にハクスレーはより広い目的論を認めたが,それについての不可知論的な立場だったようだ.進化と目的因にかかるダーウィンの思考はいかにもダーウィンらしく単純な一本道ではない.しかし自然淘汰は形態と目的を合わせて説明するものだと考えていたようだというのがヘイグの読解になる.