From Darwin to Derrida その20

 
ヘイグによる本書は第3章に入ってミームを扱う.まずは「gene(遺伝子)」をミームとして分析する.
 

「遺伝子ミーム」その2

 

  • オランダの植物学者だったウィルヘルム・ヨハンセンは1909年にダーウィンのpangeneを省略した形でdas Gen(複数形はdie Gene)をドイツ語に導入した.これは多義的で曖昧なAnlageという語を置き換えようとしたものだ.

  • ヨハンセンはさらに1910年のアメリカ博物学協会での講演で単数形のgeneを英語として用いた.彼の意図は「どのような個体の特徴も真の遺伝的要素であるという考え」を問題にすることだった.
  • メンデルの法則の再発見により「個体の特徴がすべてその子孫に受け継がれるわけではない.祖先の特徴も子孫の特徴も(そこから発達が生じる)それぞれの接合子の性質によって同じように決まる.つまり個体の特徴は2つの配偶子が接合子に合体したことへの反応なのだ.そしてその接合子の性質は親や祖先の特徴によって決まるわけではない」ということが明らかになっていた.ヨハンセンは遺伝型と表現型の区別という重要な概念を提唱したのだ.
  • ヨハンセンの視点に立つと,「個体の特徴が遺伝する」というのは時代遅れの語彙により引き起こされる誤解だということになる.そこで彼はgene(遺伝子),genotype(遺伝型)という用語を(さらにphenotype, biotypeなどの用語も)提案したのだ.そして「gene」は他の用語と組み合わせて使いやすい短い単語であり,(遺伝の)単位,要素,アレロモルフ(対立遺伝子)の表現としても使えると考えた.

 
ヘイグの分析は’gene’の起源から始まっていて面白い.ヘイグはgeneというのはダーウィンのパンジェネシス説のpangeneが省略された形が始まりだとしている.ダーウィンのパンジェネシス説(pangenesis)で祖先から子孫に遺伝的特徴を伝える粒子はジェミュール (gemmule) と呼ばれていたと思っていたので少し意外だ.この提唱時に提唱者のヨハンセンの頭にあったのは遺伝型と表現型の区別であり,(観察できるのは表現型だけであり)遺伝子は表現型から推測できる抽象的な概念だったということになる.
 
パンジェネシス説はダーウィンが大著「家畜と栽培植物の変異」の中で詳しく説明している.現在邦訳がない*1のが残念だが,これを読むと膨大な観察と隔世遺伝の実例などから遺伝が粒子的であることを確信していたダーウィンがそれを理論化しようとしてパンジェネシス説を提唱していることがわかる.(ダーウィンは融合遺伝論者だったと書かれている書物があるが,これをきちんと読んでいないための誤解だと思う)大変残念なことに一部の観察例をみて獲得形質の遺伝があり得ると誤解してしまったダーウィンは,それをも説明するためにこのジェミュールが血液に乗って身体中をめぐっている(だから獲得形質が遺伝にフィードバックされうる)という仮説を構築してしまった.もし(観察例を誤解せずに)獲得形質の遺伝がないと考えていたら,どこまで真相に近い仮説を提示できたかと考えるとこの誤解は大変に残念なことだと思う.


 

  • ここから「gene」という用語は特筆すべき歴史を持つことになった.(genotypeやphenotypeも世に広まったが,biotypeはそうならなかった).しかし「gene」自体にはごくわずかな情報しかふくまれていない.ミームとしての「gene」の成功には,ヨハンセンが考えたとおりに使いやすい短い単語だったこと,そしてそれがアイデアや概念のセットを代表するようになったという歴史的偶然が大きく働いているだろう.それらは高いミーム適応度をもたらした.
  • 「gene」自体がミームだとすると,それはそれほど興味深いものではない.真に興味深いのは「gene」とラベルが貼られた遺伝についての概念の変遷だ.このミーム歴史が興味深いのは,このような曖昧なアイデアとコンセプトが再定義を繰り返しながらその増殖マーケットを見いだし続けたことだ.
  • 「gene」が単一の意味だけだったことはない.文脈や使う人により異なる意味を持った.自分の語彙に「gene」を加える人は皆聞いたり読んだりした定義からその使われ方を推論し自分自身の概念にしていった.そしてこの個人的な定義はさらに新しい定義に翻訳され,会話や書き物によって他の人の心に新しい意味を付け加えていった.アイデアの伝搬において意味の連続性はあったが,正確な信頼性はなかった.
  • ヨハンセン自身にも個人的な「gene」概念があった.彼にとって遺伝型は表現型からのみ調べることができるもので,その物理的実態やどこにあるかを調べることは無駄なことだと考えていた.
  • このヨハンセンの「使いやすい短い語」はすぐに遺伝学者たちの間でよく使われるようになった.特に遺伝子は染色体にある物理的実体だと信じる学者たちに広まった.「gene」が遺伝に関する代替的な概念のラベルになったことは,ミーム的な組換えがあったといってもいいのかもしれない.しかし染色体理論の支持者達は表現型の違いから知ることのできる操作的な概念としても「gene」を使い続けた.(遺伝学者スターティバントのコメントが引用されている)

 
‘gene’のミームとしての成功はあまり中身がなく,どのような概念でも包摂し得たこと,そして単音節で使いやすかったことによるということになる.そして実際にミームは複数の意味で使われるようになる.
 

  • ほとんどの20世紀の実験遺伝学者たちは生物の物理的な性質の違いから遺伝子の物理的な性質を推測しようとした.これらの探索は,遺伝子について「タンパク質のアミノ酸配列を決めるDNA配列」という定義に結びついた.これにより遺伝子の操作的な定義は化学的な特性により直接感知できる要素にシフトした.遺伝子の存在は今や,表現型の違いではなく,DNA配列から直接結論づけられるようになった.しかしこの新しい定義が古い(表現型の違いからの)操作的な定義を駆逐してしまったわけではない.
  • 実験遺伝学者たちは観察される表現型の違いについて遺伝子を使って説明しようとした.ピンクの眼をしたショウジョウバエと赤い眼をしたショウジョウバエの違いは両親から受け継いだ遺伝子の違いで説明された.同様に進化生物学者たちも自然淘汰産物についての仮説的な表現型の違いを遺伝子を使って説明しようとした.鳥類学者はなぜ一部の鳥の種は父親が子育てを手伝い,別の鳥の種はそうしないのかについて,子育て行動の差を引き起こす遺伝子を想定して自然淘汰がどう働いたのかを説明しようとする.この遺伝子は子育て行動を生じさせる遺伝子群のことではなく,この行動の違いの要因となる遺伝子を指す.

 
私たちは現代の生物学の文章を読むときにそれぞれの遺伝子概念を文脈に合わせて解釈しているのだろう.それはほとんど無意識に行われるように感じられる.ヘイグに指摘されると確かにそこでは異なる概念が同じ単語で表現されているのがわかる.最後の「行動の違いの要因となる遺伝子」という概念は行動生態学(そしてその流れをくむ進化心理学)で用いられるものだ*2.社会生物学論争ではこのあたりの混同が,進化生物学を遺伝決定主義だとする誤解に結びつくことになる.

*1:戦前の古書にはあるが入手困難

*2:もっとも現在ではそれをゲノム分析して物理的実体としてのDNA配列まで突きとめようとするリサーチも増えている