書評 「The Kindness of Strangers」

 
本書はヒトの見知らぬ他人への利他性がどのように説明されるのかを扱った本だ.著者は実験心理学者でヒトの社会性をリサーチしてきたマイケル・マッカローになる.本書は前半では進化生物学的な議論を総括し,後半ではどのように歴史的にモラルサークルが広がってきたかを扱い,合わせてヒトの見知らぬ他人への利他性を説明しようとするものだ.

ヒトがしばしば見知らぬ他人に対しても利他的に振る舞うことは,単純に考えると適応度的にはマイナスになりそうで進化的には1つのパズルになる.これについてはハミルトンの包括適応度的な説明,直接互恵,間接互恵,(社会淘汰を含む)性淘汰的な説明などがあるが,単純な説明は難しい.片方でヒトには部族主義的な傾向もあり,これと合わせて歴史的に(誰に対してどこまで利他的に振る舞うべきかという)社会のモラルコードが変化してきているという事実もある.本書はこのあたりをまとめて解説しようとするものだ.
 

第1章 思いやりの黄金時代

 
まず我々ヒトが(チンパンジーと全く異なり)見知らぬ同種個体にしばしば利他的に振る舞うことを指摘する.そしてこれまでにこれについてどのような説明が試みられてきたのかが振り返られる.

  • 大きな流れは歴史的な説明になる.古代ギリシアの博愛(pphilanthropy),中世ヨーロッパの施し(almsgiving),16世紀の救民法,そして現代の福祉国家への歩みを,あたかもそこに至る見えざる手があるかのように道徳発展の文明化理論として解説する.
  • そしてここにダーウィンに始まる進化生物学からの洞察が加わる.これには進化環境でも見知らぬ他人への利他行動には利益があったという適応説とそうではなく血縁者や友人への利他行動傾向が誤発動しているという副産物説(祝福すべき誤り説)がある.
  • しかし両説とも実証データはなく,物事を単純化しすぎている上にモラルサークルの拡大を説明できない.

そしてマッカローはこの問題はヒトがインセンティブに敏感であること.ヒトには合理的な推論能力があることを考慮に入れて考察すべきであるとして本書を書いたということになる.
 

第2章 アダム・スミスの小指*1

 
マッカローはヒトが無条件で見知らぬ他人に親切であるわけではないことをまず押さえる.そこには利他心を呼び覚ますなんらかの条件があるのだ.

  • アダム・スミスは「道徳感情の理論」において他者のウエルビーイングへの関心としての「同情:sympathy(今日的には共感:empathyと呼ばれる概念に近い)」の重要性を説き,それが発動しない場合にはヒトは見知らぬ他人に対して極めて利己的に振る舞うとした.そしてその後の心理学はそれを裏付けている.
  • ヒトは自分の注意の焦点以外のことに気づきにくい.注意は限られたリソースで,一部のこと(自分や知人の名前,自分の所有物など)に引き付けられやすく,見知らぬ他人に関することに対してはそれほど喚起されない.
  • ドゥヴァールやリフキンのように共感の重要性を説く論者は多いが,共感には限界がある.共感はおそらく血縁者や友人に利他的に振る舞うための適応であり,まず間違いなく見知らぬ他人に利他的に振る舞うための適応産物ではない.(裏付けとなるリサーチやメタアナリシスが紹介されている)ポール・ブルームがいうように共感は部族的で狭い心の産物なのだ.実際に人々は見知らぬ他人に共感を感じることを避けようとする傾向がある.
  • そして(適応的には)誤ったキューに対して共感が生じたときに見知らぬ他人への利他行為が生じる.これがチャリティにおいてしばしば困窮する少女の写真が使われる理由になる.

 

第3章 進化の重力

 
ここでマッカローは進化適応の解説に移る.自然淘汰の力を重力にたとえているのは面白い.

  • 自然淘汰は進化の基礎的な力だが,それには重力に似たところがある.DNAなどの細部を見れば見るほど自然淘汰は突然変異,分散,浮動などに比べて重要ではないように見える.しかしズームアウトすればそれは圧倒的に重要であり,唯一のデザインの起源になるのだ.それはちょうど強い力,弱い力,電磁気力に比べて重力は圧倒的に小さいが,宇宙において星を作るのは重力であることに似ている.

ここからマッカローはペイリーの時計の議論にふれ,デネットによるドーキンス遺伝子視点に基づく自然淘汰の見方を解説する.(初心者向けの解説が簡潔になされている) そしてその流れからヒトの進化適応を説明する進化心理学に進む.

  • 進化心理学は一部の人々から性と暴力の研究だと誤解されているが,そうではない.適応の観点からヒトの心理を分析しようとする試みだ.(いくつかのよくある進化心理学批判とその誤りが解説されている)

 

第4章 すべてはレラティブ*2

 
ここからマッカローは利他行為の進化的説明に入る.最初はハミルトンによる包括適応度理論だ.

  • 最初にこれを説明しようとしたのはウィリアム・ハミルトンになる.ハミルトンは包括適応度理論を提示した.これの最も良い例は親による子育てだ.子育て投資を行う生物は通常自分の子か他者の子かを区別し,自分の子により投資しようとする.
  • 母子間では血縁認識の問題は(自分が産んだという信頼度の高い手がかりがあるので)ある程度容易に対処できるが,それ以外では難しくなる.よく用いられているのは(血縁度と相関性がある)同じ巣にいるというような情報,匂いによる識別などだ.
  • これらの手がかりはヒトでも用いられているようだ.(ヒトが同じ姓を持つ他人により好意的に振る舞う傾向があるというリサーチが紹介されている)
  • そしてヒトは血縁者により利他的になる.これは縁故主義(nepotism)として知られ,ヒトの文化に広く見られる.また団結や協力を呼び起こそうとする場合にはしばしば兄弟とか親子などの家族関係用語が使われる.
  • しかしこれは見知らぬ他人への利他行為を説明できない.

 

第5章 スポックの愛*3

 
次にマッカローはマルチレベル淘汰をとりあげる.

  • では見知らぬ他人への利他行為はどう説明されるのか,多くの論者はここにグループ淘汰を持ち出す.例えばEOウィルソンはヒト社会を(通例的な用語法を越えて)真社会性だとし,それはグループ淘汰産物だと主張している.さらに一部の論者はハミルトンの包括適応度理論に異を唱えてグループ淘汰を持ち上げようとすらしている.
  • しかしこれらは大胆すぎる主張だ.生物がその属するグループの善のために進化するという考えは古くからある.まずその単純なバージョンであるウェイン=エドワーズのグループ淘汰理論は多くのそれに反する観察と共にデイヴィッド・ラックやジョージ・ウィリアムズにより基本的に否定されている.(詳しく解説がある)
  • より洗練されたマルチレベル淘汰フレーム(淘汰圧をグループ内淘汰とグループ間淘汰に分けてどちらが強いかを考察するというフレーム)をプライス方程式を拡張して最初に理論的に示したのはハミルトンになる.DSウィルソンはマルチレベル淘汰理論をもちいればヒトの利他性をグループ淘汰的にうまく説明できると主張した.

 

  • ここでまず理論的にコメントしておこう.まずマルチレベル淘汰で利他性が進化可能であるのは確かだが,実際に進化するには前提条件が満たされている必要がある.そしてその条件はハミルトン則のそれと同じになる.つまりマルチレベル淘汰理論は包括適応度理論と等価であり,何も新しい洞察を与えはしないのだ.(ここも具体例を引きながらキーになるのはb,cなどの大きさ,戦略共有確率(血縁度に該当)であることの解説がある)

 

  • ここ20年ほど熱狂的グループ淘汰主義者達はヒトの見知らぬ他人への関心がグループ淘汰によって生じる可能性を探ってきた.彼等は特にそれが(進化環境で)その属するグループの戦争遂行能力を上げるのではないかと考察した.これは偏狭な利他主義(parochial altruism)と呼ばれる考え方だ.
  • これは数理的には可能だが,では実際にはどのような行動が戦争遂行能力に関わるかは明示されていない.論者達はそれが何か美しいものだと想定しているようだが,極めて残虐なものかもしれないのだ.(狩猟採集社会における)戦争による部族の利益は領土(そこにあるリソース)と女性(つまりレイプや性的奴隷と深く結びついている)なのだ.

 

  • 要するに血縁淘汰だけでは見知らぬ他人への利他行動は説明できない.そしてそれはマルチレベル淘汰を持ち出しても解決しないのだ.

 
この章のマッカローの説明は簡にして要を得ている.マルチレベル淘汰は数理的には包括適応度理論と同じで何も新しい洞察を与えるわけではない.そして現在最も注目されているマルチレベル淘汰論者(ボウルズ,ギンタスの「協力する種」の主張への賛同者達)は部族間戦争を持ち出すが,何が戦争に有利なのかの具体的な考察にかけた空理空論だというわけだ.要するにマルチレベル淘汰を持ち出しても見知らぬ他人への利他行為の説明にはならないのだ.
 

第6章 大きな見返り

 
次にマッカローが扱うのは互恵理論だ.

  • (直接)互恵理論は1969年にトリヴァースが提唱した.トリヴァースは囚人ジレンマゲームにおいて協力するヒトの傾向を(長期的な利益という観点から)説明可能なのではないかと考え,アクセルロッドとハミルトンは繰り返し囚人ジレンマゲームトーナメントにおいてtit for tat戦略が有効であることを示した.
  • アクセルロッドとハミルトンの当初のゲームは前提を極端に単純化している.これを(シグナルにノイズがあるなどの条件で)緩めると様々な複雑性が生まれる.しかし大局において「ドナーのコストはレシピアントの利益を再対戦確率で割り引いたものを下回らなければならない」というハミルトン則に似たルールが該当する.
  • これらの議論を受けて生態学者は野外の動物での互恵性利他の実例を探した.彼等はチスイコウモリの実例を見つけたが,野外ではかなり稀であることがわかった.(当初のチスイコウモリ事例の報告,それに対する懐疑論,さらに擁護派がそのような懐疑論を1つずつつぶしていった経緯が説明されている)
  • ではヒトについてはどうなのか.例えば狩猟社会における肉の分け合いにはそういう側面があるだろう.ここで重要なのはあるリソースの限界利益が逓減すること,再対戦確率が見積もりやすいことだ.そして実際に我々はよく知った人々や同じ文化グループの人々により親切であり,相手が返報するような人かどうか常に評価している.
  • この評価はアレクサンダーの評判を元にした間接互恵性の理論につながった.これについてもまた同じく似たようなルールが見いだされている.そして人々は実際に評判を気にする.これは配偶市場における評価にもつながる.評判は現代社会でも非常に重要だ.

 

  • では間接互恵性は見知らぬ他人への利他行為を説明できるだろうか.
  • ある程度はできるだろう.少なくとも血縁淘汰よりは説明力がある.特に評判が取引相手の選別だけでなく,配偶市場にも広がるならそうだ.しかしそれだけではまだすべてを説明できていない.なぜこの利他傾向は時代により広がってきたのか,そこには「理性」が関わっている.

 
第6章までがマッカローによる利他性の進化的な説明になる.しかし時代と共に利他傾向が広がってきたことについてこれでは説明できないというのがマッカローの主張だ.ここはしばしば「モラルサークル(あるいは共感の輪)の拡大」で説明されるところだが,マッカローはそういう言葉は使っていない.第7章から第13章にかけてマッカローは歴史をたどって(モラルサークルの拡大に貢献した)「理性」の役割をたどっていくことになる.
 

第7章 孤児の時代

 

  • (モラルサークル拡大についての)最初の歴史的事件は1万年前の農業革命だ.農業は貯蔵可能な食糧,(運よりも勤労が取れ高に関連するので)土地の私有の観念,そして富の蓄積可能性をもたらし,共同体の分配と平等主義に致命的な一撃を与えた.社会の経済モデルは狩猟採集共同体から家族による農業へと移り変わった.
  • 農業世界では貧富の格差が生じ,都市が形成され,社会は見知らぬ他人の世界になった.そのような初期の都市の住民達は貧困や飢饉については運命として受け入れるほかなかった. 
  • しかしメソポタミアやエジプトの一部の王は社会の弱者達(孤児,寡婦など)に救済を行いはじめた.住民達から愛されることは彼等の王権の正統性を補強し,ライバル貴族達に対して優位に立てると考えたからだ.

 

第8章 思いやりの時代

 

  • 紀元前1200年頃エジプト,ミケーネ,そのほかの地中海および西アジアの文明は次々に崩壊した(青銅器時代の崩壊 the Bronze Age collapse と呼ばれる).その後数百年内に,より平等主義的な宗教と哲学(第二神殿ユダヤ教,仏教,儒教,諸子百家,古代ギリシア哲学など)を持つ新しい社会が興隆する.この時代はヤスパースにより枢軸時代と名づけられた.
  • それらの思想はヤスパースが当初論じたほど同時期にそろっているわけではないが,数百年の中で同じ方向に向かう重要な文化的変化を示している.(そしてやや遅れて現れたキリスト教やイスラム教も同じ傾向を持っている)この時代に公正な法,道徳的な神が現れ,向社会的な他者への関心が強調された.
  • 枢軸時代のイデオロギーは何故興ったのか.哲学者のボーマールは,当時あった8つの文明(エジプト,ギリシア,中国,インド,メソアメリカ,アンデス,アナトリア)の中で3つ(ギリシア,中国,インド)だけが枢軸イデオロギーに移行していることからみて,移行は交易と技術による物質的な豊かさが鍵になっていると指摘した.豊かになるとチャリティの気持ちが強くなるのかもしれない.
  • 理由はともあれ,枢軸イデオロギーは「黄金律」という倫理的革新をもたらした.それは倫理的に扱うべき人々の範囲を大きく拡大した.(ここでマッカローは黄金律の限界もいろいろ議論している)そして黄金律の重要なインパクトはその論理的な力だ(ケネディやオバマもこのレトリックを用いている).
  • 枢軸時代に考え方は大きく動いたが,なお世界には貧困や格差があふれ,人々は血縁と部族を大事にし続けた.また黄金律は慈善の効率には無関心だ.効率的な慈善という考えが生まれるにはここから1500年が必要だった.

 

第9章 防止の時代

 

  • 枢軸時代の慈善はGDPの1~2%を越えることはなかった.しかし1500年頃までにグローバルな貿易が拡大し,単純労働の対価が相対的に下がり,貧困問題は新たな局面に入る.ヨーロッパの都市環境は劣悪になり,貧困は栄養不良と疾病問題となった.
  • 政治家達はこれに取り組み,貧困問題は貧者だけの問題でなく,国家や市民の問題だと考えるようになる.防止の時代の始まりだ.
  • 16世紀の人文学者ビベスは,貧困は悲惨と混乱を招き,公衆衛生,社会秩序,ビジネス環境を悪化させるものであり,人々は貧困の低減についてキリスト教的な義務を負うのだと論じた.この考え方はすぐに受け入れられたわけではないが,徐々に浸透していった.
  • 英国では1598年にエリザベス救貧法が成立する.この法では貧困者にどのように何を施すのかが定められた.これを嚆矢にいろいろな法が成立し,その政策が実行に移された.1つの例は1723年の救貧院テスト法であり,働く意欲のある貧者のための施設が設けられた.(オランダについても同様の流れがあったことが説明されている)
  • しかし1776年のアダム・スミスの国富論の出版以降,レッセフェール的な資本主義が主流の考え方になり,貧者への救済が大きすぎる場合の弊害が意識されるようになった.そして福祉についての劣等処遇の原則(福祉による利益は労働による報酬を上回ってはならない)が広く意識されるようになる.
  • このような限界はあったが,防止の時代にはいくつかの考え方の進歩があった.それは(1)貧困には周りへの腐食性の効果があるので(貧者の問題というだけでなく)社会の問題である,(2)貧困にはいくつかの原因がある,(3)貧困の防止は国家の義務である,というものだ.

 

第10章 第1次貧困啓蒙

 

  • 1960年代以降英米では福祉の濫用や肥大化を問題視する福祉懐疑論が広がった.レーガンやサッチャーの主張はその典型だ.(英語のwelfareには悪い語感がついたため,現在ではsupport, assistance, あるいは単にprogramと呼ばれることが多いそうだ).しかしながらその他の世界ではそのような懐疑論は主流にならず,世界の福祉(人々の健康,幸福,教育)は改善した.これは文明の偉大な成果の1つと言っていい.
  • これは19世紀末に生じた欧州政府の社会政策の拡大から始まり,100年間続いた.経済学者のラヴァリオンはこれを第一次貧困啓蒙と呼んだ.
  • 産業革命前には人々の社会保障はギルドによっていた.産業革命を経て19世紀末にドイツとオランダは公的な勤労者の年金制度を作り,これは各国に広がった.さらに健康保険,失業保険,公的教育の制度が各国に取り入れられた.この流れは大恐慌,世界大戦を経てさらに強化された.アメリカの「貧困との戦争」もその1つだ.各国財政における健康福祉教育の支出は大きく増加した(先進国のこの支出は1920年代のGDP比5%未満だったが現在は20%以上になっている).
  • 背景となった思想は,「所得は公正に再配分されるべきだ」という考えと「貧困は理解可能で解決可能な問題だ」という認識だ.

  

  • 国家には再配分の義務があるという考えを代表する啓蒙思想家はルソー,アダム・スミス,カントになる.
  • ルソーは人々は基本的に平等であると考えた.また貧富の差は環境に大きくよっており,それは自己増幅する傾向があると考え,政府は貧富の差の拡大を防ぐように努めるべきだと説いた.
  • アダム・スミスは大多数が貧困である社会が繁栄し続けるはずがなく,人々を貧困状態に放置すべきではないと考えた.そして食糧価格を上昇させる課税政策や交易政策に反対し,累進課税,普通教育,公的勤労プログラムを提案した.さらに貿易不均衡を問題視する考えを厳しく批判し,政策目標は貿易収支の均衡ではなく市民の幸福であるべきだと説いた.そして人々が貧困に陥るのは(その人の責任ではなく)偶然の要素が大きいと強調した.
  • カントは普遍的な人の尊厳を道徳の原則として掲げ,定言命法の道徳体系を主張した.それは我々に他者の尊厳を貶めないように行動する義務を課す.さらに1785年の「人倫の形而上学」では,国家と市民は社会契約関係にあり,国家には市民を救済する義務があるとしている.
  • これらの思想は受け入れら,人々の胸を打つ小説となり,徐々に法制度に取り入れられていった.

 

  • 貧困は理解可能で解決可能だという考えは科学的なマインドセットの賜物だ.
  • 19世紀末の英国の博愛主義者,改革主義者は科学的に取り組めば貧困問題も解決可能だと信じるようになった.彼等は様々な慈善活動に取り組み,社会や政策についての科学の進展を期待した.そして学者たちは貧困問題に取り組みはじめた.この流れはアメリカでも生じた.アメリカではプライベート慈善基金の制度が認められ,ロックフェラーやカーネギー達は慈善に取り組んだ.
  • 第一次貧困啓蒙は古代からの貧困についての概念を変え,貧困問題に取り組むに当たって原理原則にフォーカスさせた.不平等はさらなる不平等を生む,すべての人は尊厳されるべきで道具として扱われるべきではない,貧困に陥るのは(当人の責任というより)偶然の要素が大きい,科学は問題を解決できるということだ.
  • またこの流れを支えたのは2つの世界大戦による大きな被害,そして民主主義の進展だ.

 

第11章 博愛主義ビッグバン

 

  • 1755年のリスボン大地震は世界中の関心を引き付け,各国からの大規模な支援が寄せられ,国家主導の復旧活動が行われた.政治学者のバーネットはこれを博愛主義ビッグバンと呼んでいる.
  • これは「貿易でつながっている他国を助けることは自国の利益にもつながる」「災害は神の怒りではなく,物理的な因果の結果であり,国家は災害からの復旧の義務を負う」「復旧活動は科学的原則に立って効率的に行われるべきだ」という考え方に則ったものだ.
  • 博愛主義ビッグバンの推進者は政府ではなく,様々な民間団体だった.彼等は植民地人民への搾取を問題視し,国家は他国家やその人民に対しても倫理的義務を負うのだと主張した.
  • 欧州の戦争は(それ自体は悲惨だったが)トリアージの考え方(ナポレオン戦争)やナイチンゲールの看護の科学的な取り組み(クリミア戦争)を生み,国際赤十字の創設につながった.
  • 博愛主義ビッグバンの活動を支えたのは新聞などのコミュニケーション技術の進展と鉄道などの輸送技術の発達だった.
  • この博愛主義の対象は19世紀から20世紀の初めにかけ,欧州の戦争での傷病兵→戦争孤児→内戦被害者→アジアアフリカの弱者へと徐々に広がっていった.そして第二次世界大戦中にIWC,UNRRAなどの国際機関が生まれ,それは戦後の国連の関連団体やマーシャルプランの一環としてのCAREにつながった.

 

第12章 第二次貧困啓蒙

 

  • 1949年,トルーマンは共産主義の脅威と古くからある貧困の問題をどうするかを考察した.彼はアメリカは人道主義の推進の立場から,国連を支持し,西ヨーロッパの経済復興を助け,NATOを発足させ,そしてさらに世界中の貧困問題への援助をするべきだと結論づけた.共産主義の蔓延を防ぐには人々のニーズを満たして自由を確保するのが重要だと考えたのだ.この1つの成果が緑の革命になる.
  • 西側先進国はアメリカに倣いOECDの途上国向け援助の金額はどんどん増えていった.また個人による寄付も増加した.1960年代から70年代にかけて人々の貧困問題への関心は増加したのだ.
  • この時期を第二次貧困啓蒙の時代と呼ぼう.この啓蒙運動は貧困をより定量的に捉え,倫理哲学者は人々にはグローバルな貧困問題に対処する義務があると論じた.(ピーター・シンガー,オノラ・オニール,チャールズ・ベイツ,ジョン・ロールズ達の議論が紹介されている)
  • この時期家庭にはテレビが普及した.家庭には世界中の悲惨な映像が届けられ,慈善団体は寄付を募るコマーシャルを打った.この影響をよく示すのが,1984年のエチオピア飢饉に対するチャリティコンサートの盛り上がりだ.
  • このチャリティは感情的に盛り上がったが,冷静な事実の把握や対策の検討を欠いたために,巨額の寄付が集まったのに対して実効性はあまりなかった.このいきさつ(そして類似の様々な慈善の成り行き)は,慈善の効率性,優先順序をどう考えるべきかという問題の認識につながった.

 

第13章 実効性の時代

 

  • では我々はどうすべきか.慈善や援助に対してどのように優先順序を付けてどのように進めるべきなのか.21世紀の世界は問題の悲惨さを定量化して効率的に慈善を進めるべきだという実効性の時代に入っている.そこでは実態把握と対策についての事実とデータに基づいた科学的リサーチと実際の援助の効率性が重要視される.この考え方は効率的利他主義,慈善資本主義,貧困科学,効率性専門家,バスローブ人道主義によって後押しされている.
  • 効率的利他主義は功利主義に源を持つ.それは世界の苦しみを定量化してそれを最も減らす効果的な方法を善とするものだ.それは,その帰結としていくつかの反直感的な結論(例えば「有能な人はその才能をできるだけ稼ぐことにつぎ込み,その稼ぎの大半を慈善事業に寄付すべきだ」)を持つ.これに対しては様々な批判もある.
  • 博愛資本主義はどの慈善団体に寄付すべきかはその効率性に基づいて決めるべきであり,慈善団体は効率的に経営されるべきだという考え方だ.バフェットやゲイツ夫妻が代表的な実践者だ.この効率性は貧困科学により測定される.
  • 国連のSDGsが高すぎる目標数値により迷路にはまり込みかけたときに効率性専門家が登場した.彼等はSDG目標についてそれがどの程度付加価値を生むか,どの程度のコストがかかるのかによって優先付けを行うべきだと助言した.
  • そしてインターネットは,簡単に世界の悲惨にアクセスし寄付などのアクションを起こせるような環境を作り出し,バスローブ人道主義と呼ばれる行動様式を可能にしたのだ.

 
ここまでがマッカローの語るモラルサークル拡大の歴史になる.そして最終第14章で理性の役割がまとめられる.
 

第14章 理性

 

  • ここまで歴史を語ってきたが,タイムラインだけでは説明にはならない.真の説明を行うには歴史的に生じた複雑な事象をヒトの本性の面から理解することが必要だ.
  • 包括適応度理論は多くの生物界の利他行為を説明できる.しかし我々が見知らぬ他人を助けることは説明できない.これはグループ淘汰をとっても同じだ.
  • 互恵利他と徳のアピールにかかる間接互恵利他や社会淘汰は見知らぬ他人への利他行為をある程度説明できる.しかしそれは最重要な要因ではない.それは我々が狩猟採集者だったときに見知らぬ他人をかまわなかったことを説明できないからだ.(歴史的なモラルサークルの拡大にとって)真に重要な要因は理性を働かせようとする本性とそれが大規模な人々の苦難に対してどう反応するかだ.
  • 今日の哲学者や心理学者は理性に対して懐疑的だ.行動は無意識に決定され,理性は後付けの説明を行うという知見や理性の限界の知見が積み重ねられているからだ.
  • しかしそれが理性のすべてであるわけではない.ヒトは問題を解決しどう行動するかを決定づける実践的理性を持っているのだ.そしてこの実践的理性はヒトの慈善の歴史に決して消えることのない印を残している.古代の王は弱者を援助すべき理由を見つけた.第一次貧困啓蒙はルソーやアダム・スミスやカントの議論に後押しされ,博愛主義ビッグバンは交易相手を助けるメリットや人権と国家の義務という議論を受けた.トルーマンやシンガーも論理的に議論を進め,実効性の時代はまさに理性的な取り組みが中心になっている.
  • 使われてきた理由付けは,最初は利己的(古代の王は自分の王権の強化を目的とした)だったが,より間接的な利己性(都市の環境,国家の交易,世界の繁栄)を用いるものになり,最後は自分の誠実性という意味でのみ利己的(すべての人に人権があり,自分は論理的倫理的に正しく振る舞うべきだ)なものに移っていった.論理の中心となったテーマはアイデンティティとその交換性だ.
  • そしてそのツールとして役立ったのは科学と技術の進展(通信や輸送,アイデアの交換,問題の解決策の提示)であり,さらに国際交易の進展(世界が相互依存的になり,生みだす富が貧困を減らすと共に大規模な慈善を可能にした)がこの動きを後押ししたのだ.

 
これがマッカローによるモラルサークル拡大の説明になる.マッカローは最後に将来についても少し語っている.

  • 横たわっている課題は,なおサブサハラアフリカに残っている貧困問題,気候変動問題,そしてそれが引き起こす大規模移民問題だろう.第1の問題は単純な援助や自由貿易の拡大だけでは解決が難しそうだ.個別の地域に合わせた実効性のある援助パッケージが望まれる.気候変動には排出規制,排出課税にまず取り組み,さらに効率性の向上,新しいエネルギーの開発,二酸化炭素固定技術の推進が望まれる.大規模移民問題は我々の部族主義的本性を考えると最も困難な課題になるだろう.経済的なコストベネフィットだけでなく文化的な影響も考慮すべきことになる.
  • 進化はヒトに見知らぬ他人を気遣う傾向を直接与えてはくれなかった.しかし進化はヒトに学習し,理性的に考える能力を与えてくれている.我々はなぜ寛容と利他主義が価値あるものなのかの理由そして理性と議論を重んじることの重要性を教えていくべきなのだろう.

 
以上が本書の内容になる.基本的な説明スタンスはピンカーの暴力の人類史の議論と同じだが,暴力ではなく慈善にフォーカスする形になっている.このため大きな歴史の括り方が少し異なっており,ピンカーがあげる4つの天使(共感,自制.モラル感情,理性)の中での実践的理性の重要性を特に強調しているということになる.慈善の大きな歴史の流れは大変興味深く勉強になるが,やや西洋史的視点に偏っていることは否めない.中国や日本におけるモラルサークルの拡大はどのように説明されるべきなのかにも興味が湧く.私的には(ボウルズとギンタスの)筋悪のマルチレベル淘汰狩猟採集社会戦争有利説を鋭く批判しているところが読みどころだった.
 
 
関連書籍
 
マッカローの本 未読だが,許しについて書かれた本のようだ.ハードカバーのみ,電子化もされていない模様.

Beyond Revenge: The Evolution of the Forgiveness Instinct

Beyond Revenge: The Evolution of the Forgiveness Instinct

 
本書とテーマ的に近いピンカーの著作.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130109/1357741465https://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/11/23/143736
訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150127/1422355760https://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/11/26/151137
 

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

*1:アダム・スミスが「ヒトは自分の小指が明日切り取られると知ったら眠れないほど怖がるだろうが,明日遠く離れたところで災害が生じて自分と関係ないものが百万人が死ぬと聞いてもいびきをかいて眠れるだろう」としていることから来た章題と思われる

*2:相対的という意味と血縁者という意味の両方にかかって用いられているようだ

*3:スタートレックのあるエピソードでスポックがエンタープライズ号のために自己犠牲的行為を行うことから来ている章題だと思われる