From Darwin to Derrida その133

 

幕間 その4

グールドの「外適応」とセットになった「オリジナルな機能のみを適応と呼ぼう」という提案に対して,ヘイグはオリジナルの機能のみを気にするのは好古趣味としてはいいが現在の状況を説明するには不向きであるとし,まず単語の語源に関する蘊蓄を語って見せた.ここから生物学的な例になる.
 

  • バジルの香油は食害昆虫への防御物質として進化したものだ.狩猟採集民だったヒトは森の中のそこここで葉っぱの先端をかじってみて,美味しく感じるものを採集していっただろう.このような美味しい植物は(ヒトに採集されるために)種子をあまり残せなかっただろう.バジルにとってヒトへの美味しさは不適応であり,バジルの目的ではなかった.しかしヒトが美味しい植物の種を集めて栽培を始めるようになり事態は一変した.今や良い香りは栽培される理由になった.美味しくない植物は栽培されにくく,食害昆虫からヒトによって守ってもらえなくなった.美味しい植物の種はより栽培されやすくなった.ヒトへの美味しさのアピールはバジルにとって生存の理由になったのだ.
  • この栽培化されたバジルの香油の機能はなんだろうか.ありうる回答の1つは,「機能は防虫であり,ヒトへのアピールは副産物だ」というものだ.別のありうる回答は,「機能はかつては防虫であり,現在はヒトへのアピールだ」というものだ.この2つの回答の違いは,どちらが「真の」機能かというところにあるのではない.違いは回答者が「機能」の意味をどう考えているかにある.私は後者の回答が好きだが,前者が間違いというわけではない.単に使われている「機能」の意味が異なるのだ.
  • 3つ目のありうる回答は,「香油の機能は防御と香ばしさの両方である,なぜなら防虫機能は栽培化によって失われているわけではないから」というものになる.料理人は葉っぱが虫に食われていない方を好むというわけだ.

 
バジルの香油はヒトが地球史に登場する前に対昆虫の食害防御の機能を持つ適応として進化したのだろう.ヒトが登場したのちまだ狩猟採集民だったときにはバジルの香油は,対昆虫の相互作用においては適応度を上げ,対ヒトの相互作用においては(食害を促進することにより)適応度を下げた.両者の適応度増減の和が平均的に有利であったならなおそれは適応形質としてネガティブ淘汰を受け続けただろう(これは地域個体群によって異なっただろう).この場合の香油の機能は昆虫食害の防御であり,ヒトの食害の促進は副産物ということになる.
ヒトがバジルを栽培するようになると,香油は対昆虫(食害防御)でも対ヒト(栽培化促進)でも適応度を上げただろう.だからヘイグのいう3つ目の回答が私にはしっくり来る.そしてそのうちにバジルはより良い香りを持つものが選抜育種され,栽培集団と野生化集団とは離れていっただろう.この栽培集団においてはより良い香りがポジティブ淘汰を受けているのであり,ヒトへのアピールが主要な機能であり,また虫がつきにくいバジルがより栽培種として好まれたなら防虫も機能ということになるだろう(ヘイグの最後の文はこちらを意味しているのだろう).もともとの香りが栽培育種により改善されていく場合グールドはこれを機能と認めないのだろうか,ちょっと気になるところだ.
 

  • このバジルの物語はデネットの「The Intentional Stance(邦題:志向姿勢の哲学)」にある「彷徨うtwo-bister」の逸話の焼き直しだ.これは米国の25セント貨でソフトドリンクを売るように作られた自動販売機の話だ.この自販機はパナマに設置され,そこでは(US25セント貨と全く同じ大きさの)1/4バルボア貨でソフトドリンクを売るために使われた.デネットはこの自販機は25セント貨で動くように設計されたが,今やその機能は1/4バルボア貨を受け入れることだと考察した.これはちょうどバジルの香油がもともと防虫のために進化したが,今やヒトの嗜好にアピールするように機能しているのと同じだ.現在の機能においては,このパナマに設置された自販機がUS25セント貨を受け入れるならそれは機能を果たしていないことになる.同様に自然淘汰の「デザイン」は,環境が変化したり,ある特殊な環境でのみ適応度が向上するようになることにより,機能不全となることがあるのだ.

  
私がデネットを読み始めたのは「ダーウィンの危険な思想」からになる.というわけでそれ以前のデネットの分厚い哲学書(The Intentional Stance(邦題:志向姿勢の哲学),Elbow Room(邦題:自由の余地)など)は未読だ.採り上げられている逸話を見ると志向姿勢を語りながら機能や適応についてすでに考察が始まっているということのようだ.考えて見ると「ダーウィンの危険な思想」を読んだのはもう20年も前だ.なかなかエキサイティングな読書だった記憶がある.もう一度読んでみるのもいいかもしれない.