War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その47

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その8

 
ターチンのフランク帝国とその後継国家群興隆物語.北フランスにヴァイキングが侵入し真のメタエスニック断層が形成され,フランクだけでなくヴァイキングも大規模な結束した戦士社会を形成する.そしてヴァイキングつまりノルマンはそこからさらにイングランドと南イタリアに侵攻する.
 

カロリング朝の北フランス辺境 その4

 

  • イングランドのノルマン征服は特に注目すべきものだ.なぜならノルマンたちはすでに十分社会的結束を持つ国家を屈服させなければならなかったからだ.11世紀のイングランド人はローマ崩壊後の混乱に乗じて侵入したサクソン,アングル,ジュート,その他のゲルマン移民の子孫だった.ブリテン島の西と北(コーンウォール,ウェールズ,スコットランド)はケルトのまま残ったが,それ以外の地域では住民はゲルマン系に入れ替わったのだ.そこには組織的なジェノサイドはなかっただろう.しかしゲルマンの農民たちが農地を奪った時に都市部のローマ系の住民の運命は決まってしまった.都市部での死亡率は常に高く,ローマの町は静かに消滅していったのだ.
  • (イングランドの)キリスト教ケルトと異教徒ゲルマンのメタエスニック辺境は,670年にアングロサクソンがキリスト教に改宗するまで2世紀以上存続した.しかしイングランドとケルトのエスニック辺境はその後も続き,相互敵意も残った.9〜10世紀にはヴァイキングの軍団と植民団がブリテン島に襲来し,これとは別のメタエスニック辺境が形成された.ノース人とデーン人の植民者たちはヨークシャーや北東アングリアに定着した.
  • 1066年までに,何世紀にもわたる辺境圧力がゲルマンのばらばらな部族を均一のイングランド国家に変容させていた.国家は統一され,新しく選ばれたハロルド王は有能だった.歴史家たちはヘイスティングの戦いの結果は紙一重だったということで一致している.もしハロルド王とその軍隊がヨークシャーに駆け上がり,大急ぎで引き返したことにより疲労困ぱいでなければ,ウィリアムの軍隊を打ち破れていただろう.しかし実際にはそうはならず,イングランドのリーダーシップはヘイスティングの地で滅びた.そこから20年かけてノルマンはイングランドの貴族層を殺戮・追放し,新しい大陸から来た支配層に入れ替えた.

 
ターチンの説明によると,フランキアのフランク,ノルマンディのノルマンだけでなく,イングランドのゲルマンもエスニック辺境に接して結束力のある戦士社会になっていたということになる.要するにローマ帝国崩壊後,各地域が混乱の中それぞれ戦国時代に突入し,それぞれそこでもまれて強い軍隊を持つ集団になったということになる.
 

  • ほぼ同時になされたイングランドと南イタリアのノルマンコンクエストは,下層階級のアサビーヤの重要性を示す貴重な「自然実験」の場となった.両者の支配層はどちらも結集力のあるノルマンの戦士たちだった.そして12世紀を通じて,ノルマンイタリアとノルマンイングランドはヨーロッパでもっともよく統治された国家だった.しかしながらイングランドではノルマン貴族は社会的に結束していたイングランド農民の上に立っていたが,南イタリアは崩壊したローマ帝国のコア地域だった所であり,アサビーヤのブラックホールだったのだ.
  • 12世紀ののちこの2つの国家は正反対の軌跡を描くようになる.イングランドはブリテン島全域とフランスの半分を征服した.その後この第一帝国は失われるが,さらにその後世界帝国を建設し,19世紀のスーパーパワーになった.
  • これに対して南イタリアは,ノルマン貴族がその結束力を失ったのち地政学上の停滞地域となった.それはまずゲルマンの皇帝たちに支配され,その後カペー朝フランスに支配され,さらにスペイン帝国の支配下に入った.最終的に,南イタリアはサヴォイヤ家によって19世紀の後半に統一イタリアに組み込まれたが,多くの北イタリア人は今でもそれは酷い間違いだったと考えている.

 
ターチンによるとイングランドはノルマンコンクエスト後もその基層に結束力ある社会が継続したが,南イタリアはローマのコア地域だったのでアサビーヤがブラックホールにのまれていたのだということになる.イングランドはそれで説明できるのかもしれない(それでも近代の興隆については制度的な説明の方が説得力があると思う)が,南イタリアについてはあまり説得力を感じられない.ローマが崩壊したのは5世紀でノルマンコンクエストが生じたのは11世紀だ.なぜブラックホールがそんなにも長い間影響し続けるのだろうか.そして7〜11世紀のあいだ南イタリア,特にシチリアはキリスト教勢力とイスラム勢力がぶつかる最前線,つまり海を挟んだメタエスニック断層線に面していたのではなかったのか.北イタリアと南イタリアの違いは制度的な説明の方がはるかに説得力があるように思う.
 
関連書籍
 
アセモグルとロビンソンによる国家の興亡を制度から語る本.北イタリアと南イタリアの違い,英国がなぜ発展できたかについて制度面から議論している.私的にはこちらの方がはるかに説得力があるように感じる.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/03/22/105924

 
ローマ崩壊後の地中海の状況については(歴史書とは言い難いかもしれないが)この本が面白かった.