War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その48

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その9

 
ターチンのフランク帝国とその後継国家群興隆物語.北フランスにヴァイキングが侵入し真のメタエスニック断層が形成され,ヴァイキングはそこからさらにイングランドと南イタリアに侵攻し,イングランドは強国になった.続いて辺境のもう片側でのフランスの興隆が描かれる.
 

カロリング朝の北フランス辺境 その5

 

  • 北フランスのメタエスニック圧力から生まれた帝国はノルマンディだけではない.10世紀になるとフランス側の求心力がアンジュー伯,ブロワ伯,そしてパリ伯の周りに集まった.ブロワ伯は周りの国家により打ち破られて最初に屈服した.パリ伯とアンジュー伯の勢力は拮抗していてどちらがフランスの中心になるのかはわからない状況が続いた.
  • 978年にパリ伯はフランス王(カペー朝)になり,アドバンテージを得た.とはいえこの時点では王位は単なる飾りだった.初期のカペー朝はパリ周辺(イル=ド=フランス)とオルレアンを統治していたに過ぎない.さらにこの領土内であっても実際の権力はそれぞれの土地の城持ち貴族が持っていることが多かった.
  • アンジュー伯はうまく王朝ゲームをプレイして領域を広げていった.アンリ・プランタジネット(英国王としてはヘンリー2世)はアンジュー,トゥーレーヌ,メーヌを父から相続し,ノルマンディとイングランドを母から相続した.さらにアキテーヌのエレノアと結婚し,ポワトゥー,ギュイエンヌ,ガスコーニュを得た.フランス王が反抗する貴族を1城ずつ屈服させていく間にプランタジネットの領域ははるかに大きく膨れ上がった.

 
婚姻を通じて版図を広げていく戦略を王朝ゲーム(dynastic game)と呼んでいるのはちょっと面白い.アンジュー伯アンリはヘンリー2世としてイングランド王に即位し(プランタジネット朝),その版図は最大で現在のイングランド,南ウェールズ,東アイルランド,フランスの西半分まで膨らんだ.これはアンジュー帝国と呼ばれることもあるようだ.のちのスペイン帝国,そしてさらにスペインと神聖ローマを抱え込んだハプスブルグ帝国のことが思い浮かぶ.日本の歴史ではこのような婚姻による版図膨張はあまり見かけない.あるいは天皇の存在が関係あるのかもしれない.
 

  • 勝負はついたかに思えたが,しかし最終的に勝ったのは辛抱強くシステマチックな戦略を駆使した方だった.
  • アンリ2世の問題は支配層が異なる地域出身者の混合だったことだ.ノルマンとフレンチは今や同じ言語を話していたが,出自は異なり,互いに敵意を抱いていた.同化するには時間が必要だったのだ(ノルマンディ人が自分たちをフランス人と考えるようになったのは16世紀だといわれている).この結果アンジュー伯領は不安定だった.そして(カペー朝の王である)フィリップ2世はギュイエンヌ以外のすべてのプランタジネット家のフランス内の領土を征服し,問題を解決した.

 
このアンジュー帝国の没落は,世界史的にはヘンリー2世の後継者だったリチャード獅子心王が十字軍に熱心で,イングランドにもフランスに長期間不在となり,統治が緩んだのち,リチャードの死後カペー朝の侵略を受けたと説明されることが多い(そして問題はこれで解決されたわけではなく,ギュイエンヌがプランタジネット朝の領域に残ったことが,のちの英仏100年戦争の遠因になる).ともあれこの没落をターチンはもちろん結束力から説明することになる.
 

  • カペー朝の成功が長続きしたのは,まずそのエスニックコア(つまり北フランス)を統一し,その後それを周囲に拡大していったからだ.一旦内部統一したあとの拡張は素早かった.北に向かってノルマンディとフランダースを接収し,南のランドロックはアルビジョア十字軍により獲得した.13世紀にフランスはヨーロッパのスーパーパワーになった.その広大な領土と人口は王家に安定した税収をもたらした.団結心のある戦士たちはヨーロッパの戦場で優位に立った.そしてその華麗な文化はラテンキリスト教世界からの称賛を浴びた.

 
ということでターチンはスーパーパワーたるフランスの興隆をアンジュー帝国内部の不安定とヴァイキングとのメタエスニック辺境時代に培われたカペー朝フランスの結束力から説明したということになる.実際にアンジュー帝国内部は10以上の領国の寄せ集めで法も慣習も貨幣や度量衡もばらばらだった.改めて12世紀後半時代のプランタジネットとカペーの勢力図とそこからのカペー朝の巻き返しをみると,ターチンの言うことにも一理あるのかもしれないという気にはなるところだ.ただよく考えるとこのプランタジネット朝の核心部分はイングランドであるわけで,少し前の結束力ある英国の説明とあまり整合的ではないし,いいとこ取りの説明にも思えてくる.
  
この辺りは(こののちの英仏百年戦争も含む)プランタジネット朝の歴史として,どちらかといえば英国史として取り上げられることが多いようだ.

 
The Angevin Empireとして検索するといろいろ歴史書がヒットする.