書評 「宗教の起源」

 
本書はダンバー数で有名な進化心理学者ロビン・ダンバーが宗教を語る一冊.これまでに宗教を進化的に説明するものとしては,(宗教が信者に誤信念を抱かせ,儀式等にコストをかけさせることから個体にとって適応度を下げるものであることを前提にして)進化的に形成された適応的な認知傾向による副産物だとするもの(アトラン,ボイヤーなど),原始宗教は副産物であり,さらに組織化された宗教にはミーム複合体の側面もあるとするもの(デネット,ドーキンスなど),文化進化として説明するもの(ライトなど),マルチレベル淘汰をもちだして集団や社会にとって適応的であると説明するもの(DSウィルソンなど)などがあった.本書では,前提を見直して宗教は個体にとって適応的だったのではないかという観点から説明を試みるものになる.そしてその説明はこれまでのダンバーの研究領域であるヒトの社会的規模やネットワークの知見と大きく関連している.さらに本書ではなぜヒトにだけ宗教があるのか,なぜ世界宗教が特定の時期と地域で集中して(枢軸時代にユーラシア亜熱帯で)出現したのか,なぜ宗教はカルト的な分派を繰り返すのかなどの問題も扱われている.原題は「How Religion Evolved: And Why It Endures」.
 

はじめに

 
ここでは宗教が多様であることをまず指摘し,そこから宗教の定義が取り上げられる.まず多くの宗教学者が自らが信仰する一神教の視点から考えてきたために豊かな宗教経験の多くが見過ごされていることが指摘される.その上でこれまでの定義には「道徳的共同体」「儀式」「行動」から捉える立場と「包括的な世界観」「信念」「思考」から捉える立場に分かれるとし,これは念頭にあるのが原始宗教なのか教義宗教なのかの違いだとコメントされている.その上で本書では「霊もしくは力が存在する超自然的世界に対する信仰」という定義を用いるとしている.
次に本書のテーマが挙げられている.本書では「なぜ宗教は普遍的なのか」「なぜ宗教はこうも多様なのか」の2つの疑問に対し,ヒトが宗教を信じる理由,その有益性をキーにして探っていくことになる.
 

第1章 宗教とどう研究するか

 
第1章は宗教を探究していくための準備章だとされている.そして宗教の歴史と宗教研究のアプローチの歴史が語られる.

  • 宗教の歴史は,19世紀以降アニミズム(あるいは原始宗教)時代と教義時代にわけて議論されてきた.20世紀になり「アニミズムを原始的だとするのは帝国主義的だ」という批判がされるようになった.しかしこの批判は的外れだ.ここで言う「原始」宗教は(進化により形成された)素朴心理に基づくものであり,ユニバーサルで現代にも見られるもの*1だ.この段階の宗教は没入体験が重要で,しばしばトランスに入ることのできるシャーマンが大きな役割を果たす.
  • こうした宗教も歴史を経る中でより形式的な宗教,教義宗教に移行していく.多くの場合教祖である人物が啓示を受けたという起源譚があり,宗教組織が整備され,長老会議のような委員会が寺院や教区の活動を監督する.この移行は別のものに置き換わるというよりコアの周りに新しい要素が積み重なったと見るべきだ.教義という表看板の下には古の神秘的な土台がある.
  • 人類学は宗教とその社会的機能に関心を寄せてきた*2.20世紀に入り,ウィリアム・ジェイムズは宗教の起源と有用性を区別して議論し,宗教体験の中心には神秘主義があると説いた.デュルケームは宗教,特に儀式が作り出す興奮と畏怖(集団的沸騰)を社会的構造の土台と捉えた.のちの人類学者は因果を逆転させ,宗教儀式や信念は社会的構造を複製・強化するものだと主張した.
  • 1980年代には認知人類学,宗教認知科学が台頭し,進化心理学に根ざした研究も現れるようになった.ここで支配的だったのは宗教は適応度に寄与しないという考えであり,非適応的な副産物だと主張された*3.また文化進化の一例だとする考えも主張された.宗教認知科学は特殊な宗教経験の精神状態をデザインの視点から説明できたが,片方でその研究の主眼は「信念」にあり,儀式や共同体構築に与える影響については見過ごされてきた.

 
最後に進化論的なアプローチについての(よくある誤解の)整理がある.進化が一本道や必然ではないこと,至近因と究極因の区別なども取り扱われているが,強調点は適応とは誰にとっての利益が問題になるのかという部分になっていて,本書におけるダンバーのスタンス(ナイーブグループ淘汰の誤謬に注意せよ,相利的状況に刮目せよ)がよく表れたものになっている.

  • ダーウィン進化理論のポイントは適応度は個体あるいは遺伝子の特性ということだ.だから基本的に集団や種全体の利益は実現しない.グループ淘汰が生じないわけではないが,かなり特殊な条件が必要になる.
  • また(副産物として)非適応的性質が生じることもあるが,それによる個体の損失が他のすべての形質から得られる利益を超えないことが前提になる.
  • 霊長類などの社会性の強い種ではある形質に集団レベルで利益があるように見えることがある.しかし適応度に与える影響は常に個体や遺伝子のレベルで生じる.そして集団レベルで利益があるように見えるケースのほとんどの場合個体にも利益がある(相利的状況).
  • 形質の継承の方式は遺伝だけではない.学習や文化により伝わる場合でも遺伝の場合と同じ数式で分析可能だ(文化進化とミームが解説されている).

 

第2章 神秘志向

 
第2章からダンバーによる宗教の議論が始まる.まず最初は,神秘経験,トランス状態,シャーマンについて考察される.

  • 主要な宗教は神秘体験が重要な構成要素になっている.ここではそれを神秘志向と呼ぶ.神秘志向には3つの特徴がある.トランスに入る感受性,超自然あるいは霊的世界の信仰,そこにある隠れた力が味方であるという信念だ.(キリスト教各派,イスラム教スーフィズムなどに見られる神秘志向の具体例が紹介されている)進化心理学の主流ではこれらは副産物として扱われる.ここでは神秘志向がなぜ重要なのかを考察する.
  • 神秘志向は関連する2つの心理的要素から生じるようだ.1つは霊を信じたい(死ですべてが終わってほしくない)という欲求,もう1つはトランスなどによる意識状態の変容だ.
  • トランスは通常ではない心理状態に陥ることだ.多くの宗教がトランスと深いかかわりを持つ*4.トランスに入ると霊界で自由に動き回り,復帰したあと穏やかな心境になるとされていることが多い.
  • 狩猟採集社会には占いや治療を行うシャーマンがほぼ必ず存在する.プラセボ効果,幸運な治療師,詐欺的なペテン師として説明されることも多いが,すべての場合を説明できるわけではない.おそらくシャーマンは何らかの共通の心理的基盤から発生したものだ.そして小規模社会ではシャーマンは,予言,治療,祈祷の他,(やや重要性は下がるが)儀礼,共同体運営の役割を持つ.シャーマンの儀式や幻覚の誘発にはしばしば向精神性物質を使う慣行がある.
  • トランスやシャーマンのような神秘志向の根底には何があるのだろうか.神秘志向は言葉ではなく圧倒的な「生身の感情」を引き出す.この強烈な感情を呼び覚ます要素が宗教の土台になっていると私は考える.

 

第3章 信じるものはなぜ救われるのか?

 
第3章では宗教のメリットを考える.これまでの宗教の進化的な説明は副産物説にしてもグループ淘汰説にしても宗教活動が個体にはデメリットがあるものということを前提にしていた.ダンバーは宗教には個体レベルのメリットもあるはずだとして,宗教の利益をこれまで提唱されてきた様々なレベルの利益にかかる5つの仮説を元に整理していく.

  • 個体レベルの利益(1)科学:宗教は世界を説明してくれる.予言やまじないはリスクに対する警鐘としてメリットがありうる.
  • 個体レベルの利益(2)健康:宗教は医療的な介入を行う.この際プラセボ効果により(あるいはまじない師の薬に実際に薬効がある場合)健康にメリットがありうる.そして統計的には宗教を信仰する人は幸福で人生に満足している傾向がある.これらは適応度にもプラスに働いている可能性が高い.
  • 社会レベルの利益(1)協力:「高みから道徳を説く神」は利他罰のジレンマを解決できる.そのような社会は実際に納税,警察に対する信頼が高く,裏切り者への世俗的制裁に肯定的だ.ただしそういう社会が規模の大きさや紛争の多さと関連する証拠はない.また信仰心が高く宗教儀式に定期的に参加する人はより向社会的だと報告されている.ただしこのような実験の多くはプライミングにより設計されており,再現可能性の問題があり,解釈には慎重さが必要だ.宗教の背景に協力行動の利益があった可能性はあるが,多くのデータが一貫した関係を示しているわけではなく,かなり複雑な現象なのかもしれない.
  • 社会レベルの利益(2)支配:宗教は支配層による大衆操作のツールだという説がある.これは宗教と世俗権力が密接に結びついているようなケース*5を説明できるかもしれない.しかし多くの大国は宗教に鷹揚であり,新しい宗教は通常底辺から発展していくので一般的な説明としては成り立たないだろう.別の説明としては余剰人口,特に若い男性の吸収手段として機能したというものがある.しかしこの説明も当てはまる場合は限定的だろう.
  • 共同体の結束:宗教は共同体の構成員が自発的に参加するもので,それがコミットメントとして機能し,共同体の結束を高めたという説明がある.デュルケームは宗教の引き起こす集団的沸騰が共同体の帰属意識に重要な役割を果たすと主張した.ターナーはここから「コミュニタス」概念(通過儀礼などで生まれる集団の結束感)を発展させた.宗教を通じての結びつきは個体レベルで幸福感を高め,困窮時の支援も期待できるようになるだろう.

 
整理を行った上でダンバーは以下のようにコメントしている.

  • 5つの仮説は互いに排他的な説明ではない.そしてそれぞれに何らかの裏付けはあるが,決定的な証拠はない.だからそれぞれの説明の要素を抽出して因果パターンを考察するのがよいだろう.(宗教,科学,健康,協力,支配,集団結束に,集団規模,外的脅威を加えた因果フローチャートが添えられている)
  • 宗教に関連して得られる利益は個人にも共同体にもあるようだ.それらの利益は組み合わさり,相互に作用して影響を強めたり弱めたりする.信仰や儀式はこのような図式の中でどこまで重要かという点で検討すべきだろう.

ダンバーのここでのスタンスは,宗教には複雑なネットワーク的な因果の結果として個体へのメリットがありうるのであり,少なくとも結束力を通じた集団利益の反映と健康上のメリットは要素として考慮に値するというものになるだろう.
 

第4章 共同体と信者集団

 
第3章のフローチャートでは集団規模がキーになっていた.第4章では宗教の集団規模が考察される.ここではダンバーのこれまでのリサーチからの知見が大きく関連することになる.

  • 組織心理学者ウィッカーは組織の大きさと機能効率の関係を調べた.様々な規模の境界の信者集団を調べたところ,礼拝への出席率や寄付額は集団が大きくなると減少していた.では最適規模はあるのだろうか.(ここで霊長類の社会における絆形成,社会脳仮説,ダンバー数の予測とその検証,関連する脳画像研究.そこから明らかになったヒトの社会ネットワークの同心円的特徴,友情などの絆は時間と努力をかけないとすぐに薄れることが概説される)
  • ヒトの自然な共同体の大きさは150人前後だ.では宗教の信者集団も同じだろうか(ここで様々な実例やリサーチが紹介される).得られた知見を総合すると最適な信者数はやはり(聖職者もふくめて全員が知り合いとなる)150人前後であるようだ.実際に信者数が150人を超える辺りで,内向きな共同体から,内部に分裂を抱えながら外に開かれた共同体に切り替わり,運営が分散型から集中側に移っていくという傾向があるようだ.信者集団の規模は結束しようとする力(小規模の方が強い)と分裂しようとする力(大規模の方が強い)の釣り合いで決まるのだろう.

つまり結束力が保たれるなら集団規模は大きい方がメリットが大きい(そしてそれは個体利益に反映する)が,集団が大きくなると分裂力が働くのでメリットが得にくくなる.すなわちこの分裂力を抑えるメカニズムがあるならばそれは個体利益を通じて進化しうるということになる.
 

第5章 社会的な脳と宗教的な心

 
前章で集団には求心力と遠心力が働くことが解説された.第5章から第6章にかけてこの遠心力に対抗するためのツールとしての(つまり結束を高めるための)宗教が考察される.第5章の冒頭では集団の結束力を高める至近メカニズムとしてのエンドルフィン系が解説されている.

  • 霊長類ではグルーミングによりエンドルフィン系が活性化された.ヒトでは(集団規模が大きいために)笑い,歌,踊り,感情に訴える物語,宴会などで活性化されるようになっている.そして宗教儀式も同じようにエンドルフィン系を活性化させる.宗教で語られる物語はしばしば強い感情的な訴求力を持っているし,ある種の宗教的に喚起される感情は恋愛感情に驚くほど似ている.
  • 霊長類の社会的結束は,このエンドルフィン系によるメカニズムの上に相手の行動や反応を理解することを含む認知的なメカニズムが乗っている.ヒトの友情の場合,その要素として言語,出身地,学歴,趣味や興味,世界観(宗教が含まれる),音楽の好み,ユーモアのセンス(「友情の7本柱」と呼ぶ)があるようだ.これらの手がかりは小さな共同体を想起させるものであり,大規模な拡大された疑似親族集団を形成可能にしている.

(ここで心の理論,メンタライジング,志向姿勢の次数などが解説されている)

  • メンタライジングは宗教の出現に根本からかかわっている.宗教が成りたつには,まず人知を超えた別の宇宙があり霊的存在がそこにいることを想像できなければならない.またその霊に精神があることを想像できなければならない.さらに伝道には自分の観念を他者に伝達する能力がなければならない.これらはみなメンタライジングの問題だ.そして意図を持つ神について自分と相手がともに是認できる命題を定式化するには5次の志向性が必要になる.宗教心とメンタライジング能力の関連を調べたリサーチではメンタライジング能力が神を信じるかどうかに関連することがわかっている.脳科学的なリサーチからもメンタライジングと宗教は深く関連していると思われる(詳細が説明されている).

 

第6章 儀式と同調

 
第6章は結束力を高めるメカニズムとしての宗教儀式がテーマになる.

  • ほとんどの宗教は儀式を基盤にしている.儀式には,行動の同期がある,決められた手順を厳密に守るという特徴がある.
  • 儀式は,低労力型(短い行動のみ),中労力型(歌う,祈るなど),究極型(激しい身体的苦痛を伴うもの,火渡り,鞭打ちなどを含む)と区分することができる.実際には穏やかな儀式がほとんどで,そこには社会的な結束を強める行動要素(歌,踊り,抱擁,物語,会食など)が盛り込まれている.
  • なぜ宗教において儀式が重要なのかについては,シボレテ仮説(同じ儀式に参加することにより帰属意識が強化される),コストリーシグナル仮説(コストをかけたことでコンコルド誤謬を含めたコミットメントが深まる),向社会性仮説(儀式に参加すると他の構成員に対してより向社会的になる),共同体結束仮説(儀式が共同体意識をつくる)などがある.これらは対立仮説として扱われがちだが,排他的ではないし,中身がほとんど同じなものもある.ポイントは儀式がエンドルフィン系に働きかけることだ(儀式参加がエンドルフィン系を活性化させること,その結果参加者間の結束感が強まることを調べた実験がいくつか紹介されている,同期性が重要であるようだ*6).

 
ダンバーは第5章,第6章の議論を通じて,宗教は(霊長類の毛繕いから由来する)歌や儀式を通じたエンドルフィン系の活性と(メンタライジング能力が大きく関連する)認知的な絆の強化により集団規模の拡大を可能にするメカニズムの1つとして理解できると主張したことになる.
 

第7章 先史時代の宗教

 
宗教の適応的な機能が整理されたのち,第7章〜第8章では宗教の歴史が探索される.第7章は先史時代.まず考古学的な証拠が吟味され,ネアンデルタールや10万年より古いサピエンスの埋葬などの証拠とされるものは曖昧なこと,3〜4万年前以降は洞窟芸術,彫刻,向精神物質(アヘンなどの痕跡)などが出土されており,特に1万年前以降はトランス状態,シャーマニズム宗教が存在していたことの決定的な証拠があるとしてよいことが解説されている.ここからダンバーは原始宗教の歴史の再構築を試みる.

  • 言語や遺伝子系統樹と現存する狩猟採集社会の宗教的特徴を用いて宗教系統樹を再構成すると,もっとも古いのはアニミズムであり,死後世界への信仰は普遍的ではなく,シャーマニズムは祖先崇拝とともにあとでまとまって進化したとみられる.道徳を説く絶対神への信仰は狩猟採集社会にはみられず,農耕牧畜が始まってのちに進化したようだ.
  • 言語がいつ進化したかについてはいくつかの立場がある(詳しく解説されている).メンタライジング能力に必要な脳容量という点から考えると,現生類人猿とアウストラロピテクスは2次志向性,ホモエレクトゥスで3次,ホモ・ハイデルベルジェンシス,ネアンデルタールで4次に到達していたが,5次に到達したのはサピエンスだけだと考えられる.宗教には5次の志向姿勢が必要であり,宗教はサピエンスになってからだろう.

 

第8章 新石器時代に起きた危機

 
第8章は農業革命以降の宗教がテーマ.

  • 12,000年前以降農業牧畜が始まり,人口構成が大きく変化した.これは個人と個人の関係に大きく影響し,教義宗教出現の引き金になっただろう.
  • 定住化は労働集約のためではなく,収穫物防御のために始まったのだろう(そう考える理由が考古学的証拠とともに解説されている).防御のために集団で定住するようになると対人関係のストレスやコンフリクトが増える.狩猟採集社会なら分裂すればいいが,そうできないからだ.大きな集団の部族社会は多様な戦略を実行しただろう.踊りや宴会,婚姻に関する正式な取り決め,正式な指導者を持つ男性優位の階層社会が現れ,そしてその1つとして教義宗教への移行,正式な宗教儀式の採用があったのだろう.(様々な考古学資料が解説されている,教義宗教と正式な宗教儀式の中近東での最初の出現はBC3000〜2000年ごろと推測されている)組織化された宗教は大規模共同体存続のための争いの種に蓋をする仕組みの一部だったのだろう
  • 至高神(高みから道徳を説く神)はいつごろ出現したのか.300以上の社会を分析したリサーチによると社会構造の複雑さが頂点(人口的には100万人程度)に達してから300年後ぐらいに至高神が現れる例が多いとされている.また至高神と社会の複雑さを調べたリサーチによると,出現順序は人口10万人程度→超自然的な懲罰→社会の階層化(人口100万人程度)→至高神というパターンを示していた.これは社会が複雑になった結果,それぞれのステージで,超自然的懲罰,至高神という仕組みが導入されたことを示している.
  • 現在の世界の主要宗教はいずれも枢軸時代に出現している.枢軸時代への移行には1人当たりの年間エネルギー産出量や人口密度が指標となるとするリサーチがある.この論文の著者たちは社会に余裕ができると人々は財産を守るために向社会的になるというグループ淘汰を思わせる怪しい推測をしているが,何らかの個体的なメリットがあったと考えるべきだろう.
  • この主要宗教はいずれも北半球の亜熱帯地方で出現している.熱帯は農業生産に有利だが,人口密度が上がった場合の病原体への感染リスクは高い.このトレードオフがあるために最適人口密度は気候帯によって異なるだろう.BC2000年ごろの温暖化ののち,枢軸時代の亜熱帯地方は栽培期間が十分に長く感染不可が小さく,人口急増が生じ,それへの対応として至高神を持つ組織宗教が興ったと考えられる.
  • 霊長類は大きな社会でのストレスやコンフリクトを制御するための毛繕いを進化させた,人類は歌や宴会や宗教を利用するようになり,150人レベルの社会を可能にした.このレベルを超えるためには社会の構造化と組織宗教が不可欠になる.そして至高神を持つ宗教は人口が膨大になった時のみ出現する発展の最終段階を表しているのだ.

 
ダンバーは組織宗教や道徳を説く一神教について,集団規模が150人規模を大きく超えて拡大した時に結束力を保つメカニズムの1つとして機能したと整理している.論旨は明確ではないが,個体にも利益がある中での文化進化的な主張を行っているようだ.
 

第9章 カルト,セクト,カリスマ

 
第9章では宗教のミクロ的な現象が取り扱われる.

  • どんな宗教もカリスマ指導者を中心としたカルトから始まる.ほとんどのカルトは創始者の存命中と死後直後までしか影響力を保てない.カルトは創始者がそのおかれた宗教的背景に反発して始まるので,多くの既存宗教はカルトに圧力をかけようとする.(カタリ派とアルビジョア十字軍の顛末が説明されている)

ここからカルト形成の過程がパナシア協会(20世紀初頭の英国における半閉鎖的な千年王国共同体の試み)の始まりから終焉までの具体例から解説される.ここでは「伝統的宗教に不満を持つ創始者の元に信者が集まる→人間関係に摩擦が生じる→さらに信者が増えて階層的な構造が現れる→創始者の死後に環境にあわせた方針修正ができずに終焉を迎える」という過程が描かれている.

  • カリスマ指導者がなぜ信者を惹きつけるのかははっきりしない.ただ彼らには「自分に特別な能力,使命があると確信している」「それを自信を持って提示できる」という特徴がある.宗教的指導者の場合この根底に霊的な主張がある(具体例がいくつか挙げられている).
  • カリスマ宗教指導者はしばしば偏執的,猟奇的であり,人格に問題があったり精神病的傾向がみられることも多い(統合失調症,メンタライジンネットワーク皮質系,トラウマ体験,トランス状態への入りやすさとの関連が議論されている).
  • カルトに傾倒する信者はしばしば「信仰のために死ねる」という行動をみせる.具体例をみると,教義や理念というよりもカリスマ指導者への忠誠心が背景にあるようだ.(この点について,入れ込みやすさとビッグファイブの関係,帰属意識と身体的接触の重要性,恋愛感情との類似性,指導者とのセックスとの関連が議論されている)
  • カルトの現象をよく見ると,それはヒトにおける社会性の一部という捉え方が可能だ.多くの組織宗教の信者たちはまっすぐな気持ちで人智を超えた世界への信仰に向き合っている.しかしその感情の下には様々な欲求や動機が潜んでいる.カリスマ指導者,儀式,歌や踊りを伴う激しい動き,それらによるエンドルフィン分泌が溶け合うと興奮を生み出す.カルトという密室ではそれが表に出やすいのだ.

 

第10章 対立と分裂

 
第10章では第9章のカルトの分析を踏まえて,組織宗教の根底にあるものを探っていく*7

  • 第9章の議論から,カルト形成にはカリスマ指導者が重要であること,カルトの出現は既存の宗教にとって組織分裂のリスクであることがわかる.
  • すべての主要宗教は規模が大きくなるにつれて,(ヒトの心理が100〜200人の共同体に適応したものであることから)内部のストレスが増えていき,しばしば激しい論争や分裂を生み出す(キリスト教やイスラム教で生じた教義論争,異端の出現,分裂の例が解説されている).
  • 大半のカルトは短命だが,長続きするものもある.そのためには体系化さえた組織があること,外に向けてオープンであること(信者を外部から勧誘し続けること)が重要であるようだ(短命に終わった様々なカルトの例が示されている).
  • (第7〜8章の宗教の歴史を復習し)すべての宗教の根本にはシャーマニズム,神秘主義がある.これはエンドルフィン系の作用を通じて大規模な集団における社会的結束を生み出せる.そして組織宗教はその核のシャーマニズムの周辺に新しい層が付け加わってでき上がっている.このエンドルフィン系の作用は,共同体感覚,免疫の微調整,向社会性傾向の増強を生み出す.これらは共同体にとって利益があるだけでなく,各個人にとっても利益(共同体全体の利益の反映として個人が享受できるもの,支援ネットワークからの支援期待,健康上のメリット)があると考えられる.

そして最後に結論が提示されている.

  • 信者集団には最適な大きさがあり,それを超えると結束が失われていき,分裂の危機に対応するためには階層構造が必要になるが,代償として帰属意識は希薄化していく.
  • 宗教は帰属意識を高めるために「私たちvsあいつら」というヒトの自然な心理を利用する.狩猟採集社会では社会は最適規模なのでうまく作用したが,農業革命以降これは分裂や宗教戦争を生み出すことになった.
  • 現代の西洋では宗教が衰退しつつあるように見える.宗教が個人にもメリットを与えているのであれば,その衰退は個人の健康や幸福に負の影響を与えるだろう.共産主義などのイデオロギー,ニューエイジ運動,環境保護運動などはあるいは疑似宗教という側面を持つのかもしれない.これを証明することは難しいが,宗教が私たちから離れることはないだろう.

 
以上が本書の内容になる.基本的な議論は以下の通りだ.

  • 霊長類は個体同士に絆のある大きめの集団を作ることにより(個体の)適応度を高めるように進化し,分裂圧力に対抗して結束力を保つためのツールは毛繕いだった.ヒトはさらに大規模な社会を作るようになり,ツールは言語コミュニケーション,歌や踊り,宴会と広がり,シャーマニズム的原始宗教も同様な機能を持った.そして農業革命以降は社会はさらに大きくなり,分裂圧力が高まり,それに対抗する力として組織宗教が現れた

つまりまず狩猟最終段階(つまり進化環境)で,笑い,歌,踊りなどの同期行動から生じるエンドルフィン系の活性,および他者の心を理解共有化するメンタライジングなどの認知から絆が高める性質は(より大きな集団に属することによるメリットを通じた)個体適応度を上げる方向に作用した適応産物だと説明している.そしてそこから敬虔な儀式や信念の共有を要素とするシャーマニズム的原始宗教が生まれ,これは個体適応度にプラスに働いただろうと示唆する*8.そして農業革命以降は社会が大規模化,階層化し,その中で宗教も組織化した(そうでないと大規模な社会で絆や結束力を保てなかった)と説明している.ここも明示的に議論されていないが,文化進化的に捉えたうえで,個体的にも利益があると考えているのだろう.
これはこれまでの宗教の進化的な捉え方の前提を見直し,個体利益の観点から説明可能だと主張するものだ.宗教の個体利益としては健康上のメリット,支援ネットワークなども挙げられているが,そもそも大きな社会が分裂せずに保たれることのメリットが非常に大きいのだという立場になる.それはあまり明示的に議論されてはいないが,単に近隣集団との戦争だけではなく,食料および様々な生活リソース確保や捕食を含めた様々なリスクへの対応が念頭にあるのだろう.実際にどうだったかは今後の検証ということになるが,なかなか興味深い議論だと思う.
私的には組織宗教には個体的な不利益も多く聖職者側の操作やミーム複合体的な説明が重要だと思っているが,本書の視点も非常に面白いと思う.宗教の進化を語る上では目を通しておくべき一冊ということになるだろう.
 
関連書籍
 
原書

 
本書の議論の前提となっているダンバーのこれまでの研究知見をまとめた本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/12/21/111254
 
同原書  
宗教を進化的に捉えようとする本
 
副産物説をとるもの.ボイヤー本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20080505/1209955675

原書

 
アトラン本 
 
副産物説に加えてミーム的な側面もあるとするもの.デネット本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20070218/1171785769
 
同邦訳 
ドーキンス本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20070221/1172066931
 
同邦訳 
文化進化的に捉えるもの
 
ライトの議論は原始宗教については副産物説でそこからの組織宗教を文化進化的に捉えようとするものとなっている.キリスト教の変遷の記述には迫力がある.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090920/1253428284
The Evolution of God

The Evolution of God

Amazon

 
マルチレベル淘汰的に説明しようとするもの

 

*1:コインを投げ入れると願いがかなう泉の信仰,精霊がいるという考え,各種の魔よけのまじないが例に引かれている.私たちはこうした迷信を本気で信じているわけではないが,万一本当だった場合に備えて完全にやめるつもりもないとコメントされている

*2:草創期の代表的な研究としてフレイザーの「金枝篇」が挙げられている

*3:具体的例としてはボイヤーのHADD(行為主体過剰検出装置)説が紹介されている

*4:ヨガや仏教ではトランスに入るための洗練された手法があることが説明されている

*5:例としてファラオ支配の古代エジプト,皇帝崇拝時代のローマ帝国,アステカ,中世後期のイスラム帝国などが挙げられている

*6:歌唱の場合,男女がオクターブ違いで斉唱すると効果が大きくなる.男女の声の音域がちょうど1オクターブ違いになっているのはこのための特別の仕組みではないかと示唆されている

*7:第8章までの議論は人間社会としての集団規模がテーマだったが,ここではその部分集合としての宗教団体の規模が問題とされているようにみえる.しかしあるいは歴史的には人間集団はみな宗教集団でもあったというように考えているのかもしれない

*8:この段階の宗教自体を適応産物とするのか,適応産物たる心の基盤から生まれる創発物と考えているのかは明らかではない