日本進化学会2018 参加日誌 その4


大会第二日 8月23日 その2


シンポジウムに続いては2日目のプレナリー講演.植物の系統ゲノミクスについて

プレナリー講演

Plant phylogenomics: elucidating gene, gene family and genome evolution James H. Leebens-Mack
  • かつてドブジャンスキーは「進化の光を当てなければ生物学は意味を持たない」と書いたが,私はこう言いたい「系統の光を当てなければ生物学は意味を持たない」と
  • phylogenomicsとはゲノムのスケールデータを使う系統学だ.現在10000プラントゲノムプロジェクト,1000トランスクリプトームプロジェクトを走らせている.1621の系統群から410遺伝子を使って行う.
  • たとえばアンボレラを見ると被子植物の特徴が系統上にどのように現れるかが見えてくる(様々なスライドで説明)花の特徴は移ろいやすいようだ.
  • またこのプロジェクトではいろいろなスケールの進化的疑問に答えることができる.

ここから様々なイベントについてのスライドを使った解説がなされる.取り上げられたのは花の起源のようなキーイノベーションのレアイベントとゲノム重複の関連,光合成プロセス(CAM,C3,C4)の進化系統,性染色体の系統分析など.いずれも大変美しいスライドで説明された.



お昼休みを挟んで一般口頭発表 行動生態周りの発表があまりなく,ピロリ菌の解析と科学哲学の発表があったので部屋を移動しながら聴講.興味深かったものを紹介しよう.

口頭発表 O-2A

Rapid evolution of distinct Helicobacter pylori subpopulations in the Americas 矢原耕史
  • 集団構造はいろいろな分析の基礎になる.ここでピロリ菌は系統地理的にいろいろ調べられているが,組換えが頻繁にあり系統樹をきちんと描くのは難しいことが知られている.
  • ここでピロリ菌の分析について現代アメリカではあまりされていないということがある.ヨーロッパ由来の系統とネイティブアメリカンの系統があり,さらにラテンアメリカではピロリ菌の感染率も胃がんの死亡率も高く発がんがピロリ菌のタイプと関連しているといわれている.
  • というわけでアメリカのピロリ菌を解析してみた.染色体をペインティングし,ドナー→レシピアントという形で再構成する.そしてfineSTRUCTUREで解析,共祖先マトリクスにする.
  • ヨーロッパ由来の系統はシングルノードになった.ネイティブアメリカンの系統は5つのサブノードになった.いくつかの地域ではボトルネックや急速な拡大の痕跡が見つかった.全体としてネイティブアメリカンを除くと多様性のレベルは旧世界と同じ程度だった.適応の痕跡もみつかった.
旧石器時代人類の内陸移動・Helicobacter pyloriからの推測 鈴木留美子
  • ピロリ菌は,ほぼ母子の垂直感染か家族間の感染で伝わっていくことが知られている.
  • MLST解析によると全世界では大体7つの地域に分かれる.
  • 今回は沖縄のピロリ菌をSTRUCTUREで解析した.沖縄には2つの特異的クラスター沖縄Aと沖縄Bが見られる.アジア地域の系統樹の中ではこの2つは異なる場所に位置する.
  • ここから以下の仮説を提唱する.古アジアからまず分岐し,ネパールと南アジアにそして,ネパールクラスターから東に拡大した中に沖縄Aが現れる.また南アジアから東南アジアを回って亜降ると分岐した後に入ってきたのが沖縄Bになる.


ここで移動

口頭発表 O-2B

適応的説明はデフォルトとされるべきかという問題をめぐって 松本俊吉
  • 今日は科学哲学者として発表したい.
  • 進化的説明において適応的な説明がデフォルトであるべきかどうかという問題は,元々グールドとルウォンティンによるスパンドレル論文に端を発している.これに関してポール・アンドリューズ2002とロイド2015が逆の立場から論じている.
  • まず,グールドとルウォンティンは適応的説明の証拠基準の不明確性を指摘し,代替説明に無関心であることを非難した.
  • これに対して進化心理学者であるポール・アンドリューズはこう反論した.
  • 適応的説明は特異的なデザインに対する説明になる.グールドたちが挙げている対案(外適応,スパンドレル,発生的制約)は多くの場合ただ対案であるだけであり,いわばアンチ適応論のjust so storyに過ぎない.こうした対案は適応以外の制約要因として消極的にしか定義できないものだ.まずモデルがあって,予測があり,それを検証する体系になっていない.
  • これに対してロイドはこう論じた.
  • 適応論者と多元論者は出発点が異なる.適応論者はこの形質の機能は何かを問い,多元論者はそもそもこの形質の機能はあるのかを問うているのだ.
  • 適応論者は非適応的説明を因果的説明と認めず,その結局的証拠も考慮に入れないように見える.しかし非適応的な説明もれっきとした因果的な説明になり得る.その積極的な証明を行うことも可能だ.適応的説明と非適応的説明は対等な因果的説明で共存可能だ.適応論者はなぜ機能的な説明が優先されなければならないかについて挙証責任を負うだろう.
  • これに関連してサンショウウオの後肢の指の数の進化のリサーチを紹介したい.
  • ウェイク(1991)は系統的な解析を行い,大型のサンショウウオは当初5本だったが,小型になるにつれて4本になったことを見いだし,4本になるのは(適応ではなく)発生的な制約だろうと論じた.
  • シャーマン(1993)はこの(非適応的)説明を批判した.この記述は感覚だけに基づいていて,発生的制約のメカニズムを示していない.まずあらゆる適応的説明をつぶしていく必要がある.考えられる適応的説明としては(1)4本の方が機能的(2)発生において5本のままにすることにコストがかかるなどがあるだろう.
  • 私は科学哲学者としてこの(2)の説明が大変面白く感じた.これは1つの発生過程の内的淘汰ということになるのだろうが,(1)と同じような適応的説明と考えていいのだろうか.それでいいというならEvo-Devoは何ら革命ではないことになる.哲学者としては(2)は無理があると感じている.


もはやこのグールドのスパンドレルにこだわっている人も減ったのではないだろうか.ともあれ中身的には,指を5本にするのと4本にするのを比較して,発生段階でかかるコストを考えると4本の方が適応度が高いということであれば,何ら問題なく「適応的」といっていいし,そもそもEvo-Devoが(興味深いダーウィニズムの新領域であるとしても)進化理論に変革を迫るという意味で「革命」であるはずもないだろうというのが率直なところだ.何か引っかかるとするならそれは結局「発生制約」とは何かという定義の問題ということになるだろう.それでも「6本指にする方が有利だが,そのような発生プロセス変更を行うことが(そのような突然変異の組合せが生じにくいために)メカニズムとして不可能だ」という問題と「可能だが,コストがメリットを上回る」というのはある程度区別できるのではないだろうか.


このあとはポスター発表の時間に.今回のポスター発表はちょっと狭くてかなり込み込み状態.所用もあり,少し見て引き上げとなった.以上で二日目は終了だ.

 日本進化学会2018 参加日誌 その3


大会第二日 8月23日 その1


大会も二日目.この日も暑い.本日は朝1番からスタートでまずシンポジウムのコマになる.S10の「草原性生物の起源,進化的特性と成り立ち」も大変面白そうだったのだが,昨日のシンポジウムとも関連し,さらに刺激的なタイトルのS7「適応進化の永続性パラダイム:ダーウィニズム ビヨンド リミックス」の方に参加することにした.

シンポジウム S7 適応進化の永続性パラダイム:ダーウィニズム ビヨンド リミックス

趣旨説明 長谷川英祐
  • 本シンポジウムは春の生態学会で行った「ダーウィニズム ビヨンド」に続くものだ.
  • これまでのダーウィニズムでは適応を説明するのは自然淘汰だけで,それは単位時間あたりの増殖率で説明するものだ.しかし生物は周りの資源に依存しているもので,(単に増殖効率だけを追求しても)資源を枯渇させてしまえば絶滅する.
  • 枯渇させない方が長期的に有利であっても密度依存効果は自然淘汰では進化できない.これをよく示しているのが,オオカミが絶滅し,狩猟者が激減した北海道におけるエゾジカの状態だ.北海道の周辺地域である程度隔離されているような地域では典型的な急激な増殖と崩壊を繰り返すパターンに移行しつつある.このまま行くとおそらく北海道全体で同じようになるだろう.
  • しかし生物界を見ると40億年も絶滅せずに続いている.これは絶滅しなかったものが生き残るというプロセスが効いているのではないか.
  • これを考えるには群集生態学の視点を取り入れるのがいいだろう.食う,食われるの関係と適応進化を組み合わせるのだ.そうすると群集の進化が記述できることになる.ただし群集は自己複製しないので,その増殖率を考えてもムダだ.そこで種に代えて関係性のセットを考えていけばいいのではないか.今日のそのあたりにかかる演者を集めた.
  • なお本日は予定していた時田さんの理論的な発表が演者都合により急遽中止になって残念だが,その分濃密に議論したい.
増殖と存続から捉え直す「適応度」概念 安井行雄
  • これまで昆虫のメスの多回交尾をリサーチしてきた.そこではベットヘッジング(1頭のオスとの交尾だけだと失敗リスクがあるので,多回交尾して保険をかける)の要因が大きいのではと考えるようになった.これはある意味絶滅回避の考え方と似ているということで本日声をかけていただいたと思っている.
  • 自然淘汰における適応度は産仔数×生存率で大体表すことができる.本来は個体に関して定義されたものだが,個体は遺伝子の乗り合いバスのようなもので,これは遺伝子適応度として世代あたりの頻度増加率として再定義されている.
  • しかしこの計測は難しい.基本的に計測は個体の表現型を通じてしかできないからだ.顕性潜性があるときにAaとAAを区別できない.
  • またどう平均をとるかというのも問題になる.基本的には同じ世代内であれば算術平均,垂直世代においては幾何平均を使うべきだということになる.これは同じ世代であれば,ある個体の成功と別の個体の成功は独立事象だが,垂直世代では下の世代の成功は上の世代の成功の従属事象になるからだ.
  • そして幾何平均が問題になるなら,ある世代で0になると平均も0になる(ある世代で絶滅してしまえば,それで終わり).
  • もう1つの問題は遺伝子型から表現型の間には環境との相互作用もあって確率過程だということだ.これについてはベイズ統計を用いて表現型から遺伝子型を推定できるかも知れない.
  • こうした考察から適応度をとらえ直してみよう.
  • すると世代を越えて生き残るものが,現存するということに気づく,実はダーウィンもこのような視点を持っていた.
  • 短期的増殖は絶滅確率を高めることがある.相対的適応度だけを考えると絶滅確率を無視していることになる.
  • だから「永続適応度」を考えるべきだ.「平均永続適応度」は以下のようなものになる.
  • 存続に基づいた指標:系統がどう増えて,ある世代で何系統存続しているか,平均何世代生き残るか
  • 表現型に基づいた単位:個体,コロニー,個体群,群集の指標となる
  • ベイスによる仮説検証
  • ダーウィン適応度と永続適応度にはトレードオフがある.階層のレベル間でのフィードバックで繁殖抑制などが進化しうるだろう.


理論的には全くその通りという印象.垂直世代に渡る適応度は当然幾何平均を使うべきだ.それは当たり前だと思っていたが,実際には階層の問題などがあってきれいに理論的に整理されていないということなのだろう.またこの両者は時間的なスケールが随分違うので統合するのは一筋縄ではいかない印象もある.

系統分岐と絶滅をつかさどる社会進化*1:系統淘汰からのアプロ―チ 土畑重人
  • 現在残っている生物は訳あって絶滅しなかったものだと考えることができる.しかし本来絶滅の原因は明らかではない.
  • その中で適応進化がもたらす絶滅もある.これには(1)適応環境が急激に変化してミスマッチになる場合,(2)適応自体が自滅的である場合の2種類がある.後者の典型的な例は無性生殖の進化であり,性淘汰や共有地の悲劇などもこれに関連する.
  • 性淘汰は一見すると不合理に見える.よくオオツノジカのオスの巨大な角が絶滅理由として挙げられる,これは真偽は定かでないが,グールドがエッセイに取り上げたことにより有名になった.貝虫では性的二型が大きいほど絶滅率が高いというリサーチがある.
  • 共有地の悲劇をよく示す例にはアミメアリがある.アミメアリは無性生殖で協力系統と裏切り系統があり,裏切り系統はコロニー内では圧倒的に有利だが,最終的にはそのコロニーを自滅させる.
  • このような自滅的系統を大進化の中の系統で見ることができるだろうか.このアイデアはGCウィリアムズが「系統淘汰」として提唱している.ウィリアムズは,単系統群は進化のユニットになり得るとし,分岐を増殖,絶滅を死亡と考えればよく,分岐率と絶滅率は系統樹から推定できると主張した.
  • 具体的なリサーチ例としてはマディソン2007がある.ここではナス科の自家和合性の進化が取り上げられており,二次的な自家和合性が絶滅率が高いのに維持されていることをシミュレーションモデルであるPiSSEモデルにより説明している.またこのモデルは将来予測も可能で,自滅的系統がどのような条件で観察可能かを予測している.
  • まとめ:トップダウンは系統から,存続淘汰の解析,存続性は卓越する,系統間に遺伝的流動はない,自滅的系統も観察可能,系統樹を用いたリサーチの可能性


アミメアリの裏切り系統について深くリサーチしてきた著者による,同じようなことがもっと大きなスケールで観察できたら面白いだろうという発表.ウィリアムズの系統淘汰のアイデアやグールドによる種淘汰のアイデアは昔から知られているが,これまではあまりいい実証がなかったという理解だった.調べていけばまだ可能性はあるということだろう.時間的スケールが大きく異なる問題はシミュレーションならある程度扱えるということなのかもしれない.

利己的な遺伝子は共生系の夢を見るか? 長谷川英祐
  • クローンのアリのコロニーにおいて砂糖に対する行動傾向を見ると個体間でばらつきが発生する.そしてそれはコロニーレベルでは適応的な形質であり,時系列でばらつきは変動する.このような現象はこれまでの総合説では説明できないと考えている.何かインプリンティングやエピジェネティックスのような説明が必要ではないかと思える.
  • そういう意味で,いまは進化論の変革期ではないか.これが「利己的遺伝子は共生系の夢を見るか?」という題の意味だ.
  • ここで私のリサーチを1つ紹介しよう.ヨモギヒゲナガアブラムシは色彩に多型があることが昔から知られており,興味を持たれてきた.本州では4色あるいは5色の多型になっており,北海道でも赤と緑の多型になっている.この色彩多型とアリ,ヨモギの関係を調べた.
  • まず赤と緑のどちらが効率的に増殖できるかをヨモギとアブラムシだけの系にして調べた.結果は赤>緑だった.さらに調べると赤と緑では甘露の成分が違うことがわかった.そして緑の甘露の方がアリに好まれる.要するに緑のアブラムシはコストをかけてアリに好まれるように甘露の成分調整を行っているのだ(そのコストの分だけ増殖率が低くなる).
  • アリを呼び込むことはヨモギの上にいるアブラムシの生存にとって非常に重要なので,無性生殖期には緑の存在がコロニーの絶滅の有無に効いてくる.データをベイス推計すると春先のコロニーにおける緑の数が夏の生産に強く効いていることがわかる.
  • 緑の数がコロニー生存に重要だとしても,集団内の淘汰については赤の方が有利だ.では何故コロニーは赤ばかりにならないのだろうか.アリの存在する条件下で調べてみると,緑と赤では増殖率が変わらない.アリが緑と赤を見分けて赤の増殖をコントロールしているようだ.
  • では何故アリは栄養価の高い緑だけにするように操作しないのだろうか.ここで,夏の終わりにヨモギの花序が出たあとで,(おそらくヨモギの出す化学物質により)アブラムシコロニーがどんどん絶滅する時期があることがポイントになる.アブラムシの有性生殖時期は10月なので,この時期のコロニー絶滅率はアブラムシにとって重要になる.この時期のコロニーをよく調べると,この時期に赤が少なくとも30頭いないと絶滅確率が大きく上がることがわかった.ここに永続適応度の概念がフィットする.赤はヨモギの化学防御に対抗できる越年存続モルフともいうべき存在なのだ.
  • するとアリは来年の食糧確保のために赤を残しているのではないかと考えられる.すると全参加者が自らの利益を最大化させようとして永続的共生系が進化したと描写できる.そしてヨモギもアリの存在によりアブラムシよりも食害の大きな食草者を排除できるなら共生系から利益を得ているということになる.その場合には4者の相利共生系ということになる.
  • 以上のリサーチ結果を論文にしてとあるジャーナルに投稿したら,査読者が全くの分からず屋でエンドウヒゲナガアブラムシのリサーチに引きづられたのか,多型の説明は頻度依存以外の説明は受け入れられないとコメントしてきた.もっといいジャーナルに投稿して見返すつもりだ.
  • 今理論は大きく変わろうとしているのだ.ダーウィン的な適応度は無限のリソースとランダム交配が前提で,有限の世界では近似に過ぎない.ちょうどニュートン力学がアインシュタイン力学に置き換わったように,これから大きく変わるのだ.永続適応度の概念を使えば密度効果の進化も説明できるだろう.


迫力満点の発表で,オフレコ的な逸話満載,プレゼンのここかしこにアニメネタも仕込まれていて楽しかった.内容的には,確かに有限世代が垂直に連続する場面では適応度は幾何平均を使うべきであり,逆に言うと幾何平均で考えればそこに絶滅確率が取り込まれるということになる.そして絶滅確率が進化動態に効いてくることはこれまでも十分理解されていて,例えば有性生殖の2倍のコストの問題も,短期的な問題と長期的な問題は分けて考えられており,長期的にはマラーのラチェットで絶滅確率の問題から観察できる無性生殖種は非常に少ないだろうと説明されている.だから大変化とか理論の革新とかいうのはちょっと風呂敷が広がりすぎという印象だ.
それとは別にヨモギヒゲナガアブラムシのケースは大変興味深い.そもそもこの赤と緑はどのように決まっているのだろうか.遺伝的に異なっていてどちらも有性生殖ステージには有性生殖を行うのだろうか.アリは来年の餌のために赤タイプを残すというが,それはコロニーテリトリーがある程度広くて安定的で,アブラムシの有性生殖ステージでの分散が非常に低いということなのだろうか.そして本州の4色多型,5色多型では一体どうなっているのだろうか.疑問は尽きない.
なお発表あとの討論はバトルが長谷川と近藤の間で勃発しかけたところで時間切れ.面白そうな展開だったのでちょっと残念だった.以上でシンポジウムは終了だ.


*1:ここで社会進化とは広い意味で使っていて,性淘汰などのプロセスも含んでいるとの説明あり

 「She Has Her Mother’s Laugh」


本書はサイエンス・ライターのカール・ジンマーによる遺伝に関する科学啓蒙書.ジンマーは進化に関する大がかりな啓蒙書を2冊書いた後,大腸菌やウィルスに関するやや軽めの本を書き,進化の教科書を書く仕事に熱中していたようだが,そのプロジェクトも一段落,今度は遺伝に関する大著を出したということになる.

冒頭はジンマー夫妻が夫人が妊娠した際に産婦人科で遺伝カウンセリングを受ける話から始まっている.(様々な遺伝的疾患のリスクを見積もるための)自らの遺伝的オリジンを尋ねられ,ジンマーは自分が何を受け継いできたのか(父親はアシュケナージ系ユダヤ,母親はイングランド出身)についてほとんど無知であることに気づく.そして数ヶ月後生まれてきた長女グレースは母親そっくりの笑い声をあげたのだった.(これが本書の題名「She Has Her Mother’s Laugh」になっている)
そしてジンマーは遺伝について調べ始める.そもそも1700年までは誰も遺伝(heredity)という単語を今日のような意味で使ってはいなかった.ダーウィンがそれを初めて科学的な問題として取り上げ,20世紀に入ってからそれは遺伝子(gene)の言語で取り扱われるようになった.遺伝子は我々の祝福であり呪いになったのだ.しかし我々が遺伝について知りたいことと遺伝子の振る舞いはしばしばうまく整合しない.そしてジンマーの物語は始まる.


第1部 頬へのタッチ*1

第1章 彼をなしたもののごく一部

ジンマーが最初に取り上げるのは近親婚の繰り返しによる恐るべき影響だ.ハプスブルグ家は自らの血統を純粋に保つことにこだわり,その子孫は重篤な症状に苦しむ.ジンマーは,heredityという語はもともとラテン語の相続に関する法律用語であることの説明から始め,ヒポポクラテスとアリストテレスの遺伝や獲得形質に関する考え方の違い,race(品種,人種)概念の誕生などにふれながら,中世のヨーロッパの貴族の血統(特にその純粋性)に関する執着(スペイン王家でもあったハプスブルグ家はその西ゴート由来の血統に特にこだわった)を描いていく.有名なハプスブルグの顎を持つ王家の子孫においては徐々に流産や新生児死亡率が上昇し,運良く生まれても喘息,癲癇,鬱にむしばまれていく.そして最後のハプスブルグスペイン王カルロス2世は病弱なまま跡継ぎなく1700年に没し,スペイン継承戦争が勃発,これによりスペインはかつての栄光から没落の道へと歩むことになる.
当時この近交弱勢の本質はよく理解されていなかった.ジンマーはこのような遺伝的な疾病に気づいた同時代の観察家の記録もいくつか紹介している.

第2章 時間を旅する

第2章は園芸の魔術師と呼ばれたアメリカの品種改良家ルーサー・バーバンクの物語.ジンマーはこの物語をメンデルの法則の再発見直後の1904年にド・フリースがカリフォルニアのバーバンクを訪ねるところから始めている.生まれたばかりの遺伝学は品種改良家の豊富な知識を取り込もうとしたのだ.
品種改良は農業開始直後から始まっている.ジンマーはスペインのメリノ種の羊の物語を例にとって解説している.品種改良が検査と選別の繰り返しによって達成されるということは遺伝を引き延ばしたり変容させたりできることを示しているのだ.品種改良家たちはある特性が子供の段階で隠れ,孫の段階で再発現する事があることに気づいていた.問題はいったい何がどのように遺伝するのかだった.
ここでジンマーはメンデルを登場させる.メンデルはこの謎を解こうとエンドウマメの交配実験を繰り返し,有名な3:1の比率を発見し,遺伝性が対になっている要素によっているという説明を提唱する.しかし当時の科学者たちには受け入れられなかった.それはおそらく当時似たような交配実験が数多くなされていたがメンデルのような明瞭な結果は報告されていなかったためなのだろう.植物学者ネーゲリはメンデルにヤナギタンポポで追試してみるようにアドバイスする.追試はうまくいかずメンデルの理論は受け入れられなかった.
ジンマーはここで話をアメリカに移す.アメリカでは理論を突き詰めることへの関心よりも,いかに新しい品種を創り出して儲けるかという企業魂が炸裂していた.ルーサー・バーバンクは貧しい一家に生まれ苦労している中,ダーウィンの「家畜と栽培植物の変異について」の2巻本に出合う.ジンマーはここでこの本の背後にあるダーウィンの思索についてもかなり詳しく解説している.ダーウィンは遺伝が両親の性質の混じりあいと考える当時のほとんどの学者とは大きく異なり遺伝を離散的な現象と考えていたのだ.そのパンジェネシス理論は結局間違いではあったが,それは様々な遺伝的現象をかなりうまく説明できるものだった.
そしてこの本はバーバンクに大きな刺激を与える.そして実験農場を始め,23歳の時に彼の名を有名にしたジャガイモの品種確立に成功する.そしてカリフォルニアに移って品種改良家として大成し,アメリカンアイコンの一人になるのだ.
ちょうどそのころダーウィンのパンジェネシス説は凋落する.ダーウィンの「家畜と栽培植物の変異について」は当初から単なる推測に過ぎないと評判が悪かった.ゴルトンはダーウィン擁護に回ったが,(パンジェネシスが含まれているとゴルトンが考えた)血液の個体間輸血実験が失敗して,その熱も冷めた.ダーウィンはパンジェネシスが血液にあるとは考えていないと抵抗したが,生殖細胞系列と体細胞系列を峻別すべきだと考えたワイズマンの獲得形質の否定実験により,パンジェネシス説の命運は尽きた.
ジンマーはここから染色体の発見,ダーウィンとド・フリースの意見交換,ド・フリースによる突然変異説,メンデルの法則の再発見,ベイトソンによる「遺伝学:genetics」の命名という科学史を概説している.そして話はド・フリースのバーバンク訪問に戻る.彼はオオマツヨイグサ以外にも大突然変異の例を知りたかったのだ.ド・フリースはバーバンクの熱意に強い印象を抱くが,求めていた変異は得られなかった.ド・フリースの突然変異説はその後凋落していくことになる.カーネギー財団はバーバンクの知識を科学的なレポートにすべく援助を行うが,それも果たされることはなかった.しかしバーバンクのイメージはその後バドワイザーの広告に使われて長く人々に記憶されることになる.

第3章 この人種は消滅しなければならない

ここまでジンマーは遺伝学の歴史を語ってきたが,ここからその負の歴史とも言える優生学との関わりを語り始める.
最初はアメリカの知的障害者向け訓練学校ヴィンランドトレーニングスクールが取り上げられる.1897年,学校は知的障害が認められた当時8歳のエマという少女を迎え入れる.当時知的障害者を収容する学校は生徒たちを社会から隔離し,衣食住を提供する代わりに(ある程度以上の年齢になると)労働させる組織だった.17歳になったエマは学校を訪れたヘンリー・ゴダードに出合う.ゴダードは野心家の心理学者で,当時の最新の知能テストでエマの知的障害の程度を測定し,著名な遺伝学者であったチャールズ・タヴェンポートと知り合ってメンデリズムを知り,そしてエマの家系を調べ,知的障害が遺伝し,メンデル遺伝と整合的であると確信する.ゴダードは英国でゴルトンが唱えた優生学と同じ結論に至った.アメリカは遺伝的な知的劣化から守られなければならない.そして1912年にエマの家系と知的障害の遺伝についての本「The Kallikak Family」を書き上げる.この本はベストセラーになり,東欧や南欧からの移民の知能程度への不安を(そして「科学に基づく人種差別主義」を)煽った.この本はドイツでも出版され,ヒトラーも牢獄で読み,後のナチはこの本を教材の1つとして用い,民族浄化法につながる.
この本の内容を疑うものもいた.最大の批判者はトーマス・モーガンだった.モーガンは遺伝の複雑さ,環境要因の重要さの理解の上で,ゴダードの論理(単一の遺伝要素がある意味とらえどころのない「知能の低さ」を決めている)の弱さを厳しく批判している.遺伝学者の世界では1930年頃までにはモーガンのようなとらえ方が主流になった.
ナチの興隆やさらなる批判の高まりによりこの本の学問的名声は1940年代には失われた.ゴダード自身も批判に対抗しようとファクトチェックをするうちに当初の家系調査が受託者によっていい加減になされていたことに気づき,後退する.しかし一部の心理学テキストにこの話が採用されたこともあり影響は残り続けた.
ジンマーはこの物語を当時の家系調査のでたらめさを確認した1980年代になされた再調査,エマのその後の人生を描いて終えている.

第4章 アタガール*2

第4章はパール・バックの物語.
ジンマーはパール・バックの人生をたどり,その作家としての成功の影に知的障害を抱えた娘キャロルとの悲しい物語があったことを丁寧に語っている.キャロルはフェニルケトン尿症(PKU)による知的障害をかかえていたのだ*3
そして1930年代のフェーリングによるPKUの症例記述とそれが潜性(劣性)遺伝子による遺伝病であるという仮説の提示の物語,それが単一遺伝子であることを見いだし,その発症の仕組み*4から遺伝性であっても発症は不可避ではないと考えた英国の医師ライオネル・ペンローズの物語*5,1950年代のPKUのようなメンデル遺伝の仕組みの基礎となるDNAの二重らせんを発見したワトソンとクリックの物語*6,さらに早期診断と低フェニルアラニンミルクを組み合わせた対処法完成の物語*7をつないでいる.


パール・バックはキャロルのために国中を奔走したが,最終的に治療不可能と宣言され,多額の寄付とともにヴィンランドに収容してもらう.そして贈り物や訪問を死ぬまで欠かさなかった.また娘のことをエッセイにして出版もしている.そしてその障害が遺伝性でないことを祈り,そうであったと知ったときの葛藤もここでは描かれている.ジンマーは,この話の教訓は,どこを強調するかによって変わるとコメントしている.それは遺伝学の勝利であり,そして環境要因の重要性も示しているのだ.



第2部 気まぐれなDNA

第5章 一晩のバカ騒ぎ*8

20世紀初頭にメンデルの法則は再発見される.しかしメンデルの法則が単純に当てはまる遺伝現象はそれほど多くない.
ジンマーは初期生命としてのRNAワールド,バクテリア,古細菌がメンデルの法則に従わないことをまず指摘する.彼等は染色体を対にして持っていないし,遺伝子はしばしば水平移動する.ここでジンマーはバクテリアの耐ウィルス防衛戦略としてのCrisper-Cas9システムを解説している.
そして18億年前に真核生物が現れ,対になった染色体とともにメンデル遺伝の基盤が生まれる.ジンマーはここで対になった染色体と減数分裂による生殖がなぜメンデル遺伝を生じさせるのかを,ジャンセンによる減数分裂の発見,モーガンによる交叉の発見,連鎖地図の登場物語を交えて詳しく解説している.
真核生物でもメンデル遺伝は完全ではない.まず何千もの植物は減数分裂をスキップしている.ジンマーはその1つがメンデルが追試を試みたヤナギタンポポだったことを指摘している.そして利己的な遺伝要素がメンデルの法則をかいくぐる.ジンマーは生物のゲノム自体が利己的な遺伝要素とそれに対抗する遺伝要素のバトルフィールドであることをここで解説している.

第6章 眠れる枝

ここでジンマーは自分のルーツ探索の旅を語る.母方の祖先グッドスピード家は少し前に詳しく調査されて本も出ており,よくわかっている.ジンマーはアメリカ人の系譜探索好きの背景も交えてグッドスピード家の歴史を楽しそうに語っている.その探索の旅はまるで指輪物語のゴンドールに迎え入れられるようだったとも感慨を語っていて面白い.
そこからジンマーは,アレックス・ヘイリーの「ルーツ」の物語(そのクンタ・キンテの物語はヘイリーに迎合した現地の語り手による創作なのかも知れないが,それがアメリカ大衆に与えた影響は本物だ),チャーリー・チャップリンの隠し子認知訴訟騒ぎ(血液型は彼女がチャップリンの子どもでないことを示していたが,チャップリンは訴訟に敗れる),そしてロシアのロマノフ王朝の最後を巡る物語(エカテリンブルグで最近発見された人骨をDNA鑑定した結果,ニコライ2世の子どもで最後まで死亡が確定していなかったアナスタシアとマリアのものであることがわかった),ユダヤのコーマニム(ユダヤ人でCohenあるいはKahnの姓を持つ男性は3300年前の最初のユダヤ教聖職者アーロンの直系の子孫であるという信念)のY染色体を用いた検証の物語をつないでいる.これらの物語を調査したジンマーは自分のDNAがどうなっているのかに興味を持つ.

第7章 Z型個人

ここでジンマーは自分のゲノムシークエンスを手に入れることにして,その経緯をドキュメンタリー風に描いている.第2世代型のイルミナ型シークエンサーによるシークエンスの仕組みの解説を交えて,最初に結果を告げられる場面が書かれている.ここはなかなか迫真の出来だ.そこから同祖理論に元ずく数理モデル,Y染色体アダムなどの話を挟んだあと,ジンマーのゲノムの「Z型」とは何かが解説され,そこから「人種」とは何かの話題に移る.
まずその概念の歴史が語られる.スペイン人が新大陸で人々を混血を交えてどう細分していったか,英国植民地でのアフリカ系差別と「ハムの呪い*9」による正当化,そしてリンネ,ブルーメンバッハによる人種の定義,アメリカにおける実務,優生学との関わりがまず解説される.そして片方で,区別ではなくその多様性を考察する立場が1900年頃から現れる様子も描いている.1930年代にドブジャンスキーは一般に流布する「人種の認識と白人の優秀性」には根拠がないと宣言する.この遺伝学の流れは第二次世界大戦後はルウォンティンに引き継がれる.このあたりはさすがに詳しく丁寧に書かれている.
そして最後に自分のゲノム「Z型」がどのように様々な地域の人々とSNPsを共有しているのかをよく見ると,人種概念がいかにヒトの遺伝的多様性を表すのに不適切なものかがわかるとジンマーは書いている.

第8章 雑種

では最新のゲノム分析はヒトの「人種」的多様性について何を教えてくれるのか.ジンマーはまず保全生態学者が絶滅危惧種であるズグロオリーブツグミの集団構造をゲノムから分析するために作ったクラスター分析プログラム(STRUCTURE)の話から始めている.これに移動効果を加味したプログラムをヒトに応用するとヒトの遺伝的集団構造を調べることができる.
この結果はジンマーの祖先について何を教えてくれるだろうか.STRUCTURE分析と照らし合わせると,43%がアシュケナージ系ユダヤ,25%が北西ヨーロッパ,23%がイタリア,6%が南西ヨーロッパ.2%が北スラブ,1.3%が不明というものだった.ジンマーの父方はウクライナのアシュケナージ系ユダヤ人,母方はイングランド人だ.ジンマーはいかにもドイツ風のその姓からドイツ系の影響が強いのではないかと漠然と考えていた*10ので,この結果はやや驚きだったと書いている.
ここから先は現代のDNA分析がヒトの祖先集団構造についてどこまでわかっているのかを次々と紹介していて充実している.

  • アシュケナージ系ユダヤ人はどこから来たのか.歴史学者はテュルク系のハザール起源だという伝説を否定し,イスラエル起源の人々がイタリア,スペインという南欧に広がり,そこで現地の人々と交わり,迫害を受けてポーランドに移った集団だと主張している.私のゲノムは後者を支持しているようだ.2016年の大規模なリサーチによると彼等のゲノム構成は,近東集団がまずイタリアで,後に北東欧で混交したことを示している.なお不明な点も残っているが,アシュケナージ系ユダヤ人が,長い移民の歴史と現地の人々との混交により成立しているのは間違いないようだ.
  • 「白人」は文化的には意味があっても,生物学的クラスターとしての意味は怪しい.古代DNA分析によると,4万5千年前のヨーロッパ人と今日のヨーロッパ人の間には直接の関係が見られない.3万5千年前のオーリニャック文化時代のDNAと2万7千年前のグラヴェット文化時代のDNAは互いに異なっているが,1万9千年前のスペインのDNAには両者が混じっている.1万4千年前になると今日の近東集団のゲノムが混交する.9千年前にこれまでのヨーロッパ狩猟採集集団と5万年前に分かれた農業集団のゲノムが混じり合う.そして4500年前にロシアのステップ地域からの牧畜集団が最後に加わる.つまり「白人」集団に何か古くて深い純粋な遺伝的な結びつきがあるわけではないのだ.
  • 最新のリサーチでは皮膚の色に強く関係する遺伝的変異が8種類見つかっている.分析によるとこれらの遺伝子の起源は数十万年前(つまりサピエンス以前)にさかのぼる.アフリカ内でも地域によって異なる淘汰を受けており,これらの変異は出アフリカで世界各地にもたらされている.初期のヨーロッパ狩猟採集民の皮膚はダークだったようだ.8千年前に北ヨーロッパでライトな皮膚の変異が生じ,また農耕民もライトな遺伝子を流入させた.そして4千年前ごろにヨーロッパ全域でライトな皮膚が席捲するようになったらいい.
  • 同じような集団の移り変わり,流入,混交の歴史がインドやアフリカでも確認されている.


ここからジンマーはネアンデルタールの研究史,サピエンスとの交雑の証拠の発見物語,デニソワ人の謎をおき,この最近発見された交雑についていくつか語っている.

  • 最近個人的なDNA分析のコストが下がり,自分のDNAを調べる人が増えているが,これらの人々の中には自分のネアンデルタール成分が多いことを自慢する「ネアンデルタールプライド」現象が見られる.
  • 最新のリサーチによるとネアンデルタールとの交雑は少なくとも3回生じたようだ.最初は近東で(この交雑結果はサブサハラ集団以外のすべてのサピエンスに共有されている),2回目はヨーロッパ・東アジア集団とニューギニア・オーストラリア集団が分かれたあとに前者と,3回目はヨーロッパ集団と東アジア集団が分かれたあと後者と生じている.
  • 交雑当初のネアンデルゲノム成分は全ゲノムの6〜9%あったが,その後減少している.これは有害ゲノム成分が淘汰されたからだと思われる.有利に働いた成分も(免疫などにおいて)あっただろう.

第9章 身長9フィート

第9章は量的遺伝形質の物語.ジンマーは歴史を通じて様々に報告されてきた巨人と小人の話から始めている.もの珍しさから様々な記述がなされてきたが,17世紀の啓蒙時代からその社会的な側面が考察されるようになる.そして19世紀になり,まずケテレットが(後に正規分布として知られるようになる)その分布の形に注目し,ゴルトンが,その遺伝性を回帰分析により考察する.そしてそれはピアソンの生物統計につながり,フィッシャーが洗練させ,「遺伝性」の概念を定義する.
遺伝性を測定するにはコントロールした交配実験が必要になる.しかしヒトではそれはできない.ここでゴルトンは双子を用いた手法を思いつき,それは後の行動遺伝学につながる.現在の最新の遺伝子マーカーを用いた遺伝率測定*11では身長の遺伝率は86%とされている.これは測定されたものの中で最も高いものの1つだ.そしてもちろん環境も身長に影響する,時代とともに身長は変化している.ジンマーはここから,アメリカ史を通じた身長の様々なデータ.ヨーロッパの3万年間の人骨からわかる変化*12,21世紀の韓国とイランのデータを取り上げ,特にその経済的な要因との関連を物語にして提示している.またジンマーはここでホルモン異常による小人症と末端肥大症も取り上げている.これらの症例は遺伝要因と環境要因の複雑な相互作用の結果なのだ.
では遺伝要素はどのように身長の遺伝率を決めているのか.初期の取り組みはいくつかの候補遺伝子を拾い出したが,それら一つ一つの効果は小さく,追試で消えてしまった.しかし近時ゲノムワイド関連解析が可能になり,ついにソリッドな効果を与える遺伝子HMGA2が見いだされる.しかし効果量は3ミリメートル程度で,集団全体の身長の遺伝に基づく分散の0.2%が説明できるに過ぎない.この関連解析をさらに広げ,効果遺伝子数を800まで増やせたが,それでも分散の27%しか説明できなかった.そしてその他の量的遺伝形質について調べると大体同じような結果になるのだ.説明されない残りについては今のところ謎だが,ジンマーは,単に小さい効果のある遺伝子が多数隠れている可能性,効果が非線形である可能性などを提示している.

第10章 エドとフレッド

ジンマーは第10章をゴルトンの野望と挫折の物語から始めている.フランシス・ゴルトンは幼少時神童として知られ,大学で数学を極めて栄誉を得ることを望み厳しい修練を積むが,それは果たされなかった.そしてそれは彼の遺伝についての執着につながる.彼は知性の遺伝を信じて,証拠を集め,知性の向上に向けて人類を育種することを夢見る.それはピアソンの統計学,ゴダードの知能テスト,知能のg因子仮説につながる.心理学者は様々なリサーチを行い,知能指数が寿命や経済的成功を含む様々な行動傾向と相関することを見いだした.また知能は発達を通じて一貫性があることでも知られる.1998年のリサーチでは子ども時代と大人になってからの知能指数の相関係数は73%だった.
では知能とは何か.ジンマーは様々な心理学者の取り組みを説明している.ある心理学者グループは反応速度の問題と考え,別のグループは生体システムの一貫性だと考えた.
そして本題「知能は遺伝するのか」の話題に進む.最初期の取り組みは双子の知能指数の相関が高いという知見から始まった.そしてシリル・バートの行動遺伝学的研究が始まる.彼は知能の遺伝率を80%程度と推定した.この取り組みを好まなかった批判者は,データは捏造だとバートの死後に弾劾した.これは一旦双子研究に冷水を浴びせたが,その後のリサーチの積み重ねにより,知能は確かに遺伝し,遺伝率はおおむね50%程度であることが明らかになっている.最新のゲノムワイド関連分析では52の候補遺伝子がスクリーニングされているが,その解釈についてはなお激しい議論の最中のようだ.ジンマーはこのあたりの論争の様子も丁寧に追ってくれている.知能は身長よりも環境の影響を受け,発達の程度も大きいために分析が難しいのだ.さらにジンマーはフリン効果の謎,知能の遺伝を巡るリサーチがその時代の優生学や人種差別言説に与えた影響,教育に与える含意,人々の心にある「遺伝的本質主義」の誤謬などの話題を扱っている.ここは人々のイデオロジカルな信念,あるいは政治的信念が論争に大きく影響するところで,なかなか議論の詳細は込み入っている.逃げずに真正面から扱っているジンマーの気迫が感じられるところだ.


第3部 内なる血統


第3部以降ジンマーは通常の染色体上の遺伝子にかかる遺伝現象以外の遺伝現象を取り扱う.話はエピジェネティックスから始まる.

第11章 すべては卵から

この章では,背景知識編として,まず受精卵からの発生の基礎,細胞が様々なタイプに分かれそれぞれ別の形質を発現していくこと,アリストテレス以降の前成説と後成説の学説史,ワイズマンによる生殖系列と体細胞系列の区別などを概説する.
そこから発生学の歴史に入る.コクリンによる細胞系統樹,ワディントンによるエピジェネティック地形のアイデアが現れ,発生学者たちの興味は,どのように同じゲノムを持つ細胞が別のタイプに分かれていくのかに集中する.突破点は,なぜオスとメスでX染色体の数が異なるのにその上にある遺伝子発現はほぼ同じなのかという疑問だった.それはメスにおいてどちらかのX染色体をサイレントにするからだが,どちらをサイレントにするかはある段階で細胞ごとにランダムに決まり,それがその後の細胞系列に受け継がれることがわかったのだ.ではこれはどのように受け継がれるのか.それはメチル化のパターンであることが明らかになる.
これが今日のエピジェネティックスの基礎になる.細胞間でメチル化パターンが継承可能なのだ.発生において多能性が失われ,あるタイプの細胞のみが生み出されるようになるのはこの仕組みに基づいている.(この章の記述は同じ個体内での発生についてのもので,世代間のエピジェネティックスについては第15章で扱われる)

第12章 魔女の箒

ある植物から別の植物のような枝が生える現象は古くから知られており,英語では「魔女の箒」と呼ばれる.これは体細胞の突然変異が元になっており,そしてそれは時に有用な栽培植物の起源となる*13
このように同じ生物個体に体細胞突然変異による異なる細胞系列が混在していることを「モザイク」と呼ぶ.そしてこれは動物にも生じうるし,ヒトでも観察されている*14.またガンも一種のモザイク現象だということになるし,小さな変異まで含めるとある意味ありふれている.ジンマーはこのあたりについて学説史を縦軸に,ヒトの様々な症状を横軸にして詳しく解説している.

第13章 キメラ

ジンマーはキメラについて「フリーマーチン」の話から始めている.フリーマーチンとはオスとメスの双子のウシが生まれたときにメスの子ウシの方が性的にオスでもメスでもない状態(外見上はメスだが,子宮を持たない)になることを指している.これは古代ローマ時代から知られている.この謎の探索は20世紀になってから行われ,それは胎盤を通じて双子が細胞を交換していることにより生じることが明らかになった.個体の細胞は異なる系統によるものが混ざり合っている場合があるのだ.これはキメラと呼ばれる.
そしてヒトでもこの双子のキメラは生じる.ジンマーはヒトでの発見例,その後のリサーチ(当初は血液型で調べられ,現在は直接DNAから調べられている.1990年代のリサーチによると双子のうち8%程度はキメラであると見積もられている),二つの受精卵が子宮内で融合したケース,母親に子宮内の子供の細胞が入り込むケース(ミクロキメラリズムと呼ばれる),このようなケースが与える血縁や遺伝についての概念的混乱,健康に与える影響倫理的問題などを詳しく取り上げている.
またこの章の最後ではタスマニアデビルにはびこっている伝染性のガンの話題も扱っている*15.これも一種のキメラなのだ.この種の個体も種も飛び越えるガンは軟体動物でも見つかっているそうだ.


第4部 そのほかの経路

第14章 友よ,あなたは素晴らしい

次にジンマーが取り上げるのは共生微生物の遺伝.最初に発光バクテリアと共生しているヒカリキンメダイを取り上げる.きわめて近縁のヒカリキンメダイの2種はそれぞれ異なるルシフェリン遺伝子を持つバクテリアと共生している.
そしてヒトを含む動物は様々なバクテリアと共生し,個体はバクテリア叢を個別に獲得する.そしてその一部は親から子へ垂直感染する.ある意味これは遺伝現象でもあるのだ.ジンマーはここで,ヒカリキンメダイの垂直感染のためのフィルター,特別な仕組みで卵を通じて必須バクテリアを子に感染させるゴキブリの話を紹介している.ではヒトではどうか,ほとんどは個別に感染されるが,一部は産道や母乳を通じて垂直感染するようだ.そしてそれはヒトとチンパンジーのバクテリア叢の違いを生み,ヒトの集団間でのピロリ菌の系統樹は,ヒト自身の系統樹と重なる.また一卵性双生児のバクテリア叢は二卵性双生児のそれより似通っている.つまり我々の遺伝組成は獲得バクテリア叢に影響を与えるようなのだ.これは表現型の発現の一部がバクテリアによって決まる可能性を示唆する.
そしてさらに緊密に遺伝的に組み込まれているのがミトコンドリアのような細胞内オルガネラになる.ジンマーはここでマーギュリスによるバクテリア起源仮説を含むミトコンドリアを巡る学説史をおいている.

第15章 花の怪物

次にジンマーが取り上げるのはペロリアの物語.ペロリアはその植物本来の花とは異なる形状の花を付ける現象で,最初は18世紀にホソバウンランで発見された.これはリンネを注目させた.ペロリアはその異なる花の形状を遺伝させ,時に元に戻ることから,後の世代の植物学者の興味を引き続けた.
謎が解明され始めたのは1990年代になってからだった.分子生物学者はホソバウンランはL-CYC遺伝子のメチル化によるスイッチにより通常の花になったりペロリアになったりすることを見つけた.つまりエピジェネティックなマークが世代を越えることが発見されたのだ.
そして20世紀の終わりに獲得形質の遺伝のように見える現象が他にもいくつか報告された.スウェーデンのリサーチで,ヒトについて,父方の祖父の生まれたときの栄養状態が悪ければ,孫娘が心臓発作で死にやすいという結果が得られた.この結果はラットを使った動物実験でも確認された.さらにマウスで条件反射の記憶が祖父孫間で遺伝するという実験結果も報告された.
これは第11章の発生におけるエピジェネティックスの知見と結びつけられ,メチル化と記憶についての様々な可能性が考察されるようになった.ジンマーはこれらについてかなり詳しく解説し,しかし過去のストレス経験がいかにメチル化を通じて世代を越えて(つまり生殖細胞系列におけるメチル化が減数分裂を越えて)脳や身体に影響を与えられるかについては全く明確ではないとコメントしている.
さらにこれらの発見は一部の論者にラマルキズムの復活の夢を見させている.ジンマーは獲得形質の遺伝を使って「貧困が社会に与える影響」まで論じるいくつかの論説を紹介した上で,このような主張について,そのメカニズムが全く明らかでないだけでなく,これまでの知見に照らして非常に困難である(これについても具体的に詳しく解説している)ということから生物学者はきわめて冷淡だと釘を差している.
その上で,植物に関しては生殖細胞系列と体細胞系列の区分が厳密ではなく,様々な可能性があることを説明し,動物における(RNAを通じた)わずかな可能性も指摘する.そしてそれでもこれは適応的な獲得形質の説明には遙かに遠く,ラマルキズムの復活にはならないだろうと結論をおいている.
エピジェネティックスとラマルキズムの復活については,ねじれた議論になりがちだが,ジンマーのまとめは冷静で目配りが効いており,さすがに一流のサイエンスライターの名に恥じないものだ.

第16章 教授可能な類人猿

エピジェネティックスによる獲得形質について否定的に扱った後,ジンマーはこれとは異なる獲得形質の世代間伝達つまり文化を取り上げる.まず最初に模倣などの文化伝達に向けた性向がヒトとチンパンジーで大きく違うことを紹介し,さらにヒトが自然環境内での生存において大きく文化に依存していることをオーストラリアで遭難した西洋人がアボリジニに助けてもらった逸話を使って説明している.
そして文化は世代を越えた伝達なので遺伝的な形質と同じように進化的にリサーチできる.そこから初期のミームのリサーチ,動物の学習や文化のリサーチ,ヒトにおける文化の累積,その要因(互いに親切で,教えあう,模倣好き),考古学的証拠を次々に取り上げ,火の使用,道具,家畜と栽培植物,金属器などの文化はある意味新しい形態の遺伝であるとコメントし,いろいろな考察をおいている.ここはやや厳密さを書いた議論だが,読んでいて楽しい部分ということになるだろう.


第5部 太陽の馬車*16

第17章 大胆な試み

人類は馬などの家畜の改良を続けてきた.育種がなぜうまくいくのかは19世紀以降に解明されていった.20世紀には栽培植物について放射線を当てて突然変異を誘発する手法もとられるようになった.そして1960年代に分子ツールが開発される.それは年々改良され,2013年には画期的な遺伝子編集手法であるCrisper-Cas9も現れた.ジンマーはこの手法の仕組みをここで解説している.
そしてその手法はもちろんヒトの遺伝子編集や,製薬用途に用いることもできる.さらにそれは生殖細胞系列の遺伝子も編集できる.これは優性学的にも優れた道具になりうることになり,倫理的かつ政治的な関心を大きく呼び覚ました.
ジンマーはここで遺伝学者ハーマン・マラーの物語をおいている.第二次世界大戦後,ナチの悪行が明らかになり,民族浄化のような露骨な優生学的思想は世間の厳しい指弾を受けるようになった.しかしよりプログレシブな優生学は残る.その牽引者の1人がマラーだった.マラーはモルガンの弟子で,1920年代にアメリカで遺伝学者として働き始めるが,しかし当時のアメリカの優生学運動には嫌悪感を抱いていた.それは弱者を不妊化させようという動きであり,貧困や犯罪を遺伝や人種に帰する誤った考えだったからだ.それに嫌気がさしてドイツに渡るが,そこでヒトラーが政権を取り,ソ連に移る.しかしそこはすぐにルイセンコ主義に侵されてしまい,スペインへ,軍事独裁が始まりスコットランドへ,そして1940年にアメリカに戻る.戦後,マラーは1920年代からのアメリカの優生学を厳しく非難しつつ,新しい優生学を立ち上げる.それは彼の突然変異荷重にかかるリサーチに基づいている.自然淘汰をなくすと種の遺伝子プールには有害突然変異がどんどん広まってしまう.マラーは個人による生殖選択を提唱した.大衆に突然変異負荷をよく教育した上で,優れた男性の精子バンクを作り,女性はその中からどの精子を使うかを自分で選ぶのだ.公的精子バンクは作られなかったが,民間ではいくつも設立された,1970年代には卵子も冷凍保存できるようになった.これは不妊治療の一環として定着していった.また有害遺伝子の含まれる精子や卵子,さらに受精卵の排除も技術的に可能になる.実際にハンチントン病やPKUの遺伝的呪いはこれで取り除ける.ただし現時点でこの方法を使っているカップルは少ない.ジンマーは,私たちはテクノロジーを手にしたのだが,ヒトの経済的感情的政治的現実がその使用を阻止しているのだとコメントしている.
1960年代には別の優生学的手法が現れる.それはホッチキスによる遺伝子エンジニアリングの提唱だ.技術は進む,1970年代には遺伝病の遺伝子治療が試み始められる.そして政治的な論争の末に,1980年代には体細胞系列への遺伝子治療は問題ないが生殖系列への遺伝子治療は様々な問題があるという認識が広がる.
1997年に不妊治療の一環として受精卵の核を別の卵細胞質に移植する手法が開発される.これはミトコンドリア病の治療にも使える可能性がある.しかしこれによると子どもには両親の遺伝子のほかにドナーのミトコンドリア遺伝子が渡されていることになる.これは「3人の親を持つ子」というフレーズとともに感情的かつ政治的な議論を巻き起こした.ジンマーはこの顛末(アメリカでは結局事実上禁止されてしまう)を詳しく追っている.

第18章 受精時の孤立

この卵細胞質移植を巡る政治的混乱は来たるべきCrisper-Cas9による遺伝子編集技術をめぐる大騒ぎの前哨戦に見える.2015年ジェニファー・ダウナーはそれを避けようと連続公開討論を行い,サイエンス誌に「遺伝子エンジニアリングと生殖細胞系列の遺伝子修正についての思慮深い道」という声明を発表した.しかしもちろん政治的議論はヒートアップする.ジンマーは論争と議論を細かく追って紹介している.
ある意味ダウナーの試みは成功し,卵細胞質移植よりは前向きな議論が行われている.いまのところ議論の焦点は親が子どもの遺伝的性質を変える権利はあるのかというところで,ではそれはワクチンの注射と何が違うのかという議論になっているようだ.いずれにせよ議論はまだ成熟しておらず,今後様々な論点が提示されるだろう.ジンマーはそのあたりも詳しく解説している.
またこの章の最後ではiPS細胞についても取り扱っている.ジンマーの見立てでは,iPS細胞が提示するのは「『生殖細胞系列の特殊性』はそれほど『神聖』なものではない」ということになる.そしてあまり意味のない感情的な議論が多くの悩める人々から治療法を奪っている現状を嘆き,遺伝についての概念をもう少し緩く広げてどのように遺伝をコントロールすることが私たちの幸福につながるかをよく考えるべきだとコメントしている.


第19章 惑星を継ぐもの

第19章は最新の遺伝子エンジニアリングの話から始まる.ジンマーはここでCrisper-Cas9の手法を用いた生殖細胞系列遺伝子への介入手法の発見物語を詳しく語っている.それは目標変異の対染色体へのコピー連鎖反応(mutagenic chain reaction)を引き起こしメンデルの法則を破るのだ.この遺伝子ドライブを用いれば遺伝病を集団から排除可能になるかも知れない*17.そしてこれに遺伝子デザインのアイデアがつながる.それは途方もない倫理的関心を呼び起こす.

ここでジンマーは思索に沈む.農業の開始,青銅器時代からの人類の歴史を振り返り,私たちは遺伝子だけでなく環境を受け継いできたこと,そして現在の進んだ産業社会と温暖化環境を子どもたちに残すこと,現在のアメリカンドリームの変容を考える.そしてより良い遺伝と環境を子孫に残すには,(環境や文化を含めた)より広い遺伝概念を持ち,より長い視点で社会的なCrisper-Cas9の利用を考えた方がよいのではないかと語っている.


以上がこのジンマーの大著の内容だ.自らのルーツの探索とゲノムを読む体験,ハプスブルグやヴィンランドスクールやパール・バックにかかわる様々な印象的なエピソード,メンデルからCrisper-Cas9による遺伝子編集技術までの遺伝学説史,さらに量的遺伝,双子研究,モザイク,キメラ,エピジェネティックスなどの遺伝を巡る様々なトピックを魅力的な物語にして紡いでいる.大部の本ながら読者を飽きさせない工夫は見事だ.また優生学との関連や人種や知能の遺伝というトピックも真正面から取り上げていて迫力十分だ.個人的エピソードも挿入されて印象深さを増しており,これはユダヤ系のサイエンスライターならではの仕事ということになるだろう.エピジェネティックスについてセンセーショナルに扱わずに冷静にまとめているところもさすがだし,あまり根拠のない倫理的な感情にとらわれずに遺伝子編集技術をより人々の幸福のために使おうというスタンスにも好感が持てる.濃密な取材に裏付けられた最新の知見が味わえる極めて上質で充実した科学啓蒙書だ.


関連書籍


脊椎動物の陸上進化を描いた本,ジンマーの出世作ということになるだろう.

水辺で起きた大進化

水辺で起きた大進化


同原書

At the Water's Edge: Fish with Fingers, Whales with Legs, and How Life Came Ashore but Then Went Back to Sea

At the Water's Edge: Fish with Fingers, Whales with Legs, and How Life Came Ashore but Then Went Back to Sea


進化についての最初の一冊

「進化」大全

「進化」大全


同原書(原書の方は第2版になっている)

Evolution: The Triumph of an Idea

Evolution: The Triumph of an Idea


進化についての2冊目.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20121002

進化――生命のたどる道

進化――生命のたどる道


同原書

The Tangled Bank: An Introduction to Evolution

The Tangled Bank: An Introduction to Evolution


進化についての3冊目(邦訳では3分冊)は教科書になる

カラー図解 進化の教科書 第1巻 進化の歴史 (ブルーバックス)

カラー図解 進化の教科書 第1巻 進化の歴史 (ブルーバックス)

カラー図解 進化の教科書 第2巻 進化の理論 (ブルーバックス)

カラー図解 進化の教科書 第2巻 進化の理論 (ブルーバックス)

カラー図解 進化の教科書 第3巻 系統樹や生態から見た進化 (ブルーバックス)

カラー図解 進化の教科書 第3巻 系統樹や生態から見た進化 (ブルーバックス)


同原書

Evolution: Making Sense of Life

Evolution: Making Sense of Life


大腸菌を扱った一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091229

大腸菌 〜進化のカギを握るミクロな生命体

大腸菌 〜進化のカギを握るミクロな生命体


同原書

Microcosm: E. coli and the New Science of Life

Microcosm: E. coli and the New Science of Life


ウィルスを扱った一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150928

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)


同原書

A Planet of Viruses

A Planet of Viruses


これは寄生生物にかかる本.

パラサイト・レックス―生命進化のカギは寄生生物が握っていた

パラサイト・レックス―生命進化のカギは寄生生物が握っていた


同原書

Parasite Rex (with a New Epilogue)

Parasite Rex (with a New Epilogue)

*1:この題は(獲得形質の)遺伝を伝える古代ローマの言い伝えから来ている.古代ローマの名門貴族であったルシウス・ドミティウス・アヘノバルブスは黒髪だったが,ローマの戦勝を伝えるニュースをカストール神とポルックス神から知らされ,その際に頬にタッチされたときから赤髪になリ,それ以来その赤毛は子孫に伝わったという.

*2:“attagirl”というのは女の子に「よくやった」という意味で投げかける間投詞.ここではフェニルケトン尿症の対処法が発見されて知的障害を免れた少女がホワイトハウスに招かれ,ケネディ大統領が彼女が元気よく遊ぶ姿に発した言葉として章題になっている

*3:キャロルは1929年,9歳の時にゴダードの去ったあとのヴィンランドに収容されることになる

*4:フェニルアラニンからチロシンを合成できないことにより発症する

*5:彼はヴィンランドでキャロルをPKUと診断したこともある,また第二次世界大戦後は反優生学運動の先頭に立っている

*6:ロザリンド・フランクリンに対する不当な仕打ちについてかなり批判的だ

*7:アメリカでこれが義務化されて,大きく状況が改善するのが1961年になる

*8:この題は生物学者ローレンス・ハーストが減数分裂について語った言葉「一晩のバカ騒ぎから帰る酔っ払いのようなものだ.一歩下がって二歩進む」から採っている

*9:ノアの洪水のあと,ハムの罪への罰として神がその子孫の肌を黒くしたという伝説

*10:結局この名前は父方の先祖がアメリカに移民してきたときに名乗り始めたのだろうと推測されている.

*11:双子かどうかを問わずに兄弟姉妹の多くのペアを集め,そのゲノム共有率を測定した上で,遺伝率を計算する.

*12:もっとも大きな環境要因による身長変化は8000年前の農業開始の時の低下になる.

*13:ジンマーは例としてピンクグレープフルーツをあげている.

*14:ジンマーは例として「エレファント・マン」をあげている.

*15:起源としては1万1千年前の1頭のイヌにさかのぼれる

*16:この題と第17章の章題は,ギリシア神話で,太陽神ヘリオスの子のフェイトンが父の馬車で大空を駆けようとして天地を焼き尽くし,ゼウスの稲妻を受けて墜落する物語を踏まえている.

*17:それはまだどこまで世界を広げられるか確定していない.このドライブへの耐性進化が可能かどうか見極められていないのだ

 日本進化学会2018 参加日誌 その2


大会初日 8月22日 その2


続いてシンポジウムの時間.S2の「植物の進化研究最前線:多様な適応戦略の謎に迫る」も大変興味深かったが,S6の「種内関係の適応進化がもたらす多種共存の促進と阻害」に参加.



シンポジウム S6 種内関係の適応進化がもたらす多種共存の促進と阻害

趣旨説明 土畑重人
  • 進化生態学や行動生態学は(性淘汰や協力の進化など)種内関係の適応進化を扱う.これに対して群集生態学は他種共存現象を扱う.この橋渡しを考えている.
  • 生物多様性の起源を問うには両方からのアプローチがあるが,これを統合させたい.
  • それには両分野の時間スケールの統一,群集生態学に種内多様性を取り込む,進化生態学にデモグラフィックと種間関係を取り込むことが必要になる.
  • 問題提起としては,行動生態学的な種内関係は群集生態学でどういう意味を持つか.そして期待される効果として,群集生態学を取り込んで行動生態学の自己完結的な体系を崩せるかもしれない,行動生態学を取り込んで群集生態学が種内関係を避けて通れなくなるかもしれないということがある.
  • 本日は種内関係の進化が他種共存にどう影響するのかが大きなテーマになる.それは無駄の進化として促進する要因ともなるし,繁殖干渉のように阻害する要因にもある.そこにはどういう法則があるのだろうか.また個人的にはグループ淘汰的な要素が絡むのかにも興味を持っている.
ムダの進化とは何か:群集生態学と行動生態学をつなぐ 近藤倫生
  • 私は群集生態学の研究者になる.
  • 種間の競争においては「より効率的な方がそうで無い方を駆逐する」という理論がある.これにはガウゼの有名な実験もある.しかし現実の生物世界を見るとクジャクの羽のような無駄にあふれている.これは競争排除にどういう効果があるのだろうか
  • ガウゼの競争排除則によるとそもそも共存は起こりにくいはずだ.しかし実際にはよく共存が見られる.これを説明する理論もいくつもある.資源分割,時間や空間の棲み分け,コロナイゼーションと競争のトレードオフ(分散種が競争種のギャップを渡り歩く),頻度依存捕食などだ.
  • これらの問題は行動生態学の教科書にもある.しかし例えばデイヴィス,クレブス,ウエストの有名な行動生態学の教科書では全15章のうち2章でしか扱われていない.それ以外は性淘汰,社会性,親の投資などの種内関係が扱われている.
  • ではこういう問題は多種共存にどういう影響を与えるのだろうか.
  • 共存についてすぐに思い出すのはロトカボルテラの競争モデルと複雑性のランダム群集モデルだ.ロトカボルテラの競争モデルでは共存の条件は自己抑制的要素になる.ランダムモデルでも共存の条件は種内抑制項で表される.
  • では行動生態学で自己抑制的な要素はどういうところに現れるのか.1つの例は性投資比だ.(ハミルトンの局所配偶競争モデルにおける)ESS性比は(n-1)/2nになる.これは集団が小さいと性比はメスに偏る(つまり増殖率が高い)が,大きくなると1:1になって増殖率が抑制されることを意味する.行動生態学者は性比というと有性生殖の2倍のコストの議論に惹かれていくようだが,私のような群集生態学者から見るとこれは密度効果を示しているように見える.
  • もう1つの例は性淘汰による武器や装飾の進化,そして性のコンフリクトだ.こういうコストは集団が小さくなって血縁度が上がれば小さくなる.協力の進化におけるチーターやフリーライダーも血縁度が上がれば減ってコストが下がる.これらも密度効果を示しているように見える.
  • これらをモデルに入れ込んで,共存のモデル系を作ることができる.個体数を通じたネガティブなフィードバックがかかる.
  • 一旦こうすると生物群集は異なって見えてくる.ムダは共存を増やし多様性につながるのだ.
  • 今後は実証していきたい


種内淘汰におけるムダが共存を促進するという議論.確かにいわれてみれば理屈はその通りだが,実際にはあまり効果はないだろうという印象.1つはここでいわれている密度効果は集団がごく小さくなるまでほとんど発生しないということがあるし,もう1つは時間スケールが全然違っていて,例えば冒頭の例でいうと,本当に密度効果が生じるには局所配偶競争が目に見えて生じるほど集団が小さくなってから,その集団の小ささがハミルトン性比が進化するまで保たれなければならないし,保たれたとしてもすごく大きなタイムラグが生じるのではないだろうか.

種内多様性の進化的成立過程とその生態的効果の方向性をつなぐ 高橋佑磨
  • 進化が生じれば個体群動態は変わり,種間関係も変わる.この方向性が予測できるかに興味がある.
  • ここでは種内の多様性を考えよう
  • 種内多型には(集団にとっての)プラスの副産物的な効果がある.集団全体でリスクやコストを分散させられる,パフォーマンスの向上もあり得る.これはテントウムシの色の多型やグッピーの行動傾向の多型において報告されている.
  • しかしプラスに働いていないものもある.イモムシの多様性は特に捕食圧を低下させないという報告がある.条件によって多様性の効果が変わる場合もある.
  • では種内多型はどのように進化しうるのだろう.いくつかの進化的な説明がある.1つは頻度依存などによる平衡淘汰,もう1つは移入と淘汰のバランスにより保たれるというものだ.
  • 多型の機能はどう決まるのだろうか.ここではモデルにより考察,実験,種間比較を取り上げる.
  • モデル:まずベースに負の頻度依存効果,中立,正の頻度依存効果を仮定し,そこに確率的な要素を加える.分析によると負の頻度依存効果があるときに多型の集団にとっての正の効果が期待できるようだ.
  • 実験:キイロショウジョウバエにはよく行動するRoverタイプとのんびりのSitterタイプがある.これらをRのみ,RS半々,Sのみの集団にし,低栄養条件と高栄養条件に晒して集団の内的増加率を比較する.すると低栄養の時のみ負の頻度依存効果が観測できた.なぜだろうか.異型同士の方が出合いやすい,社会的フィーディングにより利用効率が高まるなどが効いているようだ.
  • 種間比較:イトトンボではオスのハラスメントが激しく,メスの2型がオスのハラスメントコストに関して負の頻度依存になっていることが知られている.このイトトンボのメスの2型のあるなしで種間比較を行うと,2型ある方が分布域が広く絶滅率も小さい.
  • まとめ:進化過程から生態的帰結が予測可能だ.多型はコストを下げることがあり,分布域や絶滅確率に影響する.また群集にもいろいろな影響を与えるだろう.小進化と種レベルの生態的欠は表裏一体であることが多いのではないかと考えられる.


進化過程によって集団全体のパフォーマンスに差があるという興味深い議論,多型がどのようにして進化したのかは大変面白い問題だが,それが集団のパフォーマンスに跳ねてくることについてはこれまで考えたこともなかった.面白い.

性淘汰の副産物としての繁殖干渉 鈴木紀之
  • 繁殖干渉とは種間の性的な相互作用の結果個体の適応度が低下する現象をいう.他種のオスから追い回されたり,他種の花粉が柱頭を覆ったりすることにより生じる場合が典型例になる.また繁殖干渉は競争排除などにも関連するといわれている.
  • ここで生殖隔離は(種間の性的相互作用を減少させ)繁殖干渉の影響を和らげる方向に働くと予想される.また繁殖干渉があると隔離の強化がおきにくい*1とも予想される.
  • またここで重要なことは,他種を避けるのにもコストがかかること,種内の事情が優先されることだろう.
  • 実例1:オーストラリアのカエル.大きく見るとS種とN種が隣り合っているがN種分布地域の中に小さなS種分布地域がある.この小さなS種分布域では干渉が強く絶滅が予想される.基本的に種内事情優先で性淘汰が進むので,他種との出合い頻度が高いと干渉を大きく受けてしまう.
  • 実例2:クリサキテントウとナミテントウ(「すごい進化」での説明を概説)両種が混在すると,クリサキテントウが一方的に干渉の影響を受けるので,あまり条件のよくない餌のあるニッチに逃げ込んでいる.(「すごい進化」後の展開として)数理生物学者の入谷さんと実験と数理モデルを組み合わせたリサーチを行った.モデルは意思決定ツリーの形になっていて,繁殖成功をモデル化する.実験では自種や他種と出合ったときの「積極性」を調べるもので,ナミテントウの方が積極的であることが示された.最終的に2種の個体群動態をシミュレートし,それぞれの勝利条件を調べた.積極性,種識別,再交尾率のパラメータを入れ込むと,基本的に混在状態では積極性の高いナミテントウの有利が揺るがず,野外の観察状況と一致した.
  • 実例3:マメゾウムシ.マメゾウムシでは種内のオスメスコンフリクトによりオスの前脚にトゲが発達しているが,これは他種への干渉の大きさも決める.ここでアズキゾウムシのオスのヨツモンマメゾウムシのメスについての干渉能力を調べる.アズキゾウムシを,オスメス1匹ずつ飼育と20匹ずつ飼育の系に分け,20世代経過させる.そしてそれぞれのオスのヨツモンマメゾウムシのメスへの干渉の大きさを測る.確かに20匹の系のオスの方が干渉が大きかった.これは種内の淘汰の結果が他種の繁殖を妨げることを示している.


基本的には進化は種内淘汰によって進み,他種に与える効果は副産物的であることが基本という話.納得的だ.

まとめと総合討論 山道真人
  • 今日の話は3つあった.(種内淘汰の結果の)ムダの進化が異種の共存を促進するというもの,多様性の個体群全体についての効果,繁殖干渉だ.これは生態と進化のフィードバック,進化的な多様性と種内の多様性,頻度依存性の正負という視点から考察されている.
  • このフィードバックは1990年頃からいろいろリサーチされるようになった.吉田2003はクロレラとワムシの系を用いていろいろ調べている.
  • 多様性については階層の問題もある.種内の遺伝的多様性と種間の生態的多様性は異なる階層だろう.アナロジーで片方の系についての知見を別の系についていかせるかも知れない.
  • 頻度依存性についても,正負でいろいろ系の振る舞いが異なってくる.
  • 実りある統合を期待したい.


進化生態学や行動生態学と群集生態学を橋渡ししようという視点で,いくつかの取り組みが紹介されていて面白かった.以上で大会初日は終了だ.


鈴木の「すごい進化」私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170622

すごい進化 - 「一見すると不合理」の謎を解く (中公新書)

すごい進化 - 「一見すると不合理」の謎を解く (中公新書)

*1:と聞き取れたが,なぜ繁殖干渉があると生殖隔離の強化が起きないと予想されるのかについては説明がなく,良く理解できなかった.コストがかかるからむしろ隔離が強化されるような気もする.

 日本進化学会2018 参加日誌 その1


大会初日 8月22日 その1

本年の日本進化学会は東京大学駒場キャンパスでの開催.例年と違って水曜日午後からのスタートとなった.酷暑の中駒場キャンパスの13号館に到着.プログラムの冒頭はプレナリー講演.当初スタンフォードのTomasz Swigutによる「Cellular anthropology: using in vitro cellular models to explore human development and evolution」が予定されていたが,急遽来られなくなったということでその元で共同研究を行っていたDaniel R. Feuntesによる講演となった


プレナリー講演

Systematic perturbation of transposable elements by CRISPER/Cas9 reveals wide spread contribution to human gene re-acquisition Daniel R. Feuntes
  • トランスポーザブルエレメントが進化に示唆するものには大変興味深いものが多い.遺伝子発現の調整,ゲノムのダークマター,神経系の発達(モデルとしてのジカウィルス系,クロマチン地形など)いろいろなテーマがある.
  • 今日はインヴィトロのトランスポーザブルエレメントの遺伝子発現調節の話をしたい.
  • ヒトゲノムは約半分はトランスポーザブルエレメントで占められていることがわかってきている.多くのトランスポーザブルエレメントは古いもの(霊長類の共通祖先にさかのぼるものも多い)で不活性だ.レトロウィルスによる感染で入り込み,子孫に伝わり,固定していく.サイレンス化も生じる.
  • ここではHERUKにかかるLTRhSを取り上げよう.HERUKの起源は35百万年前にさかのぼり,発生の早い段階で発現することが知られている.これにかかるLTRhSはクロマチンマークを増やし,エンハンサーとしてタンパク発現に関与しているようだ.
  • ここでCRISPER/Cas9を用いてトランスポーザブルエレメントを操作できる.アクティベート,サイレンスどちらも可能で,いろいろと試すことができる.
  • その結果,LTRhSにおおむね300遺伝子がコントロールされていることがわかる.ただしロングレンジにはあまり影響がない.発生においては5週ぐらいから影響が出てくる.リーサスモンキーと類人猿で発現に差があるので,旧世界サルと類人猿の分岐のところと関連するのかも知れない.

講演においては配列と機能する仕組み,コントロールしてみた結果などが詳細に解説された.トランスポーザブルエレメントとエピジェネティックスによる遺伝子発現制御はそもそも進化的にも深い関係があるところで,大変興味深い内容だった.また新技術のインパクトもよく示す講演だった.


一般口頭発表 1-E

アゲハチョウの食草が変わった時,最初に何が起きているのだろう 尾崎克久
  • アゲハチョウには食草の異なるグループがある(クロアゲハ,ナミアゲハは柑橘類,キアゲハはセリ,アオスジアゲハはクスノキ,ギフチョウはウマノスズカケ).つまり進化史の中で食草を変えてきたことになる.
  • 幼虫は自分の産まれたところの葉を食べる.しかし決まったものしか食べられない.成虫は幼虫の食べられる植物を見つけて産卵しなければならない.これは前肢にある味覚受容体で味を見ていることがわかっている.
  • すると食草転換には(1)成虫の産卵場所の変更(2)幼虫が新しい食草を食べることができる(認識,消化,解毒)(3)同じ食草転換個体同士が交尾(4)産卵についてかつての食草を忌避の4条件が満たされる必要がある.
  • 全部同時は無理だろう.ではどのような順序なら可能なのか
  • ここで食草側の化学物質の類似性に着目し,チョウ-食草の化学的ネットワーク図を作成し,依存関係をZスコアで表してみた.するとそれぞれのチョウ食草グループは大きなノードになるが,それをつなぐイネ科,マメ科の小さなノードが見つかる.これらはあまり毒を生産せずに,中間の橋渡しになっているようだ.
  • ここから「まず成虫がイネ科やマメ科の食草に産卵場所を変更する→そこで幼虫は何とか食べていける→しかし利用者が競合するので,別の似ている化合物を持つ食草に変える→同系交配のためのチューニングが進化」という仮説が考えられる.
  • この仮説に沿って調べてみた.ナミアゲハはミカンのほかカラスザンショウも食べる.そこで一腹卵の兄弟をミカンとカラスザンショウ,それぞれの成分入りの人工飼料で育てる.解毒遺伝子の発現を調べると餌により発現が異なリ,成長速度も異なってくる.これは解毒に絡む化合物の類似性ネットワークに沿って食草転換が生じやすいという仮説を補強するだろう.

毒の少ないジェネラリストニッチが解毒スペシャリストニッチ転換の橋渡し中間点になっているという発見は面白い.

Evolutionary branching of defectors and cooperators in fission reproducing groups: a host pathogen approximation 有子山俊平
  • アミメアリはクイーンを持たないワーカーの単為生殖コロニーを持つ.ここには働かずに産卵に特化した裏切り系統があることが知られている.裏切り系統が生じたコロニーはすぐに死滅するが,個体群レベルでは安定的に両系統が見られる.これは一部の個体がコロニー間を水平移動しているからだと思われる.
  • この共存可能になる系をアダプティブダイナミクスで解析した.個体とコロニーの動態は感染症のSIR系のモデルでうまく捉えることができる.
  • これにより共存可能になる条件を求めることができた.

感染系のモデルとアダプティブダイナミクスをどのように組み合わせたのかまでこちらの理解が追いつかなかったが,なかなか面白そうな分析モデルだった.

交尾器形態形質置換と交雑コスト回避検証 西村太良
  • オオオサムシ亜属は種ごとに交接器が多様化しており,これが生殖隔離に効いていると考えられている.実際に2種が地理的に混在している場所では交接器差異が大きくなることが報告されている.
  • そこで交雑に時に本当にコストがかかっているのかを調べてみた.
  • 交雑コストとしては,交接器の損傷,時間のロスを考えた.
  • 分布が重なっているところとそうでないところを比較していろいろ調べてみた.小さな差異はいろいろあるが,側所的分布域で避けられているはっきりとした異種交接コストは見いだせなかった.

コストを交接器損傷と時間に絞っているが,交雑個体の繁殖価も重要ではないだろうかという印象だった.

社会性アブラムシCeratovacuna japonica共生細菌叢解析 頼本隼汰
  • アブラムシには兵隊アブラムシを持つ社会性のものがある.この多型がどのようにして分化しているのかはわかっていない.そこでブフネラとその他の共生細菌叢を調べてみた.
  • 用いたのはササコナフキツノアブラムシ.細菌叢はDNAにより解析した.調べてみると95%以上はブフネラで,その他いくつかの細菌が共生していた.
  • 問題のカースト間比較をしてみると,構成比には差がなかったが,量には差があった(兵隊カーストの方が少ない).
  • このブフネラ量差や,その他の共生細菌の構成差異が関与している可能性があるので今後調べていきたい

量の差は体格差とは逆なので,ちょっと面白い.

集団遺伝的分化と環境適応グラフィカルモデリ ング 中道礼一郎
  • 環境適応とそれによる集団文化の解析するために集団間の遺伝的多型と環境因子を関連づけることが必要になる.
  • ここでは環境および形質の集団構造をゲノムレベルのFSTで,各遺伝子寄与を遺伝子レベルのFSTで表して,それをグラフィカルにデモンストレーションシュル手法を開発した.(そのデモがなされる)
可塑的形態リアクションノーム地域変異RAD-seqによる集団遺伝情報から読み解けるか 松波雅俊
  • 表現可塑性は同一ゲノムで表現型に差が生じることだが,その分子機構には未解明問題が多い.
  • 両生類では捕食者に対応した(防御形質の)表現型可塑性がいくつか見つかっている.エゾサンショウウオは捕食者であるエゾアカガエルを感知すると攻撃型に変化する.これは感覚器からの神経刺激が,何らかの形で遺伝子発現に影響を与えていることになる.
  • ここでは「可塑性がまず先」仮説に従って進化的に説明を試みたい.つまり祖祖先型質として多様な可塑性があり,それが収縮して1つの可塑性になるというモデルだ.
  • これを幾何学的測定とRAD-seq(Restriction Site Associated DNA Sequence)により行った.道内5カ所でオタマジャクシを採取して捕食者を感知させるものとさせないものの形態測定し,可塑性の反応を分析し,それを主成分分析にかける.またこれとは別に集団構造を500SNPのRAD-seqで調べた.
  • この形態と遺伝子の2つの集団構造は一致しなかった.これはまず可塑性があって,地域ごとに異なるパラメータに収束していくという仮説を支持するものだ.


以上で口頭発表セクションは終了だ.