Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その2

quillette.com
 
ピンカーの啓蒙運動擁護本に対する批判への応答.3番目のトピックあたりからはかなり本筋に関わる議論になってくる.まず延々と採り上げた「これまで世界が良くなってきている」という事実の提示に関する疑問が取り上げられている.
 

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その3>
  • 一体どうして「心配することはない.すべてうまくいく」などということが言えるのか.海洋のプラスティック汚染はどうなのか? 麻薬の蔓延は? 学校での銃乱射事件は? 多すぎる収監者の問題は? ソーシャルメディアは? ドナルド・トランプは?

 

<応答>
  • 「Enlightenment Now」を書くことは,「Better Angels of Our Nature(邦題:暴力の人類史)」で発見したことを再発見することでもあった.「進歩」というのは新奇でエキゾティックで反本能的な概念だ.多くの人々は「進歩があったかどうか」という質問を「悲観主義者であるのか楽観主義者であるのか」という質問に読み替えてしまう.そして彼等は進歩の原因は何か神秘的な力で世界をユートピアに向かって運んでいくものだと考えてしまう.
  • しかし「進歩があったかどうか」は物事の見方ではなく,事実に関する質問だ.それは計測可能で,実際に様々な指標が向上しているのだ.「Factfullness」の著者ロスリングがいうように多くの人は悲観主義ではなく無知のために進歩を否定してしまう.
  • 同時に,「進歩」は過去すべての期間ですべての面ですべての人にとって良くなったことを意味するわけではない.それはもはや進歩ではなく奇跡になるだろう.進歩は奇跡ではなく問題を解決していった結果なのだ.問題が生じること自体は不可避であり,解決策はまた別の問題をもたらし,それはまた解決されなければならない.このためある面で進歩がある中で別の面では停滞や後退が存在する.しかしほとんどの人にとって世界がより良くなったという意味で進歩は現実なのだ.オバマが言ったように「あなたが誰になるかわからないなかで過去から現在までどの時代に生まれたいかを聞かれれば,それは『今』を置いてほかにない」のだ.
  • 現在悪化している物事のリストを提示するのは進歩があるかないかを決めるいい方法ではない.それはコラムニストたちが定期的に再発見しているやり方で,読者を怖がらせて預言者ぶるための方法でしかない.

 

  • 進歩は世界が完璧であることを意味するわけではない.それはかつてより良くなっていることを意味するだけだ.そして進歩を認めることが,今苦しんでいる人々や現在の深刻な問題を無視していいことを意味するわけでもない.

 

  • 将来がどうなるかは今日私たちがどう行動するかにかかっている.
  • しかし現在何をすべきかは,進歩をどう理解しているかによって変わってくる.もしこれまでの世界を良くしようと試みた努力がすべて無に帰したと信じているなら,つまりすべてはムダだったと思うなら,あきらめて現在を享楽的に楽しむのが最善になる.もし現在が最悪で,すべての組織が機能不全で改善不可能だと信じるなら,正しい方策は帝国を破壊してすべてを焼き尽くし,焼け跡から何かいいものが生まれることを期待すること,あるいは『私だけが問題を解決し,この国をもう一度偉大にできる』と叫ぶストロングマンにすべての希望を託すことになる.
  • しかし,もし理性と科学を用いて人々をより良くできると信じるなら,正しい方策は,よりこの世界についての理解を深め,組織を改善し,人々をより良くするように務めることになるのだ.

 
この批判は『進歩』が何を指すのかについての誤解というやや初歩的なところでつまづいたものだが,多くの人にとって大いに陥りやすいところなのだろう.ピンカーはあまり辛辣にならずに丁寧に応答している.
 

<批判 その4>
  • これらの世界の改善傾向を示す数字はみなチェリーピックされたものに違いない.

 

<応答>
  • これはひどい言い掛かりであり,世界が良くなってきた可能性を信じられないことから来ている.
  • 時にこの懐疑は完全に政治的なものだ.「進歩派は進歩を嫌う」という私のコメントに対して怒り狂った批評家たちには左派活動家のデイヴィッド・クレイバーのツイートを紹介しよう.

誰かあのネオリベラル/保守派たちのここ30年の社会の進歩についての数字への反駁方法を知らないか? あいつらの数字は貧困も文盲率も子どもの栄養失調もみな鋭く低下していると言ってる.こんなのが正しいはずがない.きっと右派のシンクタンクのでっち上げに違いない.でも正しい数字はどこなんだ.見つけられないんだ

  • そうだろう.「Enlightenment Now」で挙げた数字は(チェリーピッキングではなく)すべてのチェリーを数え上げたものだ.私はすべての論者が進歩の指標として合意できる数字,長寿,繁栄,教育から始めた.そして「Better Angels of Our Nature」でやったのと同じく暴力と蛮行をグラフ化した.そして心理学的な進歩の原因であるリベラル価値,さらにその結果である幸福感も採り上げた.
  • そのすべてで私は最も客観的で合意を得やすい指標(例えば戦争による死亡数,殺人による死亡数など)を選んだ.大学の研究者,政府機関,国連のような国際機関によってまとめられた数字にこだわり,「世界が悪い方が自分たちのビジネスにとって都合がいい」ような組織による数字を避けた.存在する限り世界全体の数字を使った.そしてそのデータセットの全期間データを用いたのだ.
  • より細かな数字(年代ごとの平均余命,雷による死亡など)については,英国とアメリカのデータを多く用いた.それはデータが入手可能で,多くの想定読者が興味を持つと考えたからだ.しかしこれらのデータは開発途上国の大いなる改善を含んでおらず,進歩を過小評価しているだろう.

 

  • どのケースでも進歩は肉眼で観察可能(なほど明確)だ.それは私が数字を操作しているからではない,そんなことはできない,データセットは簡単に入手できる.確かにグラフは上下しているし,指標について異なる定義もある.しかし進歩恐怖論者の主張とは異なり,結論はうごかない.
  • そしてこの結論を提示しているのは私だけではない.「Enlightenment Now」の出版以降同じような結論を提示する5冊の本が出版されている.

It's Better Than It Looks: Reasons for Optimism in an Age of Fear

It's Better Than It Looks: Reasons for Optimism in an Age of Fear

The Perils of Perception: Why We're Wrong About Nearly Everything

The Perils of Perception: Why We're Wrong About Nearly Everything

Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think

Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think

Clear and Present Safety: The World Has Never Been Better and Why That Matters to Americans (English Edition)

Clear and Present Safety: The World Has Never Been Better and Why That Matters to Americans (English Edition)

The Optimistic Leftist: Why the 21st Century Will Be Better Than You Think (English Edition)

The Optimistic Leftist: Why the 21st Century Will Be Better Than You Think (English Edition)

(少なくとも「Factfullness」には訳書がある)

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

  • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2019/01/01
  • メディア: Kindle版
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  • さて,これらが示す世界の数字を読者にある代替情報源と比べてみよう.ジャーナリストは定義からしてチェリーピッカーだ.彼等は戦争や疫病や災害などの稀な出来事を取り上げる.平和や健康や安全などの日常的出来事は取り上げないのだ.寿命や事故についての統計は悪い方向に向かったときだけ報道される.
  • このビルトインされたネガティブを採り上げる傾向に加えて,ジャーナリストは彼等の言う「モラル的な見地」から読者を日常の満足感から振り落とすべく恐ろしい事件を探し求め,その際に定量的な見方を封じ込めている.(オニオンの記事では皮肉交じりにこう紹介されている「CNNはどのニュースが視聴者をその日の残りの時間中パニックに落とし入れるかを決めるためのモーニングミーティングを行っている」) そして新聞は近隣で誰かがおぞましい犯罪にあったような出来事を商売道具にしているのだ.

www.theonion.com

 

  • もしこれらのニュースがデータとセットで提示されるなら読者のトレンドへの理解に役立つだろう.しかしそうでないならそれは書き手の思いのままに読者を利用可能バイアスに突き落とすことができる.
  • このような操作的でないやり方も可能なのだ.私たちは,メディアが天気やスポーツや金融市場と同じように事件についても定量的なデータと一緒に提示することを想像することができる.

 

  • 専門的な歴史学も美味しい果実を追い求めている(つまりチェリーピックしている).戦争,飢饉,恐怖政治,革命については多くの歴史が書かれているが,平和と豊穣と調和についての歴史は少ない.そして人類のウェルビーイングの歴史的傾向についてのものはさらに少ないのだ.

 

  • 環境問題はまた別の課題を提示している.私は環境の質についてのグローバルな長期的データセットを提示することができなかった.これを計測することを可能にするどんな歴史的概念も存在しないからだ.確かに誰も過去250年で環境が向上しているとは主張しないだろう.実際に多くの進歩は環境とのトレードオフの上に実現してきた.
  • しかしながら過去10年についてはグローバルなレポートがある.そしてこの環境パフォーマンスインデックスによると180カ国のうち178カ国で環境は改善しているのだ.これは環境が向上し始めたことを示唆しているようだ.それを知って世界を眺めると,これまでの環境悪化要因であった世界全体の人口増加は,1962年に増加率のピークを打ち,現在増加率が大きく低下中であることを知ることができる.(これはまだあまり知られていないが,ブリッカーとイビットソンの本に書かれている)

Empty Planet: The Shock of Global Population Decline

Empty Planet: The Shock of Global Population Decline

 

  • すると問題は環境を示す数字のどれをグラフにして示すかということになる.私は最も刮目すべき指標としてCO2放出量を選び,さらにアメリカのCO2放出量,森林面積,石油の海洋汚染,自然保護区の面積を選んだ.それらはすべて改善している.
  • 批評家たちは,生物多様性や淡水リソースをプロットすることもできたはずだと批判している.それはすべきだったのかもしれない.しかしあの部分の私の目的は環境の状況を示すことではなく,伝統的ジャーナリズムや活動家たちの環境破滅の運命論を突き崩すことだったのだ.

 
ここは本書の大半をなす労作の真価に絡むところで,ピンカーも猛烈に反駁している.そしてマスメディアのドラマチックで悲観的なニュースへのバイアスを繰り返し指摘する.ピンカーに言われてみて確かにスポーツニュースや株式市場・金融市場の記事には定量的な部分があることに気づかされる.社会的なものも同じように扱うことは可能だろう.殺人や事故のニュースを伝えると共に,その10万人あたりの発生件数の推移を打率や防御率のように示せばいいのだ.そうであればどんなにいいかと思ってしまう.

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その1

quillette.com
 
ピンカーの「Enlightenment Now」について,(途中の中断を挟んで)1年半かけて紹介してきた.「Enlightenment Now」は2018年2月の出版で,当然ながらその議論にはいろいろな批判や反論が各方面から寄せられている.ピンカーは出版後1年で一旦それにまとめて反論している.それがこの2019年1月のQuilletteの記事「Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later」になる.
 

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)


 
冒頭はこう始まっている.

  • 理性と科学とヒューマニズムの擁護という主張は,世界がまさにその擁護を必要としているように見える状況で,論争を呼ぶようなものではないだろうと思われるかもしれない.しかしある同僚の言葉によると,私は人々の頭を爆発させたらしい.激しい批判が右派からも左派からも巻き起こっていると多くの人が知らせてくれた.
  • 批判者は本書を人種差別主義的,帝国主義的,実存的脅威,孤独と鬱と自殺の源だと非難している.彼等は進歩に見えるものはデータのチェリーピックに過ぎないとし,啓蒙運動は時代遅れであり,権威主義的ポピュリズム,ソーシャルメディア,AIにまもなく殺されると主張する.
  • 今回ペーパーバック版の出版を機会に,(批判者の揚げ足をとり本書での主張を繰り返す誘惑を封じて)この批判や論争を機会として,啓蒙運動プロジェクトとその現在の敵についてじっくり考えてみたい.

 

<批判 その1>
  • あなたは啓蒙運動を間違って捉えている.啓蒙運動はいくつもあって単一ではない.啓蒙運動思想家たちがみな科学的なヒューマニストであったわけではない.彼等の一部は信仰を持ち,一部は人種差別主義者だった.ルソーは啓蒙運動家ではなかったか? マルクスも啓蒙運動家とすべきでは?

 

<応答>
  • 啓蒙運動が本当はどんなものだったかに絡む本書への批判はみなポイントを外している.本書は「理性と科学とヒューマニズムの擁護」であって「18世紀の何人か思想家の擁護」ではないのだ.
  • もちろん啓蒙運動はファジーな境界線を持っているし,先立つアイデアに影響を受けているし,互いに意見を異にする思想家たちが含まれている(最も有名なのはルソーであり,アンソニー・ケニーに啓蒙運動の巣の中に潜り込んだ巨大なカッコーと形容されている).だから誰が啓蒙運動思想家に含まれるかという質問に単一の正しい答えはないのだ.私はそのことを本文にきちんと断っている.(該当部分が引用されている)

The Enlightenment: A Very Brief History (Very Brief Histories Book 0) (English Edition)

The Enlightenment: A Very Brief History (Very Brief Histories Book 0) (English Edition)

 

  • 私が本書の題に「Enlightenment:啓蒙運動」を使ったのは,それが私が擁護したいと思った理想を示す最も良いタイトルだと思ったからだ.(「リベラルコスモポリタン主義」「オープンな社会」なんかよりキャッチーだろう)
  • そして18世紀の思想家たちはここで感謝と共に取り上げるに値する.なぜなら彼等の多くは互いのやりとりの中でこれらの理想のセットについて明確にしているからだ.(上記のケニーの「The Enlightenment: A Very Brief History」以外の本も紹介されている)

The Enlightenment: And Why It Still Matters (English Edition)

The Enlightenment: And Why It Still Matters (English Edition)

The Dream of Enlightenment: The Rise of Modern Philosophy (English Edition)

The Dream of Enlightenment: The Rise of Modern Philosophy (English Edition)

Betraying Spinoza: The Renegade Jew Who Gave Us Modernity (Jewish Encounters Series) (English Edition)

Betraying Spinoza: The Renegade Jew Who Gave Us Modernity (Jewish Encounters Series) (English Edition)

Inventing Human Rights: A History (English Edition)

Inventing Human Rights: A History (English Edition)

 

  • しかし啓蒙運動は単なるインテリの歴史ではない.そして「啓蒙運動」という単語にこだわるのも意味がない.当時の思想家はこれらの理想を様々な表現している.そしてそもそも「語」の意味は人々がどういう意味で使うかで決まり,「啓蒙運動」は伝統的に「理性と科学を使ってヒューマニズム価値を追求する」ことを指している.(オバマとマクロンの用法を紹介している)

 
18世紀の思想や啓蒙運動の歴史に詳しい(かつピンカーが批判する悲観主義的なインテリに属する)専門家はピンカーの用法にいろいろけちを付けたいというところなのだろう.ピンカーはこの点について行動遺伝学の1院生が書いたQuilletteの記事を紹介していて面白い.
 
quillette.com

 

<批判 その2>
  • 啓蒙運動は祝福すべきものではない.それは世界に人種差別,奴隷制,帝国主義,そしてジェノサイドをもたらした.

 

<応答>
  • この主張に正しい部分があるとすれば,それはこれらの蛮行は18世紀以降も続いたということだけだ.それ以外の点ではこの主張は全くの間違いだ.これらの犯罪は文明そのものと同じぐらい古い.そして啓蒙運動を経て初めて人々はこれに倫理的に疑問を持つようになったのだ.
  • 人種差別は,よそ者嫌いと本質主義という認知的な傾向から生まれる.そして古くからそれを擁護しようとする試みがある.アリストテレスはバーバリアンを,キケロはブリトン族を,古代ギリシアと中世アラブはアフリカ人を,中世スペインはユダヤ人を,16世紀欧州人はネイティブアメリカンを悪し様に扱っている.(これについての参考文献も示されている)

The Invention of Racism in Classical Antiquity

The Invention of Racism in Classical Antiquity

The Invention of Race in the European Middle Ages

The Invention of Race in the European Middle Ages

 

  • 帝国主義のルーツも古い.歴史の大半において政治的リーダーのポリシーは「来た,見た,勝った」だった.帝国主義に背を向ける歴史的展開はムスの「Enlightenment Against Empire」に描かれている.ムスは「批評家たちは帝国の力の濫用を声高に批判するが,そもそも『ヨーロッパ人は世界を征服し植民地化する権利を持つ』という考えに疑問を持つようになったのは啓蒙運動以降だ」とコメントしている.

Enlightenment Against Empire

Enlightenment Against Empire

  • ベンサム,コンドルセ,スミス,ディドロー,カントなどの新しい反帝国主義者は2つのアイデアに突き動かされていた.1つは「すべての人は彼が人間であるという理由だけでモラル的政治的にリスペクトされるべきだ」というアイデアであり,もう1つは進化人類学の先駆けともいえる「人は文化を創り文化と共に生き,だから協力でき,環境に適応できる」という思考を詰めて行った結果のモラル「人の自由と尊厳を打ち壊すような慣習,例えば奴隷制,農奴制,帝国主義,カースト制は非難されるべきだ.そしてそれ以外の文化ごとの慣習には尊卑はない」というアイデアだ.

 

  • 奴隷はかつて望ましい征服の果実だった.(ユダヤ教の)過越の儀式を経験したり,映画「スパルタカス」を見たことがあれば,奴隷制が18世紀西洋の発明品でないことはわかるだろう.奴隷制廃止の時間軸を見ると,奴隷制を押し進めたとして啓蒙運動を批判するのはとりわけ馬鹿げていることがわかる.(奴隷制廃止の累積グラフが添付されている)
  • 歴史家のケライデスは(Quilletteの記事に)こう書いている.「何千年もの間偉大な道徳家たちは何とか奴隷制と折り合いを付けてその残虐性を減らそうとしてきた.しかし啓蒙運動以前には誰も(キリストも仏陀もムハンマドもソクラテスも)すべての奴隷を完全に解放しようとは考えなかった.啓蒙運動は奴隷制の発明者ではなく,『誰も奴隷にされるべきではない』という概念の発明者なのだ」

quillette.com

 

  • 確かに19世紀後半は人種の優劣を主張した(現在では否定されている)科学理論や(20世紀のジェノサイドにつながる)民族的ナショナリズムを生んだ.しかしそれについて啓蒙運動を非難するのは間違いだ.まずそのような非難は18世紀以降生じたすべての悪は啓蒙運動のせいだといっているの同じだ.そしてそれは19世紀に生じた思想的な展開,つまり反啓蒙運動思想を無視している.歴史家のマーク・コヤマはこう書いている.「現代西洋の罪を啓蒙運動に帰せようとするのは反啓蒙運動を放免していることになる.反啓蒙運動は啓蒙運動がモラルをユニバーサル化しようとしたことへの反動であり,ロマンティックなナショナリズム,民族中心的思想を生みだした.・・・・彼等が最も執拗に反対したのは啓蒙運動が示したユニバーサルなモラルだった.(反啓蒙運動思想家の)メーストルは(単一の)「人類」の存在自体を否定した.『人類などというものはない,フランス人やイタリア人やロシア人がいるだけだ』と.」

www.liberalcurrents.com

 

  • そして(批判者たちの)この論理構成は科学やダーウィンを人種差別的だと非難する際にも使われている.彼等は19世紀以降の学問思想の展開(ロマンティックな歴史思想,言語学,古典学,神話学)を無視しているのだ.そしてそのような非難にはダーウィンについての理解の浅さが共通してみられる.ダーウィンの考えが,当時流行だった「純粋な民族の階層性」と全く相容れないものであることがわかっていないのだ.

 

  • ケライデスやコヤマ以外にもこのような非難に対する見事な反論を書いている人は多い.(いくつか紹介されている)

www.nationalreview.com
thefederalist.com
thefederalist.com
  

  • そしてこのような反論は左派からだけではない.保守派であるトラチンスキーも同じように反論しているのだ.これはシオコンや最近の反動保守への応答になる.

thefederalist.com

 

  • 全体主義的共産主義のルーツはルソーにある.ルソーはまさに啓蒙主義の巣に潜り込んだカッコーであり,ロベスピエールやジャコビンやロマン主義に多大な影響を与えた.ルソーは確かに時代的なセンスでは啓蒙運動期の思想家だが,彼は科学や理性は進歩ではなく退廃につながっているという考えに固執し,「一般的意志」を個人の自由や権利の上に置いた.トラチンスキーはこうコメントしている.「共産主義が科学的であると考える人は良く考えてみるべきだ.科学的なマインドがあれば,200年も実験を続け,それがすべて失敗してもなおその結果を受け入れないということがあるはずがない」

 
 
まずは雑な非難から片付けていくというところだろう.それにしても「18世紀の啓蒙運動が古代よりある奴隷制をもたらした」と信じているというのはあまりに馬鹿げていると言わざるを得ない.反論もこのあたりから始めなければならないというのは大変だ.
 

書評 「犬から見た人類史」

犬からみた人類史

犬からみた人類史

 
本書は犬という視点から人類史を見るというテーマで様々な分野の研究者から寄せられた論考を集めたアンソロジーだ.3部構成で第1部は「犬革命」と称して犬の誕生から先史時代まで,第2部は「犬と人との社会史」で前近代から近代まで,第3部は「犬と人の未来学」で現代から未来までを扱う.犬から見たという視点が面白いし,普段読まないような分野の文章も読むことができていろいろ楽しい本だ.

第1部 犬革命

 
イヌの特徴である吠えるという行動がどうして進化したのか,狩猟採集民の遊動型狩猟におけるイヌの役割,縄文人のイヌの使い方,イヌの性格と遺伝子,イヌとヒトの視線のやりとり,犬の比較神話学という論考が並ぶ.
最初の「イヌはなぜ吠えるか」(第1章)という論考は面白い.オオカミはあまり吠えないのにイヌはなぜあのように吠えるのか.まずどのような場面でオオカミとイヌが吠えるのかを分析し,オオカミに比べイヌは「吠え」の制御が情動から相対的に自由になっていると解釈する.そしてイヌへの進化の最初のフェーズは「ヒトの残飯を食べるが繁殖はヒトの制御下に入っていない」という段階であり,そこでは「ヒトにとって怖くない」ことと「ヒトにとって役に立つ」ことが有利になっただろう.そしてガーディングドッグとしての警戒吠えが「役に立つ」ことから,それが有利になって,より頻繁に吠えるために吠えに対する情報的支配が弱まるきっかけになったのではないか.そこから警戒文脈以外でも吠えが可能になり,さらに学習によって吠えることも可能になったのではないかと推測する.そう考えるとおそらく牧畜の開始が食糧生産の増加と共に重要だっただろうと論考を進めている.
狩猟採集民の犬猟のやり方の寄稿(第2章)は詳しいフィールドの記述に迫力がある.縄文犬の寄稿(第3章)は出土した限られたイヌの骨を詳しく記述し,そこからいつ頃からどのような猟にイヌが使われ出したのかを導き出していて面白い.イヌの性格と遺伝子の寄稿(第4章)はイヌの個体差を遺伝子から探るというもので,これも詳細がいろいろ面白い.この中では毛色の濃さと性格の関係についての意外な発見が興味深い.
イヌとヒトの眼の寄稿(第5章)も興味深い.ヒトには霊長類の中で特異的にはっきり白目があり,視線を相手に知らせることができる(視線強調型).これはヒトの社会においては自分の意図を隠すより相手に伝える方が有利になったからだと解釈できる.実はオオカミも集団ハンティングを行う社会性動物で,虹彩と瞳孔のコントラストが明確で視線強調型の眼をしている.しかしイヌは黒目がちで視線を強調するようにはなっていない(黒目強調型).著者はここをいろいろ考察しており,イヌはオオカミから他者の視線への感受性を受け継いでおり,さらに他種であるヒトに対しても自分の視線を送信する能力を進化させている.それには当初オオカミのような視線強調型の眼が役に立っただろう,しかしその後敵対的信号をヒトに向けないイヌが好まれるようになって黒目がちになったのだろう*1と推測されている.
最後の神話についての寄稿(第6章)はいかにも人文学的な寄稿で世界の様々な伝説やおとぎ話を扱っていて楽しい.
 

第2部 犬と人との社会史

 
第2部は前近代から近代の犬を扱う.少し前まで営々と行われていた様々な犬猟や犬ぞりの詳細が扱われていて,あまり知識のない私には大変勉強になった.取り上げられているフィールドはカメルーン(第7章),宮崎(第8章),京都北山(第9章),アラスカ(第10章),樺太(第11章)と続く.このあたりはいかにも犬という視点から描かれた文化人類学的な労作だ.
またそのあとに忠犬ハチ公と日本の軍犬の論考(第12章),紀州犬における犬種の合成(第13章)というちょっと面白いトピックも扱われている.また最後には狩猟者から見た日本の狩猟犬事情(第14章)というちょっと実務的な寄稿もあって面白い.
 

第3部 犬と人の未来学

 
第3部は現代と未来の犬を扱う.ここは全くカオスのようなところで,イヌへの愛とカラハリのフィールドを語るエッセイ(第15章),日本のイヌの葬られ方を淡々と語る寄稿(第16章),ドイツにおけるイヌとのセックス愛好者のレポート(第17章),ブータンの「村の犬」の現在(第18章),コンパニオンスピーシーズとしてのイヌへの論考(第19章)と続く.ただただ寄稿者の提示する世界を受け入れて読んでいくことになる.私的にはこういう文章は普段あまり読まないので大変新鮮だった.
 
このほかところどころに,オーストラリアのディンゴ,南方熊楠と犬,イヌのアトピー性皮膚炎,鹿肉ドッグフードを扱ったコラムもあってそれぞれ楽しい.
 
全体としては犬という視点だけで様々な論考を集めた書物で玉手箱のように楽しい本だと評価できると思う.その中では狩猟犬としてのイヌの実態が非常に詳しく描かれていて充実しているだろう.イヌ好きで理屈好きの人には堪えられない一冊ではないだろうか.


関連書籍
 
生物学的視点からのイヌについてはまずこの本だろう.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150616/1434454122

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知

イヌの動物行動学: 行動、進化、認知

  • 作者: アダムミクロシ,´Ad´am Mikl´osi,藪田慎司,森貴久,川島美生,中田みどり
  • 出版社/メーカー: 東海大学出版部
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本
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*1:ハスキーのような例外もあるが,ハスキーの場合には美しい青い瞳に対する好みが優先したのだろうと解説されている

産研アカデミックフォーラム「 文化を科学する:進化論で社会を理解する」 その3

最後にかなり長めの時間をとってパネルディスカッションが行われた.
 
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パネルディスカッション

 

コメント 里見龍樹

 

  • 私は文化人類学者であり,その立場からのコメントとなる.
  • 現在の文化人類学は進化学とは相性が悪いとされている.しかしそういう不毛な対立にならずに進化を取り入れて文化人類学を刷新したいという立場でコメントしたい.

 

  • 太平洋の島々の文化と進化というテーマは,文化人類学と進化学の物別れの歴史の舞台とも言える.
  • 18世紀クック船長の3度の航海によって太平洋の諸言語の共通性が気づかれる.これは現代にいたる文化系統学的関心の端緒と言える.なぜ太平洋諸島では一方で文化要素に共通性があり,他方で多様なのか.
  • 1830年代には太平洋諸島はポリネシア,ミクロネシア,メラネシアに地域区分されて理解されるようになった.社会的にはミクロネシアとポリネシアはより身分社会的で,メラネシアは平等的だと言われたりしている.
  • 言語への関心は,まず系統,系譜に向かった.フンボルトはマライ・ポリネシア語族を提唱した.これは20世紀のオーストロネシア言語族概念のもとになっている.
  • 言語学は19世紀の歴史系統的関心から20世紀になると共時的体系への関心に移った.言語構造主義はその流れだ.
  • さらに現代では歴史言語学は数量的統計的アプロートを取り入れ新たなリサーチに向かっている.

 

  • 進化学と文化人類学は20世紀初頭に物別れになる.文化人類学はまず19世紀の社会進化論を否定し,フィールドワークの知見(だけ)を報告することに固執するようになった.パプアニューギニアのクラの研究で有名なマリノフスキーは「西太平洋の遠洋航海者」で「慣習の起源や歴史には関心はない」と書いている.

西太平洋の遠洋航海者 (講談社学術文庫)

西太平洋の遠洋航海者 (講談社学術文庫)

  • 20世紀には文化人類学における一時的な進化主義のリバイバルがあったこともある.サーリンズは自然環境と社会階層の複雑性についてリサーチをした.これは今日的に見ると相関と因果を混同しており,さらに社会の複雑性は一方的に増大するという前提に立つものだった.

 

  • では現代の文化人類学はどうすべきか.文化人類学は進化学と物別れになり,文化の発生や変化についてうまく考えることができなくなっている.これをどう乗り越えるのか.
  • 私は文化人類学は文化のbeingの科学から文化のbecomingの科学に脱皮すべきだと考えている.
  • 文化人類学から文化進化の議論を見ると主観的なものから科学的なものに向かっているように見える.個人的には「生成論的」と呼びたい.
  • 今日の講演のヒントは,大進化と小進化,長期的時間的視点,定量化(考古学データを定量化し,音楽までも取り込む),伝達プロセス,社会や戦争のモデル化というあたりだと感じた.

 

  • 太平洋の文化系統学に関しては社会の階層性にかかるカリーの2010年のリサーチがある.これは文化人類学と進化を結びつけるやり方の第1の候補だ.小進化の定量的リサーチということになる.
  • ただこのリサーチに関しては文化人類学者として一定の留保をしておきたい.それは彼等の用いたデータがかなり粗いという部分だ,一部では1990年代にリサーチがある部分について1960年代のデータを使ったりしている
  • またデータベースに関しては2010年代にPULOTUが作られているが,これも子細に見ると定評のある最新のフランス語のリサーチを無視して1920年代の英国の宣教師の報告を用いたりしている.彼等は訂正を歓迎するといっているが,いろいろ粗いと思う.
  • 言語学の厳密性はよくわかるが土台には疑問もある.この辺は文化人類学とブリッジしたい部分だ.

 

  • いくつか個別のコメントを
  • 中丸の研究はゲーム理論を使ってbecoming を調べているものと受け取った.で,これはなぜ維持されるのかを見ているのか,それとも起源を調べているのか.そしてフィールドワークとどう接続するのだろうか.
  • いま文化を語る上で無視できないのは,ローカルな文化の絶滅の現実味,そして文化の単位の不明確さだ.
  • どのような時間のなかでどう文化を描くのかという問いが浮上するように思う.

 

<総合討論>

 
(佐々木)

  • 文化人類学と進化学が物別れになった理由の1つは進化についてナチスや優生学の連想が働いたということもあると思う.で,今日の話を聞くとダーウィンの名前は出てくるが,中身はそういうものと全然違うことがよくわかると思う.ある意味文化人類学側の食わず嫌いなのかもしれない.
  • 今回ミクロネシアプロジェクトで中丸さんとご一緒していろいろ刺激を受けている.これ面白いですよとNatureの論文なんか紹介されるが,正直自分自身Natureとはご無沙汰だった.まずコメントで疑問が提示されたので,中丸さんからお願いします,

 
(中丸)

  • 維持か起源かという質問だが,今回は維持のところを議論している.進化学として起源を議論することもできる.どのように定着するのかを見るよりどのように受け入れられ始めるかのところの方が少し難しい.
  • 人々が制度をどう受け入れるかというのは「ヒトは何をどうしたいのか」のところに絡み,心理学や認知科学などと一緒に調べることが必要かもしれない.
  • フィールドワークとの接続は自分自身ネタを探しているところだ.

 
(松前)

  • データベースの粗さのところは,彼等も文化人類学者たちからのフィードバックを望んでいると思う.対立せずに報告していけばいいのではないか.そうすればより良いデータベースになる.
  • そういうことは言語学のところにもある.比較言語の人は個別言語の詳細には弱いので,データベースを作り,個別言語学の人にいろいろ意見を聞いて直していくというようなことがある.まずおおざっぱでもいいからデータベースを立ち上げて,そこから洗練させていけばいいという考え方だ.

 
(田村)

  • いまやっているようなことでも解析して結果が出ると,考古の人の意見を聞いて直感のすり合わせということは必ずやるようにしている.
  • 定量化についていえば,形はある意味やりやすい.模様は難しい.何か1つ手法を使うとしても危うさはある.常に仮定ややり方をすり合わせる必要があると思っている.

 
(中丸)

  • 産業廃棄物業者の分業のリサーチは,共同研究者がまさにフィールドワーカーの社会学者で,モデルの単純化,そこから本格化などの際に意見をすり合わせることができた.こういう接続は可能だ.
  • 相互扶助のリサーチも頼母子講から始めていて,これもフィールドワーカーと一緒にやったものだ.その直感を使ってモデル化した.
  • データサイエンスや統計を使うとそこはブラックボックス化しやすい.ここをモデルで導いていくということをしている.

 
(井原)

  • そのときにある最善のデータを使って暫定的結論を出し,さらにデータをよくして洗練させていく.予測を立て,それを別のデータセットで検証する.これを積み重ねていくということだと思う.
  • ただし,ヒトのデータについてはどうしても政治性を帯びることがある.ナイーブに発表すると人に迷惑をかけることもある.本来自然科学は価値とは独立だが,社会的影響があるなら無視はできない.

 
(佐々木)

  • それに絡んで,価値の問題について(こういう分け方は好きではないが)理系研究者として気をつけていることはあるか

 
(松前)

  • ヒトゲノムは医療と関わりがあり,まさに倫理的な問題と隣り合わせだ.
  • 少し前までは,ネイティブアメリカンなどのマイノリティのゲノムを読むのは,それが差別につながりかねないとして消極的に扱うことが通常だった.
  • しかし最近は少し変わってきた.というのは個別ゲノム情報を医療に応用できるようになるとデータベースが貧弱だとそのエスニシティの人々にとって不利益になるからだ.そういうわけで自ら協力するマイノリティの人も増えている.

 
(田村)

  • 考古学も倫理や社会と関わりがある.
  • 遺跡で発掘をしていると,出てきたもので「町おこし」したいという話が良く出る.町おこしと学問的正しさはしばしば一致しない.危うさは常にあり,ケースバイケースで判断するしかない.
  • 少し前に中尾央さんのチームで日本の先史時代の戦争頻度を推定するプロジェクトに加わった.これはギンタスとボウルズによる戦争がグループ淘汰を通じてヒトの利他性の進化に寄与したという議論で引かれている先史時代の戦争頻度推定が日本でもそうなのかという問題意識から始めたものだ.人骨について傷などで調べると,ギンタスたちが引いていたデータほど戦争頻度は高くないのではないかということになった.これをプレスリリースしようとしたところ,「日本は平和だった」というメッセージを強く出して欲しいという話になった.少し歩み寄ったが,危ういリリースになってしまい,いまでは反省している.
  • 危うさはある.そして予測できない展開になることがあると思っている.

 
(中丸)

  • 私は数理モデル,シミュレーションが中心なのでそういう話は少ない.
  • ただ協力の進化をテーマにしていると,「評判が協力の進化に有効」ということがあるのだが,これはよく考えてみると仲間はずれの研究であるとも言える.少し怖いところがあるなと思いつつも今のところはドライにやっている.

 
(井原)

  • いまやっていることを「文化の研究のために科学的手法を使っている」という風には捉えていない.
  • 自分は「動物としてのヒト」を研究しているつもりだ.そうするとその中で文化のことを考えざるを得ない,行動や心理のデザインが自然淘汰だけでできたというのは納得しがたいと感じている.そこの謎を解くには文化をよく研究する必要があると思っている.

 
(里見)

  • 文化人類学はどうしても「人と動物は違う」というところから始まる.それは人間特別論,人間例外論になるのだが,いまや崩壊しつつあるのかもしれない.
  • 文化の進化をリサーチしていると社会的な見方が変わってくるのか,変わりつつあるのかとも思う.とらえ方は重要だ.

 
(佐々木)

  • いまの井原さんの話には共感する.科学者というのはそこに謎があればそれを説明するために使える道具は何でも使うものだ.
  • いまいろいろあって学部で経済学説史を教えている.その準備のために古典派の著作を読み直しているが,彼等はまさに科学者だと感じる.なぜ価格というものがあるのかから考えているのだ.そういう意味で今日の話は印象的だった.
  • ここでフロアから質問を受けます

(フロア)

  • 中丸さんに聞きたい.なぜゲーム理論なのか

 
(中丸)

  • エージェントベースのシミュレーションでもできる.ただプレーヤー間に相互作用があって利得に影響があり,それが伝達に影響するなら進化ゲームがフレームとして有効だということだ.利得が関係なく単に同調というなら進化ゲームは不要になる.

 
(佐々木)

  • ここ10~20年の進化学の発展はすさまじい.理由の1つはコンピュータによる解析法が強力になったことだろう.楕円フーリエ解析もコンピュータなしには不可能だと思う.

 
(田村)

  • いま形の計測は3次元にという流れになっている.やり方はいくつもあって議論しているところ.解釈の幅が増えるのでどう収拾させるかというところになる.

 
(佐々木)

  • 時間も押してきたので,最後に今後これをやりたいということがあれば教えて欲しい.

 
(松前)

  • 子供の頃は箱庭で生命誕生や進化を再現したいと夢見ていた.いまでも憧れている.ジュラシックパークを見てコンピュータが重要だとわかった.

 
(田村)

  • いろいろあるが,自分の遺跡フィールドを持ちたい.そこでデータを思う存分とりたい.長期間の変化をモデル化したい.
  • 実は土器のデータベースをいま作っているところだ.皆がリサーチできる基盤を作りたい.
  • また動物の文化もやってみたい.社会学習の起源には興味がある.

 
(中丸)

  • 認知科学的な要因をもっと組み入れたモデルに取り組みたい.

 
(井原)

  • ヒトはなぜ言語を使えるようになったのかに興味がある.それは究極のテーマの1つだと考えている.競争言語プロジェクトではそれに取り組んでいる.

 
(里見)

  • 学生に文化進化のフォーラムでコメンテイターになるのだと説明したら,「先生そんな宿敵のところに出向いていいんですか」というような反応だった.そういう対立にならずに今日はよかったと思っている.
  • 私が現在知っている学問体系では物事の起源や歴史は扱えない.進化を組み込んでそういうことができるようになったらと思っている.それに向かってあがいていきたい.

 
以上でフォーラムは終了だ.パネルディスカッションでは普段あまり話を聞くことのない文化人類学者のコメントが聞けて面白かった.
 
これはフォーラム終了後にいただいた地下鉄早稲田駅近くの東京らっきょブラザーズのスープカレーだ.


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産研アカデミックフォーラム「 文化を科学する:進化論で社会を理解する」 その2

 
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文化進化のフォーラム.続いては考古遺物から見えるもの.

考古学における文化進化:過去の文化ダイナミクスの復元をめざして 田村公平

 

  • 問題意識としては多様性を簡単な原理で説明できるかというところに持っている.これはまさにダーウィンのそれであり,私も関わった「文化進化の考古学」の井原先生のコメントでもある.

 

文化進化の考古学

文化進化の考古学

 

  • 現在取り組んでいるのは考古学のデータを使った文化進化のリサーチになる.
  • 考古学のデータにはいくつか分析における利点がある.ヒトの先史時代の歴史の手がかりになること,データ量が大きいこと,(DNA情報と異なり)時間情報が付随していることだ.
  • データから推測できることの例としては,巨大モニュメントと政治権力の存在,小型化と移動生活,(重い)土器と定住生活,形の違いから文化の地域差の存在などがある.
  • 井原先生の話では大進化と小進化の違いが強調されていたが,考古学データでこの区別は難しい.考古物の遺跡単位で出てくるためにそれ以上の解像度を上げられないからだ.
  • 課題もある.まず正解がわからないことだ.これは最も尤もらしい仮説を更新していくという進め方につながる.その際には仮定や基準の明示が重要になる.もう1つの問題は必ずしも整理されていないデータ量が膨大にあるということだ.現在日本全体では年に1万件の発掘物があるといわれている.報告書は紙ベースであることが多いので,スキャンして電子化し,数理アプローチ情報科学的アプローチで取り組むことが必要になる.

 

  • 数理化の1つに「形」の定量化がある.これは幾何学的形態測定学の応用ということになる.(古墳時代の青銅製の鏃や前方後円墳の分析の例が示される.基本は多元的データを主成分分析して扱いやすくするもの)
  • 今日は弥生土器の形を楕円フーリエ解析した例を紹介したい.(楕円フーリエ解析の説明,このデータを主成分分析にかけると,朝鮮から渡ってきて北九州→山口に伝わっていったことが推測できることを具体的に説明)

 

  • 文化進化のリサーチにおいては文化伝達プロセスの推定という問題もある.これは伝達をモデル化し,データに基づいてパラメータ推定という形で行う.(土器の形を使ったモデルの具体的説明がある.)
  • 社会の変化のモデリングとしては農業と階層化をモデル化した例,人口動態と戦争の関連を分析した例がある.

 
田村の話は「文化進化の考古学」でも紹介されている.また同じテーマの講演はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170818/1503054099参照
 
最後の演者は進化ゲームで制度の進化を研究する中丸麻由子.
 
 

制度や慣習を進化ゲーム理論で解析する 中丸麻由子

 

  • 私は文化進化を直接研究しているというより,制度・慣習を進化ゲーム理論で解析するということを主にやっている.そういう視点で佐々木さんのミクロネシアのプロジェクトに参加させてもらっていろいろと刺激を受けている.
  • 文化・制度についてはいろいろな定義がある.比較制度分析の青木さんは制度について「一定の決まり」という定義を用いて,制度を説明するのに文化要因には頼らないというスタンスを堅持された.
  • メスーディは文化について伝達機構を介して他者から習得する情報という定義を用いている.この文化の定義だと制度を含むように思われる.

 

  • 文化の進化を考えるときには,進化のアルゴリズム,自然淘汰のアナロジーを使うことができる.適応度のところには魅力や生産性,遺伝のところに学習や模倣を当てはめることになる.
  • ここで模倣や学習は個人の意思決定で,信念や知識として伝達される.これに対して制度は集団として適用されなければならない.1人だけのルールでは制度と言えないのだ.
  • では制度はどのように定着し,維持されるのか.1つの方法はトップダウンでリーダーが決まりを押しつけるもの.もう1つの方法はボトムアップで合意による決まりになる.決まりは罰で強化されることが知られている.
  • 伝播については魅力による模倣や移住して定着などを考えることになる.このような形のリサーチの例には政治的複雑性の進化についての文化系統樹的解析がある.
  • 文化系統樹解析により時間的地理的な広がりはわかるが,なぜどのようにして定着維持されるのかはわからない.この部分はゲーム理論で解析ができる.

 

  • 協力を考える.ここでは協力は「コストをかけて他人を助けること」とする.これがなぜみられるのか.ヒトの社会にこれほど多くの協力があるのはなぜかというのは学術的な研究分野になっている,これを説明する進化理論的な説明は血縁淘汰,グループ淘汰,直接互恵性,間接互恵性,社会ネットワーク(空間構造),罰などいろいろとある.
  • さらに自然淘汰をアナロジーとして社会学習として解釈する方法もある.協力の状況には基本的にプレーヤー同士の相互作用があるのでゲーム理論的解析が向いている.そして進化ゲームを利得の高いプレーヤー戦略を模倣するという形で応用することになる.今回はここの部分の話をしたい.
  • 協力をゲームで解析するときによく使われるのは2者間だと囚人ジレンマゲーム,3者以上だと公共財ゲームになる.
  • 3者以上の場合一般的には集団が小さいほど協力が進化しやすいことが知られている.3者以上の場合には協力の態様も複雑になる.よくある分類はall for all(典型的公共財ゲーム), all for one(香典,頼母子講,相互扶助ゲーム), one for all(ボランティア), one for one(囚人ジレンマゲーム)の4つに分けるものだ.
  • ここではこのうちall for oneを考える.これはサクデンが1986年に分析している.19世紀後半から20世紀にかけて英国では共済組合や健康組合が数多く設立された.毎週会費を集め,災害や病気になったメンバーに払い出す,
  • これを念頭に相互扶助ゲームをデザインする.それぞれが会費を出すかどうかを決め,メンバーのうち誰かがランダムに選ばれて会費を受け取る.
  • サグデンはこのゲームにさらに評判の要素を付加した.評判形成ルールがあり,会費納付をメンバーの評判に合わせてどう決めるかという戦略が競う.

 

  • one for oneについてはルールの解析が深くなされていて,進化可能な評判ルールには8種類しかないことが明らかになっている.これはリーディングエイトと呼ばれる.これをふまえて,all for oneの相互扶助ゲームに評判を導入する.1000人の集団から5人をランダムに選んで,そこで評判付きの相互扶助ゲームを行う.繰り返して淘汰と突然変異の要素を入れ込む.
  • 結果,リーディングエイトの評判ルールの元では評判を見て条件付きで協力する戦略が進化可能になった.またグループが大きいとより協力が進化しやすいこともわかった.
  • この中で協力が成立している集団に非協力が侵入可能かを調べる.やってみて解析可能なのはリーディングエイトの中で4つだけだった.それを分析すると一部の評判ルールでは侵入可能で一部ではそうではなかった.これはallD戦略が時にグッドの評判を得るような条件であるかどうか(そういう場合にallDが2人になると侵入されてしまう)決め手になることがわかった.

 

  • 協力の中で興味深いものに線形的分業がある.これは立場の異なる2者以上の間に分業が成立するもので.例えばリーダーと部下,階層社会などで見られる.
  • この線形的分業について,「産業廃棄物の処理過程」をモデル化して分業協力の成立条件を調べた.
  • 産業廃棄物の処理は排出業者,一次受託業者,中間処理業者,二次受託業者,最終処理業者というように複数の段階を踏んでおり,この中で誰かが裏切って不法投棄や違法処理を行うと環境が汚染されてしまう.そうならないためには全員の協力が重要になる.どのような制度デザインにすると裏切りが生じにくいかを行政の立場から分析してみた.
  • 制度デザインには当事者責任制度(違法投棄した業者のみ罰せられる)と排出事業者責任制度(排出業者にも責任を問う制度)がある.当事者責任制度は,不法投棄の証拠を挙げて業者を特定する必要があり,実施が非常に困難だとされている.
  • これを3段階の事業者システムでモデル化した.(具体的なモデルの説明がある)結果は,排出事業者責任制度の方がワークしやすいとなった.実際に現在の行政の仕組みは排出事業者責任を取り入れていて,排出業者から書類が流れて最終処理業者が処理をしてその書類が戻ってくる仕組みになっている.

 
前半は協力進化の抽象的な条件の話.きちんと調べるとall for oneでもリーディングエイトが重要だというのは,なるほどという感じだ.裏切り戦略がグッドになっては制度全体が崩壊するというのはなかなか含蓄が深いように感じられる.
後半の産業廃棄物の話は,モデル化の勘所がもう1つよくわからなかった.見つからなかったらやり得という条件では見つかる確率が低いと協力が進化しないのは当然で,上流業者からのプレッシャーがかかった方が協力が進化しやすいというのはわかるのだが,書類が流れることにより発覚可能性が上がるのか,それ以外のプレッシャーが効いているのかのところがよくわからなかった.いずれにせよ連帯責任の方が協力が進化しやすいというのは納得だ.

 
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