訳書情報 「危機と人類」

危機と人類(上)

危機と人類(上)

危機と人類(下)

危機と人類(下)

 
以前私が書評したジャレド・ダイアモンドの「Upheaval」が「危機と人類」という邦題で邦訳出版された(嬉しいことにKindle版同時発売だ.今後もこういう扱いをしてくれる出版社が増えるといいと思う*1).
ダイアモンドの最近の取り組みである比較歴史分析を「危機の克服」に応用しようという試みで,テーマも興味深いが,それぞれ採り上げた歴史的危機事例の状況に迫力があって大変面白い.特にフィンランドやオーストラリアの危機についてはあまり知らなかったこともあり大変面白く読めたところだ.日本も明治維新と現在の危機という部分で2度にわたって採り上げられており,日本人読者としてはいろいろ考えさせられるところもある.ダイアモンドファンには嬉しい一冊だろう.


私の原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/07/11/215051
 

Upheaval: How Nations Cope with Crisis and Change (English Edition)

Upheaval: How Nations Cope with Crisis and Change (English Edition)


関連書籍

ダイアモンドの一般向け啓蒙書

まずヒトの行動を進化生物学的に考えるとどうなるかを説いたダイアモンドの最初の一般向けの本.「なぜセックスは楽しいか」という(原題そのままの)当初の邦訳書名から改題されている.

人間の性はなぜ奇妙に進化したのか

人間の性はなぜ奇妙に進化したのか

原書 

Why Is Sex Fun?: The Evolution Of Human Sexuality (Science Masters Series)

Why Is Sex Fun?: The Evolution Of Human Sexuality (Science Masters Series)


人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

原書

The Third Chimpanzee: The Evolution and Future of the Human Animal

The Third Chimpanzee: The Evolution and Future of the Human Animal


ヒトの歴史について踏み込んだ本.なぜアフリカや両アメリカ大陸の文明は世界をリードするようにならなかったのかというテーマの大きさに圧倒される.

銃・病原菌・鉄 上巻

銃・病原菌・鉄 上巻

銃・病原菌・鉄 下巻

銃・病原菌・鉄 下巻

原書

Guns, Germs and Steel: The Fates of Human Societies

Guns, Germs and Steel: The Fates of Human Societies

改訂版

Guns, Germs, And Steel: The Fates of Human Societies [New Edition]

Guns, Germs, And Steel: The Fates of Human Societies [New Edition]


続いて文明の崩壊を扱った「文明崩壊」.このあたりから比較歴史という視点が鮮明になる.

文明崩壊 上巻

文明崩壊 上巻

文明崩壊 下巻

文明崩壊 下巻

原書

Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed

Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed

改訂版

Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed: Revised Edition

Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed: Revised Edition

 
農業革命以前のヒトの世界を描いた「昨日までの世界」.私の原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130512/1368355423
The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来

昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来

 
歴史の自然実験についてのアンソロジー 私の原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101228/1293536050
歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

  • 作者: ジャレド・ダイアモンド,Jared Diamond,ジェイムズ・A・ロビンソン,James A. Robinson,小坂恵理
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2018/06/06
  • メディア: 単行本
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Natural Experiments of History

Natural Experiments of History

  • 作者: Jared Diamond,James A. Robinson
  • 出版社/メーカー: Belknap Press of Harvard University Press
  • 発売日: 2010/01/15
  • メディア: ハードカバー
  • 購入: 1人 クリック: 21回
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*1:残念なことに上下巻合本版は今のところないようだ.串刺し検索を考えると是非対応して欲しいところだ

書評 「海鳥の行動と生態」

海鳥の行動と生態―その海洋生活への適応

海鳥の行動と生態―その海洋生活への適応

 
本書は海鳥についての専門書.出版は2010年と少し古いが,先日ペンギンのシンポジウムを聞いて興味が湧いたので読んでみたものだ.ここで海鳥とは主たる採食場が海である鳥類のグループ(ペンギン,アホウドリ,ミズナギドリ,ウミツバメ,ペリカン,ウ,カツオドリ,ネッタイチョウ,トウゾクカモメ,カモメ,ウミスズメなど350種ほど)を指す.構成は進化と生態,生理機能,分布と採食,繁殖と適応戦略,海洋環境変化となっている.
 

第1部 進化と生態

 
まず鳥が恐竜起源であることに触れ(恐竜そのものであるという踏み込んだ記述にはなっていない),飛行を支えるメカニズム(胸郭部の構造,翼と羽毛,気嚢)を解説したあと,水中への適応を説明する.鳥類で水中生活への進化は独立して5回以上生じていること,飛行能力を持ち続けることのトレードオフ(水中採餌に適応した上で飛行能力を持ち続けるのは身体メカニズム,エネルギー効率的に高いコストがあるのでしばしば飛行能力を喪失するように進化するが,餌探索上のメリットが大きい場合には喪失しないと考えられる)について説明がある.
 
ここから生態についての解説がある.餌の種類(動物プランクトン(カイアシなど),マイクロネクトン(オキアミなど),ネクトン(浮魚,イカなど),底魚,潮間帯生物)とそれを捕る海鳥の対応関係,採食方法(空中突入,表面突入,飛翔表面ついばみ,着水表面ついばみ,海底潜水,追跡潜水(足こぎ型,羽ばたき型),空中餌略奪,残飯漁り)が詳しく紹介されている.潜水プロファイルなども添付されていて楽しい.そこから世界全体の餌消費量の推計(年間7000万トンと推計される.捕食性大型魚類,海獣類,ヒトの漁業に続く大きさになるそうだ),陸上生態系に与える影響が解説されている.
 

第2部 運動機能と生理

 
第1部でも少し触れられていた潜水と飛行についてさらに詳しい解説がある.飛行(羽ばたき,滑空)と潜水(水中羽ばたき,足こぎ)の組合せの運動モードによって翼の形態などが機能的に収斂していること,水中羽ばたきを行う鳥は大胸筋と小胸筋のバランスが典型的な鳥と異なること,飛行や遊泳にはエネルギー効率的な速度(最大距離速度,抵抗係数最少速度などの詳細は楽しい)があって,多様な鳥でほぼ一定であること,滑空にもサーマルソアリングとダイナミックソアリングのモードがあること,編隊飛行の効率性の検証は難しいが一定の証拠があることなどが解説されている.最近データロガーで詳しくわかるようになった潜水運動の詳細は特に詳しくて面白い.体重あたりの潜水能力が最も高いのは意外にもウミスズメだそうだ.潜水時の酸素保有と水中の酸素消費の問題も詳細に議論されている.この両者から単純な示される潜水限界を超えるために,潜水徐脈(潜水中に心拍を下げる),部分的体温低下などの生理的メカニズムが進化している.また水中羽ばたき方式と足こぎ方式の比較,ウミスズメ類での空中羽ばたきと水中羽ばたきの比較,このトレードオフへの適応,潜水時の浮力と保温を巡るトレードオフへの適応も詳しい.
 

第3部 海上分布と採食行動

 
まず分布の調査方法が説明される.そして分布については(1)大規模スケールでは海鳥の分布は緯度帯よりも大スケールの水塊や海流と関係している(2)熱帯域では少なく高緯度になるにつれて増加する傾向がある(3)大洋の中心から東西特に東の縁に向かいにつれて密度が増大する傾向がある*1(4)中規模スケールでは海流と海底地形という海洋景観が(餌生物の密度に絡んで)分布に影響する.特に潮目などの海洋前線が重要(4)100メートル程度の小規模スケールでは餌生物の密度と海鳥の分布に関連はない(海鳥は数キロメートル以上のもっと大きいスケールで餌生物の分布を把握,記憶し,その中で探索して採餌するため)と説明されている.
続いて餌の探索行動が解説される.アホウドリの探索経路や潜水する鳥の潜水行動が採り上げられている.バイオロギングのデータから見えてくる姿は興味深い.どのような感覚系を用いているか(500メートルという暗闇で採餌するキングペンギンのデータを見ると,おそらくかすかに差し込む光の中の魚の影を見ているようだというのは面白い),個体変異などが取り扱われている.
またここで行動生態学の最適採餌理論がどこまで当てはまるかということが議論されている.いろいろな例があげられているが,シジュウカラの採餌行動などのモデルが単純に当てはまるわけではない.それは遠くまで採餌に行くために移動コストの大きさ,餌荷重のコスト,胃容積の上限,採食環境のパッチ性の複雑さなどの要因が加わるためだ.本書では潜水についてのモデルが提示され,また情報センター仮説の当てはまりについても議論されている.著者は海鳥の最適採餌戦略について今後の課題としている.様々な条件を取り込んだ海鳥の最適採餌モデル作成が必要だということだろう.
 

第4部 繁殖と適応戦略

 
ここではまず長命でゆっくり繁殖するという海鳥の特異的な生活史戦略が解説されている.海鳥は総じて長命だ.40グラムしかないコシジロウミツバメの最長寿命は43年もある.クラッチサイズは小さく,卵重量が大きく,抱卵期間と育雛期間が長く,ヒナはゆっくり成長する.
大型の海鳥ではヒナの給餌要求を操作的に増やしても給餌を増やさない傾向にある,それは長期間巣を空け遠くまで採餌に行くという生態から,給餌速度はトリップ長に左右され,短期的に給餌を増やしてその年の繁殖成績を上げるより次の繁殖期までの生存率を保つ方が有利になっているからだろうとしている.実際に繁殖地から遠くで採餌する種ほど給餌頻度が低く年間雛生産数が少ない傾向にあるそうだ.
一方海鳥の雛側は多くのエサをもらった場合には骨格や筋肉に投資せずに脂肪にため込む傾向がある.これは給餌間隔が不安定であることへの保険としての適応,また巣立ち後すぐに餌を取れるようにならないので巣立ち後の栄養不足に備えての適応という2つの仮説がある.多くの研究者は後者の要因が大きいのではないかと考えているそうだ.
このほか海鳥によって早成性だったり半早成性だったりする理由(採餌場までの距離,捕食リスク,巣立ち後の死亡率など),繁殖開始年齢が遅い理由(採食効率の上昇について年齢効果が大きい),毎年同じペアで繁殖する傾向の理由(抱卵や育雛の際の協調性の重要性)などが議論されている.
 
続いて海鳥の特徴である長距離採餌への適応が議論される.採餌トリップが長距離だったり短距離だったりする理由(効率性と飢餓リスクのトレードオフの解決),自分のための餌と給餌のための餌が異なるか(異なる場合もそうでない場合もある),ペンギンの胃油,雛の耐飢餓適応,長距離渡りと脂肪蓄積などが扱われている.
 

第5部 海洋環境変化と海鳥

 
まず餌資源の変動が与える影響が概説される.餌資源が減少したときには繁殖成績が先に減少し,成体の死亡率の上昇は最後になり,かなり餌資源が減少しないと生じない.質の高い餌(浮魚)が減少すると質の悪い餌(底魚)にスイッチし,繁殖成績が低下する(ジャンクフード仮説)と考えられているが,検証はまだ十分ではないとされている.餌資源の変動と繁殖時期により繁殖成績が上下するという説(マッチミスマッチ仮説)については具体例がいくつか紹介されている.
次に海鳥の個体数決定要因が扱われる.密度依存的要因としては餌資源の競合,営巣場所の競合などが説明されている.密度非依存的要因としては長期的気候変動による餌資源量がある.
 
続いて人間活動の与える影響が扱われる.まず漁業が餌資源を漁獲する影響が取り上げられる.実際にペルー沖ではカタクチイワシの漁獲が海鳥の繁殖成績に影響を与えているようだ.捕鯨はクジラの餌資源消費量を減らすので逆に海鳥にプラスの影響がある可能性がある.また一部の海鳥は漁業活動によって廃棄される餌に依存している.ただしこの場合餌の質の低下による悪影響もあり得る.
次に人間が直接に海鳥に悪影響を与えるケース.まず食糧や羽毛資源としての利用がある.現在は漁業による混獲が無視できない.次に外来天敵の導入,特に営巣場所の島嶼部へのネズミやネコの侵入の影響が大きい.最後に海洋汚染がある.保全を考える場合には生活史からいって繁殖成績よりも成鳥の年間生存率を上げる取り組みの方が効果的だとコメントがある.
 
最後の環境モニターとしての海鳥の利用が解説されている.海鳥は観察しやすく,海洋生態系の変化を探知するのに極めて便利なモニターになる.ここでは選られる様々なデータが概説されている.アデリーペンギンの過去一万年の卵殻化石からその餌資源の変動を捉えたリサーチ(アデリーペンギンは1万年前に魚からオキアミに大きく餌スイッチしたようだ)は面白い.また海鳥は生物濃縮を起こすので海洋プラスチック汚染のモニターとしても有用であることが指摘されている.ただし餌の選択性やサンプリングバイアスには注意する必要があることも指摘されている.
 
 
以上が本書のあらましで,海鳥についての様々な側面を一度に知ることができる便利な本になっている.各章に挟まれたコラムではリサーチ方法や様々な苦労が綴られていて読み物としても面白い(結構えぐいリサーチ手法も紹介されている.餌を調べる胃洗浄法とかメタボリックを調べる強制遊泳とか外科手術で取り付ける食道センサーとかはなかなかの迫力だ.クチバシの角度を記録するセンサーロガーとか巣内に仕込む重量ロガーなども面白い.しかし海鳥リサーチに革命を起こしたのはやはりデータロガーであり,その興奮も語られている)また各ページの上部の柱のところには各章で異なる海鳥のイラストが添えられていて楽しい.著者の思い入れが伝わる充実した一冊に仕上がっている.

*1:なぜ東の縁で密度が高いのかについては興味深いところだが,残念ながら解説されていない

Evolinguistics Symposium 「Concepts and Categories」 その2


 

シンポジムの後半はチョムスキーとの共著論文で知られるフィッチの講演から.チョムスキーの最近の考えに対してどう反論していくかという観点からのものになる.
 
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Animal concepts, Disentangling Communication and Cognition W. テカムセ・フィッチ

 

  • 最近の議論のテーマの1つは,チョムスキーたちによるヒトと動物のあいだのコミュニケーションのギャップは進化的な説明へのチャレンジだという主張だ.
  • 今日はこれに対して言語進化の生物学的アプローチ,ヒト言語の特異性,その前駆体(precursor)について話したい.

 

  • <言語進化の生物学的アプローチ>
  • 生物学的な手法としてはまず(種間)比較がある.どのような動物がコンセプトとシグナルをどちらの方向で使っているか,使えるかを見るものだ.例えばヴェルヴェットモンキーにはヘビ,ワシ,ヒョウの警戒コールがある.しかしそれ以外のもの例えば樹木とか巣などについては信号を持たない.
  • 異種間で共有されている可能性のある言語の基礎としてはシグナル,意味論,統語論がある.そしてその上にヒトの特異的能力がいくつかあって言語が可能になっていると考えている.(イメージの図示あり)

 

  • <ヒト言語の特異性>
  • 言語と(ヒト以外の)霊長類のコミュニケーションは何が違うのか.
  • コール使用とコール解釈はある程度共有されている.しかしコール構造が異なっているようだ.
  • 組合せ可能性と創造性が問題になる.特に後者は霊長類にはほとんど証拠が無い.
  • 音声学習は動物で何度も独立に進化している.統語論と意味論を考えるには組合せ可能性が特に重要だ.霊長類においてサイン言語学習などの実験がいくつかある.その結果はすごく簡単な統語論のみ学習できる(〇〇を頂戴,私をくすぐってなど)というものだ.
  • それを超えているのがヒトの言語となる.これについてはデンドロフィリア仮説と呼ばれるものがある.それはヒト言語の種特異性はライン構造からツリー構造を推論できるところにあるというものだ.
  • これに関連した新しいマカクを用いた実験がある.abc→cbaという逆転操作を訓練してabcd→dcbaができるようになるかを見るものだ.これをマカクにできるようにするには2年かけて5000~10000試行が必要になる.しかしヒトの3~4歳児はデモンストレーションを見ただけでできる.ものすごく大きな量的な差があるのだ.
  • これについての(至近的な)説明にはブローカスープラレギュラリティ(Broca's & Supra-Regularity)仮説がある.
  • ではこの前駆体は何なのだろうか.この能力が進化するための淘汰圧は何だろうか

 

  • <認知前駆体の探索>
  • ここにチョムスキーの不人気な仮説がある.言語の特異性はマージにあり,最初のアドバンテージは純認知的なもので,そののち変化がないというものだ.
  • ではこれをどう検証(あるいは反証)すればいいのか
  • これには意味論と語用論が関係する.
  • 動物の認知にフォーカスし,統語論的意味論的な前駆体を探索する.この際にはグールドのいう外適応の概念が役に立つ.
  • 概念と意味についてのメンタリストモデルを考える.木の陰に猫が入り込んだのを見た人が言語でそれを伝える.受信者は木の陰のネコをメンタルにイメージする.これが意味だと考える.多くの哲学者は意味は頭の中ではなく外にあると反対するだろう.しかしメンタリストだけがそこにいるのだ.
  • そう考えると動物の認知に意味論の共有基礎があることがわかる.動物にもカテゴリー,感情,プラン,ゴール,ルールがあるのだ.これらは言語に先立っている. 

 

  • 階層性の前駆体の候補はいくつかある.空間の表現(〇〇はどこにあるのか.〇〇に行く道など),道具使用や道具作成(ニューカレドニアカラスの例),社会認知,心の理論だ.
  • 特に心の理論は興味深い.これは認知的には難しく(誰が何を知らないのかのところが難しい),階層性がビルトインされている.
  • 心の理論は見つめること(gaze)を通じて実験できる.他個体が見ていたということを他個体が知っていると解釈できるからだ.
  • ポリネリはチンパンジーの前に餌と目隠しした人と口を隠した人を用意し,チンパンジーがどちらに餌をねだるかを調べた.それはチャンスレベルだった.ポリネリはこの結果を持ってチンパンジーには心の理論がないと結論づけた.
  • しかしブライアン・ヘアは野生のチンパンジーは誰かに餌をねだったりしないことからこの結論に疑問を持った.そして競争的文脈で優位個体が餌を隠している場所を見ているかどうかという形で実験し,チンパンジーの劣位個体はこの課題をこなせることを示した.
  • ポリネリは納得せず,この結果の解釈は(優位個体の)邪悪な視線から逃れているだけだと解釈できると反論した.
  • ニッキー・クレイトンは,アオカケスを用いて餌を隠すところを他個体が見ていれば,その他個体がいなくなるとすぐに餌の隠し場所を変えるという結果を示した.またワタリガラスを用いて他個体が見ているのではなく,覗き穴があって,他個体の声が聞こえる条件でも同じように餌の隠し場所を変えることを示した.これは邪悪な視線とは無関係であることを明確に示していた.これでポリネリは降参した.
  • チンパンジーやワタリガラスには他者の視点に立って物事を理解する心の理論があるといっていい.

 

  • すると階層性の前駆体候補には空間認知,道具使用,心の理論の3つがあることになる.

 

  • 本日の結論としては(1)言語はサブコンポーネントに分けて調べる方がいい(2)サブコンポーネントごとに前駆体を探索して進化史を推測できる(3)概念の階層性統語論には前駆体があるということになる.

  

Q&A

 
Q:社会認知の前駆体性については証拠が少ないのではないか
 
A:子どもの発達段階との相関性があるという主張はある.しかしこれはあまりうまくない説明かもしれない.心の理論についてはシェイクスピアを読むと実感できる.子どもにとっても「パパがどう考えているか」などは重要になる.ここで社会認知が言語に寄生しているという可能性もある.言語なしでは複雑な社会認知が難しいのかもしれない.
 
 
階層性の前駆体は心の理論が有力ではないかという趣旨に受け取れる話だった.これは私の直感的印象に近い.もっとも道具使用と心の理論とどちらがよりありそうかということを検証するのは難しそうだ.
続いては言語学者のゲントナーの講演.

Metaphor, abstraction and language change デドレ・ゲントナー

 

  • 概念には身体性(embodiment)が強いものと弱いものがある.強い身体性概念は感覚運動系由来のものになるが,弱い身体性概念には多くの抽象的な概念が含まれる.
  • この感覚運動系由来の概念から抽象的概念には連続性がある.そして多くの抽象概念はリレーショナルなものだ.今日はこのあたりを考えていきたい.

 

  • 抽象概念の1つの例は「肉食」だ.何か直接感覚運動系とつながっているわけではない.
  • このような抽象概念の切り分けは言語で異なる.単純な空間的関連性の概念であっても,例えば英語でin, on, overで表す概念をオランダ語では1つの語で表す.これは動作に係る動詞も同じだ.ただしその多様性は概念のドメインごとに異なる.多様性が高い方から例を並べると,空間→コンテナ→身体部位→色彩になる.
  • 要するに関連性の概念は世界にあるのではなく作られるものだということになる.

 

  • また関係性がオープンのものからクローズドなものまでにも連続性がある.これもオープンなものから例を並べると,固有名詞→リレーショナルな名詞→動詞→前置詞→機能語になる.
  • 動詞や前置詞は語と世界の指示(reference)だけでは意味を捉えられない.リレーショナルな言葉の理解には世界との指示(reference)だけでなく意味論のシステムが必要になる.
  • これが語獲得の過程でまず名詞から獲得していく理由になる.

 

  • リレーショナルな概念はしばしば非常に抽象的で,多くのものがアナロジーやメタファーから作られている.
  • アナロジーは普遍的で新しい推論技法であり抽象性を導き語の拡張をサポートする.
  • その際に鍵になるのが構造マッピングだ.あるもののツリー構造を解明し,それを抽象化して,アナロジーとして別の現象に当てはめる.構造を比較する.その際には深い構造ほど好まれる.また当てはめ対象に欠けている構造を補完することもある(推論技法).例をあげよう.「ウォラップ社はタイヤ部門を売り払った」と「マーサはジョージと別れた」が比較されると,その深い意味(回収した資本を別の部門へ再投資する)と(もっといい男とつきあう)の類似性に光が当たるのだ.
  • アナロジーやメタファーは直接的な比較からより抽象性が高いものまで連続的にある
  • 時系列的には,これらは最初2つのものの直接的な比較から始まり,だんだん抽象化していく.そして繰り返し使用されるにつれて別の意味を帯び,慣用句になる.そしてさらに意味が拡張されていく.比較から始まってカテゴリーになっていくのだ.
  • この最初の段階(直接的な比較)では直喩は隠喩より素速く理解されるが,最後の意味が拡張された段階では隠喩の方が素速く理解される.
  • そして最後にはもともとの意味は忘れられる.新しい比較→慣用メタファー→デッドメタファーとなる.デットメタファーの例は「ブロックバスター」だ.これは元々壁を壊すもので高性能爆弾の意味だったが,今では映画などのメガヒットを指し,爆弾という意味は忘れられている.
  • こういう意味の変遷を調べるのは言語歴史学と呼ばれる.サンクチュアリというのは元々聖なる場所という意味だ.英語のこの用法は14世紀から16世紀にかけてみられる.そして16世紀に最初の比較用法が現れ,17世紀にメタファーとしての用法が現れる.
Q&A

 
Q:動物にメタファーの前駆体はあるか
 
A:Noだ.トマセロはチンパンジーにはリレーショナルな概念はないといっている.
 
言語学者の話を聞く機会はあまりないので大変楽しい講演だった.
 
 

General Discussion 岡ノ谷一夫

 
プラグラムでは一般討論の時間がとられていたが,ここまでのトークが押してしまったために時間切れ.
岡ノ谷からは,これから駒場構内のイタリアントマトでレセプションを行うので,そこで議論をしよう,興味深い論点は「指示(reference)とは何か」「感覚運動系から抽象へ」「統語論,アナロジーの創発」あたりではないかとコメントがあってお開きになった.所用ありレセプションには参加できなかったが,なかなか楽しいシンポジウムだった.
 
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Evolinguistics Symposium 「Concepts and Categories」 その1


 
昨年夏にいろいろ参加して面白かった新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」が主催するEvolinguistics シンポジウムが10月29日に駒場で開かれたので参加してきた.
今回の講演者はシジュウカラのシグナルコールの研究で活躍中の進化生物学者の鈴木俊貴,「ことばと思考」の著者で言語学者の今井むつみに加えて,海外からハウザー,チョムスキーといろいろと話題になった「The Language Faculty: What is it, who has it, and how did it evolve?」を共著した認知科学者のフィッチ(W Tecumseh Fitch),意味論やアナロジーが専門の言語学者ゲントナー(Dedre Gentner)という豪華メンバーだ.
会場は東大駒場キャンパスのKOMCEE West.
 
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Opening Remarks & Introduction 藤田耕司

 
まずこの新学術領域のテーマ「階層構造と意図共有による共創的コミュニケーション」の意味を簡単に解説.
それからドゥ・ヴァールの新刊「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか(Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are?)」にも触れて,ヒトと動物のコミュニケーションの比較の重要性を強調し,さらにチョムスキーの最近の考え「ヒトの言語は思考のための適応であり,コミュニケーションのためではない」を批判気味に紹介し,今日のテーマ「概念とカテゴリー」につなげる.一般的に動物にも概念はありそうだがカテゴリーはないのではないかと思われているが,そのあたりを考えていきたいという趣旨になる.
 

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are?

Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are?

 

Imagery in wild birds? Retrieval of visual information from referential alarm calls 鈴木俊貴

 

  • 私は鳥のコミュニケーションを研究している生態学者だ.
  • ヒトの言語においては外界のものについてカテゴリーを持ち,そのメンタルイメージを持つ.これが指示言語(reference language)だ.ヒトの言語発達過程を見ると2~8ヶ月では話し相手を見ているだけだが,9~12ヶ月で相手が見ているものをチェックするようになり,13~15ヶ月でメンタルイメージを持った指示(reference)を行うようになるとされているようだ.
  • このような指示コミュニケーションの進化についてはよくわかっていない.チンパンジーやボノボを研究するのは進化的な連続性や起源を調べることになる.これに対して系統的に離れた鳥を調べるのはその一般則を探る試みだと思っている.

 

  • 一般に動物のシグナルは動機的,感情的なものとされていた.ダーウィンも動物の信号を感情の発露と考えていたし,それはローレンツも同じだった.それでこれまではほとんどが送り手と受け手の2者間の関係だけが考察されていた.
  • それを変えたのはセイファースのヴェルヴェットモンキーにおける3種のアラームコールの発見だった.(動画による紹介あり)またこのコールの意味の完全な獲得には学習が必要であることもわかった(子どもはワシコールについてすべての大形の鳥を対象にするが,大人になると猛禽類だけに使うようになる)
  • これに触発されてこのような機能的指示=コールがほかの動物でも調べられた.その基準としては音として指示対象ごとに異なることと受信者がそれに異なる反応をすることが挙げられる.そして哺乳類で13種,鳥類で8種に見つかった.有名なのはワタリガラスやミーアキャットの事例だ.
  • ではこのようなアラームコールはヒトの指示言語と同じなのだろうか.これは激しい論争を巻き起こした.議論の焦点は認知メカニズム,概念,メンタルイメージを巡るものだった.

 

  • 私はこの中で特にメンタルイメージについて興味を持って調べている.
  • 日本のシジュウカラ(Japanese Tit)には一般的な捕食者警戒コールとはっきり異なるヘビに対する警戒コールがある.これはまず送信者側に「無害な動物」「一般的な捕食者」「ヘビ」というカテゴリーがあることを示している.
  • また受信者側もヘビコールには特異的に反応する.(巣の外で聴いたときには下を見る.巣内にいると飛び出す)これは機能的な指示(reference)といえる.(動画による説明あり)
  • ではメンタルイメージはあるのだろうか.fMRIで調べるのは難しいので以下のような実験を行うことにした.シジュウカラにアラームを聞かせ,その際にヘビではない棒っ切れを紐でヘビのように動かしてみせる.ここでアラームをヘビアラーム,一般捕食者アラーム,(関係ない)社会的コールの3種にして,それぞれヘビに対して行うようなチェック行動が見られるかどうかを見る.結果はそれぞれ11/12,1/12,2/12となった.
  • また単に新奇刺激に反応しているかどうかを見るために動きをヘビ的なものと振り子的なものに変えて比較する.ヘビアラーム下ではヘビ動きに10/12,振り子動きに1/12,一般捕食者アラーム下でそれぞれ0/12,0/12となった.
  • これはメンタルイメージを持っていることを示している.

 

  • 今後はこの発達過程について調べていきたい.

 
 

Q&A

 
Q:Japanese TitとGreat Titは異なるのか.(フィッチ)

A:とても近縁な2種だ.しかしヨーロッパのシジュウカラは私が見つけたヘビコールを持たない.録音を聞かせても反応しない.

 
Q:ほかのメンタルイメージはあるのか(今井)
 
A:私はこの鳥を15年観察しているが,見つけたのはヘビコールだけだ.
 
 
Q:これはコンセプトなのか.(今井)
 
A:私はそう思う.この辺は定義の問題.
 
 
Q:このヘビコールはガラガラヘビの音に似ているが,単にヘビに似ている音に反応しているのではないか
 
A:それは違うと思う.そもそもこのコールはこの地域のヘビ(アオダイショウ)の音に似ていない.そして実際にこのアオダイショウの出す音に似た別のコールがあって,それに対してはヘビへの反応を示さない.
 
 
シジュウカラのヘビ警戒コールが日本で発見された話は聞いていたので,発見者による動画付きの解説は大変楽しかった.ヘビの動きと振り子の動きを対比させてメンタルイメージの有無を調べるという話も興味深かった.
なお本発表では日本のシジュウカラJapanese Tit(Parus minor)とヨーロッパのシジュウカラGreat Tit(Parus major)は別種であるという立場に立って解説されていた.あとで調べてみるとかつてはこれは同一種とされていたが,2005年頃から別種とする見解が現れ,日本鳥類目録も2012年の改訂7版から別種とすることにしたようだ.確かにヨーロッパのシジュウカラは胸がクリーム色でかなり見た目が異なる印象がある

 
 

Abductive inference in symbol grounding and system construction in lexical acquisition 今井むつみ

 

  • 子どもの意味論の獲得を調べている.子どもに対してその単語の意味をその語を使って教えるのは無理だ.子どもは1つあるいは少数の例を用いて推測しているに違いない.それでどうやって語を使えるようになるのかはいわゆる「ガバガイ問題」で,インファレンス(Inference)によるのは論理的には不可能とされている.
  • そこで私はこれはアブダクションによっているのだと主張したい.
  • アブダクションの定義はパースが行っている.アブダクションは q, if p then q, so maybe p という形の推論形式であり,受け入れ可能な最も良い説明を探そうとする.
  • そして語の意味の推論にはアブダクションが必要だ.与えられた例や関連する情報を統合し,最もありそうな解釈を受け入れる.

 

  • そしてどのようなアブダクションを行っているのかを調べるためにいろいろ実験している.
  • まず子どもに対してあるものを「これはダックスだ」と教示し,次に形だけ同じもの,大きさだけ同じもの,色だけ同じもの,材質だけ同じものなどのいくつかの候補を示して,ダックスであるものはどれかを聞くという形で行う.
  • こういう実験を行うと子どもには強いシェイプバイアスがあることがわかる.ものの名詞については形から一般化するのだ.
  • しかし常に形が優先するわけではない.木材チップや米粒などを多数並べてある形にして示すと,その形より材質を優先させる.つまりソリッドなものについては形に,流動的なものについては材質にバイアスがあるのだ.そしてお人形のようなものには固有名詞バイアスがかかる.

 

  • では動詞の意味はどのようにアブダクションするのか.
  • これはイベントシーンの要素をマッピングする形で調べることができる.
  • 動きの意図は文法からある程度推定できる.例えば他動詞は動作主の意図を,受動態はエージェントの意図なく自然に生じたことを示す.
  • しかしそのような要素が複数あるので最後にはアブダクションが必要になる.項の数と格のどちらが重視されるかを見ると2歳児では項の数になるが3歳児から5歳児では格の種類が重視される.
  • 似た動詞の意味がどう違うかを理解するにもアブダクションが重要になる.アナロジーを理解するのにもアブダクションは使われる.
  • ある言語内での動作を動詞でどう切り分けるか.英語でcarryというところを中国語では持ち方により何種類もの動詞を使い分ける.これらの習得にもアブダクションが必要だ.

 

  • ではアブダクションの進化的な起源はどこにあるのだろうか.
  • チンパンジーは「記号→それが指し示すもの,色」を学習し理解することができる.
  • これは語の意味を獲得したといえるのだろうか.実はチンパンジーは「記号→指し示すもの」のタスクができるようになっても逆の「指し示すもの→記号」のタスクができるようにはならない.これはヒトの幼児とは対照的だ.
  • このような双方向の理解ができるかどうかについて多くの動物が調べられた.チンパンジーのほかハトやサルで調べられたがほとんどは失敗した.唯一(どうしてかはわからないが)アシカには成功例がある.
  • この双方向の理解は最も単純なアブダクションリーズニングであり,子どもはこれをアブダクションで獲得するのだ.

 

  • ではこれは言語獲得したからできるようになるのか,それともこれがあるから言語獲得できるのか
  • それを調べるために(獲得前の)8ヶ月児で,おもちゃの種類とその動きを何度も見せて,次に動きだけ見せそのあとでそのおもちゃの種類を魅せる.最初の学習時と組合せが異なると,ヒトの幼児はより見つめるが,チンパンジーではそういうことがない.
  • 結論としてヒトの幼児は様々な手がかりを統合し,アブダクションをしている.これはヒトのユニークな能力だと主張できる.

 

Q&A

 
Q:双方向理解はオウムができるという報告がある.(フィッチ)
 
A:なるほど.しかしでは何故チンパンジーができないのだろうか

→私は訓練の詳細が問題なのではないかと考えている.
 
言語学習にアブダクション形式の推論が用いられているというのは説得的だ.双方向性の理解の話も面白い.レファレンスが常に双方向的でないというのはその通りだろう.例えば私は英単語→日本語単語想起と日本語単語→英単語想起では多くの単語で前者の方が遙かに容易になる(話したり書いたりするより聞いたり読んだりしている方が圧倒的に多いからだろうが).これは名詞とその指し示すものでもおそらく微妙に生じているのではないだろうか.
 
今井の著書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/archive/2010/12/25

ことばと思考 (岩波新書)

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Virtue Signaling その8


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

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第4エッセイ 道徳的徳の性淘汰 その4

 
ミラーの論文,いよいよ本論に入ってくる.
 

ロマンティックな徳と道徳的徳

 

  • この性淘汰モデルは道徳哲学者たちにとっては最初奇妙に見えるだろう.アウグスティヌスからフロイトまで性は道徳の敵と見做されてきた.西洋思想は身体と精神,色欲と徳,罪人と聖人を対比してきた.
  • 進化生物学理論もこれまでは道徳を個人やグループの生存効率を高める戦略として理解しようとしてきた.

 

  • このような知的バイアスを克服するためには,道徳が実際の配偶選択の場面でどう働いているかをよく考えてみることが有用だろう.身体的魅力や社会的地位を別にするとどんな特徴がロマンティックな衝動の観点から最も魅力的だろうか.人々は寛容さ,優しさ,正直,勇気,社会的感受性,政治的理想主義,知的誠実性,子どもへの共感,両親へのリスペクト,友人への忠誠などのアセスメントをもとに恋に陥る.それらはしばしば世界の哲学や宗教で道徳的徳とされてきたものだ.これらは西洋キリスト教的伝統的徳目(信仰,希望,チャリティ,愛,親切,フェア,平等,謙虚,良心など)だけでなく,ニーチェのいう異教の徳目(リーダーシップ,勇気,強さ,忍耐,喜び,優雅さなど)にもあてはまる.

 
配偶相手の魅力については進化心理学の初期のリサーチがかなり詳しく調べている.その中では性差があるものは注目を集めやすく,身体的魅力や社会的地位は教科書でもよく採り上げられている.この中であまり性差がないために注目度合いは低かったが,「やさしいこと」が確かに配偶選好にとって非常に重要なファクターであることははっきりしていた.そして(特に長期的関係性において)もてる人物像は高潔であることが多いだろう.なかなか示唆的だ.
 

道徳的障害物競争コースとしての求愛

 

  • 道徳的徳は我々が求愛時に誇りを持ってディスプレイする個人的特徴だ.実際に多くの文化における求愛は道徳的障害物競争のコースとしてみることができる.いわば様々な道徳的徳の儀式化されたテスト(プレゼントを贈る際の優しさ,約束を守る誠実さ,相手のいうことに耳を傾ける共感性,性的自制など)なのだ.
  • この求愛が道徳テストとして信頼できるものになるためには,そのポピュレーションにおいてテスト成績に分散があり,時に失敗するようなもの(約束を破る,偏見を暴露する,イライラしてしまう,浮気をする)である必要がある.

 

  • 通文化的な典型的なロマンス物語は,主人公たちは両方とも恋に陥り,至福の時を経てどこかでモラル的に失敗して危機を迎え,解決のために自分のモラル的失敗を自覚して性格態度を改善し,互いに寛大に許し合い,その後幸福に暮らすというプロットを持つ.この失敗が単に感覚的なものや認知的なものではロマンティックにならない.もし主人公たちがその性的関係のモラル的な側面(例えば売春婦と顧客,奴隷と主人など)について無関心であれば,関係は非常に浅い表面的なものであり,真実の愛はないと見做される.
  • 主観的にはロマンティックな感情は潜在的恋人に対するモラル性の分散への感受性を増幅させる.恋に陥ったときには相手はモラル的に高潔に思え,モラル的な失敗を目にするとひどく邪悪に思える.修正が示されれば評価は回復される.境界性パーソナリティ障害はこのような感度増幅の極端な状態なのかもしれない.もちろんこういう状況が判断の正確性を上昇させるとは限らない.しかしその情報を脳の別の働き(注意,記憶,意思決定,言語,運動制御など)からアクセスしやすくするだろう.
  • 逆にモラル的悪徳は潜在的配偶相手としてふさわしくないと感じられる性格上の傷になる.これには反社会的傾向(殺人,レイプ,嘘つき,騙しなど)だけでなく,被害者のない中毒的なもの(怠け者,暴食,強欲,嫉妬,薬物中毒,賭博など),向社会的行動をしないこと(チップをけちる,飢えた子どもを無視する,戦いから逃げ出すなど),意地悪なシンボル的行動(おもちゃを蹴飛ばす,本を焼く,墓につばを吐くなど)も含まれる.
  • これらは伝統的な考え(利他性についてのこれまでの進化理論,法律,宗教,精神医学)から見ると,犯罪行為,宗教上の罪,性格上の欠点,狂気などを含んだ奇妙な混合物に見えるかもしれない.しかし道徳的徳,あるいは性淘汰の信頼できるシグナルという視点から見ると,これらには重要な共通点がある.これらは配偶相手の望ましさを低く評価するものだ.そして離婚の主因(浮気,虐待,中毒,正業に就かないこと)は通文化的に道徳的な失敗と見なされている.
  • 道徳哲学者にとって道徳的悪徳の性的なコストはヒトの道徳の進化と関係ないと感じられるかもしれない,しかし進化生物学者にとって道徳的悪徳と繁殖失敗の相関には重要な示唆が含まれているのだ.

 
このロマンス物語の典型的なプロットもよくある分析だが,その意味を考えるとなかなか興味深い.確かにロマンス物語で主人公が乗り越えなければならない障害には(どちらかあるいは両方の)道徳的失敗があることが多い.とはいえ,偶然の悲劇や,双方ともモラル的には失敗していないが誤解されてしまうというプロットもないわけではないだろう.その場合には最初から最後まで両主人公はモラル的に高潔だが,運命に翻弄されるという筋書きになるようだ.
 

求愛の優しさ

 

  • 性淘汰で最も容易に説明できる道徳的徳は通文化的に求愛において顕示的に示されるものになる.特に求愛時の「優しさ」は最も明白な例だ.それは動物求愛における給餌(オスによる求愛給餌は良い遺伝子,良い子育て能力の信頼できる指標になる)とパラレルだ.
  • ヒトの求愛における優しさには,利他性,親切,パートナーやその連れ子や家族への同情が含まれる.これらの優しさは非血縁個体に向けられ,返報が期待されていない.だから血縁淘汰や互恵性では説明が難しい.
  • さらに求愛における優しさには,通常血縁淘汰的に解釈される父親の投資も含まれる.しかし実際にほとんどの離婚した父親は母親への性的アクセスが閉ざされるとすぐに投資をストップしようとする.これは性的関係を維持するための投資として解釈する方が整合的だ.伝統的社会では子育て投資のカットはすぐに仲間に知れ渡っただろう.だとするとそういう男は非モラル的で利己的だと悪評が立ってその後の繁殖成功にマイナスになるかもしれない.しかし社会的文脈によってはそのようなモラル的コストは投資コストより低くなるのかもしれない.このような条件依存性をよく理解すれば,より検証可能な予測を導くようなモデルに発展させることができるだろう.

 
実際に離婚したあとで養育費を払わなくなる男性は多い.社会的規範やそれによる評判効果もあって性的アクセスが断たれれば掌を返すようにすぐ払わなくなるわけではないようだが,確かに包括適応度だけでは理解しにくい振る舞いであるかもしれない.