Virtue Signaling その15


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版
 

第4エッセイ 道徳的徳の性淘汰 その11

 
ミラーはこれまで挙げてきた検証のための予測についてここで一つ具体例をあげて分かり易く解説している.
  

例:道徳的徳としての性的貞操

 

  • リサーチャーが「性的貞操は(血縁淘汰や互恵性によるものではなく)相互的配偶選択による性淘汰産物だ」という仮説を立てたとしよう.性的貞操は性病感染リスクを下げ,男性の「他人の子を養育させられるリスク」,女性の「男性からの育児リソース奪われリスク」も下げる.ではどのようにこれを検証すればいいだろうか.
  • おそらくここまでに挙げた予測を逆順(つまりまず配偶選好,そして表現型特徴,最後に遺伝的特徴)に検証していく方が容易だろう.

 

  • 最初に取りかかるべきなのは,性的貞操にかかる配偶選好だろう.アンケート調査や実験で人々が貞操な配偶者を選ぶことが示されるだろうか.答えはイエスだ.男性が短期的配偶戦略を採っているときには非貞操的な女性に惹かれるが,どちらの性も長期的配偶者としては高い貞操性を評価する.そして嫉妬のリサーチは通文化的にどちらの性も性的不倫に極めてネガティブに反応し,それを見つけようとすることを示している.
  • 人々は性的ライバルを信頼できないといって貶すだろうか.これも答えはイエスだ.ライバルを非貞操的と貶すのは非常によくあるやり方だ.
  • 人々は自分の貞操性を潜在的配偶者候補に示そうとするだろうか.これもイエスだ.恋人たちはしばしば自己欺瞞的な「永遠の愛」を誓う.

 

  • もし道徳的特徴がこれらの適応的配偶選好対象特徴を示しているのなら,リサーチャーは個人差レベルでも性的貞操の表現型的特徴を調べることができるだろう.
  • 貞操に関する安定した個人差はあるのだろうか.「社会的セクシャリティ」(乱交,短期的関係,ペア外性交への好み)についてのリサーチによると,この次元において安定した個人差があることが示されている.
  • ではこの個人差は他の道徳的に望ましい特徴(親切,誠実,メンタルヘルスなど)と相関しているだろうか.(この問題は実は複雑だ.というのはもてる個人はより浮気の機会が多く,短期的戦略に傾きやすいからだ.リサーチにおいてはこの機会の多寡,あるいは対象者の配偶価値をコントロールする必要がある)

 

  • 浮気についての遺伝的リサーチは実施するのが難しい.しかししばしば最も豊かな情報をもたらすものになる.
  • 双子リサーチは貞操性の遺伝性を見いだすだろうか.配偶価値を統制後,近親婚の間の子や出生時の父親の年齢が高い子どもは貞操性が下がるだろうか.(性淘汰から予測されるように)貞操性と,相手の貞操性への配偶選好は相関するだろうか.

 

  • 道徳的徳についての性淘汰仮説は明らかに検証可能だ.しかしそのためにはコストリーシグナルや性淘汰産物について新しいものの見方をすることが必要になる.特に進化心理学はなおコストの低さ,効率性の高さ,モジュラー性,表現型についての分散の低さ,遺伝性の低さ,安定的な発達過程を強調するきらいがある.これらの基準は生存にかかる自然淘汰産物としては適切だが,ディスプレイシグナルとしての性淘汰産物には当てはまらないのだ.そしてコストリーシグナルを調べるには前述した12の基準が役立つだろう.

 
性的貞操自体が道徳的徳なのかというのはやや微妙だ.(個人的な感覚では貞操は配偶戦略の一つで道徳的な評価ではないような気がする).ただここでは検証の例としてはわかりやすいから選ばれたのだろう(英語だとsexual fidelityとなるのでfidelityが徳っぽいというのもあるのかもしれない).遺伝的リサーチや他の道徳的徳との相関リサーチはなされているのだろうか.いずれも興味深いところだ.

書評 「なぜ大国は衰退するのか」

なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで

なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで

 
本書はグレン・ハバードとティム・ケインという経済学者による大国の衰亡を扱った本になる.原題は「Balance: The Economics of Great Powers from Ancient Rome to Modern America」.経済的な均衡がテーマになっており,タイトルからは一見財政緊縮本かという印象を受けるが,読んでみると単純な財政均衡主義を主張するものではなく,歴史を踏まえ,制度や政治過程を含んだ深い本になっている.また本書の議論はアセモグルとロビンソンによる「国家はなぜ衰退するのか(原題:Why Nations Fail)」における「一国の繁栄には包括的制度が重要」という主張や行動経済学的な知見を踏まえてなされていて著者たちのスコープの広さが感じられるものになっている.
 

第1章 序論

 
まず最初に本書では大国の衰亡を(指導者や軍隊や文化からではなく)経済的なデータから読み解いていくものだと宣言されている.これはポール・ケネディが1987年に「大国の興亡」で示した「大国の軍事的外交的力の主な基礎は経済である」という主張に沿うもので,近時入手できるようになった様々なデータから考察していくものになる.そして結論は「大国は国境に押し寄せる異邦人により滅ぼされるのではなく,その文明が自ら生みだした内部の経済的不均衡により衰退していくのだ」であること,その不均衡を生みだすのは中央集権的制度と政治的に合理的だが経済的に不合理な制度の積み重ね(特に既得権擁護,レントシーキング(特定の集団が政府のルールを操作して自分たちの利益を図ること))であること,アメリカの最大の懸念は中国の台頭ではなくエンタイトルメント支出(医療,福祉など)であることが予告される.
 

第2章 大国の経済学

 
第2章では大国の経済力にかかる総説的な議論が収められている.

  • ポール・ケネディは一国の興亡の要因が経済力にあると主張した.これを受けてかつてはソ連,日本の脅威が喧伝され,今日では中国の台頭が懸念されている.
  • 経済成長を扱う収斂理論では後発国は既存の知識を利用できるために高成長が可能でいずれ西洋先進国のフロンティアに収束すると予測する.それは日本,中国を含む一部の東アジアの国には当てはまるように見えるが,アフリカやラテンアメリカには当てはまらない.なぜ当てはまらないのかを検証するには歴史の吟味を行い,経済力の測定方法の問題を解決しなければならない.
  • 国富とは何か:アダム・スミスは一国の年間労働量は年間消費量の基盤だと指摘し,「富とは手元資金の蓄積だ」という重商主義からの脱却を可能にした.国の力は継続的に兵士や武器を生み出せる力であり,一回限り傭兵を雇える金ではないのだ.これは後のクズネッツのGNP概念,さらにGDP概念につながる.(ここでGDPをめぐるテクニカルな問題,トレンドと循環,インフレと為替レートの調整が解説されている)

 

  • 国別の1人あたりGDPの1950年~2010年の推移グラフを描くといくつかのことがわかる.
  • アメリカは絶対的にも相対的にも優位に立っている.ヨーロッパの主要国と(1970年以降の)日本はアメリカの80%程度の水準を天井にほぼ同じ動きになる.この間に韓国は先進国の水準に入りつつある.中国とインドはまだ貧しいが中国の方が成長率が高い.ラテンアメリカは米国の20%程度の水準で足踏みをしている
  • これまで経済成長が先進国に追いついたのは日本だけだが,その日本もヨーロッパ諸国とおなじく米国の80%という天井を抜け出せない.ここを抜け出すには中央集権的資本主義ではなく,企業家精神に基づく別の経済活動が必要になるようだ.
  • ソ連の1960年代までの驚異的な成長は環境や労働者の厚生を無視し物理的資源を使い尽くすことにより一時的に達成されたものに過ぎなかった.日本はバブル崩壊のあと失速し,現在ではかつて強みと考えられたものは縁故主義の弱みだと考えられるようになった.
  • 経済成長理論の研究が進展し,GDPの増大は資本や労働力の増大だけでは説明できないことがわかってきた.アセモグルとロビンソンは理論に欠けたピースは「制度」であると論じた.
  • 制度がどこまで重要なのか.我々はそれはほぼすべてが説明できるほど重要だと考える.ローマ帝国の繁栄は国境の安全確保,法の尊重,公共事業という制度があって初めて可能だったのだ.
  • これに対して技術や地理的要因の重要性を指摘する見解もある.しかし地理的要因説は歴史的事実に合わない.そして技術は制度という基盤の上で成立すると考えるべきだ.

 

  • 現在の中国の脅威論をどう考えるべきか.脅威を訴える論者は中国の高い成長率をよく採り上げる.しかし成長率だけを問題にするのは適当ではない.GDP総額,1人あたりGDP(生産性)も問題にすべきだ.我々はうまく経済力を表せるような単一の指標を試行錯誤しながら作り上げた.それは経済力=GDP×生産性×(GDP成長率^0.5)というものだ.
  • この指標をもとに世界各国の経済力の推移をよく見ると,中国経済の成長率や全体的規模は印象的だが総合的にはなお脆弱だと評価できる.アメリカの最大の脅威はアメリカ自身にあるのだ.
  • 大国の衰退は基本的・本質的に経済的な現象であり,それは制度の停滞(政治的制度が現状維持のために不作為に変更すること)の結果だ.ポール・ケネディは帝国の拡大のしすぎを衰退の原因と捉えたが,我々はこれに同意しない.そして制度の停滞は必然だとも考えない.

 

第3章 経済的行動と制度

 
第3章では第2章の結論部分にある「制度の停滞」のより詳しい考察になる.

  • 国家の不均衡は集団レベルでの行動により生じる.社会的要因を考察するのは重要だ.(ここで主流の経済学の単純化されたモデルの説明,行動経済学的な「限定合理性」の知見についての概説がある)大国の歴史に関する限定合理性で最も重要なのは「(政策立案者にとって)経済的な真実が完全に明らかにされていることはない」ということだ.大国は自国の経済が危機に瀕していてもその原因を突きとめられることは滅多にないのだ.
  • アイデンティティに根ざす行動も大国の興亡に関係する.それは国家の中で強化され,政治的なイデオロギーになり,独自の規範を確立し,合意に基づく進歩を妨げ,制度改革を困難にする.
  • 損失回避性は経済の変革を消極的にさせるもう1つのメカニズムだ.短期的利益の偏重(双曲的時間割引率)も同じ効果を与える.

 

  • 産業革命がなぜ1750年頃英国で生じたのか.それは名誉革命後に成立した,私有財産の保護,恣意的な増税の廃止を含む制度が企業家にインセンティブを与えたからだ.
  • そして国家が経済成長を妨げる戦略をとることがあるのは政治的制度に問題があるからだ.静的な経済はレントシーキング型の派閥に支配される傾向を持つ.
  • アセモグルとロビンソンは包括的な制度と収奪的な制度という視点から制度の重要性を主張した.しかしこの見方は不完全だ.現在のアメリカの財政危機は包括的な制度のもとに生じている.
  • おそらく経済成長を保証する経済的ルールを完全に設定するのは不可能なのだろう.ルールや制度が常にアプデートされなければ経済成長は継続できないのだ.つまり政治的制度が停滞すると経済的な発展が不可能になるということだ.

 
 
ここまでが総説になる.ここからは個別のケーススタディになる.
 

第4章 ローマ帝国の没落

 
最初のケーススタディはローマ帝国の衰亡になる.あれほどの栄華を誇った帝国はなぜ没落したのか,過去多くの歴史家がこの謎に挑んでいる.
 

  • アセモグルとロビンソンはカエサルがルビコン川を渡って帝政に道を開いたときにローマは収奪的制度に変わったのであり,そこがローマの終わりの始まりだと論じている.しかしローマ帝国の経済的ピークは(カエサルより200年以上後の)元首政の末期(3世紀の危機の直前)だ.元首政の制度(軍隊,交易を促す諸制度,都市化)により200年にわたり経済成長が促され,その後停滞したのだ.
  • ローマ軍は自発的な従軍によるプロの軍隊で,軍隊を国境に重点的に配置することによりその広大な内側では安価に平和を享受することができた.
  • ローマ帝国は市民権を他の民族にも開放し,連邦主義的に統治し,ローマ法により財産権を保障し,コンクリートの発明により都市化を可能にした.これらは交易や投資を促すことにつながった.
  • しかしローマ帝国はついに自由市場の力を完全に理解することはなかった.ローマ文化は単純労働を蔑み,奴隷制を含むカースト制を容認していた.

 

  • 近時「ローマ帝国の滅亡により文明が失われ暗黒の中世が始まった」という伝統的理解に対立し「ローマは衰亡などしておらず,その文化は中世のそれに漸進的に変容した」という歴史学説が人気を集めている.しかしこれは5~7世紀にかけて西洋の生活水準が驚くほど低下したという考古学的証拠に噛み合わない.この「政治的に正しそうな」人気学説を痛烈に批判するパーキンスは国内交易市場の崩壊による経済力の低下を指摘している.
  • この経済の崩壊の原因はそれに先立つ300年間に作られた.経済学者のバートレットは衰退の原因について食糧補助,増税,インフレの増大,国家社会主義だと指摘している.我々も原因は財政の不均衡だと考える.ハドリアヌス帝以降ローマ帝国は内向きになり,長城を建設し福祉政策を導入し,徳政令によりモラルハザードを引き起こし,(財政赤字を埋め合わせようと)銀貨を改悪し,(その結果のインフレに対し)統制経済を導入し,市場経済を崩壊させた.さらに皇帝の即位権限を握った軍団はレントシーキング戦略をとり,安定,繁栄,自由を犠牲にして自らの収入と権力の最大化をめざした.歴代の皇帝はアダム・スミスの唱えた長期的な経済理論もレントシーキングや産業国営化の危険も知らなかったのだ.

 
ローマ帝国の没落については,そのピークを元首政の時代に捉えており,アセモグルたちの見方よりはるかに納得できるものだ.制度という観点から見るとカラカラ帝の勅令によるローマ市民権の変容がインセンティブに与えた影響とコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認以降に始まるドグマ的な硬直にも没落要因があるようにも思うが,著者たちはそこには触れていない. 

 

第5章 中国の宝

 
次のケーススタディは中国明王朝.14世紀には世界のトップを走っていた中国は停滞し,その後西洋に抜き去られる,
 

  • 中国における最も重要な思想は儒教になる.孔子は「仁」を重視し,法の支配より徳による仁政を上に置いた.また実力主義を唱え,科挙により選ばれた官僚が法の支配や政治的説明責任を負わずに中央集権的に統治することが伝統になった.法人の権利を保護する仕組みがなかったために企業は家族を超えて大きくなることはできず,優れた発明や技術が企業化されることは困難だった.
  • 中国の王朝は何度も衰亡したが,最多の原因は中央集権化した官僚制の高いコストだった.統一が容易だったために国同士の競争を通じた情報のフィードバックが効きにくかった.物事が進歩するかどうかは支配者の気分次第だったのだ.

 

  • データを見ると中国の成長は明朝の頃に止まっている.元朝崩壊のあと反乱集団間の争いで勝利した明朝の洪武帝は強く中央集権化した支配体制を作り上げた.第3代の永楽帝は父帝による対外貿易の制限を撤廃し宦官であった鄭和に大船団の創設を命じた.鄭和は7回の大航海を行った.しかし身分や家柄にとらわれずに体外交易を押し進める姿勢は儒者の官吏たちの反感を買った.
  • 次の洪熙帝は伝統的な儒者の一団で周囲を固め永楽帝の政策をすべて覆した.その後皇帝が変わるたびに政策は動いたが,結局体外交易制限で固まった.探検と貿易の時代が終焉を迎えたのは過度に中央集権化した政府内部の権力闘争の結果だったのだ.
  • 明朝を内向的にさせた真の原因は「制度の脆弱性」ということができる.政治過程は皇帝をめぐる各利益集団のゼロサム型闘争に支配されていた.

 

第6章 スペインの落日

 
続いてはスペイン.ハプスブルグ朝スペインはイベリア半島と神聖ローマ帝国領内に広大な版図を持ち,新大陸に広大な植民地も有していた.しかしヨーロッパで覇権を得ることができなかった.なぜあれほど機会に恵まれたように見えたスペインが成功できなかったかが扱われる.
 

  • スペインは経済的に繁栄する可能性をあれほど持ちながらそれを生産性に結びつける方法を全く理解できなかった.重商主義的な考えにとらわれ国庫は新大陸からの銀で溢れかえったが,国民の生産性や長期の生活水準は改善されなかった.そして財政不均衡から何度も債務不履行に陥った.
  • 16世紀から17世紀にかけてのスペインはヨーロッパに広大な領地を持ち,新大陸に進出し,資源に恵まれていた.しかし歴代のスペイン王は生産性を上昇させようとせず,ただ資源を収奪し,それをヨーロッパの宗教戦争につぎ込んだだけだった.特に新大陸から持ち込まれた銀は当初スペイン帝国に繁栄をもたらしたが,17世紀に銀山からの採掘量が激減すると,銀によりもたらされた財政の歪みが顕在化した.国内はインフレになり,銀を背景に重ねた債務は履行不可能になった.
  • また国内では交易を統制しようとし,商売を免許制の下においた.ユダヤ人を排斥し,個人の財産権への法の保護を軽視した.経済的インセンティブは商業家ではなく,兵士,聖職者,ギルドメンバーという非生産的な職業に与えられ,彼等はレントシーキングに励むことになった.その結果最終的にスペインの国力はオランダや英国に凌駕されてしまった.

 

第7章 奴隷による支配:オスマン帝国のパラドックス

 
第7章はオスマントルコ帝国の衰退.中東,北アフリカ,イベリア半島,バルカン半島にまたがる大帝国を築き,東ローマ帝国を滅亡させ,ウィーンを取り囲んだこともあるオスマン帝国は何故隣接するヨーロッパ諸国のような繁栄を得ることができなかったかが扱われる.
 

  • オスマン帝国は長く続いた帝国で,その興隆にはイスラム的情熱が大きな役割を果たした.しかし16世紀以降停滞し,17世紀にはヨーロッパのような革新を遂げることができなかった.
  • オスマン帝国は単に収奪的な征服の帝国に過ぎなかったわけではない.初期のオスマン帝国は多様性に富んでおり,スルタンたちは迫害されたユダヤ人やキリスト教徒を受け入れ,彼等の自由を保障した.またスルタン制による脆弱性を中国と同じように持っていたが,政治制度は柔軟で,地方ごとに異なる制度がしかれ,連邦的な側面を持っていた.(1代限りの軍事的特権階級である)シバーヒーの制度と(異教徒出身で結婚を許されない)直属のイェニチェリ軍団を持つことにより,地方の大地主貴族に権力が集中するのを避けた.
  • この制度は個人としての自己利益のためのレントシーキングを防ぐうまい仕組みだったが,それでも階級としての利益実現のためのレントシーキングは生じた.イェニチェリは何百年もかけてレントシーキングの主体に変容した.16世紀には結婚の禁止が解除され,17世紀に子へのイェニチェリ身分の相続も認められた.最終的には事実上の支配者になり,軍事組織の改革や代替的軍事組織の開発の動きをすべて圧殺した.
  • 経済的不均衡は財政面から生じた.取り立てのためのタックスファーミング(徴税権の入札制)が終身契約化し,民間投資のクラウディングアウトを引き起こした.
  • 19世紀には多大な改革を行おうとした.しかし制度的停滞により脆弱になっていたこの帝国はロシアに狙われ,クリミア戦争でその脆弱性を暴露され,その後もう一度ロシアに攻め込まれて多大な領土の割譲を余儀なくされた.戦争遂行のための借財により帝国政府は破産し,革命によって帝国は崩壊した.

 

第8章 日本の夜明け

 
第8章ではバブル崩壊以降の日本の衰退がテーマになっている.少し詳しく紹介しよう.
 

  • 日本の台頭と衰退の物語は3部構成になっている.
  • 第1部は1860~1905年の急速な近代化期.これは国家管理型,輸出主導型の資本主義の形をとり,成功を収めたモデルだ.
  • それ以前の徳川期は平和と安定を確立したうえでの1種の連邦的な統治のもとにあり,比較的うまく運営されていた.19世紀にはマルサスの罠を抜け出していたが,支配層である武士は保守的であり,特定利益集団により経済改革は阻害されていた.
  • 明治維新は,若い武士と宮廷貴族の一団が階級差別主義への憤りを利用して政治経済的硬直状態を打破したものだ.(象徴的な人物としてジョン万次郎が採り上げられている)
  • 日本は産業と海軍の力が成長し続け,貧しい国が強国に急成長する全く新しい「スーパーモデル」を世界に提示した.それは政府の誘導のもとに民間企業が供給する最終財の自由市場を重視するやり方だった.農業改革により農村の労働力を開放したことや高い個人貯蓄率を実現させた文化も成功要因だった.特に大きな原動力になったのは垂直水平に統合された大企業(系列)の生産チェーンの生産性の高さだった.このモデルは第二次世界大戦後多くのアジア諸国で採用されて成功している.
  • このモデルの長所は国民に実力主義を提供する一方で高齢者や労働生産性の低い労働者に1種のセーフティネットを提供できたことだが,短所は企業家精神が育ちにくくなったことだ.(高い貯蓄率自体企業家精神と相容れないリスク回避傾向であるかもしれない)

 

  • 第2部は収斂の20世紀.植民地支配の拡大と第二次世界大戦での過酷な敗北を経ながらも国家管理型の資本主義の制度は成功し続け,1980年代に日本の一人あたりGDPはアメリカの80%に達した.

 

  • 第3部は1990年代以降の均衡状態.日本型の経済モデルは限界に達し,生産性フロンティアの80%の水準にとどまるという定型的なパターンに落ち着いた.
  • 日本型のスーパーモデルはフロンティアの80%程度まで成長できる道を示したが,フロンティアに近づくと中央集権的産業活動監視体制,輸出操作,インフラへの過大投資などは効果的ではなくなった.
  • 経済面での根本的な問題は互いに手を組んで経済発展を阻害している利益集団の存在だ.利益集団の圧力を受ける政府は広範な規制権限を握っており,各地方間での制度面での競争も生じない.さらに90年代のバブル崩壊後の不況に対し,この問題を解決せずにケインズ的刺激策のみで対処したために債務バブルに陥っている.
  • 国債の増大は金利が低くても問題になるのだろうか.確かに低金利と高い民間の貯蓄率によって日本は現在まだ純債権者の立場にある(債務を国内でまかなえている).
  • しかし人口と貯蓄の長期的な変動パターンを推定して試算すると,今後20年程度はこの状態が安定的に保たれるが,その後の10年間で家計の純貯蓄はマイナスに転じ(つまり対外借り入れの必要が生じ),その時点で日本の純債務はGDPの400%を超えていると予測される.この状態で日本に投資する意欲がある外国の貸し手は存在しないだろう.
  • 不況に対するケインズ的な刺激策は,時間を稼いでその間に構造改革を進めるために使うなら意味があるだろう.しかし歴代の日本の政府は構造改革を約束しながらも様々な理由でその遂行に失敗している.我々は日本は維持できない国家債務を抱え,(特定利益集団のレントシーキングによる不均衡という)大国が衰退する一般的な道のりを歩んでいると考える.
  • 日本の状況は経済的不均衡は政治的停滞に原因があるという我々の説を裏付けている.日本が復活するには,企業家精神や革新を重視し,個人の失敗に寛容な制度を新しい形で構築しなければならない.

 
なかなか深い論考になっている.現時点での日本の債務はすべて国内で円建てでまかなわれており(つまり日本全体で見ればネットの借金はない),ユーロという非自国通貨建てで借金を行っているギリシアやイタリアとは全く異なる.原理的には財政刺激をさらに大きくして経済を成長軌道に乗せてから国債金利の動向を見ながら均衡を考えれば十分だということになる.(それすら財政均衡主義者が優勢な昨今の政治情勢では実行が難しい状況だが)
しかし人口動態を含んだ長期的視点に立てばいずれ民間貯蓄が純減していってその状態は永続しないというのが著者たちの主張だ.そして著者たちの議論によれば,本当に成長軌道に乗せるには構造改革が不可避であり,時間は(本書刊行後5年が経過しているので)15年ほどしかないということになる.
 

第9章 大英帝国の消滅

 

  • 英国は1880年には世界の覇権国だった.英国が覇権国になった原動力は産業革命を経てその経済が規模と技術水準の両面で比類ないレベルに達していたことだ.それは商人階級を下賤の民ではなく英雄的な人々として受け入れる文化的容認,そして統治,財産権,文化,商業,宗教,科学の面での自由化の実現によるものだ.
  • しかし英国は第二次世界大戦後数十年でその植民地帝国を失った.歴史家のニール・ファーガソンはこの衰退の原因は2度の世界大戦にかかる莫大なコストだったと論じた.
  • 我々はこのストーリーを疑問に思っている.データから見ると,英国は絶対的な意味では決して衰退していない.また人口の多い国が成長軌道に乗れば英国の(相対的な)力の衰退はある意味不可避な状況でもある.そしてその相対的な衰退は(戦争コストではなく)一般的な利益集団による損失回避や政治的停滞によっていると考えられる.
  • 植民地帝国が不均衡に陥った直接的最大の原因は,その人的資本政策,あるいは市民権の考え方にあった.英国政府は世界中の植民地の住民を市民ではなく被支配者として扱った.それがアメリカの独立につながったのだ.アメリカ植民地市民に英国市民と同等な市民権を与えて統合連邦政府を構成していれば(アダム・スミスはローマ帝国の例を引き,そうすべきだと強く主張していた),英国は未だに超大国だったかもしれない.
  • なぜ英国政府は議会に植民地代表を入れるようにしなかったのだろうか.それは(植民地議員に多数派を奪われることをおそれた議会議員と)大西洋貿易を独占していた商人たちの損失回避行動のためだっただろう.

 

第10章 ヨーロッパ 統一と多様性

 
第10章はEUの苦悩が描かれる.現在では移民問題の影に隠れているが,原書刊行当時大問題だったギリシア,そして南部諸国の財政問題がテーマになる.
 

  • ヨーロッパは2世紀にローマ帝国に,9世紀にカール大帝により統合されたことがあり,20世紀にもヒトラーによりその一歩手前までいったが,基本的には複数の政治主体に分裂し競い合ってきた.ヨーロッパ諸国間で繰り広げられる「永久的な戦争」は多くの人の懸念の対象だったが,片方で政治主体間の競争によりその相対的な経済力が高まり世界のリーダーになったとも考えられる.
  • (ナチスドイツの台頭は我々の説を反証しているように見えるかもしれないが)ナチズムの興隆の基礎にあった経済力はナチ台頭以前の制度の結果だ.ナチスドイツはユダヤ人を迫害し,中央集権的な統制経済(国家社会主義)を志向した.これは経済成長を阻害するものだ.ナチスドイツはそれまでに成長した民間企業の富を一気に吸い上げることにより一時的な繁栄を示したに過ぎない.
  • ソ連の計画経済は50年続いたが,やはり効率的ではなかった.自国民や近隣諸国の犠牲の上に無理矢理生産性を上げようとしたが,結局アメリカのフロンティアの50%水準にしか達することはできず,その後瓦解した.
  • 破局的な第二次世界大戦後,ヨーロッパは平和的な統一をめざす.フランス,ドイツ,英国の知識層はソ連の計画経済とアメリカの自由放任経済の中間にある穏健な中道の立場である「混合経済」を理想と考えた.しかしアメリカの経済は決してどこまでも野放図な自由放任ではないし,現実世界の制度はもっと複雑だ.
  • ヨーロッパは制度的には,独仏英ベネルクスの中心国,北部諸国,南部諸国,東欧という4つのブロックに分かれていて,経済は制度から決まる生産性水準にそれぞれ収斂している.
  • EUの経済統合は,多様性の低下による戦争の抑止と規模拡大による経済成長の促進をめざしたものだった.共通通貨の導入はブロック間の制度,そして経済モデルの差を無視したものだったが,導入後数年間市場はそれを評価し損ない,南部諸国も低い金利で借り入れが可能になった.投資家はイタリアやギリシアの国債とドイツの国債の安全性がほぼ同じと考えるべきではなかったのだ.これにより南部諸国の債務は増大した.(ギリシアの債務問題にどう対処すべきかについても議論されている)
  • 制度的には,共通通貨のもとでも各国政府が自国民の金融資産の没収権限を保持し続けていることが弱連結になっていると考えられる.この弱連結問題を解決した上で,各国の制度面での多様性を維持し,制度間の競争を促す体制を作るのが,現在の問題を解決するための経済成長を促す最良の道ではないかと考える.

 

第11章 カリフォルニア・ドリーム

 
第11章ではカリフォルニア州が採り上げられている.これはアメリカ全体の問題を考えるための予習という位置づけのようだ.
 

  • 米国の連邦制の下では各州は制度的な競争を行っていることになる.州政府は公共財の提供者で,納税者,消費者,労働者,企業,資本は自由に移動する.
  • カリフォルニア州は気候に恵まれ,ゴールドラッシュの後,映画産業,服飾産業,防衛産業,エレクトロニクス産業が次々に興隆した.ベンチャーキャピタルの集積地でもあり,人口も増え続けている.
  • カリフォルニア州の政治構造が転換したのは1992年だった.同州は保守からリベラルにイデオロギー的に変化し,共和党支持から民主党支持に転換した.そして累進的な課税,最高レベルの最低賃金,手厚い福祉,複雑な規制体系を持つ制度に急速に転回していった.そして2008年の不況以降カリフォルニアのあちこちで財政がコントロール不能になっていることが明らかになった.
  • 財政問題の中身を見ると赤字の最大の原因は人件費,特に年金であることがわかる.アメリカでは税法の影響で給与の増額より福利厚生の増額が好まれる.政府は民間企業に対しては規制の網を張ったが,地方自治体は規制の対象外で,公務員組合と自治体の交渉は時間選好と損失回避バイアスから年金の対象拡大と増額に突き進んだ.
  • 州政府の財政赤字は税収の非合理的な制限によっても悪化している.提案13号により固定資産税の増大は制限され,累進性の高い税制は不況期の税収を激減させる.さらに公務員は議員に対して極めて強い影響力を持っており,政治的なレントシーキングが横行している.これは歴史的にはローマ帝国の近衛軍団によく似ている.
  • 2000年の国勢調査後のゲリマンダー的選挙区割りで議員にとっては予備選の方が重要になり,思想的により極端になる方が有利になるため分極化も進んでいる.
  • 地方債の税制上の優遇措置も問題を悪化させる原因になっている.
  • カリフォルニア州の現状は,政治的制度の構造が拙劣だと経済管理の失敗というアリ地獄にはまりかねないことを示している.

 

第12章 米国に必要な長期的視野

 
第12章と第13章は現在のアメリカについて.ここはこれまでの分析を踏まえて深く考察するところで,著者たちにとってまさに最も強く主張したい結論章になる.
 

  • アメリカは果たして生き残れるのか.大国の衰亡の典型的パターン,つまり中央集権化,個人の自由の後退,レントシーキング集団の強大化を繰り返す運命から逃れられるのだろうか.
  • アメリカの最大の難題は中国などの外国ではない.この国の内部から政治制度の行動的機能的不全として発生している.その徴候は増大する財政赤字だ.連邦政府予算は財源のない将来的エンタイトルメントから生じる莫大な長期的債務に直面しており,政治過程は分極化している.

 

  • 憲法上,連邦政府は中央集権に対してはっきりと敵対的な構造になっている.しかしここ100年間で連邦政府の守備範囲は広がっている.政治的分極化は時間的視野を制限する力となることによりその近因となっていると考えるべきだ.
  • 1960年代にアメリカの議員たちの大半は中道だった.議員たちの分極化は1970年代に始まりどんどん進んでいる.現在では「穏健」は政治的美徳ではなくなっているらしい.
  • これがアメリカ国民の政治的分極化を反映しているだけだという主張は疑わしい.リサーチによるとアメリカでは支持政党のない人の割合が増えているし,中央集権化した政府を信頼しない傾向は不変で,妥協は支持され続けている.
  • 問題は政治家へのインセンティブにあるのだ.社会保障と医療費補助が増加し続けるなか,共和党民主党の議員が陥っている選挙のインセンティブ状況は囚人のジレンマゲームになっており,共和党議員は高い支出水準の維持を受け入れ,民主党議員は低税率を受け入れるという財政不均衡解がナッシュ均衡になっている.もう1つの問題は1970年代になされた選挙資金関連の制度改革だ.分割投票の不合理を減らそうと政治資金に関する独占的権限を政党に与えたことが議員たちには短期的視点に立つ分極化した姿勢を打ち出すインセンティブとして作用した.
  • 我々はアメリカに真の自由選挙による政府が成立すれば,新たな政治的連携により長期的な視野を持つ行動(つまり財政均衡へ向けた動き)が可能になると信じる.

 

第13章 米国を改革する

 

  • アメリカの現在の経済的混乱に対処するためには,まず「良い政府」を想定するのは不可能であることを認識しなければならない.「民主主義硬化症」に対して一連の経済的手段で対処していかなければならないのだ.
  • 歴史から学ぶべき教訓は,「何事も必然ではない」「ヒトはどこでも同じであり,商業,企業,技術へのインセンティブを生む制度を確立すればどこでも経済成長は加速する」「脅威は内部の政治過程から生まれる不均衡だ」「無知は究極の限定であり,改革のためは制度の重要性を理解しなければならない」「不均衡を生むのは派閥だが,政府が最も危険な派閥になる」「派閥の行動で特に危険なのは損失回避バイアスから来る現状維持の要求だ」「規模の過小化(閉鎖性)は過大化よりも脅威になる」だ.
  • 最適な政策は財政赤字をなくすこと自体を目的にするものではなく経済成長を最大化するものだ.アメリカの成長を加速するには,税法を改革して投資主導型の経済成長を促すこと,50州間,対外国のアイデア,資本,労働の流れを自由にすること,進取的な起業をはばむ規制を緩和することが重要だ.
  • 財政にかかる政治過程の変革は中央集権化ではなく,政治家への歪んだインセンティブを正す民主制の構築によるべきだ.またイデオロギー色のない長期的スパンの財政均衡憲法条項も考慮に値する. 
  • アメリカは世界でも前例のないほど優れた経済制度のおかげで生産性フロンティアを超えて成長を続けている.政治を正すことによりなお昇りゆく太陽であり続けることができるだろう.

 
 
本書は歴史上様々な帝国の没落事例を集めて,その原因が権力を握った派閥による現状維持バイアスに乗ったレントシーキングのために生じる経済的不均衡が成長を阻害することであることを強く主張し,アメリカがその轍を踏まないためにどうすべきかが書かれた本になる.経済成長における制度の重要性が各所で強調されている.そして何が問題かについては,財政赤字自体ではなく,その背後にあるレントシーキングによる成長阻害であるということが著者たちの力点ということになる.
歴史の分析部分においてはレントシーキングのみに焦点を当てすぎているような印象もあるが,それぞれの没落事例で少なくとも要因の一部であっただろうという意味では説得的だ.現在先進国の中で最も低成長に苦しんでいる日本にとってもいろいろ示唆の多い本だと思う.

 
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第4エッセイ 道徳的徳の性淘汰 その10

 
ミラーによるモデルの予測リストはさらに続く.
 

<表現型的特徴> (続き)

 

特徴6 様々な悪徳の共存性,発達的不安定性,脳の異常

 

  • もし異なる悪徳が有害な多面発現突然変異によりオーバーラップして発現するものなら,悪徳同士は性の遺伝的相関を持つだろう.また悪徳が神経発達を乱すような突然変異によるなら,それ以外の様々な適応度を下げる精神異常と一緒に見られるだろう.

 

特徴7 特徴の分散は男性の方が大きい

 

  • 一夫多妻的配偶システム,婚外交尾のあるシステムで進化した生物はオスの方が形質や繁殖成功の分散が大きくなり,オスの方がリスク受容的に進化する.
  • このことから男性の方によりスーパーな道徳性を持つ個体(ガンジーやキング牧師など)が多く,同時に極めて悪徳な個体(ドラキュラ,スターリンなど)も多いことが予測される.
  • (このようなスーパー特性を持つ男性が多くの女性と関係を持っている傾向は,このモデルの正しさを示しているのであって,彼等が非道徳的であることを示しているわけではない)

 

特徴8 若いときにディプレイのピークがある.

 

  • 性淘汰を受ける行動として徳ディスプレイも繁殖努力のピークである若いときにピークを見せるだろう.思春期前には少なく,その後急速に増加し,時間とエネルギー投資がコートシップから子育てに移行するにつれて緩やかに減っていくだろう.

 

特徴9 代替的配偶戦略

 

  • 性的に魅力的な道徳的徳に欠ける個体は(異性の配偶選択や同性の配偶者防衛をかいくぐるための)代替的戦略を採るだろう.これには短期的配偶戦略の繰り返し,騙しによる情事,セクハラ,ストーキング,そして強制的性交などが含まれる.
  • もしそうなら,徳に欠けもてない個体が最初に配偶マーケットで失敗し,やけっぱちの代替戦略を採用し,それによりさらに徳に欠けていくという忌まわしいサイクルがみられるだろう.
  • これは行動生態学者にとっては当然の予測だが,現在のフェミニストたちの支配的見解(レイプは家父長制暴力の犯罪である)とは非常に異なる見解を示しており,より優れたレイプ防止策につながるだろう.

 

<道徳的徳の配偶選択>

 

特徴10 配偶選好

 

  • 他の条件が同じなら道徳的徳は配偶選好される.そして単に観察されるだけでなく(様々な社会的性的状況をアレンジすることにより)能動的に探られるだろう.実際にこのような「徳テスト」は恋愛コメディの中心的プロットになっている.(恋人以外の女性からアプローチされたらどう反応するかなど)
  • さらに良い遺伝子インディケーターは短期的関係やペア外性交時により好まれるだろう.良い親,良いパートナーインディケーターはより長期的関係において好まれるだろう.

 

特徴11 同類配偶

 

  • ヒトは社会的モノガミー種であり,高い徳を持つ個体同士が選択し合い,残された次の個体同士が選択し合うという形でペアが形成されていく.これにより道徳的徳に関して同類配偶が観察されるだろう.

 

特徴12 性的貶しとゴシップ

 

  • もし徳が配偶選好において評価されるなら同性ライバルは相手の徳を互いに貶し合うだろう.そしてゴシップのテーマは道徳的性質に集中するだろう.徳目は賞賛され,悪徳は貶される.
  • さらに性的選択モデルはより詳細な予測をする.例えば短期的配偶関係を求めている男性は女性の非貞操性を(例えばfun, liberal, adventuousなどの婉曲表現で)道徳的徳のように扱うだろう.逆に長期的配偶関係を求めている男性は女性の貞操性を徳として扱うだろう.
  • そうすると賢い女性は短期的マーケットでは同性ライバルを「堅苦しい保守派」と貶し,長期的マーケットでは「淫乱な色情狂」と貶すだろう.

 
なかなか詳細で面白い.これらの予測はどこまでリサーチされているのだろうか.ミラーもコメントしておらず,あまり進んでいないのかもしれない.

Virtue Signaling その13


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

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第4エッセイ 道徳的徳の性淘汰 その9

 
ミラーはいよいよ本仮説の検証方法つまり代替仮説と異なる予測に話を進める.このコストリーシグナル仮説は何(良い遺伝子,良い親(子育て投資),良いパートナー)をディスプレイしているかによって異なる予測を導くのでこの部分は詳細で複雑だ.
 

道徳的徳の性淘汰モデルの予測

 

  • 様々な道徳的徳の進化モデルをどうやって検証したらいいだろうか.
  • この性淘汰モデルは他のモデルと異なる特異的な予測をする.なぜならコストリーシグナルは他の適応産物とは随分異なった表現型的特徴,および遺伝的特徴を持つからだ.それは特に道徳的徳の個人差に関して現れる.
  • 実際に検証するためにはまず様々な道徳的徳の強度を測定できる方法を開発しなければならないだろう.それには道徳についてより洗練されたアプローチが必要だ.
  • 一般的に性淘汰産物である量的に計測される道徳的徳は次の12の特徴を持つだろう.このリストは血縁淘汰,互恵性,グループ淘汰などの対立仮説と良い遺伝子インディケーター,良い親インディケーター,良いパートナーインディケーター仮説の違いを見ることを念頭においている.単一で性淘汰産物と断定できるわけではないが,組み合わせると良い証左になるだろう.

 

<遺伝的特徴>
特徴1 正の遺伝性

 

  • 道徳的徳が良い遺伝子インディケーターなら正の遺伝性を持つはずだ.これは行動遺伝学的に示すことができるだろう.多くのリサーチが反社会的行動,それと相関するパーソナリティの遺伝性を報告している.利他性や共感性に弱い遺伝性があることを報告しているリサーチもある.
  • これらの形質にかかる遺伝子は,生活史の中の発現パターンについても遺伝性を持値,性成熟後に強く現れるだろう.そうであれば子どもより大人で遺伝性が高くなるだろう.

 

  • もし道徳的徳が良い親インディケーターや良いパートナーインディケーターであるなら遺伝性は低いだろう.それでもやはり(生活史段階ごとのコストとベネフィットに応じた)特異的な生活史発現パターンを見せるだろう.

 

特徴2 近交効果,親の年齢効果

 

  • 道徳的徳が良い遺伝子インディケーターなら,徳は突然変異荷重を反映するだろう.近親交配や父親の年齢が高ければより徳が低くなる傾向があるだろう.

 

特徴3 分子遺伝レベルの解析の難しさ

 

  • 徳を減じるアレルは基本的に突然変異と自然淘汰のバランスで平衡を保つだろう.であれば徳を減じるアレルは進化的には新しいものが多く,また徳を持つ遺伝子の発見は標準的な連鎖解析では難しいだろう.分子解析は悪徳遺伝子を探す方が良いだろう.

 

<表現型的特徴>
特徴4 顕示的な求愛ディスプレイ

 

  • 求愛に置いて,個人は(意識的無意識的に)顕示的に徳を異性にディスプレイするだろう.
  • これは求愛ステージとそうでないときの比較,(女性の場合)排卵サイクルのステージ間の比較,社会的文脈の違いがある場合の比較などで示すことができるだろう.例えばロマンティックな文脈をプライミングされた被験者はそうでない場合より英雄的に振る舞うか,より芸術的創造性を発揮するか,顕示的消費を行うかどうかを調べることができる.
  • 良い遺伝子インディケーターならより短期的,機会的,ペア外配偶選択的な状況でより顕示的にディスプレイするだろう.
  • 良い親,良いパートナーインディケーターなら長期的配偶選択状況でより顕示的になるだろう.

 

特徴5 条件依存的なコストと他の適応度指標との正の相関性

 

  • 徳を作り出すにはエネルギー,時間,リスクなどについての高いコスト(厳密には限界コスト)を持つはずだ.ここに条件依存性の条件があることは重要だ.(そうでなければ徳とコストがトートロジーになってしまう)
  • 条件依存性はより具体的な予測を導く.例えば良い遺伝的適応度,あるいは良い表現的条件を持つものは,顕示的徳ディスプレイにかかるコストにより耐えることができ,より高い頻度でディスプレイするだろう.
  • だとすると,良い遺伝子を示す徳は,他のよく確立された適応度インディケーター(身体的健康,メンタルヘルス,長寿,身体の大きさ,対称性,知性など)と相関するだろう.特に良い遺伝子を示す徳,身体的魅力,社会的地位,カリスマの間には(単なるハロー効果ではない)しっかりした相関があることが予測される.
  • これに対して良い親,良いパートナーを示す徳の長期的信頼性は条件依存性からもたらされるだけではなく,パーソナリティの安定性(そして生活史の後半にその遺伝性が上昇すること),徳の堕落に対する社会的評判リスクおよび離婚リスクの大きさに多くを寄っているだろう.

 

遺伝的特徴の予測リストはなかなか興味深い.
特徴5の条件依存性はハンディキャップモデルの重要な特徴で,グラフェンによる数理解析のキモでもある.良い親やパートナー性についてのコメントもなかなか深い.(遺伝性でない)良い親,良いパートナーであるということを示すために十分なハンディキャップコストは(それがそうする意思と強く絡んでいるために騙しのターゲットになりやすく)おそらく相当高いものにならざるを得ず,このモデルだけでは説明が苦しいということなのかもしれない.

書評 「恐竜の世界史」

恐竜の世界史

恐竜の世界史

 
 
本書は恐竜学者スティーヴ・ブルサッテによる恐竜本.縦軸には恐竜の歴史が描かれ,それに関連した著者自身の発掘やリサーチが横軸に散りばめらるというちょっと面白い構成になっている.原題は「The Rise and Fall of the Dinosaurs: A New History of a Lost World」.興亡史とあるように恐竜の興隆から絶滅までを扱っている.

プロローグでは著者が中国でチェンユエンロン・スンイ(Zhenyuanlong suni ) の化石に最初に対面したときのドキュメンタリーから始まる.なかなか読者をぐっとつかむいい工夫だ.
 

第1章 恐竜,興る

 
第1章は恐竜の起源物語.最初はペルム紀の大絶滅(252百万年前)から始まる.著者のポーランドの地層調査,そこで出合ったポーランド人古生物学者グジェゴシと後に知り合ったイギリスの古生物学者バトラーとの古生物学三銃士によるプロロトダクティルス(Prorotodactylus)の足跡化石発見の逸話を振りながら大絶滅を解説する.大絶滅の原因についてここでは大陸規模のホットスポットによる噴火の影響説から解説されている.大絶滅後,三畳紀に入ってすぐ恐竜に似た動物が現れる.やがて恐竜につながるアヴェメタタルサリア類(鳥類系統の主竜類)だが,そこには後にワニを生みだす偽顎類(ワニ系統の主竜類)も現れる.プロロトダクティルスはアヴェメタタルサリア類の中の恐竜形類になる.ネコほどの大きさで直立した脚で歩行していた.敏捷で後ろ脚の方がたくましく,成長が速いことが特徴になる.そこからしばらく経過した240~230百万年前に真の恐竜が現れる(ここではアルゼンチンのエレラサウルス(Herrerasaurus )の発掘記が付されている)
 

第2章 恐竜,台頭する

 
実は恐竜は登場後すぐに地上を席捲したわけではない.三畳紀はパンゲアが一つながりで温暖化が進んだ時期(メガモンスーン)だった.そして恐竜はパンゲアの南方,温帯域の湿潤地域にリンコサウルス類やディキノドン類の影に隠れて小さなまま押し込められていた.さらに熱帯や乾燥地域では哺乳類の祖先や偽顎類が繁栄し,恐竜類は進出できなかったらしい.しかし225~215百万年前ぐらいから,大型化,乾燥地帯への進出を果たすようになった(理由についてはなおはっきりしないとされている).このあたりの物語はニューメキシコのヘイデン発掘地のチンル四天王*1の発掘物語を交えて語られている.発掘のデータが積み上がるにつれて,大型化し世界に広がった三畳紀後期であっても,恐竜が一方的に陸上世界を席巻していったのではなく偽顎類と激しい競争をしていたことが明らかになっていく.著者は化石形態をデータ化して統計処理を行い,三畳紀後期において偽顎類の形態の多様さは恐竜のそれを明らかに上回っていたことを見いだす.恐竜は偽顎類に押さえ付けられて暮らしていたのだ.
 

第3章 恐竜,のし上がる

 
240百万年前ごろからパンゲアが割れ始め,201百万年前にパンゲアの亀裂から大規模な噴火が続き,大量絶滅と共に三畳紀からジュラ紀に入る.この絶滅が偽顎類を失墜させ(数種類のワニ以外は絶滅する),恐竜は地上を席捲するようになる(なぜ恐竜が生き残ったのかについて定説はない.著者は単に運が良かったという可能性もあるとしている).この交替劇はニュージャージーのニューアーク盆地の発掘物語と共に語られる.これは白亜紀末の大量絶滅による(非鳥類型)恐竜から哺乳類への交替劇とまさにパラレルでありなかなか興味深い.
ジュラ紀に入り恐竜は一気に多様化する.著者はここでスコットランドのスカイ島の発掘物語(足跡化石の発見譚はなかなか楽しい)を交えて竜脚類の多様化,体重の推定方法,巨体進化の謎(長い首による採餌効率向上,気嚢システムによる表面積の増大とエネルギー効率の良さ,そして成長率の速さ)などの進化の謎を語っている.
 

第4章 恐竜と漂流する大陸

 
ここから4章に渡って恐竜の繁栄が語られる.冒頭はピーボディ博物館の恐竜大広間にあるザリンガーの壁画の描写から始まる.ここに描かれた恐竜はアメリカ西部のモリソン層から出土したものが主体になる.ここから著者は著者自身のモリソン層発掘体験,そして19世紀のコープとマーシュの大発掘戦争時代を語り,アロサウルス,ステゴサウルス,カマラサウルスなどのスター恐竜を解説する.そしてジュラ紀にはまだ分裂後の大陸はなおつながっていて世界中で同じような恐竜生態系が成立していたことが説明される.
145百万年前にジュラ紀は終わり,白亜紀にゆるやかに移行する(三畳紀→ジュラ紀や白亜紀→新生代のような大破局ではないが,気候,海水準,大陸の分裂などが2500百万年ぐらいかけていろいろ生じている).恐竜の構成も変化する.例えばブロントサウルス,ディプロドクス,ブラキオサウルスのような竜脚類は急激に衰退し,新しいティタノサウルス類に入れ替わった.植物食ニッチでは小柄の鳥盤類が栄える.また剣竜から鎧竜への交代も見られる.小型獣脚類の多様性も大きく上がる.
ここで著者の子供の頃のスーパースター考古学者であったポール・セレノとの出合い,北アフリカ各地から出土したカルカロドントサウルスの謎に系統解析から迫ったことを語っている.大型獣脚類であるカルカロドントサウルス類はアロサウルス類と近縁だが,アロサウルスから獣脚類の王座を奪い取り,まだつながっていた大陸間を渡って世界に広がった.その後大陸が互いに隔離されると各大陸でそれぞれ多様化する.そしてその影にいたのがティラノサウルス類になる.
 

第5章 暴君恐竜

 
著者は第5章と第6章をかけてティラノサウルスのみを扱っている.まさにスター扱いということだろう.冒頭では中国で発見され,著者が中国の研究者と一緒に調べることになったたチエンチョウサウルス・シネンシス(Qianzhousaurussinensis)(通称ピノキオ・レックス)の化石物語が語られ,オズボーンとブラウンによるティラノサウルス・レックスの発掘物語,その後のスター恐竜化の経緯につなげている.

  • ティラノサウルス類の起源は古く,ティラノサウルス・レックスの登場より1億年も前になる.(シベリアで発掘された170百万年前のキレスクス(Kileskus)が最古のティラノサウルスとされている. 中国で発掘された近縁の「グアンロン(Guanlong)の化石のリサーチによりこのグループにはティラノサウルス類のみに見られる派生的な特徴を持つことがわかっている. 彼等は小型のまま80百万年間とどまっていた.アロサウルス類の影で中小型の捕食者のニッチにおいて成功し繁栄していたのだ.
  • そして白亜紀初頭にティラノサウルス類は最初の大型化を見せる.その例となるユーティラヌス(Yutyrannus)の化石からは羽毛の痕跡も見つかっている.そして系統解析によると大型化は独立に何度も生じている.ティラノサウルスは機会があればいつでも大型に進化できたが,それは周りに他の大型恐竜がいないときという条件付きだったようだ.
  • そして真の巨大ティラノサウルスであるティラノサウルス・レックスの大型化は84百万年前にカルカロドントサウルス類が絶滅したあとに生じた.

 

第6章 恐竜の王者

 
第6章は特にティラノサウルス・レックスを扱っている.まずその特徴が詳細に語られる.獣脚類の中で特有のボディプラン(太い体躯,巨大な後肢と小さな前肢など)をもつ.系統的にはアジアで生まれベーリングを渡って北アメリカに到達したあとその地を制覇したようだ.著者は屍肉食説を明確に否定し,巨大な頭に鋭い歯を持つ俊敏な動物が屍肉のみを漁っていたはずはないと力説している.

  • 獲物恐竜の骨に残る歯形は複雑で,最初は丸く徐々に細長い溝に変わっていく.これは獲物に深く噛みついて後に引きちぎっていたことを示している.獲物の骨を噛み砕いていたことは糞化石からもわかる.骨を噛み砕くことができる恐竜はティラノサウルス類だけだった(それを可能にする解剖学的な特徴,有限要素解析を用いた力学リサーチの解説が詳しい).
  • 「ジュラシックパーク」の再現とは異なり,持続的に速く走ることができなかった.おそらく待ち伏せ型の狩りをしていたのだろう.気嚢システムを持っていて瞬間的は素速く身体を動かせたはずだ(ここもリサーチの解説が詳しい).
  • 貧弱な前肢は何に使っていたのか:確かに前肢は小さいが,筋肉はしっかりついており,逃げ出そうとする獲物をがっちりつかむのに使っていたと考えられる.
  • 頭蓋をCTスキャンして脳の形状を見ると,臭球が大きく三半規管も発達していた.これらも狩猟を行っていたことを裏づける.
  • 骨の成長線を調べることにより,ティラノサウルスは非常に素速く成長していたことがわかった.彼等は駆け抜けるように生き,若くして死んでいったのだ.

最後に著者はティラノサウルス・レックスは生命進化が生みだした傑作であり,真の王者であると強調している.この2章は著者の少年時代からのティラノサウルス愛を十分に感じさせるものになっている.
 

第7章 恐竜,栄華を極める

 
王者といってもティラノサウルス・レックスの北アメリカの王者であったに過ぎない.大陸が完全に隔離された白亜紀末期にはそれぞれの大陸で少しずつ異なる肉食恐竜がそれぞれの王国を築いていた.ここから著者はそれぞれの王国をそれぞれの発掘物語(ヨーロッパのノプシャ男爵の話はかなり詳しくそして面白く紹介されている)を交えながら紹介する.

  • 北アメリカのティラノサウルス・レックスの王国で最も繁栄した植物食の恐竜はトリケラトプスだった.ヘルクリークでは恐竜化石の40%がトリケラトプス,25%がティラノサウルス・レックスになる.それ以外にはパキケファロサウルス,ハドロサウルス類が繁栄していた.(それぞれの恐竜群についての詳しい解説がある)
  • 南アメリカではティラノサウルス類は見られず,カルカロドントサウルス類の天下が白亜紀の最後まで続いていた.角竜も堅頭竜も存在せず,竜脚類のティタノサウルス類が主要な植物食恐竜だった.中小型の肉食ニッチには獣脚類に加えてワニが食い込んでいた.
  • ヨーロッパはテチス海に浮かぶ島々に島嶼化で小型化した恐竜が独特の生態系を築いていた.バラウル・ボンドク(Balaur bondoc)は後脚にそれぞれ2本の鉤爪を持つ特殊なラプトルだ.

 

第8章 恐竜,飛び立つ

 
第8章は恐竜の1グループである鳥について.まず鳥類の恐竜起源学説史がダーウィン,アーケオプテリクス(始祖鳥)の発見,ハクスリーの小型獣脚類起源説,1920年~69年までの非恐竜起源説の優勢,オストロムによるデイノニクスの発見と恐竜起源説の復活,90年代の羽毛恐竜の発掘と語られる.オストロムが自説発表の27年後についに(決定的となる)羽毛恐竜の化石を初めて見せられた時のエピソードは印象的だ.ここから著者による遼寧省産の羽毛恐竜のリサーチに基づいた鳥類の系統樹的位置づけ,共有派生形質,どこから鳥類とされるか(鳥類の定義)については歴史的経緯から始祖鳥以降とされているが,そこが特に大きな境界というわけではなく,行動や生理まで含めた様々な特徴は漸進的に進化していることの解説がなされる.ここでは羽根の起源,翼の起源*2,飛翔の起源*3の問題についても関連するリサーチや恐竜学者たちと共に詳しく語られている.
 

第9章 恐竜,滅びる

 
最終第9章は(非鳥類型)恐竜の絶滅について.冒頭で北アメリカの恐竜視点からの66百万年前の小惑星激突時の光景が描かれ,アルバレス父子による小惑星絶滅原因説が語られる.ここでは著者とウォルター・アルバレスをめぐる逸話*4も交えながらアルバレス説をめぐる論争が丁寧に語られる.そして著者自身もこの論争に参加し,大規模データベースを用いた統計的な議論で恐竜の絶滅が地質学的にみて唐突に生じたことを示し,アルバレス説を裏付ける(詳細はかなり複雑だ).
 

エピローグ 恐竜後の世界

 
本書は恐竜絶滅後の哺乳類の適応放散まで扱っている.ここは恐竜本としては独特だが,歴史物語としてはより大きくなる良い工夫だと思う.著者によるニューメキシコの新生代地層の発掘エピソードを交えながら,生態系の立ち直りの様子を簡単に描いている.
 
 
本書は第1線の恐竜学者の手による最新の知見を元にした壮大な恐竜史物語であり,そしてその各章各テーマに関連した著者を含む様々な恐竜学者の奮闘振りが散りばめられている.これにより読者は2億年近いタイムスパンを持つ悠久の恐竜の興亡史と発掘やリサーチの臨場感を同時に味わうことができる.私は読んでいて大変楽しかった.恐竜ファン向けに非常に工夫されたいい本だと思う.


原書

The Rise and Fall of the Dinosaurs: A New History of a Lost World

The Rise and Fall of the Dinosaurs: A New History of a Lost World

  • 作者:Steve Brusatte
  • 出版社/メーカー: William Morrow
  • 発売日: 2018/04/24
  • メディア: ハードカバー

*1:ランディ・アーミス,スターリング・ネスビット,ネイト・スミス,アラン・ターナーという著者より一世代上の古生物学者たち

*2:著者はメラノソームのリサーチからディスプレイ説を採っている.

*3:飛翔能力は恐竜の中で何度も独立に進化したらしいと解説されている

*4:アルバレスの「絶滅のクレーター」を読んでいたく感激していた著者は家族でのイタリア旅行に際してどうしてもグッビオの件の地層を見たくて,どうすればいいか手紙でアルバレスに問い合わせてみたところ,アルバレスは一面識もない少年であった著者に丁寧な返事をくれたそうだ.