「進化心理学を学びたいあなたへ」 その15

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 

5.3 ヒトを特別なチンパンジーたらしめるもの

 
日本を代表する進化心理学者の1人として長谷川寿一の寄稿が置かれている.

  • 私は行動学(エソロジー)と動物認知を基盤に進化人類学と進化心理学の研究を進めてきた.研究上の興味は(1)霊長類と鳥類の配偶システム,配偶者選択(2)動物の認知(3)自閉症児の社会的認知(4)ヒトとチンパンジーの配偶システム,生活史,社会的認知の比較というところにある.
  • 進化心理学について強調しておきたいことの1つはヒトと他種との比較研究の重要性だ.特にヒトとチンパンジーの比較はヒト進化の理解する上で大きな意味を持つ.チンパンジー(とボノボの両種)から見ると,ゴリラではなくヒトが最も近縁な種になる.私の研究上の興味はすべて「何が我々を特別なチンパンジーにしているのか」という疑問から生まれたものだ.

 

  • 30年前に妻の長谷川眞理子とタンザニアのマハレでチンパンジーのフィールド研究を3年間行った.野生のチンパンジーを間近で見るという経験はその後ヒトを進化的な視点から理解するときのかけがえのない財産となった.
  • チンパンジー・ヒト系統群にだけ見られ.ほかの大型類人猿に見られない特徴を考えてみよう.それは狩り,肉食,オス集団の形成になる.集団で獲物を狩り,オス集団同士が時に殺し合い*1,政治を行う.
  • これらの特徴をもたらした淘汰圧については議論があるが,私は森林生活への適応だと考えている.対捕食者戦略とナワバリ防衛戦略によりオス集団が進化し,栄養供給の新たな手段として肉食が進化したのではないだろうか.
  • ではこの系統の中でのヒトの特徴は何か.それは(1)女性の結びつきの強さ(2)子どもの共同養育(3)社会脳だろう.ヒトは女性がグループで採集・調理・食事をし,閉経後の高齢女性を含めた共同繁殖を行い,他者を思いやり,他者と協力するチンパンジーなのだ.

 

  • いずれ進化心理学は認知神経科学と融合するだろう.それによりヒトの行動と認知の生物学的基盤がより明らかになり,ヒトの存在を分子,遺伝子,神経,行動,認知,進化適応すべてのレベルにおいて理解できるようになるだろう.多層的な研究の期待されるフロンティアの1つは色覚だ.さらなる進展が期待される分野は社会的認知,パーソナリティ,精神障害だろう.

 

  • 日本では自然生育地における霊長類研究の長い歴史があったので,ヒトの生物学的基盤に進化からアプローチすることについて(欧米とは異なり)社会から容易に受け入れられた.原理主義との争いの必要はなかった.アジアの一員として中国やほかのアジアの国々の仲間との意見交換が進む事を期待している.

 
コンパクトな寄稿の中に,チンパンジー・ヒト系統群の特徴と淘汰圧の推測,その中のヒトの特徴,進化心理学の将来展望,日本における進化心理学の現状と盛りだくさんの内容だ.


長谷川寿一の本

長谷川眞理子との共著.今でも日本語で読める進化心理学の入門書の最良の一冊であり続けている.

進化と人間行動

進化と人間行動


5.4 話すことと書くこと デヴィッド・ギアリー

 
ギアリーは1986年発達心理学で博士号を取り,認知,発達,進化心理,教育,医学など幅広い分野で研究を行っている.進化心理分野においては生活史と性淘汰を研究し,この知見を発達心理学の研究と統合することを試みている.その他一般知能の進化過程の解明と認知的モジュールの統合の試み,数学能力の発達,数学学習障害などにも取り組んでいる.

  • ダーウィンの自然淘汰の原理は生物科学史上最重要なアイデアだ.私の興味は非常に多くの点でダーウィンが「人間の由来」において表明したものに似ている.ここでダーウィンはヒトの心の進化と性差の謎を扱っているのだ.
  • 認知過程やバイアスを研究する際に,進化の歴史を直接反映するものと文化や経緯に強く影響されるものの区別は重要だ.私は早くからこの区別を重視し,生物学的一次能力と生物学的二次能力として区別してきた.一次能力はヒトのあらゆる文化に見られ進化によって直接形成されたものだ.言語能力などがこれにあたる.これに対して二次能力は文化によって見られたり見られなかったりし,一次能力の基盤の上にしばしば公教育を通じて獲得されるものになる.代表的なものには識字能力がある.
  • 子どもは二次能力の獲得については,(一次能力と異なり)生得的な学習動機バイアスを持たない.そして二次能力を獲得するには努力してトップダウン処理に従事する必要があり,子どもにとって遙かに難しい課題になる.
  • このような作業をサポートするメカニズムは一体何者で,そのように進化したのだろうか.私の「The Origin of Mind」はこの疑問を取り上げた一冊だ.
  • 非常に重要な最初の課題は生物学的一次能力の分類法の確立だった.具体的には素朴心理学,素朴生物学,素朴物理学の各素朴領域を考えた.これが基盤システムになり,そこから二次能力が形成される.
  • 各素朴学は特定タイプの情報を処理するバイアスがかかっており,これらはモジュール能力であると言える.しかし同時に人類の進化過程においては関連情報の変動に対応することが重要であったこともあるはずで,これらの能力には一定の可塑性があると期待される.例えば顔認識システムにおいて親とそうでない他者の区別は重要になる.進化の帰結として制約の範囲内で調整可能な「柔らかなモジュール」が生まれるだろう.

 

  • しかしそれだけでは一般知能を説明できない.実証研究では二次能力の獲得を最もよく説明できるのは一般知能だった.
  • この課題に対しては,進化的に新奇な状況への対処を可能にしたメカニズムの特定から始めた.気候変動を重視する論者もいるが,私は社会の変動の方が重要だと考えた.
  • 私が提唱したのは,多様で変動する状況に人々が対処することを可能にする中核的メカニズムは自伝的メンタルモデルであるという説だ.これは自覚的注意に基づき,ワーキングメモリを使って形成される状況の心的表象だ.これにより過去や現在を想起し,未来のシミュレーションを行い,起こりうる複数の事態に対処する戦略を練れるようになる.
  • 社会的競争が脳と認知能力の進化を促し,ヒトはモジュール化した一次素朴能力と(ワーキングメモリ,一般知能,自己認識などの)それを担う認知メカニズムを獲得した.これらの進化的機能は,不確実である未来の状況を予測し,問題解決にあたることだ.
  • 続いて論文集「Educating the Evolved Mind」を出し,これらのメカニズムが生得的な動機バイアス,文化的歴史,学校教育とどう相互作用しているかを論じた.結果的に進化教育心理学分野の概説を書くことになった.

  • 「人間の由来」のもう1つの大きなテーマは性淘汰だ.
  • 進化について勉強し始めたときに性淘汰は取っつきやすいテーマに思えた.既に多くの動物で研究されていたこともあるが,当時のアメリカ学術界の政治的環境もそれに取り組むことを魅力的にした.当時は(ヒトの)いかなる性差も取るに足らないもので,社会的に構築されたものだと信じられていたからだ.これは何もナイーブな人達を苛立たせることが面白かったという意味ではない.重要なのは当時ヒトの性差についてほとんど関心が向けられていなかったことだ.心理学者たちはヒトの性差について多くの知見を集積していたが,それを説明するメタ理論を持っていなかった.私にはこれが好機に見えたのだ.
  • そして1998年に「Male, Female: The Evolution of Human Sex Differences」を出版し,2010年に増補版を出した.増補版では集団遺伝学や認知神経科学の分野の知見も取り込んでいる.

 

  • 未来の進化心理学者への最良の助言は「進化学と進化生物学に関する主要文献を読め,ダーウィンを読め」ということだ.配偶者選択に興味を持ったときにはヒトの配偶者選択だけではなく他種の配偶者選択の文献も読み,比較研究の視点を持つようにしよう.他種の類似行動の進化的理解なしにヒトの行動と進化を理解するのは困難だ.


対人関係がもたらす複雑な状況が大きな淘汰圧になって,一般知能,自伝的メンタルモデル,(あるいは意識)が進化したというのは様々な論者が議論していて興味深いテーマだ.なお様々な議論が続いているようだが,ギアリーの「The Origin of Mind」は邦訳もされており,ある意味この問題の基本文献と言えるだろう.


ギアリーの本


本文でも紹介されている「The Origin of Mind」

The Origin Of The Mind: Evolution Of Brain, Cognition, And General Intelligence

The Origin Of The Mind: Evolution Of Brain, Cognition, And General Intelligence



同訳書 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20080203/1202001368

心の起源―脳・認知・一般知能の進化

心の起源―脳・認知・一般知能の進化





Male, Female: The Evolution of Human Sex Differences, Second Edition

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Children's Mathematical Development: Research and Practical Applications

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*1:これはボノボでも見られると注意書きがある