- 作者: 平石界,長谷川寿一,的場知之,王暁田,蘇彦捷
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2018/05/30
- メディア: 単行本
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第5章 文化と知性を進化から考える その1
5.1 文化の進化抜きにはヒトの進化は語れない ピーター・リチャーソン
リチャーソンはロバート・ボイドとともに文化進化についての分析フレームを提示していることで有名な生態学者だ.進化心理学者とは言い難いし,そのナイーブなグループ淘汰擁護論やヒトの利他性をグループ淘汰と文化との共進化で説明しようとする議論には首をひねらざるを得ないところがある.ここでは文化進化研究の第一人者として寄稿を依頼したということだろう.寄稿の中身も文化進化についてのものになっている.
- 文化については「個体の行動に影響を与えうる情報のうち,教育や模倣,あるいはその他の社会的伝達を通じて同種個体から獲得されるもの」という操作的定義を用いる.この定義によると動物にも広く文化が見られる.
- ヒトは最もうまく社会的学習を行う動物種だ.連続的な革新を積み重ねて農業をはじめとする複雑な文化的適応を築き上げた.
- 文化人類学者はヒトの文化に多様性を見つけた.認知心理学者たちはこのような多様性の多くが比較的表面的なもので,生得的な認知メカニズムに還元でき,文化的な説明は不要だと主張した.チョムスキーの言語の「原理とパラメータ」に関する議論,トゥービィとコスミデスによるユニバーサルな認知法則の議論もそういう枠組みで捉えることができる.
- しかしここ20年で多くの証拠から文化的多様性は確かに重要だと認識されるようになった.多くの言語学者(エヴァンズとレビンソンが引かれている)は生得的原理とパラメータだけで言語多様性を説明できないと考えるようになった.チョムスキー自身もミニマリストアプローチにより生得的な統語構造の影響は最小限だと主張を変えた.
- 人間行動の集団間差異のかなりの部分は遺伝ではなく文化に由来すると考えられる.加えて興味深い遺伝的多様性の発見が相次いでいる.これは遺伝子の文化の共進化の産物だと思われる.
- 多くの進化心理学の仮説は,淘汰と認知能力と社会的適応が直接つながっていることを仮定している.これに対して文化進化的な説明は通常集団レベルの文化の性質に基づくものになる.模倣や教育という心理的プロセスが継承システムであり,単純な前駆体から文化的多様性を作り上げるのだ.ドゥアンヌは間違いなく文化進化産物である読字能力は脳の物体認識システムを利用したものであることを示し,ケアリーは子どもたちが文化の足場を利用して独自に複雑な概念を獲得することを示している.
- 文化進化にはいくつかのプロセス(文化的変異,文化的浮動,意思決定の力,伝達バイアス,自然淘汰)があり,集団レベルで働く.これらのプロセスが協調してもたらす最終的な結果が文化の変化になる.この中で自然淘汰の効きは遅く,意思決定の力の方がより重要だ.
- なぜヒトでのみ累積的文化進化が生じたのか.この問題は複雑な文化に必要な巨大な脳がそのコストの大きさにもかかわらずなぜ進化できたのかという問題とつながる.それは新生代最後の数十万年の間に生じた気候変動の大きさが意思決定能力に有利に働いたからだろう.
- いくつかの証拠が数千年前の農業の開始に伴って多くのヒトの遺伝子進化が始まったことを示している.文化進化の進み方の速さを考えると,文化進化は遺伝子進化を先導したのではないかと考えられる.遺伝子と文化の共進化仮説は複雑な言語,宗教,社会システムの進化の道筋を説明する傑出したアイデアだ.
- EOウィルソンやランスデンは「遺伝子の文化の共進化プロセスにおいては文化は遺伝子の鎖でつながれている」と主張しているが,文化が遺伝子を先導しているならこの主張は自明とは言えない.
- 集団レベルでの文化の性質を考慮せずにヒトの進化を理解しようとすることは重力を考慮せずに惑星の動きを理解しようとするようなものだ.
(筋悪のグループ淘汰擁護がなかったのは幸いだが)恐れた通りかなり強引な主張が入り交じった寄稿になっているというのが第一印象だ.トゥービィとコスミデスの主張は,文化的多様性の基礎にユニバーサルな心があるというもので,多様性が重要ではないとか表面的だとか主張しているわけではないだろう.行動の集団間差異は確かに文化間に存在するが,それは生得的な条件付き行動戦略パターンに対して,デフォルト戦略のパラメータが文化ごとに異なるとしてかなり説明できるように思う.
議論の中では特にヒトの累積的文化について脳の大きさのみを問題にし,その要因を気候変動に求めるのはかなりずれているのではないだろうか.新生代の気候変動の時代に生息していたほかの動物に巨大な脳が進化しなかったことを全然説明できないだろう.
農業以降の文化との共進化は,(乳糖耐性など)食べ物と消化系作用の間には確かにあるだろうが,それ以外は主に(寒冷適応,高地適応などの)単なる地域的環境適応,地域的流行があった感染症耐性が見つかっているだけで,ここのリチャーソンの主張も強すぎるように感じられる.
とはいえ,これで彼等の文化進化分析の枠組みの概要は知ることができる.最初のとっかかりとしては意味のあるものだろう.
リチャーソンとボイドの本
文化進化についての一般向けの解説書
Not By Genes Alone: How Culture Transformed Human Evolution (English Edition)
- 作者: Peter J. Richerson,Robert Boyd
- 出版社/メーカー: University of Chicago Press
- 発売日: 2008/06/20
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より専門的に書かれた本
Culture and the Evolutionary Process
- 作者: Robert Boyd,Peter Richerson
- 出版社/メーカー: University Of Chicago Press
- 発売日: 1988/06/15
- メディア: ペーパーバック
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彼等の分析フレームを日本語で読める本としてはこれがある.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160614/1465901048
- 作者: アレックス・メスーディ,竹澤正哲,野中香方子
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2016/02/08
- メディア: 単行本
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同原書
- 作者: Alex Mesoudi
- 出版社/メーカー: University of Chicago Press
- 発売日: 2011/07/30
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5.2 制度という環境の中でヒトは生きる 山岸俊男
次の寄稿は今年の5月に逝去された日本の社会心理学者山岸俊男だ.比較文化研究と社会における信頼をテーマに研究を続け,信頼,不公平現象,内集団びいきなどについて多くの業績を上げている.本章冒頭の紹介文では好意と敵意が異なるドメインにあることの発見,囚人ジレンマや最後通牒ゲームの選択に見られる文化差はその社会が社会的相互作用において採用しているデフォルト戦略の差が効いていることを明らかにしたこと,同じ集団主義とされる日本と中国の文化差が所属集団を基本にするか人的ネットワークを基本にするかの差であることの解明などが主要業績として紹介されている.
- 進化も文化も適応という観点から理解できる.
- 私は個人の心理と社会構造との間のミクロ・マクロの動的関係に関心を持つ社会学的社会心理学者としてスタートした.この関心は現在においても私が研究を進める原動力になっているし,私を進化心理学に引きあわせたと言える.
- ヒトが周囲の世界を知覚し,解釈し,相互作用する方法には奇妙な生得的特性が見られる.それは大半が社会的環境への適応として選択されてきたものだ.
- 私は文化心理学にも興味を持った.進化心理学はヒトの心理はEEAによって形成されたと考える.同様に文化心理学はヒトの心理はECA(現在適応環境)によって形成され続けていると主張する.これは1種のニッチ構築とも考えることができる.
- ヒトは様々なニッチ構築を行っているが,適応として最も重要な環境は社会的ニッチだ.私はこれを「制度」と呼んでいる.制度はヒトが作り上げたものだが,同時にヒトの行動を抑制したり促進したりする.制度は制約や誘因の安定的な集合体なのだ.文化心理アプローチではヒトの文化特異的な心理や行動を社会的ニッチへの適応として分析する.
- 現在の社会的ニッチつまりECAへの適応は社会的に賢い行動(生存や繁殖という適応度を高める行動)として表れる.制度アプローチの核は何がある行動を社会的に賢いものにするのか(適応価を上げるのか)を分析することだ.そして適応価はその行動に対する他者の行動に左右される.
- 私は文化心理学に,進化心理学で用いられているリバース・エンジニアリングの手法を導入した.それはまず,素朴な観察者にはその適応価が明らかでないようなヒトの行動や認知的傾向の特定から始まる.
- ここで,例として私自身の一般的信頼の日米比較の研究を紹介しよう.アンケート調査によると,一般的に集団主義的だと思われている日本人の方が,見知らぬ人を信頼せず,協力もしないことが明らかになった.これをリバース・エンジニアリングの点から一般的信頼の高低がどのような社会的環境で適応的になるのかを明らかにしようとした.その結論は集団主義的なECAは強固な個人的つながりの範囲を超えて信頼が発達し拡張するのを妨げるというものだった.
- 集団主義社会においては,社会秩序の維持は強固な個人的つながりによる相互監視と相互統制によってなされるのだ.私はこのような社会を「安心社会」と名づけた.このような社会ではただ乗り発覚のリスクが高く他者が裏切らないことを確信できるために,他者の信頼性を評価しようという誘因がなくなり,その結果一般的信頼が不要になる.そして社会的相互作用を強固なネットワークの中だけで行うようになり,外側の他者に対しては安心を失い協力できなくなる.
- こうした集団主義的社会を構築し維持する根本的な原動力は,公正で効果的な法体系の欠如だ.法体系がないと社会は緊密な人間関係の中で互いに監視制裁するシステムによって構築され維持される.このようなECAは(公正で効果的な法体系のあるECAよりも)EEAに似ているだろう.これは集団主義的な文化の特徴としてこれまで考えられてきた行動傾向や心理が,普遍的なヒトの適応を反映していることを意味している.私は自分の評判に敏感であることが集団主義的文化に特有な心理的機能の核であると考えている.
- 現在(日本を含む)東アジアの社会の集団主義的性質は,法体系を基礎にする社会に急速に転換しようとしている.このような社会の変化はそれぞれの社会で異なる形で推移している.私の現在の興味は東アジアの異なる社会間での変化の違いが心理的機能にどう影響するのかを明らかにすることにある.例えば中国の「グアンシイ」と日本の集団志向的心理にはいくつかの重要な違い(例えば中国の方が,「自分は信頼できる」というシグナルをより積極的に発信する)があることが明らかになっている.
- もう1つの私の興味は,EEAに起源を持つ心理がどのようにしてECAの形成やそれに伴う現代社会での知覚,認知,行動上の奇妙な特性の形成に寄与しているのかを明らかにすることだ.
山岸のアプローチの姿勢が明確に説明され,有名な安心社会と信頼社会の知見についてもコンパクトで見事な解説がある.また集団主義社会の方が,EEAに似ているだろうという指摘は面白い.
将来的なテーマとして挙げられているものも興味深いものだ.同じ公正で効果的な法がない世界でも,日本のような集団主義的な社会になるのとアメリカ南部のように自力救済的な社会になることの差はどこから来るのだろうか.
山岸の本
安心社会と信頼社会についての本
- 作者: 山岸俊男
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同じテーマで一般向けに書き下ろされたもの
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長谷川眞理子との対談集 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170115/1484477256
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