大会初日 12月1日 その2
ポスター発表
招待講演のあとはポスター発表.おもしろかったものをいくつか紹介しよう
(非)言語行動から言語進化に迫る:ウェブカメラの映像を用いた探索的観察 森田理仁
ニューヨークタイムズスクエアの定点カメラでとらえられた二人組で並んで座った人々の観察をまとめたもの.だいたい半分ぐらいでジェスチャーがみられ,3割ほど身体接触,同じく3割ほどで体を向ける行動がある.ジェスチャーは40代より50代以上の方が増え,身体接触は異性ペアの方が多いそうだ.まあ,そうなんだろうなという感じだが,基礎データとして価値がありそうだ.
日本にはこのようなちょうどいい公的な設置カメラが見つけられなかったとのことだった.
声は向社会性のシグナルになるか 徳増雄大
男性の方が声が低いが,この性差は霊長類の中では突出して大きいそうだ.これは女性から魅力があるとされるが,向社会性が低いという印象を与えているとされている.ここではこれからこの結果を追試し,さらに,この低い声は地位追求のためではないかという仮説を検証したいとのこと.
この性差が霊長類の中でも大きいのだとは知らなかった.これは基本的に体の大きさのインデックスから,女性にもてるため,あるいは男性間の競争で優位に立つために(テストステロンなどの)コストを伴うシグナルになったということではないのだろうか.性淘汰シグナルなので女性からは魅力があり,種間ではばらついているという説明が可能なように思う.向社会的でないと思われるのは,より身体が大きい人はより約束に縛られる必要がないので,ある意味当然で,一種のトレードオフなのではないかと思う.いずれにしてもきちんと調べるところとしてはとてもおもしろい視点だと思う.
「道徳的な」主張の強さは他者の存在に影響されるのか? 和田脩平
コストのかかる信号としての主張の強さを測定する 小田亮
(二つあわせて昨年のポスター発表の延長)道徳的主張について「あなたはどのぐらいこのことを強く主張したいですか」ということを調べるために,単に7スケールでアンケートするのではなく,その強さに応じてマークシートを塗りつぶしてもらう(ここに主張に対するコストをかけて測定精度を上げる)という手法に関する発表.
アンケート調査と塗りつぶし調査では確かに解答傾向に差があり(小田)この測定法方の有効性を示しているように思われる.一方この塗りつぶし個数は他者により参照可能だと教示するとこの効果が消えてしまったという報告(和田)があり,発表者は,少数意見だと知られると不利になることを恐れる心理が効いているのではないかとしていたが,なかなか解釈が難しいところのように思われる.
性的画像に対するモチベーションにおける性差の検討 小林麻衣子
ネットのペイパービューで性的とカテゴライズされている画像と非性的とされている画像の中から,男性の画像,女性の画像,カップルの画像を被験者に提示する.デフォルトの提示秒数を縮めたり伸ばしたりしたいときにはキーを叩き続けることで可能になるようにして.それぞれの画像への好みを測定したもの.実際に使われた画像はかなり境界線上のもの(非性的画像といっても上半身の裸体だったりする)が選ばれている.
男性被験者は女性の性的画像を長く見ようとキーを叩くが,それ以外にはあまり興味を示さない.女性の被験者は男性の画像に対して,性的なものはむしろ早く画面から消そうとし,非性的なものを長く見ようとする,また女性被験者はカップルの非性的写真を長く見ようとするという結果が得られている.男性は女性の性的画像を好み,女性は男性の性的画像をむしろ嫌がるというのは,ある意味予想通りで,配偶選好の性差が面白い形でとらえられているように思われる.
涙もろさの経年変化 岸本健
質問紙を用いて様々な年代の男女の涙もろさを測定してみたというもの.男性の涙もろさは20歳頃最低になり,その後上昇するが,女性にはこの傾向が見られない.これは男性間の配偶競争で涙もろさが不利になるからではないかと解釈されていた.
しかし涙もろいと男性間で不利になるのだろうか.というより女性から守護者としての資質を疑われるのではないかと恐れて,質問紙には素直に答えていないのではないかという疑問が残るように思う.本当に20歳頃に涙もろさが減少し,その後上昇するのか確かめてみると面白いだろう.
初期国家と戦争:弥生時代と古墳時代を例に 中尾央
(SNS等で言及して欲しくないマークが付されているので,公開されている要旨の範囲内で紹介)
弥生時代と古墳時代の受傷人骨比率を比較した結果,受傷人骨比率は弥生時代から古墳時代にかけて大きく減少していたというもの.
中尾はピンカーの『暴力の人類史』で示された,狩猟採集時代は近隣部族との暴力抗争の頻度が高く,農業革命後国家が成立するようになると暴力の頻度は減少したという議論を日本のデータではどうなるか調べた結果,縄文時代にはピンカーの推測より大幅に低く,弥生時代になってむしろ上昇しているという指摘を行っていたが,これはそれを古墳時代まで延長したもの.この2時代の比較ではまさにピンカーの議論通りになっているという印象.なお中尾自身はそういう結論についてはなお留保しているようだ.
コストのかかる旗としての道徳(3):頑固な態度は進化するか 平石界
平石による「内部コーディネイト機能を持つコストリーシグナル」としての道徳を説明する興味深い進化シミュレーションの続報.今回は頑固さ(説得されにくさ)を導入するとどうなるか.
基本的にはある程度の頑固さがあっても議論収束の可能性が残るという結果が示されていたが,細部はなかなか難しい.また頑固さ自体の進化は扱われていない.まだまだ途中の段階でさらにブラッシュアップされていくのだろう.さらなる進展を期待したい.
山岸先生追悼企画
本学会創設時からの中心メンバーであった社会心理学者山岸俊男先生が本年5月に逝去されたことから追悼企画が設営された.最初は追悼スライドの上演.
- 1948年名古屋生まれ,一橋大学からワシントン大学に進み,そこで博士号を取得,その後北海道大学,ワシントン大学,また北海道大学に在籍し,2012年に退官.その後玉川大学その他の研究機関において研究を続けていた.多くの著作や論文のスライドも挟み込まれていた.
続いて近年の研究が紹介された.紹介者は最後の弟子の一人である李楊(Yang Li).
山岸先生の研究を振り返って:近年の研究を中心に 李楊
<著作等身>
- 先生をもっともよく表す言葉は「著作等身」という言葉だと思う.これはタイポではない.この四字熟語は書き上げた著作を積み上げればその人の身長ほど積み上がるという意味だ.主な単著だけで16冊,編著共著書が76冊,これに数多くの論文が積み上がる.
- 先生の興味の中心は「ホッブス秩序の問題」だった.利己的である個人がどうやって社会を作っているのか.しばしば「個と全体の調和」として説明されるがそれはうさんくさい.これを進化ゲーム理論のマイクロマクロからアプローチしよう,つまりヒトの心や情動が社会のマクロの構造を作るという説明を行おうとしたのだ.
- (大きな樹形図を示して)これが先生の興味の全体像を示したものだ.大きな枝の一つが社会的ジレンマや協力性や内集団ひいきの問題で,もう一つの大きな枝は制度や文化,そして文化差や信頼の構造ということになる.
<エピソード1>
- 私と先生の出会いは私が北大に交換留学生としてやってきた2006年だ.そこで社会心理学の講義を受けその面白さに引かれ,結局2008年から留学して研究の道に進むことになった.
- 山岸先生は,一言でいって超人だ.毎週のゼミは金曜の朝から始まるが,夜になり,土曜の朝に再開し,また夜になり,さらに日曜もやるという3日間ぶっ続けというのが普通だった.
- ご本人のスタイルは毎日朝8時から夜10時まで,それを土日なしでずーっと続ける.妥協しない.原稿でもスライドでも最後まで手を入れる.せっかちで待つのは嫌いだった.
- 指導を受ける学生にとっても,学会発表などで援護してくれるどころか背中からキヤノン砲を打たれることもしばしばだった.「それはおかしいでしょう」といわれると冷や汗がでるし,「それはおもしろいね」といわれるととても嬉しかった.
- よく言われたのが「セルフハンディキャップだけはやってはいけない」ということだった.これは自分でこれはできないとやることの範囲を狭めるなという意味だ.当たって砕けろといってもいい.
<近年の業績>
- 2012年に北大を退官した後の研究を紹介したい.
- 当時アームチェア心理学者になるかななどといっていたが大嘘で玉川大学に研究室を作り,科研S「向社会行動の心理神経基盤と制度的基盤の解明」をとってバリバリ研究を始めた.ヒトの利他性,さらにニッチ構築,そしてホッブスの秩序問題に跳ね返ってくる大きなテーマだ.
- この向社会性プロジェクトは非学生600人を集めてデータを取るという大がかりなもので,様々な経済ゲーム,認知スタイル,個人特性,MRI,遺伝子などのデータを解析する.
- で,ここまでになにがわかってきたのか.
- 利己的に振る舞うヒトには大きく2つのタイプがある.(あとで詳しく解説する)
- 自動性と行動コントロールについての一連の知見.(これもあとで詳しく解説する)
- 利他罰には,ほかの利他行動と大きく異なり,利他的な動機によるものと報復的な動機によるものがある.
- 道徳的に振る舞うかどうかはコストに影響される.
- 年齢が上がると向社会行動は上昇する.
<利己性の2タイプ>
- 利己的なヒトの2タイプについては2014年に「In Search of Homo Economicus」という論文を出している.
- 自己報告で非協力的とする人が実際にはどう行動しているか.非協力者がみな合理的に利益を追求するのか.
- これを順序付き囚人ジレンマの後手,独裁者ゲーム(双方とも自分の決定だけで利得が定まるもの)により調べた.すると自己利益追求的行動を行うものが15%ぐらい出現した.完全に合理的に自己利益追求するHomo Economicusタイプが7%,時々微妙に協力するQuasi Homo Economicusタイプが8%ほどだ.このどちらのタイプも自己報告では利己的な傾向を示す.他者の搾取を問題ないと思い,サイコパス傾向が高い.しかしこの2タイプには異なる点がある.
- Homo Economicusは高IQで,長期志向,社会階層が高く,実際に成功していて若い.いわゆるエリート層のイメージに近い.
- Quasi Homo Economicusは低信頼,低協調性,高神経性,低共感,高衝動性を示す.いわゆる残念な人たちだ.
<利他行動は自動的か熟慮か>
- 自動性と行動コントロールについて.これは利他的行動は直感的な素速い行動か,それとも熟慮の上の行動かという論争に関連する.この両者は論争を続けていてそれぞれによいエビデンスがある.認知的負荷をかけると利他性が増える(直感説)一方利他行動時の脳活性領域は自己コントロールの活性領域と相関している(熟慮説).
- これを山岸はそもそもその人が持つ向社会性によって異なるのではないかと考えて検証した.被験者の価値志向性を測定し4タイプに分ける.その上で4タイプごとに制限時間を変化させて利他行動の反応時間(囚人ジレンマゲームなどの意思決定時間)を測定した.
- すると一貫して向社会的なタイプの人は時間をかけるほど協力が減り,一貫して利己的な人は時間をかけるほど協力が増えた.(ある程度時間をかけるとこの両タイプの協力割合は同じ程度になる)つまり速い決断にはその人の持つ傾向が素直に現れ,時間をかけると,背景のインセンティブ構造の理解(向社会的な人の場合),承認欲求(利己的な人の場合)などを考慮して決めているのだ.
<エピソード2>
- 2012年の退官時には私はD2だった.話があると高級寿司屋に連れて行かれて,美味しくいただいていたら,東京に移ることになったと切り出されて,そのあと寿司の味がしなくなったのを覚えている.結局ついて行くことにして私も玉川大学の研究室に通うことになった.
- 玉川で神経基盤も扱うということになったが,それは流行に乗っかるのではなく,「ニューロサイエンスは社会科学の鞭になる」つまり,これまでの理論や方法が新しい知見に耐えられるかどうかが試されるのだとコメントされていたのが印象的だった.
- 4人きりのラボで,北大の時よりずっと近くで先生に接することになった.いつもランチは冷凍肉まんですませているが,本来とてもグルメで打ち上げは焼き肉.とにかく肉で野菜を頼むといやな顔をされた.論文は10本ほど同時に回されていて,時々こんがらかっているようだったが,行き詰まると別の論文に移ることができるとコメントされていた.
- 2016年に病気が発覚したが,そこからだけでも論文を15本出している.最後まで新しい実験デザインの話をしていた.ずっとやりたかった大規模実験で,今まさに着手しているが,天上で自分が扱えないことを悔しがっていると思う.「山岸死すとも研究は死なず」ということだと思う.みなさまも是非たくさん先生の論文を引用し,議論し,批判してください.
愛弟子からのリスペクトのこもった業績紹介だった.続いて長谷川真理子会長からもお言葉.
山岸先生と人間行動進化学会 長谷川眞理子
- 夫の寿一は山岸先生と1992年頃に出会って意気投合していたが,私自身の先生との最初の出会いは1995年だった.
- 八王子セミナーハウスでの泊まり込みセミナーで「進化とゲーム理論」をやった時にお呼びした.その当時はまだ進化的な視点にはぴんときていなかった様子で,バリバリの社会心理学者という印象だった.「社会心理学は,個々人ではなく集団に現れるものを研究するものだ」とコメントされていた.たとえば「当時日本の離婚率が急上昇している理由は何か.普通は経済情勢などを思い浮かべるが,実際にはちょうど子育てが終わった離婚適齢期に団塊の世代がさしかかったせいだ.このような集合的な現象を扱うのだ」という言い方だった.
- そのセミナーでは進化生物学的な考え方についてかなり否定的なコメントだったので,こっちも口をとんがらせて激しく議論したのを思い出す.しかしその後どんどん問題意識は共有化されていった.
- 1997年に人間進化行動学の研究会たち上げのための会合を目黒で開き始めた.たくさんの異分野の人を呼んでやった.経済学からは神取さんや西条さん,歴史学の本村さん,哲学の内井さんなど.しかしみなそのうちに離れていった.その中で山岸さんとその社会心理学派の人たちは残って中心メンバーになってくれた.
- 行動経済学の人たちは出てこなくなったし,文化人類学の人たちは未だに(進化的アプローチは)だめだ. もっとも関さんはずっと「進化なんか関係ねー」といっていたが,つい最近遺跡の話でヒトの進化も関係あるかもしれないなどとコメントしているのを見かけて,ちょっと「やった」と思っている.
- HBESJは1999年に第一回研究会,2008年に学会になった.それとは別に本家のHBESにはずいぶんご一緒した.おしゃれでグルメで研究については鋭い質問をされた.
- 1998年には私が当時ケンブリッジにいたときに我が家に泊まられた.明日発表があるというのに,延々とワインをあけて議論したのを思いだす.
- 2016年に対談本を出せた.これは2014年から2年かけて作り上げたものだ.まず延々と何時間もしゃべる.それを編集者が文字おこしして,編集して持ってくる,二人でそれぞれ推敲して,でも対談やり直しになって,また同じプロセスを繰り返してという過程を経たものだ.何時間もしゃべったあとに打ち上げと称していろいろなレストランにご一緒したが,さっき話があったとおりひたすら肉,肉で野菜を注文させてくれなかったのをよく覚えている.
- 病気が発覚してからも最後まで研究の話をされていた.このアイデア,そしてお弟子さんたち,みな次の時代につながっていくのだろう.
- 最後に一つだけとてもうらやましかったことがある.もちろん研究内容や実験デザインのすばらしさもうらやましかったが,何より先生は運営やアドミンの仕事にいっさい関わらなかった.それは若い頃から用意周到にタンクトップで学内をローラー走行などして変人ぶりを周りに印象づけ,「あんな奴に管理させたら大変だ」と周りに思いこませ,そのような仕事が降ってこないように準備していたということだ.頼まれるとほいほい受けてしまう私とは全然違っていて,それは本当にうらやましかった.
追悼企画にふさわしいいいお話だった.私自身は山岸先生との個人的な接点はなく,著作を読んだり,講演や学会発表を聞いたりさせていただいただけだが,その鋭い切り口のファンだった.きれいごとの説明の胡散臭さを見抜く眼力が特に際だっていたように思う.京都で開かれた国際大会のHBESでの発表に対して,著名な進化心理学者が「この発表の内容はこれまでの我々の思いこみと離れているので,単純に論評できないが,とにかく端倪すべからざるものだ」とコメントしていたのを思い出す.謹んでご冥福をお祈り申し上げたい.
関連書籍
話の中で出てきた対談本.確かにエキサイティングで胸をすくような話がいっぱい出てくる.2年もかけて完成させた本だとは知らなかった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170115/1484477256
以上で初日は終了だ.これは当日いただいた鰹の塩たたき