書評 「ダーウィンの呪い」

 
本書は千葉聡による「ダーウィンの自然淘汰理論」(特にそれが社会にどのような含意を持つかについての誤解や誤用)が人間社会に与えた負の側面(本書では「呪い」と呼ばれている)を描く一冊.当然ながら優生学が中心の話題になるが,それにとどまらず様々な問題を扱い,歴史的な掘り下げがある重厚な一冊になっている.
 
冒頭ではマスメディアがしばしばまき散らす「企業や大学はダーウィンが言うように競争原理の中でもまれるべきであり,変化に対応できないものは淘汰されるべきだ」という言説を,まさに「呪い」であると憂いている.そしてそれが「呪い」であるのは,「進歩せよ,闘いに勝て,そしてそれは自然から導かれた当然の規範である」というメッセージがあるからだと喝破している(それぞれ,「進化の呪い」「闘争の呪い」「ダーウィンの呪い」と名付けられている).
 

第1章 進化と進歩

 
第1章では「進化の呪い」が取り扱われる.(生物学的な)進化は進歩でも発展でもないことがまず説明される.そこからは用語をめぐる蘊蓄が解説され(「evolution」という言葉にはもともと展開するという意味であり,天文学では今でもそのような使い方がされる),古代ギリシアからハーバート・スペンサーまでの用語史が語られる.そしてダーウィンの「方向性のない進化」という考えの革新性が解説される.
そしてなぜ「進化の呪い」が生まれたかが考察される.それは「evolution」にはもともとそうした意味があったのであり,それが19世紀の欧米社会の世界観(進歩を善とする進歩主義でありかつ中産階級の競争による権力獲得を正当と考える)に合致していたからなのだ.
ここからはダーウィンと経済学のかかわり(アダム・スミスの影響ははっきりしないが,マルサスからは重要なヒントを得た),「方向性のない進化」は幸福な未来を保障せず,虚無をのぞき込むような恐ろしい世界観とつながるものであること(そして「進化の呪い」はそれを封印する護符だったかもしれないこと),総合説の簡単な解説,ダーウィンはヒトの道徳性も進化産物だと考えたこと(ダーウィンが関連して言及しているグループ淘汰についても触れている*1)などが解説されている.
 

第2章 美しい仮説と醜い事実

 
第2章は「闘争の呪い」がテーマになっている.ここでは特に「適者生存」とスペンサーの思想が詳しく取り上げられている.
まずダーウィンは「自然淘汰」を有用な性質を作り出す創造的なプロセスと捉えていたが,スペンサーは不適なものを取り除くプロセスとみていたことが強調される.だからスペンサーは「適者生存」という用語を提唱し,それに目的因的な用語を嫌ったウォレスがのってダーウィンが譲歩した(「種の起源」の初版には「適者生存」という用語はないが,第5版以降登場する)わけだが,これが後の大きな問題につながった(進歩主義が適者生存と結びついて闘争による社会の進歩,貧富の差,植民地支配の正当性を肯定する思想となった)とする.
ここからスペンサーの思想が詳しく解説されていてなかなか面白い.

  • そもそもスペンサーは進化についてラマルク的に捉え,「適者生存」は主に植物などあまり「進歩」していない生物に限られると考えていた.そして人間社会の進歩は各個人が努力して得た望ましい資質(競争は個人の向上心を刺激するという意味で意義があるとした)が代々遺伝して蓄積することにより生じると考えていた.
  • 彼の基本思想は理神論であり,自然法則を神の摂理と考えており,だから自然法則は道徳的であるはずであり,望ましい政策は自由放任主義ということになる.これは進歩史観,古典的自由主義,プロテスタントの労働倫理と調和的だった.
  • そしてスペンサーが植民地主義や人種差別を支持していたという事実はない.しかし彼の思想は後に植民地主義の正当化に利用されるようになり,19世紀末に自由主義の退潮とともに人気を失った.また彼の思想は(そのままではないが)近代日本の法制度や教育にも影響を与えている.

 

第3章 灰色人

 
第3章では「ダーウィンの呪い」,そしてダーウィンの考えがどのように社会に(歪んで)伝わっていったかが描かれる.章題の「灰色人」とはウェルズの「タイムマシン」の(初稿から削除された)人類が退行進化した未来の姿のことだ.
まず千葉はダーウィンの進化学説が科学界や一般社会にどのように受容されたのかを読み解いていく.ダーウィン以前にチェンバースの「痕跡」があり,生物が進歩的な変遷を経てきたものであるという説明がなされていた.ダーウィンの学説はこの生物の変遷について自然主義の立場から説得力ある説明をしたものと受け取られたが,方向性のない進化や自然淘汰についてはあまり浸透せず,学界ではむしろラマルク的な獲得形質の遺伝的な進化説が優勢だった.科学者たちは自説の正当化にダーウィンの名前を,つまり「ダーウィンの呪い」を利用したことになる(様々な例が具体的に挙げられている).
続いて千葉は「ダーウィンの呪い」の払拭に努めた人々も描いている.当初はハクスリーが,やや遅れてヴァイスマンが方向性のない進化と自然淘汰を強調した.千葉が特に詳しく紹介するのはレイ・ランケスターとH. G. ウェルズになる.ウェルズはハクスリーとランケスターに学び,「タイムマシン」で80万年後に人類がエロイとモーロック*2という変わり果てた姿をしており,3000万年後には絶滅している情景を描いた.千葉はこの小説を「ダーウィンの呪いを払いのけたものだが,同時に進化の呪いの元にある虚無の深遠をみせたもの」と評価している.そしてこの虚無は自然界の法則(方向性のない進化)が道徳や倫理と整合しないことからきているのだと指摘している.
 

第4章 強いものではなく助け合うもの

 
第3章で指摘された虚無の深遠に対して折り合いをつけようとする人はどうするのか.千葉はそれには2通りあり,ヒトの道徳や倫理は進化と独立だと考えるものと,進化論を拡大解釈して理想の実現に合致させようとするものだと指摘する.第4章では19世紀における前者の代表としてのハクスリーと後者の代表としてのクロポトキンが対比される.

  • ハクスリーは生物の進化を人間社会に当てはめてはならないと考え,クロポトキンは(酷寒の地の鳥類や哺乳類の群れの観察から)進化は相互扶助に向かって進むと考え(自然淘汰やグループ淘汰ではうまく説明できずにラマルク的な獲得形質の遺伝に傾いていた),そこから無政府主義を主張した.

ここから簡単な利他行動の進化学説(血縁淘汰,互恵利他)の解説があり,ヒトの道徳と倫理についてどこまで進化適応で説明できるかという問題をめぐる議論が概説されている.この部分ではさらに道徳的実在論,自然主義的誤謬,トロッコ問題などが解説され,様々な特徴の遺伝的基盤を探索する技術(GWAS)の発達と価値観を遺伝的に説明できるかという問題,そして遺伝子編集技術を用いた道徳的向上の試みの是非(後に優生学の歴史を見たあとさらに詳しく取り上げられる)という微妙な問題が考察されている.
 

第5章 実験の進化学

 
第5章と第6章では優生学がどのように現れ,第2次世界大戦前の社会に受け入れられていったのかをみる前の予習としてダーウィン以降の進化学説史が描かれている.まず第5章では学界が「獲得形質の遺伝」から「方向のない進化と自然淘汰」ヘ傾いていった歴史が描かれる.
冒頭ではヴァイスマン(自然淘汰派)とスペンサー(獲得形質遺伝派)の大論争が紹介されている.ヴァイスマンは体細胞系列から生殖細胞系列への情報の受け渡しがなさそうなこと,および有名なネズミの尾の実験から獲得形質の遺伝を強く否定した.これは強力な議論に思えるが,スペンサーはしぶとく食い下がる.論争の詳細は読み物として大変に面白い.
米国ではアガシの影響で獲得形質遺伝派が優勢(モースは例外)となり,ネオ・ラマルキズムの流れとなった.彼等は内的な力を重視して定向進化を主張した(代表者としてオズボーンの考えが詳しく紹介されている).彼等は獲得形質の遺伝を実証しようとコールドスプリング・ハーバー研究所を設立した.そこでダヴェンポートは統計学と形態計測を用いた定量的な研究を進めた.しかしながら実験は獲得形質の遺伝を否定し,ネオ・ラマルキズムは人気を失った.
20世紀に入るとメンデルの法則が再発見され,遺伝子の本体は何かの探求が始まった.ここではモーガン(突然変異の発見),ドブジャンスキー(生殖的隔離の遺伝的仕組みの説明,適応地形の提唱,遺伝的浮動への着目),シンプソン(化石の進化パターンを遺伝学的に説明するというアプローチの提唱,後の総合説のための地ならし)の業績が紹介されている.
 

第6章 われても末に

 
第6章では総合説への学説史が描かれる.冒頭ではゴルトンが登場し,彼の遺伝学と統計学の研究(後の行動遺伝学や集団遺伝学の嚆矢となる考え方,回帰概念の発見*3)が語られる.
続いてベイトソン(跳躍進化,後のメンデル派)とウェルドン(漸進的進化,後の生物測定学派)の大論争が描かれる.これも詳細は興味深い.

  • ウェルドンはピアソンと共同で研究し,ピアソンをゴルトンに引き合わせた.ここからピアソンは統計的仮説検定,相関分析,回帰分析,分布の当てはめなどの枠組みを組み上げ,現代統計学の創始者の1人となる.論争は激しかったがメンデルの法則の再発見後,跳躍進化派が巻き返し,ウェルドンが1906年に死去したのち,論争はメンデル派が優勢となる.
  • しかしその後彼等は同じ現象の違う側面をみていることを示す証拠が見つかり始める.エーレは複数の遺伝子座を想定したメンデル遺伝で連続的な形質が生じうることを示し,ヨハンセンは遺伝子と形の関係を遺伝子型,表現型という概念で整理した.
  • そしてロナルド・フィッシャーが1918年にこれらを統合し,メンデル遺伝が不連続形質から連続的形質まで説明できることを示した論文を発表する.さらにフィッシャーは自然淘汰の効果を定式化し,進化の一般モデルを作り上げた.これは量的遺伝学,集団遺伝学を導き,現代進化学の基礎となる.そしてこれを中核としドブジャンスキー,ホールデン,ハクスレーたちが成立させた体系が進化の総合説ということになる.

ここにいたって獲得形質の遺伝は完全に否定された.これをヒトに当てはめると「人々の努力が積み上がって進化を起こしユートピアに向かう」という幻想は打ち砕かれることになる.千葉はこれが「ならば自らの手で人類の進化を進歩に変えなければ」という虚無の深淵に潜む魔物を呼び出したのだと指摘する.
 

第7章 人類の輝かしい進歩

 
ここまでの前振りを受けていよいよ第7章から第10章までかけて優生学の歴史が語られる.冒頭では強制収容所のユダヤ人への強制不妊プログラムに加担した医師カール・ブラントがニュルンベルク裁判で「ナチス・ドイツの強制不妊プログラムと合憲判決が出ているアメリカのそれのどこが違うのか」と抗弁したという逸話が語られている.ナチス・ドイツはアメリカの優生政策を手本にし,それをユダヤ人差別に利用したのだ.ここから千葉はこの優生思想の歴史を語っている.ここは本書の白眉ということになるだろう.第7章は優生学の勃興期が扱われる.舞台は英国,主要登場人物はゴルトンとピアソンだ.

  • 優生学の大元はゴルトンの「人間の品種改良も可能なのでは」という着想だった.ゴルトンは優生学という用語を作り,人間の育種を目指して遺伝と進化を研究した.ゴルトンは当時の英国で下層階級の方が出生率が高いことを憂慮し,英国の質を劣化させないために人為淘汰をかけるべきたと考えた.そこには当時の英国中産階級の価値観が色濃く現れており,優良な家柄同士の結婚,出産の奨励という正の優生政策と,(常習犯,精神異常など)不良な人々の隔離と子孫を残すことの制限という負の優生政策が含まれていた.優良さの測定の試みは後のIQテストにつながった.
  • 20世紀に入ると優生学運動は急速に拡大した.ピアソンはゴルトンの創設した優生学記録局の後継者となり,遺伝的に国民を強化し,帝国を形成して英国を守ることこそ正義だと考えた.彼の優生学はより負の優生政策に傾いていた.彼はその目的遂行のためにデータの歪曲まで行っている.
  • ピアソンは学問の世界では権威だったが,政治家や事業家などとの関係作りには熱心でなかった.ゴルトンの死後,ゴルトンの残したもう1つの組織,優生教育学会(後の優生学会)はゴルトンの後継者としてダーウィンの息子レナード・ダーウィンを迎え入れた.

 

第8章 人間改良

 
千葉による優生学の歴史,第8章では英国における興隆と衰退が描かれる.英国の優生学の焦点は階級問題だった.主要登場人物はダーウィンJr.,フィッシャー,キッド,ベイトソン,ウェッジウッドになる.

  • レナード・ダーウィンは方向性のない進化をよく理解しており,やはり下層階級の方が出生率が高いことを憂慮していた.そしてローマ帝国のような衰退を英国が避けたいなら人為淘汰が優先事項になると説いた.
  • フィッシャーの研究の目的の1つにも「人類の遺伝的改良」があった.彼は1911年にはメイナード・ケインズらとともにケンブリッジ優生学会を立ち上げている.フィッシャーの代表的著作は「自然淘汰の遺伝学的理論」だが,その後半(第8~12章)は荒唐無稽な優生学の怪文書になっており,今日では評価の対象外となり,ほとんど言及されない.フィッシャーは,階級間にある社会的成功と進化的(繁殖的)成功の負の相関を,上位階級(ダーウィンJr.と異なり富裕層ではなく知的階級を指していた)ほど結婚に慎重で子供に養育費をかけようとするからだとし,文明衰退論と結びつけた.そして上位階級の出生率を高める正の優生政策を強調したが,精神・肉体に遺伝的な問題がある場合の同意を得た上での不妊手術も提案している.
  • 英国の優生学は1910年代後半には下り坂に入る.最初の批判者はベンジャミン・キッドだった.キッドは当初は「社会進化論」を唱えたが,後に思索を重ねて考えを改めた.キッドは適者生存を社会に当てはめることを厳しく批判し,優生学は異端審問への道だとし,人種差別と帝国主義を断罪した.またベイトソンもやはり当初は優生学を支持していたが,後に考えを改め,優生学は発見された力を利用しようとする試みだが,知識はわずかで応用の段階ではなく,その管理制度は厄災を産むと批判した.
  • 優生政策は福祉予算を削減でき,社会問題への不作為を合理的だと説明できるので政府当局にとって好都合だった.また結婚の選択,健康な子供を増やせるということで女性の権利行動運動とも結びついた.そして1910年代初めに英国の政治において非常に優勢になった.
  • ここで1912年に提出された強制不妊手術を含む優生法案に断固として反対したのがジョサイア・ウェッジウッド4世だった.ウェッジウッドは,優生学の試みが労働者階級を家畜のように育種しようとする恐ろしい試みであること,知られている遺伝の法則があまりに不確実であること,欠陥の有無の判定が権力者の恣意で決まる危険性があること,強制手術が個人の自由に対する脅威であることを理由に絶対反対の論陣を張った.彼は議場で150回以上の演説を行い,声がでなくなるまで頑張った.多くの議員が態度を変え,法案の制定は実質的に阻止された(最終的に強制手術の項目を削除し,心神耗弱者の隔離のみになった法案は可決された)
  • ホールデンやハクスリーも優生学の人種差別的要素を厳しく批判するようになった.欠陥の認定が恣意的になされる危険性が喚起され,有害劣性の遺伝子の除去に膨大な世代数が必要であることも知られるようになり,優生学の人気は下降した.ピアソンやフィッシャーはもともと政治とは距離を置いていた.英国には政財官学を束ねる科学権力者がいなかったこともあり,1920年以降英国の優生学運動は衰退した.

 

第9章 やさしい科学

 
第9章では英国に代わって優生学が盛んになったアメリカの歴史が語られる.米国では優生学の焦点が人種になる.

  • 米国の優生学運動は魚類学者のジョーダンがまず1900年代に優生学を布教した.当初からこの優生学は人種差別的で負の優生政策を主張するものだった.
  • これに続いたのがダヴェンポートだ.ダヴェンポートは強引で不適切な定量化と統計解析により偏見を正当化した.彼は北欧系に比べてイタリア系やユダヤ系は劣っていると決めつけ,そのような遺伝子を除去すべきだと主張した.この粗雑な主張は派手で説得力があり,経済界や政界に大きな影響力を持ち,優生学は社会運動へと発展した.彼の定めた優生学綱領には後のナチスの政策のあらゆる要素と原型が認められる.ダヴェンポートの片腕であるラフリンは政策化を強力に推進し,1920年代には強制不妊手術が実施されるようになった.
  • 北欧系白人至上主義はネオ・ラマルキズムから派生した定向進化説と特に相性が良かった.オズボーンはダヴェンポートとともに優生学運動の中核を担い,人類は北方ユーラシアの過酷な自然環境で暮らし,それを努力で克服していくうちに知性と能力を獲得したと主張し,それを古生物学で裏付けようとした.有名なモンゴル探検隊はこの試みの一環だ*4
  • 動物学者で自然保護活動家のマディソン・グラントも優生学運動を推し進めた.彼は野生動物管理と生態系保全の原理を人類にも適用し,人口の増えすぎを抑えるため脆弱な個体を排除する必要があると主張した.
  • 遺伝学者のモーガンは一貫して優生学に否定的だった.モーガンは,ダヴェンポートの主張する形質と遺伝子の関係があまりに単純すぎること.彼等が不適格とみなす形質が表現型として定義できないものであること,そして遺伝学の知識は人間に応用できるような段階にはないことを指摘して厳しく批判した.またボアズはヒトの精神活動や社会性を生物学に還元することを批判し,北方人種優越論は戯言だと断じた.
  • しかしこのような批判は政財官学の砦に陣取った優生学推進者を鈍らせることはなく,この野蛮な試みは科学による正当化と善意により推し進められていった.
  • そしてダヴェンポートとラフリンはヒトラーに大きな影響を与え,1930年代にドイツでナチスの優生政策が推し進められることになる.ナチスは強制不妊手術に続き,安楽死プログラムまで突き進み,ホロコーストを引き起こした.アメリカの優生学支持者は当初ナチスの政策を歓迎したが,1930年代後半にはこの過激化とユダヤ人迫害を前に我に返り,ナチスと距離をとり始める.

 

第10章 悪魔の目覚め

 
千葉はこのような優生学運動について,それを特定の個人に帰するべきではなく,思想が科学者を宿主にして科学を武器に利用したものだとみるべきだと主張する*5.そして優生学的な思想のゴルトン以前の歴史,およびナチス後の歴史を語る.

  • 優生学的思想は古代ギリシアで猛威を振るっていた.プラトンは厳格に人間の繁殖を管理する社会を理想としている.アリストテレスも(プラトンよりマイルドだが)似たような優生政策をよしとしていた.そしてスパルタでは優秀な戦士を得るための優生政策が実行されていた.古代ローマ時代のゲルマニアでも戦士強化を目的にした優生政策が見られる.
  • それ以降優生政策が実施された記録は途絶えるが,思想は生き続けていた.そしてそれを甦らせたのはゴルトンの「正義感」だったのだ.正義に対比して科学の真偽は利用さえできれば大した問題ではなかったのだろう.これが「ダーウィンの呪い」である.
  • ナチスの崩壊とともに魔物は去ったように見えるが決して消滅したわけではない.ホールデン,ハクスレー,ドブジャンスキーたち*6が1939年に起草した「遺伝学者声明」では,世界の人間集団を改善するという目標に対して人種的偏見は害でしかなく,階級の障壁を排して平等な機会を与えることが重要だと指摘しているが,一方でこの目標に対して何らかの自発的な淘汰の誘導が必要だとも説いている.彼等は優生学自体を捨ててはいないのだ.
  • ナチスの崩壊以降,優生学は科学研究の対象とは認めがたいとされるようになった.しかし政策はしばらく世界各地に残存した(日本でも1948年に制定された優生保護法に強制不妊手術の条項があり,25,000人が不妊化されたとされている).
  • 1950~60年代にマラーは「優秀な精子」を精子バンクに保管し,活用することで進める優生政策を提案し,これを痛烈に批判するドブジャンスキーとの間で大論争が起こった.ドブジャンスキーは超優性が一般的と考え,豊富な多型を含む集団の方が進化的に望ましいと主張した.しかしドブジャンスキーも優生政策を捨てたわけではなかった.これは支持する進化仮説の違いに基づく論争に過ぎなかった.(超優性の一般性の他,核実験による突然変異の増加が適応度を下げるのか上げるのか,階級間の移動が遺伝的性質の進化的向上に有効かなども論点となっていたことが解説されている)
  • 1970年代以降進化学者や遺伝学者は「優生学」という用語を避けるようになった.しかしそれは消え去ったわけではなく,見えなくなっただけだ.(社会生物学論争が燃え上がった原因の1つに優生学への懸念があったことが触れられている*7

 

第11章 自由と正義のパラドクス

 
第11章では第7~10章までの優生学の歴史を眺めて,悪への滑落がどのようにして起こったのかが改めて考察されている.
千葉は優生学運動は一般的には右派の反動的勢力によるもの,そしてナチスの疑似科学によるものと捉えられることが多いが,実際には当時のリベラルで進歩的で道徳意識の高い人々によって推進され,ヒトラーが信じた進化学説もピアソンのそれと大差ないことをまず押さえる.
そして優生学の問題を整理する.それは(特に負の優生政策は)まず人権と自由の侵害であること,そしてヒト集団の進化的改良という目的が不適切であること(特に「善」と生物学的な「適」と同じに扱うこと)だとする.
ここで千葉はクーベルタンによる近代オリンピック創設はフランス人の進化的向上を図るラマルク的な優生学運動の一環だったことを語る.そして起源がそうだからといって現代のオリンピックを批判するのは筋違いであること,同じように過去の進化学者が優生学を推進したからといって現代の進化学を批判するのも筋違いであることを指摘し,しかし進化学を追求するもの,語るものはその影とリスクを重荷として背負い続ける義務を持つのだと主張している.
 

第12章 無限の姿

 
最終第12章は現代に現れた優生学の影,遺伝的強化とトランスヒューマニズムが扱われる.千葉は学問の世界から「優生学」が消えた1980年代からあとの遺伝的強化の技術革新とその使用の是非をめぐる議論の歴史をまず描き,そこから思索に沈んでいる.

  • 1980年代に遺伝子組み換え技術が実用化した.当時の議論はどのような場合にそれをヒトに利用することが許されるかをめぐってなされた.焦点は生殖細胞系列の組み替えの是非,治療ならそれも許されるとするなら治療と強化がわけられるのかという点だった.ここでは,一次財*8なら生殖細胞系列の強化も許されるという主張もなされたし,これに対する批判も強かった.
  • 21世紀になると子供の遺伝的性質を強化するかどうかは子供の人生をよくしたいという親の自由であるべきだというリバタリアンの主張が広がった.現在のところ,生殖細胞系列の遺伝子改変は原則禁止し重篤な遺伝病の治療の場合に限定しようという考え方が一般的だが,片方で遺伝子編集の技術革新もあり,議論の焦点は許容される条件や目的に移っている.
  • 上記リバタリアンの主張は,目的が人間集団の改変ではなく子供の幸福を望む親の願い,つまり個人の資質向上と幸福であるところがかつての優生学運動と決定的に異なっている.
  • これに対しては知見の不足,未知の危険を指摘する批判がまずある.そしてさらに親子の価値観が同一とは限らない,富裕階層がより能力を強化することで格差拡大や社会の分断につながる,目的はどうあれ(孫以降の世代の幸福まで考えると)結果は優生学とほとんど変わらないのではないかという批判がなされている.

ここまで整理した上で千葉は「世代を超えた(つまり生殖細胞系列の)遺伝的強化は個人の選択であるとしても支持しない」と立場をはっきりさせている.そして理由を整理する.

  • 生殖細胞系列の遺伝的強化は個人の選択であるとしても,その選択の総体として自滅的な優生学化が進む恐れがある.その結果は人々の未来が遺伝的に閉ざされたカースト社会になるかもしれない.
  • 環境要因との相互作用や遺伝子制御ネットワークは複雑で,遺伝的強化により狙い通りの効果を得るのは不可能かもしれない.そして未知のリスクがあった場合に生殖細胞系列を改変してしまっていると修復不可能になるかもしれない.不可逆な操作は避けた方がよい.

このあと千葉は道徳(価値観)と自然主義的誤謬をテーマに思索に沈んでいる.ここでは,道徳と進化,文化進化,ポパーとデネット,道徳性の多面性,強い道徳意識が反道徳的な結果に結びつきうること,AIの道徳判断の可能性,スーザン・ウルフによる「最高の道徳的聖人は道徳的ではない」ことの論証,などと話が次々に飛んでなかなか難解だが,今の千葉の偽らざる思いなのだろう.そして最後に人間の美しさ,素晴らしさは渾沌としたまま果てしなく広がり進化していく無限の可能性にあるのではないかとコメントして本書を終えている.
 
以上が本書の内容になる.ヒトに生物学を当てはめようとする試みは今でもしばしば反発され,そこではしばしば「そういうのは優生学につながりかねない」という言い方がなされる.コンシリエンスを目指すものからみると,そこに論理的必然はなく,いかにも理不尽な言いがかりに思えるが,本書はそこを正面から扱った力作ということになる.そして単に誤解だとか過去の政治家や学者の不見識のなせる問題だと切り捨てるのではなく,ここには何らかの社会的理想を持つものには滑落が生じやすいというリスクがあるのであり,生物学を扱うものはこのリスクと責任を自覚すべきだと説いていることになる.
そして本書の魅力はそれを歴史から語っていることだろう.特に第7章から第9章にわたる優生学の歴史は圧巻だ.所々のエピソードについては読んだり聞いたりしたことのあるものもあるが,それがまとめられていることにより全体の流れが俯瞰できる.そこでは当時の著名な遺伝学者の多くがかなり肯定的に優生学を捉えていた姿が浮かび上がる.大きな構図としては,(最新の科学による知見から考えると)このまま放置すれば自国や人類に厄災が降りかかると信じたことから始まり,それを(やはり最新の科学の知見を使って)なんとかしたいという善意があり,それに政治がからむことにより,様々な偏見や歪んだ意図が加わり,目的のためには何でも使う「ダーウィンの呪い」につながっているということになる.
そしてそれは現代の遺伝子編集技術をどこまでヒトに用いるかという問題につながる.第12章は基本的に千葉の価値観に従って議論されているので,その是非については様々な意見がありうるだろう.千葉の結論は,不可逆な操作には慎重さが望まれるという点と,望ましい人類集団の形質は可能性の高さ(つまり多様性)ではないかという点によっている.それに賛成するかどうかは各読者がそれぞれ判断していくべきだろうが,少なくとも優生学の歴史と教訓を踏まえてほしいというのが千葉の真意なのだろう.重厚な一冊だ.


 
関連書籍
 
千葉の著作.最近次々に素晴らしい著作を送り出しており喜ばしい.さらに書いてくれることを期待したい.
 
著者の専門であるカタツムリを題材にした一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170719/1500417023

 
最近文庫化されたようだ.

 
千葉が出会ってきた様々な研究者の研究物語風エッセイ.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/03/10/201021


 
天敵を利用した生物的防除の歴史を扱う大作.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/04/06/173228

*1:整理されたマルチレベル淘汰は最近では理論として認められているが,現在でもその有用性については議論があるとまとめられている

*2:エロイは貴族階級が適応進化した子供のようなひ弱な生物,モーロックは労働者階級が適応進化した地下性の凶暴な生物として描かれている

*3:ゴルトンは遺伝に回帰現象が存在することから自然淘汰に懐疑的になったそうだ

*4:オズボーンは(後に捏造が判明する)ピルトダウン人化石にも飛びついたことが解説されている

*5:ちょっとミーム的で面白い表現だ

*6:フィッシャーは加わっていない.彼はこれ以降も優生学については一切言及していないそうだ

*7:なお千葉は最後に「なお『社会生物学』で試みた道徳と生物学の統合というウィルソンの挑戦は,後のハイトによる道徳の進化的起源の主張に結びつき,その流れは現在の進化心理学に受け継がれている」と書いている.ウィルソンの主張が進化心理学への流れにつながっているのは確かだが,ハイトの道徳基礎仮説の主張は進化心理学が確立した後に(あまり進化心理学の影響を受けることなく)なされたものと考えるべきだろう

*8:ロールズの提唱した概念で,権利,自由,機会平等,収入と富,健康,知性など善悪と無関係に重視すべきものと説明されている