書評 「逆転の大戦争史」

逆転の大戦争史 (文春e-book)

逆転の大戦争史 (文春e-book)

  • 作者: オーナ・ハサウェイ,スコット・シャピーロ,船橋洋一・解説
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2018/10/12
  • メディア: Kindle版
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本書は法学者であるオーナ・ハサウェイとスコット・シャピーロによる,なぜ第二次世界大戦後主要国同士の大きな戦争が激減したのかについて法政治思想史的に解明しようというテーマの本になる.
この第二次世界大戦後の戦争激減(暴力減少)について,ピンカーは「The Better Angels of Our Nature」(邦題「暴力の人類史」)において「長い平和」と名づけ,それを可能にした要因を民主制,国際貿易,国際機関に求め,さらにそうなった要因についてモラルの輪の拡大と歴史に学ぶ態度だと位置づけている.著者たちは,このピンカーの議論は国際法体系,および法思想的な視点が希薄だと考えて本書を執筆したということになる.著者たちは国際法の体系の大転換が非常に重要だと本書で主張する.この大転換を推し進めたのが戦争の違法化を実現させるために奔走した「国際主義者」たちであり,本書の原題は彼等とその努力を示す「The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World」となっている.*1


本書は序章で1928年のパリ不戦条約調印式の様子が描かれる.この大転換の最大の転機は実はパリ不戦条約の締結だというのだ.予備知識なしに本書を読み始めるとここは意表を突かれる.世界史を学ぶと,第一次世界大戦の後,欧州で平和を求める動きがあったと解説され,それを表す出来事としては,ワシントン軍縮会議(1922),パリ不戦条約(1928),ロンドン軍縮会議(1930)が並べられることが多いだろう.そして軍縮会議とその結果に対する日独の不満が解説される.ここで間に入った不戦条約についてはお花畑の理想論を条約にしたが,結局何の効果もなかったかのような印象が強いだろう.しかし著者たちはこれこそが国際法の大転換を引き起こし,1945年以降の世界を大きく平和に向けて前進させた重要な出来事だというのだ.
著者たちはそれまでの国際法の体系はグロティウスにより組み立てられた体系で,それは戦争自体を政策遂行の手段として認めており,第一次世界大戦のような主要国同士の戦争を防げないものだったが,1928年の不戦条約で戦争が違法化され,第二次世界大戦後,連合国(そのまま国連となる)が(この条約を破った)枢軸国に対する措置の考え方の基礎として不戦条約を用いたことにより新たな国際法体系に移行したとするのだ.

本書は,ここから国際法の大転換について,旧世界秩序,移行期,新世界秩序という3部構成で説明していく.どのようにこの大転換がなったのかを旧世界秩序を元に行動する「干渉主義者」と新世界秩序を推進する「国際主義者」たちのせめぎ合いに焦点を合わせて書かれていて物語としても大変面白い.ここでは法体系の考え方を中心にレビューしていこう.
 

第1部 旧世界秩序

 
旧世界秩序を国際法体系として確立したのは国際法の父とされるオランダ人フーゴー・グロティウスになる.彼は一般的には自然法を基礎として国家間の戦争と平和の法体系を提案した人物として知られており,浄化戦争の否定,残虐行為の禁止などの考え方が代表的なものとして紹介される.しかし著者たちによるとグロティウスの論考はそもそもシンガポールでポルトガル船を襲撃したオランダ船隊の戦利品の権利を(海賊行為ではなく正当な行動の結果だとして)擁護しようとして始まったということになる(当時オランダはスペインと交戦状態にあったが,ポルトガルとはそういう関係にはなかった).そしてグロティウスの考察は長い年月をかけて以下のように展開し,それは安心して戦争ができる世界を築き上げた.

  • 戦争は権利の侵害を防ぐ,あるいは権利の侵害からの救済するために道徳的に容認できる手段だ.これにより一国の司法権が及ばない場所では自らの権利のための戦争は合法と考えるべきことになる.
  • つまり戦争を起こす理由は訴訟を起こす理由と同じになる.そして殺人自体を目的にする浄化戦争は認められない.
  • そして戦争の機能は不正を正すことなので,戦争で強奪した財産は強奪者の所有物になる.
  • 本来これは正義のための戦争のみに認められるべきだが,司法権がない以上どちらが正しいかを決めることはできず,区別しようとするとすべての権利を法的に不安定にしてしまう.だから(商人の利益,そして貿易の利益を守るために)戦争における強奪物の所有権の移転は無制限に認められるべきだ.これは領土の征服にも当てはまる.そして非交戦国は結果を正しいものとして受け入れるほかはない(「力は正義」主義:これは砲艦外交を認めることにつながる).ただしこのような効果を持つ戦争は(宣戦布告などの手続きを経た)「正式な」戦争に限られる(これにより濫用を制限しようとする).
  • 正式な戦争においては,殺人,財産の強奪,放火などの行為も合法と扱われる.これもやはり本来は正義の戦争を行う者のみに認められるべきだが,その判定は事実上不可能で,全面的な免責を認めるほかない.
  • ただし戦争は正しく行われなければならず,毒物使用,裏切りによる暗殺,強姦は認められない.(なおこの原則は18世紀後半には非戦闘員を守ろうとするものになり,さらに19世紀以降毒物以外にも様々な残虐な行為の制限が設けられるようになった)このような禁止の担保は「報復行為」を認めることによってなされる.
  • 非交戦国はどちらの交戦国が正しいか判断できない.だから中立国家は戦時に(片方が正義だという理由で)片方の交戦国に加担することはできない(たとえ経済的援助や制裁でも片方に加担すれば,参戦したと見做される).しかし中立を保って両交戦国との貿易をすることはできる.

 
特に重要なのは対戦国のどちらが正義かの判定ができない以上,法体系は中立性を重んじるしかなく,力こそが正義にならざるを得ないという部分になる.このグロティウスの考え方を世界は受け入れた.本書ではこの旧世界秩序の元でどのようなことが生じたかを詳しく紹介している.

  • 主要国は宣戦布告において自らの権利を強く主張した.自分たちが犯罪者と見做されないように注意を払った.それは不正な戦争には自軍の士気,同盟者への影響などのコストが伴ったからだ.
  • 実際の宣戦布告をみると,自衛のほか,人道的介入,相手の国際法違反などが主張されている.
  • アメリカがメキシコからテキサスやカリフォルニアを得たのはメキシコの債務不履行を正すという目的のための戦争によるものである.戦争で征服した土地はアメリカに編入されたのだ.
  • 旧世界秩序においてはナポレオンはどのような意味でも犯罪者ではなかった.だから戦争が終わった後捕虜であったナポレオンは解放されなければならないが,ブルボン家にとってナポレオンはあまりに大きな脅威だった.連合国にはナポレオンに主権国家を与える以外の選択肢はなかった.だからエルベ島への流罪は「ナポレオン皇帝自ら居住地として選んだ」形をとり,(英領であった)セントヘレナ島への流罪はどうやっても国際法違反を正当化できず,ナポレオンに殉教者のイメージを与えることになった.
  • アメリカはフランス革命の際に革命戦争に巻き込まれないために大変な苦労を強いられた.(フランスから派遣された外交官を巡る傑作な顛末が語られている)

 

第2部 移行期

1914年,オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺される.帝国はグロティウスのルールに則り,セルビアに反動的活動の鎮圧を要求する最後通牒を突きつけた.要求はかなえられず,帝国はセルビアに宣戦布告し,同盟国の相手同盟国の不正義を糾弾する連鎖反応が生じて世界は第一次世界大戦に突入した.これはまさに不正を正すためのグロティウス的戦争であり,ある意味旧世界秩序の集大成であった.しかしその破壊の規模と戦死者の数は人々を唖然とさせるものであり,モラル的に極めて不条理だった.
パリ講和条約では連合国は(旧世界秩序に則り)敗戦国に莫大な代償を要求し,国境を引き直した.しかしどうすれば今後このような悲劇的戦争を防げるのか.ウィルソン大統領の解決策は国際連盟だった.しかしこの仕組みでは紛争国の片方が連盟の裁定に従わない場合の最終的な解決策は戦争しかなかった.
 
ここから戦争を違法化しようとする人々「国際主義者」が描かれる.彼等は真の問題は戦争が合法であるためだと考えたのだ.その嚆矢となるシカゴの法律家レヴィンソンの論文の骨子は以下のようなものだった.

  • 世界が平和であるときに,不意にドイツがフランスに宣戦布告し,その領土に攻め入ったとしよう.現在の国際法体系では,それは「合法」であり,他国はその原因や目的を顧みることなく中立を保たなければならない.だからあらゆる戦争を終わらせる唯一の現実的な方法は「戦争の違法化」である.

レヴィンソンやそれに賛同する上院議員たちは,これを実現させるためにアメリカの国際連盟の加盟を阻止しようと動き始める.連盟は基本的に旧世界秩序を前提としており,特に侵略行為を認定した場合に加盟国に支援を求めていたことを戦争拡大メカニズムだと考えて懸念したのだ.これは成功し,アメリカは国際連盟に加盟できず,ウィルソンは失意のうちに引退を余儀なくされた.
 
レヴィンソンたちは戦争違法化に向けてさらに動く.最初の戦争違法化パンフレットには以下の主張が並んでいる.

  1. 国際紛争鎮圧手段としての戦争の使用は廃止
  2. 国家間戦争は犯罪とし,国際法によって処罰される
  3. 但し攻撃を受け,あるいは差し迫った攻撃の危機に対する防御としての戦争は認められる.
  4. 武力,強要による併合,強制取り立て,占拠はすべて無効である.

 
しかしどのようにこの国際法違反を強制できるのだろうか.レヴィンソンは(奴隷制で生じたように)制度を変えれば人間の考え方も変わると主張した.コロンビア大学の歴史学教授ショットウェルは別の方法を模索した.国際司法裁判所に侵略かどうかを裁定させ,(あらゆる経済的交流を打ち切られ,国際法上のあらゆる権利を失うという)厳しい経済制裁を課せるようにするシステムの構想だ.
 
ここからレヴィンソングループとショットウェルグループは緊張関係に入りながら,戦争違法化への政治的な流れを作っていく.複雑な経緯の後,アメリカの国務長官ケロッグは(当時軍縮会議に背を向けていた)フランスのブリアンから提案のあった二国間の戦争禁止条約を,多国間条約として再提案することになる.ケロッグはフランスはこれをのまないと考えていたが,フランスは賛成し,さらに複雑な経緯の末に,それはパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれる)として結実していく.その法理論的な枠組みは,明らかに旧世界秩序とは異なった考え方に則っており,以下のようなものだった.

  • 条約締結国は,国際紛争の解決に戦争を用いないこととし,手段としての戦争を放棄する.締結国相互間の紛争を平和的手段以外の方法で処理しないことを約束する.
  • 自衛権があることは自明であるが,侵略戦争と自衛戦争の定義は置かない.
  • 違法化の強制は,多国間条約を破った国に対してはほかの締結国は条約から解放され,自らがふさわしいと思う行動を取ることができることによると考える.

 
ここから本書は日本の状況を解説する.江戸時代に鎖国を続けてきたが,ペリーによるグロティウス的砲艦外交により開国を余儀なくされたこと,明治維新後は旧世界秩序を学び,それを実践し,台湾,朝鮮と領土を広げてきたこと,パリ不戦条約を主要文明国としての名誉的な地位に基づくものとしてその真の意味を深く考えることなく締結したこと,そして(世界がなお旧世界秩序のもとにあることを前提とした)その満州への侵略が,パリ不戦条約違反の第1号となったことが説明される.
 
日本の満州侵略は国際連盟加盟国かつ不戦条約締結国に矛盾する法的義務を突きつけることになった.(旧世界秩序を前提とする)連盟規約は条件付きで戦争を行うことを認めているが,(それとは全く異なる考え方に立つ)不戦条約は戦争を禁止しているからだ.そして旧世界秩序のもとでは経済制裁も行えない.連盟の決定や仲裁にどうやって反抗的な国を従わせれば良いのだろうか.しばらくは軍縮が答えであるかのように見えたが,ドイツでナチスが権力を握るとその望みも消えた.
連盟加盟国は議論の末にスティムソン・ドクトリンを採用し,違法な戦争による征服を認めず,中立法規も変更し経済的制裁を可能にすることを打ち出した.これは国際法が「力は正義主義」から離脱する大きな転機となった.この新しい体系(新世界秩序)は,不戦条約以前の征服を認め,それ以降の征服を認めないことになり,先んじて領土を広げた既得権を擁護する効果を持つものでもあった.
そして遅れて旧世界秩序のもとでの征服を始めた日本とドイツとイタリアは,(英米仏に都合が良く日独伊に都合が悪い)この新世界秩序を認めず,様々な軋轢が生じ,最終的に第二次世界大戦が勃発することになる(経緯についてかなり詳しく解説されている).それは不戦条約を単なる紙切れと見るのか,それとも新しい法的現実と見るのかの戦い,旧世界秩序と新世界秩序の戦いでもあったのだ.
アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルはこれを理解し,大西洋憲章を打ち出した.これはUnited Nations(連合国,後の国連)の考え方の基礎になる.そして英米はソ連も引き込んで,いくつかの妥協の末にUnited Nationsの枠組みを構築する.戦争は連合国の勝利で幕を閉じ,枠組みはそのまま国際連合となり,日独伊の憲法には戦争の違法化あるいは戦争放棄の条項が組み込まれることになった.

ここから本書は不戦条約前後のドイツの状況と第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判を解説する.旧世界秩序から新世界秩序への移行が最も鮮明に現れるケーススタディということだろう.

  • ドイツの法学者カール・シュミットは早くから不戦条約の締結に反対していた.国家の機能を深く考察すると,政治的対立の究極の解決策は戦争しかなく,侵略戦争を違法化することは(誰を友とし誰を敵とするかの自由を失わせることにより)解決策を脆弱化させるだけだと考えていたのだ.彼はそれはドイツを弱体化させる敵の罠であり,正義の戦争は十字軍のように残虐化しやすいと警鐘を鳴らした.ワイマールドイツは貿易こそドイツの生きる道と考え,シュミットの考えを退け不戦条約に調印する.だが世界恐慌でその道は閉ざされ,ナチスの台頭が始まる.シュミットは保身のためにナチに加わり,その体制と(中欧を自らの広域圏だとする)生存圏確立政策を擁護する.そして不戦条約の法体系を法的な不確実性と差別的戦争観を持つものだと批判した.(シュミットは大戦後にニュルンベルグで訴追されるために逮捕されるが,最終的には釈放される)
  • 同じくドイツの法学者ローターパクトはナチスの台頭を受けて早期にウィーンから脱出し,英国で不戦条約が国際法に与える影響を論理的に詰めて体系化した.それは以下の4つの原則からなる.(1)中立国は公平である必要はない(違法を行う側への制裁は許される)(2)侵略戦争を行った国は訴追される(3)征服は違法であり,領土を支配するために武力を使うことは禁じられる(4)強制された合意は合意でない.
  • 著者たちはローターパクトこそ新世界秩序の父だとしている.この体系化は後にニュルンベルグのアメリカ側主席検事となる司法長官ロバート・ジャクソンに大きな影響を与え,ニュルンベルグで(そして東京で)枢軸国の指導者たちを起訴するというアイデアの法的な基礎になった.
  • チェコの法律家エチェルやアメリカの法律家チャンラーは枢軸国指導者の起訴に向けて,具体的な法的な議論を組み立てた.特に問題になるのは刑法の基本原則としての「法の不遡及」になる.不戦条約は第二次世界大戦に先立ってはいるが,犯罪類型を規定しているわけではないのでこれが問題になる.しかし不戦条約を刑法と見るのではなく憲法原則として捉えるなら,条約は自衛以外の戦争をすべて違法化し,それまでの戦争時の犯罪行為の非犯罪化原則自体が除去されると考えらればこれは乗り越えられる.
  • もう1つの問題は,国際法においては国の責任は問えるが,個人の責任は問えないことが原則になっていたことだ.これは国際裁判所を作るための合意書に個人責任についての条項を加えることで乗り越えることになった.この方法は厳密には遡及効になるが法学者ケルゼンは国民全体に責任を負わせるより遙かにましだという理由で正当化した.
  • このような動きに対してシュミットはこのアプローチは違法だと主張した.ホロコーストと戦争犯罪は訴追されるべきだが,戦争そのものは訴追されるべきではない,なぜなら不戦条約は刑法の体をなしていないし,不戦条約が約束した新世界秩序は結局実現されなかった(例えば各国はイタリアのエチオピア征服を認めた)からだというのだ.
  • 戦争が終結し,ムッソリーニはパルチザンに殺され,ヒトラーは自殺したが,ゲーリングは連合国の手に残され,ニュルンベルグ裁判が始まった.ジャクソンは侵略戦争,戦争犯罪,人道に対する罪を訴追し,エチェル=チャンラーの議論をもって遡及効の問題に答えた.侵略戦争が犯罪であることの論証は英国の主席検事ショークロスが行った.ショークロスは不戦条約の革命的な性質を強調し,ケルゼンの議論をもって個人の訴追の問題に答えた.
  • ナチの弁護人ヤライスはシュミットの議論を用いて反論した.不戦条約が法を変えたのであれば戦争の区別が各国の慣習に現れたはずだが,それは観察できないと主張した.
  • ショークロスはローターパクトの議論を用いて反論した.そして「不戦条約は戦争を違法化したが犯罪と見なしたわけではない」という見方を嘲笑した.大量殺人が犯罪でないなどと言えるはずがないと.また国際連盟の失敗については.犯人が処罰を免れたからといって犯罪が犯罪でなくなるわけではないと主張した.
  • 裁判所の評決は,ゲーリング以下12名の個人の戦争犯罪および人道に反する罪を認め,絞首刑を宣告した.不戦条約で戦争が違法化されたことは認めたが,個人犯罪がなぜ訴追できるのか,これがなぜ遡及効ではないのかの正当化には踏み込まなかった.これにより裁判で戦わされた議論は世間にあまり知られることがないままとなった.
  • 法体系の対決となった第二次世界大戦は新世界秩序側の勝利で幕を下ろした,今やある国が欲しいものを他国から得るには,見返りを用意して相手の同意を得るしかなくなった.武力による強制は終わった.世界が協力する時代が始まったのだ.

 

第3部 新世界秩序

 
第3部では新世界秩序のもとで世界がどうなったかが取り上げられている.

  • まず永続的侵略は激減した.ロシアによるクリミア併合はその稀な例外になる.確かに世界の主要国は武力を持ってそれを覆そうとはしなかったが,頑としてこの併合を認めていない.
  • 征服による領土割譲は1928年から減少し,1945年以降ほとんどなくなった(一国内で独立が生じた場合は征服と扱わない)*2.注目すべきは征服が止まっただけでなく,(1939年ではなく)1928年以降1945年までに生じた征服による広大な領土が元の持ち主に返されていることだ.これは不戦条約による征服の違法化を世界が認めていることを意味する.確かに違法な侵略により他国領土を占領することはできる.しかし世界はそれを認めずに経済制裁を課すために,そもそも侵略の利益が失われるのだ.1928年までの征服による領土割譲は他国に容易に承認されたが,1931年以降のそれは承認されなくなったのだ.
  • 第二次世界大戦の戦後処理も第一次世界大戦とは随分異なったものになった.枢軸国は領土をいくらか失ったが,その規模は非常に小さいものに止まった.特に注目すべきは英米仏が新たな領土を取り込まなかったこと*3だ.枢軸国の植民地は解放されたが,英米仏はそれを取り込もうとせず,自身の植民地も遅れて解放することになった.(ソ連は独ソ戦による2000万人の被害の代償として東プロイセン,南樺太などの領土を要求し,それは認められた.ほかの連合国はこれはスターリンへの譲歩で,法体系からの残念な逸脱だと感じていた)欧州の1910年と1928年の国境線を見ると大きく変更されていることがわかるが,1946年の国境線は1928年のそれとごくわずかな違いしかない.
  • 要するに不戦条約は,締結後の国際主義者たちの20年の努力と第二次世界大戦を経て実効化されたのだ.多くの政治学者や社会学者は第二次世界大戦後の戦争減少について,核抑止,民主主義,自由貿易を理由にする.確かにそれは正しい,しかしそれだけでは完璧ではない.その背後には「力はもはや正義ではない」という考え方の転換があるのだ.

次に戦争や征服の激減以外の新世界秩序の世界に与えた影響が解説される.それは国の存続のダイナミクスのルールを大きく変えたのだ.

  • まず国の数が増えた.これは征服戦争が違法化されたことで弱国が存続可能になったことによる.突然帝国や大国のメリットは大きく減り,自由貿易のメリットが大きくなったのだ.自由貿易は相手国にも利益を与えるので,旧世界秩序では征服されるリスクが上がることがあったが,それを恐れる必要はなくなった.世界は相対利益よりも絶対利益を重視するように変わったのだ.
  • 大西洋憲章は民族自決主義を掲げ,これは国連でも確認された.これは植民地という現実とはあわなかった.また植民地は独立した後に近隣国に征服される恐れがなくなったことを受けて次々と独立した,
  • 片方で新世界秩序は内戦を違法化していない.さらに内戦で弱体化しても,人民を抑圧する専制独裁体制を築いても,近隣国から征服されないという状況は多くの内戦と失敗国家を生むことにつながっている.
  • また新世界秩序は(1928年時点である領土がどの国に属するかはっきりしない場合に)領土紛争の対立の解消を著しく困難にした.脱植民地化の際の手際の悪さ(線引きの曖昧さ,引き継ぎの失敗)はこの問題を際立たせている.また小さな島の領有もはっきりしていない場合が多く,多くの対立の原因になっている.そもそも小さな島に経済的価値があると考えられるようになったのは,(海洋資源の問題に加えて)征服が違法化されて,防衛が容易になったからでもある.

 
ここで本書は新世界秩序における強制力の問題を論じている.

  • 新世界秩序における強制力は「仲間はずれにされること」のコストの上に成り立っている.
  • 多くの国際機関ではルールを破るものには仲間はずれの制裁があると規定している(国際郵便制度やWTOの例が説明されている)これは中立国の義務についての新世界秩序の考え方の上にあるものだ.
  • これには限界もある.経済制裁は有力な手段だが,人民の苦境に無関心な独裁国家には効きにくい.さらに北朝鮮のように既に十分深く経済制裁されている国には追加の効果は薄くなる.また制裁の効果は自分にも跳ね返る.人権や環境のような問題においては(その問題の範囲内で)相手にコストのかかる仲間はずれ手段が見つからないという問題もある.
  • 有効に効いたケースとしては,トルコのキプロス侵攻の制止(欧州評議会からの追放という脅しが効いた),オゾンホール条約の締結(条約を締結しないとフロンガス原料を売ってもらえない)などがある.
  • クリミアの併合に対し,主要国は経済制裁を課しているが,プーチンは折れなかった.これは経済制裁の限界を示していると見ることもできるが,この経済制裁は長期的な効果を念頭においてデザインされており,併合の利益を着実に削っていることも事実だ.欧米が最後までやり遂げられればまだ勝算はある.

 
本書はここで新世界秩序を認めない勢力の例としてイスラム原理主義者の解説を置いている.

  • 現在の中東の混乱の原因として,英仏の二枚舌外交を示すサイクス=ピコ協定がよくやり玉に挙げられる.法的にはこの協定は破棄されており直接法的効果を持つものではないが,オスマントルコ帝国の崩壊と西洋による支配と背信を思い出させる象徴になっているのだ.
  • そしてその不信の中に生まれたイスラム原理主義は新世界秩序を認めない.彼等は戦争が許されるだけでなく地球規模のイスラム主義国を樹立するために聖戦が必要だという世界観を持つようになった.彼等は世俗的な政体のすべてに対する侵略戦争を是とする.この思想はビン・ラディン,そしてISに受け継がれた.
  • これは未来の世界秩序を決める戦争がありうることを示すものだ.そしてそれに勝つには兵器ではなく強い思想こそが重要だ.

 
そして最後に新世界秩序の現在の課題を整理し,著者たちによる展望をおいている.

  • 新世界秩序への課題の1つはイスラム原理主義などのテロへの対応だ.テロへの防衛として空爆は許されるのだろうか.
  • もう1つの課題は,人道主義的介入との関係だ.シリアの内戦での大虐殺に対して世界は傍観するほかないのだろうか.しかし介入戦争を一旦是とすると旧世界秩序のすべてが復活するリスクがある.
  • またロシアと中国の動きも課題の1つだ.クリミア併合,南シナ海の領有権の主張に対して世界はどう向き合うべきなのか.
  • そして最大の脅威はトランプ政権に代表される自国第一主義の台頭だ.

 

  • 世界は新世界秩序の約束を放棄する寸前なのかもしれない.しかし歴史が示しているのは多くの主権国家が存在する世界では選択できる法秩序には限りがあるということだ.旧世界秩序では戦争は合法で,中立国は公正でなければならず,力は正義になる,新世界秩序では戦争は違法で,悪を正すのは経済制裁の役目で,相手に協定を強要できない.その間を採ろうとする選択肢は不安定で混乱と無秩序をもたらすものにしかならない.20世紀の国際法秩序の歴史は,ルールは密接につながったセットでしか安定しないことを示している.
  • そして様々な問題はあるが,新世界秩序は旧世界秩序より優れているのだ,いくらか問題があっても戦争が容認されない世界の方が良いし,それを保つことは可能だ.それは我々次第なのだ.
  • 世界を動かすのは力か法かという問題設定は間違っている.真の力は法無くして存在しない.法だけが真の力を作り出せる.国際主義者たちは讃えられるべき存在なのだ.

 
 
以上が本書のあらましになる.本書はまず法の歴史物として非常に充実している.様々な登場人物を活き活きと描写し,歴史的なイベントがどのように展開していったかがうまく描けている.そして何より世界史の中で「報われなかった楽観主義の試み」として記載されることの多いパリ不戦条約が,実は歴史の大転換点だったというテーマが傑出している.
また知的な読み物としても大変読み応えがある.特にグロティウスとローターパクトの「戦争は合法的な政策遂行手段である」「侵略戦争は違法である」をそれぞれの出発点としたときの法体系がどうなるかという論考や,その結果世界がどう変化したのかの解説部分は非常に興味深いものだ.
日本人読者としては日本の立ち位置も興味深い論点だ.1928年時点で日本が「遅れて登場した帝国に著しく不利になる」というこの不戦条約の帰結に全く気づいていなかったのはなぜなのだろうか.もし気づいていれば満州事変以降の歴史は変わっていたのだろうか.それともドイツと同じようにわかっていながら旧世界秩序にかけたのだろうか.いろいろな思いは尽きないところだろう.
そしてこれが現実世界にいかに多大な影響を与えているのかを考えると,本書の価値はさらに高まる.確かにピンカーの言う通り,民主制や貿易や国際機関は戦争抑止に効いたし,その背景には共感の輪の拡大もあっただろう.しかし本書を読むと国際政治を動かす法的な体系の変更も重要な要因であったのだろうと改めて感じずにはいられない.そして著者たちの危機意識も理解できる.本書刊行後にトランプ政権はイスラエルの(中東戦争による占領地である)ゴラン高原の領有を承認した.これは領土の征服を承認するもので明らかに新世界秩序とは相容れない行動になる.我々は,ルールはセットでしか安定せず,世界は二択のどちらかを選ぶしかないということを改めて噛み締めるべきなのだろう.


関連書籍

原書

The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World (English Edition)

The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World (English Edition)


ピンカーの暴力減少を扱った本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130109/1357741465

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined (English Edition)

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined (English Edition)

 
同訳書 私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150127/1422355760

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

*1:邦題は戦争史の本であるかのような印象を抱かせるもので,あまり良いものではないと思う.もっとも「国際主義者」ではあまり売れそうもないということで商業的にはやむを得ないということなのだろう

*2:1928年以降の実効支配が継続している征服事例としては,クリミアのほかカシミール,ヨルダン川西岸,南ベトナムなどがあり,合計10件ほどにとどまっている

*3:フランスとイタリアのごく小さな国境変更は例外になる

Enlightenment Now その61

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第21章 理性 その3

 
ピンカーによる理性の擁護.まず理性を否定する議論自体が成立するはずがないことを指摘し,次に認知心理学の知見「ヒトは実はかつて考えられていたほど合理的に行動するわけではない」をどう扱うかを取り上げた.そしていま問題になっているような反啓蒙運動的な言説がはびこる理由を理解することがまず重要だと指摘し,その重要な要因として「ヒトは社会的な動物であり,自らが属する文化的シンボルになっている信念に追従する方が有利であれば,そうしがちである(それはある意味合理的な態度になる)」というものがあるとする.しかし話はさらに深いのだとピンカーは続ける.理性を可能にする脳のパワーは自分を社会的に有利にする信念を強化するためにも使われているのだ.

 

  • この「信念の共同体の悲劇」は陰謀論者の政治的自己顕示を越えてさらに深い.もう1つの理性のパラドクスは経験,脳パワー,誠実な論理が必ずしも思考者を真実に導くわけではないことだ.それは自分の立場や利益に沿った巧妙な理由付けのための武器にもなるのだ.心理学者はヒトが「動機づけられた理由付け」「バイアスのかかった証拠評価」「自分側バイアス」を持つことを見つけている,
  • 我々は今日の政治二極化がスポーツ観戦に似ていることを知っている.テストステロンレベルは選挙の時にスーパーボウル観戦の際と同じように上下する.だから対立陣営がより不正を行っているように感じても不思議はない.(リサーチが紹介されている)この結果すべての事実が提示されると二極化はより先鋭化する.
  • さらに人々は(より正確な意見を持つためではなく)ファンとして楽しむためにニュースを探したり観たりするようになる.人々は温暖化の情報を得れば得るほど二極化するのだ.
  • さらに意気消沈させる知見がある.カハンは以下の実験を行った.まず様々な階層と意見を持つアメリカの参加者に以下の表を見せる.

 

  改善 悪化
処理済み 223 75
処理なし 107 21

 

  • これがある皮膚クリームの日焼けに対する効果だと教示されると,数理統計的センスのある人は,このクリームの効果はないと答え,センスのない人は(223という大きな数字に惑わされて)クリームの効果があると答える.ここまではいい.しかしこれが銃規制に関するデータだと教示されると,センスのある人達もない人達も,自分の政治的信条に沿って回答するようになる.つまりヒトの非合理性は辺縁系の問題ではないのだ,知性的に洗練された人でも政治に目くらましされ,お馬鹿になるのだ.

 

  • リサーチャー自身もこのバイアスから逃れられない.彼等はしばしば政治的ライバル陣営のバイアスを示そうとして,自らのバイアスを見逃してしまう.(バイアスバイアスと呼ばれる)リベラルな社会学者は「保守派の方が偏見を持ち攻撃的だ」と示そうとするが,彼等はしばしば証拠をチェリーピックしていることが発覚する.確かにアフリカ系アメリカ人に対しては保守派の方がより偏見を持つが,信心深いキリスト教徒に対してはリベラルの方が偏見を持っているのだ.そしてもちろんこのバイアスバイアスはリベラルだけにあるわけではない.保守派の学者がしばしば主張するように「リベラルの社会学者の方がより経済音痴だ」というわけではない.(それぞれのリサーチの例が示されている)どちらの陣営も相手よりお馬鹿であるわけではないのだ.

 
これは現実政治世界のどんな現象に関係するだろうか,ピンカーは両極端のイデオローグが共にリアリティのない信念に目くらましされている状況を解説する.
  

  • 左派も右派も同じようにお馬鹿だとして,どちらが「人類の進歩」という真実からより外れているだろうか.
  • 私はこれまで進歩の大きな推進力は理性と科学とヒューマニズムの理想であり非政治的なものだと主張してきた.右派や左派のイデオロギーは何か付け加えることがあるだろうか.これまでに示してきたグラフはどちらのイデオロギーがより正しいことを示すのだろうか.実際には両イデオロギーとも,ごくわずかに正しい部分を持つが,ストーリーの大半を見過ごしているのだ.
  • まず.そもそもの進歩の理想自体を怪しむ保守懐疑主義者がいる.エドムンド・バーク以来近代の保守派は伝統を墨守することを良しとしてきた.トランプ支持派やヨーロッパの極右は西洋文明はキリスト教モラルを捨てたためにコントロール不能になっていると主張する.しかしそれは間違っている.啓蒙運動以前の人生は暗く,飢餓や疫病に満ち,迷信にとらわれていた.
  • 左派も,市場を馬鹿にし,マルクス主義を理想化する点において同じく間違っている.産業革命と資本主義は世界を貧困から脱出させた.共産主義は恐怖政治と飢餓とともにある.それは北朝鮮の状況だけからでもわかることだ.しかし今日でも社会学者の18%は自分をマルクス主義者だと規定し,資本家とか自由市場という言葉を忌み嫌う.自由市場が安全規制,労働規制,環境規制と共存できることがわかっていないのだ.
  • そして右派リバタリアンも同じく誤った二分法(規制は常に悪)に捕らわれ,左派の格好の非難の対象になっている.

 

  • 人類の進歩という事実は右派保守派にも左派マルクス主義にも右派リバタリアンにも都合が悪い.20世紀の全体主義政府は裕福な民主主義国が滑り落ちてできたわけではなく,みな狂信的なイデオローグや悪辣なギャング集団によって押しつけられたものだ.そして自由市場を持ち,アメリカより重税で重規制でより社会保障が厚いカナダやニュージーランドや西ヨーロッパ諸国が,暗いディスピアに陥ったりしていないことも同じだ.
  • イデオロギーは2世紀以上の歴史を持つ.そして,「ヒトは悲劇的に未完成だがどこまでも矯正可能だ」とか「社会は有機的全体だ」とかいう単純な考えを持つ.しかし実際の世界は遙かに複雑なのだ.
  • 政治についてのより合理的なアプローチは,社会を存続し続ける実験と捉え,虚心坦懐にベストな実践を探すことだ.そして経験的に見えてくるのは,人々は,リベラル民主主義の元,市民規律,権利の保障,自由市場,社会保障,分別のある規制のなかで繁栄するということだ.

 
ここまでこちこちの右派や未だにマルクス主義を信奉する左派はやや極端な例だという気もしないではないが,何らかのリアリティチェックのない政治的信念は同じ問題を引き起こすだろう.ピンカーの挙げているのは(読者の反発を買いにくいような)わかりやすい例だということだと思う.

Enlightenment Now その60

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第21章 理性 その2

 
ピンカーによる理性の擁護.次は「実はヒトはかつて考えられていたほど合理的に行動するわけではない」という最近の心理学的な知見についてどう考えるべきかという部分になる.だからといってヒトはじっくり考えて理性的にもなれるわけだから,むしろ積極的に理性を擁護する理由になりそうなものだが,そうではない論陣を張る懐疑派が多いのだろう.ピンカーの議論はこう始まっている.
 

  • カーネマンやアリエリーがベストセラーで説明したこともあり,今や多くの人が認知心理学の「ヒトは不合理だ」という知見を知っている.しかしそのような発見が,啓蒙主義の信条を反駁するものだとか,我々がデマゴーグの軍門に降るしかない運命であることを示すものだと考えるのは間違っている.

ファスト&スロー (上)

ファスト&スロー (上)

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

 

  • まず,啓蒙運動の思想家で,ヒトが完全に一貫して合理的だと考えていたものはいない.彼等は「私たちはドグマを振り捨てて合理的に振る舞うべきであり,それは自由な言論や論理的分析により可能だ」と主張しているのだ.*1
  • 理性に対する懐疑主義者は,しばしば粗悪な偽進化心理学「ヒトはトラかもしれない茂みのざわつきに対し扁桃で考えて直感的に反応する」を用いる.しかし真っ当な進化心理学者はヒトについて異なった考えを持っている「ヒトは世界の説明を当てにする認知的な種なのだ.世界はヒトがどう信じるかにかかわらず存在する以上,真実の説明を行える能力へ強い淘汰圧がかかっただろう.」というものだ.つまり理性による理由付け(reasoning)には進化的なルートがあるのだ.(狩猟採集民の推論能力についてのリサーチの紹介がある)リアリティは強力な淘汰圧になる.

 

  • (それを踏まえると認知心理学の知見を受けた)現代の我々の課題は「誤りよりも真実に至れるような情報環境をデザインすること」なのだ.第1段階は,何故ヒトはこれほどインテリジェントなのに愚かな誤りに陥るかを理解することだ.

 

  • 21世紀はかつてないほど知識へのアクセスが容易になっている片方で,不合理性の動乱も渦巻いている.進化の否定,反ワクチン,温暖化否定,陰謀論の大繁殖,トランプの当選.理性を信じるものにはこれは絶望すべきパラドクスにみえる.しかし彼等も自身の非合理性を少し持っていて,説明できるかもしれないデータを見過ごしているのだ.

 

  • 大衆の愚鈍さの標準的な説明は「無知」というものだ.二流の教育システムが大衆を科学的な文盲にし,お馬鹿な芸能人や扇情的ケーブルニュースに煽動される.そして標準的な解決法は教育の改善ということになる.この説明は科学者である私にとっては魅力的だったが,今ではこれは誤っている(あるいは問題のごく一部に過ぎない)と考えるようになった.
  • 人々が進化を信じるかどうかは,進化の正しい理解をしているかどうかとはあまり関連していない.(リサーチが紹介されている)「進化を信じるかどうか」は「自分が世俗的リベラルのサブカルチャーに属しているかどうか」と最も関連しているのだ.(つまり反進化論を表明するかどうかは自分が信心深い保守派カルチャーに属しているかどうかに関連している)これは温暖化がフェイクかどうかについても同じだ.温暖化は科学的な知識の問題ではなく,政治的イデオロギーマターになっているのだ.

 

  • 法学者であるダン・カハンはある種の信念は文化的同盟のシンボルになっていると主張している.人々はこれらの信念の是非について,その是非を知っているかどうかではなく,自分がどの同盟に属しているかに従って態度を決めているのだ.これらの信念は二元の軸を持つ.1つは左派と右派の平等に関す軸,もう1つは個人主義と集団主義の自由に関する軸であり,ある特定の信念はその部族を選り分けるタッチストーンやモットーや聖なる価値になるのだ.そして人々を分ける価値は誰を敵とするか(強欲な企業,鼻持ちならないエリート,嘘をつく政治家,無知な大衆,エスニックマイノリティ・・・)によっても決まる.
  • カハンは,そういう意味では人々の選択は「合理的だ」と指摘している.人々が進化や温暖化について特定の信念を表明した場合に,それが世界を変える可能性は極めて小さいが,彼等の属するコミュニティにおける扱われ方には大きな差が生じるからだ.我々は「信念の共同体の悲劇」の登場人物なのだ.
  • この「表明される合理性」「アイデンティティ保護的認知」の背景にあるダークなインセンティブは21世紀の非合理性のパラドクスをよく説明してくれる.2016年の大統領選の中で,多くの政治評論家はトランプ支持者のあからさまな虚偽や陰謀論を支持するコメントを信じられない思いで聞いていた.実は彼等は「青い嘘(イングループのためにつく嘘)」を共有していたというわけなのだ.彼等は陰謀論を支持することで,リベラルに反対し,団結をディスプレイしていたのだ.そしてディプレイのシグナルとしては,ばかばかしい嘘を信じているということがコストのある信頼できるシグナルになる.

 
これは非常に重要な指摘だと思われる.ヒトはある社会グループの中でどのように振る舞えば有利になるかを意識的,無意識的に理解し,(場合によっては自己欺瞞と共に)周りが自分を重要視してくれる(つまりそれによって有利になる)ような意見を表明し,あるいは本当に信じ込むのだ.アメリカにおいてはこれは進化を信じるか,温暖化を信じるかに大きく効いている.日本だと福島を巡る言説に似た傾向があるのかもしれない.

*1:ここでピンカーは「それで,あなたがそれに賛成しないとしても,ヒトが合理的に振る舞えないというそのあなたの主張を私たちがなぜ受け入れなければならないのだろうか?」と反問している.そういう主張をすること自体ヒトが合理的に振る舞えることを示しているのだよという前節の主張を受けた見事なレトリックになっている

Enlightenment Now その59

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第3部 理性,科学そしてヒューマニズム

 
ピンカーは第1部で啓蒙運動の中身とその現代的意義を語り,第2部では具体的な進歩の様相をデータを駆使しながら示してきた.最終第3部は啓蒙運動の擁護そのものに当てられている.

  • アイデアは重要だ.それを最もよく示すのはマルクスだ,彼が大英博物館で書き付けたアイデアは20世紀の世界の様相と何十億人もの運命を大きく変えた.
  • ここから私は啓蒙運動の擁護を行う.そして敵はポピュリストや宗教家だけではない.驚くべきことに主流のインテリ文化の一部も大いなる敵なのだ.
  • インテリの教授や批評家や預言者やその読者たちに対して啓蒙運動を擁護するというのは(彼等は真正面から啓蒙運動を否定したりしないだろうから)ある意味ドンキホーテ的に思えるかもしれない.しかし一部のインテリたちの啓蒙運動へのコミットメントはいかにもおちゃらけたもの(squirrely*1)で,まともに啓蒙運動を擁護するわけでもなく,その考えにはしばしば権威主義や部族主義や進歩主義が入り込む.
  • ここでは大衆説得や煽動のダークな技をもてあそぶことはしない.議論を重要だと考えている人々に向けた真剣な議論を行いたい.議論は重要だ.なぜなら実践的な人々はアイデアに影響されるからだ.彼等は大学に行き,知的な雑誌を読み,クオリティペーパーを読み,TEDトークを観る.そして啓蒙された人々やダークに落ちた人々が集まるインターネットのフォーラムにも顔を出すのだ.私は,理性,科学,ヒューマニズムという啓蒙運動の理想が彼等に流れ込むことで良いことが起こっていくだろうと考えたい.

 
ここからが本書を執筆してピンカーが世間に訴えたい本題ということになる.理性.科学,ヒューマニズムの順序で擁護が行われる.

第21章 理性 その1

 

  • 理性(reason)に反対することは,定義的にも非合理(unreasonable)だ.しかしそれは反啓蒙主義者をたじろがせたりしない.彼等はハートより脳,前頭葉より辺縁系,スポックよりマッコイを好み,そしてこう言うのだ「私はここに考えるために来たのではない,感じ,そして生きるために来たのだ」.理由なしに何をか信じることには尊敬が集まり,「理性は力を持つものの口実だ」とか「現実は社会的構築物だ」とかいうポストモダニズムが人気を集める.認知心理学者ですらしばしばヒトが合理的なエージェントであることを否定する.
  • しかしこれらの立場にはみな致命的な傷がある.彼等は自分自身も否定してしまわざるをえないのだ.哲学者トーマス・ネーゲルは「論理とリアリティについての主観主義と相対主義は支離滅裂でしかあり得ない.なぜなら何もないことから何かを批判できるはずがないからだ」と指摘している.(ネーゲルの「The Last Word(邦題:理性の権利)」からの引用がなされている.)

The Last Word (English Edition)

The Last Word (English Edition)

理性の権利 (現代哲学への招待 Great Works)

理性の権利 (現代哲学への招待 Great Works)

 

  • ネーゲルはこういう考え方をデカルト的と呼んでいる(「我思う故に我あり」と似た論理だという意味だろう).「何かを主張するために理性に訴える(appeal to reason)ものは,理性の存在を示している」.あるいは超越的な議論といってもいい.「議論を行うということは,それをするための前提条件(理性の存在)を認めていることになる」 理性の存在をことさらに信じる必要はない,我々はそれを使うのだ.(ピンカーはプログラムを書くためにCPUの存在を信じる必要がないのと同じだとコメントしている)
  • 理性がすべてに先立ち,その存在を擁護する必要がないとしても,一旦理性(reason)に基づく議論を始めると,そのときに用いた特定の論理構成(reasoning)が一貫性を持って現実と整合していないと,それは打ち砕かれる.そして理性と世界が整合的であることは,我々は世界を自分たちに有用になるように変えていくこと(感染症を抑制したり,人類を月に送ること)を可能にすることを意味するのだ.
  • デカルト的議論は屁理屈ではない.極端な脱構築主義者や陰謀論者であってもみな「なんでお前のいうことが正しいとわかるんだ」とか「じゃあ証明してよ」とかいう主張が強力であることを知っている.誰も「いやそんな根拠はないんだ」とか「そうだ,私の主張はクズだ」とはいわない.みな自分の主張は正しいということを前提に議論するのだ.

 
ピンカーの理性擁護の最初の一発は「そもそも理性を否定してしまったら,何らかのまともな主張や議論ができるはずはない」ということだ.これは当然だろう.理性の否定者はまともな議論を拒否しているのと同じだ.ここから話を始めざるを得ないほど,脱構築主義などの理性否定論者が論壇やアカデミアに巣くっているということ自体が嘆かわしい限りだということだろう.

*1:リスのようだという面白い言い回しになっている

書評 「The Coddling of the American Mind」

The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure (English Edition)

The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure (English Edition)

 
本書は法学者であるグレッグ・ルキアノフと社会心理学者であるジョナサン・ハイトによる近時のアメリカの大学キャンパスで生じている問題についての本である.その問題とは,過度に拡張解釈された学生の「安全」を保護すべきであるとする風潮に学問の自由と学生たちのメンタルが脅かされているというものだ.
 
導入において本書が書かれることになった経緯が描かれている,(冒頭に虚構の寓話が仕込まれていて面白い)著者たちによると現在のアメリカのキャンパスには以下の3つの虚偽がまかり通っているという.

  1. 虚弱性の虚偽:あなたを殺さないものはあなたを弱くする
  2. 感情論法の虚偽:常にあなたの感情を信じよ
  3. 「我々対あいつら」論法の虚偽:人生は善人と悪人のバトルである

そしてこれは古代からの知恵にも,心理学リサーチからの知見にも反しており,これを信じるとその個人にもコミュニティにも有害になるのだと主張している.
そしてこれをルキアノフが気づいたのは2013年に,学生が「トリガリング」内容を講義コースから除去したり,そのような講演者を呼ばないように要求すると聞いたことだったそうだ.トリガリングとは社会正義運動家やフェミニストによる「ある言説の内容が『攻撃的: offensive』であること」を示す用語だそうだ.それはどのようなものが差別発言であるのかの例示なども含み,ホメロスやダンテの文章であってもそう指摘されうる.そして講義に際してそのような内容を含む場合には事前に「トリガリング警告」を行うように要求されるようになった.もちろん学生の過激な要求は昔からあったが,今回の風潮は「学生は脆弱で,守られなければならない」という前提があることが特異的なのだ.
ハイトはこの話をルキアノフから聞き,新しいモラルコードが大学で生まれつつあるのかもしれないと感じて一緒になぜこうなったのかを調べて2015年11月にアトランティック誌に投稿した.その後一連の警官による丸腰のアフリカ系アメリカ人容疑者の銃殺事件,トランプ当選,#MeToo運動などがあり,大学でのこの新しい風潮は加速した.そこで本書を執筆することになったということだそうだ.ここで著者たちは本書の性格についていくつかコメントしている.

  • 過保護は有害になり得る.しかしこれはある意味全般的な進歩の副産物であるとも言える.豊穣な世界の肥満のようなものだ.
  • 本書では道徳的な議論を行わず,実践的な議論を行う.

 
本書は4部構成になっている.第1部でこの新しい『安全文化』の中身を解説する,第2部ではそれが大学や社会にどういう現象をもたらしているかが語られる.第3部でなぜこうなったかが吟味され,第4部で処方箋が提案されている.
 

第1部 悪いアイデア

 
冒頭の3つの虚偽が章ごとに解説されている.
 

第1章 虚弱性の虚偽:あなたを殺さないものはあなたを弱くする

 
冒頭では子どもにナッツに触れさせないことがナッツアレルギーを逆に増やしているという例が紹介され,過保護が逆に子どもの脆弱性につながりうることが説明される.そしてアメリカ国内で子どもの安全について20世紀までは身体的な安全性のみが問題になっていたが(チャイルドシート義務化など)21世紀になって「安全」が拡大解釈されるようになり「感情的安全」を含むようになったことがことが説明される.
しかし他者のどんな言説がどのように「危険」かをどう判断できるというのだろうか.20世紀の「トラウマ」,PTSDの議論を経て21世紀にその基準は完全に主観的なものになった.そしてアメリカの学生は2013年頃から感情的な痛みを感じれば,それは攻撃的で危険だと主張するようになった.これは1995年生まれ以降の世代(iGen)が大学に入ってきた時期になる.彼等は安全に取り憑かれ,安全スペースとトリガリング警告を要求するようになった.しかし子どもは本来様々な考え方に触れることによって精神的に鍛えられるのだ,この風潮は子どもを逆に脆弱にしているのだと著者たちは主張している.
 

第2章 感情論法の虚偽:常にあなたの感情を信じよ

 
この考え方は心理学的知見に真っ向から反している.よく確立された(鬱,食事障害,強迫神経症などに対する)認知行動療法においては,自分のオートマチックに生じる考えをよく吟味し,ネガティブな感情を断ち切ることを行う.そして多くの心理学的なリサーチは数々の認知の歪みを明らかにしている.
そしてこの感情論法が現在キャンパスに横行している.著者たちはいくつかの例をあげている.

  • 最近「マイクロアグレション:microaggression」が問題にされるようになっている.これはデラルド・ウィン・スーが2007年に提唱したもので,意図の有無を問わずに言葉や行動で示される微妙な差別的な行為(「英語がうまいですね」のような言動もこれにあたりうるとされる)を指すものだ.そもそも攻撃は意図的なもののはずだが,スーは問題はそれが与える感情的効果だとし,この概念を正当化する.しかしマインドリーディングではしばしば認知の歪みが生じることを考えるとこれは危ない(容易に意図を誤解されて糾弾される).
  • もう1つの感情論法の例はゲストスピーカーの「講演拒否(disinvitation)」だ.学生を不愉快にしたり怒らせたりする講演者は講演を拒否されるべきだという考え方に基づくものになる.これは現在しばしば大規模な抗議行動を生じさせている.これはソクラテス以来の西洋哲学の方法論を否定するものだ.

 

第3章 「我々対あいつら」論法の虚偽:人生は善人と悪人のバトルである

 
多くの抗議行動は「不正義がなされた」という単純な図式による主張を伴う.しかし事実はいつもより複雑だ.
ここで著者たちは現実の大学で生じた教職者による特に悪意はないとしか思えないメールや言動が「邪悪の意図の元に書かれた」と糾弾され,非難の大合唱の中で辞職を余儀なくされたケースをいくつか取り上げている.そして社会心理学的な「ヒトは容易に部族主義的なマインドセットに陥る」という知見を紹介し,このような「自分たちは正しく,相手は邪悪であり,糾弾されなければならない」という思考様式,特に「共通の敵」アプローチを採るアイデンティティポリティクスの危険性を指摘し,これを乗り越えるにはより包括的な「皆同じ人類だ」というアプローチを採ることが有効だと説明している.また近時のキャンパスではインターセクショナリティによる差別分析(様々な差別の軸を複合的に捉えるアプローチ)が流行っているが,これは学生を細分化し部族主義への傾向を助長しやすいこと,さらにこの「共通の敵」アイデンティティポリティクスとマイクロアグレション理論が組み合わされると「コールアウト文化(敵認定をした相手を公に糾弾し辱めることを是とするもの)」につながり,学生の教育にとっても,彼等のメンタルヘルスにとっても有害だであることが解説されている.
 

第2部 行動におけるバッドアイデア

 
第2部では第1部で解説された近時の風潮が一体どんな騒ぎを引き起こしているのかの具体例が取り上げられる.いずれの事件も迫力のある紹介振りだ.
第4章では2017年のUCバークレーで生じた暴動騒ぎ(これは右派のジャーナリストであるマイロ・ヤノプルスのキャンパスでの講演を阻止しようと一部学生が実力行使に及んだもの)をはじめとした右派講演者の講演実力阻止騒ぎの詳細が取り上げられて,これが「スピーチも暴力になり得る」という残念な思想の影響であることを指摘する.
第5章では「魔女狩り」案件が取り上げられる.まず冒頭で「魔女狩り」の特徴(急速に進行する,社会に対する犯罪が糾弾されるが,実際の行為は些細なものか捏造されたもの,被告を擁護することが難しい)を整理した後,実際の事件としてレベッカ・トゥバル事件(性転換に比べて人種転換Transracialismが非難されるのを考え直そうというエッセイが,トランスジェンダーの人を傷つけるものとして糾弾された)ワックスとアレクザンダー事件(社会問題の解決にはブルジョワ精神にもいい点があるというエッセイが,優越する文化を褒めてはならないというアカデミアのタブーに触れて糾弾された),エバーグリーン事件(人種問題を考えるためにこれまで自発的に有色人種の人々がキャンパスから1日消える形で行ってきた「デイオブアブセンス」を,今回学校側主導で白人が消えるように要請する形式に変えようとすることを批判した教授が糾弾され,最終的に大学全体が無秩序状態になって混乱した)が紹介される.著者たちはこのような状況はクリティカルシンキングに必要な視点の多様性を失わせるものだと憂い,背景にある1990年代半ばから急速に進んだアカデミアのリベラル化の問題を指摘する.
 
この章で実際に紹介されている事件はいずれも衝撃的だ.特に第5章の魔女狩り案件は集団が熱に浮かされたように空気に流されており,アメリカでもこんなことになるのかという驚きを感じざるを得ないものだ.
 

第3部 どうしてこうなった

 
著者たちはここからこのような風潮を創り出した要因を追及していく.著者の指摘する要因は6つある.

  1. 政治的二極化の進展と政党間の敵意の増大
  2. 10代の若者の不安と鬱の亢進
  3. 子育てプラクティスの変化
  4. 自由遊びの減少
  5. 大学の官僚化
  6. 国中を揺るがす大きな事件に対する正義を求める情熱の高まり

 
そしてここから6章をかけて順番に解説される.
 

第6章 二極化

 
アメリカの政治情勢は1990年頃から二極化が亢進している.これは政治的意見を聞くアンケートでも,政党に対する評価アンケートでも顕著に現れている.著者たちはこの原因として,(1)大恐慌,第二次世界大戦,冷戦という国を挙げてのチャレンジがなくなったこと(2)アメリカ人が自分たちをより区分して考えるようになったこと(3)メディアが多元化したこと(4)ギングリッチ以降議会において激しい衝突が生じるようになったことを挙げている.そしてこのような政治情勢の中で1990年代以降大学は左傾化した.これが大学内での右派の活動への敵意を亢進させたというのが著者たちの見立てになる.このような状況で生じる騒ぎについて著者たちは二極化サイクルと呼び,典型的な騒ぎの起こり方*1とその具体例を示している.またこのサイクルはトランプ当選以降悪化しているそうだ.
 

第7章 不安と鬱

 
著者たちが2番目の要因に挙げるのは2010年代以降若者の不安と鬱の比率が上昇しているというものだ.そのような不安心理が保護を求める動きにつながったというのが著者たちの見立てになる.著者たちは不安心理の上昇をコホート効果で説明しており,いわゆるiGen(インターネット世代:1995年以降に生まれたアメリカ人世代)を取り上げる.彼等はスマホやソーシャルメディアの影響を大きく受け,飲酒喫煙率が低く,成熟が遅く,より安定志向であり,不安と鬱の比率が高いとされる.そしてなぜiGenの(特に少女たちの)不安が大きいのかについてスマホとSNSの利用普及による仲間はずれ恐怖の増大を挙げている.
ここはピンカーが,診断基準の拡大やリサーチ方法の問題点から疑問視している部分であり,アメリカでも決着がついていないところなのだろう.著者たちは診断基準に関する批判にも言及しつつ,診断されることによる自己実現的な部分もあるとコメントしている.

 

第8章 パラノイア子育て

 
ここでは最近のアメリカの子育て風潮の変化が取り上げられている.アメリカでは1981年にハリウッドのシアーズで親が目を離した隙に誘拐された6歳の子供が遺体で発見された事件が全米の注目を浴び,(実際の誘拐リスクは極めて小さいにもかかわらず)子どもから目を離すことについての恐怖感がすり込まれた.著者たちは「子どもを絶対に1人にしない」はアメリカの新しい子育て行動基準になり,たとえば最近1人でニューヨークの地下鉄に乗ることを我が子に許可した母親がSNSで激しい非難を浴びるような風潮を創り出しているのだとする.
著者たちはこのような安全主義・ゼロリスク症候群は新たな問題を作るのだと指摘している.子どもが本来経験すべきことを経験できないことはスキルや独立心を得ることの障害になり得る.そして子育てプラクティスは社会階層の問題と絡む.中層以上家庭はこの安心主義さらに濃密干渉主義子育てに浸り,下層家庭は放任主義になっている.一見経験を積める下層階級の方が有利になるようにも見えるが,この文化の分断自体が下層から上層に移る障害になってしまう.
そしてこの中層以上のパラノイア子育ては3つの虚偽に直接結びつくと著者たちは主張する.子どもたちは世界は悪意に満ち危険だと教えられ,「我々対あいつら」世界観に容易にはまり込む.安全ではないという感情を信じるように諭されるのだ.
 

第9章 遊びの減少

 
哺乳類にとって遊びは成熟したあとで用いるスキルを学ぶために重要だ.だからヒトの子どもも遊びが大好きだ.ここで著者たちは“experience-expectant development”概念を解説し,いかにヒトの(言語や社会生活面での)発達にとっても遊びが重要かを説明する.だから子どもには子どもたち同士で自由に遊ぶ経験を積ませるとが重要なのだが,それが減少している.自由遊びは協力や争いの解決スキルの習得にとって重要だ.この能力が低いと3つの虚偽に誘引される.これが著者たちが指摘する4つ目の要因になる.著者たちは自由遊びが減少している理由について,前章で示した誘拐への恐怖もあるが,そのほかに大学入学のための(テスト勉強を含めた)準備時間の増加やスマホの普及があるとしている.
 

第10章 安全主義の官僚化

 
著者たちが挙げる5つ目の要因は大学側の問題だ.大学組織の官僚化は意図せざる悪い結果を招いているというのだ.
学生を守ろうとする官僚的規則は時に学生を非人間的に扱ってしまう(学生が悩みをカウンセルと相談しただけで,自殺的な思考を周りに感染させないようにという脅しのような文章が届く例が紹介されている).この背景には大学が肥大化して企業化することがあり,その結果レピュテーションリスクや法的責任リスクに対して過剰に反応してしまうこと*2.予防的な過剰規制がなされることなどが生じる.それでは教職と学生の間の信頼感は醸成されないだろうと著者たちは訴えている.
さらにここに主観的な感情だけに基づくハラスメント糾弾が加わる.これは発言を萎縮させ,キャンパスにおける言論の自由を蝕むものになる.著者たちは大学は「威厳の文化」から(トリガリング警告,マイクロアグレション,安全空間が要素となる)「被害者の文化」に変容しつつあり,これは学生にモラル依存を生じさせ,争いの解決能力を失わせるものだとコメントしている.
 

第11章 正義の追求

 
著者たちが挙げる最後6つ目の要因は少し面白い.まず著者たちはアメリカ政治の謎を提示する.アメリカでは1950年から54年にかけて生まれた白人はその前後に比べて民主党支持比率が高いのはなぜか.政治学者のギタとゲルマンはアメリカの投票パターンを分析し,人の政治傾向は18歳ぐらいの時の経験に大きく影響を受けると主張した.彼等の議論を受け入れると50年代生まれの白人が民主党支持に傾くのは公民権運動が燃えさかった時にその多感な時期を過ごしたからだということになる.
するとここ数年の政治環境がiGenの政治指向に大きな影響を与えることになる.それは警官による無抵抗な黒人容疑者射殺事件への抗議,ゲイマリッジ運動,49ersのQBキャパニックの国歌斉唱時の起立の拒否による抗議,#MeToo,そしてトランプ政権,銃規制を求めるデモということになる.著者たちはこれらの雰囲気は1968年から1972年にかけてのものとよく似ていると指摘する.iGen はより社会正義に敏感なのだ.
ここから著者たちは正義とは何かという解説に入っている.まず直感的には分配的正義(インプットに比例した報酬の平等)と手続的正義(機会の平等)があり,社会正義としてはまず直感に沿う「比例的手続き的社会正義」(誰かが分配的正義,あるいは手続的正義を無視されたらそれを見つけて解決する)があり,それはまさに公民権運動の柱になった.そしてもう1つは「結果の平等的正義」であり,これは直感とは食い違い,分配的正義や手続的正義を満たさない結果を要求することになる.著者たちはこれがクオータ制やアファーマティブアクションがしばしば激しい議論になる理由だとする.そして著者たちは今日の若者の正義への要求がしばしば後者の「結果の平等的正義」を追求するものであり,因果と相関を取り違えてグループアイデンティティ間の結果の差異を差別が原因だと断定しがちであることを憂えている.

第4部 気づこう

 
第4部では,ではどうすればいいのかが扱われる.著者たちの処方箋は以下のようなものだ.またこれらの改善の兆しもあるとしていくつか例を最後においている

<子育て>

  • 子育ての方向性を変えよう,試行錯誤をさせ,打たれ強くなるように育てよう.(自転車通学を許可しようとかサマーキャンプに参加させようとかいろいろな具体的なアドバイスもある,”LetGrow.org” のサイト(https://letgrow.org)も推奨している)
  • 最悪の敵も自分の誤った思考法ほど害悪ではないことを理解しよう.(認知行動療法やマインドフルネスを進めている)特に世界を善悪の対立と考えるのは有害であることを知ろう.
  • 学校のやり方も変えよう.宿題を減らし,監督下にない子どもの活動を増やそう.身体的なものを除き「安全」という用語を使わないようにしよう.中学以降は"intellectual virtues”を育て,ディベートや理性的議論を教えよう.
  • スマホなどのデバイスに触れる時間を制限しよう.その影響を子どもと議論し,睡眠を確保させよう.
  • 大学進学前にギャップイヤーを作って社会経験を積ませるようにしよう.

 
<大学>

  • もう一度「知的追求の自由」へのコミットを噛み締めよう.学生や教授が言論の自由を奪われそうになっていることを直視し,大衆の激情に流されないというポリシーを確立しよう.抗議者に講演者の排除権を認めるべきではない.
  • 多様性を確保しよう.ギャップイヤーを推奨し,"intellectual virtues”育成を実践している高校の枠を広げよう.
  • 明示的に3つの虚偽を否定しよう.
  • 細分化されたアイデンティティポリティクスに拘泥せずに「我々」の輪を広げよう.「本大学の精神」を掲げ,より多様な意見を大学内で表明できるようにしよう.

 
 
本書は現在アメリカの大学で生じている変化を扱う「教育と智恵」についての本になる.トランプ当選以降のアメリカのリベラルの憤りは深く,いろいろきしみが生じているだろうなあとは思っていたし,UCバークレーの騒ぎは聞いていたが,こうして読んでみるといろいろ深刻な部分があることがわかってくる.日本のキャンパスでは(若者の安倍政権支持率が比較的高いこともあって)少し事情が異なるようにも思うが,やはり思想的な影響は受けるだろうから,今後は注意が必要なのかもしれない(先頃「ヌードの美術講義が『セクハラ』だとして女性が京都造大を提訴」のようなニュースが流れたのは記憶に新しい).
また第3部の原因追求パートは現代アメリカのいろいろな側面が捉えられていてなかなか興味深い.私的には本書の読みどころだった.
処方箋のところは理想論に流れていてどうやって実践するのかのところが難しいだろうという感想だ.スマホの時間制限の是非というのも微妙な気がするし,「抗議者による講演者の排除を認めるべきではないこと」に関しては「あからさまなヘイトスピーチの場合にどうするのか,例外を認めるなら線引きをどうするのか」が実務的には最大の課題になると思われるが,本書はそこに触れておらず,やや物足りない.
本書はピンカーの「Enlightenment Now」やマット・リドレーの「The Rational Optimist(邦題:繁栄)」の議論に大いに触発されたとも書かれているが,それでもところどころピンカーの言う進歩懐疑主義的な記述もあって面白い.それもこれも合わせていろいろと参考になった一冊だった.
 

*1:左派の教授による右派のやり口を非難するコメントに対して右派のメディアがその一部をねじ曲げて取り上げてレイシストだと反撃,それに学生が乗せられて教授の糾弾騒ぎに発展し,大学当局は教授を擁護できないという流れが典型的だそうだ

*2:HBOの人気テレビシリーズ「ゲームオブスローンズ」の「我は自らのものを火と血でもって得るだろう(I will take what is mine with fire and blood)」というスローガンが入ったTシャツを着た娘の写真をSNSに投稿した教授にたいして「FireはAK47を連想させる」として休職措置をとった例が紹介されている