Enlightenment Now その79

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第23章 ヒューマニズム その9

啓蒙運動思想の主敵であるロマンティックヒロイズムを扱うピンカーの考察は,その源となるニーチェの思想からどう発展してきたかに焦点を移す.ニーチェ思想は20世紀にはナチズム,ファシズムその他のロマンティックナショナリズムに取り込まれ,そして21世紀にはトランプ政権にも影響を与えているというのがピンカーの主張になる.
 

  • ニーチェのロマンティックヒロイズムは単一の人類種の栄光を語っているが,それを部族,人種,国家に置きかえるのは簡単だ.この置き換えを経てニーチェ思想はナチズム,ファシズム,その他のロマンティックナショナリズムに取り込まれた.そしてそれは政治劇場において今日にまで続いている.
  • 私はトランプ主義は純粋のイドであり,心理の暗黒面からの部族主義と権威主義の吹き上がりだと考えてきた.しかし権力を手にしたマッドマンはその狂気を数年前のアカデミアの書き物から得ているのだ.トランプ主義の知的なルートというのは撞着語法ではない.トランプは2016年,136人の「アメリカのための学者と作家」の手になる「統一のための声明」なるマニフェストから推奨され,自称インテリであるスティーヴ・バノンとマイケル・アントンのアドバイスを受けている.権威主義的ポピュリズムについて単なるパーソナリティ以上の分析を望むならこの背景にある2つのイデオロギー「ファシズム」と「反動」をよく吟味すべきだ.

 

  • 「ファシズム」はイタリア語のグループを表す言葉が語源になっている.そして「個人」は単なる神話であり,人々は文化や血統や故地から不可分の存在だというロマンティックな概念から生まれた.初期のファシストインテリの思想はニーチェの影響を受けており,ネオナチやバノンやオルタネ右翼によって再発見されている.
  • 今日のファシズムライトは時に「淘汰単位はグループであり,人類はグループのために自らを犠牲にするように進化した」という粗悪な進化心理学的議論による正当化が試みられる.その議論は「誰もコスモポリタンにはなれない.ヒトであるためには何らかの国家に属するしかない.他民族,多文化社会はうまくいかない.国家がその利益をインターナショナルな取り決めにより自制することは偉大になるという生まれながらの権利を放棄することだ.国家は有機的一体物であり,その偉大さは偉大なリーダーに体現される」という風に続く.

 

  • 「反動」イデオロギーは「神権保守(シオコン)」だ.ネオコンという偽りのラベルに隠れているが,最初のシオコンは極左と極右から革命への熱気を受け継いだ1960年代のラディカルだった.彼等はまさにアメリカ政治の啓蒙運動的ルートを考え直そうとした.人権,自由,幸福追求などの目標は,道徳的社会の構築のためには生ぬるいと考えたのだ.(啓蒙運動の)貧困な考え方は(ポルノや堕胎を含む)社会の崩壊,快楽主義と不道徳の蔓延を産むだけであり.社会は(伝統的キリスト教の)権威から来るもっと厳しい道徳規準の下で団結を進めるべきだとしたのだ.
  • シオコンは啓蒙運動こそ教会の権威を掘り崩し,西洋文明からソリッドな道徳基準を奪ったと考えた.60年代.クリントン政権,オバマ政権のたびに彼等はアメリカの道徳が地に落ちると煽り,さらにもしヒラリー政権になれば間違いなくどうしようもなくなると煽った*1.歴史家のマーク・リラが指摘するように,彼等は原理的なラディカルイスラム主義を敵視するが,考え方は驚くほど似ている.両方とも過去のやり方を復活させる英雄的指導者のみが社会をかつての黄金時代に引き戻せると考えているのだ.

粗悪な進化心理学的議論としてギンタスとボウルズの主張が取り上げられている.彼等のスロッピーな議論が現代のファシズムライトに影響を与えているなら,彼等に対するピンカーの辛辣な態度も頷ける部分だ.実際にスロッピーなグループ淘汰主義者はしばしばグループ淘汰による利他的傾向を「善」と扱うが,それと全体主義との関係についてどう考えているのかいつも疑問に感じるところだ.(なおピンカーの筋悪グループ淘汰主義者への反論についてはhttps://www.edge.org/conversation/the-false-allure-of-group-selection参照,このコメントについての私のブログエントリーはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20120714/1342252016以降にある)
 
ギンタスとボウルズによるグループ淘汰を用いて戦争時の自己犠牲的傾向が人類の利他的傾向を生んだと主張する本.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

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  • 作者: サミュエル・ボウルズ,ハーバート・ギンタス,竹澤正哲,高橋伸幸,大槻久,稲葉美里,波多野礼佳
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 2017/01/31
  • メディア: 単行本
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*1:アントンはこの状況を911のハイジャック事件にたとえ,「今すぐコックピットに突撃しなければ死んでしまうぞ」と言うエッセイを書いているそうだ

Enlightenment Now その78

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第23章 ヒューマニズム その8

 
ピンカーによるヒューマニズム擁護.ピンカーが主敵とみる真の対抗思想はロマンティックヒロイズムになる.そしてその思想の起源であるニーチェへの激しい弾劾が行われる.なかなか厳しい糾弾になっていて,あまりニーチェのことをよく知らないと(あるいはよく知っているとなおさらなのかもしれないが)びっくりする.これはあちらでも結構話題になっているようだ.
 

  • ヒューマニズム的価値へのもう1つの敵に議論を移そう.この敵は権威主義,ナショナリズム,ポピュリズム,反動的思想,ファシズムの影に潜んでいる.このイデオロギーは有神論的道徳と同じように知的メリット,ヒトの本性への結びつき,歴史的不可避性を標榜する.これらは全て間違っている.しかしまずこのイデオロギーの歴史から見ていこう.

 

  • 反啓蒙運動思想の代表者を一人挙げるとすると,それはフリードリヒ・ニーチェになるだろう.本章のはじめの部分で私はヒューマニズム的道徳がどのように無神経で利己的で誇大妄想狂的なソシオパスに対処できるかを論じた.しかしニーチェは無神経で利己的で誇大妄想狂的ソシオパスになることは良いことだと主張しているのだ.彼にとって大衆はどうでもよかった.そして以下のように論じた.

重要なのは善悪を越え強い意思を持ち英雄的栄光を達成する超人なのだ.このような超人によって人類種のポテンシャルは実現でき,より高みに達することができる.栄光は,病気を直したり,飢餓を解決したり,平和をもたらすことではなく,芸術的マスターピース,軍事的征服によってもたらされる.西洋はホメロスの古代ギリシア,アーリア人の戦士,バイキングの時代から凋落を続けている.特にキリスト教的な奴隷の道徳性,啓蒙運動の理性の崇拝,19世紀のリベラル運動によって凋落は加速化された.これらは退廃を生んだだけだ.

  • これらはまるで悪ガキの中二病的主張だ(ピンカーは「a transgressive adolescent who has been listening to too much death metal, or a broad parody of a James Bond villain like Dr. Evil in Austin Powers.」と表現しているがまさに悪ガキの中二病ということだろう).しかしニーチェは20世紀の最も影響力のある思想家の1人だった.
  • 最も特筆すべきは,ニーチェは第1次世界大戦を招いたロマンティックミリタリズムと第2次世界大戦を招いたファシズムを鼓舞したことだ.ニーチェ自身はドイツのナショナリストでもユダヤ排斥主義者でもなかったが,ナチズムによく引用された.ムッソリーニはイタリアのファシズムとニーチェの思想の関係をはっきり認めている.あまり知られていないが,ボルシェビキとスターリン主義にも影響を強く与えている.暴力と力の栄光,民主制の破壊,ヒューマニティの蔑視などニーチェの思想と20世紀の大量虐殺の関係は明らかだ.
  • しかし驚くべきことにニーチェはいまでも広く尊敬を集めているのだ.それはニーチェの主要な思想が説得力を持つからではない.バートランド・ラッセルはそれはニーチェの「私はペリクレス時代のアテネかメディチ家のフィレンツェに生まれたかった」という言葉だろうとしている.
  • ニーチェの思想はモラルの最初のテストにすら合格しない.私がニーチェと対面できればこう言ってやっただろう.「私はあなたの言う超人だ.冷静で厳格で感情を持たない.あなたの言う通り私は小人どもを虐殺して英雄になろう.そしてまずあなたから血祭りに上げるのだ,もしあなたが私がそうすべきでない理由を挙げることができれば別だが」と.
  • ニーチェの思想が残虐で一貫性がないにもかかわらず,彼のファンが多いのはなぜだろうか.それは芸術家や戦士が独自の人生を歩めるという倫理は芸術家や戦士たち,そしてそれは第2文化インテリに受けがいいからだろう.(ニーチェのファンである著名芸術家,第2文化に属する文化人のリストが示されている)
  • またニーチェは「真実はどこにもない.解釈だけだ」とコメントしており,相対主義者にも受けがいい.そしてハイデッガー,サルトル,デリダたちに多大な影響を与え,科学と真実を馬鹿にするすべての20世紀思想(実存主義,批判理論,ポスト構造主義,脱構築主義,ポストモダニズム)のゴッドファーザーとなった.
  • 実際に多くの20世紀の芸術家とインテリは全体主義独裁者を賛美した.(独裁者を賛美したインテリたちのリストが載せられている.バーナード・ショーとイーツ→ムッソリーニ,ショーとHGウェルズ→レーニン,ショーとサルトルとピカソ→スターリン,サルトルとルウォンティン→毛沢東,サルトル→カストロあたりが目を引く)
  • なぜ多くのインテリが虐殺者である独裁者を賛美するのだろうか.インテリこそまず権力のごまかしを脱構築すべきであり,芸術家は人々への思いやりの範囲を広げるものではないのだろうか.1つの説明は職業的ナルシシズムだ.インテリや芸術家はリベラル民主制の元では評価されてないと感じ,独裁者はトップダウンで彼等に役割をもたらすと考えるのかもしれない.しかし独裁者への愛はニーチェ思想の(安物の芸術を好む)一般人への軽蔑とぐだぐだの民主主義を越えて英雄的な社会を作る超人への賞賛によってもはぐくまれたのだ.

 
ニーチェのような思想がロマンティックミリタリズムやファシズムに影響を与えるのはある意味当然でわかるところもあるが,スターリンにも影響を与えているとは知らなかった.またポストモダニズムへの流れもピンカーの糾弾につながっているのだろう.しかし悪ガキの中二病扱いされてはニーチェ哲学のファンにとっては許せないところもあるだろう.いろいろあったのも頷ける.

書評 「誰もが嘘をついている」

誰もが嘘をついている?ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性?

誰もが嘘をついている?ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性?

 
本書はGoogleのデータサイエンティスト*1であったセス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツによる,ビッグデータと統計分析から何か見えてくるかを,その分析の勘所や豊富な実例と共に解説してくれる本になる.最近の技術やデータセットによりこれまでわからなかったことが急速に可視化される最先端の興奮をたっぷり味わえる面白い本に仕上がっている.

最初にスティーヴン・ピンカーが本書の中身をよく示す素晴らしい序文を書いている.ヒトの思考を調べるのは難しい.そもそも思考は複層的で複雑に絡み合った対象であり,モノローグを解析するには数量化するほかないが,それではその複雑さが失われる.またヒトは尋ねられたことに正直に答えるとは限らない.さらに分析者は「少数の法則」バイアスに悩まされる.その中でスティーヴンズ=ダヴィドウィッツは人々が何かを検索する際のプライベートな行動をビッグデータとして扱うという手法を紹介してくれている.そしてその手法だけでなく実際に得られた知見も非常に興味深いとコメントしている.いかにも面白そうな本だ.
 

序章 いま起きているビッグデータ革命

 
冒頭では2016年の大統領選が取り上げられる.検索データの威力が最もよく現れた例だということだろう.選挙前,世論調査の専門家は誰もトランプの当選を予想していなかった.それに先立つオバマの当選はアメリカの選挙民がオバマの人種性を気にしていない(つまり選挙民のごく一部にしか人種的偏見はない)ことを示していると受け取られていた.しかしスティーヴンズ=ダヴィドウィッツはGoogleトレンドを通じて,人々が公式に答えることと検索というプライベート空間における行動が異なっていることに気づき始めていた.人種差別のような問題では伝統的な情報源では表に出ないことがGoogle検索では顕わになる.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは次のように解説している.

  • メディアにある米国の人種差別感の状況が正しいとするなら,人々がGoogleで「nigger」という醜悪な単語を検索する頻度は非常に低いと予測される.しかし実際にはそうではない.Googleトレンドではnigger jokeを楽しむための検索がかなりの頻度で観測されるのだ.
  • 「nigger」検索データから米国内の人種差別マップを描くと伝統的な北部対南部ではなく東対西の構図*2になっている.共和党員の方が差別的であるわけでもないようだ*3.そしてオバマの苦戦した地域はこの人種差別の濃い地域ときれいに重なるのだ.概算するとオバマは人種差別的偏見で4%の票を失ったと考えられる.
  • 選挙の予想に関しては,世論調査を補完するデータとして,候補者を並べて検索するときの順序が予想データに使えることがわかった.
  • 検索データによる選挙予想は始まったばかりの科学であり,トランプの当選が事前に予測できたとは言えない.しかし当時から世論調査より善戦しそうだという徴候は確かにあった.候補者の検索順序,そして何より密かな人種差別的感情が検索データには表れていたのだ.クリントン当選を予測したネイト・シルバーは予測が外れた後,なぜ外れたかをデータから検証した.そしてトランプ支持と最も相関が高い要因は「nigger」検索であることを見いだしたのだ.

もちろんこのようなビッグデータは万能ではない.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは干し草の山の中から針を見つける方法が重要だとコメントしている.実は重要な発見ほど,必要なデータ数は減る(効果量が大きいものの発見にはサンプル数が小さいデータでも十分だという意味だと思われる).必要なのは正しいデータであり,さらに正しい問いが重要だ.そしてこれをうまく使えば,これまで得られなかった驚くべき知見が得られるのだ.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツによる例示が面白い.

  • 失業率の上昇時に人種差別的検索が増えることはない.
  • 不安に関する検索頻度は都会より農村地域の方が多い.テロ直後に増えることもない.但しジョークについての検索は月曜日,曇りや雨の日に少ない.テロ事件のような悲劇の後にも減る.
  • 性的嗜好を巡る検索には思ってもみないデータが現れる*4

 

第1部 大きなデータ,小さなデータ

 

第1章 直感は裏切り者

第1部はデータサイエンスのコツ,いかに直感を排除して正しい分析に至るかが解説されている.データサイエンスとは結局パターンを見いだしてある変数が別の変数にどう影響するかを予測することだ.そしてそれはヒトは毎日にように直感的に行っていることであり,実は思ったほど複雑ではないのだとスティーヴンズ=ダヴィドウィッツはいう.ここで直感的にもわかりやすい驚くべき発見の1つ例があげられている.

  • 後に膵臓がんになった少数のユーザーとその他のユーザーの健康関連の検索データを分析すると,「腰痛」→「肌の黄ばみ」,「消化不良」→「腰痛」と検索する人は後に膵臓がんと診断されやすく,単に「腰痛」や「消化不良」だけを検索しても膵臓がんに診断されやすくなるわけではないことがわかった.(このような順序で検索する人の5~15%は後に膵臓がんと診断される)

 
しかし直感には落とし穴がある.直感のもとになるデータ数は総じて小さい.特に自らの経験に大きな重みを与えてしまうし,偏見や印象的な物語にも惑わされやすいのだ.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツはそれをよく示す例を1つあげている.

  • 「貧困家庭で育つ方がNBAで成功しやすいか」という問題について,多くの人はハングリー精神が役に立つだろうと考えyesと答える.しかし人種差を調整し,出生数あたりのNBA選手の割合を豊かな地域と貧困な地域で比較すると,「豊かな地域に生まれた方がNBA入りするチャンスが遙かに高い」ということがわかる.アフリカ系のNBA選手がシングルマザーの元で育った比率は,全米のアフリカ系の男性の平均より30%少ない.またいわゆる黒人っぽい名前*5を持つ比率も全米平均より小さい.
  • なぜか,まず貧困層の方が身長が低いことが大きく効いているだろう.統計的には身長が1インチ伸びるとNBA入りするチャンスは倍増する.もう1つの理由は.貧困育ちだとNBAに指名されるためのある種の社会的スキル(周りと問題を起こさない,ドラッグに手を出さないなど)に欠ける傾向にあるためかもしれない.

 

第2部 ビッグデータの威力

 
第2部は見つかった様々な知見が紹介される.
 

第2章 夢判断は正しいか?

 
スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは面白いデータサイエンスの例として,フロイト理論の検証という興味深いテーマを最初に取り上げている.
 

  • フロイトの理論は興味深いが,検証する方法がないとされ,最近ではあまり真剣に取り上げられなくなっている.しかしデータサイエンスはついにこの検証方法を見いだした.
  • フロイトは性的願望は夢に現れるとする.これはどのように検証できるか.ユーザーが夢を記録するアプリ「シャドウ」のデータを使て調べると,バナナなどのペニス状の野菜や果物の夢の頻度が特に高いわけではないことがわかった.

https://wired.jp/2013/09/27/shadow-a-beautiful-app-that-helps-you-remember-your-dreams/

  • また失言や誤記に無意識の願望が表れるとする主張,フロイト的錯誤理論はどうか.マイクロソフトにあるスペルミスのデータを調べたが,性的なスペルミスが有意に多いわけではないことがわかった.この2つの理論は偽だったのだ.
  • では近親相姦願望説,エディプスコンプレックス理論はどうか.ポルノ動画サイト「Pornhub」のデータを調べたところ,男性ユーザーの検索上位フレーズ100のうち16は近親相姦がらみで,その過半数は母と息子に絡むものだった.さらに女性ユーザーの検索上位フレーズ100のうち9は近親相姦がらみで,過半は父と娘の絡むものだった.Google検索の「私は〇〇とセックスしたい」の〇〇に最も多く入るフレーズは「母」であり,検索の3/4が近親相姦がらみだ.Google検索データはやや禁忌に傾く傾向があるが,しかしこの結果は何かを物語っている.
  • 「Pornhub」のデータをさらに分析し,私は性衝動の新しい理論への道筋が見えたように感じている.それはフロイトの理論とそっくりではないが,要因としてはフロイトが主張したいくつかのテーマを含むものになりそうだ.幼少期と母親はとても重要であるだろう.

なぜ10年前には不可能に思えたフロイト説の検証がビッグデータを用いて可能になったのか.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツはビッグデータのメリットを以下の4つの要因に分けて説明している.これが第3章から第6章のテーマになる.

  • かつては入手できなかった新しいデータソースの出現:これまでポルノのデータは社会学者がほとんど利用してこなかった.彼等は伝統的なサーベイとデータに安住している.しかしポルノの普及による関連データの入手可能性は最近大きく進展した.
  • アンケートでは得られない正直なデータの出現:性的な欲望についてアンケート調査に正直に答える人は少ない.GoogleやPornhubはいわばデジタル自白剤のようなものなのだ.
  • データ数が大きいことにより小さな部分集団についても有意義な分析ができる.
  • 手軽に比較対照試験ができる:これにより単なる相関ではなく因果に迫ることができる.

 
フロイト説の検証の話は衝撃的だ.しかし進化心理学を学んだ者としては,「男性は(幼少期の条件によっては)母親との近親相姦願望を持つ」という示唆は疑問だ.確かにポルノには近親相姦ジャンルがあり,一部の男性はそれを見たがるのだろう.しかしそれは,「誰かが彼の母親(つまり自分の母親ではない女性)と絡んでいるのを見たい」ということであり,「自分の母親とやりたい」というのとはかなり異なっているのではないだろうか*6.とはいえエビデンスにはオープンな態度でありたいし,続報を待つことにしたい.

  

第3章 何がデータになるのか

 
第3章では新しいデータセットの威力が次々に紹介される.
 

  • これまでマーケットを左右する最も重要なデータは月次の雇用統計だった,それが最近の経済の姿を最も早く示すものだったからだ.しかしGoogle検索データでもっと速く経済動向をつかめないだろうか.
  • Google Correlateで失業率の動向と相関の高い検索語句を調べると(こうした単語はどんどん移り変わるが,そのときは)「Slutload」だった.これは有名なポルノサイトで,おそらく失業者は暇をもてあましてこういう検索をかけていたのだ.様々な暇つぶし検索を統合すれば失業率の趨勢を雇用統計より速くつかむことは可能だろう.

 

  • 新種のデータはネット関連に限られるわけではない.競走馬のオーナーへどの馬を競り落とすべきかを助言する会社のジェフ・セダーは業界に革命を起こした.彼は皆が使っている「血統」以外の有効なデータソースを探し求め,ついに心臓の大きさ,特に左心室の大きさが馬の戦績を予測する有効な変数であることを見つけたのだ.(このほかにも脾臓の大きさ,足並みのパターンなどの有効変数も見つけている)
  • 教訓は2つある.1つはこれまでいい加減なやり方がまかり通っていた領域をあたるということ,もう1つは自分のモデルがどうして有効かを気にしすぎる必要はないということだ.

 
ここからスティーヴンズ=ダヴィドウィッツは相関を見いだしたり,回帰予測をすることによって,それまでの専門家たちを出し抜いた逸話,Google Ngramによる分析例が紹介される.これらは「その数学が戦略を決める」「カルチャロミクス」で紹介されている話と同じだ.

新しいビッグデータの分析例としては「用語分析」の例が数多く紹介されている.男女のデートの成功と会話の用語選択を分析する例*7,フェイスブック投稿文章の用語使用を性別などの様々なカテゴリー別,時期別の分析をした例*8,小説の用語選択からストーリーラインをグラフ化する例,シェアされる記事の用語選択の例,新聞記事の政治姿勢を用語分析から定量化する例などが取り上げられている.いずれも詳細がいろいろと面白い.
 

第4章 秘められた検索

 
第4章はビッグデータの第2の力,正直なデータが得られるというテーマを扱う.アンケート調査においては人々は嘘をつくことは古くから知られている.それはヒトには様々な嘘をつく動機があり,アンケート調査には真実を述べるインセンティブがないからだ.これに対してオンラインでは,1人であり,調査員が介在せず,より正直になりやすい上に,例えばGoogle検索には「本当に知りたいことを得られる」という本音を吐かせるインセンティブがあるとスティーヴンズ=ダヴィドウィッツは説明する.そして挙げられているいくつかの例は面白い.

  • アメリカでは天気よりポルノ検索の方が多い.
  • 「子どもを持てば後悔するか」という問いかけより「子どもを持たないと後悔するか」という問いかけの方が7倍多いが,「子どもを持ったことを後悔している」は「子どもを持たなかったことを後悔している」よりも3.6倍も多く入力されている.(検索窓は告解の場としても機能している)
  • ゲイ人口比率をアンケート調査すると寛容な州の方が比率が高くでるが,ポルノのゲイ検索比率は全米で一定であり,ほぼ5%となっている.
  • 「私の夫は」に続く検索用語は「ゲイか」の方が「浮気しているか」よりも10%も多い.

本章はこのほかポルノの検索や,セックスに関する検索についての様々なデータ,そして差別的意識に関するデータや分析が満載になっている.これらはまさに過去にはなかったデータであり,いろいろと興味深い.いくつか紹介しておこう.

  • これまであまり論じられていない男性の欲求対象には女装した男,おばあちゃん,ペニスのある女性などがある.女性による検索の上位には「女性に対する暴力を含むポルノ」が入っている.この比率は男性の2倍ある.
  • 男性はペニスの大きさに悩み,女性はおしりの小ささに悩んでいる.女性は相手のペニスの大きさをあまり気にしていないが,男性には(巨乳に対して1/20だが)巨尻への願望がある
  • 親は自分の子どもの才能について,男児の場合の方が女児の場合より遙かに頻繁に検索する.容姿についての検索は女児の場合の方が多い.
  • 多くの人はインターネットは似たもの同士が同じようなサイトに閉じこもることにより分断的に働いていると考えているが,実際に調べてみると,ニュースサイトで遭遇する相手が対極的な政治信条を持つ確率は45%もある.実生活より仮想空間の方が自分と対極的な人物と共存しやすいのだ.それは一部のサイトが非常に巨大なこと,人はしばしば議論をふっかけるために対極的な立場のサイトを実際に訪れるからだ.
  • 公式統計ではリーマンショックの景気後退中も児童虐待は増えなかったが,「ママが僕をぶつ」などの検索は増加していた.児童虐待に対処すべき人々が手一杯だったか失業していた可能性が高いと思われる.

スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは最後にこのデジタル自白剤についての考えをまとめている.

  • ネットのビッグデータがすべてデジタル自白剤であるわけではない.フェイスブック,インスタグラムなどのSNSはデジタル自白剤ではなく,自分がこんな良い暮らしをしているのだと見せびらかす「デジタル自慢剤」として作用している.
  • デジタル自白剤により得られる真実には価値がある.それは巨大な利益を生む可能性がある.(フェイスブックやNetflixの成功の一部の要因が語られている)
  • またその情報は,不安や気恥ずかしい行動を抱えているのは自分だけではない*9と人々に自信を与えることができる.また苦しんでいる人々がいることに気づかせてくれる.そして様々な問題を解決するために役に立つのだ.

 
心理学の最も伝統的なリサーチ手法は質問紙によるアンケート調査だ.通常被験者はアンケートに嘘をつくインセンティブを持たないが,テーマが微妙なもの(特に本人のレピュテーションに効いてきそうなもの)については意識的,無意識的に話を盛ることは避けられないだろう*10.そういう意味で,この「答えを知ることができる」が正直になることのインセンティブとなっている検索データは非常に貴重なデータソースだろう.心理学への今後の影響に興味が持たれるところだ.
 

第5章 絞り込みという強力な方法

 
ビッグデータはその名の通りサンプル数が多いので,その一部集団に絞り込んでもなお意味のある分析が可能になる.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツはその良い例として「少年期の経験が地元野球チームを熱狂的に応援するようになることに影響を与えるか」という問題を取り上げる.

  • ニューヨーク在住の男性がメッツファンである比率を生まれ年ごとにプロットすると二山の分布になり1962年と1978年がそれぞれのピークになる.メッツが1969年と1986年にワールドシリーズを制覇していることを考えると,7~8歳の時の経験がひいきチームを持つかどうかに大きく効いているのではないかと推測できる.
  • その仮説を検証するためにフェイスブックの「いいね!」を分析すると,1962年生まれの男性にオリオールズ(1970年優勝),1963年生まれの男性にパイレーツ(1971年優勝)のファンが飛び抜けて多いこともわかった.さらに全チームについて調べグラフにプロットすると8~11歳ぐらいの時に地元チームがワールドシリーズで優勝するとファンになりやすいというカーブが得られた.(なお女性について調べると,パターンは遙かに不鮮明だが,ピーク年齢は22歳頃だそうだ)

同様な研究に,人は年齢を重ねるにつれて政治的見解が保守的になるわけではなく,生まれ年によって保守的になるのか,リベラルになるのかの傾向が異なっていることがわかったというものがあるそうだ.同様な絞り込み型のリサーチには地域別の分析もある.ここで健康との関連,脱税の頻度,子どもの成功などいくつかのリサーチが紹介されている.またある特定の問題について予測するために同じような条件を持つデータを大量に集めるという方法(人の場合には分身検索法ということになる)もある.これらの研究はデータが大きいから初めて分析可能になるものだ.いくつか面白い知見を紹介しよう.

  • 貧しい家庭に育った子どもが成功できる確率は米国内の都市により様々だ.成功確率の高さは,教育投資が多い,宗教心が厚い人が多い,犯罪率が低いなどの特徴と相関している.
  • 脱税の頻度は地域による分散が非常に大きい.頻度の高さと相関する特徴は勤労所得贅沢控除対象者が多い,税の専門家が多いの2つだった.これは脱税の情報の入手のしやすさが脱税の頻度に効いているためだと思われる.
  • 子どもの成功確率と相関する変数には,大学街,大都市のほかに移民人口比率がある.州の教育費投資は相関がなかった.
  • 妊婦が気にすることは世界各国でばらばらだ.(「〇〇して良いか」の検索用語の詳細な表が添付されていて興味深い)
  • 人気のある暴力映画が公開された終末には犯罪が減る.分刻みのデータを分析した結果,それは犯罪予備軍が映画を見るために路上からいなくなり,飲酒量も減るためらしいことがわかった.
  • 分身検索法はスポーツ選手の年齢効果を予測するのに有効だった.医療においてはさらに有益な成果が期待できる.

 
これはまさにデータが「ビッグ」であることによるメリットの本質的な部分だろう.様々な現象について分析の解像度が増すのだ.
 

第6章 世界中が実験室

 
ネットでは因果を調べるためのコントロール実験が容易に行える.これはA/Bテストと呼ばれる.A/Bテストの結果の多くは事前の予測とは全く異なったものになる.(様々な例が紹介されている)またごく小さな条件の違いが大きな結果の違いに結びつくことも多い.Googleをはじめとする大手のネット企業のサイトはこのテストを常に大量に繰り返してサイトの向上を図っている.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツはA/Bテストはネットの依存性にかなり貢献しているだろうと示唆している.
また自然実験もビッグデータがあればより利用しやすい.ここでは自然実験によるリサーチがいくつか解説されているが,やはり面白いものが多い.いくつか紹介しよう.

  • テレビCMの効果を図るのは難しい.しかし2012年と2013年のAFCチャンピオンシップ(勝ったチームがスーパーボウルに出場する)が同じチームの組み合わせで結果が逆になった(2012年はペイトリオッツ,2013年にはレイブンズが勝利)ことでスーパーボウルTVCMの効果を測る素晴らしい自然実験が可能になった.これに引き続いて開かれたスーパーボウルの視聴率が,ボストンとボルチモアでちょうど逆になったからだ.(進出チームの地元都市の方が10%高くなった)観測された効果は事前予測より遙かに大きかった.リサーチはスーパーボウルのCM枠の価格が非常に高価ながら実は割安であることを示している.
  • ニューヨークの有名私立高校(スタイベサント高)の教育効果を測るために,合格点ぎりぎりで受かった生徒と落ちた生徒のその後の成功を追跡調査した.その結果、教育効果はゼロで,スタイベサント高卒業生の成功はもともとの資質によることが明らかになった.

 
サイトデザインやゲームデザインならいくらでもA/Bテストが可能だが,普通の問題に何でも応用可能なわけではない.だから自然実験の話はなかなか興味深い.このリサーチは広告業界にかなり影響を与えそうだが,実際にはどうだったのだろうか.
 
 

第3部 ビッグデータ.取扱注意

 
第3部ではビッグデータの限界が解説されている.
 

第7章 できること,できないこと

 
ビッグデータは万能ではない.その良い例が市場予測だ.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツはラリー・サマーズと組んでそれに挑戦したことがあるそうだ.そしてその難しさについてこう解説している.

  • まず市場予測あるいは企業業績予測には既に優秀な人々により膨大な努力がつぎ込まれている.これに対抗するのは容易ではない.
  • さらに本質的な難しさがある.市場を予測しようとすると関連する変数は指数関数的に増えがちになる.それは結果にフィットする変数を見つけ出しやすくするが,予測力は下がるのだ.これは「次元の呪い」と呼ばれる.
  • 次元の呪いにはまらないためには,自分の発見に謙虚になることだ.何らかの予測変数を見つけたと思っても,しばらく追跡してみるべきだ(アウトオブサンプルテスト).ほとんどの場合相関はすぐになくなる.(自身の試みである検索データと新製品の成功,検索データと将来の投資動向などの例が紹介されている)

 
スティーヴンズ=ダヴィドウィッツはもう1つの罠をここで語っている.それはデータサイエンティストにとって数字はあまりに魅力的であり,それに入れ込んでしまう危険性だ.

  • 最初は,知りたいことの代理変数として何かを測定し始めるが,測定値自体にこだわってしまうことはよくある(「いいね!」の数が本当にユーザーの使用体験の評価を表すのかどうかは明らかではない).データの集めにくい問題を軽視しがちになることもある(セイバーメトリクスにおける守備の評価はその一例になる).
  • 解決法はビッグデータではない.人間的な判断力や小規模なサーベイが補完として有効になる.フェイスブックも時にはユーザーに感想を直接聞いている.彼等はそのために心理学者,人類学者,社会学者を雇ってもいるのだ.

 
スティーヴンズ=ダヴィドウィッツが語っている次元の呪いは統計の本質でもある.モデル化にあたってAICのようなアプローチは解説されていない.ビッグデータでは取り扱いが難しいということなのだろうか.2番目の罠は以下にも数字オタクたちのはまりそうなもので面白い.
 

第8章 やってはいけないこと

 
ビッグデータを用いるリサーチもリサーチの1種である以上,当然倫理的な問題を引き起こしうる.スティーヴンズ=ダヴィドウィッツのあげる例は,手法の倫理性ではなく,その結果が応用されることによる問題だ.

  • ピアトゥーピア型融資サイトの借金申し込み文言とその後の債務不履行の関係をリサーチした結果,不履行になる人達は「神」「お返しします」「病院」「約束します」「ありがとう」をより有意に使っていた.(履行する人達は「負債なし」「税引き後」「学卒」「低利率」「最低支払額」」をより有意に使っていた)
  • これは情に訴える人は借金を踏み倒しやすく,支払計画を示す人は履行しやすいことを示していると解釈できる.
  • ここまでは単なる学術リサーチだが,これを融資機関が利用するとなると,そこには倫理的な問題が生じるだろう.
  • さらに就職に関しては倫理的な問題が大きくなる.SNSの「いいね!」の数とIQに相関があることが明らかになりつつある.例えば「ハーレーダヴィッドソン」に関するページに「いいね!」をつける人は低IQと相関しているようだ.これらは利用可能だろうか.
  • このような問題は過去からあったが,データ革命はこのような代理的判断基準が一層秘技的に物事に浸透していく危険性をもたらしているのだ.
  • もう1つの問題は,個人個人のデータに沿って提示価格を変動させることができることだ.個人的データを握られるとぎりぎりまで搾取される可能性が増す.カジノは客から最大限に搾り取れる方策を充実させるだろう.
  • 犯罪予測の精度が増すと,どこまで事前介入が許されるかという問題が生じるだろう.これは殺人などの被害を防げるかもしれないだけに難しい問題を引き起こす.ただ現在の時点では個人レベルでの予測精度はまだ高くなく,ごく慎重に取り扱うべきだろう.

 
本章のスティーヴンズ=ダヴィドウィッツのコメントは総論にとどまっている.企業利用の問題は最後は法的規制のあり方ということになるのだろう.犯罪予測の問題は非常に悩ましい.犯罪予測は不可能だという前提で現在の制度は構築されている.本当にある程度の予測が可能になれば,最後は被害防止によるメリットと刑事手続きにおける人権をどう考えるかという問題になるのだと思われる.
 

結びに

スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは最後にいろいろな思いを語っている.

  • 本書の主張の核は「社会科学はいまや本物の科学になりつつある」ということだ.これまで社会科学は,時に空疎な専門用語を振りかざすだけの学問とみられがちだった.しかしビッグデータ革命は状況を大きく変えつつある.
  • そして我々の前にある多くのデータセットのほとんどはまだ手つかずだ.公衆衛生問題への応用は非常に有望だ.A/Bテストは教育効果を測るのにも使えるだろう.テキストデータからの知見も増えるだろう.
  • そして本書は実は「ヤバい経済学」の現代強化版なのだ.データ分析の将来は明るい.

 
 
本書はビッグデータによる分析のメリットは何か(今までにないデータセット,正直なデータ,絞り込み利用可能,コントロール実験が容易)を中心テーマにし,その利用のコツや限界にも触れている本ということになる.しかし本書の最も面白いところは最後に書かれているように「現代強化版のヤバい経済学」であるところだ.例として紹介されている様々なデータ分析は,差別意識やセックスがらみの正直なデータが得にくかったものをはじめとするこれまでなかった領域のもので本当に興味深い.ピンカーが「Enlightenment Now」でたびたび引用しているのも頷ける.本家ヤバい経済学のように第2弾,第3弾を期待したいし,日本に関する分析についても是非知りたいところだ.世の中の真実に興味にある人には強く推薦したい.
 
 
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*1:著者の経歴はちょっと面白い.スタンフォード大学で哲学を専攻し,ハーバード大学で経済学博士号を取得.Googleのデータサイエンティスト,ペンシルバニア大学ウォートン校の客員講師などを経て,ニューヨーク・タイムズ寄稿者となっている

*2:北部の中でもニューヨーク州北部,ペンシルベニア州西部,ミシガン州の工業地帯やイリノイ州の農村地帯などは人種差別が濃いことが観測されるそうだ

*3:スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは人種差別的なヒトの割合は共和党支持者でも民主党支持者でもあまり変わりないが,共和党支持者は自分が差別的であることを認めやすいのかもしれないとコメントしている

*4:「夫は」の次の検索語で多いのは「私に授乳して欲しいのか」だそうだ

*5:アフリカ系のキラキラネームのようなもので,貧困層で多いとされる

*6:それでも妹ジャンルより母親ジャンルの方がより検索されているというのには驚かされる

*7:これは詳細が結構面白い.相手への興味は,男性では,女性のジョークに笑うことや声が単調になることに現れ,女性では自分語りをすること.「I mean 」「ya know」などの表現に現れる.女性が「sorta」「kinda」などの婉曲表現を使うときは相手に気のないときだ.相手の気を引くには,男性は女性のリードに従うことが有効だ.女性側は「I」を使って自分語りすることが有効だが,容姿の重要性が圧倒的なために効果は小さい.質問が多いのは退屈している証拠だが,成功を示す最高のサインは「またあってくれる?」になる

*8:フェイスブックには自分の暮らしぶりについて嘘をつく傾向があるというスティーヴンズ=ダヴィドウィッツによる留保がある

*9:代表的な夫の評価はフェイスブックなどのSNSでは「最高」「親友」「驚異的」「すごい」「可愛い」になるが,検索では「ゲイ」「嫌なやつ」「驚異的」「うんざり」「嫌らしい」になるそうだ.「驚異的」が両方にあるのもちょっと面白い

*10:性がらみのもの,差別感情にかかるもののほかにも,サイコパス傾向の測定などのアンケート調査も結構怪しいのではないかと思っている

Enlightenment Now その77

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その7

 
ピンカーによるヒューマニズム擁護.有神論的道徳論からの批判への反論の最後にはイスラム教の問題を扱っている.ここは政治的には大変剣呑な部分なので,ピンカーとしても腹を括った上での指摘ではないかと思われる.
  

  • 有神論的道徳が西側で有害であるとして,それは現代のイスラムではさらに悪い状況を招いている.イスラム世界は世界の進歩傾向において(健康,教育,自由,幸福,民主制,富いずれにおいても)劣後しているのだ.2016年のすべての戦争はイスラム国家かイスラム主義者グループが絡んでいる.女性解放,個人の自由,言論の自由などの解放的価値はイスラム圏で劣後している.同性愛や魔女や涜神の犯罪化,残虐な刑罰の点で人権擁護の程度も低い.
  • これらのうちどれだけが有神論的道徳に原因があるのだろうか.まずイスラム自体に原因があるわけではない.イスラム文明は科学革命の先駆けとなったし,歴史を通じて寛容でコスモポリタンで,圏内はキリスト教圏より平和だった.女児割礼や名誉の殺人はイスラム法からではなく,西アジアやアフリカの部族的慣習から来ている.進歩阻害要因の一部は権威主義的政治から,一部はオスマン帝国の崩壊の際の西洋の干渉から来ているだろう.
  • しかし進歩阻害の一部は宗教的信念から来ているのも間違いない.イスラムの教義を文字通り受け取るとそれは非常に非ヒューマニズム的になる.コーランには不信心者への憎悪,殉教者への賛美,聖戦の神聖性があふれている.飲酒への鞭打ち刑,同性愛や不貞への石打ち刑,イスラムの敵への絞首刑,異教者の性奴隷化,幼児の強制結婚の許容なども定められている.
  • もちろんキリスト教の聖書も非ヒューマニズム的記述にあふれている.問題はどこまで文字通りに受け取るかだ.イスラムにも比喩や限定を巧みに用いる解釈学がある.しかし問題はこの微妙な偽善的技術が(キリスト教やユダヤ教に比べて)遙かに未熟なところなのだ.
  • また片方でイスラム世界では,自分をイスラムだと規定する人の大多数が自分を「非常に強く宗教的」と考えている.
  • この2つの組合せを考えると,イスラム世界の問題をすべて石油,植民地の過去,イスラムへの偏見,オリエンタリズム,シオニズムに求めるのには無理があると考えざるを得ない.定量的に調べると,国家間でも個人間でも父権主義や非リベラル的価値はイスラム要因と強く相関している.

 

  • これらの問題はかつてはキリスト教圏でも見られたものだ.しかしキリスト教圏では啓蒙運動に端を発して政教分離を進めてきた.しかしイスラム圏では政教分離の動きはほとんど見られない.(イスラムも含む)歴史家や社会科学者はイスラム教と政府や市民社会の強い融合がいかに彼等の経済的政治的社会的進歩を阻害してきたかを示してきた.
  • 問題を悪化させているのはサイイド・クトゥブに始まりアル・カイーダに受け継がれている「預言者の時代から初期アラビア文明時代の栄光の再現を目指す」反動的イデオロギーだ.このイデオロギーの信奉者は,十字軍に始まり現代の容赦なき世俗化まで含む西洋からの屈辱を噛み締め,厳格なイスラムの実践を目指す.
  • 有神論的道徳のイスラム世界における問題は明白であるにもかかわらず,西洋のインテリたちは,抑圧や女性差別や同性愛差別が(それが自分の文化圏で起これば容赦ない批判を浴びせるのに)イスラムの名の元に行われると奇妙に弁護的になる.彼等の態度は,一部はイスラムへの偏見を持っていると思われないためのもの,一部は文明の衝突を煽るのを避けようとしてのもの,一部は敵をロマン化する西洋インテリの伝統にしたがうものから来ているのだろう.しかこの弁護的態度の多くの部分は「信仰の信仰」主義者,第2文化にある宗教的なものに対する弱点,そして啓蒙運動ヒューマニズムにオールインすることへのためらいから来ているのだ.

 

  • 現代イスラム信念にある非ヒューマニズム的特徴を指摘することは,イスラムへの偏見でもなければ文明破壊的でもない.これによる被害はイスラム者が受けているのだ.イスラムは人種ではないし,宗教はアイデアでありそれ自体が権利を持っているわけではないのだ.それは基本的に共和党の政策を批判するのと同じなのだ.
  • イスラム世界に啓蒙運動を持ち込めるだろうか.イスラムの非ヒューマニズムを擁護する多くの信仰親和的インテリはそれは難しいと主張する.彼等によると,西洋は平和と繁栄と教育と幸福を享受できるが,イスラムはそのような快楽主義には染まらず,中世の信念と慣習にとどまるのだということになる.しかしこの恩着せがましい意見についてはイスラムの歴史自体が反例となっている.古典的イスラム文明は科学と世俗的哲学の繁栄を享受したし(16世紀のムガール帝国の事例が引かれている),今日のイスラム世界にもチェニジアやバングラデシュやマレーシアのようにリベラル民主制に向かって舵を切っているところもあるのだ.多くのイスラム国で女性への態度はゆっくりだが改善している.西洋でうまく働いた解放的な力(連結性,教育,流動性,女性の進出)がイスラム世界をバイパスしているわけではない.
  • そしてアイデアこそが問題になる.イスラムのインテリたち,作家たち,行動家たちはイスラムのヒューマニズム的革命を主張している.(いくつかの例が紹介されている)
  • 当然ながら新しいイスラムの啓蒙運動はイスラム者自身により広められなければならない.しかし非イスラムにも役割がある.世界のインテリネットワークはつながっており,西洋のアイデアと価値は様々な形でイスラム世界に流れ込みうるのだ.(いくつかの驚くべきつながりが紹介されている)

イスラムの内部の問題としては,政教分離が進んでなく,敬虔で教義を文字通り受け取る信者の割合が高いところにあるということになるだろう.ピンカーは指摘していないが,私としてはイスラム教は特に教義的に政教分離が難しいという部分があるのではないかと思う(キリストは政治権力を持ったことがなく「カエサルのものはカエサルに」という言い方をしているが,ムハンマドはまさに政教一致の政体を創りあげ,それを教義化しているということがあるだろう).
そしてここでも上から目線で偽善的な西洋のインテリの鼻持ちならない態度が厳しく糾弾されているということになる.

Enlightenment Now その76

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第23章 ヒューマニズム その6

ピンカーによるヒューマニズムの擁護.有神論的道徳からの批判への反論は,有神論的道徳そのもの,それを上から目線で大衆のためだとという「信仰の信仰」主義を順番に新無神論的ロジックで切って捨てる形でなされた.ここからは「宗教の再興」現象は本当かという点が扱われる.日本にいるとぴんとこないが,アメリカではトランプ当選あたりから結構「宗教が盛り返しているのではないか」ということが議論されているようだ.
 

  • このような議論を別にして,実際に「信仰の必要性」は世俗的ヒューマニズムを押し返しているのだろうか.信仰深き者,「信仰の信仰」主義者,科学と進歩に対して憤激する者たちは世界の「宗教の再興」傾向を満足げに眺めている.しかしこの「再興」は幻想だ.世界で最も速く拡大している宗教は宗教では全くない.
  • 宗教的信仰の強さを歴史的に測定するのは難しい.過去から同じ質問をしてきたリサーチはほとんどないし,あっても解釈は様々だ.多くの人は(無道徳と誤解され差別される恐れのために)無神論者とラベル付けされるのを嫌がり,自分を無神論者ではないと答え,その一方で,宗教的信念がないことを認めたり,宗教的ではないが霊的だと言ってみたり,神ではない何か上位の力を信じていると答えたりする.
  • 何十年も前にどのぐらい無神論者がいたかを確実に知る方法はない.ある推計では1900年の無神論者は総人口の0.2%とされている.一方WIN-Gallupの宗教インデックスによると2005年の確信的無神論者の割合は10%,2012年には13%となる.さらに追加の23%は「非宗教的」であり,信仰者の比率は59%になる.100年間で大きく信仰者の割合は減っているらしい.
  • 社会科学の「世俗化理論」によると,非宗教化は豊かさと教育によってもたらされる.最近のリサーチでは,実際に豊かで教育程度の高い国ほど非宗教的であることが示されている.宗教の凋落は西ヨーロッパ,コモンウェルス,そして東アジアで顕著だ.オーストラリア,カナダ,フランス,日本,オランダなどでは宗教的な人の方がマイノリティになっている.宗教の凋落はかつての共産圏でも見られる.凋落が見られないのはラテンアメリカ,イスラム世界,サブサハラアフリカになる.データ的には「宗教の再興」はどこにもない.

 

  • では「宗教の再興」のアイデアはどこから来たのだろうか.それはケベック人が「ゆりかごの逆襲」と呼ぶアイデアから来ている.信心深き人は子だくさんだ.聖堂の人口統計学者はイスラム人口比率は2010年の23.2%から2050年には29.7%になり,キリスト教人口比率は変わらないと予測した.この予測は現在の出生率が変わらないという前提であり,アフリカが人口動態の転換期であることやイスラムの出生率が低下しつつあることを無視している.
  • 世俗化傾向についての鍵になる問題は,それが時間効果か年齢効果か世代効果かと言うことだ.リサーチがあるのは英,米,オーストラリア,カナダ,ニュージーランドだけだが,年齢効果はあまり見られず,一部の国で時間効果があるが,世代効果はすべての国で顕著だ.世代が若いほどより世俗的なのだ.
  • では裕福でかつ宗教的なアメリカをどう考えればいいのだろうか.2012年時点で60%のアメリカ人が自分は宗教的だと答える.(カナダでは46%,フランスでは37%,スウェーデンでは29%だ)しかしアメリカでも世俗化のコホート効果は大きい.「Exodus」でそれがレポートされている

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https://www.prri.org/research/prri-rns-poll-nones-atheist-leaving-religion/
 

  • アメリカの宗教からの離脱は(選択肢を示してどの宗教宗派を信じているかを聞かれたときに)「どれでもない:Nones」と答える比率が1972年の5%から今日の25%に増えているところに現れている.これはカトリック(21%),福音派(16%),プロテスタント(13.5%)よりも大きい.世代効果の傾きは大きく,サイレント世代とベビーブーマーでは「どれでもない」が13%なのがミレニアル世代では39%になっている.「どれでもない」の中の無神論者の比率の世代効果も同じように大きい(サイレント世代が7%,ベビーブーマーが11%.ミレニアル世代が25%).アンケートへの回答傾向を考慮に入れると実態はもっと多いだろう.
  • では何故評論家たちはアメリカで宗教が再興していると考えているのだろうか.それは「どれでもない」派は投票しないからだ.「どれでもない」派は投票権者の20%を占めるが,実際の投票者の12%しか占めていない.「どれでもない」派のヒラリーとトランプの支持は3:1だったが,彼等は投票に行かなかったのだ.同じような傾向はヨーロッパのポピュリスト運動でも見られる.評論家たちは投票結果(と出生率)から「宗教の再興」の幻を見ているのだ.

 

  • 世界はなぜ世俗化に向かっているのか.いくつか理由がある.
  • 20世紀の共産主義国家は宗教を違法化し,それらが崩壊したあとも市民たちの宗教に戻る速度はゆっくりだった.一部は女性解放などの開放的価値のグローバルな広がりによるものだ.市民が裕福になり医療や社会福祉が充実したことも神に祈る理由を減らしただろう.しかし最大の理由(reason)は理性(reason)そのものだろう.人々がより知的好奇心を抱き,科学的知識を得ると,奇跡を信じなくなるのだ.アメリカ人が宗教から離れる最も一般的な理由は「宗教を教えることへの信念の喪失」だ.無神論はフリン効果に乗っているのだ.
  • 理由はともあれ.世俗化の歴史と地理は「宗教のない社会は無関心とニヒリズムで崩壊するのではないか」という恐怖に実体がないことを明らかにした.世俗化は歴史的進歩と共に進んできたのだ.多くの非常に宗教的な地域が地獄のような社会になっているのに比べ,それほど宗教的でないカナダやデンマークは住むのにとてもいいところだ.アメリカの例外は示唆的だ.アメリカは西側で最も宗教的だが,幸福やウェルビーイングでアンダーパフォームしている.アメリカ内の50州にも同じ傾向が見て取れる.因果は複雑で双方向だろう.しかし民主制国家では世俗化はヒューマニズムにつながり,人々を祈りや教義や宗教権威から実践的な政策へ向かわせるというのはありそうだ.

要するに「宗教の再興」は幻想であり,アメリカ,そして世界中で豊かさと共に世俗化が進行中であり,それはコホート効果が最も大きく効いているということだ.力の入れ方から見てアメリカでは結構ややこしい議論になっているのだろうと思わせる.