「進化心理学を学びたいあなたへ」 その19

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 
 

6.3 消費するヒトの発見 ガッド・サード

 
ガッド・サードは最初に進化心理学をマーケティングと消費者研究に導入した学者の1人になる.レバノン生まれで,マギル大学で数学とコンピュータで学士,マーケティングで修士をとり,コーネル大学に移ってマーケティングの博士号をとる.そこからマーケティングに進化心理的学的視点を取り入れ,消費者行動の原因と特徴を考察し,現代マーケティング学と行動経済学領域で研究を進めているそうだ.
 

  • 私が進化理論の単純明快な説明力に気づいたのはコーネルの博士過程の1年目だった1990年のことだった.社会心理学の講義の中で,デイリーとウィルソンの「Homicide」を読むという課題が出されたのだ.私は進化理論の美しさに打ちのめされ,進化の虫は私に取り憑いたのだ.
  • 博士論文ではヒトの探索停止戦略を扱った.わかったのはヒトの探索停止意思決定は「ホモ・エコノミクス」としてなされるのではなく,様々な状況に応じて停止戦略を変化させていることだった.まだ進化的な枠組みは採用していないが,進化が与えた可塑性については取り入れていたことになる.その後コンコルディア大学において進化消費行動の分野を立ち上げた.

 

  • 私はマーケティング/消費行動,ビジネス,心理学,経済学,計量書誌学,医学など様々な分野に取り組んできた.研究手法も様々なものを用いた.そして進化理論はこのような様々な研究領域を歩くための理論的な乗り物だ.
  • 私のこれまでのリサーチから2つ紹介しよう.1つは人目を引くような消費行動が男性のテストステロンレベルに及ぼす効果についてのものだ.ポルシェを運転すると男性のテストステロンレベルは上昇する.面白いことにこの効果は繁華街でもさびれた田舎道でも同じように生じる*1.2つ目は女性セックスワーカーのウエストヒップレシオについてのものだ.48カ国で分析したが,世界中の様々な文化において男性の普遍的好みとされる範囲内(0.68~0.72)に収まっていた.
  • 2007年に「The Evolutionary Bases of Consumption」という消費を進化的視点から包括的に論じた.これまで調べられてきた消費の側面をすべて書き出してそれをダーウィニズムから解釈するという戦略に乗って書かれた本だ.後にこの内容を元に一般向けの本「The Consuming Instinct」も出した.その一節をここで繰り返しておこう.「Ultimately, nothing in consumption makes sense except in the light of evolution. (進化の光を当てなければ,消費についてのどのようなことも意味をなさない)」

 

  • このような研究テーマを教育にも結びつけてきた.消費行動,意思決定などの講義の中では進化心理学を使っている.学生の反応を見ると彼等の中でパラダイムシフトが生じていることがはっきりわかる.進化心理学というミームは感染力が強いのだ.

 

  • 私が研究人生で得た教訓はガルブレイスの言葉に端的に示されている「自分の考えを変えるか,変える必要がないことの証明するかの選択に迫られたら,ほとんど全員が変える必要がないことを必死で証明しようとする」.私は消費者心理学者,行動決定理論学者,進化心理学者という3つの帽子をかぶってきたが,交流を持ってきた学者グループによってヒーローにも異端にもなった.ここ15年多くのマーケティングと消費行動の研究者は私の研究に並々ならぬ反感を抱いてきた.ホールデンは新しい理論が受け入れられるまでの反応を4段階「(1)無価値で馬鹿げている(2)面白いが突拍子もない見方だ(3)正しいが重要ではない(4)昔から私もそう言っていた」にして示しているが,それは私が受けた反応そのものだ.第3段階まで移行したマーケティングの研究者は増えてきたが,まだ第4段階に至った者が少ないのが現状だ.しかし科学的方法論の自動修正能力に照らして考えると第4段階に至るのは時間の問題だと確信している.
  • 進化心理学に向けられる懸念の一部は思想的観念的なものだ.(邪悪な動機に基づく政治的道具だ,差別などの非難すべき価値を科学的に正当化しようとしている,人間を利己的怪物だとみている,神への不信を広めているなど)さらに一部には認識論的なデマもある.(進化心理学は遺伝的決定論だ,ヒトは文化的な存在であり当てはまらない,個人差を無視している,反証可能性のないなぜなに物語だなど)
  • これらの攻撃は不死身の怪物のようなものだ.進化心理学者は反論してきたが,新たな無知の世代の登場と共に攻撃は再開される.将来の進化心理学者の課題の1つは(フラットアース論者が今日おかれているような状況をもたらす)決定的な解決法を見つけることだろう.
  • 進化心理学の最も大きな成功例は普遍的な性差の説明だ.しかしヒトにとって新しく重要なほかの領域の説明について進化的視点を持ち込むことには臆病だった.進化心理学を適用できる他の分野は驚くほど多い.将来の進化心理学が新領域に進んでいくことを願っている.

 

  • 研究者のキャリアを考える上で,狭く定義づけられた分野で研究するか,領域を超えて興味ある問題に取り組むかという戦略選択問題がある.名声を得るには前者の方が有利だ.しかし私は後者の方を勧める.その方が刺激的だし,人生には限りがあるのだ.
  • 進化心理学は,進化理論や進化心理学嫌いの人々の批判にどうしても直面する.それに立ち向かえるだけの図太さを身につけておこう*2
  • 自らの倫理と規範に妥協してはいけない.度を損なわない程度に完璧主義を目指そう.


ガッド・サードの本

The Evolutionary Bases of Consumption (Marketing and Consumer Psychology Series)

The Evolutionary Bases of Consumption (Marketing and Consumer Psychology Series)




ガッド・サードはマーケティングから進化心理学に入った学者だが,逆に進化心理学からマーケティング領域に進出した研究者としてはジェフリー・ミラーの名を挙げることができる.この「Spent」を最初に読んだときは衝撃的だった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101009/1286588967,読書ノートはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20100220/1266624157から.

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior (English Edition)

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior (English Edition)


同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学

   

6.4 レポートが論文になるまで:進化心理学は科学たりうるか ティモシー・カテラー

 
カテラーは1993年にミシガン大学でパーソナリティ心理学で博士号を取得,UCバークレーで,ポール・エクマンとリチャード・ダヴィッドソンの指導を受けている.研究領域は感情の役割に関するテーマが中心で,行動経済学,実験心理学,ゲーム理論などを含めた学際的な視野の元に研究を進めている.
ここでは自分が進化視点のアプローチの有効性に気づき,進化心理学の擁護者になることを決めたきっかけと,そしてそれを総括する論文を書いた経緯について説明されている.内容は科学哲学的になっていてなかなか面白い.
 

  • 私が進化心理学に触れたのは,1989年,ミシガンの大学院生の時だった.セミナーでどんなテーマにおいても面白いことを言うブルース・エリスという学生と知り合ったのがきっかけだ.彼の独創性の秘密は適応主義的アプローチだった.エリスはHBES創立メンバーの1人パット・マッキムのもとで学んでいた.彼は同時にサイモンズと性的ファンタジーの共著論文を書いており,のちに「Adapted Mind」で1章を担当した唯一の大学院生になった.
  • そのセミナーでバスの講演を聴いたときに,私はその内容を刺激的だと感じたが,同席した多くの院生にとっては全くそうではなかった.高学歴でリベラルな社会科学専攻の学生たちにとって「認知過程に性差がある」という主張はタブーだったし,「種特有で複雑な性質は適応的デザインか,その副産物か,ノイズ化のどれかだ」という議論は根本的に間違っていて危険だったのだ.しかし私にとってはそれは心理学に対する劇的に異なったアプローチを説得的に説明するものだった.それは自分が関心を持っている「感情」を説明できるかも知れないのだ.
  • 元カトリックで殉教者に詳しかった私は,理性を欠いた批判者たちの強大な集団を相手に生涯続く戦いに身を投じ,ヒトの感情のデザインをわずかでも明らかにするというアイデアに取り憑かれた.
  • 蔓延する「アンチ進化」感情を知ることにも利益があった,理性的な人が善意に基づいてとる行動を観察する機会になったし,いくつかの善良な批判者による懸念に合理的な回答を返す最初に機会も得られたのだ.
  • その最初の機会はまさにそのセミナーでバスの講演に関してエルスワースとスミスによって出されたレポート課題においてだった.課題は「(1)楽観主義について進化的な説明をせよ(2)悲観主義について進化的な説明をせよ(3)もし進化心理学が両方を説明できるならそれは何を意味するか」というものだった.明らかにそれは「このリサーチプログラムは哲学的に疑わしい」という方向に誘導するように作られていた.
  • 私はこの2年前に大量の科学哲学の本を買いあさっており,ネオ・ポパー主義に対抗するラカトシュの哲学を知っていた.ラカトシュは「リサーチプログラムはそれ自体が正しいか間違っているかで判断されるべきではなく,それが進歩的か退行的かで判断されるべきだ」と主張していた.リサーチプログラムは個々の仮説とは異なる哲学的な道具を用いて評価されるべきと言うことだ.
  • 私はこのレポート課題について,まず社会心理学者のマーシャルとワートマンが「楽観主義と悲観主義は反対の構成概念ではなく直交している性質である」ことを示していることを引き,(3)について「それは,その研究者がマーシャルたちの最近の知見を知っていることを示すに過ぎない」と指摘し,さらに「仮にあるリサーチプログラムがほぼすべての性質とその反対の性質を説明できるとするとそれについて何が言えるか」について論を進めた.そしてラカトシュを引き,リサーチプログラムはそれがライバルのプログラムから期待されないような新しい事実を生みだすのか,核となる仮定に注意書きを付けずに例外を説明できるかという観点から評価されるべきだと主張した.
  • レポートは「A」の評価をもらったが,それで終わりにはしなかった.当時大学院生だったジェフリー・ミラーが書いた認知心理学の問題点とそれが進化的なアプローチで解決できることを示した論文に影響された私は進化心理学の核となる論理を剽窃する理論論文を書くという試みに取り組むことにしたのだ.
  • 1年ほど試行錯誤したあと,私は科学哲学についてはともかく進化心理学については十分な知識がないことに気づいた.そこでブルース・エリスに共著を依頼し,2人でこのプロジェクトに取り組んだ(かなり詳しい経緯が書かれている).そして5年間かけて進化心理学が科学的に進歩的なリサーチプラグラムの特性を持っていることを示す論文を書きあげ,それは「Psychological Inquiry」誌に2000年に受理された.セミナーから10年かけて取り組んだ成果としてそれは決して悪くないものだった.

*1:なぜかは解説されていない.

*2:数年前の有名ビジネススクールでの講演の際に寄せられた怒りの質問が紹介されている.「消費者は動物だというのか」「同性愛や自殺を進化的な視点から説明できるのか」「消費者は文化的な存在であり生物学を超越している」「ビジネスを行う者は普遍性には興味がない.消費者の多様性を説明して欲しい」などなどだったそうだ