書評 「文化進化の数理」

文化進化の数理

文化進化の数理

  • 作者:田村 光平
  • 発売日: 2020/04/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

本書は文化進化の第一線の研究者田村公平による文化進化リサーチの手法,およびそれを用いたリサーチ例の解説書になる.文化進化についての概説書にはメスーディの「文化進化論」やヘンリックの「文化がヒトを進化させた」があるが,本書は数理的モデル構築手法に焦点を当てているところが特徴になる.
 

第1章 文化進化とは何か

 
最初の導入では文化進化研究をめぐる様々な基礎が整理されている.

  • 文化進化研究の様々な数理的手法は進化生物学の手法の応用によるものが多い.それは情報の複製という観点から共通性があるからだ.
  • 本書の学問的スタンスは「文化の研究は人間理解にとり重要だが,それは難しい」,「そのために理解にちょうど良いレベルの抽象化を行う」というものになる.
  • 文化には様々な定義がある.本書では文化形質を「連続的あるいは離散的にはっきりと観察あるいは測定しうる(他個体からの伝達による)なんらかの文化的行動の帰結」と定義する.文化進化の研究では「伝達される情報」としての側面から文化多様性の変化を量的に取り扱うことで文化の理解を深めようとする.
  • 文化進化とは「集団中の文化的構成の時間的変化」である.(ここで文化進化と生物進化のアナロジー,社会学習と個体学習,模倣,教示,文化淘汰,二重継承説,遺伝子の文化の共進化などについての解説,いくつかの文化進化の例の提示がある)

 

  • 文化進化研究が始まったのは1970年代になる.その端緒とされるのはキャヴァリ=スフォルツァとフェルドマンによる論文だ.それ以前からある生物進化と文化の変容の類似性の指摘とこの現代的文化進化研究が決定的に異なるのは数式を用いた定式化にある.
  • キャヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,ボイドとリチャーソンは集団遺伝学,生態学,疫学のモデルを文化現象の解析に援用することで文化の定量的理解を試みた.
  • 1990年代以降には実証研究が増加した.また文化系統学の研究も盛んになった.
  • 2000年代には実験室での実験研究が増加した.
  • 2010年代の流れとしてはビッグデータの利用とそれを用いた比較研究が挙げられる.

 

  • 文化人類学や社会人類学における「文化進化論(社会進化論)」と現代的文化進化研究とは大きく異なる.古典的な社会進化論は段階的発展を想定し,後の複雑な社会の方が優れているという価値観を内包したものだが,現代的な文化進化はそのような想定も価値観も持ち込まない.

 

  • なぜ数理モデルを使うのか.それは人間の認知能力を補うためであり,大規模データの解析,仮定の明確化,複雑さの理解にとって有用だからだ.

 

第2章 文化小進化の数理

 
第2章は本書の理論編の中心となる部分だ.ここで文化小進化とは「個体レベル」から解析する文化進化を指す.集団中のある文化形質の割合をpと置き,その増減がどう決まるかを方程式にどう表現するかが詳しく解説されている.ここでは集団遺伝学の基礎と,文化進化に応用する場合の対応関係と相違点も整理されている.主な相違点としては誘導された変異,斜行伝達,水平伝達,一対多,多対一の伝達,様々な間接伝達バイアス(モデルバイアス,名声バイアス,類似性バイアス),同調バイアスなどがあり,それぞれ数理的にどう扱うかが整理されている.
 

第3章 文化小進化の発展的なモデリング

 
第3章と第4章は文化小進化の発展的研究が扱われている.ここは文化小進化の最新研究が次々に解説されていて読みどころだ.第3章は第2章で扱った文化小進化の理論を発展させた数理モデルとそれを用いた実際の研究例の紹介になる.
  
<環境変動と文化進化>

  • 環境変動がある場合個体学習と社会学習のどちらが有利になるのか.これを調べるためフェルドマンたちは「個体は個体学習者か社会学習者かが生得的に決まっている」と仮定し,「周期的に環境変動が生じて社会学習された行動が非適応的になる」という状況をモデリングした.この結果は社会学習者頻度は環境変動が生じるたびに減少するが,しばらくすると増加しはじめるという周期的な変動をみせるというものになる.
  • レンデルたちは二次元格子モデルを用いて集団に構造があると社会学習者に有利になることを示した.小林と若野は無限島モデルにより逆の結果を示した.田村と井原は二次元格子モデルにより構造が社会学習によって有利かどうかは水平伝達か斜行伝達かによって変わることを見つけた.

 
<非適応的文化進化>

  • 非適応的な文化進化については,人口転換の説明として盛んに研究されている.井原は垂直伝播される教育への指向性が斜行伝達頻度を上昇させ,非適応的行動の伝播に影響を与えるというニッチ構築型のモデルをたて,まず教育指向性が上昇した後,繁殖率が下がっていく状況が説明できることを示した.人口転換には社会的地位追求行動にコストがかかるが地位が上がれば社会的影響力が上がるというモデルによる説明もある.
  • このほかの非適応的文化進化研究のモデリングには,社会ネットワーク上の非適応的文化の拡散についての疫学的モデル,空間構造を用いた自殺模倣モデルなどがある.マルダーによる総説によれば,このような非適応的文化進化へのアプローチには行動生態学的モデル,進化心理学的モデル,文化進化的モデルの3種類があるということになる.

 
<累積的文化進化>

  • ヘンリックは継承技術水準が集団サイズをパラメータとするガンベル分布確率で与えられるモデルを立て,集団サイズが大きいと素速く累積的文化進化が生じ,小さいと水準が下がっていく状況を示し,タスマニアでの技術喪失をこれで説明できるとした.メスーディはこのモデルに知識蓄積に伴うコストを導入すると技術水準が頭打ちになることを示した.
  • 累積的文化進化については伝達連鎖法による実験研究も盛んに行われている.
  • 累積的文化進化については狩猟採集民の道具に累積的な進歩があったのかどうかをめぐる論争があり,決着はついていない.

 
<グループ淘汰理論の援用>

  • 利他行動を文化的グループ淘汰として説明しようという試みがあり,注目を集めている(ボウルズたちの偏狭な利他性,利他的な罰,戦争とグループ淘汰のモデルの概要が解説されている).これらの議論は興味深いが,ヒトの利他性が文化的グループ淘汰によるものだという結論に飛びつくのは性急だ.数理モデルが示すのはそのような道筋が論理的な可能であることを示すだけであり,実際にどうであったかは実証研究と組み合わせて示す必要がある.ボウルズたちの邦訳書には日本人研究者による解説とボウルズの議論への批判が紹介されており非常に有益だ.

 
ここは話題になった文化進化リサーチがその利用モデルと共に次々に紹介されていて充実している.最後のボウルズたちの議論については留保付きでの紹介になっている.もっと踏み込んで批判してもよいと思うが,数理モデル解説書としてはこのぐらいの抑え方の方が適切と言うことかもしれない.
 

第4章 文化小進化のデータ解析

 
第4章では,組み上げた数理モデルに対するデータの解析が取り扱われている.ここも最新の研究が次々に紹介されている.
 
<実験データからの学習戦略の推定>

導入として有名な伝達連鎖法実験としてスパゲッティタワー実験,4本スポーク車輪実験があることを紹介し,集団遺伝学の適応地形概念の解説を置いている.

  • 実験データを数理モデルに当てはめる研究例としては,マッカリスの農耕ゲーム実験(6つの農場で20季節あり,どこでどれだけ取れるかが違い,さらに季節変動があるという状況.被験者には収穫が事前にわからないなかでどの作物をどの畑に植えるかを他プレーヤーの情報も見ながら決める)がある.彼はいくつかの社会学習モデルを作り,それを実験データに当てはめた.49人中38人に同調モデルが当てはまった.
  • 豊川はクラウドソーシングサービスを利用して実験を行い,集団サイズと環境変動が学習戦略に与える影響を調べた.その結果大集団ほど社会学習に依存しやすいという結果を得た.

 
<動物の文化>

導入として動物文化の研究史が解説されている.

  • 今西によるニホンザルの文化の発見以降動物にも文化があることが認められるようになった.代表的な研究にはホワイトンのチンパンジー文化の研究があり,そのほか鳥類やクジラ類の歌,グッピーの配偶者選択の模倣などの例が知られている.レイランドはグッピーに非適応的な行動の継承があることを示した.ソーントンはミーアキャットに教示があることを報告した.佐々木たちは伝書鳩に飛行経路の累積的文化進化があることを示した.チンパンジーやトゲウオに同調バイアスがあることも報告されている.
  • アプリンたちはシジュウカラの「伝統」を調べた.色の違う扉のどちらを開けるかが集団により異なるように訓練し,データを集める.この結果群れを移籍すると開ける扉を集団に合わせること,高年齢個体ほど社会学習に頼らないこと,若い個体で社会学習への依存度が高い個体ほど早く行動を変化させることがわかった.またモデルによるシミュレーションにより同調バイアスがあっても環境変化後に集団が適応的な行動を取れるようになることを示した.
  • バレットたちはノドオマキザルを用いてパナマフルーツの殻の開け方にかかる実験を行い,彼等が同調学習ではなく利得バイアスによる学習を行っていることを示した.

 
<考古学データからの文化伝達の推定>

  • 現代的な文化進化の考え方を取り入れた考古学を進化考古学(あるいはダーウィン考古学)と呼ぶ.ダンネルは考古遺物について有用性の有無で「機能」と「スタイル」を区別し,淘汰圧の違いをモデルに反映できるようにした.
  • シェナンは集団遺伝学的な手法を用いてドイツの新石器時代の線帯文土器の考古学データを解析し,35種類の文化形質の頻度変化がどこまで浮動で説明できるかを調べた.結果は完全に中立ではなく,なんらかの淘汰が働いていることが示された.シェナンは反同調バイアスの効果があると推測している.
  • クレーマは文化進化プロセスだけでなく考古学データの獲得過程もモデル化し,シェナンと同じデータを用いて文化伝達過程を推定した.その結果文化伝達モードが時間と共に変化しない場合には反同調バイアスがデータをよく説明したが,時間と共に変化できるとすると前半は反同調バイアスが,後半は同調バイアスがあるとする方が良くデータを説明した.

 

  • ライセットはハンドアックスの形態変異データを解析し,ホモ・エレクトゥスがアフリカから拡散する際に創始者効果が生じたというモデルに良く適合すると報告している.
  • アトキンソンたちは世界中の言語に含まれる音素の数の多寡を分析し,アフリカを起源地だとする仮説が音素数の地理的パターンを最も良く説明することを示した.

 

第5章 文化大進化の数理

 
文化進化研究では集団内の個人ではなく集団を単位とした文化進化を文化大進化と呼ぶ.(これは生物学的な言い回しとは少し異なるようで面白い)著者はここでは文化心理学における東洋と西洋の扱いや,文化人類学における社会進化論を引きつつ,本来個人が単位で文化伝達が生じているが,集団を単位として扱った方が便利な場合があるのだと説明している.

<基本的なモデリング>

大進化における垂直伝達,水平伝達,適応,集団の絶滅と入植がある形のモデルなどの基礎が解説される.この後発展的なリサーチ例が紹介される.

  • ターチンたちは軍事技術の拡散に伴う巨大な政治体の出現を,制度や規範といった社会的な文化形質と騎馬技術や戦車などの軍事技術を文化的な成功の要因として区別してモデル化した.彼等はこのモデルを用いて紀元前1500年頃からのユーラシア大陸の領土ダイナミクスシミュレーションを行い,ある程度現実に沿った結果を得ている.

 
<文化的距離,多様性と大進化プロセス>

大進化のデータ解析について,文化的距離の測り方(ハミング距離,ジャッカード距離),多様度の測り方(ヘテロ接合度,シャノンの指数),分化度の測り方(ΦST)の解説がある.またこれらのリサーチ例も紹介される.

  • ググリミノたちはアフリカの集団と文化形質を分析し,親族構造に分類される文化形質は垂直伝達,性的分業とその他の文化形質は水平伝達される傾向を見いだした.
  • ロスはヨーロッパの民話を解析し,民話の分化度と最も高い相関があったのは地理的距離だったと報告した.

 
<文化系統学>

文化系統学は考古遺物等のデータを基に系統樹を推定する試みになる.推定方法としての最節約法*1,推定された文化系統樹の例,言語系統学と人類の移動に関する様々な仮説の関わりなどが解説され,最後に文化系統学に向けられる批判が扱われている.

  • 文化系統学に向けてよくなされる批判は水平伝達の影響をとりあげるものだ.このような批判に対してコラードたちは様々な文化形質と生物学的形質の保持指数(RI:系統樹の樹形らしさの指数)を測定し,少なくともデータ上は,文化進化だからという理由だけで生物進化より樹形的でないとはいえないとしている.ただし水平伝達が多い場合の理論的な検討は十分とはいえない.

 
<祖先形質復元>

  • 文化系統樹を利用して形質の共進化パターンを抽出できる.これは祖先形質復元とも呼ばれる手法であり,特定の2つの文化形質がいくつもの文化で見られる場合に,その組合せに意味があるのか,単に共有祖先形質なのか(ゴルトン問題)を見極めることに使える.具体的には系統比較法などの手法がある*2
  • ホールデンとメイスは人類学でよくいわれる「牛は母系の敵」というパターンが本当かをバンツー諸語の言語系統樹を使い系統比較法を用いて検証した.この結果母系で家畜所有社会は家畜所有か母系のどちらかの形質が変化しやすく,父系で家畜所有文化はどちらも変化しにくいことがわかった.
  • カリーたちはオーストロネシア語族の言語系統樹を推定し,既存の政治形態から分岐点の各時点の政治形態を推定し,政治形態の遷移規則を計算した.この結果複雑性の増加は段階的に,複雑性の減少は急激に起こる傾向があることが明らかになった.

 
<幾何学的形態測定学の応用>

ここでは近年著者が力を入れている「文化形質の測定と定量化のために幾何学的形態測定学を利用する手法」が解説されている.標識点ベース形態測定学,楕円フーリエ解析,それらを用いた実際の例が紹介されている.
 

おわりに

最後に終章が置かれている.単なるまとめではなくいろいろ研究者の本音が書かれていて面白い.絶滅危惧種の保全において当該動物の文化のあり方にも配慮すべきこと,再現可能性問題と銅鉄研究*3の重要性あたりの指摘には著者の思いがにじみ出ている.
 
本書では現在の文化進化研究の手法と最新リサーチ例が網羅的に解説されていて大変勉強になる.私的にはミーム学的な手法についての解説がないのがやや物足りなかったが,実際に取り上げるべき具体的なリサーチがあまりないということなのかもしれない.ともあれ文化進化を勉強しようというなら手元に置いておきたい一冊ということになろう.
 
関連書籍
 
メスーディによる文化進化本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160614/1465901048

 
ヘンリックによる文化進化本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/01/11/113010
 
ボウルズとギンタスによるヒトの利他性についての本.日本人研究者による解説が特に重要.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936
 
日本人研究者による文化進化についての本
文化進化の考古学

文化進化の考古学

 

*1:コラムではその他の技法も紹介されている

*2:これ以外に一般化線形混合モデルなどの手法もあることが解説されている

*3:同じ手法で対象を変えた研究,銅でやったことを鉄でもやってみるということからこの名がある