Animal Behavior 11th edition Chapter 14 その18

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第14章 ヒトの行動 その18

 
第14章はヒトの行動生態を扱い,まずコミュニケーションとして言語の進化の問題,そして繁殖行動を取り上げ,引き続いて実践的応用の1つとして進化医学の紹介を行った.
そしてオルコックは最後に勝利宣言をしている.これはオルコックがかつて「The Triumph of Sociobiology: (邦題 社会生物学の勝利)」を書いて社会生物学論争においてなされたグールドたちの批判は結局大間違いであると主張したことを踏まえての表現になっている.
 

  

ヒトの行動の進化的分析の大勝利
  • 私たち行動生態学者はヒトの行動を適応的アプローチで調べることの有用性をわかっているが,ヒトの行動についての進化的説明が(特に社会科学者たちには)いつも快く受け入れられるわけではない.進化的分析に対する敵意は1975年のEOウィルソンの「社会生物学」出版の直後にピークを迎えた.この社会生物学(現在では行動生態学,および進化心理学と呼ばれている)をめぐる論争は随分フェイドアウトしたが今も完全に消え去っているわけではない.

 
現在も進化心理学に対して一部の社会科学者は執拗に批判しているし,声高に批判しなくとも遠ざけておこうという風潮はなお残っているということだろう.このあたりについては進化心理学者が入門者のために書いた「進化心理学を学びたいあなたへ」を読むとよくわかる.
ここからオルコックは個別の批判とそれがいかに的外れであるかについて丁寧に解説している.
 

  • よくある批判には「私たち人間は何かをするときに包括適応度を上げようとしているわけではない」というものがある.確かにヒトは多くの欲望を持っているが,「包括適応度を上げる」というのがそのリストに来ることはない.しかしそれはカッコウのヒナが宿主の卵を巣から押しだそうとしているときにヒナが包括適応度のことを考えているわけではないのと同じだ.ヒトもカッコウも適応的に行動するためにその究極因を意識している必要などないのだ.特定の戦略が有利であればそれは自然淘汰を通して広がる.
  • 別のよくある批判は「すべてのヒトの行動が適応的ではない」というものだ.これまで様々な批判者が非適応的な文化的慣習(割礼,食のタブー,避妊など)を指摘してきた.これらの批判者は「一部のヒトが時に適応的な行動をしないなら,適応的アプローチは全く役に立たない」と主張していることになる.これは彼等が「自然淘汰理論はすべての生物のすべての現在の行動が適応的であることを必要とする」と信じているからだろう.しかしこの前提は間違っている.現在のヒトを取りまく環境は様々な点で進化環境とは異なっているからだ.

 
この2つは定番の誤解といえるだろう.
 

  • 実際多くの行動生態学者のゴールは,ある現象が適応であることを示すことではなく,進化的な謎を見つけ,それを説明する仮説を立て,それを検証することだ.先ほどレイプと肥満で見たように,適応的仮説の検証が成功するとは限らない.適応価に関する適応的仮説が間違っていたなら検証がそれを私たちに教えてくれ,その仮説を棄却することができる.そして新しい仮説を立てて検証に進むことになる.これこそ科学的メソッドの一部だ.

 
これはグールドのジャストソーストーリー批判への反論ということになる.検証があればジャストソーストーリーではなくなるということだ.
 

  • 本書で見てきたように,ある行動が適応的であるということはそれが発達的に固定されているということを意味しない.今日の生物学者は発達が遺伝と環境の相互作用の上にあることをよく理解している.私たちの環境は進化的時間の中で大きく変化した.密林から東アフリカのサバンナへ,さらにヨーロッパの寒冷気候へ,そして現代の都会環境へと,過去数百万年の間に変化してきたのだ.
  • さらに社会的環境も発達に大きく影響する.スペイン語母語の両親から生まれた子どもでもウルド語に囲まれて育つとウルド語話者になる.しかしそのためには言語学習に関連する脳の発達についての特別な遺伝子群がなければならない.自然淘汰はこれらのメカニズムの進化に確かに関わっている.これは発達の柔軟性や「自然な」現象の道徳的な望ましさについての主張ではなく,説明的な仮説なのだ.
  • ここでヒトの行動についての適応的アプローチに賛同する人もも不賛同の人も合わせてすべての人々にはっきりさせておきたい.それは,何かが「適応的」,「自然(淘汰産物)」「進化した」ということが,「良い」「道徳的に望ましい」ことを意味しないということだ.
  • 私たちは何か良くない結果に結びつくのがわかったなら,進化した衝動に対抗することができる.また進化的な帰結の知識は私たちを操作されにくくすることができる.知識を持つ人は,自己欺瞞的自己満足的な「自己の正しさ」から敵を非人間化して残酷に取り扱うようなことを避けることができる.

 
このあたりは行動生態学や進化心理学は遺伝的決定論であると誤解する批判そして自然主義的誤謬的な批判への反論ということになる.そして結びの言葉はこうなっている.
 

  • Pogo*1が,「私たちは敵に遭遇した.敵は私たちだ.(We Have Met the Enemy and He Is Us.)」というときに,それは正しい.そして自然淘汰が私たちの進化史において果たした役割をよく知る人は,なぜ彼が正しいかがわかるだろう.あなたたちの中にはこの知識を人類がより「敵」になりにくくなるように使うようになるものも出てくるだろう.そして少なくともこのアプローチを使うことで私たちは私たちを取り囲む生命の進化を導く原則を理解できるようになるだろう.

 
以上が本書第14章の内容になる.何か特別に問題になる記述があるわけでもなく,なぜUS以外でこれを除外するのかは全くよくわからない.OUPの方針はきわめて遺憾だ.
 

<完>

 
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進化心理学に対する批判についての現状について
 
中国の学生向けにかかれたサイドリーダー的入門書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/11/30/081619

 
進化心理学者スティーヴ・スチュワート=ウィリアムズによる一般向けの進化心理学の解説書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/16/185247 社会科学者たちからの批判に反論するための付録についての私の記事はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/19/195926

*1:アメリカの新聞に1948年から1975年まで連載されていた漫画の主人公