本書はピンカーによる「合理性」についての一冊.ピンカーは「The Better Angels of Our Nature(邦題:暴力の人類史)」,「Enlightenment Now(邦題:21世紀の啓蒙)」において,世界がより良い方向に向かってきたこと,そしてそのコアには啓蒙運動があることを語ってきた.その啓蒙運動の大きな柱が合理性ということになるが,合理性をめぐって近年様々な懐疑論がはびこっている現状を受けて今回「合理性」を取り上げたということになる.そのあたりの背景は「What it is, Why it seems scarce, Why it matters 」という副題によく表されている.本書はピンカーが行ったハーバードの学部生向けの連続講義が元になっており,ブラッシュアップして一冊の本として書き上げたようだ.
序言では,合理性は私たちが思考し行動することの指針であるべきなのに,巷にはフェイクニュースや陰謀論があふれており,ヒトは本来非合理でバイアスだらけだという言説がまかり通っている状況が描かれる.しかしピンカーはここで認知科学者としてそのようなシニカルなものの見方には立たないと言いきる.そしてなぜそう考えるのかが本書のテーマになるのだ.
第1章 ヒトはどこまで合理的な動物なのか
冒頭ではカラハリのサン族がカラハリ砂漠でいかに合理的に狩猟を行っているかが描かれる.彼等は3段論法のような論理的推論,そして確率的に物事を捉えたうえでのベイズ的な推論を行う.彼等はクリティカルシンカーなのだ.ではなぜ現代の我々はしばしばそれらに失敗しフェイクニュースに引っかかるのか.ピンカーは,合理性についてそれがある主体が1か0かで持っているような「力」ではなく,特定の環境世界で特定のゴールを達成するための「ツール」だと考えるべきであり,本書においてこのツールを理解するために「合理性」を「どのように思考すべきか」という規範的モデルとして考察すると宣言する.
ここからはこの規範に従うことに失敗する例を考察する.取り上げられているのは間違えやすい算数の問題,4枚カード問題,モンティホール問題,リンダ問題などで,どのようにして間違いに陥ってしまうのかが詳しく解説される.これは基本的には熟考(システム2)せずに直感で判断(システム1)してしまうからということになる.ここで表面的な類似性に引っ張られる,確証バイアス,確率概念の難しさ(モンティホール問題の場合には,全能全知的な主体(司会者)の知識に依存する条件付き確率の理解が必要になる),利用性バイアスなどが説明されている.そこから視覚的な錯覚の例(適応的な視覚認知メカニズムが例外的な状況で錯覚を生むこと)を示し,前述の合理性規範モデル追従への失敗を導く直感的認知メカニズムが,一種の(ある環境において適応的な)認知的錯覚であると考えられると説明する.
第2章 合理性と非合理性
ここでは合理性の擁護を論じる.ピンカーは,最初に合理性はイカしてないし(uncool),ハリウッドのスクリプトやロックミュージックの歌詞は合理性からの逃避を賛美し,アカデミアの流行りは合理性を社会構築物だとするポストモダニズムやクリティカルセオリーであったりする状況があることに触れるが,しかし自分は合理性の擁護者であると宣言する.
合理性は目的を達成するための有効で実践的な方法であり,目的を達成したいならそれを使うべきだということになるが,問題はそれが合理性のロジック自体の正しさや何らかの「真実」を認めることに依存していることで,そこに批判者の議論が集中することになる.
ここでピンカーは,厳密に合理性を正当化はできない(そうしようとするとなぜそれが正当化されるのかという無限後退疑問に陥ってしまう)が,少なくとも議論や説得を試みるなら*1それは自明の前提になる(合理性を否定しようとする論者自体が相手を説得するためには合理性を使わざるを得ない)と指摘する.合理性は「信じる」ものではなく「使う」ものだというわけだ.片方で「真実」については,誰も完璧な合理性と客観的真実に到達はできないが,そこに近づくためのルール*2はあるのだと説明する.そしてある意味その保証となるのが,合理性は実際に役立つし役立ってきたという事実だと指摘する.
またここではポストモダニズムや相対主義者であっても真実を完全に否定はできないはずであること*3や,合理性と社会正義や道徳の間にトレードオフはないことなども議論されている.
第2章の後半では「では我々は常に合理性に従わなくてはならないのか」が議論される.ここではゴールの違いから来るコンフリクト(今ケーキを食べたいが,長期的には太りたくない)*4,合理的な無知*5(知らない方がよいこともある),コミットメント(事前に自分の選択権を狭める)の合理性*6,タブー*7,道徳*8について合理性との関連から様々な解説がなされている.最後に合理性と再帰性の関係がコメントされている.ここはとても啓発的だ.
第3章 論理とクリティカルシンキング
第3章から第9章にかけてシステム2を使って合理的に思考するためのツールが解説される.第3章は演繹的論理.
まず論理とは何かについて真理表を使った規範的論理の説明があり,そこから様々な陥りやすい形式的誤謬とその要因*9が解説されている.
またより実践的な誤論理として藁人形論法,手前勝手議論(自分の主張を擁護する破天荒な理屈を捏ね繰り回す),ゴールを動かす,「真のスコットランド人ならそうしない」議論,挙証責任を相手に押し付ける,「じゃああなたのそれはどうなの」議論,権威からの議論(デリダはこう語っている),バンドワゴン誤謬(みんなそう言ってるよ),論者の問題へのすり替え(あんな馬鹿が言っている),起源誤謬(主張の真実ではなく起源を問題にする),感情に訴える(それは不快だから否定されるべきだ)などを解説している*10.そしてクリティカルシンキングにおいてはこれらに陥らないように注意深く考えることになる.
しかしクリティカルシンキングでこのような誤謬を排除できてもライプニッツの夢(すべての物事は演繹的論理で解決できる)は実現しない.ここではその理由が説明される.
第1に論理的前提(言葉の定義から真偽が明らか)と実証的前提(実際に調べなければ真偽はわからない)は異なるからだ.第2に形式的論理は前提の中身に無関心であり,その意味や文脈や背景知識が全く無視されるからだ.利用可能な情報を捨て去るという意味で形式的論理は合理的ではない.生態的合理性と論理的合理性の違いはこれに関連する.生態的合理性の元ではあり得ないような前提についてはそもそも考察しないが,形式論理の元では考察することになるのだ.そして第3に人々が扱う「概念」と形式論理の「概念」との違いがある.人々はしばしばウィトゲンシュタインがいうファミリー類似概念を用いて思考するが,これは形式論理とは相いれないのだ.そしてこれはしばしば実際の激しいコンフリクトの元になっている*11.
では人々はいったいどのように思考しているか.ここからはピンカーの認知科学の解説になる.まずニューロネットワークによる連想学習モデル,それを多段にして誤差逆伝播法を実装したディープラーニングモデルが提示される,ヒトが完全にこのように思考しているわけではありえないが,このシステムの挙動とは類似する部分があり,ヒトの合理性が完全に演繹論理的ではないことの一つの証左となる.ヒトの合理性はハイブリッドシステムであり,連想学習システムと論理シンボル操作システムを両方持っている.そしてそれによりヒトは科学や道徳*12や法を手に入れたのだと解説している.
第4章 確率とランダムさ
冒頭で人生と知識には不確かさが内在しており,ランダムに対処するのは合理性の本質的な部分であるとコメントがあり,確率論の解説につながる.
簡単にランダムさについて説明をおいてから,「確率」の意味論に進む.古典的な定義は「確からしさ」になるが,さらに(さいころの出目のような)物事の傾向性,(ベイズ的)主観的解釈,(訴訟法的)信念の度合い,頻度主義的解釈といろいろな確率がある.そして(最初の4つの定義にかかる)一回限りの出来事の「確率」とはいったい何かという問題があり,人々の誤解の元となっているとともに統計学者の主戦場の1つになっていることが解説される.
ではヒトはどのように確率を見積もるのか.ここで利用可能性バイアスが説明され,これは進化環境ではおおむね適応的であった可能性(そして現代環境とのミスマッチ*13)が示唆される.またコストの大きい出来事の確率の見積もりには火災報知器原理により高く見積もられがちであることも指摘される.これは進化環境では適応的な意味合いがあるが,センセーショナルなマスメディアが存在する現代環境ではミスマッチになりうることが示唆される.
次に確率を扱うことのロジカルな難しさが解説される.特に積事象の確率に絡む誤謬(計算の前提条件である独立性*14のところがトラップになりやすい),和事象の確率に絡む誤謬,条件付き確率に絡む誤謬(P(A|B)とP(B|A)の混同*15,事前知識と事後の判断の混同,偶然そうなる確率の見積もりの失敗など)について詳しく説明される.またここでは関連する問題として昨今の疫学,社会心理学などの「再現性の危機」についても触れられている.
第5章 信念と証拠(ベイズ推論)
冒頭にカール・セーガンの言葉「途方もない主張には途方もない証拠が必要だ」が引用されている.ピンカーはここで多くの合理主義者がベイズ推論こそ日常の様々な問題に役立つ最も有効な規範モデルであり,うまく使えれば社会の合理性を引き上げられると信じていると説く.そしてパラダイムケースとして稀な病気の診断の例を挙げている.
ここからベイズの定理,事前確率,尤度,事後確率などを簡単に説明し,これをうまく使うことの難しさを解説する.難しさの1つは私たちがしばしばベースレート(事前確率)を無視する傾向(代表性ヒューリスティック,心配性,ステレオタイプにとらわれるなど)を持つからだ.ベイズ推論を理解すれば,なぜ奇跡を受け入れるためには途方もない証拠を要求すべきかがわかる.そしてこれが「再現性危機」問題を生じさせた1つの要因でもある.どんな主張でもp<0.05を有意水準とするのはベイズ的に考えればナンセンスなのだ.また様々な予測をうまくこなせる人々の特徴は彼等がベイズ的に考察していることだという報告にも触れている.
それでもベイズ推論を用いるべきでないこともある.それは「禁止された事前確率」と呼ばれるものだ.雇用判断,融資判断などについて人種,性別などのカテゴリーごとのデータを事前確率として利用できれば推論の精度は上がるだろう.しかし私たちの社会はそれを使うべきではないと合意しているのだ.ピンカーはそれは推論の正しさよりも公正さの方が高い目標*16*17だからだと説明している.
最後にベイズ推論をうまく使う上でのティップスがいくつか書かれている.実務的にはどのベースレートを使うかという問題がある.そこにはより細かいカテゴリーを使えばより正しい事前確率になるがサンプルの不足から誤差が大きくなるというトレードオフがあるのだ.またベースレートデータはランダムサンプリングされたものであることが重要になる.ピンカーはより直感的に理解するために確率を面積的に表した図を使うことを勧めている.
第6章 リスクとリワード(合理的選択と期待効用)
論理推論,確率推論と説明した後で,本章では複数の選択肢がある際の意思決定を扱う.そして合理的な意思決定は期待効用の大きい方を選ぶというものになる*18.期待効用最大化戦略が合理的になるためには選択肢の比較選好についてのいくつかの条件(公理)を満たす必要がある.ここでは完備性(比較可能性があること),推移性(A>B, B>CならA>Cとなること),閉包(closure:選択者がAとBを比較できるなら,確率pでAが生じることと確率(1-p)でBが生じることを比較できること),統合(consolidation:連続する確率事象の選択を行う選択者は確率の法則に従って判断すること),独立性(選好は無関係な選択肢の有無(文脈)に左右されないこと),一貫性,交換可能性(望ましさと確率のトレードオフを認めること)の公理が説明されている.またここでは効用の意味(単にお金ではなくどのような価値も含みうる),限界効用が低減することとリスク回避やギャンブル選好との関係が説明されている.
では人々の選好は公理を満たしているのか? 実際には情報はしばしば不確定で取得コストが大きいこともある.この場合期待効用最大の選択肢を探すよりも一定のショートカット*19に従う方が合理的かもしれない(制限された合理性).このようなショートカットは推移性の違背を生じさせる.また人々はしばしばタブーについて比較を拒否し,文脈に選択を左右され,0%と1%の違いを10%と11%の違いより重く感じ,リスクや報酬はフレーミング効果を受ける.ピンカーは様々な例やトヴェルスキーとカーネマンのプロスペクト理論を解説している.
だとするとこうしたことはどう受け止めるべきか.発見された様々な非合理性やバイアスは,古典的経済学者がいかに間違っていたかと主張する上では楽しいが,人々がこれらのバイアスに従わなければならないことを意味するわけではないとピンカーは指摘する.実際に多くの場合(どのような保険契約を結ぶべきか,がんのスクリーニング検査を受けるかどうかなど)には直感を脇においてもう一度よく考えた方が良い結果を得られるはずだからだ.
第7章 ヒットとフォルスアラーム(信号探知と統計的意思決定理論)
ここでは期待効用最大化戦略の実例として統計的意思決定理論が説明されている.信号にノイズがある場合(第1種過誤と第2種過誤がある場合)の反応閾値をどう決めるかの理論だ.この理論の丁寧な説明の後で,事態を改善する方法が解説される.それには検知器の感度をあげてノイズレベルを下げることが有効になる.この感度を示すのが信号とノイズの分布がどれだけ隔たっているかを標準化したd’(d prime)になる.
そして現在の法廷の有罪無罪の決定におけるd’の問題(犯罪抑止と冤罪にはトレードオフがあり,現行システムの実際の感度は一般の人が受け入れ可能と考える水準より低い),統計分析におけるp値の意味(しばしば誤解されている)が詳しく解説されている.
第8章 自己と他者(ゲーム理論)
利得が自分の選択だけでなく,他者の選択にも依存するような状況を解析するのがゲーム理論だ.ピンカーはゲーム理論はヒトの奇妙な合理性と一見非合理に見える行動の理由の一部を明らかにしてくれるとコメントしている.
ここから簡単なゲーム理論の解説がある.ゼロサムゲームとして「じゃんけん」,ノンゼロサムゲームとして「ネコの首に鈴を付けるジレンマ」「コーディネーションゲーム」「チキンゲーム」「ダラーオークション」「囚人のジレンマ」「公共財ゲーム」が取り上げられ,ナッシュ均衡,共通知識とフォーカルポイント,サンクコスト誤謬とベタ降り戦術,裏切りの誘惑とTFT,共有地の悲劇などが解説されている.コンパクトなゲーム理論入門のような内容だ.
第9章 相関と因果
ピンカーは専制政治家がばかげた因果理論を振り回すのは驚きではないと指摘して,いくつかの例を挙げている.合理的に政治を行うには相関と因果を混同しないことが重要になるのだ.
ここからまず相関が分布図により説明される.回帰直線,相関係数などを扱った後に,「平均への回帰」現象とそれを理解しないための誤謬(褒めるよりしかった方が効果がある,2年目のジンクス,研究における勝者の呪い*20)が丁寧に解説される.
そして因果の解説になる.因果とは何か.AとBが常に一緒に観察されるだけではAがBの原因だとするには不十分だ.ヒュームは因果を仮想現実条件(AがなければBが生じない)により定義した.しかし我々は仮想世界ではなく現実世界に縛りつけられている.これが因果推論の基本的問題になる.現実世界で生じる事柄を比較することにより因果を推論するには環境条件の安定性と観察ユニットの同質性が前提とされなければならない.さらに我々は因果があることに納得するには原因が結果を生む何らかのメカニズムの存在の確認を必要とする*21.
ピンカーは因果推論にはさらに難しい点があると指摘する.そして結果と条件の区別の難しさ(酸素は火災の原因?),先取り(Aが撃ってCを殺したが,Aが撃たなくともバックアップ暗殺者BがCを殺しただろう),過剰決定(AとBが同時に発砲し,どちらの弾もCに致命傷を与えCは死亡した),確率的因果(多くの人が100%でない因果と無因果を混乱する)を挙げ,これらは(単一原因ではなく)因果ネットワークの観点から理解可能になるとし,因果ベイジアンネットワーク図を用いて様々な状況を解説している.
ここから現実世界の相関と因果を見ていく.相関は因果を意味しないが,現実世界ではしばしば相関しているものには因果関係があるので人は相関があると因果があると考えやすい.よくある誤謬は逆因果と交絡だ.
ではどうすれば因果があるといえるのか.まずランダム化した実験がある(ただしどのような実験デザインでも他の交絡変数が関与する可能性を完全に排除することは困難だ:排除性の問題).しかし実践的あるいは倫理的理由により実験が難しいこともある.実践的に実験が難しい場合,社会科学者はしばしば自然実験となっているケース,偶然のランダム化がなされているケースを探す(いくつかの実例が説明されている).またここでは実験ができない場合の誤謬を避けるためのいくつかのテクニック(逆因果を避けるための交差時間差相関分析,交絡を避けるためのマッチング,重回帰分析,一般線形モデルなど),原因間に相互作用がある場合の分析テクニックが解説されている.そして最後にしばしば専門家の直感的な推論が(様々なバイアスのために)単純な回帰分析に劣ることについてもコメントされている.
第10章 ヒトのどこがダメなのか?
ここまで様々な合理性のツールを見てきた後,ピンカーはヒトの合理性をめぐる最大の謎「なぜ人々はしばしば(陰謀論やQAnonのような)馬鹿げた考えにとらわれるのか」に取り組む.
一部の人々はイカサマ医療,温暖化否定論,巷にあふれる様々な陰謀論,フェイクニュースをなどがはびこる様子を「現代の認識論的危機」と呼ぶ.しかしこのような馬鹿げた信念は昔からあり迷信と呼ばれてきた.よく挙げられる理由は様々な論理誤謬,SNS,それが慰めになるからというものだが,いずれも現在の状況をうまく説明できない.ここからピンカーは状況を説明できそうな要因をいくつか挙げる.
- 動機のある推論:論理推論能力を自分が望む結論を得るために使うことは誤謬への道だ.ここでは確証バイアス,情報の制限,自分にバイアスについてのバイアスなどが説明されている.
- マイサイドバイアス:自分が属する政治,宗教,民族,文化的部族のためという動機に基づく推論のバイアスはマイサイドバイアスと呼ばれる.再現性の危機のなかで,マイサイドバイアスはきわめて頑健に再現できる.ピンカーは政治的に色の付いた議論(気候変動など)のトンデモは単に無知のなせる技ではない可能性があること,議論の正しさより部族仲間からの評価の方が重要な状況ではこのバイアス自体合理的と考えられること,故にこの克服は難しいことを指摘している.
- 2種類の信念「真実と神話」:ピンカーは多くの人にとって信念は「真実であることが重要なもの」と「その寓意が重要なもの」の2種類あるのではないかと指摘している.後者はナラティブや神話の世界のマインドセットになる.ピンカーは,前者が圧倒的に重要だと考えるようになったのは啓蒙運動以降であり,進化環境では遠く離れた世界を後者のマインドセットで扱うことが通常だったのだろう*22と示唆している.
- 典拠不明な信念の心理学:人々は直感的に物事を判断する.そこでは二元論,本質主義,目的論が卓越する.これらは陰謀論と親和的だ.さらに陰謀に敏感であること自体進化環境では適応的だった*23だろう.そして陰謀論のコンテンツは一種のミームとして人々の心に侵食しやすいように進化する.これらは陰謀論がはびこりやすい要因となる.そして科学的な啓蒙は「神聖価値」,多くの人の科学的理解の浅さ(多くの人にとって科学と偽科学の区別は困難)により難しいものになるとピンカーは指摘している.
では我々はあきらめるしかないのか.そうではない.現実は現実であり,誤謬は何十億もの人々の幸福を脅かす.ピンカーはヒトがいかに様々なバイアスに脆弱だとしても,それはすべてのヒトがフェイクニュースツイートボットになるしかないことを意味するわけではなく,知識の弧(the arc of knowledge)はとても長く,合理性に向かって伸びるのだと主張する.
一部の科学的問題は宗教的政治的な問題になるが大半はそうではない.ほとんどの人はヘッドラインを懐疑的に読むし,明確な証拠があればそれを真実と認める.マジョリティはこのような証拠へのオープンネスを支持し,証拠のない陰謀論を退ける.ピンカーは(法律家のような)勝ち負けの議論ではなく,一緒に真実を探るような議論を推奨し,教育機関はより統計とクリティカルシンキングを教えるべきだと提唱し,合理性共有地の悲劇を避けるには,査読やファクトチェッキングのようなチェックとバランスシステム,それを推進するインセンティブ構造が重要だと指摘する.そして誤謬にあふれる状況を作り出す要因のその究極的な説明は自己と他者の区別であり,それを克服するという意味では合理性は道徳の問題でもあるのだと指摘している.
第11章 なぜ合理性は重要なのか
最終章はピンカーによる合理性の擁護パート2だ.第2章で合理性自体の正しさを論証することはできないが,相手を説得するためにはそれを使うしかないという議論を行った.ここでは合理性を使うことによって現実世界や人々の人生がより良いものになるのだということが主張される.
最初にクリティカルシンキングの欠如により生じた害(標準的医療の拒否,カルト教団の集団自殺,占いや超能力などをうたう詐欺による被害,(魔女などの)迷信によるリンチなど)の概算を示している.クリティカルシンキング活動家のファーレイの計算によると1970年から2009年までに37万人の人命が失われ,経済損失は280億ドルだそうだ.またここでは(知性,社会経済的状況を調整しても)合理的思考傾向が人生の結果と相関しているというスタディも紹介されている*24.
次に前著を引き合いにして,過去世界がよくなってきたことは合理性によって説明できるのだという議論を行っている.ここでは寿命,公衆衛生,経済状況,戦争などのトピックごとに合理的思考こそが世界の改善を導いたのだということが主張される.そして道徳の向上も,歴史をよく見ると最初の一歩は(人々の本質的な平等性から導かれる)理性的な議論から始まっているのだと畳みかけ,具体例をいくつも提示する.そして最後にこう結んでいる.
- 人類の繁栄という目的を掲げ,自分たちの原則と一貫する実践を行うという健全な議論は,それだけで世界を改善できるわけではない.しかし議論は変化への動きを導いたのだ.それは道徳的な力と野蛮な力を,正義の遂行と大衆のリンチを,そして人類の進歩と物事の破壊を区別する.そしてそれは将来にわたり道徳の荒廃とそれへの対処を明らかにする健全な議論であり続け,私たちは道徳のさらなる向上を信じることができるだろう.現在残っている恐ろしい慣習も私たちの子孫にとっては,私たちが異端裁判や奴隷オークションに対して感じるものと同じように,とても信じられないものになるだろう.
- 道徳の向上を導いた合理性の力は,世界の物質的な進歩や人生の賢い決断を導く合理性の力の一端だ.私たちがこの無慈悲な世界の中でウエルビーイングを伸ばしていける能力,そしてヒトの欠陥のある本性にもかかわらず他者に優しくできる能力を持てるかどうかは,私たちの偏狭な経験を越える公正原則を把握できるかどうかにかかっている.私たちは初歩的な合理的思考の能力を持って生まれ,そのスコープを大きく拡張できる方法と組織を発見した.そしてそれは私たちにアイデアをもたらし,しばしば直感とは食い違う真実の世界を見せてくれるのだ.
本書を貫くピンカーのメッセージは「確かにヒトは様々なバイアスを持ち,論理誤謬に陥りやすい.しかしそれはじっくり熟考することにより克服可能であり,ヒトは合理的に考えることができるのだ.そしてそのような合理性こそが世界をより良きものにし,人類の道徳性の向上をもたらしたのだ」というものだ.ピンカーの前2著と本書を通読するとその議論はきわめて説得的に感じられる.
また本書は(もともとハーバードの講義なだけあって)「合理性とは何か」についての入門書としてもわかりやすく,よくできている.モンティホール問題やホットハンド幻想の幻想などの蘊蓄など細部も楽しいし,なぜ一部の人々がしばしば馬鹿げた信念を持つのかについての仮説の内容も興味深い.邦訳されて多くの人に読まれるとよいと思う.
関連書籍
世界の向上を描くピンカーの前2著.
私の書評は
shorebird.hatenablog.com
shorebird.hatenablog.com
同邦訳
ピンカーのハーバード講義についての私のノートはこちらから
shorebird.hatenablog.com
*1:議論や説得の必要性についてもコメントされている.誰も絶対的な無謬ではあり続けられないこと,反対者にもゲームに参加するチャンスを与えるべきことなどが理由として挙げられている
*2:クリティカルシンキングの原則,規範的論理システム,確率,実証的検証などが挙げられている.またこれを社会的に実装したものが法廷の当事者主義,論文の査読,ジャーナリズムのファクトチェック,学問や言論の自由だと指摘している
*3:真実などというものはなくみな社会構築物だというポストモダニズム論者に対しては.「では奴隷制度があったということも社会構築物なんですね」と尋ねてみればいいとコメントしていて面白い
*4:時間割引率の双極性について詳しく解説がある
*5:知ってしまうと苦しむこと,客観的な真実に迫れなくなること(陪審の予断,二重盲研法など)
*6:チキンゲーム,友情や愛情の絆などが解説されている
*7:差別につながるベースレートの無視,金銭で取引すべきでないとされるもの,ある種の仮想世界を考察すること(いずれもそのようなタブーを犯すことは反道徳的と判断され,社会的関係から排除されるリスクがある)などが解説されている.
*8:合理性とは別の基準になること,しかし(黄金律などの)視点の交換性が道徳の基本と考えるとそれは社会の中でみながうまくやっていけるよい方法だと考えられることなどが解説されている
*9:論理で用いるand, or, if thenが日常の用法とずれていること,前提条件がしばしば満たされていないことなどが指摘されている
*10:なお確かに主張のコンテキストが重要な場合(論者の利益相反,聖書の記述が根拠である議論,その分野の科学者たちの一致した意見など)もあるが,その場合には論者はなぜそうなのかの理由を説明する必要があると補足している
*11:受精卵は「人」か?,ビルとモニカは「セックス」したのか? などの例が挙げられている
*12:個人はそれぞれに異なるが,いったん「すべての人は平等だ」という前提を受け入れたなら後は論理的に様々な道徳的な結論が得られるのだと解説されている
*13:例としては原発やテロの危険性の見積もりが挙げられている
*14:ここではトヴェルスキーのホットハンド誤謬自体が確率計算のミスによる誤謬だった経緯なども紹介されていて楽しい.この話の基本的教訓は,事象はしばしば独立ではない,ギャンブラー誤謬はそれ自体は合理的な認知傾向から生まれたものだと解釈できる,確率は非常に深く真に反直感的なのだの3つだとされている
*15:OJシンプソン裁判の弁護側論理とか「ローマ法皇はまず間違いなくエイリアンだ推論」とか実例が楽しい
*16:予測が自己実現的になることを避けるべきであること,シグナルとしての政策(大衆へのコミットメント)としても重要であることが補足されている.
*17:また深層学習AIによる判断の場合どのような判断になっているか隠されてしまう問題があることも指摘されている
*18:これはパスカルの賭けの背後にある考え方であり,フォン・ノイマンによって定式化されたものだと説明がある
*19:最初に現れた一定基準を満たす選択肢を選ぶ,重要性の低いパラメータを無視するなど
*20:興味深いデータが得られ追試を行う際,本来なら平均への回帰を考えてサンプルを増やすべきなのに,すでにある程度証拠があるからと考えてサンプル数を減らしてしまうという誤謬.ピンカーはこれも再現性の危機の一つの要因だと指摘している.
*21:単なるメカニズムの推論だと中世のimpetus理論,「気」,ホメオパス,クリスタルパワーなどを排除できない.重力,遺伝子,病原体,プレートテクトニクスなどは確認されたよい説明メカニズムとなる
*22:現在でも宗教,国家神話,歴史ドラマでは真実かどうかよりその寓意が重視される.ピンカーはトランプ話法も同じなのだろうとコメントしている
*23:部族間抗争のある世界では襲撃,裏切りなどのリスクは大きく火災報知器原理が適用される状況になる.
*24:もちろん相関は因果を意味しないが,ありそうな交絡要因はコントロールされているし,逆相関は考えにくい(自動車事故にあうと合理的に考えなくなるということはなさそう)とコメントしている.